第8話
陽も暮れて外回りから帰ってくると、屋敷の門でタエさんと守衛が尋常ではない様子で俺を待っていた。
「誠様!千代様が、男爵様の御屋敷から戻らないのです!」
慌てふためくタエさんを落ち着かせ、話を聞く。俺が出かけてすぐに、千代が珍しく一人で門まで出てきて、守衛に馬車を呼ばせ、車椅子も一緒に乗せて出て行ったという。どちらへ、と守衛が聞くと、一言、「華園家へ―」と。
タエさんには一言もなく、心配になり男爵の屋敷には行ったが、胡散臭い風体の輩に誰も来ていない、と門前払いを食らったという。
警察にも行ったが、そこでも門前払い。そして今に至る、という訳だった。
はぁぁー。ため息をついてしまう。まったくもって面倒くさい事になった。あのお嬢様は何をしている。何にしろ、男爵の屋敷には行かなければなるまい。
守衛に人力車を頼む。念のために護身用の何か、と探すと、守衛所にシャベル―俺には円匙(エンピ)の名が馴染み深い―があったので、それを借用した。
人力車が来たので乗り込む。タエさんと守衛に見送られた。はぁー。ため息が止まらない。
人力車に揺られながらつらつらと考える。千代は俺の話を聞いて、行動した。一人で話をつける、と。・・・嘘をつけば良かった、と思っても後の祭りだ。
たぶん、男爵は千代を傷つける事は無いだろう。根拠はないが。だが、もし、千代に何かあったら―獣が吠える―冷静でいられるだろうか。
伍長に声をかけようかな、と思ったが、小事が大事を超えて大惨事になりかねないので、やめた。
男爵の屋敷に着いた。門構えと門から見える屋敷は、千代の屋敷よりも立派だが、どこか荒廃した空気。樹の手入れや掃除がされていない道のせいか。
門前には、着流しの若者。人相も悪い。あきらかにやくざ者だ。男爵と極道は似合わないが、適時、雇っているのだろう。合理的と言えば合理的だ。
無視して通ろうとすると、止められた。土工でもない人間がシャベル片手に入ってきたらそりゃ止める。
「何の用かな、あんた」
「この屋敷に女性が一人来たはずです。お迎えに上がりました」
「誰も来てねぇ。帰った、帰った!」
男の肩越しに道を見る。人の肩幅の二輪とそれより少し狭い二輪が通った後。確定−千代の車椅子は、ここを通った。そして、出ていない。男を押しのけて門を通る。
「失礼―」−しますと言おうとしたら、いきなり殴られた。踏み込みの無い一撃だから大した事は無いが、痛い。・・・先に殴ったのはお前だからな。
シャベルの剣先を男の脛に刺突。いぎ、と痛みに屈みこんだ後頭部へ柄の一撃。倒れた。獣が、首級を欲しがり首へ剣先を落とそうとするが、堪えた。
殺しちゃまずいよ、殺しちゃ。自分に言い聞かせながら陽の落ちた屋敷の道を行く。あぁ嫌だ。
屋敷内は以外に綺麗だった。電灯は灯されていない。豪華絢爛ではなく、質実剛健を旨とするような調度品が配置されている。
女中なり使用人なり誰かいないか、とあてもなく歩き回っていたら、電灯が灯された廊下を見つけた。突き当たりで男が3人−角刈り、五分刈り、坊主、と髪型で判別―
椅子に座っている。そこか。こっちに気付いた。駆け寄ってくる。
「てめぇ、何者だ!」
「この屋敷に女性が一人来たはずです。お迎えに上がりました。後、門の人はお休み中です」
角刈りの詰問に、門で放った言葉に少し付け加えて答える。角刈りが無言で短刀を抜いた。他の2人もつられて抜く。角刈りが頭か。話が早い。俺も肩に担いでいたシャベルを両手で持つ。
角刈りが坊主に顎で指示する。坊主がうおお、と短刀を突き出しながら飛び込んできた。へっぴり腰。一番若手なのか、慣れていないのだろう。可哀想に、様子見のおとりか。
シャベルの剣先を―首に向ければ首級が獲れるぞ、と囁く声を無視−坊主の肩口に向けた。間合いの差で短刀の刃が俺に届く前に、シャベルの剣先が肩に刺さる。
短刀が落ちたのを確認して、振り抜いてシャベルの持ち手を坊主の顎に喰らわせた。ごっ、という音と共に崩れ落ちる。止めを刺せ!と叫ぶ声をなんとか無視。
やはり、殺さない方が難しい。
息をつく間もなく、五分刈りが短刀を突き出してきた。シャベルの剣先を短刀を持つ手に刺突。手の肉が割かれ、骨が露出する。痛そうだ。
間合いがなくなったので右手で顔を掴み、大外刈りで体勢を崩し、頭を地面に叩きつける。角刈りが短刀を俺に振りおろす―右手に転がった。痛たた、左肩を切られた。
幸い、浅手だが腹が立ってきた。この野郎、殺す。
角刈りが短刀を腰だめに突っ込んでくる。
わざと、右手でシャベルを間合いの外で左から右へ大振り。角刈りは踏み止まって避け、また突っ込んできた。
大振りした力を利用して体を低く回し、角刈りの足首へシャベルを横薙ぎにする。シャベルの柄が当たり、角刈りが転倒する。俺はシャベルの刃を顔へ―
すんでの所で手首を返し、平たい部分で叩く。ぐちぅ、と音がした。手加減できなくてすまんね。
静かになった3人をまたいで、奥に進む。突き当たりの部屋のドアを開けた。賓客室だろうか。豪華な調度品が並ぶ。天井には壮麗なシャンデリア。
一人掛けのソファに男爵。ローテーブルを挟んで、車椅子に座る千代。
誠!千代が顔を輝かせて俺の名を呼ぶ。良かった、無事のようだ。ぱん、ぱん、ぱんと拍手。男爵だった。
「見事!シャベル一本でここまで来るとは。さすがは元近衛師団兵だな。塹壕の白兵戦で鍛えた腕前はいまだ健在か!」−俺の事は調査済みか。伍長の偽情報は役に立たなかったようだ。
「どういうおつもりですか、男爵様」
「どうも何も、招待もしていないのに千代と君が来ただけだ」
「・・・何故、千代様はいないと?」
「千代を返したくなかった」
「では、返して頂く」
「そうはいかん」
男爵は立ちあがると、フロックコートの袂から拳銃を取り出した。構える。
姿勢は半身。足は肩幅。左手は腰に当て。右手を肩に水平にし、無駄な力を抜く。
軍式の基本射撃姿勢。銃口は微塵の揺るぎも見せない。
「・・・男爵も、軍に?」
「ふむ。まぁ、私は海軍水雷艇乗りだよ。最も、船が日本海で奮闘空しく撃沈してしまってね。臆病風に吹かれて軍をやめ、今君に銃を向けている、とういわけだ」
そうか。あんたもか。銃を見る。軍でも使っていた二六年式拳銃だ。威力は弱い。二,三発覚悟で刺し違えるか。覚悟を決めて前に出ようとすると、男爵をふん、と鼻を鳴らし銃を降ろした。
「シャベルに銃では余りに不公平だ。士族出身たる私の誇りが許さん」
銃をテーブルに置く。ごとり、という音に千代が身を竦める。ソファに立て掛けていたステッキをとり、柄を引いた。仕込み刀の刃がシャンデリアの灯に照らされ青く光る。
「やはり、決闘はこうでなくては。さぁ、愛しの君には誰が相応しいか、決めようではないか!」
両手を広げて大時代な決闘宣言をし、俺に切りかかる。シャベルの底で合わせる。当たりが重い。相当な手練のようだ。
俺も遠慮なく刃を突き立てる。軽く、いなされる。ふと、聞きたくなった。
「男爵は、まだ戦争の夢を見ますか?」
「・・・ああ。撃沈された時をね。火の熱さ、水の冷たさ、油の臭いや悲鳴もばっちりだ。助けを求めて私に掴みかかる仲間を、溺れさせて生き残った私を笑うかね?」
「笑いません。あなたは、勇敢に戦ったと思います」
「ありがとう。君に言われると救われるよ」
横殴りの強烈な一撃、二撃。体を後退させてかわす。袈裟切り、唐竹割りと続く。シャベルを盾に受ける。ぎいん、ぎいんと音がうるさい。
横殴りに振る。かわされた。男爵が青眼に構える。穏やかに微笑んでいた。
本気じゃないな、と思う。喰らえば致命傷の一撃だ。だが、必殺の意思がない。あえて俺が受けやすい攻撃で仕掛けている。まるで庭球の試合の様だ。爽やかさえ感じる。
おかげで頭の中で喚く獣も黙っていて更に気分爽快だ。
意外にウマが合うかもな―なんとなく。さて、ここはどう決着をつけよう。シャンデリアを中心に間合いを計りながら回る。
千代は唇を噛みしめて俺たちを見ている。回り続ける。男爵が千代を背にした。後ろに気を使い、やや前に詰めた―俺の間合い―踏み込む。
ぱん、と爆竹の様な音が鳴った。男爵の顔が歪む。
ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。男爵が膝を着く。
ぱん。男爵の首から血が吹き出る。前のめりに、倒れた。
千代の手の銃から、煙が棚引いていた。震える手で、かち、かちと引き金を引き続けていた。