自分でも気の弱い子供だったと思う。  
 今にして思えば良くある話ではあるが(その時点では、だが)  
 複雑な家庭事情もあり、内気な性格だった。  
 ともすれば鼻につくような陰鬱さもあったかもしれない。  
 更には同年代の子供達の中でも明らかに、小さく細いひ弱な子供だったので  
 それはそれは子供の残酷さが目を付けるには格好の獲物だったろう。  
 
 そもそも、そういう家庭事情を抱えた子供というのは  
 それが他の子に知られてしまえばそれだけで虐めの対象になる。  
 まるで助長するかのように、虐められやすい条件を見事に揃えていた。  
 
 その中で自衛の手段を覚えていかなければならないが  
 小さな子供にとってそれは簡単な事では無いし  
 その為には、やはりそれなりに長い時間が必要だったりする。  
 
 しかしそれでも救いがあったのは、そんな自分を常に近くで  
 守ってくれる人間がいた事だ。  
 一つ年上の新しくできた姉は、出来る限り自分の側にいて  
 近所の虐めっ子達から守ってくれた。  
 自分は姉が大好きだったし、姉も自分を可愛がってくれた。  
 自分にとっては何の不安や不満も無く家族だと実感できる  
 唯一の存在だったし、自分の生活の中で安らぎを求めるという部分の  
 その殆どを姉に依存していた。  
 
 そんな自分の飢餓的な愛情要求もイヤな顔一つせずに  
 幼いながらも母性愛にも近い(少なくとも当時の自分にはそう感じられた)  
 愛情で受け入れてくれた。  
 もちろんそれほど鮮明に事細かに覚えている訳ではないし  
 自分がそれまで十二分に愛情を受けて育ったとは言えず  
 愛される事をあまり知らなかったという分、記憶が美化されている  
 という事も少なからずあるだろう  
 
 それでも自分と1歳しか違わず、小学校に入ったばかりという当時の彼女の年齢を考えれば  
 驚異的とも言えるような愛情を注いでくれていたのではないかと今では思う。  
 それは彼女と離れる事になるまでの5年以上もの間、変わる事は無かった。  
 
 自分は彼女とずっと一緒にいる事を望んでいた。強く強く。  
 しかし、少しづつ成長し、理解出来る事が増える度に  
 それが叶えられないのではないかという予感は  
 着実に自分の中で芽生え、根を張っていった。  
 
 
◇  
 
 
「おいおい悠樹、こんな坂も上れないのか、情けねぇぞ」  
 急な坂を上がる途中、二人乗りの自転車がほぼ歩くのと同じ速度で走る。  
「・・・つか、お・・・まえ、のチャリがパンクして・・・2ケツしてん・・・のに  
 俺が、こいでるの・・・って、おかしくない・・・か?」  
 息を途切れさせながら、吐き出すように悠樹が言う。  
「お前がジャンケンで負けたからだろ?」  
「何も言わないで、・・・訳分からない・・・ままで・・・いきなりだっただろーが・・・」  
 坂もだんだんと緩やかになってきたので、少しづつ楽に喋れるようになってくる。  
 と、同時に自転車も少しづつスピードを取り戻していく。  
 
 
 入学した高校が自宅からそれなりに近いこともあり  
 悠樹と宗一郎は自転車通学しているのだが  
 時間的に最後に家を出る悠樹達がドアに鍵を掛け、自転車の鍵を外しサドルに跨ると  
 宗一郎は自分の自転車の前輪がパンクしてるのに気付き  
「あっ、そーいや昨日の帰りにウチのすぐ近くでパンクしたの忘れてた」  
 と、サラっと言ったのが悠樹の困難の始まりだった。  
「ならバスで行けば?」  
「金無いんだ、400円しか。昼メシ買えなくなっちまう。歩いたら絶対遅刻するし」  
「パンクした事を忘れるから悪いんだろ。直してる時間だってないぞ」  
 悠樹が自業自得だと言うと、俯いて、腕を組みながら何かを考えていた宗一郎が  
 ふいに顔を上げて言い出した。  
「よしっ、分かった。じゃあ行くぞ悠樹!せーの、ジャンケン、ポイ!!!」  
「???」  
 そのいきなりのジャンケンに、悠樹は訳の分からないままパーを出していた。  
 
「重いんだよオイ、大体体重差どんだけあんだよっ!」  
「それはお前が小っさいのが悪いんだろ、人のせいにすんなよな」  
 細身だが筋肉質で180cmの宗一郎と  
 細身というよりは華奢で筋肉が少なく、更には164cmと背が低い悠樹との体重差は  
 この状況では致命的に過酷な条件となる。  
 ゆっくりながらも何とか一度も足を地面につくことなく坂を上り終え  
 学校への道には、あとはもう緩やかな平地のみしかないとなったところで  
「しょうがない、こっからは俺がこいでやるよ」  
 としゃあしゃあと言う宗一郎に対し、悠樹は理不尽に思ったが  
 疲弊しきっていたのと、少しでもいいから楽がしたい思いとで  
 何も言わずに自転車を降り、宗一郎と入れ替わり後輪の中心部の突起に足を掛けた。  
 
 
 悠樹の体重などまるで感じないかのように宗一郎は飄々と自転車をこぐ。  
 宗一郎の肩に手を乗せながら、その風の心地よさに悠樹はふと、ある既視感に襲われる。  
 誰かと自転車に二人乗りした事などいくらでもあるから少しも不思議な事ではない。  
 しかし何故かその懐かしい感覚が妙に気になり、心にしこりが出来る。  
 そもそも既視感とはそういうものだと言えばそれまでだが  
 自分にとって大事な事のような気がして考え込んでしまう。  
「ォィ・・・ォィ・・・、・・・オイ悠樹!寝てんのか!?」  
「・・・あっ、ああ、何?」  
 没頭していたらしく、宗一郎に話しかけられている事に気付く。  
「ハッハハハ、お前大丈夫か?2ケツしながら寝たら落ちて死ぬぞ」  
 何が面白いのか、宗一郎は笑いながら悠樹をたしなめる。  
「寝てないって、ちょっと考え事してたんだよ」  
「ホントかよ、ちょっと今のは尋常じゃなかったぞ。10回ぐらい呼んでたのに」  
「ホント考え事してたんだって。で、何よ?」  
「いや、いいよもう。別に大した事じゃねーし」  
 そう言って前を向くと、宗一郎は自転車のスピードを上げる。  
(オイオイ、そんなにスピード上げるとちょっとおっかないぞ)  
 宗一郎が張り切って自転車をこぐのを後ろで感じながら  
 悠樹はもう、さきほどの既視感の事など忘れていた。  
 
 
◇  
 
 
 宗一郎とは兄弟、という事になっている。  
 しかし同じ学年で、体格がまるで違う上に、童顔で女の子のような  
 丸みを残した悠樹と、精悍で男らしく整った顔の宗一郎との間に  
 何らかの外見的な共通性を見い出す事は非常に困難な為  
(まさか双子という事もあるまいし、血が繋がってないのでは)  
 というのは新入生の間では入学当初からの話題だった。  
 
 悠樹も宗一郎も、別にその事を隠し立てするつもりは無いし  
 ちょくちょくと新しい友人ができはじめ、見るからに兄弟とは思えない  
 というような話題になると、何の躊躇いもなく血は繋がってないという事を  
 明かしていたので、すぐにその話は広がり、学年中に流布された。  
 
 すると今度は、その複雑そうな家庭事情に興味を持つ者も出てきたが  
 流石にそこまで突っ込んだ事を聞いてくる人間は少なかった。  
 あるいは小学校、または中学校時代からの付き合いで、同じ高校に入った  
 深い事情の知っている何人かの友人達が気を使って、あまりその話には触れないように  
 さりげなく釘を刺してくれたのかもしれない。  
 それでもある程度親しくなった新しい友人がそれとなく聞きたがった時には  
 「俺、養子なんだわ」と大幅に要約した回答をして  
 それ以上深く追求された事は無かった。  
 彼等は皆、口は堅いようで、それが学年内に広がる事も無かった。  
 

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