『眠る少年と、着替える少女』  
 
午前7時前―私立露城高校 1年5組  
「あ……また朝から寝てるんだ」  
朝練のために早くに登校した由梨乃(ゆりの)は教室に入るとすぐに、一番後ろの窓側の席で寝ている男子生徒を発見した。  
普段は彼女か或いは同じ陸上部の親友、加奈子(かなこ)が真っ先に教室に来ているのだが、  
一昨日からは先客がそこにいた。特別親しくも無い同じクラスの男子、洋治(ようじ)である。  
 
 
「朝早くから来て、何するでも無しに寝てるだけ。変なの」  
洋治を若干馬鹿にしながら教室の電気とエアコンをつける由梨乃。  
荷物を自分の―洋治の席の斜め前の―机に置くと、少しの間を置いて扉が開いた。  
「おはよっとぉ、今日は由梨乃に先を越されちゃったかー」  
開き主は、由梨乃と同じく朝練のために早く来た加奈子であった。  
 
ともに陸上部のエースとして有名な由梨乃と加奈子だが、2人は性格・体格ともに対照的である。  
小柄かつ童顔で中学生に間違われる事も多い由梨乃とは逆に、加奈子は豊満な胸も含め体付きが良く男子の間で噂される事も多い。  
性格も、どちらかと言えば内気で部活中以外は大人しくしている由梨乃に対し、加奈子は男女別け隔て無く接する活動的な子だった。  
 
「おはよー。今日も更に先を越している人が此処にいるけどね」  
由梨乃は悔しがる親友に、先客の存在を教える。  
「うっわ、またこんな時間から来て寝ているんだ。もう3日連続じゃん、家じゃ寝られないのかな?」  
「さあ? 私が知るわけないし、家庭事情までは興味無いし」  
加奈子は洋治の姿を見つけると、半ば感心したように呟く。  
洋治について疑問を抱く彼女に対し、1限目の準備をしながらやや冷たく言い放つ由梨乃。  
由梨乃同様に自分の―洋治の席の2つ前の―机に荷物を置くと、加奈子は洋治観察を始める。  
洋治は自らの腕を枕代わりにし、窓の方を向き机に伏している。  
穏やかな寝息を立て、起きる様子は無い。  
 
 
加奈子は観察しながら、すぐ側の由梨乃に話しかける。  
「わざわざ早くに家を出る理由は知らないけど、学校ですることが無いならコンビニとかで立ち読みでもして時間つぶせば良いのに」  
「確かにね」  
「ってか本当に寝てるのかなあ? 実際は目瞑って如何わしい事アレコレ考えてたりして〜」  
加奈子の発言に、由梨乃は思わず軽く噴出す。  
「クスッ、ありそう。思春期の男子は皆変態だ、って先輩が言ってたし」  
「試してみよっと」  
洋治の頭を加奈子が軽く叩いてみるが、特に反応は無い。  
「だったら……ふぅ〜」  
続いて彼の耳に息を吹きかけてみるが、身を震わせる程度ですぐに落ち着いた寝息に戻る。  
「んじゃあ……お、丁度いいや」  
更に今度は、洋治の後頭部に見つけた白髪を1本引き抜く。  
 
「ちぇー、起きないかあ……ん、どしたの由梨乃。若干引き気味だけど」  
「何してんの、気持ち悪い……起きたらどうする気?」  
「大丈夫だって、マジ寝だよこりゃ。他の人が来るまではこのままだろうし、早く部活行こう」  
由梨乃の忠告を軽く流すと、加奈子はブレザーを脱いで椅子にかけた。  
「まあそうだけど……って加奈子、なんで此処で脱いでるの?」  
行こう、と言われて鞄を持った由梨乃は、加奈子の行動に疑問を抱く。  
「うん、此処で着替えちゃおうかなってね」  
「えぇっ? だって、男子いるじゃない!?」  
由梨乃が驚き発言した通り、教室内には寝てはいるものの洋治がいる。  
女子が着替えるにはあまりにも適していない。  
「寝てるから大丈夫だって、それに更衣室まで行くの面倒じゃん」  
この学校には女子更衣室が北館と中央館にしか無く、今彼女達がいるのは南館であった。  
更に更衣室に荷物を放置してはいけないため、1度教室に戻らなければならない。  
加奈子の言っている『面倒』というのは事実ではある。しかし……  
 
 
「だからって男子の目の前は……トイレでもいいじゃない!」  
「目の前ってねぇ、何しても起きないんだから大丈夫だって。ほら、早く着替えないと置いてくよ?」  
戸惑い恥らう由梨乃に対し、既にベストを脱ぎブラウスのボタンに手をかけた状態で彼女を急かす加奈子。  
由梨乃は1度洋治を見る。窓の方を向いており、彼の顔は見えない。  
即ち、彼からもこちらは見えない状態だ。  
「もう……頼むから起きないでよね……」  
由梨乃は仕方なくその場で着替え出すが、やはり洋治が気になってしまうのかその動きは何処かぎこちない。  
加奈子は手早くブラウスを脱ぐと、鞄の中の体操着を探し出そうとする。  
もしこの瞬間に洋治が起きて前を見れば、上半身はブレジャーのみの加奈子が視界に入ってしまうだろう。  
彼女の胸元は見えないだろうが、思春期の男子にとってはそれでも十分な興奮材料となるはずだ。  
「あれー? 昨日持ち帰って洗濯機に入れて、代わりに洗濯済のを鞄に突っ込んどいたはずなのにー……」  
ハーフパンツはすぐ出てきたものの、どうやら体操着のシャツが見つからないのか、鞄の中を探し続ける加奈子。  
由梨乃はあまりにも無防備な親友の行動に妙な気恥ずかしさを覚えつつ、ブラウスのボタンを外し始める。  
「体操着を出してから着替えなさいよ。もし起きたら……ってキャアッ!」  
「どしたの!?」  
加奈子が由梨乃の悲鳴に反応し後ろを振り返ると、何時の間にか窓の方を向き寝ていたはずの洋治が体勢を変え、正面を向いていた。  
目が開いていれば、加奈子・由梨乃両名とも視界に入るだろう。  
「何でこっち見てんのよ……やっぱり、起きてんじゃないの?」  
「ええー? さっきあんだけちょっかい出しても反応無かったのに?」  
「むしろそれで目が覚めて、寝たフリしてるだけなんじゃ……」  
由梨乃が心配する中、加奈子は洋治に近づいて顔に耳を欹てる。  
もし洋治が手を動かせば、クラスでも割と大きなその胸に触れられてしまう程の距離だ。  
 
「……大丈夫、しっかり寝息立ててるよ。心配性だなあ、由梨乃は」  
「当たり前でしょ、男子が寝ているんだから……加奈子こそ、もう少し自覚した方がいいよ。人気あるんだし」  
加奈子の指摘に内心反省しつつも、反論をし彼女の胸元に視線を向ける由梨乃。  
実際加奈子の胸は同年代女子と比べて明らかに大きく、本来割と体の線を隠せる制服の上からでも目立つほどである。  
ましてや上がブラジャーのみの今この状況では、その存在感は凄まじい。  
「そうかなぁ。大きくても陸上には邪魔なだけだし、これ」  
「嫌味? ねえそれ嫌味?」  
同年代女子と比べて明らかに小柄で平坦な胸の持ち主である、  
そして同じ陸上部員である由梨乃にとってとして、加奈子の言葉は不愉快そのものだった。  
「どっちかというと、由梨乃が自意識過剰なんじゃないの?」  
「なっ、違……ああもう、知らない知らない!!」  
席の発言も含めて加奈子の言葉を挑発と受け取ったのか、一気にブラウスを脱ぐ由梨乃。  
そのまま直ぐに体操着を着るかと思いきや、洋治をキッと睨む。  
「うわお。どしたの唐突に」  
「そうよね、意識するからいけないのよね。ただ着替えるだけだし、素っ裸になるわけじゃないし、私はこの通り平坦だし、どうせ寝てるし……」  
驚く加奈子を尻目に、ひたすら自分に何かを言い聞かせる由梨乃。  
彼女は続けて洋治の目の前でスカートを下ろし、完全に下着姿になった。  
「あの〜、由梨乃さぁ〜ん?」  
「そうよ恥ずかしがるからいけないのよ、さっさと着替えちゃえば済む話よ。むしろ見せるくらいのつもりでいればいい話よ!」  
下着姿のままハイソックスも脱ぐ由梨乃。どうやら彼女は完全に自暴自棄に陥ったようである。  
「加奈子、さっさと着替えて行くわよ!!」  
「えっ? あっ、はい!?」  
普段の温厚な由梨乃からは考えられないほど強い口調で急かされ、思わず加奈子は丁寧語で応対する。  
 
「ほら加奈子、早くしないと置いていくよ!」  
由梨乃は手早く体操着を上下着用し、陸上用の薄い靴下を履くと、  
何やら妙な動きをする加奈子を再度急かし出す。  
「ちょっと待っ……オッケー、行こう!!」  
遅れる事数十秒。加奈子も着替え終わると、2人はグラウンドに向かい、  
教室には洋治だけが取り残された。  
「……とりあえず、便所行くか」  
 
 
下駄箱で運動靴に履き替えながら談笑する2人。  
どうやら由梨乃も、ある程度冷静さを取り戻したようである。  
「でも驚いたよ、わざわざ一度下着姿になるんだから」  
「冷静に考えたら、下は晒す必要無いんだよね……」  
女子の場合、スカートを脱ぐ前にハーフパンツを穿けば、下着を見せる必要は無かったのだが、  
自暴自棄状態の由梨乃はそこまで頭が廻らなかったようだ。  
「突然豹変したときはもう何事かと……」  
「不思議な事にね、『どうせ寝ている』と思ったら何か吹っ切れちゃった」  
「えっ?」  
「えっ?」  
加奈子の予想外の反応に鸚鵡返しをしてしまう由梨乃。  
しかし、加奈子自身も、由梨乃の反応は予想外だったようだ。  
「……もしかして、ガチで気付いて無かった?」  
「嫌な予感が外れてることに一縷の望みを託して一応聞くけど……何に?」  
己の中で展開される最悪の  
「ああぁー……アイツ、ずっと寝たフリしていたんだよ? 面白そうだから私は気付いていないフリしていただけで」  
「……嘘だよね?」  
最後の希望とも言える質問に対する返答は……  
「ホント」  
絶望だった。  
 
その日、1人の少女がひたすら朝練に励む姿があった。  
しかし彼女は部活中ずっと……  
「違う……忘れて……忘れなきゃ」  
うわ言が絶えなかったという。  
 
 
『眠る少年と、着替える少女』改め、  
『寝たフリ少年と、気付かぬフリする少女と、本当に気付いてなかった少女』  
 
おしまい  
 
 

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