『In vino veritas. 』  
 
 
 
 
「あんっ! あ……ん、ううっ、あっ、あぁん!」  
 ベッドの上で、矯声が響く。  
 正常位の体勢で相手を組み敷きながら、俺は柔肉の奥に男根を体ごと叩きつける  
ように激しく動く。  
 のし掛かるような形は体重もかかるため、あまり優しくはない動きだろう。される方は  
たまったものじゃないと思う。  
 しかし俺の下で、幼馴染みは少しも苦しげな様子を見せず、歓喜の声を上げていた。  
「あっ、りょう……じ、きもち、いいよ、私……んんっ、変に、なっちゃうの……っ」  
 快楽に染まりきったその喘ぎ声は、俺の興奮をいとも簡単に高めてくれる。普段の  
快活な彼女を知っている分、そのギャップがたまらない。  
 下半身が痺れる。彼女の中の熱に融かされそうになる。  
「華乃……そろそろ、いいか?」  
 こみ上げる射精感に息を詰めながら、俺は動きを速める。  
「んっ、きてぇ、早くきてぇっ!」  
 幼馴染みは下から押し付けるように腰を動かしながら、必死な顔で叫んだ。  
「くう……」  
 強烈な締め付けに俺の逸物はあっさり負けて、若さに満ちた精液を勢いよく放出した。  
 薄いゴムの中に吐き出すと、魂ごと持っていかれそうな快感が脳を焼くように駆け  
抜ける。  
「あん、あ、あ、あ、あっ、ああああっ」  
 幼馴染みも少し遅れて絶頂を迎えた。  
「────っあ、はっ、……はあぁ……あ……あん、んう…………」  
 だらしなく口を開けながら、幼馴染みはぞくぞく体を震わせる。  
 最後の一滴までしっかり出し切ると、俺は大きく息をついた。脱力した体を幼馴染みに  
預ける。  
 彼女は俺の体を抱き止めながら、荒い息を吐いた。肩を上下させて、快感の余韻を  
味わっていた。  
「ん……涼二……」  
 甘えるように彼女が唇を突き出す。  
 まるで恋人のように。  
「……」  
 俺は複雑な思いにとらわれながらも、幼馴染みとキスを交わした。  
   
 
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 
 
 小林華乃(こばやしかの)は幼稚園以来の付き合いになる俺の幼馴染みだ。  
 幼稚園から小・中・高と同じ学校に行き、そのまま大学まで一緒になってしまった。  
 つまりは腐れ縁というやつだ。  
 互いの実家も同じ地区にあって程近く、家族ぐるみで親しい関係だったりする。  
 俺は今、彼女と同棲している。  
 大学二年に上がった頃、彼女が一緒の部屋に住もうと言い出したのだ。  
 先に断っておくが、俺と華乃は付き合っているわけじゃない。  
 最初はその申し出に当たり前だが驚いた。いくら幼馴染みでもさすがにそれは問題  
だろうと、始めは断った。  
 しかし華乃は引き下がらず、同棲することのメリットを並べ立てた。  
「駅近くにいい部屋を見つけてさ、そこの家賃一ヶ月六万円なんだよね。折半なら今の  
部屋より安くつくよ。あ、敷金は私が払うから心配しないで」  
「もちろん食事は私が作るよ。私の料理の腕は知ってるでしょ?」  
「おばさんにも了承取ってるから大丈夫。それに一人より二人の方が楽しいって!」  
 『恋人同士でもない若い男女が同棲することの問題性』という俺の主張は、『私は  
涼二を信頼してるから』という華乃の主観に基づいた意見によって却下された。  
 言うことは全部言ったと、華乃は俺に一言、問いかけた。  
「……ダメかな?」  
「いや、別にそんなことは」  
「ううん。もういい大人だもんね、私たち。さすがに同棲はまずいって涼二の意見も、  
わかるの」  
「……」  
「だからさ、涼二がどうしてもダメっていうなら、無理強いはしないよ」  
「……なんで俺なんだよ」  
「え?」  
「他に友達とかいるだろ。同性同士の方が安心できないか?」  
 すると、華乃は一瞬目を細めた。俺の目にはそれが、寂しげな風に映った。  
「女の子だけだと、怖いじゃない。いろいろとさ」  
「……俺はボディガード代わりか?」  
「そんなとこ」  
 冗談めかした物言いは、どこか控えめだった。  
「わかった。いいよ」  
「え?」  
 俺がうなずくと、華乃は目を丸くした。  
「何を驚いてるんだよ。お前から言い出したことだろ」  
「だって、なんか涼二、気が進まなそうな感じだったし」  
「ちょっと驚いただけだよ。条件を見れば、どれもいいこと尽くめだしな」  
 あえて、そういう言い方をした。  
 華乃は、微笑んだ。  
「三食付きで、かわいいお手伝いさんもついてくるから?」  
「そのお手伝いさんは、料理の腕に定評があるからな」  
「そこまで言われたら、とても手抜きなんてできないね。あ、リクエストにはできるだけ  
応えるから。食べたいものがあるなら言ってね」  
「じゃあリクエストついでに、お手伝いさんにはメイド服を着てもらおうかな」  
「涼二ってああいうのが好きなの?」  
「日本男子の七割は確実に好きだと思うぞ」  
「……前向きに善処します、ご主人様」  
 そんなくだらない話をして、俺たちは笑い合った。  
 最後の一言にはちょっとドキリとしたけど。  
 
   
 同棲を始めて二ヶ月ほど経ったある日の夜。  
 俺はその日、友達と呑みに行って、かなり泥酔していたらしい。そのときのことを俺は  
よく憶えていなかった。  
 たぶん友達に送ってもらったのだろう。どうやって帰ってきたのかわからないが、俺を  
迎える声が聞こえた。  
「……涼二?」  
 そんな呼びかけだっただろうか。気遣うような優しい声だった。  
 ああ、この声。好きな声だ。  
 昔からよく知っている響き。最近になってもう少し細かい調子を聞き取れるようになって、  
その微妙な差異が俺を狂わす。  
 二ヶ月間一緒にいた。  
 ずっと幼馴染みだったのに、俺にはその生活がとても新鮮で、あいつの新しい一面を  
どんどん見つけて、変に意識してしまう自分がいて、  
 それをずっと考えないようにしていたんだ。  
「ちょっと、涼二!?」  
 くそ、甘いな。これは甘い。  
 触るとあったかい。抱きしめるとやわらかい。こんなの俺は知らないぞ。  
 ははは、こんなに気持ちいいものなのか。まったく、なんで我慢してたんだろう。  
「りょう、じ……おねがい、はなして……んっ」  
 甘い匂いがする。甘い味がする。甘い声がする。  
 本当に、甘いよ。  
「そこはダメ……ダメ、なの……んん……やぁっ」  
 体が熱い。頭がくらくらする。なんでだろう。服は脱いだのに。  
「りょう……じ。私……私は……」  
 もう、何も考えないようにしよう。ただ、おぼれろ。  
 …………。  
 ……………………。  
   
   
 はっ、と目が覚めた。  
「……?」  
 気づくと俺はベッドの上で横になっていた。  
 外から光が射し込んできている。外はもう明るい。  
 下半身には毛布の感触。服は……着てない。下もどうやら裸のようだ。  
 俺は夕べのことを思い出そうとした。確か昨日は友人と呑んで、それから……ダメだ、  
頭が痛い。  
 だいぶ酔っ払ったのだろうが、パンツすらはいてないというのは少々怖かったりする。  
「……えーと」  
 見上げる先には白い天井。電灯を覆うアクリルカバーの見慣れなさに少し違和感を  
覚える。……俺の部屋じゃない?  
 二日酔いで痛む頭をなんとか働かせようとしたときに、ふと気づいた。  
 左腕に何か温かい感触が、  
「ん……」  
 その、微かに洩れ出た声に、俺の心臓が大きく跳ねた。  
 おそるおそる目をやると、隣には見知った幼馴染みの寝姿があった。  
 同じ毛布をかぶっていて、そしてその身には何物もまとっていない。  
 シーツに溶け込むような白い肌。腕に柔らかさとぬくもりを伝える乳房。肩口で揃えた  
黒髪が少しだけ乱れていて、それが生々しさを強調させる。  
 俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。  
 その音が聞こえたわけでもないのだろうが、華乃はわずかに身じろぐと、ゆっくりと  
大きな目を開けた。  
「……ん……あ、おはよー……」  
 至極のんびりとした挨拶に、俺は咄嗟に返事ができない。  
「あー、今何時かな……? のど渇いたよ。ちょっと水飲んでくるね」  
 毛布からもぞもぞと抜け出そうとする華乃を見て、俺は狼狽した。四つんばいでベッドを  
這う全裸の幼馴染みというのは、冷静に見るには気まずさが勝ちすぎる。  
「お、俺が持ってくるからっ」  
 彼女の返事も待たずに、俺は素っ裸のまま部屋を飛び出した。  
   
   
 先に自室で服を着た。  
 適当に選んだTシャツとジーンズを着て、洗面所に行って顔を洗った。水道水の冷たさに  
気持ちが落ち着くと、それからようやく台所に向かう。冷蔵庫に500mlペットボトル入りの  
スポーツドリンクがあったので、それを二本取り出した。  
 華乃の部屋に戻ろうとして、しかし俺はドアの前で躊躇した。ひょっとして、まださっきの  
ままじゃないだろうな?  
 一応ノックをすると、いいよーという返事が返ってきた。ほっとしてドアを開ける。  
 ベッドの上には身を起こした華乃の姿があった。  
 しかし、  
「なんで服着てないんだよ!」  
 毛布で体を隠しているが、それだけだ。隠しているのは前だけで、肩から背中にかけては  
素肌をさらしたままだった。  
 華乃は億劫そうに上体を前に倒す。  
「だって体だるくてさー。のども渇いたし、涼二が戻ってくるまでは別にこのままでいいかなー  
って。それに毛布があるから」  
「背中見えてる背中! 前屈をするな! ちゃんと隠せ!」  
「もー、涼二は細かいなー」  
 文句を言いながらも、華乃は再び上体を起こして、毛布を深くかぶった。  
 それから華乃はペットボトルを受け取ると、一気に半分近く飲み干した。よほどのどが  
渇いていたのだろう。口から離してふう、と息をついた。  
「うまいか?」  
「うん、ありがと」  
「いや……」  
 俺は迷いながらもベッドに腰をおろした。さて、何から聞くべきか。  
「そんなに緊張しなくてもいいのに」  
 華乃ののんきな声。  
「夕べのこと、憶えてる?」  
「……全然」  
 華乃が顔をしかめる。  
「あ、いや、なんとなく憶えてることはあるぞ」  
「なに?」  
「なんか、柔らかいものに包まれて、すごく気持ちよかったような……」  
「……ふぅん」  
 小さく、幼馴染みは笑った。  
 それは嫌な感じではなく、どちらかというとくすぐったい笑みに見えた。  
「……あのさ、やっぱり俺、」  
「初めてだったんだよ」  
 華乃の口調は随分軽かった。  
 俺はしかしその言葉にぎくりとする。  
「そ、それって」  
「なに? 状況見れば夕べ何があったかわかるでしょ?」  
「……」  
「あ、違う違う。責めてるわけじゃないよ。……といっても、この状況じゃ何を言っても  
責めてる風に聞こえちゃうかな。困った……どう言えばいいんだろう」  
 華乃はしばし考え込むと、うんと小さくうなずいた。  
「……ごめん、最初に言うことを間違えた。初めてかどうかは置いといて。そうじゃなくて、  
えーと……涼二は酔っ払ってたんだから仕方ないよ。これは事故みたいなものでさ、  
悪気があったわけじゃないんだし、大丈夫。涼二も若くて健康なオトコノコなんだから  
こういうこともあるよ。仕方ないって。うん」  
 どこかフォローに困る様子の華乃を見て、俺は頭を垂れた。  
「ごめん。俺、お前にとんでもないことを……」  
 俺に何ができるかって、こうして謝ることしかできない。それ以外に何ができる?  
 
 華乃はあわてたように手を振った。  
「いや、ホント平気だから! なんか申し訳ないし、謝らないでよ」  
「だけど……」  
「気にしないで。それに、痛くなかったしさ。それどころか……」  
 と、そこまで言いかけて口をつぐむ。  
 俺はそれを幸か不幸かばっちり聞いてしまって、  
「……なんだ?」  
「あ、いや、なんでもない! 忘れて」  
 気になる。  
「……それどころか、なんだよ」  
「…………」  
 華乃は顔を真っ赤にしてうつむいた。  
 きわめて珍しい反応に、不覚にもかわいいと思ってしまう。  
 だが別に困らせたかったわけじゃない。俺は発言を取り下げようとした。  
「あ、無理には、」  
「……もちよかったの」  
 華乃の小さなつぶやき。  
 俺は反射的に聞き返す。  
「え?」  
 華乃は顔を上げると、さっきまでのひょうひょうとした態度はどこへやら、赤面したまま  
たたきつけるように答えた。  
「だから、気持ちよかったんだってば!」  
 涙目になって叫ぶ幼馴染みはこれまた新鮮だ。  
 俺は返事に困った。  
「……その、それって」  
「初めてなのに、体が熱くなって、なんだか抑えられなくなって、全然嫌じゃなかったの。  
聞いてたよりずっと気持ちよくって、怖いくらいだった」  
「……」  
「涼二は経験あるの? それであんなに上手かったの?」  
「い、いや、俺は」  
 思わぬ質問にうろたえる。  
「……俺が誰とも付き合ったことないの知ってるだろ」  
「……じゃあ涼二も」  
「初めて同士、ってやつみたいだな。どうやら」  
 俺はそのことを憶えていないのだが。不公平だ。  
 華乃は訝しげに目を細める。  
「……本当に?」  
「うそついてどうする。逆ならまだしも」  
 童貞だったと言っているのだから、そこは信じてくれ。哀しくなる。  
「じゃあどうして……」  
「相性がよかったんじゃないか? それが一番大事だって言うし」  
「相性……」  
 華乃はそのまま一人考え込んでしまった。  
 それにしても、どうすればいいのだろう。  
 俺たちの共同生活は、幼馴染みとしてお互いの信頼があったから成立していたものだ。  
しかし俺はその信頼を壊してしまった。  
 酒に酔って押し倒すなんて。  
 今さらながら罪悪感が募る。  
 もう元の関係には戻れないかもしれない。気にしないでと華乃は言ったが、いくらなんでも  
この先同じ屋根の下で暮らすのは無理だろう。それだけで済めばまだいい。これまでの  
ような気安い関係と距離感をこれからも保てるかというと……  
 まったく、酒なんて呑むものじゃない。  
 俺を信頼していると言ってくれたのに。  
 
「よし、決めた」  
 不意に華乃がつぶやいた。  
 目を向けると華乃は、もう元の快活な表情に戻っていて、  
「涼二」  
「ん?」  
「私を抱いて」  
「……んん?」  
 意味がわからなかった。  
「あ、もちろん涼二が嫌ならいいんだけど」  
「いや……って、は? 何? なんて言った今」  
「だから、私を抱いて」  
「抱くって……」  
「ハグじゃないからね。エッチしてほしいって言ってる」  
「――」  
 聞き間違いではなかったらしい。  
 だが、しかし、  
「な、何のために?」  
「んー、練習?」  
 頭の痛みがひどくなった気がする。  
「何の練習だ!?」  
「男の人と付き合う練習……かな」  
 華乃は神妙な顔つきで答える。  
「私もさ、男の人と付き合ったことないんだよね。でもやっぱりそうなったらさ、『そういう  
こと』は避けて通れないじゃない」  
「……そのための練習、か」  
「……うん」  
 ひどい話だと思う。華乃も自分の提案のおかしさを自覚しているらしく、その顔には  
あまり明るさは見られない。  
「そんなの、普通は付き合いだしてからその相手とするものじゃないか?」  
 練習とは言わんだろうが。  
「そうかもしれないけど、私は涼二がいいの」  
 不意を突かれて返事ができない。  
「あ、心配しないで。別に付き合ってほしいなんて言わないから」  
 手をひらひら振って、華乃は冗談めかす。  
「その方がいいでしょ? 涼二の負担にはなりたくないし、押し付ける気もないの。ただ、  
そういう関係もいいんじゃないかな、って思っただけだから」  
「……わからねえよ」  
 俺にはわからなかった。華乃がそんな関係をいいと思えることが。俺がどんな関係を  
いいと思えるのかも。  
「そんなの、ただのセフレじゃねえか」  
「む、その言い方は気に入らない。訂正しなさい」  
「だって本当のこと」  
「デリカシーがない」  
 華乃はぴっ、と俺に向かって指を差す。  
「そうじゃなくてさ、私のわがままに付き合ってくれるパートナーとして見れるじゃない。  
それってすごいことだよ。本当に信頼してなきゃできないことだから」  
「……俺はお前の信頼を裏切ったんだぞ」  
 言葉にすると心底自分が情けなく思えてくる。  
 しかし、華乃は首を振った。  
「ううん。涼二は私の信頼を裏切ってなんかいない。私のあなたに対する信頼は少しも  
揺るがない」  
「――」  
 その、まっすぐな瞳に気圧されそうになった。  
 彼女はなんの疑いもないかのような綺麗な目を、こちらに向けてくる。  
 
 俺はたまらず目を逸らした。  
「……夕べのことは憶えてないんだ」  
「うん、それはさっき聞いた」  
「だから夕べのことは、たまたまだっただけかもしれないんだ。お前はよかったと言うが、  
それが本当だとしても、素面のときにお前とうまくやれるか自信がない」  
 何を言っている。強まる困惑と二日酔いの痛みに顔をしかめながら、情けない言い訳を  
口にしてしまう。  
 華乃は口元を緩めた。  
「じゃあ、もう一度試してみる?」  
「!」  
「憶えてないなら、今からでも試してみればいいよ」  
「……」  
 何が華乃をそこまでさせるのだろう。  
 俺は唇を噛んだ。  
「なんでそこまでしたがるんだよ。練習っていっても、こだわる理由なんかないだろ」  
「それは……」  
「好きなやつでもいるのか?」  
「……」  
 華乃の目が細まる。  
 前にも、その寂しげな表情を見た気がした。  
「……いるよ」  
 しかし華乃のその答えの方が、俺を強く驚かせた。  
「告白は?」  
「してない」  
「……。……なおさら俺が抱くわけにはいかないだろ。自分を大事にしろよ」  
 失言だった。  
「もう一度しちゃったもの。今さらじゃない」  
「っ」  
 そう言われたら返す言葉がない。こいつの初めてを奪ったのは俺なのだから。  
 華乃はぶんぶん首を振った。  
「違う。別に暗い話をしたいわけじゃないの。私はこれからも涼二と仲良くしていきたいと  
思ってるだけ。でも涼二はどうせ言っても夕べのことを気にしてしまうでしょ。それが私は  
嫌なの。出て行くなんて言わないでね。負い目を感じる必要なんか少しもないし、私は  
こんなことであなたとケンカなんかしたくないんだから」  
「……ひょっとして、俺が罪悪感を持つのを思って、そんなことを言ったのか?」  
 そういう関係になってしまえば、そのうちそれが普通になって、夕べの出来事もまぎれて  
しまうから。  
「涼二は優しすぎるの。ぶっちゃけて言うなら、うじうじして男らしくないの」  
「うるさいな」  
「考えすぎってこと。私は今の生活気に入ってるし、今のままでいたいって思うの。でも  
涼二が気にする以上、どうしてもぎこちなくなりそうだから。だったらちょっとだけ変化を  
つけてみるのもありかと思って」  
 それが解決策になるのかどうかは疑問だが、華乃の言い分はわかった。  
 なら俺はそれにどう答える?  
 
「ひょっとして、私じゃ不満?」  
「は?」  
 煮え切らない俺を見て、華乃はそっと毛布を下に落とした。  
 あらわになった、幼馴染みの裸体。  
「おい……」  
 俺は目を逸らそうとして、しかしその形のいい胸から視線を外せなかった。  
 のどが鳴る。  
 張りのある豊かな膨らみを両手で触りながら、華乃はうんうんうなずいて、  
「胸はそこそこあると思うよ。おなかは……最近ちょっと太ったかも。脚はどうかな。  
涼二は太いのと細いのどちらがいい?」  
 まるで世間話のように軽い口調で訊ねてくる。白い素肌を隠すこともせず、華乃は  
微笑んだ。  
「……それとも、顔が好みじゃない? 涼二の好きな有名人って誰だっけ。誰が好き?」  
「そういうのはやめろ」  
「私じゃダメ?」  
 自嘲するように嘆息し、肩をすくめる。  
「仕方ないか。こればっかりは好みの問題で、」  
「別にお前がダメなわけじゃない」  
 一応、正直に答えた。  
「お前は美人だし、スタイルもいい。俺にはもったいないくらいいい女だと思う」  
「……ホメ殺し?」  
 首を振って答える。  
「急にそんなこと言われると照れるぜい」  
「説得力がないぞ全裸女」  
「……でもよかった。それならするのに何の問題もないよね」  
 無視された。いやそうじゃなくて、  
「やるとは言ってないぞ!」  
「やらないとも言ってないじゃない」  
 ああ言ってないな。悪かった。  
「やらない。これでいいだろ」  
「意地っ張り!」  
 華乃は頬を膨らませて俺をにらみつけると、ふんっと鼻を鳴らし、ベッドに倒れこんだ。  
目も合わせたくないとばかりに、うつ伏せになって顔をシーツに押し付ける。  
 胸と同様、肉付きのいいお尻が丸見えになる。隠せ。ことわざか。  
「どうしてもそういう目で見ることに抵抗を感じるんだよ」  
 毛布を華乃の体にかけ直してやる。  
「そりゃあ俺だって男だ。求められて嬉しくないわけがない。でも、だからっていきなり  
迫られても、すぐには答えられない。自信もないし」  
「……」  
「だからさ、少し時間くれ。時間かければちゃんと答えられると思うから」  
「ダメ」  
 短い却下の声。  
「時間おいたら絶対涼二断るもん。時間稼ぎしようって魂胆みえみえ」  
「……俺に拒否権はないのかよ」  
「ううん、もういいよ」  
 華乃は突っ伏したままあきらめたように言った。  
「私にはどうして涼二がそこまで拒むかがわからないけど、そこは自由意志だから。  
さっきも言ったけど、本当に嫌だったらそれは仕方ないことだし」  
「別に嫌ってわけじゃ」  
「そういう中途半端がダメなんだよ。即断即決。じゃないとチャンス逃しちゃうよ」  
 まったく。こいつはつくづく正しい。  
 さっきみたいな売り言葉に買い言葉では、きちんと断ったことにはならないだろう。  
 改めて答える必要がある。そして、こいつはそれを聞いたら、もう食い下がったりは  
しない。こいつはそういう女だ。  
 
 俺はどうしたいのか。  
 常識とか倫理観とか、そんな当たり前を捨て切って、俺がしたいことはなんなのか。  
 ……まったく。  
「……ちょっと買い物行ってきていいか?」  
「何買ってくるの」  
「コンドーム」  
 ベッドに背を向けて答えると、後ろで毛布のずり落ちる音がした。  
「……受けてくれるの?」  
「お前の熱意に負けた」  
 ぶっきらぼうに答えると、背中にどんっ、と何かがぶつかってきた。  
「りょーじ、それ本当っ?」  
 不意打ちすぎた。急に抱き付かれて、俺はひどく慌てた。柔らかい感触が服越しに  
伝わってきて。  
「おま、急に抱きつくな!」  
「だってだって断られると思ってたから! でもよかった。ありがとう!」  
「いいから早く服を着ろよ!」  
 いつまでその格好でいるつもりだ。  
「うん、わかった! あ、買い物に行くんだよね。私も行く」  
 ぱっと離れる。そのまま服を準備し始めるのを尻目に俺は部屋を出ようとして、  
「あ、一つだけ教えて」  
 ドアを開けたところで呼び止められた。  
「どうしてOKしてくれたの? さっきまであんなに断りそうな様子だったのに」  
「……」  
 少し迷った。  
「……変なやつに引っかかってほしくないからな」  
「……へ?」  
 目を丸くした華乃に向けて、俺はほんの少しだけ想いを吐露する。  
「ボディガード代わりとして、変なやつを近づけたくないと、そう思った。なら、俺が虫除けと  
して恋人役を演じるのも一つの手だ」  
「……恋人役?」  
「恋人にはなれないが、お前を守る本物が現れるまで、代わりを務めさせてもらう。これでも  
結構心配してるんだぞ」  
「……」  
「好きなやつがいるんだろ? そいつがいつかお前の騎士になるかもしれないじゃないか」  
「私は……」  
 背中越しに聞こえた華乃のつぶやきはよくわからなかった。  
 しばしの間の後、華乃は明るい声で言った。  
「じゃあ涼二はしばらく私の騎士になってくれるの?」  
「迷惑か?」  
「まさか。言ったでしょ。あなたへの信頼は揺るがないって。今の私には最高のナイトだよ」  
 はずむような華乃の声は俺の耳に心地よい。  
 大仰なことだ。だが悪い気はしなかった。  
「それじゃあシャワー浴びてご飯食べて、それから買い物に行こう!」  
 買うものがアレなのは、まあ置いておこう。俺は苦笑とともに部屋を後にした。  
   
 
   
      ◇   ◇   ◇  
 
 
 
 理由としては、彼女への説明だけでは少し足りない。  
 
 俺はそのころ、かなり本気で華乃のことを好きになっていた。  
 昔からなんとなく抱いていた想いは、二ヶ月で胸にはちきれんばかりになっていたのだ。  
 明るい性格、歯に衣着せない物言い、一方で相手を気遣う優しさを持ち合わせ、容姿  
だってかわいい。  
 そんな彼女の近くにいて、惹かれない方がおかしい。  
 しかし、彼女は言った。  
 
 
『好きなやつでもいるのか?』  
『……いるよ』  
 
 
 まったく。  
 これで俺から告白するわけにはいかなくなった。  
 だから彼女の提案を受けたのだ。  
 体だけでも繋がっていれば、彼女を振り向かせることができるかもしれないから。  
 自分でも情けないと思う。  
 卑怯だと思う。  
 何が騎士だ。俺はそんな上等なものじゃない。  
 きっとそういう役割が務まる奴は他にいるのだろう。華乃の好きな奴とか。  
 それでも俺は、務まらない役割から降りる気はなかった。  
 だって――俺は、小林華乃が大好きなんだから。  
 
 
 
 <続く>  
 
 

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