01
「どうしても去るのか…?」
「うん」
二人の男の声が聞こえた。
一人は中年の男性のような声で、もう一人は青年程の声に聞こえた。
中年の方の容姿は確認できない。何やら黒い靄がかかっているようだった。
青年の方は白いワイシャツにスラックスな上にネクタイ着用と、往年の新人サラリーマンを思わせるような格好だった。
それはこの場にあっているとは到底思えないほど場違いであったということも追記しておこう。
「残念だ、どんな奴よりも私は君に一目置いていたというのに」
「そうかな。僕は君にそれほど興味も関心もなかったよ」
青年はまるで抑揚なく話す。未練も後悔も後腐れも何も無いような、淡々とした口調だった。
「そもそも僕がこんなところにいるのが間違いだったと、今になって思うよ。僕はここにいるような奴じゃないし、
ましてや君に目をつけられるような存在でもなかったんだ。こんなところで一生を過ごすのは嫌だ。はっきり言っちゃえば――」
青年は一呼吸おいて続ける。
「――飽きちゃった」
「お前がそう言うのなら俺は止めん。というより、止めることは出来ない。お前と俺は同格だ。戦っても絶対に勝てない。
俺とお前はそういう関係だ」
中年の声には諦めとも取れるような感情が混じっていた。そして最後に一言。
「本当にここを、この世界から去るのか。魔帝よ」
「ああ、魔王。僕は――」
「僕は、人間界へ降りる」
02
「いやああああぁぁぁ!」
絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえた。
一つではない、ビル街のあちこちから聞こえる。
ある女学生は触手に逆さまに吊られており、必死でスカートを押さえており、
またある女性は体を宙吊りにされ、絡まってきた触手によってその形の良い胸を強調させる様になっている。
逃げる女性も、無駄なことだと言わんばかりに足に、手に、体に、触手を巻き付けられ、吊るされていく。
その触手の先には、今回の騒動の原因がいた。
体は4m程の、形が整わない、いわゆる「不定形」。
その道ではスライムと呼ばれる物体の出している触手は、見た目に似合わないような素早さの触手で、女性を次々と拘束していった。
「弥生ぃー!畜生、テメエ!離しやが…ごぶっ」
「明、アキラァー!やめて、明に手を出さないで!」
女性は自分が捕まっているのにもかかわらず、彼氏の心配をしていた。
こんな場面でなければ麗しい感動的な場面であっただろう。
「――――――」
男に弥生と呼ばれた女性は必死にスライムに懇願したが、肝心の巨大スライムは何を言っているのか全くわからなかった。
日本語ではない、英語でもない、いや、そもそも言語ですら無いような言葉を、巨大スライムは始終発していた。
「やだ、ヌルヌルしたのが胸に…」
「もうやだよぉ…お母さん、助けて…」
「うぶぅ…もご…もぶ…」
巨大スライムは捕らえた女性に次々と愛撫を開始した。ある者は胸、ある者は秘所を、ある者は口を。
「――――――」
そして変化は訪れた。
「はぁ、はぁ…いいよぉ、もっと…」
「あんっ、そこ、気持ちいいよ…」
「なんでぇ…犯されてるのに、気持ちいいのぉ…」
捕らえられて愛撫を受けた女性が次々と甘い声を出すようになっていった。
それはトリオからカルテット、クインテッド、しばらくした後は桃色の大合唱になって、ビル街に響き渡る。
「――――――」
そして巨大スライムもついに触手を女たちの秘所にあて、暫く焦らしてからいよいよ挿入、としていた時にそれは起こった。
「―――――!」
一瞬だった。
一瞬で自分の操っていた触手数十本が切り裂かれていたのだ。
いや、切り裂かれただけでなく、銃創もあった。それが撃たれたことだと気づくのに、巨大スライムは少しの時間を有した。
そしてスライムは視認した。自分の触手を切り裂き、撃ち切ったものを――
03
スライムは何が何だかわからなかった。
わかるのは、目の前の奇抜な黄色い衣装の少女――それは金色にも見えた――が、右手の短刀と左手の小銃で自分の触手を切った、ということだけであった。
「あーあ、ったくもうよぉ、男が女を慰み者にするのはまあ生理現象だとしてもよぉ…せめて脳内から出てこないでくれよ。
メイワクするのは襲われたほうなんだからよ」
「くーちゃん、軽口叩くより被害者を助けるのが先。挿入られてないとはいえ、惚かされた状態が長く続くと危険よ」
「あたしをくーちゃんと呼ぶな。その呼び方は二番目に嫌いだ。それに――もう開放されたのは救出済みだよ、さくにゃん」
その通りに、目の前の女は一瞬消えたと思ったら後ろにさっきまでスライムに拘束された女たちを山にして置いていた。
スライムはそれを全く目で追うことが出来なかったのだ。
ただわかるのは、女がごちゃごちゃ何かを言ってることくらいであった。
いや、一つだけ、女が「邪魔」と言って救出した女たちを後ろに放り投げたのは辛うじて理解できた。
「さくにゃ…まあいいわ。その調子でお願いねくーちゃん。私はサポートに回るから。ああ、心配ないと思うけど惚かされないでね。
救出が面倒だから助けないわよ。そのまま慰み者になってスライム相手に喘いでてね」
「冷たいなあ、さくにゃんは。まああんたが惚かされてもあたしは助けないと思うけどね」
そう言うやいなや、目の前の女はまたしても消えた。いや、消えたように見えた。
今度はギリギリ、スライムは女の動きを認識できた。そしてそれを追ってスライムが触手を振り回すが、女にはまるでカスリもしなかった。
「?――!――」
そして体も女を追いかけて後ろを向いたときには、既に自分の触手の1/3が切り裂かれ、撃ち切られていたのだ。
「んー…おっそいなあ、もうちょっと速度落として温存しようかな。最大速度は疲れるし」
そう言うと女はんんーと腕を伸ばしてリラックスしていた。まるでスライムは相手にすらならないかのような態度である。
スライムは女の行動が、自分を馬鹿にしているということを理解すると、地面に触手をたたきつけ始めた。
すると女は驚いたかのように――
「おおっ、言葉も喋れんアホのデカブツなだけかと思ったけど、バカにされてるのはわかるみてーだな」
そういうと伸ばしてた腕の片方を前に持ってきてこう言う。
「ほら、かかってきなデクノボー。触手があたしにカスリでもすればあたしは喜んでお前の肉奴隷にでも何でもなってやるよ」
明らかな挑発。逆に言えば自分はお前の本気でも触手なんかにはカスリもしないという自信だった。
スライムはこの時に、自分の後ろで放って置かれている女たちをまた捕らえるなり、尻尾を巻いて逃げるなり色々と方法はあったのだ。
しかし頭に血が上ったスライムにはただただ目の前の気丈な少女を捕え犯し喘がせ屈服させることしか頭になかった。
「!!!!!!」
そしてスライムは見事、いや敢無く挑発に乗ってしまった。
自分の体から出ている無数の触手をただ一本に限定し、神経をそこに集中させることで速度を今までの数倍にまで増した、
正しくこのスライムの最速の一撃であった。
その速度には女も少々驚いたようで、顔にはびっくりしたような表情が現れていた。
そして触手は、驚いた顔のままの女を貫いた――
「!!―――?」
そう、貫いたのだった。
おかしい、スライムの一番最初の考えはそれだった。
確かに速度的には自分の最高の一撃に間違いないはずだが、殺すほどの力を込めては居ない。ましてや貫通すると言うのは明らかに
過剰威力だ…いや、そもそもこれは本当に貫いているのか?
「――――!!」
スライムは気づいてしまった、感づいてしまった。それが少女のあまりの速さのために出来た残像であるということが。
そして理解した。はじめから自分の速さなんてものは、あの少女にとっては速さなどではなかった、ということが。
気づいたときには遅かった。
「ああ、ちょっとだけ驚いた。だけどなんで暫く動かなかったんだ?もしやあたしの残像を攻撃して満足してたのか。
そりゃすげえ、オメデトー。まああたしも鬼じゃないからな、あたしの残像に触手突き立ててくれたお礼は…」
スライムは声の方を振り返ろうとしたが、それは出来なかった。
突然の全身の激痛。まさか痛覚以上に早く動ける物体、ましてや自分が餌としてきた人間などにそんなことが出来るとは思いもしなかったのだ。
「!?!?!?」
「お前の触手全部で勘弁してやるよ、ブリンヤロー。よくもあたしに最大速度の70%を出させやがったな畜生め。
マルハゲになってとっとと死ね」
少女の言葉通り、スライムの触手はすべて切り裂かれ、撃ち抜かれていた。
勝負あり。もはや武器の殆どを無くしたスライムに戦意はない。後は煮るなり焼くなり撃つなり切り刻むなりの簡単なお仕事。
の、ハズだった。
「!!!!!!」
「げっ!」
スライムはまだ諦めていなかった。奥の手中の奥の手は神経を集めて高速化した触手などではなかった――
その触手を生成していたスライム自身の体、それこそが最大級の隠し玉。
半固体のスライムは上と左右を覆って、少女に襲いかかってきた。
しかし、それでもスライムが少女を捕らえることは叶わなかった。
「!?????」
「油断しないで、と言ったでしょうくーちゃん。こういうタイプは大抵全身が武器なんだって分かってるじゃないの」
スライムは突然撃たれた。何処から?痛みは横から、人で言うこめかみのあたりだろうか。
誰に?目の前の少女ではない。少女は自分が覆い包もうとしていた。何か特殊な武器でもない限り、横からの攻撃など不可能だ。
そこからの答えの導きは早かった。至極簡単だ、二人いればこの状況に説明がつく。
そして何も聞こえなかったということは、もう一人は銃声の届くより外にいたということになる。
そこでスライムの思考は強制中断されていった。
次々と銃声のしない銃撃、いわゆる「狙撃」がスライムを襲っていったのだ。
「!?!………」
そしてスライムは絶命した。
04
『桑原、佐久良、首尾はどうだ?』
突然頭の中に男の声が響いた。
「あー、これ慣れねえな…頭の中に誰かいる気分になる」
桑原と呼ばれた黄色の衣装の少女が苦い顔で答えた。
「良好です。くーちゃんの速さに敵が追いつけないので魔装の防御力の方は未だに未知数ですが…」
佐久良と思わしき方の青い衣装の少女は丁寧な口調だった。
「敵が弱すぎるんだよ。この調子なら人間界救うのも案外余裕かもな」
「言った側から油断ばっかり…脳天ぶち抜いてあげましょうか?」
上等だ、やってみやがれ遠距離まな板チキンめ、と中指を上げながら桑原が言いかけるが、そこにまた男の声が入ってきた。
『僕の作った魔装の防御力はあくまでも君達の魔力を少量、強制的に吸い上げて防御力に変換している、謂わば蛇口のようなものだ。
今は行動や魔具の行使に支障がないくらい微量の魔力を使用しているが、敵によって防御力をゼロにして攻撃に全魔力を回したり、逆に一瞬だけ最大防御力にするような応用も効く』
まあそれは今特に知る必要はないだろうけどね、と後に続けた。
『では、帰還してくれ。今回の消費魔力量や敵のビジョンを見て、今後の対策としたい。襲われた人たちの後始末はこちらで対処する』
「あいよ、隊長」
「了解しました」
そして少女たちはその場から姿を消した。
上空の目、そしてそれが発する極微量の魔力に気づかずに…
05
「あららららー、やられちゃった。僕の大切な尖兵だったのに」
「歩兵一駒で相手の持ち駒を測ることが出来たのだ。戦果としては上等だろう」
「それなんだっけ、ショーギ…で合ってたかしら。よくそんな難しいもの出来るわね」
「…んっ……ぁ…」
軽薄な感じの口調と少々堅そうな感じの口調、それと女口調の3人が話していた。
場所は何処かはわからない。声が反響するので閉所なのは間違いないだろう。
いや、もう一人、か細い声が聞こえてくる。
「あー、確かこの世界じゃ"歩を使って角や飛車を釣り上げる"ってのが悪の常套手段なんだっけ?」
「何なの?角とか飛車とか。それにそんなのどこで覚えたのよ」
「漫画だよ。日本って言えば酸いも甘いもみーんな漫画に描いてある、って漫画に書いてあったよ」
「そんなわけあるか」
「い……やめ…も…」
ふざけ合って話してる中に響くもうひとつの声。よく聞くとそれは女、それも少女の声のように聞こえた。
「それに釣れたのが角や飛車とは限るまい。桂馬や香車のような下の駒の可能性だってある」
無論、角や飛車以上の駒の可能性もある訳だがな、と堅そうな感じの声がボソリと呟いたのには誰も気づかなかった。
「そして貴様は目的を見失っていることにいい加減に気付くべきだな。ついでに話題もズレてることに気付けば更に上等だ」
「あははははー、見失う訳無いじゃないか。僕らの何よりも優先すべき目的を」
「それならいいんだけどね…アンタはどうにも軽すぎていけないね」
「や……やだぁ…もう、いやぁ…」
段々とはっきりと聞こえてきたそれは、少女の喘ぎに間違いなかった。
そんな喘ぎ声を、まるで聞こえないかのように彼らは話している。
「ところでアンタ、その触手で吊ってる女はいったいなんなんだい?会話の中で始終喘がれて正直ちょっと邪魔なのよ」
「あまりメタなことを言うな」
どうやら堅そうな感じの声はツッコミ役らしい。
「あー、これ?実は僕の部下の一人が攫って来た女なんだけどさ、なんと全く惚けないんだよね。
擦ったり挿入したりしてる快楽はあるみたいなんだけど、僕レベルの媚液でも全く歯が立たないんだ。
だからちっとも壊れなくてねえ、暫く僕の遊び道具としてこうして吊ってるわけ」
「ひうぅぅ…やめてぇ、これ以上…挿れないでぇ」
「確かに全く壊れてないね。魔法の耐性が特別強い人間なのかしら?」
「ふむ、興味深いな…」
女口調と堅口調はそろって思案を巡らせていた。
「おや、君がこんな行為に興味を示すとは珍しいねー、魔物の中でも特別ストイックなのにさ。もしかして気に入ったの?ゆずってあげよっか?」
「勘違いをするな、色情狂。人間の方には興味があるが、行為そのものに一部の興味はない」
あっそ、と軽口調が言うと、少女への攻めは更にヒートアップした。
「ひぎっ、やぁ…急に動かさないでぇ……」
軽口調の触手での攻めはかなり激しい物のはずだった。
秘所の中には3本、菊門に2本、クリトリスと両乳首に1本づつ、それぞれリズミカルに動かし、あるいは動かさずに、緩急をつけて攻めつづけた。
並の人間なら既に心体共に壊れてしまい、喘ぎにも呻きにも似た声しか絞り出せなくなってる頃のはずなのだ。
「あぎぃっ!いやだぁ!もう嫌!はうぅぅ!全然…気持よく、ないから…もうやめてよぉ…」
「ふん、そう言われてすんなりやめてしまうと僕の沽券と股間に関わるんでね」
少女の言葉は、寧ろ軽口調の神経を逆撫でするだけであった。
「…ま、あの色男はどうでもいいわ。それで、どうやって探し出すかの検討はついたの?」
どうやら夢中になってる軽口調は差し置くことに決定したらしい。
暗黙のうちに堅口調も女口調に答える。
「ふむ、どうやら魔力をかなり抑えているようでな、最近感じた大きい魔力は先程の雷と水の少女達くらいしか思い当たらん」
しかし、そこにこそ隙はある、と堅口調は続ける。
「あの御方はこの世界の危機を見過ごしはしないだろう。あの少女たちを駒として差し向けたと考えれば、居場所を探す方法は自然と限られてくる」
「まあ、あの娘達に直接聞くのが一番手っ取り早いわね」
「無論タダで教えてくれるほど甘くはなかろう。強引な手段を取る必要もあるかもしれん。そしてそれによってあの御方の怒りを買うこともあるかも知れぬ」
「怒りだけなら構わないわ。私達が殺されようと、最終的な目的が達せられればそれでよし。私たちの目的は――」
「魔王を殺してもらうことなんですからね」
第二話へ続く