『星を見よう。ついでに私も』
「♪〜」
麻子は、夜の山の中を散歩していた。
麻子は勉強が趣味で、宿題予習復習の他にも興味のあることは手当たり次第だ。
そのやり方のせいか、教科ごとのムラがあったりする。例えば、理数系は苦手だった。
しかし、趣味でやっていると言ってもやはり机に向かってばかりだと効率も落ちてくるし、体も強張ってきたりで、よくこうして気晴らしをする。
麻子は、特に夏が好きだった。何故なら、気候の関係で、今しているような散歩ができるからだ。
夏が近い今、麻子は、全裸で歩いていた。
正確には、ソックスとスニーカー、そして虫よけスプレーだけを身にまとって。
この習慣は、もう長く続いている。麻子は、全裸の開放感、解放感が好きだった。将来はヌーディストかな、とか思っていたりもする。
と。
向かう先に、仄かな光が見えた。
(何だろう?)
そう思ったとき、突然人影が現れた。
「!」
「!」
互いに驚いて息を飲んだが、すぐに二人とも、相手が知合いであることに気付いた。
「い、委員長!?」
「山野君? どうしてこんなところに?」
「委員長こそ、こんなとこ、というか、なんでそんな格好で!?」
山野敏郎。麻子のクラスメイトだった。
「どうしてって、ここは私の家の山だからよ。私、よくこうして気晴らしに散歩するの」
「そ、そうなの?」
「で、山野君は?」
「僕は、その、星を見ようと……。この上に、開けたところがあるから」
確かに、敏郎は双眼鏡や星図らしき本などを持っていた。
「ああ、あそこ。確かにこの辺りでは一番見晴らしがいいところね。そっか、山野君転校してきたばかりだから、うちの山って知らなかったのね」
「うん、ごめん」
「山野君。人と話すときは、ちゃんと相手の顔を見るものよ」
「だ、だって、その……」
「いいから」
「はい!」
顔をそむけていた敏郎は、言われた通り麻子と向き合った。
「知らなかったのなら仕方ないけど、これからは気を付けてね。勝手に入らないように」
「う、うん……ごめん」
敏郎は、顔を見ろと言われていたが、つい、視線は体の方に向いてしまう。胸や、淡い茂みなど。
「顔を見なさいって言ったでしょ。どこ見てるのよ」
「あ、ごめん」
“将来はヌーディスト”と思っている麻子だが、しかし、さすがに視線が気になってきた。
長い習慣から、全裸は当たり前だったが、直接異性から見られることは、意外と気になるものだと思い知った。
無意識に、胸や股間を手で隠す。
「と、とにかく、そうね、山野君は真面目な人だから、適当に入ってくれてもいいかな」
「あ、ありがとう」
「それじゃ、私は帰るから」
「うん、また」
「気を付けてね」
「委員長も」
「ここ、私のうちだって言ったでしょ。それと、委員長ってやめて」
「うん。村主さん」
「よろしい。おやすみ」
「おやすみ」
踵を返した麻子だが、背中を向けても敏郎の視線が突き刺さる気がしてならなかった。
この日、麻子の気晴らしの手段が失われた。
「ああ、もう、集中できない、はかどらない!」
傍らにあった麦茶をがぶっと一気に飲み干し、コップを机にたたきつける。これで何杯目だろう。
机に向かいながらも、麻子は、進まない勉強に頭を悩ませていた。
(適当に入っていいなんて言うんじゃなかった! やっぱり、勝手に入るなって言おうかな。でも、なんか今更かっこ悪いし)
あの日以来、麻子は全裸散歩をしていなかった。折角の夏なのに、只の散歩しかできない。
却ってストレスが溜まるようだった。
見られても別にいいじゃない。以前ならそう考えて、習慣を続けていたことだろう。
だが、何かが変ってしまっていた。
(ええい、もう、いいや!)
何日も続いた抑圧に耐えきれなくなった麻子は、破れかぶれになって「気晴らし」をすることにした。
夜の山の中、いつものところまで出掛け、服を脱ぐ。
ソックスとスニーカーだけの全裸になると、散歩を始めた。
だが、だめだった。解放感がまるでない。
いつもは、まるで行進のように颯爽と姿勢正しく歩いていたが、今日は、胸や股間を押え、やや前屈みになってしまう。
(うー、全然だめ……)
だが、少し歩いて、麻子は気付いた。
(山野君の視線、感じる……)
そんなものは気のせいだった。存在を示す音や光などがあるわけではない。だが、それが空想のものでも「見られている」感覚は同じだった。
胸が、妖しくときめく。
そうだ。敏郎は、星を見るのが趣味だ。だから、双眼鏡を持っていた。
今も、どこか離れたところから見ているかも知れない。
そう思い付くと、とくんと胸がいっそう高鳴った。
立ち止まって周囲を見回す。誰の気配も感じない。それなのに、見られている気がしてならない。
(ああ、山野君が、見てる……)
と。
麻子は、とんでもないことに気付いた。
(しまった、麦茶を飲み過ぎた!)
そう。尿意を催してきたのだ。
気付いてしまったら、それが気になって仕方がない。そして、気になるとどんどん尿意は強くなってくる。
(あ、歩けない)
動いたら、漏らしてしまいそうだった。
(でも、こんなところで……)
夜、山の中。しかも、その山は自分の家の所有だ。別に問題はない筈。
だが、現に問題があった。
(山野君に、見られちゃう!)
所詮「視線」に物理的な影響力はない。が、それがあると思うことが影響しているのだ。
だから、架空の視線にも、現実のような効果があった。
しかし、じっとしていても何も解決するものではない。そして、尿意は増してくるばかりだ。
「もう、我慢できない!」
麻子は叫ぶとしゃがみこみ、その場で用を足し始めた。
「あ、ああ……!」
(恥かしい!)
それなのに、胸の高鳴りは最高潮に達していた。
どきどきする。
(……気持ち、いい……)
この日麻子は、新たな気晴らしの手段を得た。
夏休み。
麻子は、いつものように、趣味の勉強をしていた。
興味の向くままに手を付ける麻子の今の関心は、地学。もっと端的に言えば、天文だった。
麻子が理系のことに興味を持つのは珍しかった。
敏郎が、どんなものを見ているのかが気になったのが、その理由だった。
と、麻子は一つのことに気付いた。
「流星群?」
毎年この時期に見られるもので、彗星が塵を残したところを地球が突っ切るために起こるのだという。
麻子は、悩んだ末、敏郎に電話をかけることにした。委員長という役柄上、担任教師の仕事の手伝いでクラスメイトの住所や電話番号などを知る機会があったのだ。
幸い、電話に出たのは敏郎本人だった。
「あ、村主さん、久し振り。どうしたの? 連絡網、じゃないよね」
「こんばんは。単なる私用よ。あのね、今度流星群があるでしょ。うちの山で一緒に見るのってどうかな、と思って」
「え、入っていいの?」
「私が誘ってるんだからいいに決まってるでしょ。というか、前に入っていいって言ったし」
「うん、村主さんはそう言ってくれたけど、やっぱり人の家だから、遠慮してたんだよ」
(そ、そうだったのか……!)
もうかなりの回数、敏郎の視線を意識しながらの全裸散歩をしていたのに、彼は全く来ていなかったのだ。
「そうなんだ。で、どう?」
「ありがとう。それじゃ、一緒に見ようか。でも、大丈夫? 危なくない?」
「大丈夫よ。庭みたいなものだし、山野君もいてくれるでしょ?」
「……」
その自分が危険なんだ、と言いたいのかな、と麻子は思った。
が、これはささやかな予防線だった。
「ね?」
「うん、そうだね」
「それじゃ、時間とか決めましょ」
麻子は、山の頂上の現地集合ということにして、待ち合わせ時間を決めて電話を終えた。
(よし……!)
うまく行った。これで準備はできた。
残る問題は当日の天候くらいだが、これはどうしようもない。
(ふふ、楽しみ)
麻子はもう、今からその日が待ち遠しかった。
敏郎が待ち合わせ場所である山の頂上についたとき、麻子はまだ来ていなかった。
敏郎は、流星群を見るための準備として、レジャーシートを敷き、持ってきた資料などをその上に置いた。
流星群の観察は、広い範囲を見るため、肉眼で行う。ずっと上を向いていると疲れるので、横になるのだ。
数を数えたりする場合は、空を区切るための仕組みを用意したりするのだが、敏郎はそこまでしなかった。単に眺めたいだけだからだ。
準備ができたところで、麻子が現れた。
「山野君、もう来てたの。待たせてごめんね」
「ううん、いいけど、って、ええ!?」
麻子は、山の中で最初に会った日と同じように、全裸だった。
「ど、うして、そんな格好で!?」
「どうしてって、最初に言ったでしょ。私はここでよくこうしてるって」
「それにしたって」
「大丈夫、なんでしょ?」
「う……」
「さ、用意しましょ。って、もうできてるのね。ありがとう」
麻子は平然としている風を装っていたが、胸のときめきは最高潮に達していた。
(ああ、やっぱり本当の視線は違うんだ!)
敏郎は、こちらもやはりなんとも思っていない風に見せていたが、ちらちらと麻子の体を見ているのは明らかだった。
(凄い。おかしくなりそう……)
「ここに横になって見るのね。私も本で見てきた」
「あ、うん、そうだね」
そう言って、麻子はさっさと仰向けに横たわった。当然、敏郎が麻子の全裸の全身を見下ろす形になる。
「あ、あの……」
「ん?」
にこやかに応じる麻子。
「や、なんでもない。僕も始めるよ。隣、いいかな」
「勿論」
こうして夜空を見上げる二人だが、二人とも隣に横たわる相手が気になって仕方がなかった。
(あ、山野君、今こっち見た……)
麻子は、最初の興奮が次第に収まってきた今、それまでとは少し違う感覚を抱いていた。
(あったかい)
温度ではない。何か、そう表現したくなる何かを感じていた。
普通に服を着ている敏郎。靴を脱いでいるためソックスのみで、ほぼ全裸の麻子。この組合わせが、どうしてか、何か麻子をほっとさせる。と。
「村主さん、今の見た?」
「うん、凄く光ったね! まだ、通ったところが光ってる」
「あ、また。多いな。今年は、凄く多い」
「そうなの?」
「僕は、天気が良ければ毎年見てるけど、こんなに飛ぶのは初めて見るよ」
「そうなんだ」
(お星さまも、私達を祝福してくれてるのかな?)
麻子は、自然に笑みが溢れるのを感じた。
「ね、山野君」
「なに?」
「山野君って、望遠鏡とか持ってないの?」
「うん。高いからね」
「そう。じゃ、私、買おうかな。お年玉とか結構たまってるし。そしたら、二人でここで星を見ようよ」
「そうだね。いいね」
「あ、でも、こんな風にできるのは、秋くらいまでかな」
「そうなんだ」
敏郎は、少し落胆しているようだった。
「うん。寒くなったら、さすがに裸ってわけにはいかないわよ。服を着てって事になるね」
「あ、ああ、そういう意味か。うん、いいよ」
麻子は、上半身を起こして肘で支え、敏郎を見下ろす。敏郎からは、形の良い乳房が間近に見える体勢だ。
「ね、望遠鏡を買ったら、どんな星を見ようか」
「そうだね。夏だったら、白鳥座のアルビレオとかいいよ。二重星で、二つの星の色が違って、コントラストが凄く綺麗なんだ」
「そうなんだ。うん、そうしよう」
「それから他には……」
アンバランスな服装の二人は、常にない数の流星を見つつ、それ以上に胸をときめかせるものを感じながら語り明かすのだった。
- おしまい -