午前二時頃になって栗本時雄の病室へ顔色の悪い看護婦が現れ、  
「栗本さん、退院ですよ」  
と言った。  
「はあ」  
 あまりにも唐突だった為、冗談とも思ったが、書類を持っていたので本当の事だと  
分かった。  
「しかし、こんな時間に…まあ、いいか」  
 手続きをする間、そんな事を考えていたが、一ヶ月前、交通事故に遭って入院していた  
時雄にとって、退院は何よりも嬉しい知らせである。  
 実際、それほど大した怪我でもないのに、入院の期間が長すぎると時雄自身も思って  
いたのだ。  
 
 事故時に頭を強く打ったため、様子を見る期間を長く取ると医師は言い、入院中は  
親族や友人たちが毎日のように見舞いに来てくれた。  
 おかげでさほど退屈はしなかったが、やはり学校へは行きたかった。  
 看護婦にいざなわれ、安置所の前を通って裏口を抜けると外界である。  
 あいにく霧が出て、初秋というのにやたらと寒かった。  
「迎えは…いる訳ないか」  
 自宅までは約二キロ。  
 病み上がりとはいえ、高校生の足なら三十分もかからない距離だ。  
 時雄は元気良く歩き出した…と、その時である。  
 
「時雄」  
 そう言って足音もなく暗闇からすっと現れたのは、クラスメイトの大里由里だった。  
「由里。迎えに来てくれたのか?」  
「うん、看護婦さんから電話をもらったから。心配してたんだよ」  
 由里は女性が特別な異性にだけ向ける微笑で時雄を見つめた。  
 時雄は退院を告げに来たあの看護婦の顔を思い浮かべつつ、由里を抱きしめる。  
「ずっと会いたかった」  
「私も」  
 看護婦の粋な計らいであろうか、ガールフレンドが迎えに来てくれた事は、  
時雄を喜ばせた。  
 
「話したい事が一杯あるんだ」  
「私もよ。時雄、会いたかった」  
 時雄はもう一回、由里を抱きしめた。  
 もともと華奢な体だが、久しぶりに触れた彼女は、だいぶん痩せたように思える。  
 それだけ心配をかけたのだと時雄は理解した。  
「行こう」  
 由里は時雄の手をつなぎ、病院裏の坂道をゆっくりと下りだした。  
 二人が歩き出すと夜空の雲がわずかに切れ、月が顔をのぞかせたが、  
またすぐに隠れてしまった。  
 人気のない道をいくらか歩くと公園に出て、二人は人工池のほとりで腰を下ろす。  
   
「退院祝いしなくちゃね」  
 そう言うと由里は唇をぎゅっと時雄に押し付けてきた。  
 霧のせいか、随分と冷たい口づけに感じた。  
 由里が押す形で二人は芝の上に寝転び、細い手が時雄の胸の上で  
もどかしそうに円を描く。  
「ねえ、入院中、ずっと私の事を考えてくれてた?」  
「そりゃ、もう…」  
 当たり前だと答えようとして、時雄の思考は止まった。  
 先ほど顔をあわせた時、自分の口からはずっと会いたかったという言葉が出た。  
 記憶をゆっくり辿ると、見舞い客の中に何故か彼女の姿が無い。  
 しかも、思い出そうとすると、頭が締め付けられるように痛むのだ。  
 
「うっ」  
 顔をしかめた時雄を、由里が心配そうに見た。  
「大丈夫?」  
「なに、頭が少し痛くなっただけさ」  
「無理をしないでね」  
 少し間を置いてから、胸元にあった彼女の手が時雄の下半身に及んだ。  
「ここ、エッチな看護婦さんとかが触ったりしなかった?」  
「しないよ」  
「入院中はどうしてたの?」  
「トイレ行って、一人でやったり…」  
 ここでまた、不安に似た感情に時雄は襲われた。  
 やはり入院中の記憶には一切、由里の姿が無いのである。  
 
 恋人関係にあった彼女が、一度たりとも見舞いに来ないという事は変である。  
 つき合っている事は誰もが知っていたし、親公認の間柄であったので、  
遠慮は必要ない。  
 どれだけ考えても答えが出なかったので、時雄はもしかしたらこれが事故の  
後遺症なのかもしれないと思った。  
「怖い顔してる」  
「ちょっと考え事をしてたんだ」  
 由里の手が時雄の陰茎を握っていた。  
   
「口でしてあげようか?」  
「うん」  
 野外という事もあり、少し戸惑いはあったが、時雄は由里の申し出をありがたく  
受け入れた。  
 躊躇よりも恋人の肌に少しでも触れたいという願望が優先されたのである。  
 また、先ほどから付きまとっている暗雲のような不安も払拭させたかったのだ。  
 由里は陰茎を頬張ると、頭をゆっくり上下させた。  
 時雄の手は彼女の胸元に伸び、ふくよかな乳房を下から支えるような形で揉む。  
 しかし、良く知る恋人の体は、まるで初めて触れるかのような新鮮味に溢れていた。  
(やっぱり、頭を打ったせいだな)  
 一応の納得ができると、時雄は由里の胸をいっそう強く揉んだ。  
 
 ブラジャーのパット越しにでも分かる突起を指でつまむと、興奮で陰茎に痛みに似た  
刺激が走る。  
 記憶は曖昧だが、以前にもこうして彼女を弄んでいたのだと思うと、気持ちが妙に  
高ぶった。  
「どうしよう?私、上になって…する?」  
「うん」  
 こんな真夜中にまさか病院近くの公園へ来る酔狂な者もいないだろうという事で、  
由里はスカートの中にさっと手を入れると、ショーツを片足だけ残して脱いでしまった。  
 さすがに素っ裸にはなれないので、時雄が寝転んだままの状態で、由里がその上に  
跨るという方式を取る。  
 
「うっ」  
 由里は唇を噛みながら、スカートの下で陰茎を女穴に飲み込んだ。  
 誰も来ない筈だが万が一の事もあるので、二人は互いに声を出そうとはせず、  
性器と性器がこすれ合う音ばかりがした。  
 たまにカエルでもはねたのか池に水音がすると、二人はそちらに目をやり、  
何事も無いと分かると顔をあわせて苦笑いをする。  
 そんな事を何度か繰り返すと次第に慣れ、もう後は由里が体を揺らしているだけで  
あった。  
 
 久しぶりに味わう恋人の体を時雄は堪能した。  
 陰茎は痺れるような快楽を得て、はちきれんばかりである。  
 また、服を半分だけ脱いだ由里の姿は官能的で、見た目にも興奮する。  
 そのうちに時雄は由里を這わせ、後ろから覆いかぶさった。  
 闇の中でこのような行為に耽っているせいか、時雄は五分もしないうちに大量の  
子種を由里の女壷の中へ放ち、彼女の背中へ崩れるように倒れこんだ。  
「はあ、はあ」  
「良かった?時雄」  
「ああ…」  
「嬉しいわ」  
 二人は体を入れ替えて抱き合うと、深く濃厚な口付けをした。  
   
 公園を出て再び小道をいくらか歩くと、不意に由里が妙な事を言い出した。  
「あの道…」  
「あの道がどうした?」  
 そこは駅に繋がる大通りで、由里も時雄も通学路として利用していた。  
 また明日からはそこを通るのだろうと、時雄が漠然と考えていると、  
「…割と最近、事故が遭ったんだよ」  
と、放心したように由里は言うのである。  
「へえ、知らなかったな」  
 入院していたので近頃の事を、時雄は知らない。  
 それ故、曖昧な返事しか出来なかった。   
 
 大通りへ出ても霧は晴れず、そのせいか車の往来も無い。  
 少し寂しい気もするが、由里と一緒にいるので、時雄はむしろ静かな方が  
ありがたかった。  
「あそこ…」  
 由里が指を差す方向に花束とお菓子などが置いてある。  
 そこが事故現場なのか、手紙のような物も捧げられていた。  
「ああ、あれが今、由里の言っていた…」  
 ここで時雄は殴られたかのように頭が痛んだ。  
 誰かが思い出すな、引き返せと叫んでいる。  
 その声は時雄自身だった。  
 
「う、ううっ!」  
 脳裏にぼんやりと浮かぶのは、由里の姿である。  
 場所は今と同じ──だが、時刻は昼間だった。  
「時雄、危ないよ」  
「平気だって。ほら、由里も早く来いよ」  
 視界には行き交う車、そして自分が走っている事を感じる。  
 通学時、足の速い時雄は歩道橋を渡るのを億劫がって、往来の激しい車道を  
走って横切る癖がついていた。  
 いつも一緒にいる由里も、いきおいそれについていくのだが、時々、ひやっと  
する場面があった。  
 
 そういう場合、大概は車の方でよけてくれて、大事には至らない。  
 そして、この時もそうなる筈だった──  
「キャーッ!」  
 その叫びと同時に耳を劈くようなブレーキ音を時雄は聞く。  
 大通りを走ってきたのは制動距離の長いミキサー車だった。  
 由里──と叫ぶ間も無く、恋人の体は時雄の視界から消えた。  
 後の記憶は、何か人のような物体が凄まじい勢いで横っ飛びし、自分がそれに  
すがろうとして車道へ慌てて飛び出した際に聞いた、後続車のブレーキの音だった。  
 
(思い出せないんじゃない)  
 時雄の足はすくんだ。  
 隣にいる由里は青白い顔をしたまま、微動だにしない。  
 花束や供物と一緒に置かれている手紙の宛名は、幸い読めなかった。  
 しかし、読んだらきっと自分は発狂すると時雄は思っている。  
(思い出さなかったんだ)  
 霧はますます濃くなっていき、時雄は頭の中に四十九日という文字が浮かんだ。  
 
おちまい  
 
 

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