雪女 A面
「あぁ、やっちまったな」
白い、白い、視界にあるもの全てが白い。
目の前に広がるのは真っ白な世界、真冬の吹雪の山の中で、俺は絶望的な状況下にいる。
知識もあった、経験もあった、今まで培ってきた自信が仇となり、油断を生んだ。
今まさに、俺は極寒の雪山で遭難しているのだ。
「ははっ、俺の運もここまでか」
独身で、両親はいるが今は1人暮らし中。この山に来ることは誰にも話していない。
もちろん携帯もつながらない。
春に遺体が発見されて新聞の3面記事に載る惨めな自分のことを考えると、
情けなさで思わず笑いがこみ上げてきた。
だが、往生際の悪い俺は、残った僅かな体力でゆっくりゆっくりと歩みを進める。
視界は相変わらずゼロ、冷たい雪が強風と共に体に叩きつけられ、体力と体温を削ってゆく。
‘ドサッ’
大いなる自然に対する僅かな抵抗もむなしく、ついには力尽きて倒れ、雪の冷たい感覚が顔を刺激する。
うつ伏せで雪の中に倒れこんだ体の上にも容赦なく雪が降り注ぐ。
まるで、俺を覆い隠そうとしているようだ。
このまま目を閉じれば、眠ってしまえば楽になれる、これ以上苦しまなくてすむ。
そんな消極的なことを考えつつも、死を望まぬ本能が前へ進めと俺を急かす。
「!!」
最後の力を振り絞って起きようとした時、吹雪の切れ間に人影が見えた気がした。
突然のことに目を見開いて確認するが、再び吹雪が全てを覆い隠す。
「ついには幻覚まで見るようになったか……もう長くは無いな」
愛用のピッケルを杖代わりに立ち上がると、再び歩みを進める。
一歩、二歩、三歩……
だが、三歩目を踏み込んだところで、再び倒れこんでしまった。
死を望まなくとも、知識と経験が絶望的な状況、それも助かる確率が無いことを導き出してしまう。
(もういいや、山で死ねるなら本望だ)
それからはもう動くことをやめ、体の上に降り積もる雪を払おうともしなかった。
数分もすると体の半分近くが雪に覆われ、その姿は山の景色に融けてゆく。
自分の意識が遠のくのを感じながらゆっくりと目を閉じ、
死んだ後はどこへいくのだろうなどと考えていたが。
「今はまだ、死んでもらっては困る」
幻聴ではない、人の、それも女の声が聞こえた。
閉じていた目を開けようとしたが、もう力が残っていないせいか、瞼を完全に開ける事すらできない。
残された僅かな視界で声の主を確認すると、そこには確かに“人”が立っていた。
「雪、女?」
この世の物とは思えない姿を見た直後、意識は周りの雪のように真っ白になった。
生きることを諦めて眠った人間の男、その体に近づくのは人の形をした別の存在。
真っ白な肌、真っ白な髪、そして真っ白な着物を身にまとった存在がそこにあった。
その白い存在に映える紅い瞳だけが異様な雰囲気をかもし出しており、
“雪女”と呼ばれるモノに酷似している。
また、細いウエストと胸の大きなふくらみは、その存在が“女”であることを強調していた。
女は身を屈め眠る男の首筋に手を触れると、まだ暖かい血の流れを感じ取った。
男の命がこの世にあることを確かめると、その華奢な体で楽々と男の体を持ち上げ、天を仰いだ。
そして、女の紅い瞳に光が燈ると、目の前には白い景色と対照的な真っ暗な空間が現れた。
それは、薄っぺらな扉のようなもので、中は漆黒の闇で何も見えない。
女が男を抱きかかえたままその空間に入り込むと、その扉は消えてしまった。
山は、何事も無かったかのように吹雪いていた。