――空は、綺麗だったんだ。  
 寝転んだ体勢になってやっと気づいた。秋に近づく空は澄んで  
夏のせわしい日差しは緩まっている。  
 草の上。旺盛に天を突こうとする草の勢いも鳴りを潜め、地面に  
近いところには、かぐわしく豊かな枯れ草の香りもする。  
 風の音。時折厚みをもってぶつかってくる熱をはらんだ南風は忘  
れ去られて、草を使って悪戯に渦を描く、中庸な大気のせせらぎに  
変わっていた。  
 視覚から入る感覚はのどかそのものだった。  
 嗅覚のそれは、凄惨を極めた。  
 温度を伴った吐瀉物と血から立ち上る臭気、あるいは割かれた  
内臓とその中身。すべてここに累々と横たわる人のものだ。すこし  
青臭いものは馬のものであるが、多くはその上の騎士だけが大地に  
臥せっている。鼻腔の粘膜に突き刺さるなら、まだ可愛い。何日も  
放置された、誰だか判別できなくなった死体は眼をつんざき、涙の  
止め方も分からないほどだ。  
それにしても、空の青さときたら!  
 今感じること全てが、鮮やかに真新しく見える。きらびやかすぎ  
て、目の端からひとしずく、落ちた。  
 ふた呼吸あって、私の腹を貫いて地面に刺さった槍が、こらえ  
きれないかのように倒れ、その柄が、屍がつけている鎧に当たり、  
カンッという小気味いい音を立てた。  
   
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  
 
 ここ最近は季節の移ろいなど、気づきも考えもしなかった。  
 幼い頃から課せられた軍事訓練、作戦講義、防衛、進出、侵略、  
遠征……  
 この国も自分も、髪の先からつま先まで戦にまみれた。戦する  
ことで、生きてきた。いや、そうでなければ生きていけなかった。戦  
をするまわりを見て安心し、その中に没入する自分が人の務めを  
全うしているという意識に誇りさえ感じた。  
 しがない歩兵であったが手柄を立てれば、少しずつ栄誉も階級も得  
られた。手を血に染めれば、それが収穫であり勲章だった。  
 『戦を終わらすために戦をする』などとほざいた部下を殴りつけた  
ことがある。『何を軟弱な!』と罵り、他の部下への、あたかも“見  
せしめ”であるかのように、責めを続けた。『勝つために戦うのだ、  
馬鹿者め!!』  
 が、今となっては、あの時、戦が終わるということが怖かっただけ  
だったのだ。戦=自分の足元、という図式を失いたくなかったのだ。  
 自分が死ぬことなど考えなかった。まわりがどんなに戦地に倒れ  
ても戦あるところに私があった。  
   
 わが軍は連戦連勝で周囲の国に攻め入った。最後まで抵抗を続ける  
大国の横に広がる広大な草原まで兵を進めたところで、敵軍とのにら  
み合いになった。敵は総力をつぎ込んでいる。  
 この草原が決戦の地になる。  
 全ての人々が覚悟していた。  
 私は当然生きて帰ることを疑わなかった。敗れたことがないわが軍  
が敗れるはずが無い。いつものように敵を叩きのめし、無様な死に面  
を晒した兵を踏みにじり、敵国の女子供の怒りや口惜しさの眼の色に  
半ば快感を感じながら意気揚々と市中を行進するものと考えていた。  
 戦況は一進一退。斥候から入る情報は変わることなく、2日経ち、  
3日経った。  
 4日目に司令官から総攻撃の命令が入った。いつでも出撃できる体  
勢にあった私の部隊は最前列に配備された。初めての最前列。敵陣に  
飛び込み、風穴を開け、後列の騎馬隊の道を開ける。絶対の自信を持  
って槍を握った。  
 戦いの火蓋が切られた。待たされた私の部隊の勢いは止まらない。  
鎧もない、急作りの寄せ集めの歩兵どもは、簡単に後ずさりを始める。  
「かかれぇーーーー!!」  
 それが、罠だった。敵兵を引き寄せておいて、鉄片入りの爆弾を投  
下するという術中にはまった。相次ぐ悲鳴、吹き飛ぶ手足……血が混  
じった黒煙がいたる所から噴きあがる。  
 今思えば引けばよかった。だが、前に歩を進めた。長たる自分が突  
っ込むしかなかった。   
 そのときに、死んでいると思っていた敵の歩兵の槍が、下から突か  
れた。  
 私はその者の喉に剣を突きたてると、その場に倒れこんだ。  
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  
 
 死ぬ。  
 むごい傷を負ったのに、流血は思いのほか緩慢らしい。息は肺の  
奥まで入っていくし、大の字の体勢から、ゆっくりと膝を立てること  
ができた。もしかしたら、戦地に落ちた武具をあさる敵国の地元の  
民に救いを求め、生き延びることができるかも知れない。  
 でも、もういい。  
 生き永らえたら、根っからの戦士である私は戦を求めるだろう。  
 必要とあれば、私の命を救った民の首をかき切ることもあるだろ  
う。そのために、剣を研ぎ、槍の鋭さを高める稽古は怠らないだろ  
う。  
 疲れた。  
 愛する人などいないのに、守るものもあやふやなまま闘う空しさ。  
頬に肉片が張り付くのも意に介さず、短剣を振り下ろして血を払う  
莫迦らしさ。昨日一緒の飯を食べた者の骸(むくろ)をまたいで攻め  
入るやるせなささ。  
 もう、いいじゃないか。  
 達観。  
 穏やかな気分で目をつむった。  
 
 
タタッタタッ タタッタタッ……  
 草を渡る風の音の中から、かすかに聞こえていたリズムの良い音。  
今はっきり聞こえてくる。生まれて初めて聞くその連続した軽やかな  
音は、直線的に近づいて遠ざかる……いや、どうやら迂回している?  
……いや、周りを巡るように変わらぬ調子と音を響かせていた。   
 音は違うが、これは馬の歩みの音だ。土や石畳を歩いていないが  
リズムは同じだ。  
 空を飛んでいる。それが、だんだん高度を落としてきている。  
 今度はこの戦場の外周を回っている。2周目、3周目……  
 意図していることが分からない。何者なのか。  
 戦場の死体から武器や金目の物を漁る者共は、我先に目当てにまっ  
すぐ駆け寄る。  
 教会の牧師なら、きまじめに端の死体から祈りを捧げるだろう。  
 こう、考える間にも数周回った。  
 と、おもむろに止まった。  
 タッ、タッ、タッ……  
 歩みは軽やかなものから、確実なものに変わっている。  
 さらに、それは私に近づいてくる。  
 
 馬は私の上に浮いていた。  
 赤鹿毛の惚れ惚れする体躯の馬。私はその馬の前肢の蹄鉄が、私の腹の上、  
手に届く高さで見えていた。  
「ほう、まだ息のある者がいようとは」  
 女の声が降ってきた。馬の主であるその声は、しっかり太くそれでいて艶やか  
だ。私は、空を背にしているその姿に目を凝らした。  
「あ……だ……ゲホ、ゲホ!!」  
 声が出せない。喉が渇ききっている。いや、声を出す力が出ない。思うように  
ならない。誰なのだ。何をしているのだ。  
 不意に馬が前肢を掻いて、2,3歩足踏みした。  
 死んでしまう! 落ちてきて、押しつぶされると思った。  
 きつく目を瞑る。  
ーーだが、いつまでもそれは空に浮いて、大人しくしている。  
「……死ぬのは怖いか?」  
少し不思議そうな声。私は声を出せずにいる。  
「驚かしてすまぬ。まだ、思ったほど生気があるのだな」  
 高貴な身分なのか、語気は毅然としている。見えるシルエットは、乗馬をする  
人のそれだ。まっすぐに私を見下ろしている。  
 久しぶりに聞く女性の声、いや女性に、私の体は敏感に反応した。  
 俺も生物ではあるようだ。種を残す最後のチャンスかもしれないことを、  
悟り、勝手に準備する。血が下腹部に集まる。  
 滑稽も滑稽だ。  
「ふふ……」  
「何が可笑しい?……ーーお前?」  
   
 女が馬から、音もなく草原に降りた。鳥が着地の時にいくぶん衝撃を  
やわらげるが、それすらもなく私の体の横に立った。  
 空から降りて、やっとその姿がわかった。  
 栗色の髪、透き通る陶磁器のような肌、上品な輪郭。  
 肩からむき出しの腕は細く、それでも華奢ではない。  
 乳房の部分はやわらかな曲線があてがわれた、1枚の鉄板が守っている。  
 青銅の細い鎖を布のように織り込み、ウエストのしなやかなくびれの  
ラインが直にわかる。  
 腰には10数枚の青銅でできた、横に深いスリットが入ったスカート。  
そこから伸びる長く肉感的に露わになった白い脚。  
 その脚を高く上げると、無遠慮に私の腰に跨った。  
 その瞬間、髪の毛と同じ色の体毛が、白い肌をバックに見えた。女は  
下に何も履いていない。  
 こんな美しい女性がいるのか。  
 その鼻梁、奇跡のカーブ。人はその気品に屈服し、かしずくことになる  
だろう。  
 その唇、ピンクのマシュマロ。愛に満ちた柔らかさに、誰もがそのキス  
を乞うだろう。  
 その瞳、スカイブルー。空のように万人を引き込み、包み込んでしまう  
だろう。  
 現に、その奥の奥まで、私の意識が染み込んでいくようだった……  
 
 その手が、私の股間にあてがわれた。指が長さを、掌が太さを味わうよう  
に、しかも何度も、それも優しくさする。  
 少年の頃、淫売に施された愛撫を軽く凌駕する、しびれるような快感が体  
を走る。  
 前留めを探っている。それが容易に外せることが分かると、上からひとつ  
ずつ外していく。  
 今までに見たことがないような勢いで、はね出す肉棒。その長さも太さも  
自分の想像と経験を超えていた。  
 俺とまぐわう気なのか?  
 死ぬ男と情を交わしてどうするつもりだ?  
「……何を……す……んだ」  
 振り絞った言葉で消耗したのがわかる。けれど訊きたかった。  
 私は死ぬだろう。だが、最後に私の体に触れる者と語りたかった。  
 私の顔を見つめていた女性は、私の陰茎に目を向けて、その笠張りを冷たい  
掌で撫でた。それから、その広がった赤黒い部分を白く冷たい指でなぞった。  
「……ふっ!……んっ……」  
 それだけで腰に甘い衝撃が走る。腹筋が痙攣し、脚が硬直する。   
 女性は再び私の顔を見た。それから静かに、諭すように、こう言った。  
「私は、戦に倒れた者共の魂を拾い集めているのだ」  
 
 天から降りてきたのはーーワルキューレ。  
 この乱れきった戦の世界で、語り継がれてきた神の名を知らない者はいな  
いだろう。  
“戦に敗れて、ワルキューレに魂を抜かれることほど恥はないわ!”  
 酒をあおって、威勢のいいことを言ったこともある。  
 その神がここにいて、目の前で姿を現して。  
 私に淫らがましい行為をしている。  
「死者の魂は、大体が冷え切っておる」  
 根元を手で支えると、そこに汚れのない唇が近づいていく。  
 先端を舐め、少し開けた口に当てて、舌でくすぐる。  
「うあっ……」  
 膨らんだ部分に丁寧に唾液を擦りこむと、一気に頬張って、吸い込む。  
ジュボッ、ズゾッ……とその美貌に似つかわしくない音があたりに響いて  
いく。  
 この世の幸せを詰め込んだワインを、口移しで味わっているかのようだ。  
 意識がくらんでいく。  
 ワルキューレは、節くれだったペニスを口から出すと、上体を起こした。  
「お前の魂は、面白い」  
 面白い、とは言いながら、ブルーの瞳は冷めている。  
「お前の魂は、戦いの炎がちろちろしておる」  
「……」  
「おおかたの者は、皆、戦から逃れようとしている。一見勇敢でも、戦を  
終わらすために剣を振っておるのだ。−−お前は、まだ、熱い」  
 
 熱い、のか? 私はまだ戦いたいのか?  
 ワルキューレは魂を集めて、再び戦いの地に運ぶという。  
 まだ息があるというだけでなく、私には尽きぬ闘争心があるというのか。  
 彼女の言葉にうろたえている私を冷たく見つめて、空に突き出ているもの  
を手で支えて、自らの体内に迎えようとする女神。  
「お前の魂は、私の中に収めることにする」  
 濡れて温かな部分。そこを先端で何度かなじませると、すぼまったところ  
に当ててから、ゆっくりと呑みこんでいく。  
「……うっ……あん……」  
 彼女は、威厳の声から一変、高い声を漏らす。  
 きつい入り口を過ぎると、体重が載せられていく。傘の部分は、肉襞に  
絡まれながら、最奥を突いて全体が絞られる。  
「……はああ……あん……うん……」  
 蠢く。中へと、また精を吐きださせようと。体を動かさないのに、その  
胎内の淫らさに、私の精神がからめとられていく。  
「……め……がみ、さま……」  
 私は、生涯で初めて、神に“様”とつけて呼んだ。  
 大きな幸せの中で、体中に慈悲を感じて、生きてきたことに感謝した。  
 涙が目尻から、大地に落ちた。  
 その様子を見て、私の上で腰を前後に揺する。  
「あっ……ふっ……ふっ……うん……」  
 控えめな声を忍ばせている。なめらかな体の動きは、振幅を徐々に大きくし  
ていった。防具がシャリンシャリン……と音を立て始める。  
 冷静だった瞳は、今や熱を帯びて、官能の色に染まっている。  
 右手が動かせた。私は、動いている彼女の腰を撫でてから、無我夢中で彼女  
の濡れそぼっている部分に手を差し入れた。そこで固くしこったものを触った。  
「あん!……ああ!……おお!……」  
 
 ついに欲望に素直な声が出始めた。  
 私の肉を蕩けさす刺激はすさまじく、粘液と締まりに翻弄されっぱなしだ。  
「ふう……ううん……お前……いいぞ……あっ……」  
 私はもう動けない。女神が自分で良くなっている。  
 とろんとした瞳。先ほどの高貴な雰囲気はすっかりなくなり、私の精を貪っ  
ている、男漁りの女の眼。  
「うわあ……あんっ!……ああっ!……」  
 身をよじって、髪を振り乱す。動きは上下に変わり、彼女は自ら、胸を留め  
ていた紐をほどいた。  
 色の薄い乳首。隆起した膨らみに乗って、腰の動きに合わせて魅力的に揺れ  
る。私が見とれていると、その甘そうな実を私の顔に差し出した。  
「しゃぶるといい……」  
 渇いた口で、それでも唾をためてから、私は口に含んだ。  
「ああ!……それは……」  
 指でつまんで、蕾を蹂躙する。歯で蕾を甘噛みする。  
「あんっ……あんっ……すごいの!……」  
 それは、女神の欲情を高めた。腰の上下から、娼婦のようなねちっこい回転  
は私の肉茎全体を甘く砕けさせる。  
 再び腰を上下させて精を吸い上げる。  
「はあっ!……ああっ!……ああんっ!!……」  
 きゅっと、ぎゅっと締まって離さない肉の動きとぬめりに。  
 何よりも切なく喘ぐ声と、快感にこらえきれない美しく淫らな表情に。  
 私の体を歓喜の刃が切り裂いた。  
「ああああああっ!」  
 経験したことのない噴出感。精の塊がペニスの先を飛び出し、女神に撃ち  
込まる感覚さえした。それでなくても豊富な粘液の中に、大量の白濁が注入  
された。  
「ああああっ!……あっ……あっ……あん……ん……」  
 女神は私の上に崩れ落ちた。強烈な余韻に、胎内が痙攣していた。  
 
 その瞬間。  
 女神と、私がつながっている部分が徐々に光を帯びて、それがだんだんに  
大きくなってきた。  
「……!」  
 女神との境、それが消えている。腰の部分は完全に一体となり、その部分  
は頭の先へ、足の先へ、手の先へ広がる。  
「あっ! うわあっ! あああああっ!」  
 先ほどの絶頂の数百倍の快楽が、私を包む。いや、私が快楽になっている。  
 私と女神は、一つの光になった。  
 カッ!!  
 ひときわ強い閃光。  
 その後、光は弱まり、そこには息絶えた戦士のかたわらにワルキューレが  
立っていた。  
 彼女は慈悲に満ちた微笑をたたえて、そっとお腹を撫でた。  
   
 指笛で馬を呼んだ。   
 彼女は颯爽と跨ると、戦地を1周して、私と共に上空高く舞い上がった。  
 
 私は戦い続ける運命にある。  
 私は選ばれた戦士なのだ。  
 死んでも死んでも。  
 戦い続けるのだ……  
 
 
 

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