それは、黒くて。  
 
 
 それは、白くて。  
 
 
 それは、灰色で。  
 
 
 それは、彼女の。  
 
 
 それは。  
 
 
 
 
 
 
 ――それは。  
 
 
 
* * *  
 
 
 
 
 そこにあるのは、薄水色の空。  
 淡い淡い、透き通るような、しかし透明ではない、わずかばかりの青を残す空。雲ひとつないその空は、ただ  
たゆたうようにしてそこにある。  
 流れる穏やかな風は空気を切り裂くようなことはせず、流れ流れ行くままに、ゆったりと。陽光が時折そここ  
この熱をはやしたてはするものの、荒いさまを見せるのはほんの一瞬のことで、すぐさま熱も流れも沈静化する。  
全ての流れが、ゆるやかな方へと、ただただ。  
 
 頂に上った太陽は、下降するための準備を始めている。ゆったりと、ただゆったりと流れる時間に合わせるよ  
うにして、空も空気も熱さえも、穏やかな姿のままに、そこにある。  
 
 
 ――黒い髪が流れていた。  
 
 レンガ造りの家屋と、木造建築物と、鉄扉が設置された豪奢なつくりの屋敷とのなか、薄水色の空の下にて流  
れる、黒い黒い髪。宵闇の一部分を切り取ったかのようなそれは、陽光を反射し、妖艶なるきらめきを残し、風  
のいたずらにその身を任せている。  
 昼の中に映える夜。宵闇の一部。穏やかな空気の中に流れる、静寂たる黒がそこにある。  
 
 黒い夜の正体は、少女だった。  
 
 小柄な少女である。色あせた灰色のブラウスをまとい、雪もかくやと言わんばかりの肌を見せ、その下に見え  
るは夜の色を劣化させたかのような色彩の、黒いロングスカート。  
 さらさらと、流れるような宵闇の色彩のなかに存在する人工色の黒は、その髪の持つ真なる黒たる美を引き出  
すための引き立て役にしかならず。その黒を補うようにして見える肌の白は、ただただ、白く白く、そこに在る。  
 
 黒と白とを見せる少女、そのかんばせは整いに整っている。  
 
 藍色の両瞳に静かな光をたたえ、鉄のように表情を崩さず、その中で映える桃色の唇。目鼻の配置は絶妙であ  
り、さらりと流れる長いまつ毛がはかなさを演出する。小柄も小柄といったその体躯も、硝子のような脆き繊細  
さ加減に一役買っていると言って良いだろう。  
 触れれば壊れてしまうような、かような雰囲気があるも、そこで映えるは夜の黒。全てを吸い込まんとするか  
のような重さがそのはかない肌に乗せられ、えもいわれぬ美を演出する。  
 
 細い細い四肢はぴっちりと黒の服にて守られ、雪景色は覆い隠されている。されど宵闇の髪が流れれば、そこ  
で映えるは背に値する部位。そこは大きく布地が切り取られ、風が夜をもてあそぶ時に限定し、少女の雪を見せ  
るかたちとなっている。  
 
 その開いた背の部分には、濃紫色の紐がいくつも交叉するように組み込まれており、しかしそれで肌を覆い隠  
すことは出来ず、少女の肌理たる、雪のごとき白とのコントラストが生まれる。  
 
 かわるがわるに色を見せる、深紫と白。それを覆い隠すように、宵闇色の髪が、さらり、と。  
 
 華奢な体躯のせいだろうか、弱々しげな妖精めいた雰囲気が、その少女にはあった。  
 
 そんな少女のそばには、灰色と肌色の目立つ、レンガ造りの小さな建造物。  
 入口の横には、木製のテーブルと椅子がいくつか並び、カフェのオープンテラスを思わせるつくりをしている。  
建造物内部には、色とりどりのパンが並んでおり、小さな小さなランプが淡い光を放ち、それらをおぼろなる色  
彩にて演出、柔らかな雰囲気を醸し出す。  
 
 オープンテラスの一角にて、その妖精めいた美貌を持つ黒髪の少女は、いた。白塗りの椅子に腰かけ、木製の  
テーブルに目をやっている。その視線の先には、皿。さらにその上にはパンの耳が盛られており、時折少女がそ  
れつまみ、鉄面皮のままに咀嚼、嚥下している。  
 油で揚げられ、砂糖をまぶされたそれは、少女が小さな口を動かすたびに、さりさり、さくさく、軽やかな音  
を発し、少女の腹へと消えていく。  
 
 少女は時折遠くの空を見つめ、しばしの間を置いて、テーブルの上にあるパンの耳へと目をやり、手を伸ばし、  
咀嚼、嚥下。ただ機械的に、くり返しくり返し、それを行う。  
 どこか珍妙な反復運動を続ける少女。そんな彼女のもとに、やにわに近付く影ひとつ。  
 
 
 猫じみた雰囲気のある女性だった。柔らかな金髪を腰の辺りまで流し、白いブラウスに赤いスカートといった  
簡素ないでたちのままに、黒髪少女のもとへと歩み、口を開く。  
 
「またパンの耳?」  
「うん。やっぱり好きだから」  
 
 申し訳程度に砂糖をまぶしたパンの耳と、それを咀嚼する黒髪少女を交互に見ながら、金髪の女性は薄く笑い  
つつ、近くの椅子に腰かける。  
 同時、小さな風がふわりと流れる。どこか甘い匂いを孕むのは、その柔らかな雰囲気ゆえだろうか。  
 
 
 金髪の女性――メアリは、己の栗色の髪を中指と薬指でいじりながら、小悪魔めいた、いたずらっぽい視線を  
パンの耳へとやり、薄い唇をゆっくりと動かす。  
 
「私も好きよ」  
「それは嬉しい」  
 
 ちょっとしたからかいの意を含めたいたずらの言に、黒髪の少女――レウは、鉄面皮のままに応じる。  
 
 どこかずれた問答。それでもふたりの態度には一点の曇りもない。  
 
 メアリという女性はにやにやと小悪魔めいた笑みを浮かべ、金髪を流すままに、気分を害した風もなく。  
 対するレウという少女は、鉄のおもてを揺るがしもせず、黒髪を流すままに、自然体で。  
 
 みずみずしさを前面に押し出したような美麗なる容姿のふたりだが、交わされる会話の内容は灰色といおうか、  
極彩色のそれである。その珍妙な差異めいたもののせいだろうか、流れる空気がどこか胡散臭い気色を孕むも、  
かようなことは知ったことか、とばかりに、女ふたりの動きは止まらず。  
 
「というわけで、分けてくれないかしら?」  
「やっぱり言うと思った」  
 
 話は通じている。  
 実際問題として、数年間友人関係を続けているこのふたりには、そういった類の言葉で事は足りた。  
 
「また実験体になるつもりなら、いいよ」  
「また新作パン?」  
「うん。ローズパン。薔薇ジャム使っただけのパン。パン自体は米粉使用」  
「無駄に技術力高いわね……、とはいえ興味あり、実験体、なるわよ」  
 
 やれやれ、とばかりにかぶりを振りつつ、楽しげに眉を上げるメアリ。対するレウは小首をこてんとかしげつ  
つ、またひとつ、パンの耳に手を伸ばす。  
 
「昼、食べなかったの?」  
「仕事にちょっと手こずって遅くなったの。どうせだから、あなたのところで、と考えて今現在この状況」  
 
 黒髪の少女、レウはパン屋で仕事をしている。  
 
 首都からやや外れた場所にある、都会と田舎を足して二で割ったような場所、シュムシュと呼ばれる町に存在  
するパン屋、『ヌダイン』にて、毎日ひとりパンを焼いて売っている。  
 シュムシュの町にある公園からやや外れた場所にあるせいか、日はあまり当たらないそのパン屋は、ひっそり  
と経営しているわけではないものの、目立つかといえばそういうわけでもなく。  
 人とは思えぬほどに、それこそ絵画の世界から飛び出たかのように、幼いながらも妙な艶を感じさせる絶世の  
美をまとうレウが、かような場所にいるその妙な外れ具合が、滑稽かといえば滑稽ではあった。  
 
 が、対するメアリは、金髪を揺らしつつ、そんな事情は関係ないとばかりに、楽しげに。  
 
 女性らしい膨らみの目立つ乳房と、するりと細身ながらも柔らかな曲線を描く四肢、やや鋭利なおとがいに、  
切れ長の瞳が特徴的な、猫を思わせる美を惜しげもなくさらしつつ、からからと太陽のような笑みを浮かべて、  
メアリはレウを見やる。  
 
「ほれ、じゃあ食べてくれ」  
「あら、意外と大きい。これならパンの耳は要らないかもね」  
 
 そんな視線に反応するように、どこかから取り出した白色のパンをメアリに投げるレウ。  
 危なげなく、金髪をさらさらと風に預けつつそれを受け取ったメアリは、パンを一瞥するだけで逡巡もせず、  
ぱくりとかぶりついた。  
 
 しばし、咀嚼の時間。  
 次いで、浮かぶはメアリの渋面。  
 
「甘ッ……。けどまあ薔薇ね。薔薇薔薇してるわ。パンもふんわり甘いし、味自体はいいんじゃない?」  
「そっか。でも、目を見張るほど特徴的なわけじゃないから、もうちょっと改良の余地ありかな」  
 
 パンを片手にメアリは、呆れとも賞賛とも取れぬ溜息をひとつつき、またもパンにかぶりつく。  
 パンの断面からは、どろりと赤い色の粘着物が見え、真っ白いパンの断面を奇妙に彩っている。  
 
「ま、そっちはそっちでがんばって」  
「うん、がんばる」  
 
 ちろり、と行儀悪く、それでいて挑発するようにメアリが舌先でローズジャムを舐めとれば、対するレウは、  
何やら妙に恰好の良い体勢を鉄面皮のままに作りつつ、それに応じるように鼻息ひとつ。  
 小生意気にも見えるが、どこか達観したきらいのある少女のその姿は、猫じみた容姿と気質を持つメアリに、  
いたずらな心をもたらすには充分だった。  
 ちょっとだけからかってやろうか、そこから話を広げてみるのもいいだろう、という考えを、その金髪の奥の  
奥の奥にある脳味噌にもたらす程度には。  
 
「今日はお客さん来ないわね」  
 
 やや跳ね調子で放たれた言葉。されど、それをぶつけられた黒髪の少女は微塵も動じず。  
 
「外来の行商隊が、むこうの町に来ているから。珍しい食べ物を買出しに、みんな行ってるよ」  
「ふーん。で、常連客に浮気されたって寸法ね」  
「そういうこと。まあ、一日二日、客が少ないだけで傾くような店でもあるまい。気楽にいくよ」  
 
 何を気にするでもなくそう言い、レウは遠くの空に目をやる。  
 薄水色の空は、透き通るように淡い美を見せており、流れる風の柔らかみがそれを彩る。されど、どことなく  
気だるい雰囲気が漂うのは、パン屋の周囲に人らしき人はおらず、昼下がりの空気が、その活気のなさを助長し  
ているせいであろうか。  
 
 が、気だるい雰囲気は、なにもこの天候のせいだけではなく。  
 原因はパンの耳を食べ続けるレウの姿にあった。  
 
 可憐な、それこそ妖精はだしの美を誇るレウではあるが、覇気という覇気は全く感じられない。ただそこに座  
し、黙々と食事を続け、メアリの言葉に抑揚なき声で応じるだけだ。  
 対するメアリもメアリで、髪をいじったのちに垂れるようにテーブルに力を預け、もそもそと起き、また預け、  
のくり返し。レウに話しかける際にはいたずらめいた瞳の光を放つも、それ以外はからきしである。  
 
 みずみずしい容姿のふたりが放つ、みずみずしさとは無縁の空気。アンニュイというのにはややもすればずれ  
た感が否めない、なんとも不思議な気だるい雰囲気が、そこにあった。  
 
「眠くなるね、この天気」  
「こらこら、一応は商売中でしょうに。……まあ、分からなくはないけど」  
 
 ふわ、と小さなあくびをしつつ、指先でくるくるとその金髪をいじるメアリ。その手にパンは残っておらず、  
ただ薔薇の匂いを余韻として残すのみだ。  
 対するレウもレウで、パンの耳を全て食べ尽くし、ただぼうっと遠くの空へ、視線を。  
 
「レウ。おやじさんは帰ってこないの?」  
「この前、手紙が来て、しばらく帰れないと書いてあってそれっきり」  
「もうアンタが店主でいいんじゃない?」  
「気が向いたらいつでもこの店、乗っ取っていいってさ」  
 
 軽い調子でとんでもないことを言いつつ、レウは首を振ってみせた。身じろぎするたびに流れ揺れる黒髪が、  
彼女の背を刺激する。背が大きく開くように出来ていたブラウスの、その不足分を補うようにして、黒がそこに。  
 
「店主も店主よね。どうしてレウはこの店に身を預ける気になったのかしら」  
「自由人というか、そういう境界線がないその店主だからこそ、今この状態があるわけだよ」  
 
 そんなものかしら、とレウの言葉に反応しつつ、髪を再度くるくるともてあそぶメアリ。  
 対するレウは椅子をがたりと動かして、ぼうっとした表情のままに口を開く。  
 
「まあ、私がここのチョコチップメロンパンに魅せられた、というのもあるんだけど」  
「うげぇ、どうしてそんな甘ったるいの……」  
「メアリは甘すぎなのは苦手だもんね」  
「ちょっと甘い程度ならいいけどね。私はアンタの作ったコロッケパンの方が好きよ」  
 
 さらりと放たれたメアリの言を受け止め、レウは、ひと呼吸時間を置いて諸手を頬のそばへとかざし、そっと  
言う。  
 
 
「そんな、好きだなんて……。ゃ、恥ずかしい……」  
 
 
 言葉を放つと同時、頬を薄紅色に染め、流すように流すように目を細め、瞳に柔らかながらもきらめく輝きを  
残しつつ、頬を緊張させると同時に唇を弛緩させ、見事も見事といったはにかみの表情を形づくるレウ。  
 絵画の世界から現れ出た妖精を想起させる美貌が、どこか胡散臭いながらも羞恥心という風の流れに乗り、そ  
れは昇華され、超絶の美へと変化する。  
 その少女性特有の青さを残しつつも見せる頬の紅の凄艶なる雰囲気といえば比類がなく、レウと対面したメア  
リは、思わず頬を赤く染め、一瞬だけではあるが狼狽してしまった。  
 
 が、対するレウは、そのメアリの態度が予想外だったようで、眉をひそめつつ演技をとりやめ、肩をすくめた。  
 
「おい、頼む、ツッコミを入れてくれ。可愛い子ぶった自分がとてつもないアホに思えてしょうがない」  
「……え、ええ、ごめんなさい」  
「いや、そこで謝られると、なおさらこっちがアホに思えて情けなくなるんだが」  
「え、ええ、まあ、うん、そうね」  
 
 紅色に染まった頬を隠し隠し、メアリはたどたどしい言葉づかいでレウに応じる。  
 対するレウは己のしでかした行動に今更自己嫌悪感が湧いたのか、口をブーメランよろしく曲げに曲げ、その  
美貌に陰りを付けに付けて、三白眼で空を睥睨するだけだ。  
 
 わずかな変化ではあるものの、ころりと表情を変えるレウ。  
 そんな彼女に対し、メアリは地の底を揺らすかのような溜息をつき、ずるずるとナメクジもよろしくの動作で、  
突っ伏した顔をテーブルから上げ、小さなおとがいをそこに押し付け、口を開く。  
 
「ねえ、レウ。この質問も何度目か分からない、でも言うわ」  
「なに?」  
「鏡、見たことある?」  
「毎日、顔を洗う時に洗面台で見るよ。なにを当たり前のことを」  
 
 まるで、鳥が空を飛ぶことに疑問を抱いた子供を見るかのような目で、レウはメアリに問う。  
 対するメアリは、強張らせに強張らせた表情を隠しもせず、再度、溜息。今度は大地の果てまでも響くような  
盛大さ加減を見せると同時、ぐてんとテーブルに突っ伏した。出戻りである。  
 
「……無知は罪という言葉の意味、私はあと何回認識すればいいのかしら」  
「にぶちんの私には、きみの言葉の真意がわからん」  
 
 こてん、と首をかしげながら、メアリの瞳の光を見つつ、レウは言う。  
 無論、そんな黒髪少女の態度に対し、返すものは溜息しかないとばかりに、メアリはただひたすらに肺を動か  
し音を出すばかり。  
 
「分からなくていいのよ。そっちの方がいいと私は思うわ。……どこかで被害者が出るかもしれないけど」  
「もしかして私は加害者か?」  
「男を落涙させるであろう、という限定的な意味合いにおいてはね」  
「こんなペチャパイガキンチョ女に泣かせられる貧弱男がいるのなら、見てみたいものだ」  
 
 どこか論点がずれた物言いをするレウに対し、もう溜息とあきれの在庫が切れたのか、メアリはレウの瞳の光  
を見つめ返しつつ、頬の筋肉を緊張させて今度は鼻息。  
 
 薄水色の、どこか珍妙な空気が漂う昼下がり。  
 それは、少女ふたりの対話の灰色でもあり桃色でもあるような、そんな雰囲気にあてられたせいであろうか。  
道行く人並みの、小規模ながらも流れ流れるうねりを見つつ、そっとメアリは目を細める。  
 
 もう少し経てば、夕焼けがそこを支配し、次第に黒が侵食し、また白によって切り裂かれるだろう。ころころ  
と表情を変えるその空は、どこか楽しげな姿に見え、レウは思わず、  
 
 
「いい日だな」  
「まぁね」  
 
 
 あくびをするようにぼやき、メアリに軽く流されていた。  
 
 
 
 穏やかな昼下がり、柔らかな陽光。  
 
 シュムシュの町は、パン屋ヌダインは、今日も平和であった。  
 
 
 

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