『隣人サンタと距離感と』  
 
 
 
 
 
 サンタクロースって本当にいるの?  
 そんな質問を親にぶつけたことはあるだろうか。  
 私はない。  
 親には。  
 親にはないけど、近所のお兄さんにぶつけたことはある。  
 歳の差六歳。  
 微妙な差だと思う。  
 その人は特別かっこいい容姿というわけじゃない。  
 なんというか、ちょっと太ってるし、脚は短いし、鼻も低くて丸っこいし、一般的なかっこよさはないと思う。  
 ただ、その人はとっても優しい人だ。  
 忙しい両親の代わりに家族共々私の面倒を見てくれて、一緒に遊んでもらった私にとっては大好きなお兄さんだった。  
 でも私が一人でなんとか過ごせるようになってからは、昔ほど一緒に遊ぶことはなくなった。  
 私は口下手であまり友達もいなかったけど、それでも成長するに伴って自分なりの社会というか、人間関係というか、そういう繋がりを形成していって、お兄さんと少しずつではあるけど、離れていった。  
 そんなお兄さんに、私は冒頭の質問をしたことがあった。  
 お兄さんは少しだけ迷ったように首を傾げて、それから答えてくれた。  
 俺は会ったことないけど、いるんじゃないかな。  
 会ったことないのにどうしてそんなことが言えるのか私には不思議だったけど、お兄さんは私にうそをついたことがなかったから、私はその言葉に喜んだ。  
 じゃあ、私のところにもくるかな?  
 お兄さんはにっこり笑った。  
 来るといいね。  
 
 
 
 そんなやり取りをしたその年のクリスマス、私は初めてサンタからプレゼントをもらった。  
 枕元にあったぬいぐるみは、毎年プレゼントを用意してくれる両親も知らないもので、その時から私にとってサンタクロースは実在の人物になったのだ。  
   
 
   
      ◇   ◇   ◇  
 
 
 
 小学六年の時に、お兄さんが密かにアルバイトをしていることを知り、私は大いに戸惑った。  
 高校生ならアルバイトをするくらい別に珍しいことでもない。けど、それを聞いた時、私の中で一つの疑念が膨らみだしたのだ。  
 それは少し前から、ひょっとしたら、くらいには思っていたことだったけど。  
 その頃にはもうクラスの子は誰もサンタの存在なんて信じてなくて、親に携帯だのゲームだのを買ってもらう話で盛り上がっていた。  
 私の家には毎年プレゼントが届くのに。  
 そして私は見てしまった。お兄さんがこっそりプレゼントの箱を用意しているのを。  
 はっきり言ってしまうと、気付いていた。私のところに届けられるプレゼントは、確かに両親の手によるものではないかもしれないけど、だからといってサンタの手によるものでもないのだ、と。  
 どこかの世話好きで優しい誰かさんが、私が寝静まっている間に枕元に置いていっているのだ、と。  
 それはとても嬉しいことなのかもしれないけど、当時の私にとっては少なからずショックな出来事だった。  
 悲しくて、悔しくて、お兄さんを恨みがましく思って、じゃあ今年は朝まで起きていようと決意した。  
 朝まで起きていて、お兄さんをびっくりさせてやるのだ。  
 
 
 
 枕元の時計を見ると、日付はとっくに変わっていて、二時になろうとしていた。  
 部屋の電気は消してある。私はベッドに潜り込んでお兄さんが来るのを待っている。  
 眠かった。  
 夜更かしはあまり好きじゃない。一人ぼっちの時間を無闇に増やしているようで、いつも日付が変わる前には眠りこけている。  
 それでもその日だけは起きていようと思った。  
 お兄さんはうそつきだ。サンタなんていないのにいるようなことを言って。  
 ……ん? そういえばはっきりいるとは言ってないような。「いるんじゃないかな」って自分なりの考えを言っただけだから、ギリギリうそはついてない?  
 いやいや、うそはついてなくても私をだましているのは違いない。  
 だから私がだまされているふりをして、お兄さんを驚かせることくらいは許されると思う。  
 眠い。でも眠ったら駄目だ。頑張って起きていないと。  
 足音がした。  
 閉じられたドアの向こう、廊下の方から聞こえてきたその音は、気を付けていないと聞き落とす程小さいものだった。  
 私は目を閉じて音に注意を傾ける。  
 キィ、と微かに金属の擦れる音がして、  
 部屋に誰かが入ってきた。目ではまだ確認してないけど、気配でわかる。  
 空気が細かに揺れ動くような、そんな様子が伝わってくる。多分忍び足で動いているんだろう。息遣いまでは聞こえない。でも感じる温かさはどこか懐かしいような。  
 私はこっそり目を開けてみた。  
 気付かれないように薄目で、相手の様子を窺う。  
 暗闇に浮かぶ大きな影は見慣れた人のものに見えた。  
 見えたけど、  
「──」  
 絶句した。  
 そこにいたのはサンタ服を着た誰かだった。  
 困惑して、私は思わず目を見開いてしまった。  
 まさか、と一瞬思ったものの、しかしよく見たら、それはやっぱり見慣れた人のものだった。  
 お兄さんだった。  
 彼はわざわざサンタ服を着てきたのだ。  
 私は驚いたまま、彼が出ていくまで声をかけることもできなかった。  
   
   
 私は何も言えなかった。  
 そんな凝った真似までしなくてもいいのに、とも言えなかった。  
 ただ一つ。  
 私の中からお兄さんに対する恨みがましい気持ちが薄れていった。  
 お兄さんはその時受験生で、大事な試験まで一ヶ月を切っていたのに、私のためにそこまでしてくれた。  
 はっきり言ってバカだと思う。  
 そんなことをしてもお兄さんにメリットなんてないのに。  
 でも、  
 そんなお兄さんが、私はキライじゃない。  
 
 
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 
 
 お兄さんは無事大学に合格して、私も中学生になった。  
 中学生になったら少しは大人になれるかな、と期待したけど、特別何かが変わることはなかった。  
 ただ、制服姿をお兄さんに似合ってると褒められて、それはちょっと嬉しかった。  
 
 
 
 その年のクリスマスにも、お兄さんはやってきた。  
 相も変わらずのサンタ服で、私が密かに起きていることにも気付かず、プレゼントを置いていった。  
 私はそんなお兄さんにお礼が言いたかった。でも面と向かってそのことを言うのも嫌だった。お兄さんの気遣いを無駄にしたくはなかった。  
 それに、お兄さんはただお兄さんなわけじゃない。もう私にとっては本物のサンタだ。  
 世界で私だけのサンタクロース。  
 だったら、お礼を言う時は決まっている。  
   
 
 
      ◇   ◇   ◇  
 
 
 
 一年経って、またその日がやってきた。  
 私はベッドに潜りながら彼が来るのを待っていた。  
 これまでとは違う緊張感に私の胸はうるさいくらい高鳴っていた。  
 今まで彼からもらったプレゼントは全部大事にとってある。  
 服とか靴とか、中学生になった今ではもう着れなくて、押し入れにしまってあるものもあるけど、窓際に飾っているぬいぐるみとか、枕元で光っている時計とか、私の部屋にもうなくてはならないものになっているのも結構ある。  
 そんな数々のプレゼントに対して、私ができるお返しなんてささやかなものでしかないけど。  
 足音。  
 心臓が一際大きく跳ねた。  
 直後、ドアがゆっくり開かれた。  
 私は目をつぶって、彼が部屋に入ってくるのを待つ。  
 気配がそろりそろりと近付いてくる。一歩踏み出すのに五秒はかかっているんじゃないかってくらいゆっくりとした気配だけど、私は辛抱強く待った。  
 床にプレゼントが置かれる。  
 気配が遠ざかるのがわかった。きっと背中を向けたのだろう。来た時と同じようにゆっくりとかたつむりのような速度で離れていく。  
 私は一つ息を吸い込んで叫んだ。  
「待って!」  
 目を開けると、暗闇の中で影が驚いたように硬直していた。  
 私は慌ててベッドから起きる。闇に目が慣れるのにしばらくかかって、ようやくサンタ服を捉えた時には、もう彼はこちらを振り向いていた。  
「あ、あの、お……サンタさん」  
 私は隠し持っていたプレゼントの袋を取り出して、彼に差し出す。  
「……お返し」  
 彼は呆然とこちらを見つめている。  
 私は受け取るまで彼の胸元に袋を押し付けていた。  
 しばらくしてようやく彼がおずおずとそれを掴む。  
 瞬間。  
 私はずい、と接近して、彼の頬にキスをした。  
「え?」  
 一秒も経たずに離れて、私は背中を向ける。  
「お、おやすみなさい!」  
 そう叫んで、私は恥ずかしさをごまかすようにベッドに潜り込んだ。  
 しばしの静寂。  
 背中を向けているから見れないけど、彼はまだ呆然と立ち尽くしているようだった。  
 私の心臓はバクバクとうるさい。  
「糸乃(いとの)ちゃん……」  
 私の名前を呟くと、やがて彼は静かに囁いた。  
「ありがとう」  
 それからすぐに離れていく気配がして、ドアが閉じられた。  
 また静寂が戻ってきた。  
 でも私の中ではドキドキが止まらなくて。  
 だけど、  
(うまくいったぁ……)  
 予定通りのことはできた。プレゼントを渡して、プラスアルファでおまけも一つ。  
 一人になった部屋で、私はまたベッドから這い出る。  
 明かりをつけて、プレゼントの袋を開けてみた。  
 セーターだった。カシミアのちょっと高そうなやつ。  
 私は値段とかは気にしない。高かろうと安かろうと、お兄さんの思いやりが詰まっていることに変わりはないから。  
 お兄さんの様子を思い出す。  
 離れたあとの、ちょっと慌てた表情が忘れられない。付け髭の奥で赤くもなっていたと思う。  
 私は満足感に包まれながら、ベッドに倒れ込んだ。  
 
   
   
      ◇   ◇   ◇  
 
 
 
 朝になったらお兄さんに会いに行こう。  
 カシミアのセーターを着て、お兄さんに「メリークリスマス!」と言いに行こう。  
 きっとお兄さんはまたびっくりするに違いない。  
 私はその様子にまた満足して、そ知らぬ顔で昨夜のことをお兄さんに話すのだ。  
 お兄さんはどう反応するだろう? 話を合わせてくれるかな?  
 できれば合わせてほしい。  
 そうしたら私は楽しそうに、来年のことも話す。  
 来年、私はサンタさんをサンタ服で迎えたい。  
 そして相手に負けないくらい素敵なプレゼントを贈りたい。  
 サンタさんにはサンタがいない。だから私が彼のサンタになりたいと、お兄さんに言うのだ。  
 お兄さんは驚くかもしれないけど、ひょっとしたら困ってしまうかもしれないけど、これは譲れない。  
 お兄さんが私だけのサンタになれるなら、きっと私もお兄さんだけのサンタになれる。私は確信している。  
 お兄さんは優しいから、なんだかんだで結局賛成してくれると思う。  
 そうなればしめたものだ。  
 私はお兄さんに、男の人へのプレゼントについてたくさん訊ねるに違いない。打ち解けたらお兄さんも、女の子へのプレゼントについて訊いてくるかもしれないし、そうしてほしい。  
 そんな話をしながら街を回ってみるのもいいと思う。  
 そういう風にちょっとデートっぽいことをしてみてもいいと思う。  
 私はまだ中学生で、歳の差六歳で、まだまだ子供かもしれないけど、そういうことを積み重ねていけば、その微妙な差も埋められるような気がするし、私だって女の子なんだからそういうことに憧れるのも悪くないんじゃないだろうか。  
 そうして、少し離れた距離感を戻したい。  
 それができれば、きっとそれはお互いにとって、素敵なことだと思うのだ。  
 
 
 
   <了>  
 
 

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