『鳥籠』
<<その二:垣本さゆり>>
『至急、別荘から戻ってください』
綺麗な字で書かれた手紙。
差出人には、これまた綺麗に「楢崎唯」と書かれている。
そしてそれを読んでいる私は、新幹線の指定席に座っている。
――また、彼に会うことになるのか。――
3年ぶりのお屋敷だ。働いているメイドの皆は元気にしているだろうか。
春彦様のお部屋はあの頃から変わらないのだろうか。
などなど思いを馳せているうちに、新幹線は目的の駅へ到着した。
列車から降り、ホームの階段を抜けて改札口を出ると、
「お久しぶりです、垣本さん」
聞き覚えのある、澄んだ声がした。
振り向いた先には、金髪碧眼の可愛らしい女の子が立っていた。
まあ女の子と言っても、146cmの私よりは背が高いのだけど。
「クレアじゃないの、元気だった?」
「ええ、垣本さんこそ、元気そうですね」
そう言って、私を出迎えに来た少女――クレア・ミルスはにこりと笑った。
ああ、私はやっと帰ってきたのだと、そう実感できた。
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「……どういうことですか、唯さん」
屋敷の応接室で、私は唯さんに問いただすような口調で尋ねた。
「どういうこと、と言われても困ります。貴女は春彦様のメイドでしょう?」
「しかし、こんなことは……」
こんなことは、ありえない。
別荘から戻ったばかりの私に、春彦様の「身の回りのお世話」をさせるなんて。
別に、私はその役目自体には抵抗はない。むしろ相手が春彦様なのだから、光栄なぐらいなのだけれど。
私はなおも彼女に言う。
「ただでさえ、春彦様は不安定なのに……」
「だからこそ、です」
「それでまた発作が起きたら、どうするんです」
「そのときはまた、さゆりさんに別荘へ向かってもらうだけです」
またあの避暑地に飛ばされると言うわけか。
しかし、私にはそれ以上、彼女に抵抗する事は出来なかった。
メイド長とメイドの立場というのもあるが、それ以上に――
――それ以上に、彼女の悲しげな表情がいたたまれなかったのだ。
クレアから聴いた話からしても、恐らく唯さんは焦っている。
私が別荘へ向かってから、二人の『首輪付き』がお屋敷に加入したのだから、確かに仕方ないのだろう。
けれど。
けれど私の中では、未だに不安な気持ちが蠢いている。
春彦様は私を受け入れてくださるだろうか。
彼に仕えるメイド達の中で唯一、『首輪を外された』メイドである私を。
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夜の10時半。
春彦様の部屋の前で、軽く3回ノックする。
少し待つと、1回、ノックが返って来る。
それが、夜伽のメイドを部屋に入れる許可の合図だ。
軽く深呼吸をして、ドアノブを回し、ドアを開く。
「さゆり…なのか?」
そこには、あの頃から少し大人っぽくなった、春彦様がいた。
「お、お久しぶりです、春彦様」
慌てて一礼する。
「ああ、そっか」
彼がベッドに座って、軽く笑う。
「帰ってきて早々、なのか」
「はい」
やっぱり、春彦様は反則だ。
絶世の美男子と言うわけでもなく、かといって屈強なマッチョマンでもなく、正直言えば平凡な男性だと言うのに……
「唯の事だからね、そうするだろうと思ってたよ。こっちにおいで」
とても、傍に居たくてたまらなくなるのだ。
私は、頬が赤くなるのを感じながら、春彦様の方に歩いていく。
そして、
「あっ」
突然手を引かれ、彼の体めがけて倒れこんでしまった。
同時に、私の背中に腕が回される。
「ごめんよ、さゆり」
優しくて、あったかい腕の感触。
気を抜くとそのまま眠りこけてしまうくらいに、私の身体が熱を帯びる。
「なん……ですか……?」
「僕には、こうすることしか出来ないんだ」
なんで、こんな時でも私の頭は冷静なんだろう。
「僕は、君を抱けない。多分、これからも当分はね」
春彦様が精一杯、冷静な口調で話そうとしている事すら、分かってしまうなんて。
「だらしない男だろう?でも、どうしても気になってしまうんだ」
「抱こうとすると、君の前のご主人様のあの顔を思い出してしまう」
そう、私も知っている。
「どうしても、あいつに君が犯される姿を思い起こしてしまうんだ」
私の前のご主人様は、春彦様を常にいびっていた、高峰家よりも良家のお坊ちゃまであった事。
「だから、さゆりの裸すら、見るのをためらってしまう」
そしてその家が没落する時、私はそのお坊ちゃまとの不義の交わりの事実を隠すため、殺されるはずだった事。
「雇うときに、覚悟してたはずなのにね。やっぱり、だらしないよな」
春彦様は、その時に八方手を尽くして、私の命を救ってくださった事。
「でも、もうさゆりを別荘に行かせたくないんだ」
そして私は、春彦様に雇われる日が来るまで、そんな過去も知らず、いじめられる為に屋敷につれて来られていた春彦様を笑顔でおもてなしし続けていた事も。
「ごめんよ、さゆり。今は僕は、こうする事しか出来ない。君を抱きしめている事しか出来ないんだ」
「いいえ、春彦様」
腕をそっと回して、春彦様の顔の横に自分の顔をうずめて、私は目を閉じた。
「それでも、それでもさゆりは幸せですよ」
もう距離が離れないように、ぎゅっと抱きしめて。
けして春彦様に、泣き顔を見られないように。
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「……おはようございます、お二人とも」
気がつくと、私の目の前には驚いた顔をしたご主人様。そして……
「ご、ごめん唯。怒ってるかな…?」
その視線の先には、すまし顔の唯さんが立っていた。
「いえ、何も」
口ではそう言っているが、オーラがそうは言っていない。
確かに、朝までメイドと一緒に居てはいけない、というこの屋敷の不文律を――それも勤続期間が結構長いメイドが――破ってしまっているわけだから、ごもっともな話である。
「ゆ、唯さん……ごめんなさい……」
ただただ頭を下げることしか出来ない私。
そして仏頂面の唯さんは静かに言った。
「……罰として、さゆりさんにはしばらく春彦様の目覚ましでもしていただきましょうか」
「「えっ!?」」
私と春彦様の声が重なる。
そんな二人を無視するかのように唯さんはこちらに背を向け、扉へ向けて歩き出す。
「そうでもすれば、春彦様も多少は慣れるでしょうし」
そういう事か。
唯さんの誕生日には、ケーキ食べ放題ぐらい奢ってあげなければいけないな。
<<その三:天羽楓 へ続くかもしれない>>