遭難した。  
 俺と姉は二人なかよく遭難したのだ。  
 県内の東端にそびえる、どこにでもありそうな標高千メートル超の中低山、M山。俺たち二人はおそらくその千メートル付近にいる。どうしておそらくなのかと言うとそれは遭難しているからだ。  
 
 ――予定では約五時間で頂上付近まで着く筈だった。朝七時に登り始めて、正午ごろてっぺんに到着。下りは少しゆっくりめに勘定して午後六時ごろふもとへ。悪くないプランだった。  
 ――それが午後五時になってさえまだ頂上が見えてこない。辺りは落葉樹の茂みばかり。今歩いている道からしてもう怪しい。  
 変だと感じ始めたのは、三時間前。午後二時になってもまだ頂上に到着していないことからだった(もちろん今もだが)。姉に尋ねた。  
 「なみき姉、時間大丈夫だと思う?」  
 「大じょぶよ。あたしもかっちゃん(俺)も初めての登山だからペースが遅いのよ」と姉は余裕しゃくしゃくだった。とはいえ二時間も遅れればさすがに簡単にはうんと言えない。  
 「いや、でも引き返した方がよくないか?」  
 「もう少しだけ、だめかな。どうしても一度かっちゃんと登山してみたかったの」姉は媚びるように言った。「かっちゃんは来年大学受験、あたしは就職活動。二人ともこれからそんなに時間が割けないでしょ。だからね、もう少しだけ」  
 「そうだね」俺はうつむく。「俺のせいで、ごめん……」  
 「いや、そんなつもりで行ったんじゃないよ。あの事はかっちゃんが悪いんじゃないんだから自分を責めないでって言ってるでしょ」  
 姉はとても優しい顔をしていた。日程の遅れなど吹き飛んでしまう。たしかになみき姉は少々無茶で抜けていることがあるけれど、でもすごく優しい。いい姉なんだ。俺もいい弟でいたい。  
 「なみき姉……行こう!」  
 
 若い二人は馬鹿だ。でも馬鹿だから美しい。美しいけど馬鹿だからやっぱり後悔する。詩人の言葉だ。ちなみにその詩人は俺だ。  
 俺達は二手に別れた道にたどり着いた。姉は地図を見ながら左の道を進んでいく。俺は姉に着いていくばかり。これで結構黙って着いてこい派なのだ、姉は。  
 不穏が表面化し始めたのはその半時間後。  
 出し抜けに「あ……」という呟きがあった。  
 「どうしたの?」恐る恐る俺は問う。  
 「ううん、なんでもない。かっちゃん、ちゅうでもする?」  
 「いや、しない」  
 「じゃあ進もう。レッツゴー!」  
 「テンション高いなあ」  
 普通のやり取りだからそれほど気にかけなかったが、この時姉はやらかしていたのだ。  
 
 
 ――それから。  
 すでに日は暮れかかり、普段体を動かしていない俺はもうヘトヘトだった。登山というのは莫大なカロリーを消費する。昼食はちゃんと取ったのにおなかはペコペコ。  
 姉はというと、俺よりまだ一段階くらいは体力が残っていそうだった。姉の所属している陸上同好会の恩恵だろう。  
 にしてもそろそろ引き返さないと本当にやばい。焦りが俺の中で暴れていた。それにここ、登山道っていうより森の中みたいに見える。いいや、違う。きっと自然の姿が強く残った登山道なんだ。そうなんだ。いや、そうであれ。ともかくもう切り出さなければ……。  
 「かっちゃん、ちょっとお話があるの」不意を打つ唐突な切り出し。カウンターだ。その優しい顔にたたえた満面の笑みが恐ろしい。  
 「な、なんだい」  
 悪い予感はしていた。というかほぼ確信していた。だが、人間は自分の過ちを認めたがらないものなのだ。危機に陥り、問題が目の周りをちらつくどころか、瞼をこじ開けに来るまでは。  
 姉は山岳地図を広げ、コンパスを片手に言った。  
 「落ち付いて聞いてね」ちょっと間をおく。「一言で言うと、完全に道を見失ってしまったわ」  
 俺は膝からその場に崩れ落ちたのだった。  
 「きっと大丈夫よ」姉は俺の肩にポンと手を置く。根拠は姉の胸の中に。  
 でもね、願望だよ、それは。  
 
 標高千メートルでは約六度、地上より気温が低くなると言われている。日の暮れた初秋の山は寒かった。汗も冷えてきている。  
 気持ちとしても体感温度はヒマラヤ山脈だ。シェルパはいない。いるのは二人のあほな遭難者だけ。迷える子羊達は牙を剥いて襲いくる冷たい風に脅かされていた。  
 「どうする?」俺は言う。  
 「迷った時は、登ってみることよ。そうすれば登山道の位置などが確認しやすいから」  
 「わ、わかった」  
 俺達はこりずに登ってみた。だが疲労もあって思うように進めない。足もとも木の幹や段差が多く危なっかしい。俺が三回こけた後で、姉は宣言した。  
 「うーむ仕方ない。今日はこの辺りでビバークしましょう。暗くなって歩きまわるのは危険だわ」  
 「え!」わかっていたとしても、聞いてしまう。「それって野宿するってこと?」  
 「そうなるわね」  
 「……大自然バンザイ」  
 
 ポツっと音がした。次に頬が濡れた。だんだんとその感覚が短くなる。大自然は気を良くしてサービスしてくれたようだった。  
 「雨だね」なかばヤケになった口調で俺は言う。まだ小雨だけれどこれから雨脚が強くなるかもしれない。最低だ。  
 「そうね」  
 「どうする?」  
 「かっちゃん、主体性をもちましょう」  
 「え? ごめん……」なんと! 説教をされてしまった。山のことはあたしにまかせなさいと言ったのはどこのどいつだ。   
 「それじゃ、ブルーシートを枝に括りつけて、雨よけしようね」  
 「う、うん」  
 周囲のまばらなブナの林に近寄って、手頃な枝を探そうとしたその時だった。俺の背負ったデイパック(小型リュックサック)の横ポケットが何かに引っかかる。そして――  
 俺はバランスを崩し、斜面を転がり始める。落ち葉を巻き上げながらザザザザと足から。  
 呼吸が止まった。わけのわからぬまま、命の保証のない滑り台を何メートルも滑っていく。小枝やどんぐりがバキバキと音を立てる。  
 トレッキングシューズの靴底が確かな摩擦を求めるも、落ち葉の斜面はそれをさせない。それでも靴に力を込め続けると、やっと足応えが現れた。斜面が終わって平らな地面に辿り着いたのだ。  
 動きが止まってしばらくするまで俺の思考は完全に停止していた。驚きすぎて声も出なかった。  
 しかも数メートル先は崖だったのだ。滑落、遭難という登山の二大恐怖を、はじめての登山はちゃんと教えてくれた。なんて優しいんだろう。  
 
 「かっちゃん!」と後ろから姉の声がして、俺は体を動かした。振り返ると姉がいた。俺を追って滑り降りてきたのだ。姉は俺の顔に強くしがみつく。  
 Fカップもある豊満なバストが俺の顔をはさむ。はからずもパフパフをされる形となって俺にやっと思考が戻った。  
 「なみひねえ、くるふぃ!」  
 「あ、ごめんね」  
 俺は窒息を逃れた。正直さっきまでちょっと姉にむかついてたのにおっぱいに挟まれるとそれがどうでもよくなってしまう。暖かさとやわらかさに、赤ん坊のように落ち着いてしまうのだ。  
 いや、何を考えているんだ。今は遭難中だぞ!  
 俺は自分を律する。  
 ――にしても俺は本当にまぬけだ。落ち着いてくると急に恥ずかしくなってきた。  
 「しかしまあ……お恥ずかしい限りで」俺はぼそっと言う。  
 「かっちゃんがまぬけなのは今に始まったことじゃないでしょ。まったく。これだからお姉ちゃんがついてないとだめなのよね」と姉は微笑みながら俺の頭をなでる。  
 よくも人のことをまぬけだなどと抜かせたものだ。まあいいけど。姉は俺をよしよしと子供扱いする。  
 「怪我はない?」  
 「まあね、おかげさまで。落ち葉でめちゃくちゃ滑ったけど、幸いどこも擦りむいてないし打ち身もない」  
 「よかった」姉は俺のほっぺにキスをする。  
 「おいおいそんな場合?」顔を赤らめたのを悟られないよう俺は言う。  
 「こんな場合だからこそよ。思い残すことがないようにね」  
 「いや、もうちょっと生きる道探そうよ」俺は辺りの様子をうかがう。「――ってあれ?」  
 「どうしたの?」  
 「あそこの木の枝に布が巻きつけてある」と言って俺は落葉樹の枝を指さす。大人の目線の高さ程。風で揺れるそれは薄暗闇の中でもよく目立った。  
 「かっちゃん!」  
 「なに?」  
 「でかした!」  
 「なにが?」  
 「あたしたち登山道に戻ったわよ! ほら、あの布はペナントというやつよ。コースを見失わないようにするための目印ね」  
 「え……。ということは帰れる、俺達?」  
 「そうよ!」姉は言う。「ただし……」  
 「ただし?」  
 「今日はむりね。暗いから。登山より下山の方がずっと危険なの」  
 「じゃあやっぱり野宿ってこと?」  
 「温め合おうね!」  
 
 ――急に一陣の風がビュウっと吹いた。  
 「あっ」  
 それに連れられ姉の帽子が飛ばされる。帽子はまっすぐ上りの道へ飛んで行った。三メートルほど先の地面に落ちる。  
 俺はそれを拾おうとそっちに向かって歩く。すると遠くに道が円状に開けている広いスペースが見えた。左手側は一帯上りの斜面、右手側はオーバーハングの崖。その崖の下には森が小さく見える。  
 そしてこの開けたスペースに俺はそれを見つけた。――それとはもちろん帽子の事ではない。小屋だ。一見危なげな立地に見えるが、それでも残っているのだからまあ大丈夫なのだろう。  
 「姉ちゃんちょっと来て」  
 姉はやってきて、帽子の土を払いながら言う。「避難小屋! かっちゃんすごい!」  
 「風が教えてくれたのさ」  
 「かっちゃんは詩人ね。すてきよ。それじゃ行きましょ」  
 俺達はその粗末な小屋に向かった。切り妻屋根の小さな小屋だ。崖までは数メートル距離があるのでまだ足は震えないですんだ。  
 姉は先にズンズン歩いていく。  
 「ちょっと、置いてかないでって!」俺は歩を踏み出そうとする。しかし理由もないのに、どうにも嫌な気分だった。「――ひっ!」  
 その時、体のどこからか得体の知れない冷たさがあらわれて全身を波打った。  
 背後から風が吹く。小雨はウェアが弾いて、そんなに濡れてもいないのに体が自然と身震いした。  
 「なあに?」姉が振り向く。  
 風邪をひき始めたのかな。俺は自分の帽子の中を触って髪が雨で濡れていないのを確かめる。ちょっと汗で湿っているだけだ。そして疲れからくる気味の悪い予感を打ち消した。  
 「ううん、なんでもないんだ」  
 「ふーん、変なかっちゃん」  
 姉の所まで小走りで追いつく。小屋のドアの前には五段ほどの木の階段。踏むとギイイと傷んだ音がした。何も異常はない。目に見えるものは何も。それなのにどうしてだろう。その音が耳にこびりついた。  
 
 小屋の中には誰もいなかった。というのも真っ暗だったから。それもそうだ、ここは特別人気のある山でもないし、日帰りもできてしまうくらいなのだから。  
 それにここは崖に面していて少々危なっかしいので、元々人足が少ないルートなのかもしれない。  
 俺は上着のポケットから携帯電話を取り出した。内蔵カメラのライト機能で辺りを確認するためだ。携帯って実に便利。  
 外観通り、ここは非常用の小屋らしく内装もみすぼらしかった。全体で8畳程の広さ。  
 間取りはというと、まずドアを開けてすぐに、靴を置く土間。そこから先は土間より四〇センチ程高い板間が占める。  
 板間の真ん中に角テーブルがポツンとあって、入口の真向かいの壁にアルミサッシの窓がひとつ。窓からは数メートル先に崖と、崖の先に広がる山々とその稜線、さらに先には知らない街の光が小さく見えるだけだった。  
 一番印象に残ったのはきらきら光る星空。どうやら雨が止んだらしい。山の天気は変わりやすいというのは本当だ。秋の空はいいとして女心の方はどうなのだろう。  
 振り向くと姉はいなかった。  
 「ええっ!」  
 一体姉はどこへ? 俺は血相を変えて外に出る。きょろきょろ辺りを見渡す。気配はない。  
 「なみき姉!」俺は大声で叫んだ。返事はどこからもこない。  
 俺は真剣に不安を覚える。まさかさっきの悪い予感が!  
 その時、数メートル先の草むらが動いた。黒い影が飛び出る!  
 「どうしたの?」とその影は言った。なみき姉だ。  
 「どうしたのじゃないよ。声もかけずいなくなるから心配したんだよ!」  
 「怒ってる? でも女が急にいなくなる場合大抵あれなのよ、お手洗い」  
 「ううん、怒ってはないけど、頼むから一言言ってくれよ。こんな場所だしさ。着いていくなんて言わないから」俺が少し声を荒げてしまったのはさっきのことがあったからだ。妙な不安を払しょくできないでいたのだ。  
 「うん、ごめんね。さ、寒いし小屋に入りましょ」  
 俺達は小屋の中に入る。  
 「え?」  
 俺は目を見張った。部屋に灯りが点っていたのだ。  
 最初からそこにあったかのように、テーブルの上で白い蝋燭が弱弱しく燃えている。鈍く光るアルミ小皿の上にゆらゆらと蠢いて。  
 「あ、気が効くね。女の子にもてるにはこういうの大事」姉は言い終えてから気付く。「まさか好きな子ができたんじゃ……!」  
 俺は返事をしなかった。俺は、――俺は蝋燭なんか使ってない。持ってきてもいなかったのだ。  
 「どうしたの? 顔色悪いよ?」姉は蝋燭の灯りに照らされた俺の顔を覗き込む。  
 「なみき姉、俺蝋燭に火なんかつけてない」  
 「じゃあどうして?」  
 
 俺は蝋燭に恐る恐る近寄って調べてみようとした。ほとんど融けていない、ということは付けられてらまだそれほど経っていないということか。  
 しかし一体誰が? 誰かがこっそり侵入してこいつを置いて出ていったなんて考えづらい。  
 しばらく眺めていたが普通の蝋燭のように見えた。  
 なんなんだ? そもそも悪戯するような人間がいるとは考えられない。何かおかしい。  
 
 ――突然だった。ふっと、TVの電顕を切るみたいにすべてが真っ暗に変わった。  
 蝋燭の灯が消えたのだ。だが俺は触れてもいないし息を吹きかけてもいなかった。  
 「きやっ」  
 「なみき姉!」俺は手探りで姉のところまで行って手を握る。  
 「かっちゃん、今蝋燭の火消さなかったよね」  
 「うん、なんだかおかしいよ。実はここを見つけた時からずっと変な感じがしてたんだ。外に出よう!」  
 「ほんとに?」  
 「ああ、はやく!」  
 ドアを開くと、爆音がした。というくらいに雨が降りしきっていた。ザザザザザと強く地面を打ちつけ、夜闇と合わさって一寸先も見えないような状態だ。  
 俺達は呆気に取られ硬直していた。  
 背後の窓から光が溢れた。数秒後、ドゴオオオンと耳をつんざく様な音がした。小屋のすぐ近くに、大きな雷が落ちたのだ。物が燃えるのとは違うくさい臭いがした。  
 「外には出ない方がいいみたいね」姉が口を開いた。  
 俺は震えていた。俺達は今何か恐ろしい目に会っているということをそれで確信したのだ。  
 何もかもできすぎている。その上全部人間にコントロールできるレベルを超えている。そういえばこの小屋を見つけた時だって……。  
 「殺されるかもしれない」  
 「え?」姉は聞き返す。  
 「俺にもわけがわからないけど、俺達何か危ない目に合ってるよ!」  
 「そんな、確かに色々変だけど、偶然じゃない?」  
 「そうは思えない。さっきも言ったけど最初からずっと嫌な感じがしてたんだ」声が震えてしまう。「まるで何かに睨まれているような……」  
 「いつから?」  
 「この小屋を見つけた時からずっと。なあ俺達どうなるんだろ――!」  
 「かっちゃん、震えてるの?」突然姉は俺を抱きしめた。「お姉ちゃんがいるから大丈夫よ」  
 「ううっ……」俺は姉にしがみつく。臆面もなくそうしてしまった。  
 「ね、よしよし」  
 だんだんと恐怖が薄れて、今度は泣きそうになってしまう。姉は俺の頭をあやす様になでた。足先まで冷えた俺の体に、姉のあたたかな体温が心地いい。  
 姉の呼吸が首元にかかる。ちょっと変な気持ちになる。  
 
 姉は言った。  
 「暖炉もなくて寒いから、板間に座ってこうしてようよ」  
 「うん」  
 俺は板間にシートを引き、靴をぬいでそこに座った。姉はそんな俺にまたがるように、俺の膝にこっちを向いて座った。胸が押しつけられたので、俺もその中に顔を埋め込んですーすーと息を吸う。  
 「もう、汗かいてるんだからやめなさい。くすぐったいし」  
 「なみき姉、ありがと」  
 「ん?」  
 「なみき姉がいてくれることがとても嬉しい。今日も久々に会えて嬉しい」  
 「ふふ、急に甘えちゃって」  
 「それにぜんぜん怖くなくなった」俺ははにかむ。「パニックになっちゃって恥ずかしいよ」  
 「かっちゃんは昔っから怖がりだもんね。心霊番組見て、眠れなくなってあたしのベッドにもぐりこんだり」  
 「なみき姉は肝っ玉がでかすぎる」  
 「お姉ちゃんだもん」  
 「関係ないよそんなの」  
 「ほんとにね。そうだったら……」  
 俺達は黙り込む。呼吸の音と体温だけがお互いの存在を伝える。  
 俺はためらいながらも聞いた。  
 「なみき姉、俺なんかといたい?」  
 「どうしてよ」  
 「俺、なみき姉が俺のこと好いてくれるの嬉しいけど、でも、俺あんまり取り柄ないしさ。顔も頭も運動もいま一つで、女の子になんかもてたことがない。暗いし、まぬけだし、びびりだし」  
 俺は続ける。「でもなみき姉は優秀で顔も可愛いし、お、おっぱい大きいし、もてるんでしょ? 他にもっといい男いるんじゃないかなって」  
 「だからよ」  
 「なにが」  
 「こんな手のかかる弟放っておけないでしょ。おぼっちゃん」  
  姉は俺のほっぺをつつく。「だからそんな不安いらないのよ。あたしみたいな粗忽者に怒らないのかっちゃんだけだし、小さいころからずっと一緒にいてくれたし、とにかく、あたしだってかっちゃんが好きなんだから」  
 「へへ!」俺はぎゅうっと姉を抱きしめた。細いウエストだなあと思う。こんなに小さいのに俺にとって姉はこんなにも大きい。  
 俺は調子に乗って姉の胸を揉み始める。  
 「ばかっ」  
 俺は暗闇の中で姉の目をみつめる。小顔で目がぱっちりしてて、鼻も口も輪郭も髪もなにもかも可愛い。暗くてあまり見えないけど全部可愛い!  
 「する?」姉が照れた声で呟いた。  
 「いいの?」  
 「だって、お互い一か月もしてないから。特にかっちゃん男の子だし、溜まってるでしょ? それにあたしは明日には帰らなきゃいけないし」  
 「うん……」それを聞いて、姉とまた離れないといけないのを思い出す。胸が苦しくなる。  
 「なーに、落ち込んでんの。秘密のあいびきこそが恋愛の醍醐味でしょうが」姉はそう言うが、きっと同じくらい寂しいのだ。  
 俺はなみき姉に口づけした。繊細な唇を味わうように。姉も応じる。心が満たされていく。呼吸もしないで、俺達の唇は繋がったままずっと離れようとしなかった。  
 
 ぴちゃぴちゃ音がした。しかしそれはキスの音ではなかった。板間の壁からその虫が地を這うようなぞっとする音は聞こえてきたのだ。  
 俺達は驚いて口を離す。ごくりと唾を飲み込む。しばらく何も見えない真っ暗な空間を見つめる。見たいのではなく見たくないからだ。  
 そこに何があるか知るのが恐ろしかった。そこに待ち受けるのが何であれ、俺達に害をなすものだという確信があった。  
 だがいつまでも目をそらすわけにはいかない。俺はポケットから携帯電話を取り出して、壁を照らした。  
 壁には赤い血でかかれたような文字が一面に書かれていた。ぬらぬらと光が反射しておどろおどろしい。その文面はこうだ。  
 {血を同じくする愛は砕け散る 谷の奥に儚く消え血にまみれる すべてはそう決まった}  
 俺達は戦慄した。思わず抱き合う力が強まる。いったい誰がこれを。それにこの内容は。  
 それが暗示するものはもちろん俺と姉の関係だろう。  
 小さい蛾がひらひらとんでいた。よく見ると二匹いる。  
 俺は灯りを絶やさないよう携帯をいじり続けた。  
 「かっちゃん……」  
 「大丈夫だよ。俺がなみき姉を守る!」  
 
 ――俺達はいつの頃からかお互いを意識し合っていた。  
 寂しかったのだと思う。両親はたいして仲が良さそうではなかったし、それだからあまり家にいなかった。  
 俺達は足りない愛情を埋め合うようにお互いをお父さんとお母さんだと言っていつも一緒に遊んでいた。  
 もたれかかるように、絡み合うように、お互いにひどく依存して育っていった。  
 だからこうなるのは自然なことだったのだと思う。  
 俺達はある日セックスをした。  
 いけないことだって知識はあったけど、じゃあ他になにがあったのだろうか。  
 きっと俺たちの関係がばれたのだろう。俺と姉は三年前県外に引き離された。お盆や正月。季節の長期休暇で姉はこっちに帰省してくるけど、俺たちはずっと一緒にいなければだめなのだと思う。  
 だからこうして俺達は時々秘密で逢引しているのだ。親には嘘をついて。  
 でも足りない。足りなかった。だから俺は決めていた。  
 
 「かっちゃん、違うでしょ。あたしがかっちゃんを守るの」姉は言った。  
 「へ?」  
 「かっちゃんよりあたしの方が体力あるし強いし。あんな血文字なんて怖くないわ」  
 「な、何言ってんだよ。俺だって怖くないさ」というものの本当は心臓が痛くなるほど恐ろしかった。「俺は男だもん」  
 「へー」姉は笑う。  
 「なんだよ」  
 「ううん。でもあたしお姉さんだし」  
 「でも俺が守るの!」  
 
 今度は暗闇のどこかから急に泣き声が聞こえはじめた。小屋のどこかから、この世のものとは思えない細く全身にしみこむような声で。恐ろしかった。けど――  
 「かっちゃん、エッチしよう」姉は出し抜けにそう提案したのだ。  
 「なにいってんの?」俺は聞き返す。  
 「こういうときはエッチするのよ」  
 「だって今心霊現象に出くわしてんだぜ。どんな目に会うか」  
 「誰かに見られてると思ったら興奮するでしょ。それに死ぬ時はかっちゃんと一緒がいいの」  
 そう言うと姉は俺を押し倒した。俺のズボンを膝まで下ろし、股間をまさぐる。  
 「ちょ、ちょっと!」  
 「かっちゃんはドMだもんね」姉は俺のパンツをもおろし、尻の穴に指を突っ込む。いつのまにかローションを指にすくっており、ぬぷぬぷと俺の前立腺は狙われていく。  
 「あっ、だめだよ」  
 「なにがだめなの?」姉はペニスバンドを腰に装着し、俺の脚をM字に広げさせる。「観念しなさい」  
 「うっ」  
 固いペニス型のものが菊門にずぶずぶ埋まっていく。十分開発されているせいですんなり入ってしまう。姉が腰を前後させるたび前立腺がペニバンの亀頭のそり返しに引っかかって快楽がこみ上げる。俺の陰茎もどんどん膨らんでもう完全に勃起してしまった。  
 「かっちゃん、かわいいよ。感じてるのね」姉は俺の肉幹を細い指で包んで扱きあげる。腰ごと持ち上げられ、姉に好き勝手犯される。倒錯的な感情がこみあげて俺は女のような声を出してあえぐ。これが俺達のセックスだった。  
 「あっ、あっ!」ひっきりなしに甲高い声が漏れてしまう。姉に突き入れられ始めるともうだめだった。抵抗できない。  
 ピストン運動は激しさを増していく。  
 「かっちゃん、イキそうなんでしょ」姉は俺をなじるような声色で訊ねてくる。  
 「なみき姉、だめぇ、イッちゃうよお!」  
 「変態かっちゃん、イッちゃいなさい!」姉は腰のグラインドと同時に俺の一物を激しくしごく。  
 「ああっ! イッちゃいますうううううううう!」  
 全身が脈打った。前立腺をほじられながらなため鋭い快感が思考をめちゃくちゃにする。長い長い射精が続く。ビクンビクン。  
 姉はゆっくりとペニバンを俺の尻から引き抜く。俺は力なく倒れる。  
 
 「いいこね、よしよし」姉はいつのまにか敷いた二人用シュラフに俺を招き入れて抱き寄せた。  
 「はぁ、はぁ」俺は息を荒くしたまま姉のおっぱいに組みつく。あれ、なんか突起がある。俺はそれを口に入れる。  
 「あんっ」姉が甘ったるい声を上げた。  
 俺は無我夢中でそのとんがったもの、すなわち乳首を吸いまくる。じゅるじゅるじゅる。ぷくぷく膨らんできた。  
 「甘えんぼさんね」姉は俺の頭をさらさらなでる。  
 俺も乳首の根元をほじくるようにフェラしてやる。姉の吐息が熱くなっていく。可愛いあえぎが断続的に続く。  
 俺は姉にのしかかって、体中をなめまわした。汗の塩気とボディソープかなにかの甘い香りが混じり合ってとても官能的だ。  
 「なみき姉にも挿れないと平等じゃないよね」俺は姉のジャージの下、下着の下に手を入れていく。当たり前のように大洪水だった。クリトリスが存在感を示すようにびんびんになっている。「なみき姉も勃起してるんだね」  
 「ばかぁ……」  
 俺は姉のジャージと下着をずりおろす。こんなこともあろうかと準備していたゴムを愚息に装着して、お互い準備万端。鈴口を姉の蜜穴にあてがう。  
 「ゴムもつけたし、入れるね」  
 姉がこくんと頷くのが見えた。俺は腰を前進させ蜜壺のなかに肉棒を突きいれた。  
 「ああん!」  
 「すっごい熱いね。それにめちゃくちゃ濡れてるよ、なみき姉の膣内」  
 パコパコと俺は可愛い可愛いなみき姉を犯す。両手を胸の前に持ってきて快楽に耐えている。なんて愛らしいんだ。一突きするたび豊満な胸がゆっさゆっさと揺れる。  
 「あっ、あっ、あっ!」姉は姉としての威厳を保とうと声をださまいとするが、声は漏れっぱなし。膣肉もぐいぐい俺のペニスを締め付けてくるしで完全に女になりきっていた。  
 「なみき姉、おまんこ気持ちいいの?」  
 「ちょっとだけぇ。んっ!」  
 俺は正直に言わない姉に、もっと強く腰を振ってやる。姉は早いペースであえぎ声を洩らす。  
 体を倒して、唇に俺の唇を押しつける。唇をこじあけて舌を突っ込む。  
 上では舌をからます水音、下では愛液があふれ出る水音。部屋には俺達の情事の音が響き渡っていた。  
 「かっちゃん好きぃ!」なみき姉はすらりとした脚で俺の腰をぐいと抱き寄せる。おねだりポーズだ。俺は勝ったなと思った。  
 「俺もなみき姉が大好きだよ」  
 「あたしはっ、んっ、大大好きっ!」  
 「藍してるっ!」  
 「超愛してるっ!」  
 きつい締め付けでどんどん射精感がこみ上げてくる。  
 「でそう!」  
 「いいよ、全部出してぇ! あたしの膣内で!」  
 キスしながら腰を一心不乱で振りまくる。そしてついに――  
 「うっ!」  
 「あたしもイくっ! んんんっ!」  
 びゅるんびゅるんと射精が始まった。姉も膣内をビクンビクンと波打たせる。俺の肉棒をしごきあげて全てを絞り出すように。姉の中で射精できるなんて俺はなんて幸せなんだろう。  
 そのまましばらく余韻を味わう。固く抱きしめあったままキスを交わす。ねっとりと甘いのを。その音だけが静かな山の中で浮いて聞こえた。  
 そういえば雨の音が聞こえない。怪奇現象も。全て終わっていた。愛の勝利と言うことか。  
 俺達は衣服を着て、ティッシュなどを片付けてそのまままどろんでいった。仲よく顔を寄せ合って、昔みたいに。  
 
 翌朝、ちゅんちゅんという鳥の声で目を覚ました。寒い。なんでこんなに寒いんだ?  
 目を開けると、その理由が明らかになった。屋根がない。壁も。床も。山小屋が跡形もなく消え去っているのだ。  
 シュラフにくるまれた二人だけが寒い朝の山に寝転がっていたのだ。  
 俺は姉を起こす。むにゃむにゃ言ってる可愛い寝顔を見続けていたかったけど、この件は俺の胸にしまっておけるレベルを超えていた。だってこんなわかりやすい怪奇現象あるか?  
 「どうしたのよ、かっちゃん。モーニングコーヒー飲む?」  
 「ないよ、そんなもん。それどころか小屋もないんだぜ!」  
 「え!」姉はきょろきょろ辺りを見やる。「なんだ夢か」  
 「違うよ!」  
 「今何時?」  
 俺は腕時計を確かめる。  
 「七時半」  
 「そっかぁ、じゃあそろそろ下山しよっか。おなかも空いたし」  
 「え、なに普通に帰ろうとしてるの」  
 「だって起こってるものは仕方ないでしょ。現実を見なさい、かっちゃん」  
 なんで俺は叱られたのだろう。俺達は下山し始めた。やはり隠れルートだったらしく、いったん狭いガレ場(岩石地帯)を下りて、それから太い主登山道に合流した。  
 ふもとにつくと一〇時頃だった。  
 ふう、妙な目にあったものだ。地元の人をつかまえてちょっと怪奇現象にあったという旨を話してみた。すると興味深い話が聞けた。  
 なんでも明治ごろ、このあたりの地主の家に愛し合う姉弟がいたんだそうな、しかしその愛は実らず絶望した二人は幼いころから親しんだこの山で身を投げた。  
 だから今でもこの季節――秋が来ればたまに妙な目にあう登山者が現れるらしい。  
 つまりはあの血文字の文面は俺たちのことではなかった。そういうことだ。釈然としないけど、こういうこともあるんだろう。姉に、そう思っておきなさいと教えられた。  
 俺達はそのまま駅に向かった。駅の構内のレストランで朝食兼昼食を取る。それからホームへ出て電車を待つ。  
 電車に乗り込むと中はガラガラだった。だって今日は平日だもんね。  
 乗り換えるため、一度電車から降りる。ここで俺達はお別れだ。俺はこのまま家へ、姉は県外への電車に乗り換えるため。  
 会話がほとんどなかった。お互い別れの辛さで何も言えなかった。  
 再び電車を待つホームにて、ぼやっとレールやら辺りの風景を眺める。ああ嫌だなあ。  
 「かっちゃん、また来週会おうね」姉が笑いかけてきた。  
 「うん!」俺もむりやり笑顔を作って笑い返した。来週まで、来週までの辛抱だ。そう考えたら頑張れる。「あのさ」と俺はずっと言おうとしていたことを切り出す。  
 「なあに?」  
 「俺さ」言いよどむ。「俺さ、大学進学やめようと思うんだ」  
 「え、またどうして?」  
 「俺さ、就職して家を出たい。それからなみき姉と一緒に暮らしたい」  
 「うん」  
 「馬鹿なことだと思う?」  
 「ううん」姉は目がしらに涙を浮かべていた。「かっちゃんがそこまで考えていてくれてうれしい」  
 「うん」  
 「もう電車が来ちゃうから、あとでスカイプで話そうね」  
 「わかった」  
 俺達は立ちあがる。  
 「かっちゃんと姉弟でよかった。姉弟だから一緒にいられないけど、一緒にいられるの」  
 「俺もだよ」  
 恥ずかしげもなく俺達はキスをした。  
 やがて電車がやってくる。姉は手を振って乗り込んでいく。電車が発車する。姉の姿が遠くなるまで見送る。何度立っても見送りには慣れない。  
 「俺は子供だなあ」と自嘲しながら、涙をハンカチで拭きながら自宅へ帰った。姉のいない右側がさみしかった。  
 
 ――秋が来れば姉は俺に繰り返す。このときの俺の決死のプロポーズを。この季節になるたびに姉は俺にそう言って喜ぶのだ。そして二人でいられる幸せを噛みしめる。  
 「かっちゃん、またあの山に登山しない?」  
 「いやだよ!」  
 
 

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