『Muffled snow, Merry sky』
サンタクロースがいないと知った。
中学一年の冬。
十二月のお小遣いで少し背伸びをした。
外を見ると昨日からの雪が降っていた。
「あげる」
「いらねえ」
差し出した文庫本を兄が突っ返す。
ついでに借りていたらしいゲームソフトをなぜか上乗せしてきた。
さらに漫画を数冊、明らかに兄さんのものでないのを乗せた。
「………」
「俺が本読むわけねえじゃん?だから読むやつにあげてこい。
ついでに兄の代理でこれを返してくるんだな、あっはっは」
「自分で返してよ」
幼なじみの男の子の、持ち物だと分かったので顔をしかめた。
兄さんの友だちなのになんで私が行かなくちゃいけないんだろう。
あんまりに理不尽なので久し振りに怒って、むっと押し返す。
「行って来い」
「やだ」
「ほら、おまえが行くとあいつも喜ぶし」
「嘘つかないでよ」
もっと強い力で押し返そうとしたら兄さんはひょいと避けた。
転んだ私に大笑いして、兄さんは遊びに行ってしまった。
**
私は腹を立てていた。
「行ってきます」
投げやりにそう言って、押し付けられた紙袋を持った。
手芸部で編み終えたばかりの臙脂色のマフラーをダッフルコートの上から巻いた。
兄さんはいつも自分勝手だ。
きっと昨日、遊びに来ていた彼と喧嘩したせいで、顔をあわせづらくて私に押し付けたのだ。
その喧嘩は何ヶ月も兄さんが借りた漫画を返さないのが原因だったはずだし。
「もう」
それを何で私が。
溜息をついた。
雪が頬をかすめて染めて、ゆっくりとふかふかと、積もっていく。
マンションの下の小さな広場には、白い毛布が出来ていた。
分厚い灰色の雲は千切れていて冬の青空がかすかに見えた。
あの空にサンタクロースはいない。
紙袋の上にちょこんと乗せた、もう読みたくもない文庫本を、見下ろして立ち止まる。
読まなきゃよかった。
大人の小説なんて、背伸びするには早かったのだ。
ちょっと洒落ている主人公夫婦が一人娘にプレゼントを用意し、
『彼女の夢を壊さないよう、こうやってぼくらはイヴだけサンタに変身するのだ』
とかなんとか言って、娘の寝姿を観察するわけだ。
一人娘の夢は守られたのかもしれないけれど、このシーンに私の夢はあえなく消えうせた。
ああ、ショックだ。
私だってもう中学生だし、完全に信じていたわけじゃないけど、こんなのひどい。
徹夜して見張っていて証拠を掴むとか、そういうかたちで知りたかった。
黒いタイツにまとわりついた雪を足を降って飛ばそうとしたけれど、繊維に溶けて冷たく沁みて消えた。
ズボンにすればよかった。
耳当てと手袋がなくて寒い。
うっすら白いコンクリートにスパイクシューズのかかとをつけて擦ってみる。
道路の向こうで私のじゃない笑い声がした。
「何やってんの」
「あ」
届けに行こうと思っていた相手が、坂道に繋がる駐車場のほうから歩いてくるところだった。
紺色の傘を片手に、ケーキ屋さんの袋をポケットに突っ込んだ肘にぶらさげて。
今日は24日だ。
彼のうちはお母さんがいないので、お父さんが仕事から帰ってきたら二人で食べるのかもしれない。
道路を渡り、自分の(というか兄さんの)よれよれの紙袋を差し出して、ひょろりと高い男の子に事情を話す。
一応中学では「先輩」になるのに、幼稚園の頃から知っているせいか
しょっちゅう兄さんとうちでゲームをしているのを見ているせいか、
どうも「先輩」とは呼べず敬語も使えず、昔のままの話し方になってしまう。
言葉の途中で傘を差しかけられて、雪が髪にかからなくなった。
前髪の雪を自然な仕草で払われて、見上げると、手袋がすぐに引っ込んだ。
少し沈黙した後に、見慣れた顔が高い位置でふと笑う。
この人はこのところ妙に優しい顔をする。
私なんて兄のおまけだというのに、本当の妹みたいに面倒を見てくれるし。
…微妙だ。
何を考えているのか分からなくて少し困る。
「漫画と、ゲームと…この本は、貸してくれるわけ?」
「あげる」
「え?いいの」
「うん」
ケーキの袋を傘を差してもらう代わりに私が持って、一緒の傘の下でうちに戻る。
彼のお父さんは忙しくて、夜遅くまで帰ってこれないそうだ。
時々こうしてこの人は、うちにごはんを食べに来る。
ケーキはうちへの手土産だったらしい。
そういえば、そう、クリスマスイブなのだ。
新しいマフラーに白い息がかかった。
「どうしたの。元気ないね。サンタが逃げるよ」
「いないもの。サンタクロースなんて」
呟いて、雪を袖から赤い指先で払う。
ちらりと視線を横にやると、幼なじみが足を止めて靴紐を結んだ。
その間持たされていた傘の色の男の子な雰囲気に、なんだか成長していくなあと思う。
**
「…で、つまりおまえは、それで落ち込んでるわけだ。サンタクロースは実はいない、と」
事情を追求されて、しかたなく雪の降る広場で立ち話をした。
彼はとっくにいないと知っているみたいだった。
中学生にもなって信じている方がおかしいのかもしれない。
「ねえ、どうして、いないって知ったの」
「うちの父はそういうの、すぐに教えちゃうんだよね…っていうよりプレゼントの用意が面倒くさいんだろうな。
ツリーも面倒くさがって飾りたがらないし、お祝いも誕生日十二月だからまとめてやるし」
苦笑して、十二月生まれの幼なじみが肩を竦めた。
確かに十二月の人は結構そうみたいだ。
そういえば誕生日プレゼントを、私は何もあげていない。
ちらちらとまばらに降る雪の冷たさに、目が眩んだ。
晴れ間が大きくなっている。
午後には雲も消え、太陽が白く反射するんだろう。
マンション下の花壇の脇で雪を拾って、指の隙間からこぼした。
「あのね、私」
「うん?」
「なんていえばいいんだろう。いないことより、それをこんな風に知っちゃったのが、ショックだったんだ。
…初めて自分のお小遣いで買った本だったのに」
雪を蹴って、立ち止まったまま、白い息を混じらせる。
「なんか背伸びして失敗したみたい。文庫本って大人っぽいから、読んでみたかっただけだったの」
「そうか」
「うん」
少しの沈黙。
そうして風が吹き、雪がさらさらと手から吹き散れた。
穏やかに隣で声が響いて、顔を上げる。
「でも、サンタさ。ぼくは嘘だって知ったとき、面白かったな」
「面白い?」
隣の彼が頷いて、私の真似みたいに雪を手袋の中に拾った。
そうして雪だまを作って、弄んで崩した。
穏やかで兄さんとは全然似ない性格の、中学二年生の少し大人びている幼なじみの男の子の、横顔が目の奥に溶けて流れた。
「そう。面白い。やっぱり嘘だと知ると、どこか寂しいけどね。
でもその嘘を、世界中で、大掛かりに大人たちが貫き通してるんだって思ったら、
しかも楽しい気分を盛り上げるための嘘なんだって知ったら、やっぱりすごいと思った。
しかも一旦見破ったら今度は騙す側だ。楽しい嘘を堂々とつける」
笑みが和らいだ顔が向けられて、瞬きする。
「それで、大人も面白いことやってるなと思った」
「…すごい」
私は彼に釣られたのだろうか、不思議と嬉しくなって笑った。
幼なじみが少し黙って、それからうん、と変な頷き方をして、雪だまを足元に放り投げた。
足元の雪が柔らかい。
もう雪はやんでいて、幼なじみは歩きながら傘を閉じた。
雲が千切れ出して、太陽が見えている。
冬空が澄んでいて青い。
嬉しい空の明るさと今までの言葉で、クリスマス、という気分がやっとこわいてきた。
マフラーを首からほどいて、白いものを払う。
冬休み前に完成したばかりで、今日始めて使ったのだし編目は部長に誉められたし、男の子に悪い色でもないだろう。
臙脂色のマフラーを手首でくるくると巻いてから、幼なじみに差し出す。
「これ」
「ん?」
「あげる。クリスマスプレゼント」
風が吹いて、雪が足元で舞った。
太陽が肌寒い空気をあたためて、マフラーの端をそよがせる。
「「メリークリスマス」」
どちらともなく呟いて、私達は、顔を見合わせた。
そしてなんとなく、ケーキとマフラーを互いの片手に持ちながら、冬の風に微笑った。
終