それから私達は、どちらからともなく抱き合った。  
ぴったりと躰を重ね合わせ、守の体温を全身に感じ取る。幸せだった。この一年間の懊悩が、嘘みたいだと思った。  
守は私の痣を気にせず、私にここまでのことをしてくれたんだ。  
だからこそ、私もまた、痣のことなんて忘れて全てを曝け出し、守に身を委ねることができた。  
もう、私達の間には何の障害もなかった。後はもう、流れのままに――。  
 
「郁子……いい?」  
上から私を抱き締めている守が、私の耳元に囁きかけた。  
私は、守の肩にぎゅっとしがみついて、頷いた。  
守は私を片腕に抱いたまま、傍らで花に埋もれた自分のジーンズを引き寄せた。  
躰を起こし、ポケットの中から何かを取り出そうとごそごそやっている。  
何かと思えば、ポケットから出てきたのは、透明の包みに入った変な円形のゴム輪だった。  
多分、コンドームだと思う。  
 
――いよいよなんだ……。  
包みからコンドームを取り出して自分のものに取りつけようとしている守の姿を見ていると、まるで注射を待っているような緊張感に躰が強張った。  
(段取り悪くて、萎えちゃったのかな?)  
コンドームの装着を終えた守は、見当違いな心配を胸に私の顔を覗き込んだ。  
こんな時、どう振舞えばいいのか、私には判らない。私は両手で顔を覆った。  
 
「どうしたの?」  
守が私を気遣っている。私は黙って首を振り、膝を立てて足を少し広げた。守を拒んでいる訳じゃないって、知らせてあげるために。  
(郁子……緊張してるんだな)  
守の心に、そんな言葉がぽっかりと浮かんだ。  
「郁子……」  
守は花の上に腕をつき、私の開いた脚の間に割り込んだ。やっぱりちょっと、怖い。  
 
「そおっと、ね?」  
私は顔を覆った手をずらし、ちらっと守を見あげてお願いした。私が初めてであることなんて、とっくにばれちゃってるだろうから、今さら格好つけたってしょうがない。  
「……大丈夫だよ」  
守はあくまでも優しい。私は少しだけほっとする。でもやっぱり、怖いことには変わりない。  
守の躰が密着し、私の入口にみっしりしたものが宛がわれるのを感じると、その恐怖は、より確かなものとなって私をおびやかした。  
「あ……」  
声が漏れ、入口の粘膜が、微かに震える。  
(焦るな)(少しずつ少しずつ)  
自分自身に言い含めている、守の心の声。守の太くて重たいものが、私の中にゆっくりと埋没してゆく――。  
ある程度まで進んだ処で、守は深く息を吐き、私のもっと奥深い場所にまで、彼自身を突き挿れようと力を入れた。  
えっ? ちょっと、こ、これ以上は……。  
 
「うぅ……ちょっ、ちょっときつい……かも」  
呻くようにそう言うと、守は動きを止めた。あそこをどくんどくんと脈打たせ、息を弾ませながらも、私を気遣ってくれていた。  
「ご、ごめん……」  
「んーん、大、丈……夫」  
私は顔を覆っていた手を外した。そのまま両手を守の腕に添えて、眼を閉じた。  
「大丈夫、だから……ね?」  
私はもう、覚悟を決めていた。どんなに痛くされたって……この先、どんなことが待ち受けていたって、私は耐えて見せるんだ。  
守を……受け入れて見せるんだ。  
 
「判った。じゃあ……いくぞ」  
守は震える声で言い、腰を据え直した。  
丸く、さっきよりもいっそう膨れあがった感じがするもので、私の入口をめいっぱいに広げ、ぴっちりと嵌め込んでから、私の腰を両腕に抱いた。  
私は、守の背中に腕を廻した。  
触れ合った肌が、吐息が熱い。私は眼を閉じ、守を抱き締める腕に力を篭めた。  
守の躰が重くなり、股の間に、引き裂かれるような痛みが迫った。  
「うっ……くうぅっ……!」  
食い縛る歯が、ぎりりと音を立てる。痛い、痛い、痛い!  
焼け棒杭を捻じ込まれたように膣口は熱く、鋭い痛みにも全く容赦がない。  
それでも私は、この痛みに耐えなくてはならない。守を――光を受け入れて、一つになるために。  
光の世界で、守と一緒に生きて行くために――。  
 
やがて激しい痛みの中で、私の躰の深い部分が、重たい衝撃に貫かれた。  
私は声をあげた。守もまた、私と同時に声をあげていた。  
守の声は多分、私の処女を手に入れたことへの歓喜、そして、性の快感から生じた声だと思う。  
私の方には、性の快感はほとんどない。残念なことだけど、感じているのは痛みばかりだった。  
実際、きちんと這入っているのかどうかさえ、定かではない。  
不安なので、私は訊ねてみることにした。  
「はぁ、はぁ……は、入った、の?」  
息が弾んで、声が上ずる。守は私の首筋に顔を埋めたまま、自らの快感にじっと浸っているようだったけど、やがて首筋に向かい、かすれた声で答えてくれた。  
「……入った」  
 
守が暫くじっとしていてくれたので、私は、守が「入った」というその場所に、意識を集中してみることにした。  
二人共に静止しているせいか、今はそれほど激しい痛みはない。  
けれども、どくどくと脈打ちながら私の膣を広げっぱなしにさせている守のものがもたらす違和感には、どうにも慣れることが難しかった。  
引き攣れて、はばったい。オナニーする時に想像していたのとは、大違い。  
でも不思議なことに、それでこの行為が嫌になったり、幻滅するなんていうことには、繋がらなかった。  
だって、この感覚こそが、私と守の結ばれた証なんだ。  
守と躰を繋ぎ合わせる幸せ。私を満たすこの幸せがあるからこそ、つらい仕打ちにも耐えられる。  
躰の痛みにも、重さにも。だってこれは、全て守がくれたものだから。  
 
例えようのない愛しさが、私の胸に満ちた。私は守の背を撫ぜた。  
「守……」  
「郁子……」  
守の顔が、間近に私を見ていた。吐息が触れ合うほど近く。私の瞼が重たくなる。私達は、そのままキスをした。  
 
「郁子……痛い?」  
私の胎内の守は、欲望をみなぎらせて激しく淫らに脈動しているというのに、守の理性はあくまで紳士的に、私を気遣う態度を崩さない。  
もちろんそれは嬉しいし、今の私にはありがたいことでもあったけれど、ちょっとばかし憎らしい気がしないでもなかった。  
随分、余裕あるんだなあ、って。  
「うん平気……ちょっとだけ、きついけど」  
私も、初めてなりに余裕ぶって、そんなことを言ってみた。  
そしたら急に、守に初めてをあげたんだって実感が強く湧いてきて――感極まって、泣いてしまった。  
 
「そ、そんなに痛い?!」  
私の涙を見た守がびっくりして、焦っていた。中断した方がいいのかな、なんてことまで考えている。  
中断されるのは嫌だったので、私は左右に首を振り、守にしっかとしがみついた。  
「違うの」  
守の胸元に頬をすり寄せ、私は呟いた。  
「違うの……私……わたし……」  
後は言葉にならず、ただただ涙に暮れた。  
この一年間の様々な想い、そして、さらにはもっと昔に至る、嫌だったことやつらかったこと、寂しかった記憶なんかが蘇っては、流れて行った。  
これは、全てを洗い流す涙だった。虚しい過去を消し去り、新しい私に生まれ変わるための……。  
 
私の涙で胸を濡らされる守にも、何かが伝わったみたいで、彼は突然、私を強く抱き締めた。  
私は、泣きながら守に訊いた。  
「守……私、私達、本当に……これ、夢じゃないんだよね?」  
「ああ……本当だよ。おれ達は、本当に……」  
答える守の声も、少し潤んで揺れていた。  
守は私の髪の毛に口づけ――それから、ゆっくりと躰を揺すり、私の中の彼自身を、動かし始めた。  
「あぁ……うあぁ……」  
私は躰を硬くしながらも、守の動きを受け入れるべく、下半身に力を入れた。  
守は気持ち良さそうに呻き、腰の動きも大きく、激しいものになっていった。  
 
「はっ、はっ、はあっ、いっ、郁子っ……郁子おっ!」  
「あっ、ああっ、まも……くあっ、や、ああ……あああっ」  
全身を揺さ振られる度に、私の喉からは動物的な呻き声が漏れ出た。  
引き裂かれた入口を扱かれる鈍痛と、狭い胎内を太いおちんちんで掻き分けられ、中の粘膜を抉られる、物凄い感覚。  
そこにはかつて、守の夢の中で、“意思”を通じて行った淫戯で知ったような、蕩ける快感はなかった。  
でもその代わり、圧倒的なまでの迫力と、現実的な感動があった。  
それは、生身の肉体でのみ実現できる、本物の手応えだった。  
それは何よりも確かなものだった。  
私と守が、他の何ものでもない、ただの男と女、人間の、牡と牝のひとつがいとして……本来するべきことを行っている。  
それは、私と守の絆の強さに対する、大きな自信となり得た。  
 
私の胎内を抉り続ける守は、全身を汗だくに、花の照り返しばかりではない、赤く染まった躰から凄まじい熱気を発しながら、  
腰から下を滑稽なまでに素早く振り立てて、私の膣壁に勃起したものを擦りつけることに夢中だった。  
(もう少し、セーブしないと)  
意識の中には、思い出したように私への気遣いの言葉が浮かぶけど、彼自身の情熱と、性器に起こる快感が、そんな自制心を取り払ってしまうようだった。  
 
――守……そんなに私が……いいんだ……。  
なんて、自惚れた思考が私の心に浮かぶ。  
でもきっと、私はそれほど間違ってもいないはず。  
守が、私の中で気持ちよくなって我を忘れてしまっているのは、疑いようもない事実なんだから。  
そっと眼を開けて、守の様子を伺ってみた。  
半眼になった守の瞳は、快楽に澱んで何も見てはいないように見えた。  
半開きの唇からは熱い吐息と、唸るような微かな声を漏れ出させ、  
時おり、私の中の小さな痙攣や、大きく出し挿れするさなかに、膣壁のざらっとした部分に敏感な部分を甘く擦られ、  
堪らない心地好さから苦しげに歪んでしまう表情が、ぞくぞくするほど可愛くて、私の躰を、姦されている膣の中を、熱くさせた。  
「ああ……あっ、ああ……守……守うっ!」  
 
躰の芯がぼおっと熱を帯びる感覚に、私も堪らなくなり、もう眼を開けてもいられなくなった。  
胸が苦しくて、どうにもならなくなった私は、守の頭を抱え込んで、胸にぎゅっと抱き締めた。  
守の頭から立ち昇る熱気――彼の匂い、そして、乳房を鼻先や唇にくすぐられる感触――。  
守との触れ合いにむせ返る私の内部で、変化が起こりつつあった。  
守に突き捲くられて、鈍痛を通り越し、ふやけきって麻痺したように感覚を失いつつあった膣の奥底で、むらむらもやもやとした気配が生じ始めていた。  
捉えどころのないそれは、守の腰が私の恥骨に打ち当たり、裂け目の頂点にあるクリトリスを刺激する度に、確実なものとなっていった。  
それは、性の快感だった。  
守のおちんちんで胎内を抉られることが、ついに、私の躰に快感を引き起こすようになったのだ。  
嬉しく思う反面、混乱もした。  
本当にこれが、セックスの悦びなの? きっとそうに違いないけど……でもこんな、私、これが初めてなのに……。  
 
「守ぅ……ああん、あぁ……なんか、変だよぉ……」  
私はそうとしか言えなかった。初めてなのに感じてる、なんてことが守にばれたら、何て思われるか……。  
それに、私はもう、自分の受けている感覚を冷静に説明できる状態にはなかった。だってもう、本当に、気持ちが良くて……。  
私の中、守の熱い肉で、ぐちゅぐちゅされて……扱かれて……。  
ああっ、凄い、当たってる。奥の、気持ちのいい場所に、私の、ああ、そこ、凄い、駄目、駄目……っ!  
「あー、郁子……もうだめだ……あー、もう、やばい……」  
私の奥から、鈍い快楽の塊が押し寄せて、守のものをきつく食い締めながら痙攣を起こし始めた刹那、私の胸に顔を押しつけていた守が、ぶるぶると肩を震わせた。  
大きな快楽の予兆に固まっていた私の膣の中、ひときわ大きく膨らんだ守のものが、  
断末魔のあがきのような彼自身の凄まじい腰使いによって、私の中を縦横無尽に暴れ廻り、  
膣の内部からぐぼぐぼと体液を掻き出して溢れさせ、熱く熟しきった私の胎内に、鋭い一撃を与えた。  
 
「うぅ……郁、子……っ」  
 
守の呻き声。私の中の硬いもの、びくっ、びくっ、とのたくって……  
膣の奥、先っぽの大きい丸い部分が、ふわっと膨らんで……  
何か温かいものが溢れて、私の深い部分に打ち当たる。断続的に。それが、止め処もなく続いた。  
「はあっ……」  
守が、私の腰にしがみついて胸の中で呻くのと同時に、私の中に起こった不可解な感覚が、私に大きなため息をつかせていた。  
 
不可解な感覚――それは、本来私に判るはずもない、守の絶頂の感覚だった。  
おちんちんの根っこの深い部分から、鋭い快感と共に欲望のたぎりが押し出され、  
尿道を通って、温かい肉襞のうねりの中に吸い込まれてゆく……  
ふにゃふにゃと柔らかく根元に絡む陰唇や、周辺を覆った柔毛の濡れた感触や、膣の粘膜の、ぬめりながら、ぶつぶつと隆起した複雑な感触まで……  
私の中で、精液の限りを出し尽くす守の、背筋が痺れて全身の力が抜けてしまうような陶酔が、  
まるで、自分自身で感じているもののように、明確に捉えられていた。  
きっと、私のちからの為したことだった。  
守と肉で交わった私の意識が、守の快感に、独りでに感応してしまったんだ。  
守と同じ感覚を共有したくて――守と、一つになりたくて。  
 
――ああ……守が、守がこんなに……。  
守の快感を知ると同時に、私自身の快感も膨れあがった。  
守に、引きずられるかのように。  
意識が白い閃光に焼かれ、何も見えず、何も聞こえなくなった。  
感じられるのは、私自身の快楽のみ。  
それは、一定のリズムを取って私の全身を痙攣させ、大きく、狂おしく収縮させた。  
 
「あぁ、はあぁぁ……あぁあ……あぁ、ああぁ……」  
 
波打つような、何かの鳴き声みたいな声が、どこかで響いていた。  
サイレンの響きにも似たそれは、私の絶頂の叫びだった。  
切ない叫び――それを発する私の躰は、膣の深い場所を穿つ守の躰をしっかり抱き留め、  
足先をぴんと伸ばして、全身を覆う快楽の大波に浸りきっていた。  
ああ……こんなに凄いこと……凄い悦びが、この世の中にあるなんて……。  
永く引き続く恍惚境の中で、私は上に乗っかった守ごと大きく躰を揺さぶって、躰の深い場所から押し寄せる甘美な快楽の波に耐え続けた。  
それは、本当にきりもなく、いつまでもいつまでも続いた。  
 
やがて、精も根も尽き果てて、このまま私は死んでしまうのじゃないか、と危ぶみ始めた頃、  
ようやっと快楽の波は弱まり始め、私は絶頂の痙攣地獄から、ゆるゆると開放されることになった。  
「あぁ……あぁ……あぁ……」  
汗にまみれた手足を花の中に投げ出し、私は喘ぎ混じりの荒い呼吸を繰り返した。  
私の胸の中、同じように荒い息遣いをしている守のその吐息が、私の乳首を微妙にくすぐっていたけれど、もうそれは、欲情の刺激にはならなかった。  
穏やかな、守に対する愛情を催すことしか。  
 
赤い花に包まれた楽園は、甘い香りを放ち、静かな安らぎに満ちていた。  
この世界に居るのは、私と守だけ。  
二人だけの楽園。月下奇人と、互いの息吹き。鼓動、滴る体液と、汗と、熱と――。  
 
赤い靄の中に、ひときわ赤い、小さな光の軌跡を眼にした気がした。  
その軌跡は、不思議な懐かしさを私の心に落とした。  
何なのかは判らない。別にどうでも良かった。  
私の胸で微睡む、守の頭に頬を寄せた。  
彼の毛先に顎を嬲られながら――私の意識も、安らかな微睡みの中に、ゆっくりと落ちていった――。  
 
暗闇の中を、私は彷徨い歩いていた。  
私は独りきり。こんな馬鹿なことはない。  
あの子――あの子はいったい、どこへ消えたの?  
「柳子、ねえ、返事をしてよ!」  
さっきから私は、姿の見えない柳子を捜し歩いていたのだった。  
私に「開かずの間」の鍵を渡し、楽園への道を開かせた柳子の意識。  
そしてそれっきり、私の肉体から離れて、本体であるミイラの躰に戻って行ってしまった。  
それでも、こうして二人の意識の接点であるこの、「共有する深層意識の暗闇の世界」に来れば、また逢って話ができると思っていたのに……。  
 
私は暗闇を巡りつつ、時々立ち止まり、“幻視”を使って遠い場所まで意識のアンテナを広げ、柳子の存在を捜した。  
 
「もう済んだの?」  
暗闇の片隅で、ぽつんと小さな声がした。  
「柳子?」  
私は振り向いた。けれども柳子の姿は見えなかった。  
「柳子、そこに居るの? 姿を見せてよ」  
 
「郁子」  
暗闇の向こうから、柳子の声だけが響く。  
「一応……さ。私は遠慮して、視ないようにしてたんだ。あんた達のが……始まってからは。  
ほんとだよ? いくら双子だって、プライバシーは大事にしたいもんね」  
「あ……うん」  
柳子は、私に気を使ってくれていたらしい。  
「それで? どうだったの、初エッチは? ちゃんと上手くやれた?」  
「え……うん、まあ……それなりに」  
うーん、何と答えたらいいのか。柳子相手とはいえ、気恥ずかしくて、返事に困ってしまう。  
 
「ふうん……それなりに、ねえ」  
「何よ? 何か文句あんの?」  
「別にそんなこと言ってないじゃん。郁子さ、そうやってすぐ喧嘩腰になる癖、直したほうがいいよ。  
そんなんじゃあ、彼にもすぐ愛想を尽かされちゃうよ?」  
柳子のその言葉は、私をからかったり責めたりするようなものではなかった。  
本気で、私と守の行く末を案じている口調に聞こえた。だから私は、大人しく頷いた。  
 
「おめでとう……って言うべきだよね。やっぱり」  
柳子の声は、寂しげだった。  
「本当はね、無理だと思ってたんだよ。私もあんたと同じ考えだったの。  
まもるは暗闇を嫌っていたし、私達みたいな化け物のことも、憎んでいると思ったから。  
だから、あんたが胸の痣を見せてもなお、彼の気持ちが変わらないなんて……。  
はあ。後悔してるんだ。  
こんなことなら、あんたとまもる、さっさと引き離しちゃえばよかった」  
言っている内容に反した、寂しげながらもさばさばとした口調。それは柳子の優しさだった。  
胸に沁み入る優しさだった。  
 
「郁子ったら。馬鹿ね、泣いたりして。膜が破けたぐらい、どうってことないでしょうに」  
「柳子……何で声だけなの? こっちに来てよ……」  
柳子の声は優しいけれど、全く姿の見えないのが不安だった。  
私は涙を拭いながら、柳子の声のする方に向かおうとした。  
「駄目よ。あんたはもう、こっち側には来ないんでしょ。いつまでも私に頼らないで。  
涙を拭いて欲しいなら、まもるに頼みなさいよ。まもるに――」  
柳子の声が遠退いた。その気配も……私は叫んだ。  
「柳子! これでお別れじゃないでしょう? 私達――またこうして逢えるでしょう?!」  
 
短い眠りが途絶え、私は裸のまま、月下奇人の赤い褥に身を横たえ、地下洞穴の果ての見えない天井を見あげていた。  
私の隣では守が、私と同じ姿、同じ姿勢で、同じように天を仰いで横たわっていた。  
 
「……中二の頃、クラスでイジメがあったんだ」  
 
守は上を向いたまま、独り言のように語り始めていた。  
昔々の七年前。守が救い損なった、可哀想な女の子の物語。  
その女の子は、胸に痣があるのを理由に、苛められていたんだそうだ。  
私と同じようにクラスで孤立し、私と同じように、みんなから「化け物」と呼ばれた。  
当時から正義感が強く、行動力もあった守は、彼女に対するイジメを撲滅するために、独りで戦ったらしい。  
学校で彼女が孤立しないよう、積極的に話しかけたり、学校行事の時、どこのグループにも入れて貰えない彼女を、自分のグループに混ぜてあげたりしたのだった。  
 
「ねえ守」  
私は寝返りをうち、うつ伏せになって半身を起こした。  
「守って、その子のことが好きだったの?」  
そこまで入れ込むってことは、単なる正義感だけじゃないんだろう。きっと、可愛い子だったんだろうな。  
けれど、そんな私の勘繰りに、守は照れたりしなかった。それどころか、暗い顔をして、俯いてしまった。  
「……いや。それは、違うんだ」  
 
守は、彼女のことを恋愛対象としては見ていなかった。純粋にイジメが憎くて、自分のクラスからそれを消し去りたいと願っていただけだった。  
でも、そんな風に守に構われ続けた彼女の気持ちは、どうだったんだろう?  
いつも自分を庇い、イジメから救おうと力を尽くしてくれる、背の高い、笑顔の優しい男の子。  
ずっと孤独だった彼女の眼に、守は、白馬に乗った王子様のように映っていたのではないだろうか?  
 
その後、守の努力の甲斐あって、彼女は学校で明るい表情を見せるようになっていったという。  
でも多分それは、イジメが鳴りを潜めたからなんていう、単純なことではなかったはずだ。  
守がいつもそばに居てくれているという心強さが、嬉しさが、彼女の日常を輝かせたのに違いない。  
守と一緒にこの一年を過ごしてきた、私がそうだったように――。  
 
でも結局、まだ中二の小僧で、彼女のことを別に好きでもなかった守は、彼女の王子様にはなれなかった。  
彼女に対する思いやりの足りなさ、もっと言えば、愛情もない癖に彼女の心に深く踏み込んだ無神経さが、彼女をかえって深く傷つけてしまうことになったのだった。  
その傷は、想像を絶するほどの、深くて無残なものだった。  
何しろ、彼女を死の縁にまで追いやるほどの絶望を与えたのだから。  
彼女は――守の心が自分に向いていなかったことを知った彼女は、自殺未遂をしていたのだった。  
守の冷たさを責める言葉を、遺書にしたためて。  
 
全てを語り終えた後、守は仰向けになったまま、両手で顔を覆っていた。  
私はそんな守の頭を撫ぜて、髪の毛を指でくしけずった。  
私には、守が気の毒に思えた。  
確かに、守のしたことは、彼女を自殺未遂にまで追い込んだ原因の一つにはなっているかも知れないけれど、その責任の全てが守にある訳ではないと思った。  
守なりに、良かれと思ってしていたことなんだし――第一、守だって、こんなに傷ついているんだ。  
七年も経った今でも、彼女の件がトラウマとして守を苛んでいることが、私にはよく判っていた。  
 
傷ついた守は、彼女を助けようとしていたことまで否定してしまっていた。  
彼女をイジメから救おうとしていたのは欺瞞に過ぎなかった、彼女のことなど本気で考えない、独りよがりの自己満足だったのだと、自分の行動を卑下したのだ。  
 
「軽蔑する?」  
顔から手を外した守は、自嘲の笑みを浮かべて私に問いかけた。私は黙ってかぶりを振った。  
過去の深い傷を私に告白してくれた彼。  
気の毒だと同情もしたし、慰めてあげたい気にもなる。  
でもその一方で、私には、この件を私に告白したタイミングが気になった。  
私とこうなってから、こんな話をし出したっていうのは――。  
「つまり……こういうこと? 守は、彼女を救うことが出来なかったから、代わりに私を……  
彼女と同じように痣があって、彼女と同じように独りぼっちの私を救いたかった。  
だから私を……こういう風にしてくれたの……?」  
「いや、それは違う!」  
守はいきなり大声を出して飛び起きた。びっくりしている私の方に向き直り、守は続けた。  
「おれはさ、ただ……後悔したくなかっただけなんだ。おれは、諦めたくなかったんだよ……郁子のこと」  
 
そう語る守の心の中には、様々な想いが錯綜しているようだった。  
様々な後悔――彼女を傷つけてしまったのは仕方がないとしても、その後に、彼女に対して何もできなかった自分の弱さ。  
自分が傷つけた彼女と、向き合うことを避けてしまった怠慢さ。  
それは守の自尊心を、深い処から傷つけていた。守は言った。  
「かつてのおれは、彼女とのコミュニケーションを中途半端なまま諦めてしまった。  
おれはそのことで、ずっと苦しんできたんだ。もう二度と、同じ過ちは繰り返したくなかった。  
もう二度と……お互いに誤解しあったまま、関係を断ち切られてしまうようなことは……」  
 
そういうことだったのか。  
確かにさっきまでのいきさつを思い返せば、守の考えはよく理解できた。  
なるほど、だから守は、柳子の言いなりになって、私をお屋敷に置いて帰る訳にはいかなかったんだ。  
そんなことをしたら、また、「コミュニケーションを中途半端なまま諦め」てしまうことになるから。  
中二の時とは違い、私との場合は恋愛感情もあったから、なおさらおめおめと引きさがる訳にはいかなかったんだろう。  
彼自身の、トラウマを克服するためにも……。  
 
「でもさ……」  
と、私は口を挟んだ。  
「私は、守にそんな風に想ってもらえてすごい嬉しい。  
けど守は……本当に、いいの? わ、私なんかで、さ……。私、普通の女の子じゃないんだよ?  
人の心を読む能力を持ってるなんて。気持ち悪いでしょう……?」  
これは一番肝心な処だ。  
胸の痣は一応クリアできたみたいだけれど、私のちからのこと、守は本当に許せるのだろうか?  
ううん、許せるはずがない。意識の表層では理解を示していたって、私にも読み取れない深層心理では、きっと嫌がって、気味悪がってるに決まってる……。  
 
「そんなことないよ」  
「嘘!」  
即答する守に向かい、今度は私が大きい声を出した。  
「守だって本当は、嫌なんじゃないの?! 嫌だったから……夜見島で、私が最初にちからのことを言った時、手を離したんでしょう?!」  
守は言葉を詰まらせ、押し黙った。  
「隠さなくたっていいよ。誰だって、自分の心を読まれるのなんて嫌に決まってるし。  
そんなちからを持ってる奴を避けたいって思うの、当たり前なんだから……」  
しかも私ときたら、“幻視”なんてちからを使って、人の視界を盗み見することまでできちゃうんだから。  
そう考えたら、なんだか惨めな気持ちになった。私は寝返りを打ち、守から背を向けた。お尻に守の視線を感じた。  
守は、小さく咳払いをして、語り出した。  
 
今度はまた随分と突飛でおかしな話だった。三年前の、守が「アトランティス」の正社員になる前、まだバイトだった頃の話。  
遺跡の取材で雑用をしていた守は、遺跡に入ろうとしていた矢先、先に立ち入ろうとした部外者の男性を引き留めようとしたけれど、  
その男性が、守の尊敬する有名な民俗学者の先生だったので、思わず肩を掴んだ手を離してしまったと言うのだ。  
なんだそりゃ。  
私は躰を起こして、守の前に正座をした。  
「それってつまり、どういうこと?」  
その民俗学の先生と私が一緒って言いたいんだろうか? でも何が? どこが?  
 
「いや、だからね」  
守は人差し指を立て、先生みたいに説明を始めた。  
「つまり……そういうことなんだよ」  
何がそういうことよ。私はきれて怒鳴った。  
「説明になってないじゃん! 全然判んないよ! その先生の話が、私と何の関係があるのよ?!」  
「ええとその、要するに、だ」  
守の声が、気まずそうにだんだん小さくなってくる。余程言いづらいことなの?  
「あの時……郁子が夜見島で、特殊能力について話してくれた時、おれ、思っちゃったんだよね……  
その、かっこいい……ってさ」  
 
かっこいい?  
意味判んないんだけど……。  
仕方がないから、私は私の忌むべきちからを使い、守の意識を垣間見た。  
そこから判断する限り、その“かっこいい”ってのは要するに、  
守が過去に読んだ本とか漫画とか、観た映画とか、ドラマとか、アニメとか、そういうもののイメージに起因しているようだった。  
つまり守は、「超能力少女」という私のキャラに、「萌え」ていた訳だったのだ。  
「……何それ? 守は私のこと、アニメのヒロインか何かみたいに思って見てたってこと?!」  
「いや、そこまで腐った眼で見てた訳では……でもまあ、近いものはあるかな……」  
「あんたって人はほんと……馬っ鹿じゃないの?! この、オタク編集者!」  
 
本当に――馬鹿馬鹿しくて、めまいを起こしそうになる。守ってやっぱり、本物の馬鹿だったんだなあ……。  
この一年間の私の苦しみは、いったい何だったのだろう。  
そんなことなら、私は彼のために、自分のちからを思い切りアピールして見せれば良かったのだろうか?  
そんな馬鹿な……なんだか、彼を好きになったことまで、馬鹿げたことに思えてしまう。  
 
「だってさ……思っちゃったんだから、しょうがないじゃないか」  
私の切れっぷりにしょげて肩を落とした守は、言い訳がましい上目遣いで私を見た。  
「何がいけないっていうんだよ。  
だいたい超能力なんて、もろにオタク心をくすぐるアビリティーを取得してる人間に対して、憧れや畏怖の念を抱くなと言う方が無理ってもんだ。  
そこは理解してくれよ。そういった個性を持って生まれてしまった者の宿命だと思って、諦めてくれ」  
「個性?」  
思いもよらない台詞が出てきた。それも、ごく当たり前のことみたいに。守は言った。  
「そう、個性。そして、木船郁子という女の子を構成するひとつの要素だ。  
郁子は生まれ持った超能力のせいで、これまでに色々つらい思いをしてきたのかも知れない。  
だけど、そういったマイナスの部分とかも全部ひっくるめて、今の郁子があるんだと思う。  
そして、そんな郁子のことを、おれは……」  
「守……」  
 
守の言葉は、私の胸に深く食い込んでいた。  
闇のちから――それに伴う過去も含めて、守は、私を好きでいてくれるというのだろうか。  
「そうだ。超能力だけじゃない。これだって」  
「あんっ」  
突然守の手が伸びて、私の胸に触れた。乳輪を取り囲む、方錐形の痣を指先でたどる。  
「郁子はさ……これが気になってたから、今まで彼氏作んなかったんだろ? そのおかげでおれは、郁子の初めての相手になれたんだ。だから……」  
「だ、だから?」  
「だから、えっと……これは、あってよかったものなんだよ」  
「あ……あぁんっ」  
今度は顔を突きつけて、乳首にちゅっと吸いついてきた。私は仰け反ってしまう。何よ、真面目な話してるのに。  
情けなくて私は……泣けてきてしまった。  
 
守はこの痣があっても、私のおっぱいにキスしてくれた。私の変なちからのことも、怖がらないで、むしろ萌えポイントだと捉えてくれた。  
何もかもひっくるめて、私のことを好きだと言ってくれた。  
こんなに凄い、奇跡のような人が、他にいるだろうか?  
もう、彼しかいないと思った。私にはもう、彼だけしか……。  
この人と出逢えて、本当に良かった。この人を好きになって――好きになって貰えて、本当に  
良かった。  
私、きっと、守と出逢うために生まれてきたんだ。そのためだけに私、この世界に居るんだ。  
私は今、本気でそう思っていた。  
誰に笑われたっていい。どんなに馬鹿にされたって。だって、私のそばには守が居るんだから。  
守さえそばに居てくれたなら、私はどんなことにも耐えられる。何だって――できる。  
 
「郁子? どうかした?」  
深い喜びに浸っている私に、怪訝そうな声で守が訊ねてきた。あまりの幸せに、私は本気で涙を流し始めていたのだった。  
「何でもない」  
私はそう言って、指先で目じりを拭った。  
「何でもないことないだろ? 言えよ。おれ達の間で、今さら隠し事なんて」  
守の思いやりが胸に伝わってくる。ああ、やっぱり守は、私を愛してくれている。  
こんなことぐらいで、こんなに心配してくれるなんて。  
「ほんとに何でもないったら……守が変なことするから、ちょっと変な感じになっちゃっただけ」  
「変なことって……これ?」  
「あんっ、やぁん……」  
守はまたも私の乳首に吸いついた。今度は、吸いついた乳首を、舌先を素早く動かし、上下に弾いた。  
 
「あはぁあ……」  
こんなことされたら……また気持ちがよくなっちゃう。  
私は熱い吐息を漏らし、仰向けに倒れてしまった。  
倒れた私の躰を追って、守が上から覆い被さってきた。私は、守の頭を抱え込んだ。  
「ま……守ぅ……」  
 
(こりゃあ……二回戦開始か?)  
守はもう、その気になっているようだった。  
私のおっぱいを吸いながら、両手をお尻に廻し、ねちっこく撫で廻している。  
躰の割りに明らかに大き過ぎる、私自身はいまいち好きじゃない、私のお尻。  
こんな私のお尻も、守は魅力的な美しいものとして見てくれている。  
だけど……守ってば、私を四つん這いにさせて、後ろからしたいだなんて。  
恥ずかしいよ。でもそれって、どんな感じがするものなのかしら?  
 
――盛りあがってるとこ、悪いんだけど。  
 
出し抜けに、柳子の声が私の意識に飛び込んできた。  
私の躰が硬直した。柳子の声に、なんだか切迫した気配を感じたのだ。  
「柳子が、何か言ってる」  
私の態度の変化を訝っている守の下からすり抜け、立ちあがって意識を集中させた。  
「どうしたんだ?」  
「しっ!……待って。……何? いったい何をそんなに……」  
私は胸の前で手を組み、柳子の声に耳を傾けた。  
焦りを帯びた柳子の声の入りがいやに悪くて、こうでもしないとちゃんと聞き取れそうになかったからだ。  
これは、この場所のこの特別な気配のせいなんだろうか……?  
 
――とにかく早く上まで来て。大変なことになってるのよ……お屋敷が火事になってるの。  
 
か、火事?  
 
――あんたがシャワーを浴びてた時に、脅かすために私がボイラーの温度をあげたじゃない?  
あれのせいで、ボイラーが壊れて爆発したみたいなの。  
地下洞窟の出口は、お屋敷にしかないのよ。急がないと……あんた達、そこから出られなくなっちゃう……。  
 
「ええっ?! そんな……」  
 
冗談じゃない。私は守を振り返った。  
「守、大変! 急がないと……ここから出られなくなっちゃうって!」  
「ええっ?!……なんだって?!」  
 
【つづく】  
 
 

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