初対面の彼の印象は、はっきり言って最悪だった。
顔は良いし背も高い。若いのに地位があるのも雰囲気で分かった。
そんな人に愛想笑いでもあんな風に微笑まれたら、女の人はクラッときてしまうんだろうと思う。
でも、すごく不機嫌だった。
私に対して警戒心のような、嫌悪感のような、好意的でないものを抱いているのが分かったから、怖かった。
私の知っている大人達と同じ。あの笑顔の下では何を考えているか分からない。
大人は、嫌い。
私が住まう事になったのは、高台に建っている避暑地のような場所だった。
心地よい風が流れ、賑やかな街並みが見下ろせる。わざわざ手配されたらしいその家は、そう遠くない場所に国の中心である軍令部もあった。
一日のほとんどは部屋の中で過ごしている。外に出るのは、彼が所属している軍の本部に出向く時、ついて行くだけ。
必要なものや欲しいものは買い与えてくれる。意外と本を読む彼の持ち物らしい蔵書を借り、読みふけって過ごすのがほとんどだ。
何をしてもいいと言われると困るから、それはすごく助かった。
「…………」
でも今は、毎日していた読書ですら集中できない。どんな物語も哲学も、全く頭に入らなくなっていた。
その理由はもちろん、彼だ。
自分の貞操を無理矢理奪った相手。そんな男にとはいえ、好きだと言われたら正直戸惑ってしまう。
共に生活している内に、次第に彼から向けられていた敵意は和らいでいった。
しかしそれが好意に変わっていたとは思いもよらず、どうしたらいいか分からずにいた。
「……意味、わかんない……」
栞も挟まずに本を閉じると、額をこつんと机に当てて突っ伏す。
どうしてそうなったのか、本当に意味が分からない。
年も離れているし、彼ならいくらでも女性の方から寄ってくるだろう。なのに何故自分なのか。
任務とはいえ色々と気遣ってくれる事には感謝していたし、それなりの好意も持っていた。
でもあの日その全部が崩れた。
本来ならば心から想いを交わす相手にしか見せない姿を、一度ならず二度も晒してしまった。
身体中を撫で回され、舌を這わされ、そして――。
「…………っ!!」
あの時の事を思い出しそうになって頭をぶんぶんと振り、思考を散らす。
でもどんなに考えないようにしても、どうしてもあの事と、彼の事が何度もちらついて離れない。
「ほんと……最っ低……」
本当にどうしてこうなってしまったのか。知っている人がいるなら教えて欲しい。
何もせずにいてくれたら――そんな事言わずにいてくれていたら、今までのようにいられたのに。
そのくせあの人は今までと変わらず接してくる。本当に意味が分からない。
そんな風にされたら、私はどうしたらいいと言うのだろう。
「好きって言われても……分かんないよ……」
そんな風に言われた事なんてない。
親兄弟に抱く好きや友人に対する好きはもちろん分かる。尊敬や憧れだって好きのうちに入るだろう。
でも彼から向けられているものはそのどれでもない。
恋なんてした事がないのだから、そういう「好き」がどういうものかなんて分からない。
「……やっぱり、最低……」
もうこの言葉しか出てこなかった。
そんな独り言を言ってもどうにかなる訳でもないし、本人に言ったって前のように軽く流されるだけだろう。
色んな事が許容量を超えすぎていて、ミレーユはただ恨み言を言う事しか出来なかった。
「……きらい」
随分と長くなった髪の先をいじりながら、ミレーユは呟く。
「私は……大っ嫌い」
一方のアデルは本当にいつも通りである。
たまに本部へ経過報告に行くだけで大した制限がないものだから、彼にとっては長い休暇のようなものだった。
ミレーユの面倒と言っても手のかかる娘ではないし、家事はほとんど通いのハウスキーパーがやる。
アデル自身が何かしてやる事はほとんどなく、感覚的には保護対象というよりは同居人に近かった。
アデルは元々任務で彼方此方へ飛び回る事が多い。自由な時間は少なかったものだから、今は本当に好き放題している。
好き放題と言っても、ほとんどの時間を読書や剣の手入れとミレーユの事に費やしているのだが。
机に向かいながら書類に目を通している今も、日程の確認と情報整理をしながら、片隅ではミレーユの事を考えていた。
――彼女に関して推測できるのは、ほんの少しの事だけだ。
保護期間がこれだけ長期に渡っているのだから、それだけの理由があるのは間違いない。
では、納得のいくそれなりの理由とは何なのか。
傍目に見て、彼女自身に特殊な能力や素質があるようには思えない。
紛争でも起きている国の重要人物なのか、何かの事件の証人か、はたまた謂われなき罪に問われた罪人か――保護という名目の監禁か。
どこぞの重役の令嬢を拐かしてきた、という線が一番納得がいくようにも思う。しかしそれならば、
一時でもミレーユが自分に懐くような事は振りでもあり得ない。
どちらにせよわざわざこんな形を取る必要はない。人の住める部屋など有り余っているのだから、
身柄を押さえるならば出入りが激しいとはいえ警備が厳しく、絶えず人がいて目の届く本部に置く方が確実なのだ。
アデルが見る限り、この周囲の警備体制は並程度。いくら自分が常に彼女の側にいるとしても、万全とは言い難い。
逆に自分がいる事で危険が及ぶ可能性もある。仕事柄恨みを買われるような心当たりは有りすぎるぐらいだ。
それに自分が男でミレーユが女である以上、そういう関係を持つ可能性を考えないはずがない。
まるで危険な目にあってくれと言っているような環境。どうにも拭えない矛盾が思考を惑わせ、真意に近付けさせてくれなかった。
「……ま、人の事は言えないか」
守るべき少女に危害を加えているのは他ならぬ自分なのだから、自分だって矛盾しているのだ。
それを望んでいないミレーユに行為を強いるのは道徳に反している。
それは理解していても、共に生活していればどうしても彼女は手の届く距離にいる。
正当化に過ぎないが、一つ屋根の下、壁一枚を隔てた向こうに想い人がいる。それで自制しろというのが無理な話だ。
答えは出せず、応えてくれる者もいない。ずっと胸の内にあった疑問は膨らむばかりで、未だ晴れる気配は無かった。
「意味分かんないなあ……」
そう独りごちた時、控えめなノックが飛び込んできた。どうぞと声をかけると、小さな影がそっとドアを開けた。
その相手が誰なのか確認する必要はない。使用人は既に帰っている。自分以外にこの家に居るのは一人だけだ。
おずおずと部屋に入って来た少女を一瞥すると、胸に抱えた本を抱き締めるように固まってしまった。
「どうしたの?ミレーユ」
「あ……えと、……本、ありがとうございました……」
先日貸した本の内の一冊を前に持ち、すっと差し出す。
多少前よりも萎縮しているようではあるが、こちらの顔色を窺う様子は以前と変わらない。
「ああ、そこに置いといて」
脇にある小さな棚を示し、書類に目を戻す。
郊外の領土問題に今度催される祭の警備、国境付近の争い事の鎮圧。
どれも自分は携わらない事なのだが、目を通すぐらいはしておかねばならない。
どうせ書面で伝わってくるからと会議にはほとんど参加しないので、それは必要最低限の義務だった。
最初の頃こそシャーロット達になじられたが、今では馬の耳に念仏だと呆れられている。
軽く流し読みしていると、なんとなく違和感を感じた。
入ってきた音が出て行っていない。ふとドアを見やると、ミレーユはノブに手をかけたまま動かずにいた。
「どうしたの?」
声をかけると、僅かに俯くぐらいで返事もしない。そそくさと出て行く事はあったが、こんな事は初めてだった。
「……ミレーユ?」
再び声をかけるが、反応はない。
不審に思って椅子を引き、具合でも悪いのかと声をかけようとした。
「私、なんかの……どこがいいんですか?」
不意をつかれた質問に、喉まで出かかっていた言葉が遮られた。
「面倒じゃ、ないですか。普通……こんな、私みたいなの」
不思議そうな、疑っているような声だった。
「だから……あなたに好かれてる理由が、分かりません……」
以前もこんな風に話していた。言葉を選んでいるのか、途中躓きながら話す彼女の言葉が終わるのを待って、それから自分が話す。
いつもぎこちない会話だった。が、ろくに言葉を交わさない今は少しだけ懐かしかった。
「さあ。何でだろうね」
キィ、と微かにノブが鳴る。
応答はない。よって言葉を続ける事にする。
返事がなければ適当に言葉をかけるのが、いつの間にか定着していたミレーユとの会話の仕方だった。
「でも実際そうなんだから、どうしようもないかな。……君は嫌だろうけど」
言って書類に目を戻す。
本当に、どうしようもない。
女性経験はそれなりにある。それでも何故かこの臆病で面倒とすら思っていた少女に惹かれていた。
最初は父性のようなものだと思ったが違った。自分でも気付かぬうちに抱いていたのは、今までの誰よりも明確な恋愛感情だった。
いつ、どこで、何がきっかけで。自分でも分からないのだから、どうしてかと聞かれても答えようがない。それに相手は七、八は年の離れた少女だ。
そんな彼女に本気になるなんて、本当に、どうしようもなく、どうかしている。
「嫌じゃ……ない、です」
ぴた、と文字を追っていた目が止まる。
何やら自分の耳に都合の良い事が聞こえたような気がして、顔を上げる。
先程と同じくノブに手をかけたまま、ミレーユは言葉を探しているようだった。
「どうしたらいいか……分からないけど……でも、嫌とは……思わなかった、です」
「……ずるいなあ、その言い方」
苦笑して手にしていたものを適当に放り、席を立つ。
コツコツとミレーユに歩み寄り、背後に立つと腕を回して言葉を漏らした。
「……そんな風に言われたら、期待しちゃうじゃない」
自分の肩ほどまでしかない背丈を、顎を乗せるように後ろから抱き締める。
同じものを使っているのに、さらりと流れる銀糸から漂う石鹸の香りが心地良い。
ミレーユは少しだけ身を強ばらせたが、抵抗はなかった。
「…………っ」
少しからかってみようとすっと手を胸に重ねてみる。が、それでも抵抗の素振りはない。ゆっくりと力をこめてみても、ミレーユは身じろぎすらしなかった。
「……今日はおとなしいね。どうして?」
ほとんど抵抗しないミレーユに疑問を持ち、アデルは小さく震える少女に問い掛けた。
「…………意味、ないですから……そんな事しても……」
ミレーユはこちらを見ようとはせず、背を向けたまま答える。
力で勝てるわけがないし、回避する事も出来ない。
抵抗なんてしても止めてくれるわけがなく、アデルを煽るだけだ。多分それを分かっているのだろう。
「好きにすれば……いいじゃないですか」
「……そう」
アデルは一言だけ返したが、どこか納得はしていなさそうだった。
だからといって行為を中断するわけでもなく、ミレーユをひょいと抱え上げるとベッドに押し倒した。
頬に手を添えて唇を重ね、唾液を絡め取るように舌を伸ばす。応える事はしないが、ミレーユは先の言葉通り抵抗せずそれを受け入れていた。
とは言っても身体は震えているし、華奢な手はシーツをぎゅっと握りしめている。
単に諦めているのか彼女なりの虚勢なのか――或いは生活を縛られている故のご機嫌取りのようなものなのかもしれない。
どちらにせよ本心では怖がっているのは明らかだった。
それでも止めようとは思わない。首筋を吸い、つっと肌に触れるだけでミレーユは素直な反応を見せた。
陶器のように滑らかな肌が、少しずつ熱を帯びていく。
布越しに柔らかな感触へ触れると、ミレーユの緊張は強まった。それをほぐすようにそっと力を込め、丁寧になぶる。
その先端部が固くなっていると笑うと顔を背けられてしまったが、これ幸いと細首に顔を寄せる。
「っ……ぅ……!」
襟元に唇を落としていき、首筋から鎖骨、鎖骨から胸元へと滑る。
斑に広がる赤い点は、ミレーユの白い肌によく映えた。
服の間から手を差し入れ、今度は直接触れる。
ピクン、と波打つ体躯を撫で回し、舌を這わせる。乳房の突起をわざと音を立てて吸い上げると、大きな嬌声を上げた。
最も敏感な場所には触れぬように腕を、腹を、脚を、ほんの少し掠めるように指を走らせる。
もどかしそうに身体を捻る姿は今すぐにでも滅茶苦茶にしてやりたくなったが、同時に焦らしてやりたくもなった。
まずは一本で触れる。ぬるりと粘液で濡れた秘部を軽く撫でつけ、入り口をくすぐるように指を動かす。
くちゅ、と卑猥な音を立てたそこは、もう十分すぎるぐらいに潤っていた。
「…………っ」
ミレーユは口を固く結んで堪えている。
そんな風に我慢されたら、意地でも鳴かせてやりたくなってしまう。
「やっ!ふあっ、あっ……!」
上の方で顔を出す小さな芽を摘むとようやくそれらしい声を上げた。
蜜を掬いゆっくりとさするように塗り付けると、大きく跳ねる。
中に指を沈め、突起に指の腹を沿わせるだけで疼きが伝わってくるようだった。
挿入した指をでたらめに暴れさせ、中に満ちた愛液を掻き出すように曲げて擦る。不規則に中と外を弄ぶと、頭をぶんぶんと振って咽んだ。
「……行くよ」
ミレーユをうつ伏せにし、強引に尻を高く上げさせて自身を押し当てる。
ミレーユの意志とは関係なく、ぬるりとした狭い入り口が、吸い付くように奥へと誘う。
細い腰を掴み、だらしなく汁を垂らすそこへ力を込めた。
「っ……ぁ、んああっ!」
甲高く、甘い声が上がった。
以前よりは容易く、それでもまだ狭い中へゆっくりと腰を進め、根元までねじ込む。
柔らかく、それでいてきつく締め付けてくる膣壁に頭が蕩けそうになる。
静かに腰を引いてはぐっと押し付けて内部を細かく揺さぶり、より一層強く喘ぐ箇所を探し当てると、そこを集中的に責めた。
「は、あっ、んあっ!」
程よく肉の付いた尻にぶつけるように腰を振る。シーツや枕を強く握りしめながら喘ぎ、衝撃で髪が幾重も波を描いた。
しばらくそれを楽しみ、思い出したように止まると奥まで突き入れていた男根を引き抜いた。
「……やっぱりこっちの方がいいかな」
ミレーユを仰向けにし、再び入り口に引き抜いたものを押し当てる。
「この方が、よく見える」
肩を掴み、一気に突き刺す。淫らな悲鳴が部屋に響いた。
打ち付けられる程にいやらしい音を立て、喘ぎ、痙攣する。高ぶった身体の限界は近かった。
今にも限界値を振り切ろうという時、絶え間なく高みに押し上げる強い波は突然停止した。
「……ぇ……?」
淫靡な時間からゆっくり引き戻され、快楽に身を任せていた思考が自我を取り戻す。
自身に埋め込まれた男の圧迫感だけが微かに性感を刺激し、まだ二人が交わり続けている事を教えている。
呼吸が少し落ち着いたところで、見計らったかのように律動が再開した。
「や、んっ、んああっ!」
奥をぐりぐりと押し付けるように擦られ、肉壁が収縮する。
ざらついた表面を幾度も往復し、全身を蝕む快感が再び高みへ導こうと心身を支配していた。
思考を快楽で塗り潰されたように何も考えられず、ただ目の前の快感に焦がれる。
もう少しで解放される。他の追随を許さないその一瞬を迎えようという時、それはまた少女の絶頂を妨げた。
「っ……なん、で……」
再び動きが止まり、すぐそこにある高みが遠ざかる。
「だって、好きにしていいんでしょ?」
悦びに浸っていた意識がすぅっと引いていき、再び押し戻され、今にも達しようという瞬間に途切れ、再開される。
いつまでも解き放たれる事がない、甘美な拷問。
繰り返される満足しきれない快感が、消耗した身体を微睡みから遠ざけた。
訴えるように眼前の男を見ても、願いを聞き入れてくれる様子はない。
予感はしていたが、明らかにこちらの反応を楽しんでいる。
「どうしたの?して欲しい事があるならお願いしなきゃ。ね?」
いつもと同じ笑顔。同じ話し方。
子供に諭すような言葉でも、それの意味するものは優しさなど欠片もない。
このまま満たされない快楽を味わい続けるか、僅かに届かないその先を乞うか。
自分の言葉と目の前の男を呪いながら口を噤んでいる間も、身体を揺さぶられ、再び引き戻される。
どちらに転んでもミレーユにとっては苦渋の二択。
それでも女としての本能が、男を求めていた。本能に抗う事など出来るはずがない。
「っ…………て、……ぃ……」
「聞こえない」
振り絞ったつもりで掠れた声。その言葉を察していてもアデルは容赦しなかった。
羞恥と涙でぐしゃぐしゃの顔を腕で覆いながら、ミレーユはもう一度声を振り絞った。
「最後、まで……して、ください……っ」
「はい。よく出来ました」
満足そうに髪を撫でると、途端に強く突き上げる。
内部を抉る甘い衝撃が全身を駆け、何度も焦らされた身体はすぐに登りつめていった。
「あっ……!んっ、やあっ……!」
「……!」
きつく抱きしめると強く密着し、より深く繋がる。
瞬間、ミレーユが腕を背に回ししがみついてきた。
近頃自分を避けていた、そうでなくとも自分に対し良い感情は持っていないであろう彼女の思わぬ行動に、正直驚いた。
ああ、そうだ。
この娘を好きになったのは、彼女の事を「何も知らなかったから」だ。
ただ面倒なだけだったものが、こんな風に意外な面が見えて、少しずつ自分の知っているものになるのが面白くて――嬉しかった。
自分の知っているものを、自分「だけ」が知っているものにしたくなった。
こんな形である必要はないのだから、歪んでいる自覚はある。しかしそれでも彼女が欲しかった。
だからこそ、いくら嫌われようと、怖れられようと、侮蔑の目を向けられようと、自分と肌を重ねて咽ぶ彼女が愛おしかった。
今この時だけは、彼女に求められている。
爪を立てられた背に痛みが走るが、それもアデルにとっては心地良いものだった。
耳元に届く嬌声も、必死にしがみついてくる華奢な腕も、頬を濡らした赤みの差した顔も、今は自分だけのものだ。
――どれもいずれ、他の男のものになるのだろうけれど。
どうせ届かぬ想いなら、それでもいい。
一切の希望が打ち砕かれさえすれば、辛くとも迷わず彼女を壊してしまおうと思える。
衣服を裂いて、手足を括って、夜通しでも一日中でも気の済むまで陵辱して、骨の髄まで犯し尽くして屈服させてやりたい。
今し方半分は叶ったが、完全に望み通りにはならないだろう。彼女は意外と頑固だ。身体は思いのままになっても、心は許してくれない。
先の言葉だって、自分から解放されるための言葉だ。どんなに肌を寄せて深く繋がっていても、心はこんなにも遠い。
そう分からせられる度に、痛みと怒りがこみ上げてくる。
それは自分に対して。全てはあの日この衝動を抑えなかった自分のせいで、自業自得だ。
それでもこの歪な渦を巻く感情をぶつける相手は、彼女しかいなかった。
「あっ!んっ、ああっ!!」
回された腕に力がこもる。比例するように蜜壺が空間を狭めていき、強く絡みついてくる。
焦らした分焦らされたのはこちらも同じ。
愛しい少女が乱れ悶えるさまを焼き付けようと、何度も腰をぶつけた。
喘ぐ声とお互いの呼吸、衣が擦れる音に混じって結合部の水音が響く。
強く突き刺すほど音は大きくなり、甘い痺れが全身を駆け抜ける。
強弱混じりの不規則な喘ぎが小さな唇から奏でられ、思わず吸い寄せられそうになった。
「ひっ……う、ああっ……!」
「……っミレー、ユ……」
無意識に名前を呼んでいた。何度も、何度も。
その度に震える腕がきつく締まっていくような気がして、残り僅かな時間を貪った。
「あっ、あ……んうっ……っっ!!」
待ち焦がれた至福の時。数瞬遅れて精を吐き、欲の満たされた開放感がすうっと心身を埋め尽くしていく。
瞬間、より強く締まった腕から力が抜け、汗ばんだ温もりが離れた。
あれだけやればもう力は入らないだろうが、少しだけ名残惜しい。
「…………」
白い肌を赤く染め、薄く開いた瞳を潤ませる少女はひどく美しかった。
髪を汗で張りつかせ、熱い吐息を漏らす珊瑚色の唇は蠱惑的だ。
未だヒクヒクと痙攣する淫裂と相まって、たった今満たされたはずの欲情がまだ満足し足りないと訴えてくる。
――ここまでにしておこうか?
どこかからそう聞こえた気がしたが、そんな選択肢は浮かばなかった。
「っ!?は……や、あんっ!!」
微睡みに沈もうとした瞬間、激しい律動に再び現実に引き戻される。
ミレーユが休息を得られたのは、それから幾度か達した後の事だった。
目を覚ますと、すぐそこに彼の顔があった。
視界に飛び込んだ意外なものに思わず固まったが、寝息を立てているのが分かるとほっと力が抜けた。
離れようとしたが回された腕ががっちりと掴んで離さず、全く身動きが取れなかった。
仕方なく離れる事を諦め、息をつく。
「……何なんだろう。ほんと……」
感覚が麻痺していると思う。
普段はわりと優しい。任務故だと思っていたけれど、出会った当初とは瞳が違っていた。
以前のような刺々しさはない。代わりに少しだけ柔らかな眼差しが、向けられるようになった。
本当に、好いてくれているのだと。そう思った。
でも、彼が行為を強いる事だけは理解できなかった。
好きな人が嫌がる事なんて、ましてや身体や心に痛みを伴うような事は、自分ならしたくない。
しかし、嫌われてでもぶつけたい想いというものも、あるのだろうか。
「……やっぱり、意味分かんない」
でも――この温もりは、嫌いじゃない。
誰かに抱きしめられながら眠るなんていつ以来だろうか。
幼い頃の記憶。こうして側にいてくれたのは父だったか、母だったか、今では思い出せない。
遠く懐かしい思い出。それによく似た体温が、今ここにあった。
「……ごめんなさい」
自分なりの、贖罪のつもりだった。
一度は問いただされたけれど、何も言わない自分を、この人は追及しないでくれた。
悪びれる事なんてしないけれど、自分の事を考えてくれた。
自分の知っている大人達と違っていた。
名前を、呼んでくれた。
だからこれぐらい――ほんの少しの時間身体を任せる事ぐらい、いいのではないだろうか。そう、思った。
ほんの少し、というにはあまりにも長い時間だったけれど。
「言えそうになったら……言うから。だから……」
言いかけて、口ごもる。
もとより言葉を宛てた当人には届いていないが、それ以上を口にする事は出来なかった。
「……あったかい」
額を目の前の胸にくっつけて呟く。やはり麻痺していると思う。
毛布とは違う、人の温度。懐かしい温もり。
彼がどんな性格で、自分に何をした人物か、それは身を持ってよく理解している。
でも、それでも。また眠りにつくまでの僅かな時間。それだけでいい。
今だけは、この心地良い温かさに包まれていたかった。