うちのクラスには一組の幼なじみがいる。  
 
 男の方は、クラスのムードメーカーみたいなやつで、いつだって明るいし、いつだってバカだ。  
けど、頭の回転がいいのかテストの成績は悪くない。少なくとも、学年全体で毎回100位前後な  
俺よりは頭が回る。  
「お前って頭いいのになんでいつもバカやってんの?」と聞いてみたら、「バカやってるから  
頭良くなるんだよ俺の場合」とよく分からない回答をしてくるあたり、普通の人間とはそもそも  
頭の回転の仕方が違うんじゃないかと最近思うようになった。  
 
 女の方は、これがまた難物で、鉄と氷で固められたかのように表情が冷たい。言動も冷たい。  
多分冷え症で手も冷たい。髪型だけは後ろで編みこんで、先っぽのほうを小さなリボンで  
まとめているからなかなか活発そうに見えるんだが、一度「後ろから見たら寿司に乗っかってる  
エビみたいだな」とポロっと口を滑らせたところ、こっちの体が石化するくらいに睨まれた。  
 いや、あれ、今思い出しても寒気が出る。本当に怖かったんですよ、ええ。  
   
「佳隆! 英語の課題見せてくれぇぇ」  
 昼休みに入るや否や、前の席に座るその男の方が、振り返り声をかけてくる。ちなみに、  
その男の方とは結構仲がいい。佳隆ってのは、俺の名前だ。  
「またかよ。お前なんでいつもやんないんだ」  
「忘れた方がこうしてスリルがあるし楽しい」  
 満面の笑顔でサムズアップをよこすあたり、本当に楽しそうに見える。友人として付き合い  
始めて結構経つが、相変わらずこいつの思考パターンが読めない。  
「そうは言ってもですよ、謙吾君。あなたにノート貸すと落書きされて返ってくるからご勘弁  
願いたいんですよ」  
「いやあっはっは、面白かったらいいじゃないか広崎君」  
 相馬謙吾。この男の名前がそうなんだが、こいつはほんとマルチというか多芸というか、  
何をやらせても人並み以上に上手い。前に数学のノートを貸したら、ヅラの噂があるクラスの  
担任に波平ヘアーのカツラを被せたイラストを描きこんでて、授業中にノート開いて思いっきり  
吹いたことがある。  
 ちなみに広崎は俺の名字な。  
「その後俺は思いっきり怒られたんだぞ」  
「どんまい!」  
「どんまいじゃねぇ」  
 その後、職員室にしょっぴかれたのは言うまでもない。あのせいで、俺もこいつとセットで  
要注意人物にされてしまった。もっと色々言ってやりたかったが、八重歯を見せながらにかっと  
爽やかに笑われると怒る気力も失せてしまう。  
「うーん、しかし渋られるとは思わなかったな。ちょっと困る」  
 
「なら、見せてあげようか?」  
 
 振り向くと、鉄と氷でできているんじゃないかと思われる女の子がノート片手に佇んでいた。  
「わお美由紀ちゃん。嬉しいこと言ってくれるじゃないの」  
「ちゃん付けはやめて。貸さないわよ相馬君」  
 両手を大きく広げて喜ぶ謙吾にため息をつきながら、柏原美由紀はゆっくり近づいてくる。  
「美由紀、俺、お前そんなお前が大好きだ」  
「貸さないわよ」  
 声を太くして格好つけた謙吾の告白を、鋭い瞳で跳ね返す。もっとも、ノートはしっかり  
相馬の机の上に置いてやってるが。  
「授業が始まるまでには返してね」  
「あいあいさー」  
 それだけ言うと、彼女は昼食をとるのか自分の席へ戻っていく。  
「……」  
「どうした、佳隆君」  
「いや、なんでもない」  
 余談だが、俺がこの二人が幼なじみだということを知ったのはつい3か月前のことである。  
こいつの家に遊びに行った時に、柏原が急に訪問してきたもんだから随分テンパった。  
 
『どうしてあなたがいるのかしら?』  
『いや、だって、俺こいつと友達だし』  
『……』  
『ごめん美由紀、今日はこいつが来てるからまた今度にしてくれ』  
『仕方ないわね、今度埋め合わせはしてもらうわよ謙吾君』  
 どういう関係か聞いたところ、幼なじみだと白状された。当時は、相馬と柏原はクラスで  
会話をあまり交わしていなかった。避けてたんじゃなくて、接点がないという感じだった。  
それが最近は、教室内でもちょこちょこ会話をするようになった。もう隠すつもりないって  
ことなんだろうか。  
『はー、お前と柏原が幼なじみとはなぁ』  
『意外?』  
『まーな。でもいいのか? せっかく遊びに来たのに』  
『買い物のお誘いだよ。いつものことだし、たまには断ったっていいっしょ』  
 もうひとつ余談になるが、この時柏原が俺に向けた視線は相当鋭いものがあった。やっぱり  
こわかったです、ええ。  
 
 今では相馬と柏原の関係は、クラス全体に知れ渡っている。それでも、茶化すような輩は  
全くいない。相馬にけしかけても受け流されるし、柏原に聞かれようものなら、どういう目に  
遭うか想像に難くない。  
「しかしなー、あんな怖い女とよく友達付き合いできるな」  
「怖いって美由紀が? まさかぁ」  
「いやいや、俺はもうあいつに睨まれるのはトラウマだよ。ゴーゴンだゴーゴン」  
「またまた」  
 柏原に対する正直な印象をぼやくと、相馬は少しだけ苦笑を洩らす。こいつがこんな表情を  
見せるとか珍しい。  
「自分にも他人にも厳しい性格なのは確かだけどね。可愛いところたくさんあるよ」  
「ふーん、たとえば?」  
「猫が好きでね。小学生のころ、帰り道に捨て猫見つけた時はしばらく傍から離れなかったし、  
なけなしの小遣いはたいてキャットフードや牛乳買ってたね」  
 あの柏原が…猫好き……いかん、想像できん。  
「確かその猫今でも飼ってるよ、他にも2匹くらいいるし。遊びに行くと大抵どれか抱いてる  
んだよね。頬擦りなんかもよくするし」  
 何だか急に身体中にぞわっと鳥肌がたった。やってることは全くそんなことないのに、  
物凄く怖い。  
「そうそうそれでさ、この前とか…」  
 
「 相 馬 く ん 。ノート写さないなら返してもらうわよ」  
 
 いつの間にか、戻ってきてました氷の女。動けなくなる俺マジ蛙状態。  
「ああごめんごめん、すぐやるよ」  
 鋭い視線に意を介することもないのは、流石幼なじみとでも言うんだろうか。こいつ肝も  
太いのかもしれない。  
 しかしなー、柏原が猫好きとかなー。ギャップがありすぎてイメージできないっつーか  
なんつーか…。  
「……」  
 え、あれ。柏原がこっち睨んでる。そして近付いてくる。  
あのちょっと、ほんと怖いんですけど、勘弁してくれないっすか、マジで。わりとマジで。  
いや、ほんとマジで。  
「佳隆、声が出てる」  
「マジで!?」  
 口許を手で覆いながら笑いを噛み殺す相馬に指摘されても信じられん。が、それ以外に  
俺の思ってたことがバレる理由が無い。くっそ、漫画じゃねーんだぞ。  
「……私が猫好きなのがそんなに可笑しい?」  
「いやあの、……めっそうもないです」  
 やばいやばいやばい、今の俺ヘビに睨まれたカエル状態だ。ほんとすいません。  
 
「美由紀、脅すのはよくないって」  
「別に脅してないわよ。そもそも、相馬君が余計なことを言うのがいけないんじゃない」  
 おお、救いの神よ。私は貴方様に感謝いたします。初めて貴方と友人で良かったと心の  
底から思いました。  
「いやあ、美由紀の可愛いところを知ってもらいたくてつい」  
 でも、そういう性格は真似したくても真似できねーし、真似したくないです救いの神様。  
「……」  
 およ、柏原が顔をそむける。というか俯いた。しかもなんか小刻みに震えてる。  
「……ノート没収ね」  
「あー、うそですごめんなさい! 許して!」  
「…知らない」  
「そんなこと言わないでさー、お願い!」  
 ノートをかすめ取ってすたすた歩いていく柏原を、焦った相馬が追いかけて行く。ありゃもう  
どっちにしろノート写せないだろうな、ご愁傷さまだ。  
   
 しかしあれだな、ひょっとして柏原って相馬のこと好きなんじゃねーかな。幼なじみってのも  
あるとは思うが、それを差し引いても相馬に対してだけ物腰が柔らかい。ああいう関係って  
漫画とかじゃむしろ逆で喧嘩とかばっかりするよな。現実どうかは知らんけど。  
 
「で、それを俺たちに言ってどうすんの」  
「いやね、ちょっと試してみたいんだよ」  
 思い立ったが吉日。ってわけじゃないが、同じクラスの他の友人を巻き込んでちょっと  
一計案じてみたくなった。昼食時に二人っきりにさせてみるのである。  
「なんでそこまでするんだ? めんどくせーだろ」  
「そりゃ他の奴だったらやんねーよ。でも相手があの柏原だぞ」  
 俺がそう言うと、友人全員の耳がぴくりと動いた。あの女を怖がってるのは何も俺だけじゃ  
ないのだ。  
「これ絶対内緒な。相馬に聞いたんだけどさ、柏原って猫が好きで、家じゃ頬ずりとか  
してんだってさ」  
「またまた御冗談を」  
「柏原が怒ってきたから多分マジだって。それにさ、二人きりとかだと、柏原も相馬の  
名前で呼ぶぜ」  
「いやいやいやねぇよ、なんだよその推論」  
「ほんとだよ。だって俺聞いちゃったし」  
「……マジ?」  
「マジマジ」  
 相馬の家に遊びに行って柏原が顔を出した時、相馬のことを「謙吾君」て言ってたのは  
この耳がしかと記憶している。むしろ、それこそが最初に疑った理由だ。  
「普段と違う柏原さんを見てみたいと思いませんか」  
「「「「……見たい」」」」  
 氷と鉄でできていると揶揄されるほどの女だが、容姿は抜群なものがあった。整った顔立ちに  
切れ長の瞳に、一目ぼれした奴は少なくない。もっとも、揃って告白することなく諦めてたが。  
もちろん怖すぎて。  
   
 というわけで、全員の全面協力の元、二人を昼食時に二人きりにしてみるという作戦を  
決行することとなった。  
 当然女子の力もいるが、こっちも快諾の返事をもらえた。同性で頼れる存在である柏原の  
そんな姿を女子たちも見たいらしい。しかもお相手が、クラス一のお調子者である相馬なら  
なおさらだ。  
 高校なのでクラスの半分は学食やパンで昼食を済ますが、残り半分はいつも教室で弁当を  
食っている。幸い相馬も柏原も弁当組だ。ほかの面子にご退場願おうというわけである。  
 もちろん全員同じ理由で、教室で飯を食わなくなるってのは流石に怪しまれる。というわけで、  
母親と喧嘩して弁当作ってもらえなくなっただの、他のクラスに仲のいい友人ができてそいつと  
食べるだの、学食の美味さに目覚めただの、それぞれ適当に理由をつけて徐々に面子を  
減らしていくことにした。  
   
 それも減る一方じゃ怪しまれる。一時的に教室で飯を食う面子を戻したりすることも  
忘れなかった。こういうのはバレたら終わりだ。作戦は慎重に慎重を重ねた。  
 
 そうしてかれこれ一ヶ月。ついに俺達は、教室で飯を食う面子を5人程度にとどめて、  
それを不自然と思わせない空気を作り上げることに成功したのである。  
 
 チャイムが鳴ると同時に、教師と相馬と柏原除いた全員の顔に緊張が走る。いよいよ今日、  
こいつらを二人っきりにするのだ。  
「さあて」  
 飯を食うスピードが遅い相馬は、飯を食いだすタイミングが早い。学食、パン組が教室を  
出る前に、既に弁当を取り出している。  
「お、今日はとんかつですよー。贅沢だね」  
「とんかつとか。お前学食のやつ食ってみ? マジ美味いぞ」  
 みんながみんな、雪崩れるように出て行くのも不自然だ。俺を含め何人かは、一旦その場に  
とどまる。  
「え、そうなの?」  
「最近教室で弁当食ってる奴少ないだろ? 学食の味が変わったんだよ、いい方向にな」  
「へー」  
 返事をしながらも、相馬は箸をとりだして、今にもぱくつこうとしている。  
「ま、そりゃ今度の話だな」  
「そりゃそうだ。じゃ、俺も飯行ってくるわ」  
「願わくば、そのおいしくなったというとんかつを一つ持ち帰ってきたりとかは…」  
「しねーよ」  
「ですよねー」  
 こうして俺も教室を後にする。残ってる面子も教室を出て行こうとしたところで、そのうちの  
一人の女子が弁当を持った柏原に呼びとめられていた。いつも柏原とご飯を食べていたのが  
その女子なのだが、打ち合わせ通りなら彼女も今日は弁当を持ってきていない。今日は一緒に  
飯を食えないってことを話してるんだろう。  
   
 こうして、二人を除いた全員が教室を後にする。機械に詳しい友人が、相馬と柏原の机に  
盗聴器をとりつけているから、その場にいなくとも二人の会話を聞くことはできる。  
バレたら俺、停学になるかもしんねーな。  
「聞こえるか?」  
「いや…今のとこ会話ないみたいだ」  
 一か所で固まると流石に周りの目が辛いので、一つのグループあたり五、六人に分かれて  
各所に散らばって聞いている。他のグループも、今頃それぞれの小型スピーカーに耳を  
凝らしているに違いない。  
『誰もいないね』  
『…そうね』  
「「おっ!」」  
「バカうるせぇ、肝心の声が聞こえなくなるだろ」  
 会話が始まって色めき立つ声を遮る。ここまで本当に苦労してきたからな。しかも二人きりに  
したからといって、何もない可能性の方が高いし。それを考えると、ここから先は一言一句  
聞き逃せない。ここはひとつ、一緒にご飯を食べてみてもらいたいところだが…。  
『どうせなら一緒に食べようよ』  
 よくやったぞ親友! それでこそ親友だ! これで何か起こる確率が跳ね上がる!  
『……』  
『美由紀』  
『……』  
 柏原の沈黙が、妙に緊張する。  
『二人きりだしいいじゃん』  
『でも、謙吾君』  
 来た! 名前で呼んだよ柏原さんが!  
「マジかよ…!」  
「広崎の言ってたことは本当だったのか…」  
    
 盗聴器を持ってる奴の手に力がこもっていくのが分かる。やった、やりましたよ俺は。  
これで何も起こらなかったらクラス全員に顔向けできないところだった。ほんと、みんなには  
感謝してるぜ。これなら他の場所で聞いてる奴ら含めて満足してくれるに違いない。  
『なんでしょう』  
 おっと、いかんいかん。肝心の会話内容を聞き逃すわけには…。  
 
『家で一緒に食べてるのに、学校でまでなんて…』  
 
 ……  
 
 ………………  
   
 なんだと!?  
 
「ど、どういうこと…?」  
「お、俺に聞くな」  
 動揺しながら説明を求めてくる声に、俺もめいっぱい動揺した声で返す。まさか飯まで  
一緒に食ってるとか…これひょっとして柏原の片思いってレベルじゃないんじゃ…。  
『たまに違うところで一緒に食べるのもいいもんじゃないか』  
『……まあ、いいけど』  
 短い会話の後に、柏原の方にしかけた盗聴器の方から、椅子がガタガタ動く音が響く。  
「一緒に住んでるわけじゃ…ないよな」  
「バカかお前、そんなことあるわけないだろ」  
「家が近所なのか?」  
「…多分」  
「確か相馬んところって共働きだろ? もしかして柏原が飯の世話してんのか?」  
「いやいやまさかそこまでは…」  
 必然的に、みんなであれこれ推論を立てて行く。  
 いやしかし、これは正直想像以上っていうか、予想外だ。その可能性を全く考えてなかった。  
『美由紀、今日とんかつ入れてくれたんだな』  
『時間がなかったから冷凍ものよ。そこまで喜んでもらえることじゃないわ』  
「「「「えええ!?」」」」  
 おぃぃいいいぃいい!!? どうなってんだこいつはぁぁあぁ?!! まさかまさかの  
連続じゃねーか!  
「広崎…お前ここまで想定してたのか?」  
「……んなわけねー」  
 はっきりいって緊張どころか動揺しまくってるが、そうもいかない。ここまできたなら、  
これからもっともっと爆弾発言が出てきてもおかしくない。返事もそぞろに、これまで以上に  
盗聴器に耳を傾ける。  
 
『でも俺がこの前食べたいって言ったから入れてくれたんだろ?』  
『べ、別にそういうわけじゃ』  
『ありがとな美由紀…いっつも感謝してる』  
 箸をかちりと置いた音と、衣同士が擦れる音が聞こえてくる。どうやら、相馬が柏原の手を  
握ったらしい。さっきからこいつ何言ったりやったりしてんだほんと。  
『ほんと……?』  
『うん』  
『…………嬉しい』  
 おいちょっと待て、この女は誰だ。  
『大げさだなぁ、美由紀は』  
『そんなことない。そう言ってもらえて…凄く嬉しい』  
 軽く笑った相馬の声を逃さないかのように、感極まったため息交じりの女の子の声が  
聞こえてくる。  
「……」  
「広崎、この女は誰だと思う」  
「柏原しかいないと思うが、柏原とは思えん」  
   
「俺もそう思う」  
「俺も」  
「俺もだ」  
「俺も俺も」  
 みんな目が泳いで、口元が必死に笑いを殺そうとしている。どういう表情を作ったら  
いいのか分かんないみたいだ。多分、俺も今そんな顔になってるんだろう。  
 
「確かめに行くか」  
 ついに一大決心をする。  
「マジかよ…」  
「バレたら殺されるぞ」  
「んなことはわかってる」  
 それでも、この様子を会話だけで満足させることはできなくなった。今、二人がどんな  
様子なのか見てみないことには気持ちが治まらない。  
「でも、お前らだって聞くだけじゃなくて、見てみたいだろ?」  
「そりゃ…」  
「まあ…」  
「俺は行くぞ。勇気が無い奴はここにいろ、そいつは置いていってやる」  
 盗聴器を顎でしゃくって立ち上がる。機械の向こうからは、笑い声が徐々に増えていく  
相馬と、段々饒舌になっていく柏原の会話をしっかりと伝えてくる。その度に、足が勝手に  
教室へ向かおうとする。いや、もう向かい始めていた。  
「気になってるのはお前だけじゃないぞ」  
「俺も行くわ」  
 その後を、結局全員がついてくる。周りは普通に昼休みを過ごしてて、昼食や談笑に  
明け暮れている。そんな中を、潜入工作員にでもなったかのように俺達は、静かに静かに  
歩いていく。  
 俺達の教室は廊下の突き当たりにある。だから、用がある人間がいないと、教室前の  
廊下には人気が全くなくなる。なくなるはずなのだが、着いてみるとそこには、十人くらいが  
身をかがめて教室内をうかがっている。どうやら直接様子を窺おうとしているのは俺達だけじゃ  
ないらしい。  
「お前たちも来たのか」  
「そりゃ気になるでしょー……」  
「俺達だけじゃないぜ、ベランダ側に回ってる奴らもいる」  
「というか多分、来たの広崎君たちが最後だと思うよ」  
 かがんでひそひそ話をしているものの、見つかったらやばいという危機感からか、みんなの  
表情も強張ってる。そのせいで、奇異の目で隣のクラスの連中に見られてはいるものの、  
話しかけられることは無い。正直、構ってられないが。  
『謙吾君、ほっぺにご飯粒ついてるわよ』  
『あ、悪い』  
 全員が全員顔を出してると流石にばれるので、交代しながら中の様子を窺う、その間、  
他の奴らは盗聴器に意識を向ける。俺は話の立ち上げ人ということで、特別に場所を譲って  
もらって、交代なしで覗かせてもらえることになった。  
『ほら、こんなところにもついてる』  
『ごめんごめん』  
『もう…』  
 すると柏原が、その飯粒を指先ですくって頬張る。  
 
 ……。  
 
『昔から変わらないわね。そういう身だしなみに疎いところ』  
『美由紀がいたからね』  
『? どういうこと?』  
『優しいから、いっつも俺の世話焼いてくれる』  
『……』  
『優しいから、いっつも俺のこと気にしてくれてる』  
『……そろそろ、甘やかすのもやめようかしら』  
 
 ……なんだこれ。なんだこれ。  
 
『またまたー。その台詞何回目かな?』  
『今度こそ本当よ』  
『物心ついたときから数えて百回は聞いたかな』  
『そっ、そんなに言ってないわ!』  
 
 俺もう、なんか吐きそう……。  
 
「なんか俺涙が出てきた…」  
「わはぁ、美由紀ちゃんかわいい」  
「分かった、柏原は実は双子だったんだ」  
「多重人格者の方が辻褄合うんじゃない」  
 
『け、謙吾君!?』  
『ん?』  
『どうしてそんな顔を近づけるの?!』  
 途端に、誰も口を開いていないのに俺達の緊張感が増した。ベランダ側の窓がガタガタ  
揺れ出したのは風だけが原因じゃないだろう。  
 そういや昼休み潰してるけど、このまま終わったら俺達昼飯どうしよう。流石に短い時間で  
弁当食いきれるだろうか。パンとかもうろくでもないものしか残ってないだろうし、学食も  
売り切れるメニューが増えるだろう。弁当持ってきてない奴らも大変だな俺はその点弁当が  
あってよかったけどそういや今日のメニューはなんだろうなああもう俺一体何を言ってんだ。  
 
『昨日の続き』  
『ま、待って! ちょっと待って! 誰か帰ってきたら…』  
『美由紀…』  
『まっ……』  
 
 と、その時。動かした膝が思いっきり扉に当たって不自然にガタタンと響いた。  
「…やっべ」  
「バッ…!」  
「何やってんだお前っ」  
 顔をこわばらせてこちらを向く奴、声をひそめて咎める奴、それぞれがこっちに向いて  
俺に非難の目を浴びせる。  
 
 が。  
 
 盗聴器から、教室内から一切の音がしなくなったことに気付き、全員同時にその表情を  
改める。優先順位を瞬間的に察知する。  
「撤収」  
「「「「「「「「了解」」」」」」」」」  
 もう誰も教室の覗いていないが、さっきまでの甘ったるい空気は一瞬で消えうせ、冷たく  
重い何かが漏れてきている。それが徐々に量を増してくる。誰かいるのかとか、そういう  
様子を探ろうとする声すらないのが余計に恐ろしさを煽る。  
 当然もう、みんな一斉にダッシュし始めていた。校則より命が大事だ。ベランダ側の連中を  
うらやみながら、一目散に駆け出す。悔やんでも悔やみきれない。俺ってホントバカだ。  
付き合ってくれたみんなに申し訳ない。  
 ガラガラと、扉がゆっくりスライドする音が聞こえた瞬間、背中全体が粟立ち、背中にも  
鳥肌が立つ。物凄いプレッシャーと引力を感じながらも、俺達は振り向くことなくその場から  
逃げ出したのだった。  
 
 余談になるが、事がばれたことで二名除いたクラス全員、担任の教師からこんこんと  
お説教を食らうことになる。   
 更に余談になるが、歯並びが比較的きれいなはずの俺に“出歯崎”“詰めの甘い男”“チャンス1”と  
様々な不名誉なあだ名がつけられることにもなる。  
   
 そして最後にもう一つ余談になるのだが、その日以降、話題に触れられるたびに顔を  
真っ赤にする柏原美由紀という女子は恐怖の対象ではなくなり、堂々と交際宣言をし  
「応援してくれ!」と胸を張った相馬謙吾という男は、大いにその評価を上げることに  
なるのだった。  
 
 

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