八話 (6月14日)  
 
 
大粒の雨が降り出して、携帯が鳴りだした。  
幼馴染の好きな球団のテーマソングで、無理やり設定された桜子専用の着メロだ。  
夕飯の皿を洗っていた手を止めて焦って肩に挟む。  
湿った風が換気扇を逆に回していた。  
ガラスに水音が叩きつける。  
これでは傘も役に立たないだろうが。  
それでも、ビニール傘を二本掴んで母親にコンビニだと言い残して転ぶように家を出た。  
 
あまりに帰りが遅いので、避けられたのかと思っていた。  
それはそうだ、  
……信じ切っていた弟に突然、あんなことをされたんだ。  
昨日だって、桜子にすればやり過ごしてもいいものを、勇気を振り絞って声をかけてくれたに違いない。  
なのに俺ときたら、輪をかけるように性懲りもなく、家の前で強引に。  
(もう嫌い。ばか。うそつき)  
耳に残る泣きそうな抗議は愛しくも痛い。  
あの後、我に返ってさすがに反省したが遅かった。  
桜子姉は優しいから、そんな簡単に俺を見限ったりはしないだろうと分かっている。  
それでも「嫌い」という短い響きは丸一日、思い出すだけで物凄いダメージだった。  
 
本当に、何をやってるんだ、俺は。  
 
それに桜子は、人を嫌いと言う前に、まずは自分に悪いところはないかを考える律儀な姉ちゃんなのだ。  
 
――俺のせいで、自分を責めたり泣いたりしていないだろうか。  
 
嫌われたかどうかよりも、むしろその想像がきつかった。  
あの優しくて厳しい姉ちゃんを、大雑把で適当で、なのにやるべきことだけは恥じないようにしっかりこなすちゃっかりした姿を、  
桜の土手を軽やかに歩く背中を、俺を信じ切った緩い笑顔を、いつも隣で見ているだけじゃあ駄目だったのか。  
 
答えは変わらない。  
それができたら、あんなことはしていない。  
 
めちゃくちゃだ。  
 
我慢の限界だと自分に言い訳をして手を出しながら、失うかもと気づいた途端、ぬるま湯が恋しいと後悔する。  
 
どうすればいいのか分からない。  
それでも、こうして呼び出されれば何をおいても会いに行かずにいられない。  
 
視界を遮り雨が流れ落ちる。  
土手道を水はあふれて、荒々しい川音が響いていた。  
街灯の明るさも胡乱だ。  
時折吹く風に煽られてジーパンの裾が重くなる。  
 
橋の下へ続く階段を降りると風が不意に弱まった。  
薄暗闇でぬかるむ土の脇道を辿り、橋の下を目指す。  
ぐっしょり濡れた靴が不快だ。  
 
空が白く光る。  
カウントしながら、水の溜まりを踏み越える。  
 
薄灯りの中、湿った橋桁の影に姿を見つけた。  
 
一目、遠目に見ただけで、長い付き合いなので分かった。  
避けられていたわけではなかった。  
タイヤに腰掛け、伸びやかな脚をぶらつかせて落ちる雷を愉快そうに聴いている。  
名前を呼ぶと、穏やかな瞳が俺をみとめて、驚いたあと淡く笑む。  
情けなくも泣きそうになった。  
ただ、近づけば近づくほど、いつも通りというわけにいかなかった。  
 
別の意味で、いつも通りの桜子じゃない。  
間近で視線が合いかけて、逸らした。  
 
見た目がまずキツイ。  
多少は降られたのだろう、ぐっしょりというほどではないものの、水のかかったあとの足はストッキングの色がまだらに違い、吸いついて艶めかしい。  
伏せがちの睫毛が、少し緊張した瞳にかかる濡れた髪が、薄っすらとカーディガンの下で透けるブラウスが目の毒過ぎてぐらぐらする。  
これはやばい。  
何かとてつもなくキツイ。  
しかも、こもった空気のせいか、いつもより桜子姉のいい匂いがする。  
態度も妙にしおらしい。  
傘を渡して触れた指を握りしめるとひやりと濡れて柔らかく、抵抗もせずに顔を真っ赤にして固まっている。  
 
期待するなと自分に言い聞かせ、抑えていたというのに。  
 
湧き上がってくる思いを自制できない。  
桜子姉が好きだ。  
もっと触りたい。  
俺の名前を呼んでほしい。  
触れる前より、キャッチボールをしていた憧れの始まりの日々よりも、ずっとずっと彼女が欲しい。  
そうやって、細い糸を渡るように耐えていたところに、  
左手を差し出されて桜子の方からねだられた。  
 
……もう限界だった。  
 
頭に血が上って、また後悔するかもしれないというのに止められない。  
やり過ぎないようにとありったけの努力で指先に優しくキスをした。  
やはり抵抗はなく、怯えたような甘い声だけがする。  
それが気のせいかもしれない期待を煽る。  
目を潤ませて、俺が何かするたびに浅い呼吸で喘いでいる。  
ゆっくりとすればするほど些細な震えが伝わってくる。  
 
指の薄皮に柔い肉感、その下にある骨の感触。  
雨水と俺の唾液ですっかり濡れそぼった爪の上から指の付け根、  
手の甲へ腕へと吸いながら辿り、びくびくと跳ねる肢体を鑑賞する。  
 
近すぎてちゃんと、見てこなかった。  
 
桜子は可愛い。  
 
格好良くてきれいで、溌剌として不器用で鈍感な近所の姉ちゃんは、町内会でも野球部でも、  
人気はあったけど「女の子」というより「いい奴」で、誰のものにもならなかった。  
きっと、誰もこの顔を見ていないからだ。  
間違いない。  
こんな顔を見たら、力ずくでも欲しくなる、きっとどんな男だって。  
 
雨で、遠慮しなくても誰にも聞こえないというのに律儀に声をこらえる姿は、  
蕩けた瞳に滲む涙は、どんなその手の作りごとよりエロかった。  
堪えられなくなるまで喘がせて、泣かせたい。  
少しでも声を聞きたくて、口を塞ぐ手も無理やり虐めて引きはがす。  
途端に泣き声が耳を灼いた。  
 
「や、あっ、ん!あ、あぁあ、はぅ、あっあんあっ」  
 
――ああくそ堪らない。  
 
誰にもやらない。  
十五年間も好きだった。  
 
――これは俺のだ。  
 
「……この手、好きにしていいんだよな、いくらでも」  
 
この手は俺だけが触っていいし、この腰にくる可愛い声を聞くのも俺以外は駄目だ。  
所有の印に噛んで唇を付ける。  
桜子は蕩けた甘い吐息を漏らした。  
 
「これ俺のなんだろ」  
「ぇ、え……?ひぁ、やっ……ぁ、ぁ」  
 
何度も、そう言いつつ、指を食む。  
 
「ああっ、ふぁ!?……え。あ、ぁの、あ」  
「『約束』したよな」  
 
混乱したように荒い呼吸を繰り返す、幼馴染の柔らかな手が愛しい。  
きれいな指を折って曲げて俺の掌で抱きしめる。  
 
「な。桜子姉ちゃん」  
「……ぁ、う、あ」  
「この手は、俺のものなんだよな?」  
 
駄目押しの問いに、桜子は呼吸をくっと飲み込んで。  
 
震えながら、小さく、頷いた。  
 
ぞくぞくと、達成感と興奮が背を這い上がる。  
やばい。  
何だこれ堪らねえ。  
手首にまた軽く歯をたてて、吸う。  
かすかに汗の味がした。  
 
「言ってみ?」  
「ぇ……、言っ、て何、を……んっ」  
「この手は、俺のだから、好きに使ってくださいって」  
「ふぁ……え、う、ええええっ?てっちゃん何言って、む、無理っ…あっん!」  
「聞きたい。言ってみ」  
 
目が覚めたようにもがいていた桜子は、少し弄るだけでまた息を荒げて大人しくなった。  
濡れた髪が頬に一筋張り付いている。  
可愛い。  
抑えながらこちらの息も乱れる。  
股座が張り詰めて痛いくらいだ。  
 
「あ、え…と」  
「うん」  
「こ……、う、この、……手。この手は、………の」  
「聞こえない」  
「ば、ばかっ」  
 
我ながら意地悪な声が出ていると思う。  
睨まれるが、悪い、桜子のせいだからとしか思えない。  
もっとその困惑した顔を見せてほしい。  
一番弱い左の指先を弄くりつつ続きを促す。  
 
「………は、てっちゃんの。だ……から、その。……てっちゃん……の、好きに、し、あっ、」  
「うん」  
「……あっあ、ふっ、やっ、言えな、舐めないで……。ん、やぁ。 だからっ、も……。つ。つかって、ください………っ」  
 
ぞくぞくしながら鳥肌もののそれを聴く。  
やばい。  
本当にやばい。  
今の潤んだ声だけで達しそうになる。  
俺に請われた通りに必死に、こんなことまで言ってくれた、のか。  
桜子が。  
あの桜子姉が。  
鼓膜が心臓と直結したかと思うほどガンガンする。  
 
唐突に、衝動に駆られて、右手をほどき頬に触れた。  
汗と雨水と、ひょっとしたら涙でしっとり濡れている。  
握ったままの左手にはありったけの力をこめた。  
興奮で呼吸が苦しい。  
濡れたブラウス越しの、肩の部分が震えている。  
顔を近づけ、前髪同士が触れる距離まで近づいて、息が触れそうになって止まる。  
湿り気を帯びた甘い匂いが脳裏を溶かす。  
ゆっくりと桜子が目を上げた。  
視線が今度こそ絡んだ。  
 
左の頬に唇を押し当てて、僅かに離した。  
もう一度。  
 
柔らかな手が、おそるおそる、頬を抱く俺の手の甲に、  
左手で触れて、一本ずつ、指を絡めるように添えた。  
 
吐息が混じり合う。  
 
そのまま、どちらともなく、くちづけた。  
おっかなびっくり触れただけで、やめるタイミングが分からずそのままで暫らくいた。  
長かった。  
離れては気のせいかと思い、また桃色の唇を塞ぐ。  
水気にあふれて柔らかい。  
薄目を開けて様子を伺う。  
力を抜いて目を閉じて、黙って受け入れてくれている。  
 
「……ん」  
 
鼻にかかった呼吸は初めて知った桜子の声で、気づいた時は幸福におかしくなりそうだった。  
好きな女とキスすることがこんなにも気持ちのいいことだと知らなかった。  
桜子姉ちゃんなのに桜子じゃない女のようだった。  
次第に何も考えられなくなり、髪に指を通して頭を抱えて、夢中で柔らかい弾力を押しつける。  
おずおずと押し返されてから食み合うようになり、快感が増した。  
呼吸に熱が混じる。  
 
「んん……ぁ…」  
 
こもる吐息は蕩けきっていて理性が炙られた。  
滑る唇が触れ合うたびに唾液のせいでちゅ、とやらしいと音を立てる。  
ああ、あれか。  
この音がするから、コレの事を「ちゅう」っていうのか。  
すごくどうでもいいことを考えながら、甘い感触に浸り、何回も貪った。  
 
 
 
 
どのくらい夢中になっていたのか分からない。  
 
雨はだいぶ勢いを弱めて、雷も遠かった。  
それでもまだざんざんと橋の上から車が飛沫をあげている。  
膝を乗せた古タイヤがごつごつしていて痛かった。  
耳元にさっきから湿った熱があるのは、桜子だ。  
くたりとなって俺の頬に黒髪を預けて息を弾ませている。  
左手と俺の右手が完全に絡み合って繋がりあい、汗でべったりとして熱を持っていた。  
朦朧と繋いだ手を握り直す。  
 
「さくら、こ」  
 
もしかしなくても、何か、奇跡のような事態になっているんじゃないか……今。  
 
名を呼べば焦がれた温みに熱風がまたちりちりと吹いた。  
 
「桜子」  
「ぅん……、ぁ…」  
 
色っぽい声をあげて、首元でもぞ、と濡れた肩が身をよじる。  
少し我にかえりつつあるらしかった。  
俺は我を忘れそうだが。  
なんなのその声。  
 
思わず空いた腕で抱きしめて何度も名を呼んだ。  
 
「…ぁ、てっちゃん……。あ。あの、苦し…」  
「うん」  
「うんって、こら、ちょ……も……、っ!」  
 
暴れようとしたが力が入らないらしく、桜子姉は苦しげに、は、と呼吸した。  
布越しにとくとくと早い鼓動が伝わってくる。  
燻っていた火が急激に煽られて勢いを増す。  
後頭部は熱した鉄のようで動悸が収まらない。  
息が荒くなるのを止められない。  
 
駄目だやばい。  
衝動が頭を埋め尽くして抑えるだけでも死にそうだ。  
 
ここで抱きたい。  
濡れた服を全部剥いでめちゃめちゃに汚して痕をつけて中に挿れて掻き回して泣かせて犯したい。  
もっと桜子に俺の印を擦りつけたい。  
 
駄目だと分かっている。  
こんな場所で、一番好きな子に、そんなことをしたいなんて、妄想だ。  
現実みろよ無理だろ、しっかりしろ。  
 
とりあえず桜子が本当に苦しそうだった。  
慌てて腕の力を緩める。  
 
「ごめん」  
 
回しただけの片腕で、黒髪に鼻を埋めるとシャンプーと雨と甘い匂いが混じって、またぐらりときた。  
握り合った指先を、ほどきかけて、繋ぎ直した。  
首元で浅い吐息が乱れる。  
 
だから駄目だって。  
 
無理やり言い聞かせても下半身はいうことを聞かない。  
昂りが今にも理性を食い尽くしそうで辛抱できそうになかった。  
 
額の裏がちかちかする。  
 
暗くてあまりよく見えないせいか雨のせいか余計に強く五感に訴えてくる。  
腕の中のぬくい女の匂いに体温に酒よりも酔う。  
なんでこんなに柔らかいんだろう。  
 
ああ、そういや確か。  
このきれいな手、好きにしてもいいんだっけか。  
 
頭上の橋がまた車で揺れる。  
 
思考が鈍くなっている。  
白熱する意識の中、浮かぶのは桜子姉ちゃんのことばかりだ。  
 
いつかの予感を思い出す。  
 
夏の洗面所で吹きつけるドライヤーの熱風と髪をかき回す心地良い指先。  
太陽と河原、グローブに消える白球の乾いた音、空に伸ばされた幼い腕。  
土手の下から、てっちゃん、と大きく振られるセーラー服の手、川面を照らす夕暮れ。  
野球観戦の九回裏に千切れんばかり握られた手のふにゅとした感触。  
冬のコタツで向かい合って説教しながら、蜜柑の筋を丁寧に取る珊瑚色の指の先。  
今ここで繋ぎあっている、俺に好き放題されて濡れた、柔らかな。  
 
そう。  
全部鮮明に憶えている。  
本当は自慰行為を知る前から雄の本能がずっとこうして汚してみたかったのだろう。  
空いた手でジーパンの腰に触れ最低限の金具をゆっくりと外す。  
窮屈さから開放された「それ」を外気に晒して握っていた細い手を引き触らせた。  
いきなりのことに桜子は、一瞬、何が起こったか分からないようだった。  
手の触れた先をぼうっと見つめる。  
やがて、気づいたらしく顔が暗い中でも分かるほどじわじわと朱に染まった。  
 
「………っ」  
 
ぴとりとした指先だけの感触は刺激には程遠い。  
無理やり触らされている手が震えている。  
気持ちいい、けど物足りない。  
指を重ねて、もう少し触らせてみる。  
まだ状況に追いつけていないらしく、戸惑う声が裏返る。  
 
「て……てっちゃ、な、嘘、あのこれ何っ」  
「握って」  
「ああ、ぁ………っ」  
 
怯えた声が可愛い。  
そう思ったので伝えた。  
 
「可愛い、桜子」  
 
びくっと肩が震える。  
 
「……う、嘘…」  
「怯えてんのすげえ可愛い」  
 
さっきから何度も「どうしよう」という顔で指先を見て俺を見て、また俺のものを見て目を逸らしている。  
堪らない。  
というかあまりに桜子が狼狽するので嗜虐欲がわいてきた。  
興奮する意識にくっつくだけの指がもどかしい。  
改めて、手を取って亀頭に触らせると抵抗された。  
中指に先走りの体液がついて糸を引いているのが反り返ったものを熱くさせる。  
 
「何で離すんだよ。『好きに使ってください』って言ったのは誰」  
「あ……あれ、は」  
「それに男に手、出して『好きに使ってください』って言ったら、これ以外ねーだろ。  
桜子があんな声出すから、こうなってんだよ…」  
 
余裕がなくなってきた。  
息を喉に押し込める。  
 
「……つうか、出さないと、正直かなり辛い」  
 
本音を付け加えると、桜子が、引こうとした手を止めた。  
 
「で、も私、やり方知ら、な……」  
「握って。こう」  
 
導くと、今度は逆らわなかった。  
 
「こ、う?」  
 
おそるおそると。  
桜子の濡れてひんやりした手のひらが、震えながら近づいて、裏筋のあたりを包み込んだ。  
 
「う……」  
 
想像以上の感触に思わず呻く。  
何だこれ。  
想像をはるかに越えて気持ちよすぎる。  
気を抜けばこれだけでイきそうだ。  
 
「大丈夫なの?」  
 
手が慌てて離れた、助かった。  
いや助かってない、生殺しだ。  
不安げに覗き込む目に頷いて、また握らせる。  
初心な手肌はそれだけでいっぱいいっぱいらしく、ぎこちなく固まってしまった。  
やり方が分からないならと手に手を重ねて擦らせた。  
あっ、と桃色の唇から弱気が漏れるが聞かなかったことにする。  
先走り液はみっともなくこぷりと溢れ桜子の濡れた指と絡んで潤滑剤となる。  
にゅく、にゅく、と重なった手が動く。  
擦る音はささやかで雨音に混じり聞こえない。  
ただ互いの息が荒くなる。  
雨の夜で誰も来ないとはいえ、こんな橋の下に隠れるように立ちながら。  
勃起した醜い肉の塊に桜子の手が添えられて、俺の手で固定されて強引に扱かされている。  
なんて、光景だ。  
死ぬほど気持ちがいい。  
湿った黒髪に顔を埋めて浸る。  
 
「嘘だろ、あー、桜子が、俺の、してる……」  
「あ、あっ。うん、さわってる、私、こんな、てっちゃんの、ど、しよう…」  
「ダメじゃ、ね…だろ、この手、俺のなんだし…」  
 
会話にもならないうわ言を囁きあって、無性に堪えきれず肩を密着させる。  
至近距離にある唇を塞ぎたくなったがイってしまいそうなのでやめた。  
 
徐々に扱くリズムも一定になり先走り液にふやけた指はぬちゃぬちゃと滑りよく、搾り取ろうとしはじめる。  
 
「はぁ、は、や、また……おっき、く」  
「あー……、あーイく」  
「ぇ、あっ」  
 
上擦った声がエロい。  
どろっとした快感に呻き、逃げようとする手をがっちり押さえて最後の瞬間まで扱かせる。  
 
「やっ、やぁっ、うそ、ぁっやっ……」  
 
泣きそうな早い呼吸が煽ってくる。  
もう、もたない。  
自慰とは比べものにならない快感が陰嚢から精液を放出したいと這い上がる。  
少しでも長く味わいたくて絶頂をこらえた。  
やがて、眩む痺れが全身に走りはち切れそうなものを絞ったところで、それは来た。  
声にならない呻きを漏らしながら本能のままにものを包む柔肉に擦り付け、どくどくと放出する。  
初めて自慰をしたときにも劣らない強烈な射精は驚くほど長く続いた。  
 
 
 
 
 
***  
 
当たり前だが、桜子のスーツは、大変なことになっていた。  
きちっとしたはずの服が濡れたうえに白濁液にまみれて目も当てられない。  
平謝りするしかない。  
 
「てっちゃん、ヒドイ」  
「ご、ごめん」  
「このままじゃ帰れないじゃない」  
「ごめん。ごめんなさい。なんでもいうこと聞きます」  
「ほんと?」  
「はい」  
「しょうがないなぁ」  
 
桜子が肩を竦めた。  
ふうと息をつき、立ち上がる。  
パンプスが俺の靴でぐちゃぐちゃのぬかるみを踏み越えた。  
 
「風邪引いちゃうし。おなかも空いたし。……帰ろっか」  
「そ、そのまま帰んの!?」  
「傘差さないで洗いながら帰るー。えっと……これ、濡らせば落ちるんでしょ?」  
 
ちょっと恥ずかしそうに聞くのがあらゆる意味でおかしい。  
まさかそうくるとは。  
本当に、学校や仕事以外では相変わらず大雑把だ。  
 
雨に濡れながら歩くのなんていつ以来だろうか。  
 
俺も付き合って、大粒の雨にまみれて帰ることにした。  
土手の水たまりを避けながら盛大に水をかぶって並び歩く。  
桜子は暫く服を擦りながら俯いていた。  
雷はどこか遠くに去っている。  
 
「てっちゃん、お願い決めた」  
「え、もう?」  
 
早いな。  
雨で聞こえにくいので自然と顔の距離は近くなる。  
ほんのり緊張を滲ませて、桜子は振り返る。  
 
「何?」  
「これからも、外じゃなければ、『てっちゃん』って呼んでいい?」  
 
まだ、お互い、言っていないことがあるはずだった。  
でも、多分。  
期待は気のせいでないのかもしれない。  
 
「桜子」  
「んー?」  
「俺のこと好き?」  
「その聞き方ずるい」  
 
その反応だけで充分すぎるほど幸せだった。  
たしかにずるい。と傍らでどこか冷静に苦笑する。  
まあ、あれだけ追いかけまくった俺の気持ちに気づかない桜子も悪いのだ。  
俺の「好き」と桜子の「好き」は、悪いが年季が違う。  
そんなに簡単に、聞かせてなんかやるものか。  
 
と思っていたのだが。  
 
桜子は、にっこり笑って、俺を見上げた。  
 
「ね。てっちゃんは、私のこと好き?」  
「……桜子は?」  
「答えてくれたら、もっと好きにしていいところ、増えるかもしれないよ」  
 
くらくらきそうな言葉を紡ぐ、唇の柔らかさをもう知っている。  
 
桜子姉ちゃんにはかなわない。  
 
 
 
 

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