長い時間をかけて昨夜の残滓を洗い流した後自宅に戻る。
帰るなり身に着けるしかなかった服を脱ぎ捨てまた浴室へと向かう。
肌が赤くなるほど、体温や感触をも消し去りたいとごしごしと洗う。
ベッドにしばらく座り込んでいたがやるべきことを思い出して腰を上げた。
制服や支給品を返還しなければならない。必要なものを袋に入れて昨日までの職場に足を運ぶ。
事務官の女性は淡々と処理をすすめた。
「はい、手続きは終わりです。お疲れ様でした。少尉」
「元、ですよ」
あら、と事務官は目を開いて失言をわびる。そして思い出したように付け加えた。
「そういえば、閣下からのご伝言がありました。いつでもいい、こちらにいらしたら執務室に顔を出して欲しいと」
内心はひきつっていたに違いないが、それなりの軍生活だ表情を出しはしない。
口調だけかすかな困惑を滲ませる。
「閣下が?何用でしょうか」
「さあ、私にはなんとも。少尉は優秀な補佐官でしたから閣下もそれは残念がっていたとは聞いていますが」
これ以上ここで話していても何も進展はしないだろう。
重い気分のまま最上階のフロアへと向かう。
本来なら退役した人間に近づくことなどできない場所だが、護衛も執務補佐官達も皆顔見知りで通達もされていたのだろう、
とがめられることもなくただボディチェックだけはされて重厚な扉へと通される。
それをノックするのは非常な勇気を要した。
ノックに応じた声を聞いて扉を開ける。日当たりのよい、だが今はやや光をさえぎっている執務室で主は机に向かい
積まれた書類に目を通していた。いつもどおりの光景だ。自分が軍服を着ていないのを除けば。
「マリアローザ・セレス元少尉、参りました」
条件反射になっている敬礼をして昨日までの主、軍の最高実力者の将軍であるレオンハルト・フォン・ハイゼンベルグを眺める。
将軍は書類に目を落としたまま落ち着いた声で質問をよこした。
「体はつらくないか?」
「はい」
硬い声で手短に返答する。
「ピルは飲んだか?」
はっと将軍を見やると書類から目を上げてまっすぐにマリアローザを見つめている。
「何故……」
将軍はふ、と微笑む。マリアローザが憧れていた穏やかな笑み、だが目に宿る光は穏やかとは言いがたかった。
「君が私を嫌がったのだ。当然妊娠も論外だろうと誰でも考えるだろう」
目の前の男に組み敷かれ貫かれた昨夜のことが思い出され、マリアローザの体が強張る。
「すまない、君が初めてだと思わなかったので乱暴にした。今度からは気をつける」
――今度、から?
「閣下、何かお考え違いをされているようですが、私は退役した身です。今後も含めお目にかかることはありません」
目の前の男の意図が読めずに、それでもマリアローザは釘を刺す。
だが、マリアローザなどおよびもつかない歴戦の勇士でもある将軍は意に介さない。
マリアローザなど手の上で転がすことはたやすい。
「今日から有給消化なのだろう?地元に戻るのはいつだ?」
「1週間後です」
この返事に満足げに頷いた将軍はコーヒーを2人分頼むと応接セットにマリアローザをいざなった。
昨日までの同僚がコーヒーとお茶菓子を出してくれた。その際マリアローザに微笑む。それにやや硬いながらも応じて
マリアローザはコーヒーカップを口に運ぶ。将軍も同じようにコーヒーを飲んだ。
「君が淹れてくれたものの方がうまかった」
昨日までならたまらなく嬉しかっただろう言葉も今のマリアローザには響かない。
そんな彼女に将軍は小さな何かを差し出した。つい受け取ったそれはどこかの鍵だった。
「私の家の鍵だ。1週間そこにいてもらう」
マリアローザは鍵と将軍を見比べる。
「昼は好きにしてかまわない。引越しの準備や手続きなどもあるだろう。夕方から朝までは私の家に来てくれ」
「待って下さい。そんな話はお受けできません、私には許婚が」
「――映像」
今度こそマリアローザは凍りついた。
将軍はソファの背もたれに肘をついた形で足を組み、楽しげに固まったマリアローザを眺める。
軍服姿でなくてもりりしく、美しい。それが今は青ざめて自分を凝視している。視線を向けられることに暗い喜びを覚える。
「君が1週間私のものになってくれるのなら、あれは処分する。許婚を悲しませることもないだろう」
拒否すれば映像を許婚に送ると。この男なら許婚を調べ上げることもアドレスを入手するのもたやすいだろう。
権力と卓越した手腕を誰より近くで見てきたマリアローザは理解する。やりかねない。
「家事はしなくていい。食事だけは作ってくれると嬉しい。好き嫌いはない。ここから好きに使ってくれ」
将軍はそう言うと無造作に紙幣が詰まった財布を渡す。
マリアローザは震えながら受け取るしかなかった。
コーヒーを飲み干して机に戻ろうとした将軍は付け加える。
「ああ、それと今日は君に贈った服を着てくれ」
「承知、いたしました」
震える語尾ながら、それでも言い切ったマリアローザに机に向きかけた将軍はきびすをかえし、ソファに戻る。
マリアローザを立たせて抱き込む。
「楽しみにしている」
そう囁いて柔らかい唇に、己のそれを重ねた。そこから震えが伝わった。
家に帰るのがこんなに楽しみなのは初めてかもしれない。明かりのついた家を眺め心が浮き立つ。
あそこに愛しい女がいる。
玄関を開けるとおいしそうな匂いがただよってきて、そこにマリアローザが立っていた。
「お帰りなさいませ」
夢のようでそれが夢でないことを確かめるためにきつく抱きしめた。腕の中で身をかたくした彼女はそれでも大人しく
抱かれるままになっている。しばらくそうして身を離しマリアローザの姿を眺める。
髪を下ろし、ワンピースが流れるように優美な曲線を際立たせている。
もとから化粧はうすいがふっくらと赤くつやめいた唇が誘うかのようにかすかに震えている。
「よく似合う、髪も下ろしたほうがいいな」
顎に手をかけて顔を上向かせ間近で眺めると、マリアローザの瞳に自分が映りこれ以上ない喜びを感じた。
「愛している」
そう言って唇を塞ぎ、こじ開けた唇の間から歯列や舌を堪能する。絡め吸い上げ、甘いとすら感じる唾液をすすり上げる。
夢中で口付けていると腕の中のマリアローザががくりと力を失う。
「閣下……」
「レオンハルト、レオだ」
頬が紅潮したマリアローザは、気付いていないだろうがすがるような視線になっている。
「レ、オ」
その口から名が紡がれた瞬間、戦慄に近いなにかが走る。気付けばマリアローザを抱きかかえて歩き出していた。
「か、レオ、どちらへ。食事が」
「君が先だ」
短く言いおき寝室に直行したレオンハルトはベッドにマリアローザを下ろす。
はやる気持ちを抑えながら上着やネクタイを外していく。マリアローザは上体を起こして後ずさっている。
それを捕らえて自分の下に横たえ、囁く。
「大丈夫、今日は優しくする」
額に、頬に柔らかく触れるだけの口付けを落とす。強張ったからだをほぐすように辛抱強く優しく触れていく。
頃合を見てまた唇を重ねる。少しずつ深くなるそれにマリアローザが眉をひそめる。
ん、と喉奥からの声にレオンハルトは目を細める。
娘のような年下の部下に心を奪われたと自覚したのはいつのことだろう。気付いた時にはその姿から目が離せず、笑顔や
自分にコーヒーを出してくれる仕草に心が躍った。
立場の差、年齢差、色々考えると動きようがなかった。決定打は許婚がいるとの情報だった。
狙っている者が多かった軍内にあってそれは一応は牽制になっていた。なかにはそれをものともしない輩もいたが
できるだけ自分の側においておくことで回避した。守ってきた。
自制が保てなくなったのは退役の報告を受けた時か? 恥ずかしそうに報告するマリアローザを前に、鉄面皮はいつもの
ように祝福の言葉を述べていた。
自分の前からいなくなる。他の男のものになる。
その時に許婚とやらがいたら間違いなく葬り去っていただろう。それほどの嫉妬を覚えた。
そして決意した。泣かれようが、嫌われようが、憎まれようが自分のものにすると。
予想外の抵抗とそれ以上に初めてだったことに驚いたが、同時に暗い喜びも覚えた。
初めての男になれた。
それきりでやめようと思った決意はあっさり覆った。マリアローザに自分を覚えこませたい。
欲望のままに罠を張る。幾重にも、決して逃れられないように。
唇を離すとマリアローザは切ないといってもいいかもしれない吐息を漏らした。
レオンハルトの口付けは昨夜の噛み付かんばかりの激しさではなく、官能を引き出すかのように執拗なものだった。
経験のないマリアローザなどものの数ではない。口付けだけで力が抜けてしまっていた。
ぼうっとしていたマリアローザは、その手がワンピースの上から胸をもんだ時にびくり、と身をすくませた。
「大丈夫、怖がるな」
囁かれ、ついでのように耳に愛撫を施されマリアローザは混乱する。耳に響く音がとてつもなくいやらしく感じる。
「やめ、て」
身をよじるとそれに乗じて背中のファスナーが下ろされた。背中を直になでる手に驚いてレオンハルトに向き直る。
レオンハルトは微笑んで首筋に唇を這わせる。手も口も体温も、昨夜同様いとわしいと思うのに逃げられない。
「痕はつけないでいてやろう。私としては君に刻みたいがね」
1週間で消えるか分からないから。そんな優しさなど要らない、そう思いつつマリアローザは抗えなかった。
ワンピースが脱がされ胸があらわにされる。すくうようにもまれ、先を含まれたとき背中がしなった。
マリアローザは自分は信じられなかった。嫌悪すべき相手に嫌悪すべき行為をなされているのに、意に反して
体が勝手に反応してしまう。何故 ?レオンハルトが優しいからか? 逃げられないと思うからか?
「マリアローザ、ローザ、愛している、愛しているんだ」
何度も何度も耳元で言われその言葉に浮き立った時、マリアローザは本当の意味で許婚を裏切ったと感じた。
その証拠に昨夜は濡れもしなかった中からじんわりと何かが漏れ出るのを感じた。
無理に奪われた相手に抱かれて、反応してしまった。
その夜は涙が止まらなかった。レオンハルトが入ってきたときもまだ痛いばかりで快感には遠かったが、昨夜よりは
痛みの程度が軽くスムースに受け入れてしまったことにショックを受けた。
レオンハルトは昨夜とは違いゆっくり、中を確かめるかのように動いている。入り口付近をこねるように腰を使われ
圧迫感はあるのにむずがゆい気分も生じる。太い指がたれた液をすくって結合部の上の突起をさすると電流のような
刺激が走って腰が浮いてしまっていた。怯えを含んだ視線でレオンハルトにすがってしまう。
それをあやすようにレオンハルトは、マリアローザを抱きしめる。
「怖がらなくていい、早くここと中でイケるようになれ」
ゆるゆるとそこを弄んでいたレオンハルトは、マリアローザの足を肩に上げ奥をうがつ。
苦痛なばかりで快感はない。それでも「ごめんなさい」とマリアローザは許婚を思って泣いた。
悪夢のように日々は過ぎた。相当に忙しいのにレオンハルトは将軍の職務を驚異的な速さでこなして、彼にすれば早い
時間に帰宅する。それをマリアローザが出迎える。食事と風呂をそこそこに毎夜マリアローザを抱く。
その姿は他人から見れば執着ともいえるかもしれない。
「ローザ、私のローザ」
うわごとのようにマリアローザを自分で決めた愛称で呼び、何度となく貫く。
1週間も終わろうかとしていた。
「ん、あっ、レ、オ」
こらえようとしてもマリアローザの声は艶を帯び、レオンハルトの愛撫に反応する。
「ここが、いいか」
揶揄すらマリアローザには刺激にしかならない。1週間の、ほとんど夜を徹してのレオンハルトとの交わりは確実に
マリアローザを変えた。レオンハルトの刺激に反応し、彼の愛撫を覚えこみ回数は少ないながらも絶頂も極めた。
今も中に入って、弱いところをこすりあげる指に反応して腰が淫らに揺れている。
「ふ、くっ、だ、め」
「駄目なら止めるか?」
わざと動きを止めてレオンハルトが尋ねる。
抱かれ始めはやはり多少は緊張しているマリアローザも、触れられると反応するのを抑えきれない。
精神力でぎりぎりまでは耐えていたが、それもレオンハルトを煽っているとは気付かない。
「いや時間が惜しい、こんなことも今夜限りだ」
レオンハルトは苦いものを飲み込むようにそう言うと、マリアローザの弱いところをこする。
「は、あぁっ、あああ」
指をきつく締め付けびくびくとマリアローザが達する。
その波を逃さぬようにレオンハルトは指を抜いて怒張したものをあてがい貫く。
そこは柔らかくほぐれうねうねと絡みながら、レオンハルトを迎え入れ離すまいとするかのように締め付ける。
教え込んだ以上に見事に開花して男を誘うようになったのに、レオンハルトは息をつめて耐える。
引いて奥へと出し入れするたびに快感が背を走る。マリアローザも喘いでいる。
「ローザ、いい、か?」
背に手を回して抱きつきながらマリアローザが忘我の表情になっている。
「レ、オ、あぁ、い、い」
そして一つに溶け合うかのように同時に達した。
「これでお別れだ。元気で」
「レ、閣下もお元気で。ご活躍とご健勝をお祈りします」
約束の終了の朝、そう言って別れを告げた。拍子抜けするほどあっさりマリアローザは解放された。
ただ不可解な命令だけが残された。半年間は避妊をしろ、と。マリアローザはいぶかしく思いながらも指示に従った。
地元に帰ってから程なく、レオンハルトの子供を孕まなかったことに心底安堵した。許婚には顔向けできない日を過ごしたのに
子供までとなればその罪ははかり知れない。許婚が向けてくる笑顔がひたすら申し訳なかった。
忘れてしまおう。そしてここで夫に誠実に生きていこう。それが許されるならば。
花嫁衣裳に身を包んでマリアローザは誓った。
夫との夜は部屋を暗くしてもらってやり過ごした。事後シーツを引っぺがして洗うことで偽装を施した。
罪悪感からマリアローザは夫に尽くした。継いだ家の煩雑なあれこれもそれに没頭することで、あの日々を頭から
締め出せるような気がして率先して取り組んだ。
許婚だった夫はもともと親戚で幼馴染のように過ごした。その愛情は激しいというよりは家族愛のような穏やかなものだった。
それを大事にしていけば、いつかはあの日々も過去のものになるだろうと思っていた。
だから、まさかこんな風になるとは思わず、マリアローザは呆然と目の前の光景を眺めるしかなかった。
夫が土下座をして側には先ごろ入ったばかりの使用人の娘がついていた。
「こども、が?」
どこか他人ごとのように口から出た言葉に、夫がびくりと身をすくませる。使用人の娘は涙を流している。
どうやら知らない間に夫が使用人と通じて、子供ができてしまった、らしい。
マリアローザの母親は怒り狂っているが、それを妙に冷静にみるマリアローザだった。
「本当にすまない。だが子供は生ませてやりたい。虫のいい話なのは分かっているが……」
「旦那様を責めないでください。私が悪いのです。いかようにもお咎めは受けますから」
非難の目にさらされながらも互いをかばう姿に、マリアローザは入り込む隙がないのを悟った。
「別れましょう。この家は貴方が継げばいい。もともと親戚なのだし奥さんと赤ちゃんを抱えては大変でしょう?」
マリアローザの提案に、親も夫も使用人も目をむいた。
「なんてことを、貴女がここの主なのよ」
母親の金切り声も決心を鈍らせはしなかった。
「お母様。親戚同士なのだもの、助け合わないと。私たちの一族の血が流れている赤ちゃんなのよ。大事にしましょう」
本人がこれではどうしようもない。生まれる子供のためにも私生児にする前に離婚の手続きをすすめた。
傷心の元妻がその場所を離れるのは傍目からは当然のなりゆきだった。
いまだ納得はできない母親にそれでも生まれてくる子供の後見を頼み、元の夫に家を託してマリアローザは地元を離れた。
それは、レオンハルトと別れてから半年後のことだった。
首都にと足を向けとりあえずホテルに宿泊したマリアローザの携帯に連絡があったのは、部屋に落ち着いて程なくだった。
番号だけで分かる。直通の番号。
やや緊張しながら通話状態にする。耳に低く落ち着いた声が響いてきた。
「ローザ、終わったようだね。またこちらで働いてくれるか? 私としては他の展開でもいいんだが」
知らず、携帯を握る手に力がこもる。
半年の避妊の指示、入ったばかりの若い娘、実に夫の好みそうな娘。
マリアローザの性格と行動を予測した上での離婚劇。
このタイミングで連絡をよこしたのは、おそらく監視もついていたのだろう。
「全てあなたの手の上ですか」
自分も踊ったマリアローザは疲れた声で問いかける。ふ、と向こうで笑う声が聞こえた気がした。
それはきっとかつてマリアローザが憧れただろう笑みに違いない。だがその目は暗い情熱をたたえ輝いているだろう。
「君が私を誘惑したんだ。だから私はそれに従ったまでだ」
マリアローザはしかし、捕らえられたのは自分の方だと感じた。
あの1週間レオンハルトはマリアローザに痕はつけなかった。その代わりに目に見えぬ枷をつけたのだ。
どうあがこうと他の選択肢はない。
「愛している、ローザ」
この上なく甘く、底知れぬ闇をたたえた言葉にマリアローザは目を閉じる。
「レオ」
もう涙は流れない。あの日無理に抱かれたのに愛の言葉に心を揺らした罪から逃れられない。
きっとレオンハルトと同じくらい罪深いに違いない。
誰も不幸にはなっていない。それだけが救いかもしれない。
レオンハルトの手で作られた偽りの幸せだとしても。
「レオ、私も愛しています」
「ああ、ローザ」
愛しい女の心まで手に入れた男の声は浮き立つ。それを聞きながら女の顔にも笑みが浮かぶ。
穏やかで暗いなにかをたたえた笑みが。
以上