レナードは書類に目を落としたままだった。
「で?」
その一言で窓に背を預けて眼下の景色を見下ろしていた人物は肩をすくめる。
「相変わらずいい景色ですね。ここからなら、世界を征服した気にもなりそうだ」
「そんなご大層なものではないが」
カルロス・バルデラス曹長は、かっちりとした軍服をもてあまし気味だ。襟元をぐいと緩めて、一息ついた。
対して机についているレナード・ダグラス少将は、一部の隙もなく軍服を着こなしていてそこに貫禄と自信が滲み出ている。
キラー・カルロスと言われる凄腕でもこの男の前では小僧扱いだ。
「ざっと報告したように、直接的に手を出そうとしたのは四人。その場で痛い目にはあわせて現場責任者には通告済みです。
本人が表ざたになるのを嫌がったので、手を回して引き離して地獄の前線送りってとこです」
「怪我や傷は?」
「押さえ込まれた時の擦過傷程度ですね。大したことはありません」
そこで初めてレナードがカルロスの方を向いた。真っ直ぐな視線は隠そうとするものまで暴くような深いものだ。
カルロスが親父と尊敬とこめて呼ぶ、実力者。
「精神的には?」
ぽり、と顎をかいたカルロスは翌日のリインの様子を思い出した。
よりによって現場のコンテナで平然と仕事をしていた。柔らかくて脆いくせに、強い。
「さすが鬼中佐の娘、とだけ言っておきましょう」
「そうか。ご苦労だった」
しばらくは本部でたまった書類を仕上げるのと同時に、後進の指導に当たれと指示を出してレナードはパソコンを起動させた。
本部勤めかとカルロスはうんざりする。
規則や規律などめんどくさくて仕方が無い。それより戦場や極秘任務で神経も肉体も極限に置く方が性に合っている。
適当に切り上げて早々に退散するに限る、と考えていたカルロスの耳に、レナードの低い声が届いた。
「――彼女は、いい女だろう?」
突然そう言われ、カルロスはタバコにつけようと思っていた火を消した。
ぽろりとタバコが口から落ちそうになるのを何とか留めて、ここ最近では珍しいほど間抜けな顔でレナードを凝視する。
レナードは至極真面目な顔のままだ。
さっきの質問はほぼ断定口調で、異論は認めないという無言の圧力を感じる。
「……ああ、そうですね」
「彼女は私のだ」
――わきまえろ。
この親父が独占欲かと笑いたいのに笑えない。カルロスは返答次第で、前線送りの四人よりも過酷な処分を受けそうな気がした。
リインへ求めたお駄賃がばれているんじゃないかと背筋が凍るが、レナードはそれ以上の追及をするつもりがないらしい。
「聞いてもいいですか?」
「何だ」
タバコは諦めて手近なソファに座り、カルロスはレナードに問いかける。
「親父は、あのお嬢ちゃんをどうするつもりなんですか?」
「どう、とは」
「どんな立場におくつもりなのかと」
独身同士だ、レナードにうるさいことを言う係累はいない。リインの家族にしたって年が離れているのを除けば反対する理由も
見当たらないような、傍目には何の障害もない関係。
軍内の噂ややっかみなど、この上官が気にするとも思えない。
黙殺か、笑い飛ばすか。いずれにしてもレナードに直接言える人物などごく限られているし、その人物は応援まではいかないとしても
事態は静観するに違いない。
「彼女は恋人だ。もう少しそれを楽しんでから、合法的に手にするつもりだが」
「……ならいいんですが。お嬢ちゃんの方もそのつもりなんですか?」
襲われかけた時、レナードの存在を出したらその目は動揺していた。嬉しいというより困惑の感が大きかった。
そして翌日、自分をおもちゃだと言い切ったきっぱりとした口調と醒めた目は、恋する女性のものとは思えなかった。
「さて。私は彼女から嫌われているからな」
嫌われている――それも違うように思えるのだがとカルロスは内心で首をかしげる。
嫌いと言うより自分の立場を明確に線引きしていて、そこにリインの感情は交えられていないような。
「嫌われているのに、結婚ですか?」
「矛盾しているだろう? ただ、お前も彼女を見たはずだ。あの視線には魅入られなかったか?」
矛先が自分に向いてカルロスは詰まる。ひよっこの中の白鳥とレナードは言い、実際にリインの目の力は確かにその通りだ。
唇をこじ開けて舌を入れていたらその場で最後まで奪ったかもしれないと思うくらいに、危うかった。
深入りしないように自制して必死で下半身の熱を冷まして、血迷うな、親父のものだとの範疇に収めたはずだ。
それなのに当のレナードが煽るようなことを言う。
「俺の忠誠心を試そうとするなら無駄ですよ。ひとのものに手を出すほど間抜けじゃない」
「……まあいい。本部では私は動きにくいから、何かあったら助けてやってくれ」
「分かりました。今度、飲みに行きましょう。もちろんおごってもらえるんでしょうね」
「承知した」
話は済んだとばかりに、いささか息苦しい将官の部屋から退散する。
こき、と凝り固まった肩をほぐしながら、今の会話を整理する。
レナードは本気、そしてリインには嫌われていると認識している。リインの本心は不明。レナードには遊ばれていると思っている。
なんでかねえ、とひとりごちる。
「あんなにいい女、俺ならべったべたに甘やかすんだが」
それこそこちらの気持ちをうざったいほどに伝えて、好きだということに疑いを挟む余地もないくらいに。
元々、複雑な思考回路を有して本心を滅多に明らかにしない上官だったが、ことリインに対しては訳が分からない。
まあいい。
「隙があるようならものにしろ。チャンスは自分で引き寄せろ、教えてくれたのは親父、あんただ」
戦場での鉄則だが喜んでそれ以外にも生かさせてもらう。
危険なにおいをさせてカルロスは機嫌よさげに階下に下りる。
死ぬほどつまらない本部のおつとめが少しでも楽しくなるかもしれない、そう思いながら。
リインは目の前のレナードに、どう対応していいか分からずに目を伏せる。
気持ちを自覚してからこっち、レナードと会うのは苦痛でもある。
以前とは異なる意味合いでの苦痛だ。レナードに本気とばれたら捨てられる恐怖と、本心を隠す背徳感、レナードを目の前にすると
見惚れてしまう浅ましさがあいまって、結果不自然な態度になる。
「どうした。まあ、大嫌いな私に触れられていればそんな浮かない顔になるのも仕方ないが」
レナードにそんな風に言われると、違うと叫びたくて泣き出しそうになる。
「ん……好きだ、と言ったら?」
顔を見るのが怖くて、レナードの肩に顔を埋める。穿たれて緩やかに支配される状況に、持っていかれないように背中にすがりつく。
その背中がふいに強張ったように感じられた。
無言で腰を引いたレナードは一気に奥へと突き上げる。
「ひっ、あ、あぁっ」
突然の激しすぎる動きに、悲鳴のような声を上げてしまったリインに構わずにレナードは無言で腰を打ち付ける。
容赦なく内壁を抉り、奥を突き、指で陰核をこね回す。
レナードの目は昏く、表情がない。
足を肩に担ぎ上げられて浮いた腰をつかまれ、容赦なくがつがつと突きこまれレナードからの汗がリインの上に飛び散る。
「は、げしっ、い、あぁああっ」
逃がさないとばかりにずり上がる体を引き戻し、レナードはひたすらにリインを穿つ。
急激に快楽の境界線は越えた。ひときわ高い声を上げてリインは真っ白になった。
体は力を失うのに、びくびくと痙攣をくりかえすそこは別のいきもののようにうごめいている。
ぐるり、と視界が反転した。うつぶせにベッドに押し付けられて、腰が引き寄せられる。
腰だけを高く上げた姿勢で、リインは再び揺さぶられた。
「まって、まだ……っ、やあっ……」
息も整わず、目の前がちかちかする。余韻も残さずにレナードが続けて抱くのはほとんどなく、戸惑うリインに考える時間は与えてくれない。
ぐりぐりとリインの弱いところを擦り上げて乱暴に胸をもみしだく。
手で支えられずに顔がベッドに沈むと、手首を握って後ろに引いて身を起こす。
「んっ、あぁぁっ、」
らしくなく乱暴に穿つレナードから、低い声が発せられた。
「――嘘吐きめ。私の名を呼びもしないのに、好きだと言えば私が喜ぶと思ったのか?」
名前? レナードの名前? 意外な内容にただでさえ回らないリインは混乱した。
それ以上に目の前が暗くなった。
嘘吐き。
好きだと言ったら、どうする? ゲームオーバーだと醒めて捨てる? 飽きて終わる?
死ぬほどの怖さをこらえて、レナードの真意を知りたくて口にした言葉は、嘘吐きの烙印を押されてしまった。
項をベッドに押し付けられて、レナードが覆いかぶさってくる。
リインは声を殺すように、顔を隠すように顔の両脇のシーツを固く握ってベッドに顔を押し付ける。
涙を、レナードに見られたくなかった。
体が重く動かせないリインを残して、レナードは服を着た。
「会議があるから私は行く。ゆっくりしていきなさい」
「……はい」
さらりと髪の毛を梳いてレナードは出て行った。
「レナード」
ドアが閉まるタイミングで呟く。聞こえていないのは承知の上だ。
体は重い。でもそれ以上に胸に穴が開いてしまったように力が入らない。
「名前を呼んでいたら、きっともっと早くに終わったと思うんだ」
初めての任地から戻って二ヶ月というもの、抱かれるたびに辛くなっていった。
抱かれると嬉しい。でも飽きられて捨てられるのが怖くて嫌いだというそぶりを続けていた。
もう限界だと思った。だから、初めて好きだとの言葉を口に出した。
「結果がこれか。嘘吐き、か」
笑いたいのに、笑い飛ばしたいのにできない。
名前を呼べばたがが外れる。好きだと狂ったように伝えてしまうだろう。
今だって一人きりの時にレナードと呼べば、その中にどうしようもない想いをこめてしまうのに。
視線に絡め取られて、無様に堕ちて。挙句嘘吐き呼ばわりか。
「ほんっと、どうしようもない」
自嘲を滲ませてリインは苦い息を吐いた。
そしてリインは程なく同じ言葉を呟く羽目になった。
ぼんやりと生垣でさえぎられたベンチに腰掛ける。二度目にレナードに会った場所だ。
ここで会わなかったらこんなことにはならなかったのか。レナードのことだから、別の手段で結局は絡め取られていたのか。
今となってはどうでもいいことだ、と緑を眺める。
背後に気配がして振り返った。視線の先には――。
「閣下」
行動を読まれて、これは自分が未熟なのか相手が上手なのか分からなくなる。
「どうした?」
その声に考えに考えた決心が鈍りそうになる。自分の立場、周囲の状況、家族への迷惑を思うとどこにも踏み出せない気がする。
ただ時間は待ってはくれない。悩んで動けなくても過ぎていく。
ならば、とリインは向き合う決意をした。
自分を気に入りのおもちゃとして見る、上官に。
レナードは少し前を友人と歩いているリインを見つけた。
いつものように視線を送る。気配に聡くなったリインは視線を感じると肩を引きつらせて振り向くのが常だが、今日はゆっくりと振り返った。
最近は目を伏せることが多かったリインは、この日は珍しく視線を受け止めた。
距離があるのにレナードを認め、少し微笑んだようにも見えた。
錯覚と思い、レナードは目をこらす。リインは友人に話しかけられてそちらを向いて笑みを浮かべた。
自分に向けられた笑顔ではないと自覚し、レナードはリインを観察する。
すんなりした姿態で柔らかい印象をかもし出す、年若い彼女はついぞレナードには久しく見せなかった穏やかな表情を見せている。
それが苛立たしくもあり、それでも目が離せなくてしばらくリインの姿を追い続ける。
普段なら最初の視線を受け止めた後のリインはこちらに関心などないそぶりを見せるが、再び振り向いた。
少し目を細めてじっとレナードを見つめる。
軽く会釈をしてリインは今度こそ振り返らなかった。
そしてリインはレナードの前から消えた。
リインの不在に気付いたのは連絡が取れなくなってからで、官舎は空室になっていた。
親友のアネットも行き先を知らず、適当な理由で実家に連絡を取れば『任務の一環』で不在にすると告げられていた。
なによりレナードの情報網にかからずに消えてしまった。痕跡が全くつかめない。
カルロス・バルデラス曹長に繋ぎを取ると、こちらも本部から特殊任務についたと協力できない旨が告げられる。
レナードは呻く。個人でここまで完璧に隠れることはできない。
かつてリインを脅す材料に使ったアネットは、同僚と結婚するとかで退役手続きを取っていて手出しできない。
――何から何まで周到に計画された消失。権力のある上層部が関与しているのは間違いない。
レナードに思いつくのはただ一人だった。
「彼女の行方を知りませんか?」
単刀直入に切り出せばやっと来たかとばかりに、面白そうな表情になる。
「彼女って?」
「とぼけないで下さい。リイン・アドラーのことです」
「さあ? そんなに慌ててどうしたのか?」
「姿を消しました。仕官学校の奨学金は一括返済されており、完璧に行方をくらませています。あなたが協力したのでは?」
革張りの贅沢なオフィスチェアに背中を預けて、詰め寄られた上将は手を組み合わせる。
その余裕に満ちた態度がレナードを苛立たせた。
「前に忠告したはずだ。あまり彼女を甘く見ない方がいいと」
レナードはうろたえた。確かにそんなことは言われた。だが、リインが自分の手から飛び去るとは考えてもいなかった。
何重にも枷をかけて逃げ出せないようにしていたはずなのに。
上官の言い方ではこの逃亡はリインの意図したものであり、レナードへの意趣返しであることは明白だ。
「あなたが匿っているのですか?」
「さあ?」
語尾を上げているが、からかうものではない。本気で告げる気がない時の物言いだ。
ならば徹底的に調べるまでときびすを返しかけたレナードは、背後からの上官の声に足を止めた。
「一つお節介をするが、きちんと想いを伝え合ったのか?」
「それはどういう……」
「言葉通りだ。ああ、調査しても無駄だ。徒労に終わるだけだから」
部屋を出る際にふざけたことに上将は頑張ってとでも言いたげに、ひらひらと手を振っていた。
こぶしを握り締めることでやり過ごし、レナードは自分の部屋へと戻る。
上将があれでは本気でリインを秘匿したに違いない。行方をかぎつけるのは困難を極めるだろう。
――諦めるか? 否。
浮かんだ気弱な疑問はすぐに否定される。リインを諦めるなどできない。彼女は自分の――。
「想いを伝え合う。彼女の想いなど、私から逃げるくらいなのだから決まっている」
ひどく苦い現実はレナードを打ちのめした。
調査しても無駄、という宣言どおりにリインの行方は杳として知れなかった。
使える部下や専門家も、おそらく上将の残した偽の手がかりに踊らされるばかり。
焦りだけがレナードをさいなんでいた。
リインが姿を消して一年近く。ふと閲覧したインターネットの動画で、その横顔を見出すまでは。
不思議にその顔だけがレナードの視界に飛び込んできた。あたかも最初にリインに一方的に出会った時のように。
一瞬だけだがあれは、あの目は間違いない。
何度も再生し確信を強めたレナードは、動画の情報を検索する。
場所を特定したまった休暇を強引に取り付けてその場所へと向かった。
リインが単なる旅行者である可能性は否定できない。その場所に行ったからといって探し出せるとも思えない。
ただ、ようやく見つけたかすかな光明にすがらざるを得なかった。
飛行機を乗り継ぎ、車を走らせてレナードはようやくその場所に到着した。
動画は広場で大道芸をする様子を記録したものだった。
人手は多く、レナードは周囲に視線を走らせる。
いるかどうかも定かではない。いない可能性の方がはるかに高い。それでも。
レナードの背後から陽気な声が聞こえる。
「今日の夕食は何だ?」
「シチューと、海鮮のサラダに鳥のパイ包み焼きにしようと思って」
勢い良く振り返ったその先にはリインと、横を歩くカルロスがいた。
ふとリインが会話を途絶えさせてこちらを見た。手を口にやって棒立ちになる。
カルロスはそんなリインをいぶかしげに見て、ようやくレナードに気付いた。
「親父」
「久しぶりだ、元気そうだな」
我ながらのんきなあいさつだと思いながら口は勝手に言葉を紡ぐ。
リインとカルロスは一時の衝撃から立ち直ったようだ。仲睦まじい様子に殺意にも似た思いが湧く。
「お邪魔だったか」
様子が変だと気付いたのは、カルロスが深い溜息をついてどこかに電話をかけた時だった。
「今いいですか? カルロス・バルデラス曹長です。見つけられました。……ええ、はい、今代わります」
おもむろに差し出されたスマートフォンを反射的に受け取って、レナードはリインに視線を固定したまま相手の声を聞く。
「おめでとう、レナード。思ったよりも早かったな」
相手は半ば予想していたように上将だった。
「閣下。皆で私をからかっていたのですね」
「いい加減素直になれ。今度こそよく話し合うんだ。曹長には任務完了と伝えてくれ。速やかに撤収、帰還するようにとも」
通話は終了されて伝言と共にスマートフォンを受け取ったカルロスは、やれやれと無精ひげの残る顎をかいた。
おもむろにリインに向き直り、にやりと笑う。
「じゃ、お嬢ちゃん、俺はこれでお役ごめんだ、全く人使いの荒い上官だぜ。落ち着いたら連絡をくれ」
「本当にお世話になりました」
軽く抱擁して頬に口付けをしあった二人は、カルロスがコートの中から何かをリインに手渡すとあっさりと別れた。
リインは大事そうに胸に抱きしめてレナードを見つめる。対するレナードの声は平坦だった。
「それはカルロスの子か? それとも上将の?」
リインの腕の中では赤ん坊が眠っていた。
固い表情のリインがレナードの詰問に色をなくす。それは一瞬のことで、次にはさっと頬に血の気を上らせた。
「あなたのです。レナード」
今度はレナードの方が硬直する番だった。リインに初めて名前を呼ばれたのもさることながら、この子が自分の子?
リインはレナードの前に立ち、眠る子供の手をそっとひらいた。
「ここに、あなたと同じ位置にほくろがあるでしょう?」
言われてのろのろと自分の手のひらを見つめる。確かに同じようなほくろが並んではいる。
だが、おかしい。そんなはずはない。リインは自分を嫌っていて避妊をしていたはずだ。
「君は避妊を……」
「あの、任地から帰った直後だと思います」
離れていたのでつい薬を飲んでいなかったと。そしてレナードから足腰が立たなくなるほど抱かれて翌朝も飲むタイミングを逸したと。
確かにその時期に妊娠したのなら、話は合う。
しかし最も重要な問題が残っていた。
「君は私を嫌いなはずだろう。何故子供を産んだ。それに何故、行方をくらませた」
リインは眠る赤ん坊の頭に軽く口付けて、レナードを見た。そこには母親の強さや慈愛が見て取れた。
泣き笑いのような表情でリインはゆっくりと告げる。
「嫌いじゃありません。好きになってしまったんです。嘘じゃありません。だから産みました。でもあなたにとっては私はおもちゃで、
それが妊娠したと知れたらこの子がどうなるかと思うと――処分されてしまうのではないかと思って姿を隠したんです」
手配は上将が、護衛を兼ねてカルロスが付き添ったのだと聞かされた。
「軍関連の企業の研究機関で働いていました」
厳重なセキュリティと、完璧な経歴詐称でやってきたのだと聞かされ、上将が嬉々として細工を弄する様が思い浮かぶ。
レナードはそれよりも確認したいことがあって、リインに半歩近づく。
「君が私を好きだと言ったか?」
「はい。おもちゃの分際でですが」
「待て。私は君をおもちゃなどとは……」
「でも所有物なのでしょう?」
脳裏にこれまでリインにかけてきた言葉がよみがえる。――君は私のものだ。
独占欲の塊の言葉が、リインにとっては所有の言葉というのか。
たまらずにレナードは子供ごとリインを抱きしめた。赤ん坊の体温は高く、その体は柔らかくて頼りない。
リインは抗わずにレナードの腕の中に佇んだ。
「あれは、私の独占欲だ。確かに最初はゲームのような感覚だった。だが、すぐに君に――どうしようもなく惹かれた」
至近距離で二人は見つめあう。
「君を、愛している」
リインの唇が震えた。泣きそうな顔になり、実際に涙が浮かぶ。
拒絶されたかと冷や汗をかくような思いで時間が過ぎた後で、レナードは花がほころぶようなリインの笑みを目の当たりにした。
「嬉しい、です。レナード、本当に嬉しい」
「リイン……」
二人の間で眠っていた赤ん坊が身じろぎをして、目覚めた。
その瞳の色は確かに自分と同じだとレナードはぞくぞくするような喜びに包まれる。
目の前で微笑むリイン。優しいその眼差し。
――その視線に捕らわれたのは。
視線 完