03,5 好きだって今日は言ったっけ  
 
 せっかちな父の影響なのか、それともぼんやりした幼なじみが傍に居るせいなのかは分からないケド、あたし自身はそれなりにしっかり者だと思っている。  
 生まれてこの方無遅刻無欠席で通しているし、忘れ物なんかほとんどない。課題をしてこないなんてありえないし、どんな小さな約束だって忘れない。  
 愛用の手帳には、いつも細々としたメモでいっぱいだ。  
 修なんかはそれを見て  
「よくそんなに書くことがあるな」  
 なんて言うケド、あたしに言わせれば同じ学生の身分なんだから必要なメモの量は大して変わらない筈なのだ。  
 その辺りが忘れ物の有無に関わってくるのだと修には言うのだが、そもそもメモを持ち歩くということから出来ない男なのだ。  
 必然、あたしがあれやこれやと口を挟むことになる。  
 初めは憮然としていたものの、最近ではようやく納得したらしく大人しく耳を傾けてくれる。  
 そんな時に少しだけ思うのだ。  
 本当に、修はあたしがいないとダメなんだから、と。  
 あたしと疎遠だった時期もそんなに苦労した風でもないんだから本当はそんなことないんだケド、そう思えることを嬉しがっているだけで。  
 修には言えないケド、これがあたしの甘え方でもあるのだ。  
 愛用の手帳には予定やメモの他に、ささやかではあるが日記も書いてあることがある。  
 日々のちょっとした嬉しかったこと、良かったことを書くようにしている。  
 嫌なことや辛いことがあった時、ふとそれを読んで元気を出せるように。  
 嬉しかったこと、良かったことと言っても大層なことは書いてない。  
 テストで良い点が取れたとか、お店でおまけしてもらえたとか、流れ星が見えたとか、美味しい物を食べたとか、ふと見たテレビに好きな歌手が出ていたとか。  
 後になって読み返してみても、わざわざ書くほどのことかと我ながら思うほどのつまらないことだ。  
 
 部屋が整理出来ないからなるべく物は捨てるように心がけているケド、手帳はなかなかそうはいかない。  
 年末なんかになると、思い切って捨てようと思う。  
 
 わざわざ声に出して「今年こそ捨てるぞ!」と自分に言い聞かせても、結局残してしまう。  
 そのせいか、中学生からこっちの数冊分の手帳がまだ残っている。押入れに仕舞われた手帳は、あたしにとってアルバムでもあるのだ。  
 ボールペンの代え芯を探していると、引き出しの奥から去年の手帳が出てきた。  
 どうやら年末に片付け忘れていたらしい。ふと手帳を開いてみる。  
 細々とした予定やメモに混じって書かれた些細な出来事。  
 けれど、ふと忘れられたように白いままの部分もある。  
 さすがに毎日毎日予定や良いことばかりではなかったということなのだろうケド、それでもこの日は何があったのか思い出したくなった。  
 一ページにつき一週間の手帳。一日分の空白は横に長く、意外に大きい。  
 書くほどもない些細なことしかなかった日がどうだったのか、今となってはもう思い出せもしない。  
 本当は些細なことでも良い日だったかも知れないし、ひょっとすると何か嫌なことがあったのかも知れない。  
 思い出せないというのはどうにも居心地が悪い。卵にうっかり殻の欠片を混ぜたまま焼いてしまって、それを噛んだ時のような。  
 空白の部分に思いをはせながらページをめくっていくと、ふと急にそれがなくなった。  
 はて、何をきちきちと書いているのかと思うと、修のことだった。  
 やれ修が服のボタン取れたままにしていただの、作ったお弁当を褒めてくれただの、球技大会で相変わらず活躍しなかっただの。  
 つまらないことばかりだ。修のことばっかりだ。  
 何を思ったのやらと、頬が緩む。それはあの日以降で、我ながら現金で笑えてしまう。  
 もう八月だが、そう言えば今年の手帳も修のことでいっぱいだ。  
 大体今まで探していたボールペンの代え芯だって、手帳に書き込もうとして切れているのに気付いたのだ。  
 先ほど筆不精ならぬ電話不精の修から珍しくかかってきたのが嬉しくて残しておこうと思ったのだ。  
 電話不精の修から特に用もなくかかってきたというだけで嬉しいことだ。  
 忘れないうちに書いておこうとペンの芯を用意した。  
 筆不精でもある修だが、妙に文房具に愛着らしきものがある。  
 普段から使うペンを本妻、予備を二号、三号と呼んでいる。  
 正直あまり気持ちの良い呼び名ではないので止めて欲しいケド、『本妻』はあたしの愛用のペンと同じだからあまり強く言えない。  
 それにいつだったか修が買ってくれたもので、だからこそ愛用なんだケド。照れ屋な修にとって、精一杯の『お揃い』だった。  
 その本妻を使い、些細なことを今日の枠に書き込んでから思い出した。  
 あまり『好き』なんてことを言ってくれない修が、この本妻を使って初めて書いた文章は、あたしにくれた手紙だった。  
 おかしな話だケド、付き合い始めてから修はラブレターをくれた。  
 いつか修が貰っていた時のことをふと思い出して話したその次の日に、本妻を添えて渡してくれたのだった。  
 手紙にはいつも色々と助けてくれることに対しての感謝の言葉が偉そうな文章で書かれていて、最後に付け足したような素っ気無さで『好きだ』とあった。  
 ラブレターと呼ぶにはあまりに硬い文章は照れ隠しで、四苦八苦しながら書いている姿が目に浮かんで微笑ましかった。  
 逆に修は、あたしが好きと言えば付き合い始めてから九ヶ月経っても、やっぱり怒ったような照れたような不機嫌なような顔になる。  
 そのだらしなくも可愛い顔を見るのが楽しくて、あたしは折をみては好きだって言うようにしている。  
 今日は電話で話しただけで、顔を見ていない。  
 ふと修の複雑な顔を見てみたくなり、お出かけの用意を始めることにした。  
 
 

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