03,6 はじめの一歩
確かバスケ部か何かの、女子受けの良い……名前は憶えていないケド、とにかく人気の高い男子がお弁当を自作して来た。
休み時間に近くの席の子や、文芸部の幼なじみとお喋りしていると、ふとそんな話になった。
お料理できる男子ってすごーい。なんて目をキラキラさせていた子が、尋ねてきた。
「で、二人の彼氏って出来るの?」
人の彼氏の話が聞きたくて仕方ない彼女は、くりくりとした目と華奢な体つきで、どことなく妹っぽい子だった。
男子受け良いケド、気安いその性格が仇となって未だに彼氏が出来たことがないのが悩みの種と言っていたのを思い出す。
だからなのか、恋愛話に目がなくて仕方ないらしい。
「出来るわよ」
しれっと答えたのは文芸部、ペットボトルのお茶を舐めるみたいに飲んでいる。どことなく自慢げだ。
「あれでも一応一人暮らしだし、それなりには。凝り性だから本気で作らせたら結構凄い」
いつだったかハンバーグ作ってもらったら、包丁で肉を叩くところから始めてしまった。と文芸部は苦笑する。
出されたものは何でも喜んで食べるケド、自分で作る分にはとことんやらないと気がすまない性分であるらしい。
「だからあの子にご飯作るのは大変。そりゃ何でも美味しそうに食べるけど、やっぱり負けるのは何か嫌だし」
困ったように微笑むケド、あたしには分かる。アレは嬉しくて仕方ない顔だ。お料理上手な彼氏が密かに自慢なのだろう。
「ね、ほとりは?」
その話を興味津々で聞いていた隣の子は、当然の様にあたしに振ってくる。
「修は―――」
困った。
郷文研と文芸部はいわばライバルのようなもの、負ける訳にはいかない。いかないけれど―――
まるでダメだ。勝てる要素が見当たらない。
下手をすればカップ麺でさえ作っていることを忘れてグダグダにしてしまうような男だ。
以前誰も居ないからと作ったパスタは、茹ですぎてうどんになっていた。ソースもテレビ番組通りに作ろうとしたらしいが、失敗していた。
なんでも「いやな、だってほとり、あいつら「はい、こちらが十分経ったものです」なんて言い出すんだぜ! 卑怯だッ!」だとか。
頭が痛くなってくる。そういうの、テレビ番組見ながら作る方がどうかしてる。
「お……修だって、やれば出来るわよ。その―――多分」
結局答えようがなくて、そんな適当なセリフしか口に出来なかった。
「ま、まあほとりが上手いから、ちょうどバランスはとれてるわよ」
「そうそう、ほとりのご飯って、すごい美味しいよねッ」
「はあ、ありがと」
ケド、思う。
やっぱり、修は美味しそうに食べてくれる方が良い。下手に作れたりるすよりも。
負け惜しみも少しはあるケド、あたしの料理を食べてニコニコしてくれているのは本当に幸せだ。
そんな話をしたのが先月頭。
無事合宿が終わった翌日、あたしはいつも通り修の家を訪ねた。一人家で居る修の昼食を調える為だ。
当たり前のように現れたあたしに、修はカルピスを作ってくれた。
「夏のカルピスだ」
とそんなことを言って偉そうにふんぞり返る。
「今年もまた夏が来た。あの日飲んだカルピスの味は、二人で眺めた夕日は、手を繋いで帰ったあの道は、もう戻ってこないかも知れない訳だ」
「……どこでそんなセリフ拾ってきたのよ」
「ん、ちょっとな。それはそれとして、今日の昼飯は俺に任せてもらおうか」
「え?」
偉そうにふんぞり返ったそのままで、修はそんなことを言い出す。
からん、と氷が鳴る。出してくれたカルピスに手を伸ばすと、コップが汗をかいていた。
あたしは咳払い一つしてから
「急にどうしたのよ」
となるべく平静を装って尋ねる。男子厨房に……なんてことは言わないにしても、修はまるで料理なんて出来ない。
「……文芸部が出来るのに、俺に出来ないのは悔しい」
どこからか聞きつけてきたらしい修は、ごく真面目な顔で
「ほとり、俺に料理を教えてくれ」
と言った。
「ちょうど夏休みで時間はある。こないだ村越にやってたやつ、俺にも頼む」
やる気がある所をみせるつもりなのか、鉢巻までしめた。
「……いいケド、あたしより修のお母さんの方が教えるの上手いよ、絶対」
「いや、ほとりが良い。ほとりが他所で自慢できるくらいになりたい」
どきりとした。
よほど先月の話が不満だったらしい。
とはいえ、いきなりの話だ。あたしは台所と相談した結果
「今日はざるソバでいいわね」
と振り返る。修はいかにも不服そうだ。
「ざるソバって、茹でるだけだろ?」
「あら、いつだったかカップ麺を作りそこなったのは誰だったっけ?」
「……お湯を注いで三分待つ方法からお願いします」
「キッチンタイマー使おうか」
「ん」
恥ずかしそうに怒った顔で小さく頷く修は、こう言っては何だケド、ちょっと可愛いと思った。
修の記念すべき初めての(学校の調理実習を除けば)のお料理は、おソバということになった。
修はうどんよりもおソバが好きで、それもざるで食べるのを好んだ。
まずは道具。あたしがぱっと用意を整えてから、これをどう使うかから説明する。
おソバ茹でるなら大きなお鍋でたっぷりのお湯が良いこと、それから洗って水を切るのに丁度良いサイズのざるを使うことなどなど。
いつもとは逆に、あたしが教える立場になるというのは少しだけくすぐったい。修はいちいちうんうんと頷いていて、あたしはそんな姿に少しだけ嬉しくなる。
自然と声が高くなるのを隠しながら、あたしはおソバを湯がいてみせて、少し蒸らしてからしっかり洗い、水を切って盛り付ける。
となりで修がおっかなびっくり真似をしていて、あたしは何だかお料理を習いたての頃を思い出してまた少しくすぐったいような気がした。
二人一緒に用意した初めての昼食をテーブルに運ぶ。
開け放した窓からは近くを流れる川の涼しい風が流れてきて、風鈴が呑気に歌っている。
遠く積みあがった入道雲が広がる暑い夏。
いただきます、の声の後。
満足そうに顔いっぱいの笑顔で食べる修の顔を眺めて、あたしは幸せな気持ちになった。