03-01 デッサン  
 
 何が楽しいのか、ほとりはニコニコとしている。  
「ひとのまくらはよいまくら〜」  
「何の歌だよ、それ」  
 人の腕を枕にして、ほとりははしゃいでいる。普段とは違う環境が、よほど楽しいのだろう。  
「んー、お泊り。わくわくさんだ」  
「今日は何を作るんだい?」  
「あははは、下手くそー」  
 着ぐるみの声はほとりには不評だった。  
 灯りを落とした部屋で、小さな声ではしゃぐのは、まるで修学旅行か何かのようだ。  
 もっとも、俺とほとり以外誰もいないのだけれど。  
 見知らぬ天井、すぐそこを流れる川のせせらぎに耳を傾けていると、ほとりが呆然と呟いた。  
「おかしいね」  
 ほとりは人の腕を枕にしたまま、俺の顔を見上げている。  
 夜空をまとめて詰め込んだような瞳が、窓から差し込む月明かりを映して揺らめいている。その中に間抜けな顔をした自分が居る。  
「何が」  
 尋ねると、ほとりは悪戯っぽく微笑んでから  
「わかんないけど」  
 と人の腕に顔を埋めてみせた。  
 腕の中ではしゃぐほとりの頭を撫でながら、俺は明日の予定をいい加減に立てることにした。  
 
 大学受験が終わった数日後、俺とほとりは旅行に出た。  
 卒業旅行というヤツだ。といっても温泉宿に二泊三日というささやかなものだが。  
 年末、商店街でしていた福引で当てたものだった。  
 因みに俺はクジ運は悪い。自慢じゃないが、自販機の当たりでさえ引いたことがない。アイスのクジも、一回あったか、なかったか。その程度だ。  
 ほとりもそう良い方ではない。たしか何かの雑誌の懸賞を当てたことがあるくらいだった。  
 俺達のクジ運はどこに言ったかといえば、多分それはかがりさんだ。  
 かがりさんのクジ運は凄い。もはや神のご加護でもあるんじゃないという位だ。ウチの氏神様って、クジ運をどうこう出来るんだろうか?  
 さておき、そのかがりさんが当てた温泉旅行だったが、俺達に譲ってくれたのだった。  
 兄貴と行くようにと言ったのだが、かがりさんは  
「んー、あたしは大丈夫。今度ちゃんと連れて行ってくれるから。ね」  
 と微笑む。後ろで兄貴は  
「人が多いところは嫌だぞ」  
 と、呆然と言ってのけた。や、つか、兄貴は旅行ぐらいしたらいいと思う、放っておくと何もしないぐうたらなんだから。  
 とにかく、かがりさんの厚意に甘える形で、俺とほとりは卒業旅行に行くことになったのだった。  
 
 温泉街をほとりを伴ない歩き、その辺りのお店を適当に冷やかし、地元とは違った趣の風景を眺めるだけの穏やかな旅行だ。  
 およそ年頃の男女がする旅行とは思えないような趣味の内容だが、俺は満足だ。  
 自慢じゃないが、俺の州崎ほとりは幸せ上手だ。  
 ささやかなことでも本当に楽しそうに、嬉しそうに受け入れてみせている。  
 ひなびた温泉街のお土産屋で、お店番のご老人相手に随分話しこんでいる。ああいう聞き上手な所は、俺は嫌いじゃなかった。  
「ゴメンね、話し込んで」  
 たっぷり二十分はこの辺りの話をしてきたほとりは、申し訳なさそうに俺を見上げる。  
「んにゃ、お前は得意だよな、ああいうの」  
「そうかな」  
「ああ」  
 申し訳なさそうなほとりの頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めていた。  
 そういえば、ご老人は帰り際に  
「よほど良い家庭に恵まれたようだねぇ」  
 と嬉しそうにされていた。  
 ほとりの育ちは、今日日珍しいくらいに良いと思う。  
 他所の子の俺が思うくらい、良い家族だと思う。  
 
 ひなびた温泉街をウロウロしていると、ふとつぶれた映画館らしい建物を見つけた。  
「映画って言えばね、お父さんの話したことあったっけ?」  
「ん? 親父さんが、どうかしたか?」  
 ほとりはクスクスと楽しそうに笑った。  
「お父さんって、映画館で映画観るの苦手なの」  
「へえ、まあ分かるよ」  
「修も得意じゃないよね」  
「ああ」  
 映画に限らないが、どうもあの手合いのものは長い間見ていられない。途中、自分ならこうする、といったことを考えてしまい、画面に集中できないのだ。  
「お父さんは修とちょっと違うよ、単純に寝ちゃうんだから」  
「あー、なるほど」  
 なんとなくその場面が目に浮かんだ。  
「いつだったか、お父さんと映画館に行ったんだ」  
 高校に入ってすぐのことだそうだ。それもかがりさんが何かで当てた、映画の先行上映会だったらしい。  
 小母さんに「たまには行って来たら?」とせっつかれ、照れ屋でせっかちな親父さんはビールで勢いをつけてからほとりを連れて映画館へ。  
 行ったはいいものの、役者の舞台挨拶の辺りで親父さんはうっつらうっつらし始め、暗くなったとたん眠ってしまったそうだ。  
 それから何度も起こすのだが、目を開けるのはその時だけ。  
 結局内容は何も分かっていなかったらしい。  
 前評判の良い恋愛物というのもまた、親父さんとはミスマッチだが。  
 帰ってきた親父さんは、小母さんに「あの女優さん、どうでした?」と尋ねられて「そんなヤツ出ていたか?」と返したそうだ。  
 親父さんの口調を真似るほとりが、妙に上手くて俺は声をあげて笑った。  
 
 食事を終えて、風呂も堪能し、窓際でぼんやりと外を眺めていると、ふと親父が母さんに爪を切ってもらっていた時のことを思い出した。  
 夜に爪を切ると親の死に目にあえなくなる、などと言うが、親父などはそういうことに妙に律儀だった。  
 実家を嫌がってはいても、古い家での教育が骨身にしみているのかもしれない。  
 風呂上りにパチパチやっていると、親父が苦い顔で  
「お前は親の死に目にあいたくないのか」  
 とビールを呷っていた。ふと自分の死ぬ時でも想像したのか、親父は複雑そうな顔になって  
「とにかく、そのくらいにしろ」  
 と爪切りを取り上げた。  
 かと思えば、自分は風呂上りに母さんに足の爪を切ってもらっていた。  
「俺はもう居ないからいいんだ」  
 と、親父はふん、と言い訳のようなことを口にする。  
 ぱちり、ぱちりという音はひどく重く、俺は変な気分で、いつまでも見るものではない気がした。  
「ね、何が見える?」  
 湯上りの、石鹸の匂いをさせてほとりが寄ってきて、俺は思わず抱きしめていた。  
「ッ、どうしたの、急に甘えんぼ?」  
「……そうだな」  
 湯上りのほとりは、一際良い抱き心地だった。  
 
 

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