01.春水面
卒業の日、私はずっと好きだった人に気持ちを伝えて……そしてふられた。
頭下げると、私は顔を見ないように逃げて土手を駆け上がる。
そこからは徐々に人気がなくなっていく母校の校庭が良く見えて、私はそのままそこにうずくまる。
そのままどれくらいそうしていただろうか?
すっかり日も暮れて、寒くなってきて、けれど立ち上がる気力もなくて、私がこのままここで凍えて死んでしまいたいと半ば本気で考えていた時
「大丈夫? こんな所で座ってたら風邪引いちゃうよ」
とても優しい声が、私に降ってきた。
「ああ、第一中学、今日卒業式だったんだ」
顔を上げると、とても長い髪の女の人がそこにいた。
私も一応女だから分かる。長い髪は何かのモデルさんのように艶やかな黒で、とても丁寧に手入れして、大事に大事にしているのがありありと見て取れた。
春先の暗い夕暮れの中、その人はとても柔らかく微笑んでいる。
すっと整った顔で、シャープな印象だけれど同時に柔和な雰囲気も持っていて、私の理想の人みたいだった。
「あたしもあそこの卒業生なんだよ、あなたは今年の?」
見とれて一瞬頷くのが遅れたけれど、その人は温かな微笑みを返してくれた。
「じゃあ会ってるかもね、あたしが中学三年の時あなた一年だから」
驚く。目の前の女の人は、私とそんなに変わらない年齢だというのか。たった二年の差で、こんなに人間大人になるのか。
女の人は、一言で言えば綺麗だった。
顔だけならもっと綺麗な人はいるだろうけれど、持っている雰囲気が優しくて綺麗な人だ。
だから私はどきどきする。こんな人が身近に居た奇跡に。
「あなたは進学先、決まってる?」
思わず力いっぱい頷く私に、女の人はやっぱり微笑んでくれる。どうすればこんなに誰かに優しく微笑みかけられるのだろう。
「そう。あたしは……ほら、見える? あそこ」
女の人は少し遠くの建物を指差して
「あたしはあの高校に通ってるのよ、あなたは?」
と悪戯っぽく笑う。私は、この瞬間神様に感謝した。女の人が指差した先は、私がこの春から通う高校だったからだ。
表情だけで分かってくれたのか、女の人は……先輩はさも嬉しそうに
「なら、春からはあたしの後輩ね。よろしく」
と手を出してくれた。
その温かな指先に励まされて、私は立ち上がる。
私とさほど変わらない背丈だけれど、やっぱり先輩はとても美人だった。同じ人類とは思えないくらい。
宵闇が辺りを包み込み、先輩の背中からまん丸の月が昇っている。その幻想的な美しさに私は息を飲んだ。
だからこの瞬間、私は先輩に恋をした。
節操なしだと世界中に罵られてもいい。私はこのとても綺麗な長い黒髪の先輩が好きになったのだ。
私の顔を見て、もう大丈夫と思ったのだろう。先輩はもう一度とても綺麗に笑ってから
「じゃああたしは行くね。少し早いケド、これからよろしくね」
と歩いていく。
その背中に私は
「先輩! 先輩の名前を教えてください!」
ようやく声を掛けられた。
先輩は静かに振り返ると静かに微笑んでから
「あたしの名前は州崎ほとりよ、何かあったらいつでも来てくれていいからね」
と手を振ってくれた。
これが、私がほとり先輩と出会った日の……好きになった瞬間のお話だ。
優しくて美人なほとり先輩に、私はもうすっかりのぼせてしまっていた。
長い黒髪と、優しい声と、綺麗な微笑。
それが、私のほとり先輩だった。
◇
入学式の帰りは部活勧誘の時間でもあるらしく、俺は両手いっぱいにビラを持っていた。
周りは色々な部活動が新入部員の勧誘に必死だ。
そこそこ美人のマネージャーに私を甲子園に連れてってと言わせている野球部。
高い位置に投げさせたボールを宙返りで蹴り続ける大道芸をみせているサッカー部。
何故か着ぐるみでうろうろしている軽音部。
代わりにステージ占拠の上ライブをしている第二文芸部。
一緒に蒼い春しませんかと声を張り上げる水泳部。
二つに分かれて生き残りをかけた勝負をしていると訴えている演劇部。
なぜかボクシングの真似している奴やエロ本で新入生をつろうとする奴がたむろする男子卓球部。
赤毛の男がデンプシーロールみたいにぶんぶん体をゆすって威嚇しているバスケ部。
人類には早すぎる絶技の数々を披露してクレーターを作っているテニス部。
赤毛の女の子がニコニコしていてその横をたれ目で長身の男がウロウロしているお料理研究部。
女の子五人と男二人が顧問に食事をたかられている剣道部。
電波な内容が売りで春から心霊現象を特集している非公認部活の新聞部。
先ほどは意味不明のことを叫びながらビラを配っていたバニーさんまで居た。アレ、何部だ?
そして机にビラだけ置いて誰も居ない文芸部。やる気あるのか?
とりあえずこの高校の部活はロクなものがないらしい。
俺は押し付けられたビラを持て余して、居場所もなくウロウロと校庭を歩き回っていた。
さっさと帰った方がいいかなあ。と思う。
幼なじみの女の子が居るのだが、しっかり者のあいつは何か用があるらしくさっさとどこかに行ってしまった。
きょろきょろしてるとそれが目についたのだろう、綺麗な女の人が微笑んで近付いてくる。
地球温暖化が叫ばれて久しいが、今年の入学式はうまく桜の時期に間に合ったらしい。
はらはらと散っていく淡い色の花の中を、長い黒髪の女子生徒が近寄ってくる。
はっとするほど整った目鼻立ちだけれど、柔和な表情のおかげで冷たいという印象はない。むしろ温かな午睡のような優しさを感じる。
何より、長い黒髪が目を引く。誰もが個性を騙って生まれ持った物を染め変える中、その黒髪は心を打つような美しさだった。
だからその黒は、世代を重ねて、そうすることで生まれた美しい色なのだろう。
「ね、君。まだ決まってないのかな?」
その先輩と思しき女子生徒は、俺の手の中のビラを見てそう声を掛けてくれた。
思わず声を失い、何度も首を縦に振る俺にその先輩は微笑みかけてくれた。
本当に、春の似合う綺麗な人だ。俺は思わず見とれていた。
「ん、でももう手いっぱいみたいだね。ウチのビラ……持ってってくれないかなあ?」
「だ、大丈夫ですッ!」
他のビラを鞄に詰め込んで、俺はそのビラを受け取る。
ほっそりした手の白さにどきりとする。
中には丁寧な字で郷土文化研究部と書かれていて、取材をしているらしい生徒の背中の写真が写っている。
この先輩が撮ったのだろうか? 男子生徒らしい背中がお年寄りと話をしているシーンだった。
「郷文研は、今年新入生が入ってくれないと誰も居なくなっちゃうの。今一人だけだし」
どうやらこのビラの人物はもう卒業したらしい。想像する。
この先輩と二人きりの部活動を。
夕暮れの部室。甘い匂い。優しくて美人の先輩と二人きりの毎日。
「入ります」
即決だった。
そして一目惚れだと思った。
これが運命だと。
俺は真剣に、そう信じたのだ。
「そう! でも……いいの?」
「はいッ! 新しいことがしてみたいんです! よろしくお願いしますッ!!」
「そっか。じゃあこれ入部届け、名前書いて先生に出しておいてね。部室は……ビラに書いてあるけど、分かる?」
「ありがとうございます! 分かります! あ、俺……僕の名前は朝井春樹です!」
「朝井君ね、あたしの名前は州崎ほとりよ。よろしくね」
優しい笑みと、甘い声音と、春の日差しにきらめく綺麗な長い黒髪。
それが、俺のほとり先輩だった。
◇
ほとり先輩に、名前を言えてなかったと気付いたのは、その日上機嫌で家に帰ってからだった。
だから私は入学式が終わった瞬間、クラス内でさっそく友達を探しているらしい生徒をかき分けて上級生の教室に走っていった。
幼なじみの男が、ぼんやりと「部活見に行くケド、来るか?」と誘うのを切って捨てから、向かいの校舎へ。
私達の通う高校は二棟の新校舎と、音楽室や書庫、資料庫のある旧校舎一棟で構成されている。
一年生の教室と上級生の教室は、別の棟ということになるようだ。
ほとり先輩は昨年の生徒会副会長をされていたそうで、すぐに教室は見つけられたけれど、なんでも部活の勧誘に向かわれたらしい。
私はさっそく校庭へ。
こんなことならさっさと行けばよかったと思いながら校庭へ駆け込むと、ほとり先輩はすぐに見つかった。
たったそれだけのことに私は運命的なものさえ感じる。
「ほとりせんぱーいッ!」
私の声に、ほとり先輩はすぐに気が付いて振り向いてくれた。
あの日と同じ、見惚れるような美しい黒髪が、桜吹雪の中にどうどうとひるがえっていて、私は息を飲んだ。
こんなに綺麗な人が居ていいのかと、私は嬉しくなってしまった。
少なくとも現時点で、ほとり先輩と一番親しい新入生は、多分私だと信じた。
「あら、いつかの。もう元気みたいね」
ほとり先輩は、やっぱり優しい微笑みで私を迎え入れてくれた。春の散歩道みたいに穏やかな人だ。
「はいッ!! あの、私、先輩の名前だけ聞いて自分が……」
「ああ、そうだったね。あなたの名前は?」
「はい! 私は村越皐月です! 村を越えるで村越、五月の別名の方の字で皐月って!」
くすくすと、ほとり先輩は楽しそうに笑ってくれてから
「じゃあ改めて。あたしは州崎ほとり。中州の州に崎で州崎、ほとりは平仮名」
「州崎……ほとり、先輩」
私はその甘い名前を何度も口の中で転がしてから
「あの! すごく可愛くて先輩にぴったりの名前だと思います!」
と言って、そうしてから気が付く。何を言っているんだ、私は。
けれどほとり先輩は、やはり優しそうに微笑んでくれて。
「ありがとう。村越さんも、皐月って名前良く似合ってるよ。元気で可愛い感じで」
それだけで私の心は舞い上がる。
やはりほとり先輩は素敵だ。こんな言葉一つで、私には宝物になる。
そこでようやくほとり先輩が手にしているビラに気付く。
「あの、先輩。ソレ……」
「ああ、そうだ。村越さん部活決まってる?」
「いえ」
「そう、ならこのビラ、貰ってくれるかしら」
「もちろん!」
ビラには郷土文化研究部と書かれている。
美人でその上こういった活動にも積極的に参加されていて、どこまで完璧なんだろう。
「今郷文研は廃部寸前なの、一人しかいなくて」
「入ります!」
「……あら、即答。でもいいの?」
「はい! 私を入れてください!」
思わず身を乗り出す私に静かに微笑みかけて、ほとり先輩は入部届けを渡してくれた。
一人。先輩一人の部活に私も入りたい。これほど素敵なことはない。想像する。
この先輩と二人きりの部活動を。
夕暮れの部室。甘い匂い。優しくて美人の先輩と二人きりの毎日。
私の高校生活は、こうして幸先の良いスタートを切ったのだった。
少なくとも、この瞬間までは。
◇
入学式の翌日、さっそく嬉々として入部届けを出した俺に、担任の先生は
「郷文研か。よく入ってくれたな。ありがとう」
と言ってくれた。どうも郷文研は資料庫の整理係も兼ねているらしく、常に一人は欲しいというのが教師の本音であるらしかった。
俺にしてみれば先輩と二人きりの部活だ。まさに利害の一致。
放課後さっそく旧校舎に向かうことにした。
「妙に上機嫌ね、朝井」
「そっちこそ、何があった? 村越」
荷物をまとめていると、古い友人が通りがかった。
村越皐月。
また同じクラスになった長い付き合いの腐れ縁、いわゆる幼なじみになる奴だが、こいつは……いつの間にか同性愛に目覚めていた。
割りと本気のレズの人で、いったい何があったのやら。とは言え基本気の良い奴なので、俺達は普通に友人として付き合っている。
もっとも、こうやってもう一度話をするようになったのはここ数年のことだ。それまでは子供らしく避けていた時期も普通にあるのだが。
閑話休題。
村越は女の子が好きな女の子だが、とはいえそんな個人の趣味嗜好をとやかく言うつもりは俺にはない。
だからこそ、お互いあまり友達の居ない俺達も、それなりに仲良くやれているのだろう。
幼なじみなんて単語で周りが想像するようなこともなく、少し話をする友人程度の距離感で付き合っているのだ。
「私は、素敵な先輩を見つけたってだけよ」
なるほど、また獲物を見つけたわけだ。なかなか難しいだろうが、俺は笑ってから
「そうかー。まあ頑張れよ」
と言っておいた。
「まかせて!」
村越はふん、と鼻息荒く出て行ってしまった。
しかし、奇遇だな村越。俺も素敵な先輩ってのを見つけたのだから。
上機嫌で旧校舎に向かう。
少し離れた場所にある旧校舎は校庭から少し離れるためだろうか? 静かに佇んでいる。
俺はもらったビラをもう一度確認する。
旧校舎最上階東の端が、郷文研の部室……資料庫だ。
俺は意気揚々と旧校舎の昇降口に足を踏み入れる。見れば、つい先ほど上機嫌だったはずの村越がそこに居た。
「どうした、何があった」
「朝井……まさかとは思うけど、あんたの行き先って……」
「うん? 資料庫だけど?」
「ッ!! あんた郷文研に入るつもり!?」
「そうだけど……まさか村越、お前の言ってた先輩って!」
キッと目を吊り上げる村越。どうやらこいつもほとり先輩狙いらしい。
「さっき入部届け出した時に聞いたもう一人の新入部員って、あんただった訳か」
「……村越、ついさっき頑張れとか言っておいて何だが……諦めてくれ」
「無理。あの人は私の理想なんだから。あんたこそ諦めなさい」
出入り口でにらみ合うが、まるで埒が明かない。
結局話し合いの結果、お互いの入部までは認める。けれどほとり先輩については、今後の展開次第ということで納得をすることにした。
つまりこれから、俺と村越のほとり先輩争奪戦が始まるということだ。
上等だ。村越にとって理想の女性がほとり先輩だっていうのなら、俺だってそうだ。
ほとり先輩の嗜好が村越と同じでない限り、俺の方が有利な勝負だ。だから俺は上機嫌のまま最上階を目指して、資料庫のドアを開いた。
沢山の資料らしき本や何かの道具類、その他郷文研とはあまり関係なさそうな教材の類まで。
資料庫は沢山の道具で溢れかえっていて、俺と村越はほとり先輩の姿を求めてその中をかき分けて入る。
多くの資料の中で、奇跡の様に取り残されたスペース。
そこに古びた事務机と会議室にありそうな長机が二つと、小汚いパイプ椅子が幾つか。
どうやらそこが、郷文研の活動の場らしかった。
大量の本で埋もれた机の向こう側に、誰かが座っているらしい。
「あの……朝井です。入部希望の」
「村越です。ほとり先輩……いらっしゃいますか?」
ぱたん、と本を閉じる音。
そして、ぎいと椅子が鳴き、その人は立ち上がった。
いい加減に着込んだ制服と、申し訳程度に整えられた蓬髪。
いかにもやる気のなさそうな顔の男子生徒だった。
「んー、まさか本当に釣れるとはなあ……半分冗談だったんだが、ほとり一本釣り」
「あ……あの、あなたは一体」
呆然と村越が尋ねる。俺も同感だった。誰だ、この人。
「朝井君と村越さんな。一応昨日ほとりから聞いたぞ。ようこそ郷土文化研究部へ。俺が郷文研、部長にして唯一の部員、神流修だ。よろしくな」
郷文研部長……神流修先輩は、いかにも人好きしそうな顔で、くしゃりと笑った。
「あ……あの……ほ、ほとり先輩は?」
「あー、ほとり、ほとりな。あいつならそのウチ来るぞ。多分」
「多分って……ほとり先輩が、郷土文化研究部の部員なんじゃ……」
そうだ。俺もそう思っていたのに、来てみれば知らない男子生徒が居たのだ。これは詐欺ではないのか。
「あー、まあ半分くらいはな。まあウチはご覧の通りいい加減な部活だし、この時期の新入生以外に部員募集してないし、来るなら勝手にどうぞって扱いだ」
「そんな」
俺はさすがにがっくりとした。
意気揚々と入った部活動に、ほとり先輩は居ないのだから。
「なるほど、お前らほとり目当てか。びっくりするなあ、お前らほとりの何が気に入ったんだ?」
「ッ!! 神流先輩、でしたね」
キッと目を吊り上げて、村越は一歩前に。
「神流先輩は、ほとり先輩とはどういう関係なんですか?」
「ん……あー、まあ、その……何だ。アレだ」
がりがりと頭を掻き、神流先輩は言葉に迷う。
だから俺には分かってしまった。多分、隣で唇をかんでいる村越にも。
「あら、もう来てくれたの」
ちょうどその時、望んでいた声が後ろから。
「ほら修、ちゃんと椅子用意しなさい。せっかく来てくれたんだから」
「あー、そうだな」
ふにゃふにゃとあやふやに笑って、神流先輩はのろのろと立て掛けてあったパイプ椅子を出す。
長机の前に用意された椅子ニ客は、少し古臭い。
「とりあえず、話を聞こうか」
と神流先輩は椅子を俺達にすすめ、ほとり先輩に目で何かを言う仕草をしてみせた。
ほとり先輩もほとり先輩で、心得顔で微笑んで頷き窓際へ。
どうやらお茶を用意してくれるらしい。
村越が何かを言いたそうにうずうずとしているのに頷きかけて、椅子に腰掛ける。
「それで神流先輩……ほとり先輩とはどういう?」
村越の質問はまだ終わってないらしい。
ぎゅっと手を握り締めて、挑みかかるように上級生男子を見据える。
「あー、まあ、想像通りだよ」
「それじゃ分かりません」
「……随分必死だなあ、嬢ちゃん」
「私は嬢ちゃんじゃありません! それより答えられないんですか? つまり、その程度の―――」
「付き合ってる」
村越の言葉を遮って、先ほどのぼんやりとした雰囲気を振り払って、神流先輩は言い切る。
「俺の……彼女だ」
「村越」
俺は目で諌める。いわばここは相手のホームだ。勝ち目はない。
「えー、っと。まあ、騙すような形になってアレなんだが、ウチは君達を歓迎するよ」
神流先輩は、事務机からごろごろとこれまた古臭い椅子を引っ張り出してきて俺達の前に座った。
「まさか本当にほとり目当ての子が来るとは思わなかったよ」
俺もビラ配ってたのになあ、と神流先輩。
「まあ、ほとりは大抵毎日ここに居る。あまり嘘はついてないつもりなんだがね」
「でも、アレじゃほとり先輩が一人でやってると思います」
村越に目で促されて、俺はとりあえず言ってみる。
「アレ? ビラちゃんと読んでないのか?」
「ビラ?」
「俺の名前が書いてあるだろ」
「…………じゃあ、あのビラに写っていた人って」
「俺。あとあのご老人は俺の親戚で知恵袋。色々お世話になるから、君達も郷文研に入るなら紹介するよ」
ほとり先輩が用意した茶を舐めて、いかにも熱そうにしながら
「もちろん、二人がウチに入るなら……だけど」
にこりと笑う。ほとり先輩の件がなければ、きっと良い先輩なのだろうけれど……今はその笑みが勝者の余裕にしか見えない。
隣を見れば、村越は臨戦態勢だ。
ほとり先輩が置いてくれたお茶を一瞬嬉しそうに見てから、村越は
「分かりました。入ります」
と言った。
奴は本気だ。本気でほとり先輩を取りに行く気だ。
だから俺も負けるわけにはいかない。
「俺も……お願いします」
目の前の湯飲みには、丁寧に淹れられたお茶。
神流先輩……部長の後ろには、ごく自然とほとり先輩が立っている。
それがいかにも収まりがよくて、悔しくなった。
隣で、村越が挑みかかるような顔で、それを見つめていた。
◇
二人が帰った後を、修は複雑そうな顔で眺めている。
「ね、修……あの子達、続けてくれるかな」
「始める理由なんて何でも良いさ。後は俺次第だろうよ。それより」
修はすっかり冷めたお茶を飲み干してから
「お前、モテモテだな」
と振り向いて、にやりとした。
「あんたが思ってるよりはね。ところで……」
「あん?」
「見直した? あたしの魅力」
「…………」
修は何かを言いよどんで、そうしてからぐいと湯飲みを突き出す。
「お代わり」
「はいはい」
分かりやすい照れ隠しに、あたしは嬉しくなった。
言いよどんだセリフは、また帰り道で聞き出そう。頼めばちゃんと言ってくれる。
そんなちょっと面倒な所も、あたしの好きな所だった。