00,2. ゆきうさぎ
初めてのデートは映画になりそうだと教えてくれたのは、料理を教えてくれている修のお母さんだった。
このところ毎日タウン誌の映画情報やら何やらとにらめっこして、難しい顔であたしが楽しめそうなものを考えているらしい。
読書家で乱読な修は、映画はあまり観ない。
原作小説が気に入っているものなどを一人観に行く程度だ。
確か今年は昔の映画のリバイバルしかやってない古いホールに一度行ったっきりの筈だ。振袖姿の女性がいっぱい出てくる映画で、ひょっとしたら修は和服が好きなのかもしれない。
修の映画の趣味は、つまりそういうものだ。
アクションは目が回るし、恋愛物は眠くなるし、ホラーはポスターさえ見たがらない。
ファンタジーは少し見たけど、あまり好みじゃなかったようだった。
世界的に有名な魔法少年は、修受けはしなかったらしい。そもそもあたしが借りてきた本も少し読んだだけのようだし。
さて、修の趣味に付き合うなら文学作品の映画化か、SF小説のそれか。
それにしても、修はやはりぼんやりしてる。修の行動はある程度教えてもらえるのに気が付いてないらしい。
あたしと自分のお母さんがこうしてお料理教室をしていることなんて知っているだろうに、少しは察しはしないのだろうか?
デートの約束は、なんでもない会話の合間に挟まっていた。
「クリームコロッケってさ、どう作ってるんだ?」
昼食のクリームコロッケに醤油をかけてもりもり食べながら、修はそんなことを言い出した。
修のお母さんが留守の土曜、代わりに食事の用意をした時のことだ。
修は揚げ物に醤油を使う。ウスターソースやとんかつソースも使わなくはないケド、醤油が好きらしい。
何にでも醤油をかけたがり、以前目玉焼きに醤油かソースかで言い合いをしたこともある。
修の食べっぷりは気持ち良い。どんなものでも美味しそうにもりもり食べてくれる。修が何かを食べている姿があたしは大好きだった。
その修はしげしげとクリームコロッケを眺めている。
「こんなとろとろしたもの、どうやって形成して衣つけて揚げてるんだ?」
「別に難しくなんてないよ。今日は鶏肉のホワイトソースを冷やしてから衣をつけて揚げただけ。手にサラダ油付けたら作りやすいケド」
「へえ、冷やすのか。そういや冷めたシチューもとろとろじゃないもんな」
修は納得したように三つ目のコロッケをばりばりと頬張った。
「うん、今日も旨い」
「ありがと、あたしは……っと」
ケチャップにウスターソースにとんかつソース、マヨネーズに胡椒少々。
「それさあ、旨いの?」
「あたしは好きなの」
色々な調味料を混ぜた特製ソースをかけてコロッケを食べる。
「うん、上出来」
「どんな味なのか想像出来んな」
「食べてみる?」
ソースたぷたぷにして
「はい、あーん」
差し出すコロッケを訝しげに見てから素直に口にしてくれた。
「……珍しい味がするな」
「そうかな、全部うちにあるのだよ?」
「まあ、これもイケるか」
「でしょ?」
修はふむ、と納得したようにツナサラダにも醤油をかけてから
「ところでほとり、明日暇か?」
とこちらを見ないで言った。ツナをぐりぐりかき混ぜて、サラダをつつきながら。
「…………うん」
冷静を装ったケド、内心では『うわ、やった、きた』と飛び上がりそうになった。
いつでも大丈夫に決まっている、着て行く服だってもうずっと前から決めているし、何度シミュレーションしてきたことか。
「ならさ、その、あー、何だ、アレだ。どっか行かないか?」
「ん……どっかって?」
「だから、その、まあ、何だ、いわゆるアレだよ、アレ。あー、その……」
その一言が照れくさいらしい修は落ち着かないように視線をさまよわせてから、ごほん、と偉そうに咳払いをしてから。
「デート、しようか」
「はい」
上ずりそうになる声に自分でおっかなびっくりして、あたしはぶんぶんと頭を縦にふった。
おかしな返事をしたケド、変に思ってないかと修をちらりと見ると、むすっとした顔でご飯をかきこんでいた。
優しくしてくれる時と同じ、怒ったような素振りにほっとした。
先にあれこれと聞かされていたことに少し後ろめたさもあったケド、そんなの関係なかった。素直に嬉しい。
照れ屋な修が自分から誘ってくれる日が来るとは。何だか感慨深いものがある。
それはさておき、初めてのデートは多分映画。
ベタといえばベタだけど、あたしにはそんなの関係ない。
さてどんなのに連れて行ってくれるのか。
今なら有名風刺小説が元の洋画か登山がテーマの邦画か、飛行機でお姫様を連れて飛ぶアニメか、少し前の恋愛物のリバイバルもやっている。
リバイバルと言えば、修が好きな文豪の作品の映画がやっていたはずだ。数年前の映画で、あたしにも見やすいはずだし、ひょっとしたらそれかもしれない。
多分邦画かなあ、と思う。ひょっとすると文豪の作品かもしれないが。
それにしても、察しそうなものだけど。あたしが先に聞いていることなんか。
相変わらずむすっとした顔の修を見ていると、変な罪悪感を覚えた。
結論から言えば、さすがにそれくらいは察していたのだった。
少し先に来ていたらしい修は意地の悪そうな、得意そうな笑みを浮かべて
「動物園行こう」
と言った。
日曜午前十一時、少しだけ肌寒い秋のその日。
あたしは時間ぴったりに駅前に着いた。
修は面倒くさそうに待ち合わせの場所でぼんやり道行く人を観察していた。
いつもより丁寧に整えている髪。
いつものよれよれの服じゃなく、こざっぱりとした格好。
あまり鮮やかな色や原色は好きじゃない修らしく、白いシャツに深い藍の上着を羽織っている。
少し嬉しくなる。
あれは、あたしの為にめかし込んでくれたのだ。
「修」
あたしは自分の格好が変じゃないか少し確認してから、声を掛けた。
修はちらりとこっちを見てから
「来たか」
と立ち上がった。
「修」
「…………行くか」
今、修がどんな顔をしているのか。
そんなことは分かりきっている。照れくさくて、でも何か言いたくて、でもやっぱり恥ずかしくて困っている顔だ。
だからあたしはちょっと苛めたくなる。
「修、今日も格好良いね」
「ッ! お前!」
思わず振り向いた修に、あたしはめいっぱい笑いかける。
「修はいつだって格好良いよ」
「お前……そういう―――」
「言わなきゃね、分からないこともあると思う。あたしが今どう思ったか。どう嬉しかったか」
「…………」
修はようやくあたしの方を向く。
ようやく肩の力を抜いた修はいつもの少しだけ困ったような、けれどとても優しい笑みを浮かべている。
「ほとり、随分めかしこんだな」
「この流れで、その顔で、そう言う?」
照れ隠しにしてもやりすぎだ。ケド修はにやりと悪戯を思いついたときのあの顔で
「綺麗だ。ほとりがそうやってめかし込んで、綺麗にしてくるのが、俺は嬉しい」
と言ってみせた。
そりゃ、言って欲しくて促したんだケド、実際に言われるととんでもなく恥ずかしい。
何が『綺麗』か、何が『嬉しい』か。
言われなれてないことをさらりと重ねられて、あたしはどう答えればいいのか分からなくなって、結局憎まれ口を叩くのだった。
「…………最初に、それを言いなさいよ」
「すまん」
そうしてから修はもう一度意地の悪そうな、得意そうな笑みを浮かべて
「動物園行こう」
と言った。
「知らなかった、修って動物園好きだったの」
「ん、まあ男が一人で行く場所じゃないだろ? なかなか」
「そう? あたしは良いと思う」
アイアイの赤ちゃんが生まれ、最近公開が始まったばかりらしい。
修が渡してくれたパンフレットには名前募集と書かれたポップな文字の下にとても可愛いアイアイの赤ちゃんの写真。
「はあ〜可愛いなあ。赤ちゃんアイアイ」
「実物はもっとだろ、行くぞ」
まだまだ知らないことがあったんだと思うと、とても嬉しくなる。
アイアイの親子の前で感嘆の声をあげ続けたり。
ペンギンの呑気な仕草にいちいち納得したようにこくこく頷いたり。
キリンとゾウが並んだスペースで口を開けて見上げていたり。
ライオンの親子を目をキラキラさせて眺めたり。
フクロウの挙動に驚いてみたり。
クマが転がっているのをニコニコして見ていたり。
修は久しぶりの動物園が楽しくて仕方ないようだった。
そしてあたしは、普段は偉そうで愛想の悪い修がそういう風に恥ずかしげもなく子供っぽいところを見せてくれるのが、言葉に出来ないくらい嬉しかった。
「あ、ほら。ウサギ抱っこ出来るって!」
「おう、行くぞ、ほとり」
修はにっこり笑って、もう本当に子供っぽくて、あたしは胸の奥の柔らかな所をくすぐられる気持ちになる。
飼育員の方に抱っこさせてもらったウサギを撫でて、修はもう上機嫌だ。
「ああ、連れて帰りたいなあ」
「ウサギなら飼おうと思ったら出来るでしょ?」
「うん……そうなんだけどさ、ほら、俺ら受験があるだろ」
「あ……そっか」
ひょっとしたら、一年と少しでお別れになる。なのにペットを飼おうなんて出来ない。
「あんまり無責任だろ? どうなるか分からないのに」
「そうね」
それはそのまま、あたし達の関係もだ。
「あの。修……大学はどうすんの?」
「そうだな。まあ公立じゃないと無理だろ、私立なんて通う金はない」
「……でも、それならこの街から出て行くってこと?」
一番近くても電車とバスを使って結構かかる距離だ。
「ん……多分。あのさ……ほとりは?」
「あたしも、多分そうかな」
だから少しほっとした。あたしと同じ進路になりそうだ。
ウサギは連れてはいけないけれど、あたしは一緒に行くことが出来る。
ウサギの背中を静かに撫でる修の手に、そっと手を重ねた。
修はにこりと笑って
「まあ、頑張らないとな」
と言った。