明くる日から、画僧は一気にデッサンを仕上げ、下絵に取りかかった。  
破戒の天罰で絵筆が持てなくなるかもしれないという怖れは、杞憂に過ぎなかった。  
むしろ、愛しいルクレツィアを前に、「これぞ」という聖母像のインスピレーションが湧いてくる、  
それを急いで筆で繋ぎ留め、紙の上に描き取ろうと、必死になった。  
広めの額、愛くるしい鼻筋、優しい目もと、薔薇のような唇、柔らかな頬、小さな可愛らしい顎、  
優美な曲線を描く肩、ふっくらと豊かな胸元――。  
真っ白な下地の上に、迷いのない描線で、官能的なまでに生き生きとした聖母の姿が描かれてゆく。  
きちんと結った髪には紗のヴェールを、肩と膝には聖母を象徴する青の布を軽く掛け、  
清楚な衣を緩やかに留める腰帯は、やや目立つように。  
「この腰帯は、町の聖堂にある例の腰帯ですわね?」  
下絵を見たルクレツィアが問う。  
「ええ。以前、祭礼の日に見に来たことがあるんですよ」  
この町の聖堂には、聖母のものと伝えられる腰帯が聖遺物として祭られており、年に数度の祭礼の折には  
その腰帯が人々の前に掲げられ、それを一目見ようと巡礼者が押し寄せるのだった。  
「私も、拝見したことがありますわ。祭礼の日だけは、修道院の皆で、  
 聖堂にお参りするための外出が許されておりますの」  
「そうでしたか。それなら、次の祭礼の日には、私と二人で一緒に聖堂へ行きましょう。  
 ……さあ、そろそろ続きを」  
はい、とルクレツィアは微笑んで、元の位置に戻る。画僧は再び、下絵の描線を吟味する作業に戻る。  
テンペラはその技法上、彩色での修正が不可能なので、入念な下絵が欠かせないのだ。  
そんな画家の姿を、モデルは穏やかな微笑で見つめていた。  
「絵を描いているときの司祭様のお顔、大好きです」  
真っ直ぐ無邪気にそういうルクレツィアに、司祭は少し照れた。  
「そういうものですか?」  
「ええ。とても真摯で、とても格好良くて。ミサ中の司祭様も威厳があって素敵ですけど、  
 私は、絵を描いていらっしゃるときの司祭様が、好き。  
 ……ずっと、こうしていられたら、いいのに」  
ルクレツィアは、彼の描く聖母像の完成を楽しみにしていた。  
と同時に、その日がくるのを密かに怖れた。  
絵が仕上がってしまえば、モデルの自分は用済みになってしまうかもしれない――。  
「ダメだな……、聖母様にそんな暗い顔をされては、困りますよ」  
「あ…、ご、ごめんなさい」  
「まあいい、今日はこの辺にしておきましょう。  
 もし何か辛いことや不安なことがあるのなら、私に話してくれませんか?」  
「いいえ、何でもないんですの。ただ、あなたのお側にいたくて、……寂しくて」  
「なんだ、そんなこと……」  
可愛い私のルクレツィア、と司祭は言って、彼女の頭を覆う聖母のヴェールを外す。  
彼女はそのヴェールを受け取って、片隅へと押しやる。  
いつしか、それは二人が秘め事を始めるときの暗黙の合図になっていた。  
 
アトリエ代わりにしている修道院の食堂には、回廊に面した窓はなく、  
あるのはただ、遥か高い天井の近くに並ぶ、明かり取りの小窓だけ。  
そこからは明るい日の光が差し込むばかりで、あの目もくらむような高さの壁をよじ登って  
そこから覗き込む者など、いるはずもない。  
扉に鍵を掛けてしまえば、ここは誰にも邪魔されない、秘密の閨。  
 
逢瀬が重なるにつれ、誰にも見られまいという安心感が、次第に二人を大胆にさせた。  
始めの頃こそは「いつ露見するか知れない」という不安と焦燥感があったが、  
丁寧な描線の下絵に絵の具が塗り重ねられ始める頃には、悠然と情事を楽しむようになっていた。  
その日の絵の作業が一段落すると、絵の具が乾くのを待つ間、二人は禁忌の愛欲に溺れた。  
 
司祭の首に両腕を回し抱きついてくる修道女、その柔らかな唇を余すところ無く味わいながら、  
彼は手早く、ロザリオが掛けられた彼女の腰帯を解く。そして、鈍色の粗末な修道服を脱がせる。  
その下の質素なシュミーズの裾に手を掛け、太股に沿ってゆっくりとたくし上げると、  
髪と同じ黄金色の茂みと、なだらかな白い下腹部が現れた。  
「……そんなに、じろじろとご覧にならないで……」  
恥じらう声を無視してその茂みに接吻すると、女は「あっ」と小さく身悶えした。  
そのまま一気に下着をたくし上げて脱がせると、形の良い乳房がぷるん、と弾けた。  
「きれいだ……」  
男は感嘆の吐息を漏らす。  
「ルクレツィア、あなたの美しさは、古代の王の花嫁に勝るとも劣らない……。  
 あなたの頬はかぐわしき花の床のように香りを放ち、その唇は百合の花の如く、没薬の雫を滴らす。  
 その手は宝石を嵌めた黄金の筒、その身体は蒼玉を嵌めた象牙細工、……」  
聖書を引用してつぶやきながら、ふくよかな乳房を愛撫し、接吻し、強く、優しく、肌を、乳首を吸う。  
たまらず女が床にへたり込むと、男は自分の僧衣を脱ぎ捨て、彼女を押し倒すように覆い被さった。  
唇、頬、額、瞳、首筋、鎖骨、乳房、脇腹、腰から太股、ふくら脛からつま先へと、  
男は女の体中に口づけを散らし、筆ダコのある無骨な指を這わせる。  
彼女の白い肌に、うっすらと薔薇のような赤みが差してゆく。  
「ルクレツィア、素敵だ……ああ……」  
「司祭、さ、ま…っ、はぁ……はぁ、……ん、はぁ…っ」  
二人の呼吸は、次第に熱を帯びて互いの耳元で混じり合い、荒くなってゆく。  
茂みの奥に秘められた蜜壺はすでに潤っていて、男が指を入れると、くちゅり、と淫靡な音を立てた。  
「や、やぁんっ!」  
堪えきれず、女が鋭く叫ぶ。  
「声を立てないで」と男は小声で叱る。  
「…ん…っ、ごめん…なさ…っ、…んっ…んん…っ、…はぁっ…」  
彼の指に弄ばれながら、懸命に声を押し殺そうとする様子が、可愛くて仕方がない。  
辛抱しながらも、容赦なく責め来る快感には抗いがたいのだろう、  
その都度漏れ出てしまう低い喘ぎ声が、男の情欲をいっそう掻きたてた。  
男はもう十分に漲っているそれを彼女の秘部にあてがうと、一気に奥まで挿れた。  
「ぁんっ!」  
軽く身をくねらせて嬌声をあげた彼女の耳元で、わざと冷徹に戒めの言葉をささやく。  
「静かにって、言ってるでしょう」  
「ごめんな…っ、さ、あ、で…でも…っ」  
声を立てるなと命じつつ、男は腰の動きを早め、幾度も激しく中を突いた。  
「そんな…にっ、しちゃ、声、が……や、いやぁ…っ、あ、あっ…あっ…あっ」  
男の責めに押し出されるように、女が短く声を上げる。  
艶めかしい喘ぎ声、荒い息づかい、恥部が交わり合う湿った音。  
神聖かつ静謐であるべき修道院の食堂の片隅で、それらの音が絡み合い、響く。  
その状況がさらに二人の興奮をかき立てる。  
「あ…はぁっ…、も、もう、だめ…っ」  
泣きそうにトロンとした目つきで女が喘ぐ。ぬるぬると熱くまとわりつく肉の襞が、  
男の肉棒をぐいと締め付けた。  
「ん…ッ」  
思わず男がうめき声を漏らすや、女が切羽詰まった声を上げる。  
「…んぁっ……あ、あぁっ!」  
「う…ッ」  
しがみついてくる華奢な裸体を抱きしめて、男も、熱い深淵の奥底までぐっと突き当て、達した。  
 
「――明日は、絵を描きには来られないかもしれません」  
脱ぎ散らかした僧衣を着直し、身支度を済ませた司祭は、前触れもなくそう言った。  
「え?」と不安な表情をするルクレツィアに、司祭は宥めるような軽いキスをした。  
「いや、なに、少し前に、町の聖堂の壁画を描く仕事を受けていたんですがね、  
 あれをずっと弟子に任せたまま、こちらに掛かりきりになっていたもんだから、  
 ついに依頼主たる司教様からお叱りを受けてしまいましてね。  
 明日からは、午後はこちらとあちらの交互で絵を描くことになるでしょう」  
「そうですか……」  
「そんな、寂しそうな顔をしないで。日々のミサではいつも会えるのですから」  
「ええ……、そう、そうですわね、司祭様。どうか、良いお仕事をなさってくださいね」  
そう言って、健気に微笑むルクレツィア。  
小さな罪悪感が、司祭の胸をチクリと刺した。  
 
 

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