「聖堂のお仕事、お忙しいのですね」
熱いキスを遮るように、ルクレツィアが言った。
「……うん? ん……ああ、そうだね……」
司祭は生返事気味で、彼女の唇に夢中だ。
「ん…んん、んっ、司祭、さま」
執拗に唇を貪る司祭に、ルクレツィアは初めて抵抗の様子を見せた。唇は離したが、
しかし身体は恋人の腕に抱かれるままに、小さな頭を傾けて彼の胸に寄せる。
「どうしました、ルクレツィア」
「いいえ、……ただ、こうするのも、しばらくぶりだわと」
画家としての野心が、彼を聖堂の仕事に専念させがちになっていた。修道院の小さな
祭壇画に比べれば、由緒ある聖堂の壁画の方がはるかに大きな仕事だ。
自然、ルクレツィアとの逢瀬も間遠になった。一日おきだったのが、二日おき、やがて
週の半分は続けて聖堂の仕事に掛かりきりになっていたのだ。
「司祭様のお宅には、どんな方がいらっしゃいますの?」
脈絡のない唐突な質問に、司祭は戸惑った。久しぶりの逢瀬なのだ、この腕の中にいる
彼女をこのまま今すぐにでも押し倒して、溜まりに溜まった欲望を彼女にぶつけたいのに、
水を差すように、いったい何を言い出すのだろう。
「前に話しませんでしたか? 家には下男が一人と、朝夕には通いの家政婦が一人、
あとは弟子が通ってくるくらいだと」
「その家政婦の方は、お若いのかしら?」
「いや、これが、下男の親戚なんだが、かなり豪快で恰幅の良いバアさんで――」
「他に、身の回りのお世話をするご婦人は、いらっしゃいませんの?」
「……いったい、何がそんなに気になるんです」
「私が、司祭様のお側で、全部お世話をして差し上げられたらいいのに……」
それは不可能だ。まだ見習い修道女の彼女は、修道院からの外出すらままならないのに。
「また、そんな無理なことを」
「だって……だって司祭様は、外でいろんな方と会う機会がおありでしょう? 綺麗な
貴婦人や、若い女性とも。壁画のためにも、きっとモデルをお呼びでしょうし」
そう言って、つんとすまし顔のルクレツィア。
――なんだ、もしかして、嫉妬してるのか?
司祭の訪れが少なくなったのが、不安なのだろう。彼女の可愛い拗ね方に、思わず口許が緩む。
「何をにやけていらっしゃるんです? 図星ですの?」
「いや、別に……。何を心配しているのか知りませんが、私は神に仕える身ですよ?」
「あら、私とこんなことをなさっているのに?」
それもそうだ。それを言われると痛い。
「それに、司祭様はお若い頃はとてもモテたって、噂で聞きましたわ」
「若い頃の話ですよ。遥か昔のことです」
「……でも、司祭様は、今でも、素敵ですもの――」
過ぎた褒め言葉だ。司祭は自分で自分をそこまで男前だと思うほどには自惚れていなかった。
彼女との年も離れている。けれども恋は盲目なのか、それとも有名な画家という芸術的な
要素がそう思わせるのか、はたまた、司祭という神聖な職位がそのように見せるのか。
もちろん、悪い気はしない。彼女の言葉ならば、素直に自惚れられる。
「私にとって、女性は、あなただけです。あなたに嘘はつきません」
「本当に?」
「その証拠に、ほら……。あなたを抱きたくて、ずっと我慢していたんですから」
僧衣越しで下腹部に押しつけられた硬い高まりに、ルクレツィアは顔を真っ赤にして思わず
腰を引いた。司祭は彼女の背中に回していた腕でその腰をぐいと引き寄せると、空いている
ほうの手をするりと彼女の尻に滑らせ、その丸みを撫で回す。
ルクレツィアは彼の胸に顔を埋めて、つぶやいた。
「……ばか。司祭様の、ばか」
「いくらでもおっしゃいなさい。どうせ、地獄行き確定の破戒僧ですよ」
調子に乗って、司祭は自嘲気味に笑って言った。
いつものように、男が僧衣を脱ぎ、女が修道服の上着を脱ぎ、そして男は女の下着を脱がせ、
一糸まとわぬ姿になると、二人は緩やかに絡み合いながら床へと倒れ込む。
と、男は途中で身を起こすと、すでに横になっている女を抱き起こし、手を引いた。
「もっと、こちらへ」
「え?」
テーブルや椅子の影で薄暗い床の上から、天窓からの日に照らされた方へと彼女を導き、
改めてそこで座らせた。
「ここのほうが、あなたがよく見える」
「そんな……恥ずかし――きゃっ」
頬を染めて暗がりへ逃れようとする彼女の腕を捉えると、司祭はその腕を左右に広げ、
それぞれを両の手で、床の上に押さえつけた。
「ここで、このままで。私を疑った罰ですよ」
「嫌、そんな……」
ほんの戯れのつもりだったが、困惑したルクレツィアの様子が、司祭の欲情を掻きたてた。
両腕を真横に広げる形で戒められ、辛うじて自由が利く両足も男の膝に挟まれ、羞恥に
身をよじる。まるで床の上で磔刑にされたかのような姿で、ルクレツィアの白い裸体が、
午後の光の中に浮かび上がった。
澄んだ碧の瞳、黄金色の睫毛、紅潮した頬、半ば開いたつややかな唇、横を向けた顎から
首筋にかけてのきれいな曲線、脇の下の柔らかな部分まで、はっきりと見て取れる。
すらりと伸びる四肢、心臓の鼓動を伝える柔らかく豊かな乳房、息づかいに上下する胸から
腹部にかけてのなだらかな広がり、そしてその先の茂みの陰影まで、ありありと陽の光に
晒されている。匂い立つように美しく艶めかしい。
眩しさの中で、裸体の隅々まで舐め回すように見られているという羞恥心に、顔を逸らせる
彼女の頬は上気し、呼吸は静かに次第に荒く、白い肌に薄く紅みが差す。
「なんてきれいなんだ……」
「いや、そんなに、見ないで…っ」
「きれいだよ、ルクレツィア、もっと……もっとよく見せて」
男は、彼女の両腕を押さえていた手を離すと、その手を彼女の太股の裏にそれぞれ回した。
そしてそのまま、ぐいっと左右に押し上げた。
「や、嫌…っ!」
彼女の股は大きく広げられ、細い両脚は華奢なMの字を描いた。その谷間の茂みも、茂みに
隠されていた恥部も、すべてが男の視線に晒される。
「やだ、そんなっ、見ちゃ、いやぁ…っ」
瞳は羞恥に潤み、まるで幼子のような口調で必死に抗う。
「ああ、本当にきれいだよ……。ここも、ここも……この襞の重なりの、その奥も」
その敏感な部分に指を這わせ、なぞるように幾度も撫で上げる。
二本の指で優しく花弁を弄ぶように左右に押し広げると、その奥に浅く指を入れた。
花弁の奥の蜜壺からトロリとあふれ出た愛液が、男の指にまとわりつく。
「もう、こんなに濡れて――」
「いやぁ……恥ずかしい…っ」
男の指と言葉に反応して、女の身体がビクンと震え、形の良い乳房がふるふると揺れる。
泣き声にも似た甘ったるい声を上げ、口では抗ってみせるものの、身体は実に素直だった。
あられもない姿態を晒しつつ、女は男のなすがままを許し、その愛撫を受け入れていた。
快感に身を委ねながらも、恥ずかしさで男を正視できない様子もまた愛おしく、男は可愛い
恋人の唇にキスしようと、彼女の顔を自分の方へ寄せようとした。
だが、彼女は小さくイヤイヤと首を振り、抵抗する。
「ルクレツィア」
その頬に手を添えてこちらに向けようとしても、こればかりは譲れぬとばかりに、拒絶する。
「キスをさせて……ルクレツィア」
宥めるように再び名を呼んで、やっと、か細い声で、言う。
「だって……だって、主が……」
「――主が?」
「主が、こちらをご覧になって――」
彼女が目を逸らすことで指し示す、その場所を振り返って見ると、そこには「最後の晩餐」の
壁画があった。
修道院の食堂に描かれるに相応しい題材の壁画。主がその受難を予期した最後の夕餉で、
弟子達の中に自分を裏切る者がいることを指し示す、劇的な場面だ。
仰向けになった彼女の位置から、ちょうどそれが男の肩越しに見えているのだ。
「ただの絵じゃないですか」
「でも」
「気にしないで」
「――もうっ!」
男の身勝手な言葉をはねのけるように、ルクレツィアはいきなり身を起こした。
珍しく勝ち気で反抗的な態度に不意を突かれて、司祭は半ば突き飛ばされたような形で、
彼女の傍らに仰向けに転がった。すぐさま、ルクレツィアは彼の上に寝そべるように
のし掛かる。
さっきまでとちょうど位置が入れ替わった格好だ。
ルクレツィアは寝そべっていた姿勢から、腕立てをするような具合で上半身を軽く起こし、
司祭の顔を真上から覗き込んだ。
「どう? そこからだと、主に見張られているのがおわかりでしょう?」
「ええ」
「これで、私の気持ちが少しはわかったかしら」
「そうですね――」
絵の小道具に使う厚手の布を敷いているとはいえ、背中と後頭部に直接伝わる、石造りの
床の硬さと冷たさ。薄暗い食堂の天井の高さ、天窓から降り注ぐ光の眩しさ。
その明るさを遮る、ルクレツィアの顔。ただでさえ輝く色の髪は、その背後から受ける
陽の光によって、いっそう透けるように輝いている。
その向こうの薄暗い壁の中に、主と弟子達の最後の晩餐の光景が浮かび上がって見える。
よりによって、中央にいる主その人と目が合ってしまう位置関係だ。
彼女の罪悪感と羞恥心も尤もだが、司祭はあえてそれを無視した。
「――でも、壁の絵なんか、気になりませんね。こっちのほうが、よっぽど気になる」
そう言って彼は、彼女のふくよかな胸に手を伸ばした。重力に引かれながらもそれに抗う
ような弾力と柔らかさを兼ね備えた乳房は、上から揉むのとはまた違った味わいがある。
「もう、そんなことばかり……! ……あっ、や…っ、あ…ぁん」
男の両手で乳房を揉みしだかれ、乳房の先端の敏感な部分を指で刺激され、女は甘い声を
漏らしながら身をくねらせ、頭を振った。
身悶えするその表情も、下から見上げると、いつもと違って見えて刺激的だ。
「あ…っ、あ…んっ、はぁっ、はぁっ、あっ、司祭さま…っ……――」
喘ぎながら見下ろす彼女の艶めかしい瞳が「来て」と言いたそうにしている。
ふと、男に良からぬ考えが浮かんだ。
「このまま、あなたが上にいらっしゃい」
「――え、ええっ?」
「下になると、主に見られて嫌なのでしょう? だったら、このまま」
「……でも……っ」
「じゃあ、下で良いのですね? まぐわう姿を、主に見られながら――」
ルクレツィアは戸惑い、沈黙した。それは、二つの羞恥のどちらがよりマシかという選択の
問題というよりも、むしろ「上になる」とはどういうことなのか、未知の行為に対する
困惑なのかもしれない。
――彼女は、知っているのだろうか。
幼い頃から女子修道院で世俗と隔離されて育てられた彼女は、そこまでの性に関する禁忌は
教えられていないかもしれない。もし知っていたら、すぐさま拒絶するか、少なくとも
忌避の態度を示したはずだ。
試してみたい、という意地悪な誘惑にかられる。
「さあ」
そう促されて、ルクレツィアは身を起こし、おずおずと男の腰を跨いで、膝立ちの状態に
なった。彼女の茂みの奥に隠れている花園の湿り具合が、下から見て取れる。
「いい眺めだ」
卑猥な讃辞に、彼女は情欲の滲む眼差しで男を甘く睨みつけ、「ばか」と呟く。
男は彼女の太股を撫でて、その先を促した。
「そのまま、降りていらっしゃい……ゆっくり、腰を落として――」
そそり立つ男のそれを目の当たりにして、一瞬、躊躇うように見えたが、意を決したように、
彼女はそれにそろりと細い指を伸ばし、包み込むようにそっと触れると、自らの股の下に
導き、秘部にあてがった。
「……っ」
肉棒の先が花弁に触れた瞬間、男は思わず声を上げそうになった。興奮しきった敏感な
先端に、温かい滴りがこぼれ落ち、しとどに濡れた厚い花びらの熱さが伝わる。
女は片手を男の胸に置いて自分の身体を支えて、切なそうな声を漏らしながら、ゆっくりと
男自身を呑み込んでゆく。
「んっ…んん…っ、あっ…」
そしてついに根元まで深々と腰を落とすと、深い溜息にも似た淫らな声を吐いた。
「…っあ…あぁぁっ」
「ああ……っ」
男もそれに重ねるように、低い声を漏らした。
ぐじゅぐじゅに濡れた秘部の柔らかな壁は、滑らかに、熱く、吸い付くように肉棒を包み込む。
いつもと違う角度での接合に、びんびんと刺激される。交わり合う部分が、目の前に見える。
彼女にも、それは見えているはずだ。
「司祭さま…っ、こんな…っ、どうした、ら…っ、はぁ……はぁ……、ん…っ」
自分から呑み込んだモノの刺激を扱いかねるように身を震わせ、女は両手を男の胸に置いて、
体重を掛けた。少しでも楽な態勢を探っているのだろう、男は両手を彼女の腰に添えて、
手伝ってやった。
「少しずつ、動いてごらん……そう、そんな風に――」
女は言われるままに、慣れない行為に戸惑いながらも、遠慮がちに腰の位置を動かす。
初めはぎこちなく前後に揺らす感じだったその動きは、やがて深く、滑らかになった。
「あ…っ、あっ、……はぁ…はぁ…はぁ…、あぁ…っ、はぁ…はぁ…」
女の腰の動きと喘ぎ声が、律動的に絡み合う。
ふと、揺れ動く彼女の肩越しに、薄暗い壁の「最後の晩餐」が迫って見えた。
「汝らの一人、我を裏切らん」
晩餐の席についた弟子達の中に裏切り者がいるという、恐るべき告発。
伝統的な手法で描かれた救世主の厳しい眼差しは、絵の中の裏切り者ではなく、いまここで
こうしている自分に向けられているように、男は感じた。
――咎めるなら、咎めるがよろしい! 罰するなら、罰し給え!
男は心の中で、勝ち誇ったように叫ぶ。どうせ、神は何もしないのだ。
現に、今も、平然と女を抱く破戒僧に、天罰を下すことすらしないではないか!
氷のように冷たく厳しい壁画の視線を受けながら淫らな行為に耽るという背徳感と、
美しい修道女を神から奪うという優越感に、司祭はいっそう興奮した。
彼の興奮を知ってか知らずか、彼女もまた、いつもとは違う交わり方から来る刺激と
快感に、震えんばかりに悶えていた。
二人の陰部が交わり合う箇所はぐちゅぐちゅと湿った音を立て、汗ばんだ肌と肌、肉と
肉が擦れ合いぶつかり合う音が、卑猥さをいっそう際だたせる。
男は、いきり立つ男自身が、自分の意志とは無関係に彼女の温かく柔らかい陰部に
ぬぷりと呑み込まれて動くさまを眺めながら、予測できない快感の波に溺れた。
「ああ…っ、いい…っ、いいよ、ルクレツィア…っ、んぁ…っ、んん…っ」
男は本能のままに喘ぐ。
女もいつしか夢中になって、腰の動きを速めていく。
「あん、あ…はぁ…、はぁっ、はぁっ、あ…っ、あ、あ、あ」
奥から熱い蜜がトロトロと湧き出し、肉の壁がきゅうきゅうとキツく締め付けてくる。
「も、もう、わたし…っ、あ…っ、お、おかしく…なっちゃう…っ!」
女の両脚がビクビクと小刻みに痙攣する。
そして、稲妻のような快感が、彼女の全身を貫いた。
「あああーッ!」
女は初めて聞くような声を上げ、ビクン、と上半身を仰け反らせた。
ほぼ同時に、男も獣のような声を上げた。
覆い被さってくる女の白い肩の向こうで、男を見下ろす救世主の顔が、霞んで遠のいていった。
二人は石の床に寝そべったまま、司祭は倒れ込んできたルクレツィアのしっとりと汗ばむ
裸体をその胸に抱き留め、肩を抱いてやる。
まだ快楽の余韻の残る中、彼は彼女に本当のことを暴露した。
「今のはね、魔女が好む体位と言われているのですよ」
「なっ――魔女って!?」
そんなことをさせたの、とルクレツィアは顔を紅潮させて司祭に非難の目を向けた。
キッと詰め寄る眼差しは、厳しくも妖艶だ。もっとその表情を引き出してやりたくなる。
うんと優しい声音で、わざと意地悪に囁く。
「でも、よかったでしょう?」
「…………」
「……嫌でしたか?」
彼女は耳まで赤くなりながら、目を逸らせてしばらく黙りこくっていたが、嫌かと聞かれて、
やっと小さく首を横に振った。
「古の教会博士に言わせれば、行えば、直ちに破滅すると。でも、ほらこの通り、破滅など
していないでしょう? ただの迷信、ただの脅しですよ」
「……ええ」
「なんでも、このほうが女性の快楽がより大きいから、いけないというのですよ。実際に
快楽が大きいのかどうかは、あなたにはよくわかったでしょうが」
返事の代わりに、女は「意地悪」と呟いて男を睨み付けた。ぷうとふくれるその様子も可愛い。
司祭は彼女をぎゅっと抱きしめると、わざとすっとぼけた調子で言った。
「――でも、どうして古の教会博士は、そんなことがわかったんでしょうねえ?」
くっくっくっと低く笑う司祭に釣られて、ルクレツィアも「そういえば」と、可笑しそうに
ぷっと吹き出した。
くすくすと笑いながら、彼女が言う。
「ひどい人。私にそんな罪深い行いをさせるなんて」
「罪深いことをしたと思うなら、懺悔なさい。私が聞いてあげましょう」
「え?」
「私以外には、絶対に言ってはいけませんよ。異端審問の餌食になります」
異端審問、と聞いてルクレツィアは軽く身震いした。
大袈裟な脅かしではない。性の営みの秘密を告白させ、そこから悪魔の要素を探し出して
断罪の材料にするのは、異端審問官の典型的なやり口の一つだ。もっとも、人間性の解放が
謳われ、異端審問も政治的な役割が主になったこの時代、敬虔で無知蒙昧な信者ならともかく、
実際にその戒めを遵守する者が果たしてどれほどいるか、わかったものではないが。
「懺悔するなら、私になさい。さあ」
「……でも……」
「今したことを、ただ説明するだけで良いのですよ。事細かにね。……さあ、どんな風に
身体を繋いで、どこが、どう感じたか……」
「……そんな、恥ずかしくて、とても」
「だから聞きたいんじゃないですか」
「――っ、もう、司祭様の、ばかっ。意地悪、ばかっ」
ポカポカと両手で軽く司祭の胸を叩くルクレツィアを、笑いながら司祭は再びギュッと
抱きしめて、その愛しい唇を唇で塞いで、黙らせた。
痴話喧嘩にもならない戯れも終わり、司祭は無造作に黒い僧衣を着込むと、画架の前の椅子に
腰掛け、几帳面に修道服を着直して乱れた髪を結い直すルクレツィアの横顔を、眺めていた。
「ルクレツィア」
そう呼びかけて、彼は今まで彼女には伏せていた計画を打ち明けた。
「いま依頼されている町の聖堂の壁画、あれは洗礼者ヨハネの生涯が題材でね。場面は三つ、
――聖人の誕生、伝道、そして殉教。殉教はヘロデ王の饗宴の場面です。
それでね、ルクレツィア。あなたをモデルに、王女サロメを描こうと思っているのですが」
「サロメ……って、聖人の首を所望したという、あの、恐ろしい娘ですか?」
「忌むべきは、サロメの母ですよ。サロメ自身は、何も知らず、何もわからなかったのです。
無垢ゆえに罪深く、愚かではあったでしょうが、恐ろしいということはありますまい」
サロメは継父ヘロデ王の求めに応じて饗宴の席で舞い、その褒美として、聖人の首を望んだ。
自らの不義を糾弾する聖人を疎んじた王妃ヘロデアが、そうするよう娘に命じたのだ。
「無垢ゆえに、罪深く、愚かな――」
司祭の言葉を、ルクレツィアは繰り返す。
「サロメのモデルは、嫌ですか?」
「いいえ、司祭様のお役に立つのでしたら、喜んで」
「良かった。サロメの場面は、この壁画で唯一、若く美しい娘が登場する場面なんですよ。
何としても、あの壁画に、あなたを描きたかった。これで、この聖母像が完成しても、
あなたを描き続けることができる」
ルクレツィアはハッとした。
「まさか、そのために、無理にお仕事を――?」
司祭は返事の代わりに、ふふっと笑ってみせた。
「これでも私は、教会や王侯貴族から絵の依頼が引きも切らない、人気画家なんですよ?
仕事の選り好みが出来る、なかなか贅沢な絵描きなんです。この国の領主様などは、
私の納得がいくまで好きに描いて良いとまでおっしゃるんですからね。
心配せずとも、あなたがウンと言ってくれる限り、あなたは私の永遠のモデルですよ」
「司祭様……!」
ルクレツィアは嬉し泣きしそうになりながら、司祭の首に腕を回して、ひしと抱きついた。
「私が、年を取って、きれいじゃなくなっても? それでも、描いてくださる?」
「もちろんですよ。あなたの美しさは、齢などに左右されない、天性の美しさですから。
それに、あなたがおばさんになる頃には、私はとうにヨボヨボの老人だ」
「そんなこと、おっしゃらないで」
「私が年を取って弱ったら、こんなこともできなくなるかな」
ぶっきらぼうに冗談めかせて言うと、彼は再びルクレツィアを組み敷いた。
「……やだ、いま、服を着たばかりですのに」
「脱がなくていい」
でも、と身体を起こしながら斜めによじった彼女の腰を、ぷっくりとした尻から捕らえ、
服の裾を捲り上げた。先ほどの情事で汚れた陰部が露わになる。
「また、下から壁を見上げるのは、嫌?」
言われて思い出したように、ルクレツィアは男の肩越しに見える絵に背を向けた。
その背中の曲線と、結った髪と服の襟元の間に覗くうなじ。
一度は収まっていた嗜虐的な戯れ心が、再びむくりと頭をもたげた。
「――それとも、後ろからしてみようか。獣みたいに」
悪ぶった口調で言ってみた。
「な…っ」
司祭の淫らな戯れ言に、女は言語道断とばかりに赤面してこちらを睨み付けるが、その
瞳の奥には、情欲の炎がちろちろと灯り続けている。男はそれに応えるように、彼女の
背後から伸ばした手で、そのむっちりとした太股、そして内股を、ねっとりと撫で回す。
「本当に、罪深いお方」
気だるい吐息混じりの非難の言葉は、どこまで本気なのか、かえって扇情的だ。
性交の体位にまで細かく口出しする教会、その勝手な掟をあえて破ることの、快感。
掟に疎い女でさえも、直感的にその淫らさに気付いている。
もちろん、司祭は、掟をよく知っている。知った上で、罪とされる行為を行うという
自虐的な興奮、そして彼女を巻き込んで共犯にするという加虐的な興奮――。
前戯もそこそこに、男は背後から、半ば強引に挿れた。
「あ…ッ!?」
視界の外で不意打ちをくらったように、女は声を上げた。
「ルクレツィア……、ルクレツィア……」
男は女の名を繰り返し呼びながら、うつ伏せから少し浮かせた状態の彼女の腰をしかと
両手で支え、後ろから幾度も突き上げる。女はその度、苦悶と快感が入り交じったような
具合に顔をゆがめた。
「…もう…っ、あ……あっ、はぁっ、あっ……ん、んんーっ」
丸く張り出た尻が、太股が、たぷたぷと音を立てる。彼女の腰帯に留められたロザリオが
チャラチャラと揺れる。
狂わんばかりに、二人はただひたすらに快楽を貪った。このままいつまでも、と願っても、
現実的な将来のことなど考えられるはずもなく、ただ刹那的な悦びに溺れ続けた。
醜聞は、知らず漏れ出るものである。
本人達は気をつけていたつもりでも、折々で親密に過ぎる二人の仲を噂する者があったのか、
とうとうある日、司祭は女子修道院長に、食堂に籠もりきりであることについて、詰問された。
「でも、ご依頼の絵は、順調に仕上がっていますよ」
以前よりペースは落ちたものの、聖母を描いた祭壇画は、日々完成に近づいていた。絵の
作業が滞っていない以上、文句は言えまい。
「ですが……、いつまでも、締めきった食堂に二人きりで籠もらなくても。いくらモデルとは
言え、絵の完成間近になっても二人きりでいるというのは、あらぬ誤解を招きます」
「それは下衆の勘繰りというものです」
司祭はしれっとうそぶく。
「その上、今度は彼女をモデルに、娼婦を描いていらっしゃるとか」
「娼婦ではありません、院長どの。サロメです。王妃ヘロデアの娘です」
「同じことです! 宴席で淫らな舞を舞い、恐れ多くも聖人の首を……おお、忌まわしい!
しかもあなたは、ルクレツィアに世俗の下品な衣装を着せているとか……おお、神よ!」
――下品とは、失敬な。
司祭がモデルのために自ら選んで用意した衣装。それは淡い色の滑らかな薄物で、ドレープは
優雅にたっぷりと、胸元には金糸銀糸の刺繍が施されている、古代風のドレスだった。
そのドレスを身につけたルクレツィアは、サロメになりきるため、生真面目に結った髪を
ほどき、豊かな黄金の髪をゆるやかに垂らした。立った状態で片足を軽く外へ開いて膝を
曲げ、上半身を軽くくねらせ、片手は胸に、もう片手はやや後ろに伸ばして、舞を舞う
サロメのポーズを取る。
頭からつま先までの、美しいS字の曲線。
そこにリズムを与える、表情豊かでしなやかな腕と指。
ドレスの袖も裾も長く肌の露出は少ないが、その柔らかな生地の下にある、彼女の身体の
線と質感がありありと感じられる。
静の聖母像とは対極の、動のサロメ。
なんと軽やかで、なんと美しい、なんと官能的な――。
「――司祭様? 聞いていらっしゃるのですか!?」
院長の苛ついた声に、我に返る。
「……ああ、あの衣装。あれは、サロメの衣装です。王女のドレスです。聖人の殉教を描く
ためには、必要不可欠なのですよ。何しろ、『真に迫る表現を』との、司教様の、直々の
ご依頼ですので」
司教様の、と言われて院長は言葉に詰まった。
「と……ともかく! 風紀の乱れた修道院と思われては、困るのです! 先日も、
ご息女を行儀見習いとしてうちへ預ける予定だった貴人が、よからぬ噂を真に受けて、
預けるのはよそうかとおっしゃってきたのですよ。とても迷惑しているのです!」
貴族や裕福な商人が娘の教育を修道院に委ねる場合、寄付という名の多額の養育費を添えて
預けるのが慣例だ。それが取りやめになってしまえば、修道院は大きな収入源を失ってしまう。
醜聞による経営の危機だ。院長が怒るのも無理はない。
「彼女がいなくては、あの祭壇画は完成しません。“司教様の”ご依頼の壁画も、です」
「ですが、何も食堂で二人きりでなくても、よろしいでしょう。作品に見合ったお代は
お支払いいたしますから、どうかルクレツィアを解放してください」
院長にも、「無報酬」の甘い言葉と引き替えにルクレツィアを差し出した引け目があるのだろう。
相手が神父とはいえ、年頃の美しい女性を男と二人きりにしておけばどんな危険があるかくらい、
酸いも甘いも噛み分けた老齢の院長には、薄々わかっていたはずだ。
「解放しろとは、人聞きの悪い。まるで私が彼女に無理強いしているかのような仰りようですね」
「いえ、そのようなつもりでは……」
「お代は要りませんから、祭壇画は引き上げさせていただきます」
「そ、それは困ります」
「それでは、今のままで、よろしいですね?」
「いいえ、ここの院長として、それは許可できません。今のままでと仰るなら、これ以上、
ルクレツィアはお貸しできません」
「ですから、それでは描けないと」
「どうしてもと仰るなら、今後は食堂ではなく、私の部屋を使っていただきます」
「いや、院長のお部屋とは、恐れ多い」
「それでは、回廊で。始めは回廊をお使いの予定でしたものね」
院長も司祭も、互いに一歩も引かない。冷たい睨み合いの空気が両者の間に流れる。
「……回廊では、邪魔が入って集中できません。前にも言ったでしょう」
「ご心配なく、私と副院長が交代で見張りについて、他の者が近づかないようにいたします。
我々は黙ってじっと座っているだけですから、お邪魔にはなりません。……それに、」
院長は、良いことを思い出したとばかりに、付け足した。
「食堂に絵の具の匂いが立ちこめていて、食事中に気分が悪くなると、苦情が来ておりますし」
ちっ、と司祭は心の中で舌打ちした。
顔料ではなく溶剤の匂いだろうが、確かに、画材の匂いに関しては苦情が出ても仕方がない。
それにしても、今まで情事の痕跡を誤魔化してくれていた匂いが、逆にそれを妨げる口実に
なろうとは。
こうなったら、ルクレツィアを修道院の外へ連れ出すうまい方法を考えた方が良さそうだ。
幸い、聖堂の壁画のモデルが口実になってくれるだろう。
そう考えて、司祭は渋々妥協した。
しかし、その見通しは甘かったということを、すぐに司祭は思い知った。当たり前のことだが、
修道院内で全権を掌握しているのは院長なのだ。彼女が許可を出さない限り、女子修道院の
住人は誰一人として自由には行動できない。
当然のように、ルクレツィアの外出は認められなかった。
「聖堂の壁画製作のためですよ」
「ですから、その作業はここでなさればよろしいでしょう?」
「モデル代を、この修道院にも寄付としてお支払いいたしますから」
「お金の問題ではありません」
そう言って、院長は司祭の要求を突き放した。
司祭は途方に暮れた。
厳しい表情の老尼の監視付きで、ルクレツィアと向き合う日々。彼女に指一本触れるどころか、
甘い言葉をささやくことすら出来ず、ひたすら画業に集中するしかない。
画家の前に佇むルクレツィアも、老尼たちに見張られて何も言えず、時折その目を盗んで
こちらに微笑みかけてくれるだけだ。
そのきれいな瞳が、寂しそうに、常に何かを言いたそうにしている。が、他人に聞かれては
ならない内容なのだろう、彼女は言葉に出そうとはしない。
ただひたむきに、一途な眼差しで司祭を求める彼女。
――あの肌に、唇に、触れたい、口づけしたい。
あの柔らかな胸に顔を埋めたい、抱きたい、抱きしめたい、ああルクレツィア……。
悶々としながらも、それを見張りの尼僧たちに気取られるわけにもいかない。
代償として、彼はひたすらに愛しいモデルの姿を写し取り、絵筆で再現することに没頭した。
しかしそれだけでは到底、気持ちは抑えられず、司祭は帰宅した後も煩悶し続けた。
ただ単に性欲の問題ならば、若い頃のように娼館にでも通って処理すればいい。だが、今の
彼はそんな気にはなれなかった。娼婦を抱く自分の姿を想像しただけで、吐き気がした。
女なら誰でも良いのではない、ルクレツィア、彼女でなければダメだ、彼女でなければ――。
どうにも鎮められない恋慕の情に、今更のように司祭は苦しんだ。
彼女と一線を越える前の葛藤の辛さの方が、よほど楽だったと思える。
飢えと渇きに苦しみながら、目の前に水や食事があるのに、鎖に繋がれてただ眺めることしか
許されないのと同じだ。この生殺しの状態は、酷すぎる。
うつろな目で、司祭はデッサン用紙に手を伸ばした。