「それでは、これより地鎮祭を執り行います」  
 施主と施工業者の前で深々と一礼しながら、若い神主の心の内は不安で一杯だった。  
 本来ならこの地鎮祭を取り仕切るのは彼の父親のはずだったが、数日前に不注意で自宅の  
階段から転げ落ちて骨折、入院という事態。急遽ピンチヒッターとして、神職の資格を得て  
間もない彼が、今日の地鎮祭を執り行うことになった。  
 古くからの氏子である施主は「お父上も、ご子息が立派に跡を継がれてさぞ頼もしいこと  
でしょう」なんて持ち上げてくれるが、社交辞令なのは見え見えだ。まだ大学を出たばかり、  
世間擦れもしていない青年。幼い頃から手伝いで着物は着慣れているので、さすがに神職の  
装束は颯爽と着こなしているが、今風の若者らしい優男でヒョロッとした風情の若造を、  
氏子達も少々頼りなく思って見守っているに違いない。  
 若い新米の神主に寄せられる期待と不安、そして好奇の視線に、彼は余計に緊張した。  
不安や緊張を外に見せてはいけない、落ち着かねばと自分に言い聞かせるほどに、かえって  
集中できなくなってしまう。  
 さっきも、準備のときに祭壇に神酒を供えようとして、手が震え、カタン、と器を  
倒してしまった。  
 ――しまった!  
 慌てて器を元に戻したが、神酒がいくらかこぼれ出てしまった。幸い、まだ中には残っている。  
 ――まあいいか、全部こぼれたわけじゃないし……。  
 準備の段階から躓いてしまったが、気を取り直して、地鎮祭を始めた。  
 手順は昨日も確認したんだから大丈夫、いざとなれば、笏にこっそり貼り付けたカンペも  
あるんだから。そう自分に言い聞かせて、頭にたたき込んでおいたマニュアル通りに、一つ一つ、  
祭祀を進めてゆく。  
 地鎮祭とは、大雑把に言えば、その土地の神様に「神様の土地に建物を建てさせて  
いただきますので、よろしく」とご挨拶し、土地を使わせていただく許しを請い、工事の  
安全を祈願するものだ。神様の土地を使わせていただくわけだから、きちんとご挨拶して、  
くれぐれも粗相があってはいけない。何しろ、この国の八百万の神々は、ちょっとした不手際で  
ご機嫌を損ねることもある、恐れ多い存在なのだから。その代わり、きちんと大事にお祭りすれば、  
喜んで相応の護りを約束してくださる。  
 その神様へのご挨拶として、御饌〈みけ〉と祝詞は欠かせない大事なものだ。祭壇に神酒など  
御饌を備えておもてなしし、祝詞は丁寧に優美に読み上げる。もちろん言い間違いなどあっては  
ならない。  
 幸い、彼は声には多少の自信があった。  
「……かけまくも畏き此の処に、忌竹刺し立てて、注連縄引き回し……」  
 若く伸びと張りのある声で、ゆっくりと、独特の節付けで祝詞を読み上げる。  
「……掛けまくも畏き、大地主神〈おおとこぬしのかみ〉、産土神〈うぶすなのかみ〉、……」  
 祝詞は紙に書いた物を読み上げるのから、大丈夫。……のはずだった。  
「地鎮〈とこしずめ〉の御祭りに、つかえたたまつりゅ」  
 ――あっ。  
 まさか、という箇所で、とちってしまった。  
「……仕え奉る、諸人等……」  
 慌てて読み上げ直したが、みんな心の中で「あ〜あ」と咎めたに違いない。  
 冷や汗を流しつつ、なんとか祝詞を読み終えた。動揺する心を必死に抑え、震える手で  
玉串を捧げ、お供えを下げる。そしてお迎えした神様をお戻しする儀式を行い、地鎮祭を終えた。  
 祝詞を、それも定型文でトチってしまうなど、ベテラン神主である父がこれを知ったら、  
雷が落ちるだろう。幸いにも施主はたいして気にしてはいないようで、未熟な彼の初仕事を  
ねぎらってくれた。ミスはあったが全体としては滞りなく務めることが出来たかなと、  
彼はホッと胸をなで下ろした。  
 
 
 地鎮祭から数ヶ月後、奇妙な噂が神主の耳に届いた。彼が地鎮祭を執り行ったあの建築  
現場で、事故が続いているというのだ。  
「基礎工事の途中で、モグラが出てきてデコボコになっちゃったんですって。モグラなんて、  
 このへんじゃまず見かけないのにねぇ」  
「夜中に街中の野良猫が大集結して、フンやらひっかき傷やらで、工事現場がメチャクチャに  
 なったらしいわよ」  
「雨続きで予定通りに工事が出来ずに困っているらしいねえ、業者さんがぼやいてたよ」  
「現場に積んでいた資材が、何もないのに何故か何度も崩れてしまうらしいわよ、怖いわねえ」  
「資材の柱を運んでいたら手が滑って足の上に落ちちゃって、骨折一歩手前の怪我をした  
 作業員がいるって」  
 どれも大事には至らなかったものの、偶然にしては続きすぎていると、施主が季節外れの  
風邪をこじらせて寝込んでしまったことまで関連づけて噂され、近所の人も不気味に思って  
いるとのこと。  
「お前、何か失敗をしただろう」  
 この噂を聞きつけた父は、厳しい面持ちで彼に言った。父は退院後もまだギプスが取れず、  
自宅で療養しながら、未熟な息子の神主業をフォローしていた。新米ゆえの未熟さを日々見て  
いれば、自分が入院で不在中の息子の仕事ぶりに不安を抱くのも当然だろう。  
「ええと……その、準備のときに、御神酒をちょっとこぼして……あと、祝詞を、ちょっと、  
 とちって――」  
「ばかもん!」  
 すぐに雷が落ちた。  
「で、でも、ほんの少しだし。御神酒もそんなにこぼれなかったし、すぐに言い直したし……」  
「言い訳をするか、この未熟者が!」  
「は、はいっ! 申し訳ありませんっ!」  
 神主という立場では、親子ではなく、上司と部下である。  
「地鎮祭でのお前の不手際が原因で、神様がお怒りになっておいでなのだろう。お前の責任だ、  
すぐに行って、改めて失態のお詫びを申し上げなさい。お怒りを鎮めていただけるよう、  
ひたすら平伏してお仕え申し上げるんだぞ」  
「わかりました」  
 ――神様がお怒りに……って。それって、祟ってるってこと? 俺の失敗のせいで?   
   マジかよ、そんな非科学的な……。  
 半信半疑ながらも、父親の指示通り、自分が初めて地鎮祭を執り行ったあの場所に向かった。  
 
 神社での勤めを終えてからだったので、現場に着く頃には、もう日が暮れかけていた。  
 ここへ来たのは地鎮祭のとき以来だ。工事は大幅に遅れているとの噂だったが、どうにか  
家屋の骨組みはできあがり、棟上げの一歩手前という状態で、建物を包むように足場が  
張り巡らされている。あちこちを雨よけのブルーシートで覆われていて、中の様子は見えない。  
 一見したところ、特に祟りとかの禍々しさは感じられない。とは言え、確かに、何かの  
気配がする。野良猫か野良犬? ……いいや、何か違う。新米神職の彼にもわかるほどの、  
「何か」の気配。  
 怖じ気づく心を奮い立たせ、懐中電灯を片手に、敷地をぐるりと一巡り、不審なところが  
ないか確かめて回る。夜な夜な集まって大騒ぎするという野良猫たちは、まだ来ていない  
ようだ。  
 外には異常がないことを確認すると、彼は足場の鉄柱を乗り越え、厚いブルーシートを  
めくって、まだ柱や梁と筋交いだけの住宅の中へ足を踏み入れた。内部は暗く、外の街灯の  
光も届かない。懐中電灯を持ち上げて中を照らし出そうとしたところ、奥から声がした。  
 
「やっと参ったか」  
 若い女性の声だった。それにしては、ずいぶんと時代がかった口調である。しかもそれは、  
耳からではなく、直接彼の頭に響いてくるような、不思議な声だった。  
「だ、誰だっ」  
 驚いて声のする方に懐中電灯を向けたが、照らし出す前に、明かりがフッと消えてしまった。  
「あ、あれ? あれ、おかしいな」  
 カチカチカチッとスイッチを何度押しても、電池の接触を確かめても、懐中電灯の電球は  
つかない。さっきまでついていたのに、電池もこの間換えたばかりなのに……と、原因が  
分からず焦っていると、暗闇の奥から再びあの声がした。  
「灯りはつかぬぞよ。わらわの姿を見ようなぞ、百年早いわ」  
 おっとりとした声だったが、空気がびりびりと震えるような威圧感がある。神主は得体の  
知れぬ畏れを感じた。この声の主の女性が、手も触れずに、懐中電灯を消したというのか。  
 ――そんな、馬鹿な。  
 現代の文明社会を生きる若い神主には、俄には信じがたかった。あまりに非科学的すぎる。  
頭ではそう考えても、心と体は声の主に圧倒され、身動きすら出来ない。この静かで澄んだ  
威圧感は、いつも、自分が仕える神社の正殿で拝礼しているときに感じるものとそっくりだ。  
 と、俄に不穏な風が吹き始め、遠いはずの森の葉擦れの音がザワザワと鳴り始め、どこから  
集まってきたのか、とんでもない数の猫たちが一斉に鳴き出し、一帯の飼い犬たちが一斉に  
遠吠えを始めた。ニャーニャーミャーミャーと不協和音の大合唱が押し寄せ、そこに高い  
雄叫びの声が不気味さを添える。  
 突然の怪異にオロオロしていると、声の主が厳かに命じた。  
「控えよ」  
「ははッ」  
 硬い合板の床に正座し、彼は深々と頭を垂れてひれ伏した。もはや理屈ではなかった。  
反射的に体が動いていた。若造とはいえ、一応は神職の端くれ、その神職としての本能が  
そうさせたのだった。  
 その途端、あの風と獣たちの不気味な合唱がピタリと止んだ。  
 もはや、疑いようもない。この奥におわしますのは、本物の神様なのだ。  
「やっと、己の不手際の侘びに参ったか。遅かったの」  
「ももも申し訳、ございませんっ!」  
 神主はさらに身を低くして、地に額をこすりつけるように土下座した。畏怖のために、  
声も体も小刻みに震えていた。  
 お姿こそ見えないが、暗闇の奥から伝わってくる、圧倒的な気配。まさに神気と言うの  
だろう。  
 神様が地鎮祭の不手際にお怒りなのだという父の指摘は、当たっていたのだ。あのとき  
お呼びした神々のうちのどなたかが、地鎮祭の後もお戻りにならずに、ここで怒りを露わに  
していらしたのだ。一連の不可解な事件や事故も、その現れだったのだ。  
 ――ええと、地鎮祭で呼び出したのは、大地主神と、産土神と、ええと……うわあ、  
   緊張で思い出せない!  
 大地主神は男神だから、違う。あの中で女神なのは、どの神様だったろう。彼は懸命に  
思い出そうとしたが、焦りでど忘れしてしまい、全く思い出せなかった。  
「あ、あのう……、し、失礼ながら、あなた様のお名前は……」  
「わからぬのか。ふん、そなたのような愚か者には教えてやらぬ」  
「も、申し訳ございません!」  
 その場で雷に打たれるか、祟りで体が腐るかと内心怖れていたが、女神の声は不機嫌な  
ものの、即座に彼に罰を与えようという雰囲気ではない。それに気付いて、神主は少し  
ホッとした。若い女性の声だというのも、畏れが和らぐ要因であった。  
 女神はそんな彼をジロリと一瞥すると、さも嫌そうに顔をしかめた。神主にはその様子は  
見えなかったが、苦々しさを含んだ声音から、彼女の苛立ちと嫌悪感は十分に伝わってくる。  
 
「そなた、今日一日の穢れが身に染みついておるな。わらわの許に参るなら、きちんと  
清めてから参れ。それに、なんじゃ、そのだらしない装束は」  
「は、……」  
 作務衣という普段着、それを咎められた。  
 ――仕方ないだろ、まさか、本当に神様がいるとは思わずに来たんだから……。  
「ん? なんぞ申したか?」  
「や、なんでもないです! 申し訳ございません! すぐに着替えて参りますっ」  
 ただひたすらひれ伏すしかない。これ以上、彼女のご機嫌を損ねるわけにはいかない。  
「それと、饌〈け〉を持って参れ。そなたが先だって損ねた分の代わりじゃ」  
「ケ? ケって、髪の毛ですか」  
「そのケではない、饌じゃ、わらわの食事のことじゃ!」  
 女神の苛立った声と共に、辺りの空気がビリビリッと震える。神主はまたも慌てて  
ひれ伏した。  
 ――なんだ、御饌のことか。「ケ」、だけじゃわかんねえよ……。  
「おや、またなんぞ申したか?」  
「いえっ、す、すぐに持って参りますっ!」  
 そう言って、彼は脱兎の如くその場を走り去った。  
 神社の隣の自宅に戻ると、大急ぎで下着一枚になり、境内の井戸から汲んだ水をザバザバと  
頭から被って身を清め、バタバタと狩衣に着替え、大急ぎで御饌を用意する。神酒の他に  
米、塩、干物や昆布、果物など、ある限りのものを手当たり次第、土器〈かわらけ〉と共に  
支度を調えた。  
 浅黄色の袴に狩衣、烏帽子姿の若い神職が、大きな包みを抱えて夜の住宅街を走り抜けて  
ゆく。もしこの光景を目撃する人がいたら、目の錯覚か何の見間違えか、そうでなければ  
正気の沙汰ではないと思ったことだろう。  
 
「ただいま、戻りましたっ!」  
 息せき切って、工事現場の家屋内に駆け込む。もちろん、懐中電灯などの灯りの類は  
つけない。暗がりの中、外から漏れ来る微かな光を頼りに、神主は持参した御饌を丁寧に  
正面に置くと、真っ暗なその先にあるあの神々しい気配に向かって恭しく平伏した。  
「戻ったか。さあさ、早く酒を注がぬか」  
 そう言われても、周囲は真っ暗で、自分の手元すらもよく見えない。  
「恐れながら、しかしこう真っ暗では、酒瓶の封を切ることもできません」  
「仕方がないのう。……それ、これでどうじゃ」  
 女神が片腕を挙げる気配がした。すると、神主の周囲がほのかに明るくなった。なにも  
ないのに、まるでそこだけ月明かりか蛍火に照らされたように、淡く光っている。  
 自分の手元の様子は見えるが、女神の姿は見えない。辛うじて、その胸元から下の装束の  
様子がぼんやりと照らし出されて見える程度だ。神話の絵画や博物館の歴史イベントで  
見たことがあるような、古代風の衣装だった。スカートのように裾の長い白い裳の上に、  
丈が短めの白い衣を重ね、鮮やかな織りの帯で留めている。手元は長い袖に隠れて見えない。  
胸元には朱色の大きな勾玉と緑や青の管玉をつないだ首飾りが見える。肩から腕の辺りに  
かけては、竜宮城の乙姫様みたいな薄く長い布がふわりと掛かっている。  
 神主は、今度こそ不調法の無いよう、慎重に神酒を土器に注ぐ。それを三方に供えると、  
暗がりから白い手がすっと伸びてきて、なみなみと神酒が注がれた土器をその口許へと  
運んでいった。  
 こくこくこく、と神酒を飲み干す軽やかな音がする。  
 一息あって、満足げな優しい声がした。  
「うむ、良き酒じゃ。もっと注げ。他の肴も支度せよ」  
「はい、ただいま」  
 ひとまずホッと安堵して、神主は戻された土器にまたなみなみと神酒を注いだ。米、塩、  
干物、昆布、果物を、それぞれ土器に盛り、丁重にお供えする。女神がそれらに手を伸ばして  
きては美味しそうに食べる音とゆったりとした気配を、彼はじっと見守った。  
 気配だけでも、女神の様子が徐々にくつろいだものになっていくのが伺えた。初めの頃  
よりは幾分か気安い口調で、女神は神主の所業を咎めた。  
「まったく、酒は溢す、祝詞は読み間違える……。いくら初めての勤めとは言え、  
 ひどすぎるぞ。他の神々は大笑いしておったが、わらわは恥ずかしゅうて、いたたまれ  
 なかったわ」  
「まことに、申し訳ございません」  
「うむ、わかればよいのじゃ」  
 
 目が慣れてくると、次第に、女神の口もと辺りの表情まではわかるようになってきた。  
だが依然として、それ以上は見えてこない。その口許が綺麗で愛らしくさえあると判るに  
つれ、そのお顔までも拝見してみたい、という好奇心にかられる。  
「さ、もう一口、注げ」  
「はい」  
 神主は女神に命じられるまま、粛々と酒を注ぎ続けた。幾杯も、幾杯も。  
 ――やばいなあ、持ってきた御神酒、足りるだろうか……。  
 一升瓶が次々と空になっていく様子に神主が不安を覚え始めた頃、女神は飲み干した土器を  
カラン!と床に放るように置くと、片足を彼の前にニュッと突き出し、言った。  
「ずっとここに座りっぱなしで、足が疲れたぞ。そなた、わらわの足を揉め」  
 彼女は足を蹴り上げて、布張りの浅沓をポイと脱ぎ捨て、素足を晒して見せた。酔っている  
のか、随分とはしたない振る舞いである。  
「えっ、や、しかし……」  
「四の五の言わず、揉めと言うたら、揉め」  
「で、では、恐れながら……失礼いたします」  
 せっかく機嫌良くなさっているのに、ここでまた怒らせては元も子もない。神主は恐る恐る、  
差し出された素足に両手を伸ばした。  
 ――マッサージなんて、どうやればいいんだよ……。もし、上手くできなかったら……。  
 びくびくしながら、そっと女神の足に触れる。透けてしまうのではないかとドキドキしたが、  
ちゃんと触れることが出来る身体だった。白い足先はふっくらとして柔らかく、弾力のある  
肌には温もりがあった。  
 ――あ、あったかい。  
 その肌のあたたかさと柔らかさが意外で、思わず、彼女の小さな足を両の掌で包み込んだ  
まま、その感触を確かめるようにじっとしてしまう。そうして、足の裏の柔らかい部分を  
そうっと押してみた。  
「それでは、こそばゆいだけじゃぞ。もう少し、強う」  
「はい」  
 彼は徐々に力を加減しながら、ゆっくりと、彼女の足の裏をまんべんなく揉みほぐして  
いった。交代で差し出された、もう片方も足先も、同じように丁寧に揉みほぐす。  
 素人のぎこちないマッサージだったが、心を込めて丁寧に揉んだのが良かったのだろう。  
次第に女神も「ん……」と気持ちよさそうな声を漏らし始めた。  
「もっと、足首の方も頼む」  
「はい」  
 失礼いたします、と断ってから、彼は女神の足元を覆う裳裾を少し持ち上げて、ほっそり  
した足首を両手の指で軽く揉んだ。  
「……だいぶ、むくんでいらっしゃいますね」  
「誰のせいじゃと思うておる。そなたの参るのが遅いからじゃぞ」  
「申し訳ございません」  
 ――むくみを取るには、足全体の血行をよくするんだったっけ。  
 揉みほぐすのに集中するうちに、彼は我を忘れ、いつの間にか足首からふくらはぎまで  
手を伸ばしていた。裳裾は膝の辺りまで捲れ上がり、あられもない姿である。  
 ハタとそれに気付き、神主は慌てて手を止めた。  
「……いかがいたした?」  
「申し訳ございません、その、足首との仰せでしたのに、つい……」  
「ああ……構わぬ、そのまま続けよ」  
「……はい」  
 膝まで衣をたくし上げ、無防備に晒された女の素足。その足元に跪き、差し出された素足を  
抱きしめるように、取り付いている格好の男。彼の鼻先にはむっちりした太股が見え隠れする。  
その状況を急に意識して、彼は顔を赤くした。決まり悪げに俯きながら、再び、彼女の  
ふくらはぎに両手を伸ばした。  
 黙々と揉み続ける神主、それをゆったりと見下ろす女神。彼女の膝の辺りにある彼の頭に、  
彼女の白い手がすっと伸びてきて、禊ぎの水でまだしっとりと湿っている彼の髪に触れた。  
「少し、濡れておるな」  
「あ、これは……、急いでおりましたもので、乾かす間もなく」  
「そうか」  
 
 彼の烏帽子からはみ出す短く柔らかい髪をしばらく弄んだ後、彼女の指先は、彼の目元から  
頬をつつつっと撫でた。こそばゆい感触に、彼は思わず声を上げそうになった。  
「…っ、くすぐったいです、おやめください」  
「ふふ……、ほんにそなたの声は、良い声よの」  
 暗がりで彼女が微笑む気配がする。彼女の指先は、相変わらず彼の顎の辺りを楽しそうに  
弄んでいる。  
「お…っ、恐れ入ります」  
「そなたは愚か者じゃが、声だけは良いのぉ。清けき榊の葉擦れの音を聞くように心地よいわ。  
 それ、なんぞ神楽歌でも歌ってくれぬか」  
「神楽歌……ですか」  
 またもや難題だ。歌えない……わけではないが、上手く歌える自信がない。もっと真面目に  
練習しておけば良かった、と今更のように後悔する。それでも神様の命令には逆らえない。  
 居住まいを正し、恐る恐る、歌い始める。  
「みーーぃ〜〜や〜ぁ、びーーぃ〜〜とーぉ〜のーぉ〜、さーぁ〜あ〜あ〜ぁ〜ぁ〜あー、  
 せーぇ〜え〜ぇ〜え〜る〜」  
 実にのんびりとしたリズムと音調の神楽歌が、朗々と響き渡る。本当の神楽なら舞と  
雅楽器の伴奏に合わせて歌うものだが、それが無いだけで、なんとも間の抜けた感じだ。  
しかもここは神社でもない、夜中の住宅街の、建築現場。聞きとがめられたら、なんと  
言い訳しよう。  
 内心ではトホホといたたまれなかったが、それでも神主は女神様にご機嫌良くあって  
もらいたい一心で、一生懸命に歌った。  
「良いのう、実に惚れ惚れとする良い声じゃ。その声を、いっそそのまま味わってみたい」  
 甘ったるい声でそう言うと、女神はいきなり、神主の唇に唇を重ねた。  
「なっ、……んぐッ」  
 予期せぬ事態に、神主はたじろぐばかりだった。柔らかく弾力のある唇が彼の唇に押し  
つけられ、彼女の熱い舌は、彼の声ごと貪り取るかのように口内を舐め回す。本当に声を  
舐め取られ吸い取られてしまったかのように、彼は驚きのあまり、声を上げることすら  
できなかった。  
 それに、あれだけ酒を飲んだというのに、その息に酒臭さはなく、ただ酒麹のような  
澄んだ甘い香りが口の中に広がる。やはり人ならぬ浄い身の御方ゆえなのだろうか。  
花の蜜のような甘い吐息に酔って理性を失ってしまいそうだ。  
 やっと彼女が唇を離したところで、その顔が淡い光の中に浮かび上がって見えた。若い  
手弱女の姿だった。典型的な和風美人とでも言うか、やや丸顔でふっくらとした白い肌に、  
一重で切れ長の黒い瞳が美しい。艶やかな黒髪は、頭の上の方で小さな髷が結われ、残りは  
背中まで豊かに垂れている。てっきり引目かぎ鼻でオタフク顔の平安美人みたいな顔かと  
想像していたので、現代人の目から見ても清楚で愛らしいその容貌に意表を突かれた。  
 神様の顔を見てしまったら目が潰れてしまうのではないか――心の隅でそんな畏れを  
抱いていたが、それは杞憂だったようだ。彼女は自分の顔が灯りに照らされて露わである  
ことに気付いていないのか、それとも最早そんなことは気にしていないのか、暗がりに  
姿を隠そうともせず、神主の顔に自分の顔を近づけたままである。その頬は上気して、  
うっすらと桃色に染め上がっていた。  
 神主はどぎまぎしつつ、先ほどの接吻を、酒の席の戯れとして軽く流してしまおうとした。  
「ちょ……っ、酔っていらっしゃるでしょう」  
「酔うている、じゃと? わらわは、酔うてなどおらぬわ!」  
 不機嫌な声と共に、突風が外からゴオッと吹き込んできて、神主の頬を叩いていった。  
「うわっ」  
 しまった、と再びひれ伏しながら、神主は心の中で呟いた。  
 ――いやいやいや、酔っぱらいに限って「酔ってない」って言うんだよ……。  
 再び、女神の小言が繰り返された。  
「そもそも、なんじゃ、あの祝詞の読み間違いは。『たたまつりゅ』とは、トチるにも程がある」  
 もはや、タチの悪い酔っぱらいの説教の域である。神主は、地鎮祭での失態については  
もう勘弁して欲しいと泣きそうな気分だったが、立場上も責任上も一切反論ができないので、  
ただ謝り倒すしかなかった。  
 
「申し訳ございません、もう、二度と致さぬよう気をつけますので、どうかお許しを……」  
「そなた、誤魔化せたつもりかもしれぬが、他にも小さな読み間違いがいくつかあったぞよ」  
「え、そんなはずは……」  
「なんじゃ、間違えたことにも気付いておらなんだか。情けない! そのような心がけで、  
 神職として、わらわを敬い崇めようという気持ちがあるのか、疑わしいものじゃ」  
 拗ねるように、女神が顔をツンと横に向けた。不覚にも神主は、そんな様子を「可愛い」と  
思ってしまった。  
 ――おいおい、神様相手に、何を考えているんだ。  
 良からぬ思いを振り払って、懸命に弁解する。  
「いえ、決してそのようなことは……。私めは、身も心も捧げて神々にお仕え申し上げる、  
 神職でございます。あなた様を心より敬い崇め、あなた様の仰せとあらば、何でもいたします」  
 女神を宥めるために必死ではあったが、その言葉に偽りはなかった。確かにあのときは  
神事に対して「どうせ形式的なもの」と適当な気持ちがあったことも否定できないが、  
こうして神様を目の当たりにして、その神気に触れた今となっては、神職として心の底からの  
忠誠と服従を誓わずにはいられなかった。  
 女神は神主に目線を落とすと、平伏する彼の顎を片手でついと持ち上げ、彼の瞳を正面  
からじっと見据えて、言った。  
「その言葉に偽りは無いな。……わらわの望みとあらば、何でも致すか」  
「はい」  
「まことじゃな」  
「はい」  
 
「ならば、そなたの身体を、わらわに奉れ」  
 
 神域にシャンシャンと響く神楽の鈴の音のように澄んでいながら、花の香のように彩りに  
満ちた声。そんな清く甘い声で言われた言葉の意味が一瞬理解できず、神主は頭の中が  
真っ白になった。  
「――はっ?」  
「わからぬか。みとのまぐわいをせよと、言うておるのじゃ」  
「――えっ?」  
「幾たびも言わせるな。みとのまぐわい、知らぬとは申すまい」  
「や、それは――」  
 彼は学生時代に覚えた国生み神話の一節を思い出した。  
 
『是の天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひせむ』  
『此の吾が身の成り余れる処を以て、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎ』  
 
 あれは古事記だったか日本書紀だったか。俺の出っ張ったモノをお前の凹んだアソコに  
挿して塞いで……って、すんげえストレートで大らかな物言いだよな〜とか思ったっけなあ……  
 ――って、悠長にそんなこと思い出している場合じゃない!  
   要するに、この女神様は「セックスしろ」と迫ってきているんだぞ!?  
「あのっ、いやっ、そのっ、さすがにそれはっ!」  
「何を申す、己が祭る神に身も心も捧げ、神を慰め奉るのが神職の勤めであろうが」  
「いや、それは確かにそうなんですがっ、ですがその……っ」  
 ――いいのか? いいのか? これってアリなのか!?  
 人の身として、その一線は越えて良いものなのか。鈍感な半人前でも、そのくらいの畏れと  
躊躇はある。  
 ふと、さっきの国生み神話の続きが脳裏に浮かんだ。  
「あのっ、恐れながらっ、その、こういうことは、女の方から仕掛けてはいけなかったのでは?」  
「ああ、あれは神と神の間でのことじゃ。わらわは神、そなたは神ではないから、別に構わぬ」  
「え、そういうものなんですか……って、いや、そうじゃなくて! いいんですか、こんなこと!」  
「つべこべ言うな。さっさとわらわの言うことを聞け。さもなくば……」  
 周囲の空気がザワザワと不穏にさざめき始める。  
「わ、わかりました! わかりましたから!」  
 半ば脅迫だ。  
 だが、強要されてと言うよりは、お許しを得て――という気分だった。何だか恐ろしくも  
あるが、しても良い、むしろ「しろ」と言うのなら、良いのだろう。  
 古めかしい装束のゆったりとした衣越しに、彼女の胸元の豊かなふくらみを見て、思わず  
ごくりと喉が鳴る。  
 
 意を決して、差し出された彼女の手を取った。しなやかで、柔らかく、温かい。彼女の  
身体をそっと引き寄せ、遠慮がちに顔を見ると、その漆黒の瞳は潤み、頬は綺麗な桜色に  
染まっている。  
「お顔が赤い……やっぱり、酔っていらっしゃるでしょう」  
「酔うてなどおらぬと言うに」  
 今度は大胆不敵にそう言って、女神は白い腕を神主の首に回し、再び彼の唇を奪った。  
今度の口づけは、野生の果実のように瑞々しい甘さだった。  
 口づけの陶酔感に後押しされて、女神の衣の襟元に手を掛ける。すると彼女はそれを軽く  
制止して、彼に囁いた。  
「そなたが、先に脱げ」  
「あ、……は、はいっ」  
 ご機嫌を損ねてはなるまじと、彼は慌てて装束を脱ごうとした。だが、慌てているせいか、  
烏帽子の紐が狩衣の襟元に絡まったり、烏帽子を邪魔だと脱ぎ捨てた勢いで余計に袖に紐が  
絡まったりと、普段なら何でもないはずのことが思うように出来ない。狩衣の襟の留め具も、  
焦りで指が震えてなかなか外せない。急がねばと焦れば焦るほど、悪循環だった。  
 そんな彼の様子に、女神は呆れて言った。  
「仕様のないやつじゃ。どれ、わらわが手を貸してやろう」  
「す、すみません」  
 神職ともあろう者が自分で装束も脱げないなんて、おまけに女の人に脱がせてもらうなんて、  
と彼は恥ずかしくてたまらなかった。  
「ほんにそなたは、童の頃から、焦ると何も出来なくなるたちじゃったのう」  
「え」  
「それ、解けたぞよ」  
 襟の留め具はもう外していたので、何のことはない、あとは腰の帯をほどくだけで狩衣は  
いとも簡単にハラリと脱げて床に落ちた。急いで小袖を脱ごうとすると、またも呆れたように  
女神が言う。  
「その上の袴を脱ぐのが先であろう。ほんに、手の掛かる」  
「は、はあ……、申し訳ありません……」  
 こんな時でさえ、謝ってばかりだ。神様相手とはいえ、情けなくなる。  
 彼女が手際よく袴の紐を解く。浅葱色の袴がパサリと床に落ちると同時に、彼は白い小袖を  
脱いで、下着一枚になった。その姿をまじまじと見つめて、彼女が不快そうに言った。  
「なんじゃ、この毛唐の下穿きは」  
「あ、これは、そのぅ……」  
 トランクス姿をなじられて、またもや自分の迂闊さに冷や汗を流す。  
 正式の禊ぎや重要な神事の時は白の褌を締めることになっているのだが、慌てていたとは  
言え、神様の御前だとわかっていたはずなのに、うっかり普段の装束の下にはいている  
白いトランクスのままだった。褌にしろブリーフにしろトランクスにしろ、下着が白なのは、  
神職の白い装束に透けないようにするためだ。  
「近頃の者は、何でも毛唐のものばかりじゃ。次からはちゃんと褌をして参れよ、の」  
 そう言って彼女は彼の下着に手を掛けると、するりと下へ降ろした。  
「……ほう。こちらの方は、一人前と見える」  
 神様とはいえ、若く美しい容貌の女性に下半身をまじまじと見つめられ、彼はドギマギした。  
どうリアクションしたものかと黙っていると、彼女は妖艶に微笑んで、彼女の腰帯の片端を  
彼の手に握らせた。そして彼の手に自分の手を添えて、帯を引くように促した。  
 促されるままにグッと手前に引くと、シュルッと衣擦れの音がして腰帯が解け、パサリと  
下に落ちた。腰帯一つで留められていた上の衣は胸元がハラリとはだけ、柔らかそうな乳房が  
チラリと見えた。  
 長い裳裾をふわりと床に広げるように腰を下ろした彼女に続いて、彼も床に膝をついた。  
硬い合板の床に女神の衣が広がっているだけのはずなのに、そこだけ不思議と柔らかな  
褥のようになっていた。彼女を抱き寄せ、襟から肩を通って背中まで手を滑らせるように  
して上衣を脱がせると、その上半身が露わになった。肌は白く滑らかで、触れる手が吸い  
付くようにしっとりしている。  
 
 ぽってりと厚みのある唇に、今度は彼の方から唇を重ね、空いているほうの手で乳房を  
優しく包んだ。豊かな乳房はふっくらと柔らかく、温かい。  
「ん……んぅ、……ん…っ」  
 唇の間から、湿り気のある微かな音と、彼女の甘い溜息が漏れる。  
 その音に、彼の頭はぼうっとなって、理性はいとも容易く吹き飛んだ。彼は欲望に任せて  
乳房をわしづかみに、強く揉んだ。  
「あ……つっ!」  
 一瞬、女神が眉間にしわを寄せた。空気が小さくピリッと鋭く震えるのを感じる。   
「これ、もう少し、加減せぬか」  
「あ、す、すみません」  
 彼が反射的に手を引っ込めると、それをやんわりと制するように、女神は彼の手に自分の  
手を添え、再び乳房へと誘った。  
「もっと、優しゅう撫でておくれ……こんな風に」  
 女神は、彼の背中に回していた手を、背筋に沿って撫で降ろすようにすうっと動かし、  
細くてしなやかな指の腹で、彼の脇腹を優しく刺激した。  
「ふ…あ、あぁっ」  
 弱いところを的確に愛撫され、彼は思わず声を上げた。  
「ああ……もっと、その声が聞きたい」  
 惚れ惚れと聴き入るように、女神はうっとりと目を細める。そしてそのまま、脇腹から腹、  
そして胸元へと、彼女の白魚のような指が這い回る。小さなうめき声を漏らしながら、彼は  
それに応じるように、掌で包んでいた彼女の乳房をふんわりと柔らかく撫で回した。首から  
下がる勾玉の首飾りが、しゃらん……と、まるでこの世の物とは思えぬ透明な音を立てた。  
「ん…っ、ああ……そう、そうじゃ……、良いぞ」  
 女神の息づかいが次第に荒くなり、やがてその乳首が硬くなるのを彼は掌で敏感に感じ  
取った。ぷっくりと突き出したかわいい乳首をそっと指先で撫でると、彼女は「んっ」と  
喉の奥から小さく声を漏らした。またもや空気が小さく震えたが、今度のはさっきのような  
鋭さはなく、愉悦のさざ波と言った感じの震えだった。  
 指で撫でるのを止めて、代わりに舌で乳首をちろちろと舐めてやる。すると、堪えきれずに  
彼女が声を上げた。  
「ぁんっ」  
 甘いさざめきがザアッと押し寄せ、神主を包み込んだ。  
 ――感じて……いらっしゃるんだ。  
 自分たちを包む空気の反応が、女神の感覚と連動していることは明白だった。決して  
巧みではないはずの自分の愛撫に、女神が感じてくれているというのが嬉しく、愛おしささえ  
こみ上げてきた。  
「失礼いたします」  
 そう言って彼は女神を床に押し倒すと、長い裳を腰に巻き付けている細い帯を手早く  
解いた。上質の白い絹の裳を取り去り、薄い腰布をはぎ取ると、淡い光の中に女神の白い  
裸体が浮かび上がった。  
「なんて……きれいなんだろう……」  
 まるで傍観者のように神主が呟くと、女神は妖艶に微笑んで、彼を挑発するように緩く  
身をくねらせた。  
 ざわざわと踊るような空気に後押しされて、彼は仰向けの女神の上に覆い被さった。  
重ねる度に味わいの変わる唇、ふっくらとした頬にも口づけを落とし、それから、滑らかな  
首筋、柔らかな胸元、硬くなった乳首、腹から脇腹へ、丁寧に舌を這わせていく。女神の  
肌は熟れた桃のように甘く、その弾力と温もりがこの上なく心地よい。腰から太股、膝、そして  
さっきまで丁寧に揉んで差し上げたふくらはぎ、小さな足先にまで、接吻を散らしていく。  
「あ……はぁ……ああ……」  
 彼女が気持ちよさそうな吐息を漏らす度に、彼は自分の何かが満たされていくのを感じた。  
神様が、自分の奉仕を、喜んでくださっている。神職としての満足感か、それとも男としての  
満足感か。  
 
 片足を少し持ち上げるようにして、足先から今度は逆に、足の甲からふくらはぎへ、そして  
太股の内側へ……と、内股をチロリと舐めたところで、女神が「ひゃんっ!」と叫んだ。  
快楽にたゆたっていた周囲の空気が、ブワッと突き上げる。  
「ここ、弱いんですね」  
 太股の内側の付け根近くにチュッと口づけをすると、またも女神は敏感に反応した。  
「は…あ、やぁんっ! そ、そこ、は……あぁんっ!」  
 チュッチュッと接吻する度に、ビクンと身を仰け反らせてよがる彼女に、先ほどまでの  
女神らしい高圧さはない。ただ、手弱女の恥じらいと、それでも失われない神々しさが  
あるばかりだ。  
 はぁはぁと荒い息づかいで、ビクビクと身体を波打たせながら、女神の両脚はいつしか  
大きく左右に広がり、その付け根の茂みが露わになっていた。彼は彼女の内股を優しく  
責めながら、空いた手で、その茂みを撫でた。  
 太股への接吻を掌での愛撫に代えて、今度は茂みの探索に集中することにした。柔らかな  
茂みを利き手で撫で上げ、撫で下ろし、指で丁寧に掻き分けると、その先にある厚い花弁が  
彼の指に触れた。ぽってりとした花弁は熱を帯びて、ぬるりと蜜を纏っていた。そっと指を  
伸ばすと、二枚の花弁は容易に二つに割れて、奥から熱い蜜が溢れて彼の指を濡らした。  
花弁の周りをゆっくりと浅く撫でると、奥からさらに蜜が溢れ出す。  
「すごい……、こんなに濡れてる……」  
「そんな、あんっ、しみじみと、も、申すで、ない……っ」  
「……指、入れても、いいですか」  
「なに?……あっ、あんっ!」  
 彼女の許可を待たずに、花弁の奥の蜜壺に指を浅く入れた。溢れ出る蜜が彼の指をつたって  
くる。このまま吸い込まれてしまいそうだ、と彼は思った。  
 女神は頭を起こして、彼のしていることを見とがめた。  
「そ、そんなにジロジロと、見るでない…っ」  
「……は?」  
「見るなと…言うに…っ」  
「え?」  
「ええい、とぼけおって! わらわの…ほ、ほとをっ、いつまで見ておる…っ」  
 彼女の顔は羞恥で真っ赤だ。  
 ――自分は男のをジロジロ見ていたくせに、見られるのは嫌だって?  
 まあ、女神にしてみたら、神職とはいえ人間の男に一番恥ずかしいところをまじまじと  
見られるのは、許せないのかもしれない。  
「申し訳ありません」  
 口ではそう謝ってみせながら、神主は女神の股に顔を深く寄せて、その陰部に接吻した。  
鼻をくすぐる、つんと甘酸っぱい女の匂い。  
「――ああっ!」  
 女神は嬌声を上げ、身をくねらせた。  
 茂みに隠れていた熱い花芯に、そっと舌で触れる。そこを潤す蜜は、ほろ苦い酒のような  
味がした。  
「ひぃっ」  
 女神が、これまでになく切羽詰まった声を上げた。ざわざわと温かくうねっていた周りの  
空気が、一気に怒濤のように押し寄せ、彼らを包み込む。彼女の快感が、そのまま彼をも  
外側から包み込んでいるのだ。  
「うわっ」  
 人間の女相手では決して体験できない感覚――相手の愉悦を外から共有するという不思議な  
快感に、彼は我を忘れそうになるのを必死に堪えた。  
 
 それでも舌での奉仕は止めることなく、肘で自分の体を支えながら、掌は内股の付け根に  
当てて、ひたすらに彼女の快感を刺激した。  
「も、あっ、もうよい…っ、あ、あ……ああーッ!」  
 彼らを包む空気がビリビリと震え、波がドッと突き上がるように上り詰め、勢いよく落ちた  
かと思ったら、後はサーッと波が低く広がり、たぷんたぷんとたゆたっているようだった。  
彼女はハァハァと喘ぎながら、トロンとした表情で、半ば放心しているようだ。  
 ――イッた、のか?  
 自分ももう我慢の限界だったが、彼女が達する間際に「もうよい」と言ったのが気に掛かった。  
「もう、よい……のです、か?」  
 恐る恐る尋ねると、女神は潤んだ瞳を彼に向け、ぶっきらぼうに言った。  
「もうよい、……口でいたすのは」  
「え」  
「もう、口ではなく、……そなた自身を、わらわに奉れよ、の」  
 命令口調なのに、なぜか愛らしく感じてしまう。名前を呼びたい、呼びかけたい――そう  
思って、改めて、彼女がどの神でいらっしゃるのかがわからない自分をもどかしく感じた。  
「女神様」などと、そんな汎用的な呼び名で呼ぶべきではない、呼びたくない、そう思った。  
「……それでは、参ります」  
「こんなときに、真面目くさりおって」  
 あくまでも女神に対して神職としての礼儀を貫こうとする彼に、女神はふふっと微笑むと、  
真上に覆い被さってくる彼の顔に手を伸ばし、その頬を優しく撫でた。  
 彼は、いきり立った男茎を、女神の陰部に、ゆっくりと深く挿し入れた。  
「んあ…っ」  
 声を上げたのは、彼の方だった。熱く柔らかな肉の襞に押し包まれ、じゅぷじゅぷとした  
蜜の中で、快楽の波が次から次へと絶え間なく押し寄せてくる。これは自分の快感なのか、  
女神が感じている快感なのか。彼我の区別がわからなくなるような、途方もない悦楽の渦に  
飲み込まれていく。  
「あ…はぁ、はぁ…っ、あん、あんっ、はぁっ、あんっ…ああっ」  
 彼の腰の動きに合わせて、女神も甘い喘ぎ声を放つ。  
 背中に回された彼女の指に徐々に力が込められ、彼女の脚は踊るように跳ね、彼の腰を  
羽交い締めにした。その刺激に、彼はさらに腰の動きを早めた。  
「ん…ああっ、も…もっと、ぁんっ、もっとぉっ!」  
「くっ」  
 つながりあっている部分からの直接的な快感と、そして神々しい悦楽の空気に包まれて、  
もう、どうにかなってしまいそうだった。特に、自分を包む空気の感覚が、どうしようもない。  
 家の神社の裏に広がる鎮守の森の葉擦れのようにざわざわとした感覚、そこを通り抜ける  
微風のような肌触り、湧き出る清水、木漏れ日の温もり……神域の真砂を踏みしめるような  
感触、鈴のように清々しくも重々しい響き、榊や幣の擦れ合う音……正殿前にお勤めする  
ときの、得も言われぬ清々しい高揚感――。  
 身に染みついた、この感触。  
 ――そうだ、確かに、あなたを、知っている。知っていたはずだ……!  
「うぶすな様」  
 そう呼びかけたとき、「あああぁっ!」という女神の叫び声が聞こえ、天まで達するかと  
思うほどの快楽の突き上げが来た。  
「ううッ」  
 頭が真っ白になり、次の瞬間、彼は達した。彼女の悦楽の声が遠のいていくのを聞きながら、  
彼は彼女の上に崩れ落ちた。  
 
 
「――っくしゅん!」  
 薄暗がりの中、夜明けの冷えた空気と明け烏の声で、彼は目を覚ました。東の空が白み  
始めている。  
 あの建築現場の建物の中で、彼は狩衣姿で寝転がっていた。辺りには誰もいない。  
 夢でも見ていたのかと思ったが、まわりに散らかる徳利や土器、辺りに漂う神酒の香り、  
そしてなにより自分自身の体が、「あれは夢ではなかった」と告げていた。  
 彼はよろよろと帰宅すると、父親に事の次第をかいつまんで報告した。もちろん、  
女神との交合のことは全部省いて。  
 父は腕組みをしてしばし考え込み、神妙な面持ちで息子に言った。  
「お前、気に入られたのかもしれんな」  
 その証拠に、微かではあるが、ほのかな神気が彼のまわりに漂い残っているのだという。  
「はあ……、なんでも、声が気に入ったとか仰せでしたが」  
「まあ、確かにお前は、良い声をしているからなあ。あり得るかもしれん」  
「はあ」  
「だからといって、くれぐれも、図に乗るなよ。神々は気まぐれな御方も多い。少し気に  
入られたからと言って慢心して分をわきまえずにいると、必ず厳しいお叱りがあるからな」  
「はい」  
 その日以来、例の建築現場で起きていた怪異はピタリと止んだ。あの晩の出来事については、  
「神社の跡取りの若い神主が、夜通しの祈祷で祟りを鎮めてくれた」との噂が広まり、  
「若いのになかなかたいした神主さんだ」と氏子の間で評判になった。  
 ――夜通しの祈祷……ね。まあ、あながち間違っちゃいないか。  
 ともかく、事情を知らずに見れば「奇行」「変質者」と紙一重のあの夜の行為が、良い方に  
噂されて助かったと、彼は安堵した。  
 そしてあの日以来、若い新米神主が神事でうっかりミスをすることは無くなった。これも  
あの女神のお陰なのだろうか。  
 日々の勤めの中で、祝詞を読み上げるとき、そして祭礼で神楽歌を歌うとき、あの夜の  
気配を身近に感じることがある。彼女がすぐ傍で悪戯っぽく微笑んでいる気さえする。  
だが、彼女は、決してその姿を彼の前に見せるようなことはなかった。  
 彼はあの一夜の逢瀬を思い出す度に、もう一度でいいからまた逢いたい、と思う。  
 ――また祝詞を読み間違えたら、叱りに出てきてくださるかな。  
 チラリとそんなことを思うが、しかし神事でわざと失敗してみせたとなれば、尋常でなく  
怒り狂われるかもしれない。  
 ――それも恐ろしいな。  
 若い神主は、淡い期待を頭から振り払った。  
 ただ、いつ何時、何があっても良いように――彼はあれ以来、小袖に差袴という普段着の  
ときでも、下着は白の褌と決めている。  
 
−終−  
 
 

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