あるサキュバスの主張 
 
「人間の精気が私たち夢魔の栄養源。  
 だから吸精する人間の状態が悪いとその精の質も味も悪くて美味しくない。  
 分かったか?」  
「はぁ」  
 俺は気の無い返事を間の前の美しい女性に返した。  
それに機嫌を悪くしたのか彼女は料理用の菜箸をビシリ!と擬音が出そうなくらいこちらへ向けて続け 
る。  
「衣・食・住が人間の生活の基本、そして睡眠欲・食欲・性欲が人間の三大欲求。どうして性欲が最後 
なのか分かるか?」  
「そんなの知るワケがな…知りません」  
「それは…」  
 見事なボディラインを惜しげも無く晒したボンテージの上からエプロンを着込んだ奇妙な姿の彼女は 
自分でも言ったように夢魔、悪魔の一種で人間の精気を吸うサキュバスだと名乗った。  
 
 
 
 性質の悪い風邪で数日寝込んでいたため、その日の朝の体調は最悪だった。  
それでも会社に行こうとフラつく足取りで立ち上がった拍子に戸棚にあった小さな瓶を落として割って 
しまったのが運の尽き。  
 少し前の呑み会の帰りに見つけた奇妙な露天のアクセサリー屋で酔った勢いで買ってしまった“夢見 
の小瓶”がそれだった。  
 それ以来、寝付き寝起きが良くなったような気がするのでご利益があったと思ってたが、まさか中に 
こんな綺麗な悪魔が入っていたとは。  
「…というワケでそのコンディションの良し悪しが精気の質にばっちり出ているからなんだ。いいか?」  
「はい」  
 紅く縦長の猫のような瞳が俺を真っ直ぐ見ている。  
 
 割れた瓶から出てきた彼女を見て見ぬフリをしようとして寝床に連れ戻された俺は無理やり押し倒さ 
れたのだった。  
「おいっ、一体何を? 君は誰なんだ?」  
 それに答える気も無いようで、獲物を見つけた肉食獣のように舌で唇を軽く舐め、いきなり俺に襲い 
掛かった彼女は暴れる俺を抑え付け、寝巻きを押し下げられ咥え込まれた。  
 病み上がりとはいえ女性である彼女にいいようにされた俺は文字通り人間技ではない彼女の口の動き 
に一分と経たぬ間に出してしまい、男としての面目が丸潰れだった。舌の上で俺の出したものを暫らく 
弄んでいた彼女は、渋い表情で飲み込む。そして片方の眉を釣り立てて言った。  
「不味い」  
 
初めて聞いた彼女の声は鈴を鳴らすように美しく、そして残酷だった。  
そうして俺にベッドで寝ているように命令した彼女は台所へと入り、何やら料理を始めたのだった。も 
ちろん、  
「もし逃げ出そうとしたら今度は絞り尽くしてやる」  
 と脅かした上で、だ。  
 暫らくして彼女がお盆を片手に戻ってきた。  
そこにはお粥の入った一人用の小さな土鍋と茶碗、作り置きの麦茶と小皿に漬け物が少しと匙。  
 ベッド脇のテーブルにお盆を置く。  
「起きて食え」  
 両手を腰にあて、仁王立ちで言う彼女。  
「どうしてこんな」  
「黙って食え」  
「はい」  
 恐る恐る口にしたお粥はこれまで二十数年生きてきて一番美味しいものだった。  
絶妙な塩加減に煮込み具合。米の甘さを最大限に引き出している。  
 俺はその熱さも我慢して掻き込むようにそれを食べ出した。  
「そんなに慌てて食べると火傷するぞ」  
 口調はぞんざいだが、切れ長の目尻を僅かに下げて、彼女が嬉しそうに言う。  
 
「よし、全部食ったな。次は薬だ」  
 何時の間にか水を風邪薬を用意していた彼女は俺に渡してくれる。  
それを飲んだのを確認した彼女は、徐に俺に言ったのだ。  
「落ち着いたか?」  
「あ、はい」  
「そうか、ならば」  
 ニヤリ、と笑う彼女。  
とんでもない美女だが、そんな笑い方がとてもよく似合っていた。流石悪魔。  
そう思った俺の心を読んだのか彼女は細く形の良い眉を立てて宣告した。  
「そこに正座しろ」  
 
 俺はこの日、会社に遅刻した。   
 

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