蛙の夢 (中)
一度箍が外れてしまえば、最早明は成り振りを構わなかった。由香の休日と遅番を把握するのは雇用者としてわけのないことだったし、
地元の産婦人科の老医師に手を回して、見返りと引き換えに由香が来院してもピルの処方をしないよう伝えるのも電話一本で話がついた。
本社から戻り、食事を済ませてから由香の遅番の退社時間にあたる10時までが明にとっては一番都合の良い時間だった。
広い部屋の内側から鍵をかけてしまえば人は来ないし、窓を開けない限り防音の部屋から物音は漏れない。まして由香の行動は「仕事が残っている」の一言でいくらでも留め置ける。
―そう、当主との間の後継ぎを「作る」、という仕事が。
明が鍵を閉めると、それが合図でもあるように由香は服を脱ぎ始めた。震える手でリボンを解き、
ブラウスを脱ぎ、スカートのホックを外す。
「全部脱いで」
ブラとショーツだけのあられもない姿になった由香を見て、それでも明は冷徹に言った。先月は2度事に及んだ時点で生理が来てしまった。
見合い話を断るためには、妊娠は早ければ早いほどいい。自身も上着を脱ぎ、ネクタイを外す。
生理が終わって一週間、そろそろ危険日と言えるあたりに差し掛かっている。それを由香自身よくわかっているのだろう―が、
無理に転職したところで、多田商事と取引関係にないこのあたりの企業はほぼ皆無だ。由香を雇用すれば取引を打ち切る、
と言われれば誰もが取引の継続を選ぶだろう。
手を背に回し、ブラを外す。大きくはないが形のよい胸がこぼれ、ショーツが落ちて一糸まとわぬ姿が月明かりに浮かんだ。
そのままベッドに座らせ、明はサテンのリボンを拾い上げた。いたずらに、というよりは嗜虐心に明の眼が光ったのを由香は見落とさなかったが、
どのみちこの部屋からは逃れられない。
「後ろを向いて、手を出して」
大人しく従うと、両手首を後ろに緩く縛りあげられる。いよいよ逃げ場がなくなったところで、明が由香の唇を塞いだ。
全部入った。
「う、あ、やっ、いたっ・・・」
後ろ手に縛られたまま、由香は顔を苦痛に歪めた。
「まだ、痛いか」
体の中は裂かれるように痛み、涙ばかりが頬を伝う。かろうじて由香は頷いた。
「じきに慣れる」
「そんな、こと、うあっ」
由香の腰を押さえると、明はゆっくりと律動を始めた。
「や、いやっ、動か、ないで・・・っ」
自分の中で明が動いている。文字通り犯している。いまだに由香にはそれが信じられない。あの飲み会の夜以来、
自分は悪い夢を見ているのではないかと思いたくなる。が、夜毎自分を組み敷く男の顔は、まぎれもない幼馴染の顔だ。
「あうっ」
由香の中を蠢く明が、ある一点で動きを止める。
「な、なに」
由香は痛み以上に、体の奥が痺れるのを感じていた。二度、三度明が同じ場所を突き上げると、
その度に由香の体は跳ねるような反応を返す。
「ここが弱いのか」
「あっ、あんっ、ひあっ」
あとはもう構わなかった。探り当てた弱点を攻めるにつれ、拒むようだった締め付けは快感を求める方向に変化していく。
熱の塊が内側をこすり上げる度、ぬるりと襞が粘ついて絡みつく。子孫を残す男の本能に、子種を受け入れる女の本能は正直だ。
脳が痛み以外の信号を伝えてくるのが、由香にとっては拷問だった。いっそ痛みだけのほうが、歯を食いしばってやり過ごせる。
受け入れがたい理性とは裏腹に、体が明を覚えこもうとしている。
「由香・・・っ」
「ふあっ、や、い、いやあああっ」
子宮の隅々まで放たれる熱を、由香は感じ取っていた。両膝を裏から押さえこまれた由香の内側でびく、びくんと明が収縮する。
「あ・・・」
明ちゃんは、私が好きで抱いてるんじゃない。私に子供を産ませるために出してるだけなんだ―。
歓喜する体と裏腹に、心のほうは絶望しているのかもしれなかった。
その日、二度果ててから明は由香の手首を解いた。こすれた手首のあちこちに、擦り傷ができている。
「あ・・・」
明は何も言わずにナイトテーブルから絆創膏を取り出し、由香の傷に貼った。
―ひどいことをするくせに、子供を作る道具でしかないのに、小さな怪我のことは気にするの。
体はすぐには立てないほど重く、足の間からはさっき放出されたばかりの精が漏れ始めている。
先ほどまでの明と今の明が一致せず、由香は惑乱せざるを得なかった。
明は重役会議の資料に見入っている。このところようやく社長業が板に付いてきた、とは古株社員の言葉だった。
「東京支社は、ずいぶん売上が良いんだな。決算に合わせて黒字にしたのかと思ったけど」
「商売相手の数が桁違いです。尤も、売上に対して人手不足のようですが」
「増員も考えるか」
「そうですね。ところで若社長、ここのところ、ずいぶん機嫌がいいようですね」
「そうか?」
田村ひとみは社長室の机の上で売り上げ報告を眺めている明を見て言った。最初のうちは仕事に押しつぶされそうになっていたというのに、
このところ明の終了は早い。19時には必ず仕事を終了させて帰路についている。
女でもできたかしら。
結婚と恋愛は別物だ。社長となればなおさらであることを、ひとみは先代の頃に学んだ。明の父は明の母に「当主の妻」の役割を果たさせた後、
何度か大阪支社の女子にちょっかいを出していたことをひとみは知っている。
おそらく深い仲くらいにはなっていただろう関係に見て見ぬふりをしたのは、
こちらに戻ればそれをおくびにも出さず、ひとみ以外の誰ひとりとして匂わせることがなかったからだ。
秘書のひとみにはスケジュールの関係上感づかれざるを得なかったが、売上への影響を出さず、
妊娠沙汰にもならず、別れるときも一切こじれさせず、お終いには最後まで一人で抱えて墓の中まで持って行った。
相手の女性社員もとうに結婚し、ひとときの社長のお遊びなど昔の話だろう。そこまで徹底すれば、
いっそ天晴れというものだ。
さて、この若社長にそれが出来るかしらね。
由香をベッドの上に膝立ちにさせ、ブラウスの上から胸をつつくと、それだけで由香の体は震えた。
腰を押さえこみ、スカートのホックを外す。サテンのリボンで視界を塞がれた由香は、唇を噛んで耐えていた。スカートを膝まで落とし、
体の中心に指を滑らせる。
「んぅっ」
布地の上から触れただけで、既に濡れているのがわかって、明はほくそ笑んだ。体はこれから自分に起きることを既に理解し、快感を与えられることを待ち望んでいる。
「こんなに濡れてるのに、嫌なのか」
現実を受け入れようとしないのは、心だけだ。上から筋を指でなぞると、
「やあんっ」
それだけで膝が震え始めている。ためらわず、明はショーツの中に手を入れた。
「や、そこは、だめっ」
ダメ、と言われて引き下がるなら、今のこの瞬間はない。今の明は、由香への執着で出来ているようなものだ。
「あ、ああんっ」
侵入した指先は薄い陰毛を撫で上げ、迷わず中心部へとたどり着く。指先の感覚だけでもそれとわかるほど、そこはしとどに濡れていた。
丁寧に襞をなぞり、触れるか触れないかの力で陰核を摘む。由香の膝は既にどうしようもないほど揺れ、息には隠しきれない熱がこもっている。愛液が滴となって腿を伝う。
「はあっ、あっ・・」
「ここは?」
「も、やだ、やめ、うああっ」
熱く潤った泉に明は指を差しいれた。綻んだ入り口が収縮し、侵入者を食いちぎる勢いで絡みついてくる。
構わず指先を動かし、深くまで押し込んでは戻す。曲げた爪の先で軽く中を引っ掻いていく。
「あ、あ、ああっ」
くちゅ、くちゅ、くぷ、と、由香自身信じたくない音を由香の体は出している。子供を作るため男を受け入れる行為に、
それ以上に愉悦を得ることに貪欲になっている。
「明ちゃ、あうっ」
十分な潤いと痛みを感じない程度の綻びを確認して、明は布地から手を抜く。少ない光源の中でも、はしたないほどに濡れて粘ついているのがわかった。
「あ・・・」
膝立ちを強いられていた由香の体が崩れる。がくがくと震える足に最早体を支える力は残っていまい。
「こっちのほうは、準備ができてるみたいだけどな」
明は由香の後ろに座ってリボンを解くと脇の下から手を回し、着たままであったブラウスのボタンを外し始めた。
「あ、ああ」
か弱い力で由香が明の手を追うが、先ほどの行為で既に指先に力が入っていない。
「明、ちゃん」
「何?」
「いつまで、こんな、あっ」
ブラのホックを外して押し上げ、柔らかい乳房に指をうずめる。ピンク色の突起を指先でつまむと、そこは既に硬く存在を主張していた。
「由香が後継ぎを産むまで」
それは既に決まったことだ、と言わんばかりの明の指先が、濡れたショーツにかかる。膝まで降ろし、むきだしのその場所の熱をわざと再確認した。
腿と腿の間に明の手を挟んでいる姿は、ひどく扇情的で淫らだ。
「私、明ちゃんの、子供を産むための、道具なの?」
息も絶え絶えに由香は訴える。どうか違うと言って欲しい。だが、明は答える代わりに由香をうつ伏せに組み敷いた。腰だけを押さえこんで、自らの熱をあてがう。
「正確には、お前にしかできない仕事だな」
「しご、と」
「この家の後継ぎを産む事も、大切な仕事の一つだ」
「や、あああああっ」
肘だけでも体を支えようとした由香に、明は後ろから本命の「仕事」を始めた。
「んああ、あっ」
最初とは違う、由香の膣内の勝手を知った明は由香の敏感な部分を攻めながら、強いて最奥までは進まず半ばで動きを止めた。
「あっ、あっ、ひあっ、明、ちゃ」
後ろから覆いかぶさって胸を掴み、乳首を指先で弄び、同時に下の抽挿を再開する。
胸への愛撫と連動するように、膣は内側からぐっと締まる。
「はあ、あ、あ、あ」
今まで達くことを頑として拒んでいた由香の体が、初めて絶頂を迎えようとしていた。
「こっちは正直だな」
「そんな、こと、やああっ」
最奥まで貫き、子宮壁にぶつかると、わざと入り口まで引き戻す。張り出した亀頭が由香の内側をこすり上げ、
明そのものを文字通り由香の中に刻み込んでいく。こらえきれず、由香がついに陥落を許した。
「なか、こわれちゃ、あ、あっ、あぅっ、あああああっ」
膣壁が明を吸い込むように、逃すまいとするように動く。奥へ奥へと吸い上げるような感触だった。その流れに逆らわずに、明は滾りを送り込んだ。
「由香!」
明との「仕事」を終え、着替えて帰路を急ごうとすると、ひどく懐かしい声がした。
「・・・実」
「送るよ」
「・・・ありがと」
助手席に乗り込む由香の横顔を見ながら、実は由香に違和感を感じていた。この間会った由香はもっと幸せそうで、
もっと屈託がなかった。それが今日の由香はどうだ。
「どうした、元気ないな」
「そう?・・・いつもと変わらないよ」
声音の端々に、今までにはなかった陰りを感じ取る。
「本当に?」
「・・・うん」
車は、田舎の田圃道をゆっくりと進んだ。蛙の鳴き声がこだまする。明日は、雨だろうか。
「実、社長にとって従業員って、何だと思う?」
絞り出すような声で由香は言った。
「どうしたんだよ、急に」
「いいから」
「・・・売上を上げて、地域に貢献して、雇用を作り出す。会社の役目がそれだとしたら、従業員はその手駒だろ」
「手駒、って、道具ってこと、だよね」
「そりゃそうだけど・・・明と何かあったのか?」
ぶちまけてしまいたい気持ちと、言わずにおくべきだという気持ちとが由香の中で交錯した。実が会社のために売上を上げるための道具なら、
自分は会社のために後継ぎを作るための道具、なのだろうか。
だが、違う。自分は社長の自宅を快適に保つ道具と言われれば納得するが、会社のために社長の子供を産む道具、と言われても受け入れられない自分がいる。
ぱたりと由香の瞳から涙があふれ、実はあわてて車を止める。
「おい」
「・・・会社の後継ぎを産むのも、従業員の仕事の一つなのかな」
「何だよ、それ。おかしいだろ。明がそんなこと言ったのか」
こらえていたものを押さえきれなくなり、由香は頷いた。由香に感じていた違和感と今の言葉とが、かちりと噛みあう。
「まさか」
今日もそのための「仕事」をさせられていたというのか。言葉にするにはあまりに憚られたその部分を、
由香は正確に理解したようだった。顔を上げないまま由香は頷く。実の眼を見て話すことが、どうしても出来なかった。
「ああっ、あっ、あんっ」
その夜も、制服姿で明に組み敷かれ、由香は明の出入りに身を任せていた。
馴らされた体は既に明を抵抗なく受け入れ、深く咥えこんでいる。体同士がぶつかる音が耳を打った。
体は明を受け入れることを知っているのに、心は明を受け入れないでいた。由香が明にとって跡取りを残すための道具でしかない事実が、
妊娠させるための肉体だけが求められているのが、何よりも由香には辛かった。体はどうなってもいい。
子供が必要だから作る、明のように世襲制を強制されてきた身にとってはそれも一つの解決策だろう。
―じゃあ、私はどうなるの?
自分が求められているのは幼馴染の湊由香、だからではなく、その卵子と子宮に過ぎない。種付けの効率を上げるために明は由香を日々抱き、
抵抗なく受け入れられるために明の肉体を由香に覚えこませているのだ。
農作業で言うなら土壌を改良して土を耕し、種を蒔いているのと変わりはない。酪農でいうなら家畜の種付け出産だ。
何だよそれ、おかしいだろ。実の言葉が頭の中で反響した。そうだ、自分たちの関係はとんでもなく歪だ。
妊娠を目的とし、雇用を盾にした性関係の強要。田舎者の由香でもそんな馬鹿な話は聞いたことがない。が、自分たちの関係はそれに他ならない。
「はあっ、あんっ、んああっ」
明は今日2度目の射精を迎えていた。性的な興奮や快感よりも何よりも、自分が求めているのは受胎の一言に尽きる。
腹出しや顔射といったアダルトビデオのような行為は無駄だった。フェラチオなど、論外だ。
「ひああ、あんっ、あうっ、あああっー」
由香が達くのにあわせ、明は精を放った。果てた後も、明は体を離そうとしなかった。
裏門を出ると、見慣れた車があった。
「・・・実」
「送るよ」
車の中は、ほとんど無言だった。由香に肉体関係を強いる明と、幼馴染としての明と、社長としての明がどうしても一致しない。
「いつから、そうなんだ」
「いつから、って」
実が重い口を開いた。
「お前と明だよ。その、無理やり子供作って既成事実に持ち込もうとしてるんだろ」
いらだち紛れに実は言う。自分ではどうにもならないことだ。だからこそ腹立たしい。
「・・・あのとき、飲み会が終わって、実たちが明ちゃんを運んできた、あの後から」
隣で実が息を飲んだ。由香は下を向いた。感情がどうであれ、子供が出来てしまえば由香と明の関係は
一生切り離せなくなる。まして地元を離れたところで高卒の何の資格もない女が一人で食べていくだけの稼ぎを得られるとは思えなかったし、
地元に残ったところで明の手の中からは逃れられない。現に駆け込んだ地元の産婦人科はピルの処方を断ったし、
目的が目的である明は一切の避妊をしない。四面楚歌もいいところだった。
「私、本当は明ちゃんと結婚なんか出来なくてもよかったんだ。どうしても家のために他所から奥さんを迎えることはずっと昔から知ってたし、
それで明ちゃんが幸せなら、いいと思ってた。今だって正直、体なんてどうなったっていい」
「どうでもいいって、お前」
「でも違う。明ちゃんが欲しいのは私そのものじゃない。私の子宮と卵子と、それだけ。後継ぎがいれば結婚してようとしてなかろうと周りは文句を言えないから、
一番手っ取り早いのが一番近くにいた私だった」
心の底から求めあい、自ら望んで体を許していたなら、実にもあきらめがつく。正妻になろうとなるまいと、それは由香が決めることだ。
だがそうではない。後継ぎという明の事情に、由香は最悪の形で巻き込まれている。
―こんな奴に、幼馴染を任せておけるか。
実の内側に、憎しみに近い感情が湧きあがってきた。由香が明をずっと待っていたことも、明が由香に想いを寄せていたことも実はよく知っていた。
だからこそ永遠の二番手に甘んじるつもりでいたというのに、実際に明のやっていることは由香を心身ともに踏みにじる行為でしかない。
「何なんだよ、あいつ」
「実」
「お前、こんなにボロボロにされていいのかよ。レイプまでされて、都合のいい道具にされて、それでいいのかよ」
「・・・どうしていいか私にも分からないよ。ずっと好きだったのに、なんで、こんな、道具みたいな」
由香は泣き崩れた。実は言葉を返すことが出来なかった。明の家の事情を実は朧気に、由香は身を持って理解している。
だが、子供を作る宿命までも一方的に強いられるいわれはない。由香は生まれてからこの町で過ごし、育ち、泣き、笑い、
記憶を積み重ねて生きてきた。その全てが由香だ。肉体だけの存在ではない。
車内から見上げる空は霧が出ていて、月も星も見えない。五里霧中、それが今の由香なのだろうと実は思った。