「あ、まってたんだから」
「……また会えるとは思わなかった」
男が少し驚いた顔をした。しかしその表情はどことなく嬉しそうだ。
「続きが気になるの」
女は自分でも不思議だったが、気が付いたら自然とこの塔に来ていたのだ。
気になるのはこの塔の謂れなのか、話の内容なのか、それとも――。
「では、約束通りに会えたのだから続きを話そうか」
彼女は初めの頃は王子に犯されながら、酷い言葉を投げ掛けられて思考を放棄し悲しみに暮れた。
拒否すれば腹の子を堕すぞと、盾に取られ。
無理矢理言うことを聞くしか無く、その状況を人形のように受け入れる事しかできなかった。
――腹の子は貴方の子供と、何度言いかけたかはしれない。
時が経つに連れ、思考する事が戻ってくると、彼女は気が付いた。
王子は彼女への愛するが故の失意で、彼女を酷く詰り求めている事に。
気が付いた瞬間、彼女は王子のすべてを赦した。
でも、このままではいけないと……王子に愛され、愛しているからこそ。
こんな関係は今は些細な歪でも、王子の輝かしい未来に破滅を招く程の歪みになると考える。
彼女は決心した。
王子の為なら、なんだってできる。どんなに罪深い事でも。
どんな手を使っても逃げようとした、愛する人を騙してでも。
王子に従うふりをして油断を誘う。
騙し、自分が無事にげ通せ王子がそれを知ったときの事を思うと、胸を裂かれるような行動だったが決心は鈍らなかった。
自分を王子の手持ちの領地にある塔に閉じ込めるようにそれとなく誘導し、そして身柄を移された。
彼女は思い出したのだ。
その場所は城の書架で埋もれていた誰も知れないような文献に記された、隠し通路があると。
従順になっている彼女に気をよくしたのか日に日に王子は上機嫌になる。
塔の中の見張りは少なくなり、巡回の時間の間隔が長くなった。
監禁されている事実にさえ目を瞑れば、まるで恋人同士のような時間が流れる。
従順な振りが"振り"でなくなりそうな曖昧な感覚に陥りそうになる。
これがひと時の事ではなく永遠に続けばいいのにと思っていても、ついにその日は来た。
王子が隣国の姫君を迎える事になったのだ。
しぶる王子を彼女は説得し、迎えに向かわせる。
逃げる時がきた。失敗すれば死を選ぼうという程の決意。
自分の存在自体が害悪なのだと。腹の中の子に詫びながら彼女は静かに決心した。
全ての罪はあの宴の夜に、酔った王子を拒みきれなかった自分の所為なのだから。
一方幼馴染の青年は、急に自分の前から姿を消した彼女を必死で探していた。
初めは、彼女はやはり思い直して独りであてもなく飛び出したのかとおもえど、彼女の私物は何も動かした形跡がなくそれは不自然だった。
すぐに王子の周辺が緊張を強いられ、何か問題を隠していることに気がつく。
従兄弟が青年を徹底的に避けた事で、それは確信にかわった。
彼女を救い出そうとしても隙がなく、近づくことすらできない。
しかし、幸運で皮肉な事にも、彼女を邪魔だと思う王や侍従達の協力を取り付けられた。
彼らは初めは婚約者が決まった王子の結婚前の遊びだと、すぐにやるだけやったら飽きると思っていた。
しかも相手は絶対に王子の子供を身篭ることは無く、生まれは卑しくなく身寄りのない身分が低くどうにでもなる女。
そして、結婚もしていないのに身籠った、身持ちの悪い女だ。
一時の閨の指導だと割り切れば、許されることだったが。
この関係を、妃を迎えても続け、そして妃よりも尊重すると。
時が経つにつれて、王子の彼女への異常な執着心がうかがえてくる。
流石にまだ妃も迎えていない、こちらの方が国としては格下で平伏して王女を娶る立場。
妃として迎えるまえから愛人を囲うとなると体裁が悪いと慌てたし、更に彼女の相手は王妹の息子だと発覚した。
降嫁したとはいえど、王は妹とは仲がよい。いや甘いと言ってよかった。
その息子が遊びではなく、妻として迎える前提での関係と主張すれば、密かに母子共々葬り去る事も出来ない。
そんな焦慮する彼等にも、転機が訪れた。
隣国の王女との婚儀が速まったのだ。
青年はそのゴタゴタに紛れ彼女を助け出そうと、王子の出立日にそれを実行に移すことにした。
脱出は奇跡的な大成功だった。
偶然が重なり合い、こちらの息の掛かっていない警備の者十数名は、塔の裏手の川に彼女が身を投げたと取り違えた。
彼女は惜しみなく長く美しい髪を切ると、それを持たせ死体を持ち帰れなかったと、青年の息の掛かった者に報告させる。
そして数週間後。
侍従達が身代わりとなる死体をどこからか連れて来る。
それはどこからどうやって手に入れたのかは不明だったが。それは知らないほうがいいことだ。
王子は初めは彼女が死んだことを信じようとはしなかったが。
次々と希望を打ち砕くようにされる報告。
彼女が残した遺書とも取れる書き置き。
それを何度も繰り返し読むと、自らの愚かさで完全に彼女を失ってしまったと、やっと理解した。
彼女を失った当初は、何故自分を置いて逝ってしまったのか……と。
怒りと悲しみとやりきれなさで荒れた王子。
しかし時が経ち、何度も読み返す彼女の言葉に、そして塔にきてからの彼女の王子としての品位を落とさぬようにとの気の使い方が思い出される。
彼女が命を賭してまでに自分に立派なこの国の王になるようにと、望んでいた書き置きが胸に強く響く。
――彼女の最期の授業を、生徒らしく実行しろということか。
ある時期から彼女の誇れる男になろうと、王子はそれこそが彼女への愛の証かと気がついた。
一方、彼女は救い出されてからは王子と青年への申し訳なさに悩んでいた。
自分が生きてあの塔から救い出されたのは、青年の未来の妻だったからと侍従たちから散々聞かされる。
でも一度ならともかく、彼女は何度も凌辱され、受け入れ、喜びさえしていた。
そんな不潔な自分が、誠実な幼馴染の妻になれるはずもなかった。
腹の子さえ居なかったら、本当にあのまま自らの命を絶っていただろう。
そのどうしたらいいかわからないやりきれなさを、青年がまるで真綿に包むような優しさで、辛抱強く解きほぐす。
それが打ちひしがれ、枯れはてた彼女の心に水を注ぐ。
二度目の求婚はかなりの時間をかけて成された。
すでに彼女は別人として生きる事を侍従たちから強いられていた。
別の貴族の養子になり名前も変わり、目立つ髪も染め、人前に出ない事が義務づけられる。
万が一王子に会わないようにと、青年は地方に小さな領地を拝領した。
都にいれば、国の中枢を動かすほどの身分を持ち、それが義務だった青年。
だが、今回の事で王子から遠ざけられたからと、笑う。
それを見て、申し訳なさに消え入りそうになるが、それも笑って許してくれる。
幸せだから、と笑ってくれる。
そんな青年は愛妻家の地方の一領主として、民に愛された。
そうしているうちに臨月を迎え、子を産んだ。
女の子で――王子にそっくりだった。
その子も自分の子のように慈しんでくれる青年を見。
子供が喃語で「ととさー」と青年を慕い、笑いあう頃には、王子の賢王としての活躍も遠い領地にも届くほどだった。
絵に描いた幸せに包まれ、やっと王子を思いきれると、彼女は思った。
これでいいのだ、これで。
そう彼女が幸せを感じる頃には、国の情勢が変わり、国境で小競り合いが続く。
青年も一領主として、領民と戦に参加することになった。
戦に赴く青年に無事に帰ってきてと、青年を初めて自分から抱きしめる。
結婚してもいまだに二人の間は清い仲だった。
彼女からの初めての接触に、青年は必ず生きて帰って来ると、誓う。
帰ってきたら――身も心も貴方の本当の妻になりますと、彼女は長年待ち続けてくれた夫にやっとの事で言った。
戦地に赴いてから、思わしくない報告だけがもたらされた。
僻地の領地では情報の伝達も遅い。
身を切られるような思いの中、彼女には子供だけが支えで、不安になる心を耐えた。
そんなある日、戦がこの国の勝利で終わったと、夫が無事帰ってくるとの報告に彼女はやっと安堵する。
夫の帰りを指折り数えて待つ中、やっと夫の乗った馬が城内に入ったとの知らせを受け。
人前に出るときは顔を隠すという約束を忘れて、彼女は夢中になって子供を抱いて走った。
歓迎をする領民に囲まれ、それを片手をあげ応える馬に乗った夫に駆け寄る。
――しかし、その足は、夫の顔を見ると、魔法にかかったように止まった。
「ちょっと!彼女は塔から身を投げたって貴方言わなかった?」
「人の話しは最後まで聞かないと。せっかちなのが君の悪い癖だね、ジュリア……ああ、もう時間だ」
「もう、また?時間って何なのよ?」
「まぁ。また……次に会えた時にでもわかるよ、全てね」
続