「また、来ちゃった、不思議よね」  
「何が?」  
 というか、なぜ初対面の男とこんな昔話といえど際どい話しをしているのか。  
「とにかく、続きを聞きたいわ!」  
 恥ずかしさを打ち消すように、女は先を急かす。  
 青年は女の態度を少し気にしていたようだったが、女の望む通りに続きを話し始めた。  
 
 
 
 
 領民たちに歓迎され夜通しの宴が終わった後、夫婦の寝室に彼女と"夫"はいた。  
 幼子は隣の部屋で夜泣きもせず、すやすやと眠っている。  
 彼女は領民たちを不安にさせないためにも、二人きりになるまで貝のように閉じていた口をやっと開くと言った「どういう事……なんでしょう、か」と。  
 
 ――彼は夫ではなく、王子、いや陛下だった。  
 
 そ知らぬ顔で、夫に成り済ます陛下に彼女は真意がはかりかねた。  
 二人はよく似ていた。あまり夫と顔を合わせる事のない領民ならともかく、いつも顔を合わせる城内の使用人さえも騙せるほど。  
 少しの違和感は、命を懸けた戦場での経験がそうさせるのだと納得していた。  
 もしや、夫との大がかりな冗談なのだろうかと。  
 しかし夫の仮面が剥がれ本来の表情に戻った陛下は、残酷な表情を見せる。  
 ――もう少し騙されていればよかったものを賢過ぎるのも考えものだな?先生。  
 その瞳には昔宿っていた、愛は消え。  
 紛れもなく憎悪と狂気しか宿っていなかった。  
 
 
 王子から王……陛下と呼ばれるようになった男は。  
 過去の事を悔やみ、いくら賢王と讃えられようともまったく心は晴れなかった。  
 一番褒めてほしい人はもういない。  
 過去の過ちで彼女を失ったことを悔い、そして衝動から、遠ざけてしまった従兄弟にあやまらなければと後悔していた。  
 
 従兄は失意の為、中央の職から辞した。  
 気を利かせた今は亡き父王が、その失意を埋めるために無理矢理婚姻させたと。  
 小さい頃からことあるごとに比べられた年上の従兄。しかも姿かたちが双子のように似ているためにそれは顕著だった。  
 さすがに、自分は王子だったからあからさまにはないが、子供心にもそういう空気は伝わってくる。  
 だからこそ、我がままになり、癇癪を起していた。  
 そんな従兄の妻である彼女を……子を身籠っている身で凌辱し、死に追いやった。  
 彼女が自分を受け入れてくれたのは愛ではなく、そして自分の為に死んだのも立派な王になってくれという献身から。  
 初めは嫉妬の為に、従兄を避け、城から追いやったが。  
 時が経つにつれて後悔の念が沸き起こる。  
 誰にも言えない、感情。  
 一国の王が謝罪するなどと、簡単にしてはいけない行為。  
 でも謝りたくて、謝りたくて――悶々と日々を過ごすうちに、お忍びで従兄の領地へ行くことを考えたが、それはとても難しいことで、実現はしないように思われた。  
 
 しかし転機は訪れる。国内を湯治を兼ねた視察旅行へという話が出た時。  
 馬を飛ばせば二、三日でつくかつかないかの距離にある領地を選択した。  
 そしてそこで、仮病を使い、真っ青になる領主にすべてを託し、お忍びで従兄弟の領地へと向かう。  
 彼にどういう顔をして会えばいいのか、向かう馬上で、悩みに悩んだが。  
 ここで足を止めてしまうと青年に二度と謝れないと思い、王は馬を走らせた。  
 そして――従兄の領地に着き、見たものは。  
 
 髪を染めているが、子供を抱いて幸せそうに微笑んでいる。  
 死んだはずの、彼女。  
 
 愛は貰えなかったが、命という献身をもらったと思った、彼女だった。  
 
 
 
 
 王は頭が真っ白になって、その場を馬を走らせ去る。  
 帰路では裏切られた悲しみを突き抜け、怒りが沸々と沸き上がり、その心のままに馬に容赦無く鞭を打ち立てた。  
 心労で倒れそうになるほど心配した領主の元に帰った時には、馬は乗り潰されている程。  
 
 ――二人で私を嘲笑っていた訳か。  
 しおらしく殉じたフリや、中央から隠遁するふりをして苦しむ私の影で二人は幸せに……。  
 そう気がついた時。表面上賢王としての顔を保ったまま。  
 奥ではどろどろとしたモノが流れはじめる。  
 そして、過去に良心の為に慟哭した分、王のそれは――壊れた。  
 
 ここ数年の評価のおかげで、前王の側近に、当時の事を聞くのは容易だった。  
 そして、詳細を聴き終わると、老害め、と。用済みとばかり始末する。  
 当時王を陥れた、彼女と引き離した臣下達を、それぞれ様々な理由を探しだし、無いのなら捏造し、独り残らず処理した。  
 勿論、賢き王の顔は崩すことはないが、密やかに狂った感情は留まる事は知らず。  
 誰も真の彼が狂王だとは、気がつかない。  
 
 一番報復するのが大変なのは、我が親愛なる従兄だ。  
 少しでもこちらが何か動けば、たちまち露見されそうで。  
 おあつらえ向きに、国境で小競り合いが始まり、それが元で戦が始まる。  
 それならば従兄を戦で激戦地へ送ることは、容易だった。  
 しかし、能力の高い彼は案の上生き残る。  
 ――大人しく死んでいれば、楽に死ねたのに。  
 本来なら戦の功労者には、恩賞が出るのが常だったが、王は死を与えた、残酷な死を。  
 妻と子には手を出さないでくれと、必死になる従兄に、笑って自分が面倒を見ると誓う。  
 その"面倒"の片鱗を仄めかすと、絶望に目を見開き抵抗する彼に満足し首を刎ねた。  
 
 従兄の死を直接報せにいくという名目で、彼女の下に行くことにした。  
 当時の真相を知る者はもういないので、誰も止めるものはいない。  
 最後の最後にとっておいた彼女には、どんな絶望を味あわせてやろうかと、王は心が浮き立った。  
 そして、彼女の為に最高の舞台を演出しようと企んだ。  
 
 折角の演出だったが、久しぶりに会った彼女は一目で、馬上の人物が夫ではないことが分かったようだ。  
 驚きと苦悩と、不安な顔が、王の心を恋をした少年のように浮き立たせる。  
 彼女を目の前にすると、愛してるのか、憎悪なのか。  
 それとも愛憎という言葉通りに、同時にその感情を人の心は持てるものなのか。  
 騙した彼女を酷く嬲り殺しにしたいという感情と、愛していた彼女を抱きたいという感情が混ざる。  
 嫌がる彼女を張り倒し、髪を引きずり、ベッドへと投げつけるように倒す。  
 従兄や子の身を脅かしたくなければと、囁き、奉仕を命じる。  
 拙い愛撫に、泣く彼女に、躊躇う彼女に、そんなに嫌なのかと、殴りつける。  
 ――彼女に暴力をふるうのは驚くほど、簡単で爽快だった。  
 彼女が泣けばなくほど、傷ついた顔をするほど、胸が満ち足りる。  
 そして、犯しながら今までの恨み辛みを、耳元でささやく。  
 傷ついた分だけ、彼女にも同じように傷ついてほしい。  
 彼女の心が自分にない事が我慢ならない。  
 
 散々なぶりものにした後。  
 子供と夫だけは助けてください、私が悪いんです……と。  
 従兄と同じことを言い出す彼女に、苛ついて、すでに従兄は始末したと言った。  
 驚きに見開かれる目は、絶望に染まり、充ち足りる。  
 もう彼女を救い出してくれる人間はいない。  
 でも安心は出来ない。二度が起らないように、足の健を切って、しまおうか。  
 髪の毛を毟れるほどの強さでつかみ、背ける顔をこちらに向ける。  
 虚ろな瞳……もう私以外見なくてもいいだろうと、その瞳に最後に映るものは私でいいと。  
 目を潰してやろうかと、これからの彼女の未来をまざまざと並べ立てる。  
 しかし、どんなに恐ろしい事を並び立てても罪を犯した者がその報いを享受するかのように、その反応は淡白だった。  
 ならば、大切な娘の処遇を話そう。   
 娘もお前と同じく、凌辱して、母子とも王専属の娼婦として飼ってやろうと言う。  
 飽きたら城の兵士に払い下げるのもいいな、と。  
 その言葉を言うか言い終わらないうちに、散々ひどい事を言っても従順だった彼女が。  
 何故か思いの他激しく抵抗する。  
 そしてそれが何の意味もないと悟ると馬鹿な事を嘯いた。  
 貴方の子なのに――だなんて。また、何という嘘なのか。  
 自分が彼女と関係していた時は、最初から最後まで身ごもっていたのだからそれはありえない。  
 賢い彼女の言葉とは思えなかった。  
 子は確かに自分に似ていたが、従兄と自分はそっくりなので、どちらの子ともいえない。  
 嘘をつくなら、もっともらしい嘘をつけばいいのに。  
 それほど従兄との子供が大事だという事か。  
 こんな自分を騙そうとする舌なら切り取ってやろう、と言いながら彼女の首を絞める。  
 それとも喉を潰した方が、いいだろうか。  
 ――彼女の顔を見、彼女の口から紡がれる言葉だと、どんな馬鹿げたことも信じてしまいそうで。  
 あれほど憎しみしか感じていなかったのに、顔を見たら犯してしまっているのがその証拠。  
 殺すことが惜しくなる。  
 もっともっと、長く苦しませたく、自分の事でいっぱいになってほしくなる。  
 あの時、自分を捨てたことを悔やんで欲しい。罪悪感で押しつぶされろ。  
 
 憎くて憎くて憎くて――同じほど愛しい君。  
 いや愛しいからこそ、憎いのか。  
 
 そして、狂った王はまた彼女を塔に閉じこめた。  
 もう彼女は逃げ出せず、それは終の棲家になった。  
 
 
 
「と、いう訳さ」  
「……お、終わり?」  
「ああ、もう救いなんてないね。実際に彼女は死ぬまでここで飼われていたんだよ」  
「…………」  
 閉じ込められて住んでいた――ではなく、飼われる。という言葉でゾッとする。  
「どうしたの?ジュリア」  
「いや、でも。こういう言い伝えって。詳細って本人しかわからないことじゃない?途中で追加された創作……とか?」  
「いいや、嘘じゃないよ」  
「お、脅さないでよ!」  
「本当、この話は曾祖父から聞いたんだ」  
「そ、曾祖父?」  
「そう、曾祖父。まぁ聞いたときは正直、死に掛けの老人の戯言だと思っていたけど……  
 あとは彼女の日記が残っていたんだよ。どうやら曾祖父は、彼女に見つめられるのと抱きしめられるのが好きで、彼女の目と両腕はかろうじて無事だったらしい」  
「貴方のご先祖の話……じゃあ、この塔は」  
「どうやら僕は、曾祖父にそっくりらしい」  
 
 男の笑顔が、変わる。  
 顔は笑っているが、瞳は硬直したように笑っていない。  
 あれだけ魅力的だった青年がまるで――女は直感で、後ずさった。  
 本能的に駆け出して、塔の螺旋階段を駆け下りる。でも足がもつれて、思うように動かない。  
 なんで!? 動いてよ!  
 青年は女に「なぜ逃げるんだい」と語りかけながらゆっくりと降りてくる足音がする。  
 それが恐怖を煽り、足がもつれて、反射的に何かに捕まった。  
 重厚なビロードの布が落ちる。そこには驚くべき絵がかかっていた。  
 年代物の油絵の中で微笑んでいるのは―――女とそっくりな、ドレスを着た銀髪の女性。  
 女は直感で気づく。これは「彼女」だ。  
 
「従兄の婚約者だと紹介された君を初めて見た時驚いたよ」  
 
 絵に気を取られていて背後に青年が迫っていたのに気が付かなかった。  
 そうだ、私は……慈善事業のガラパーティでのバイトで出会った資産家の男性と恋に落ち。  
 その婚約者と共にこの城を別荘にするために下見に来て。  
 そして、この城の持ち主である、婚約者の従兄という殿下に会って――楽しく会話をして。  
 ――記憶が。  
「あ、私……?」  
「どうやら思い出してきたようだね……薬の副作用が強かったみたいで最近正気を失っていたようだったけど」  
「な、に?」  
「段々と正気が戻る感覚が長くなってくれて嬉しいけれど、急に走っちゃ危ないな……寝たきりだったのに」  
 そうだ、色んな事に鈍感だった。  
 自分はいつ、どうやってこの塔に来ていたのか。  
 そして、青年に自分の名前を教えてもいないのに……青年が知っていたのは。  
 女はこの塔に閉じ込められていたのだ。彼女とは違って薬を使われて。  
 段々と記憶の霧が晴れるたびに、心がざわついていく。  
「あ、あの人はどうしたの?」  
「ああ、親愛なる僕の従兄かい? 君と僕を出会わせてくれただけで、もう用はないよ」  
「彼をどうしたの!!」  
「いいじゃないか、君はもうここから出られないんだから」  
 そう言いながら青年は女の顔を撫でる。  
「昔から、この塔に来て隠されている彼女の肖像に見とれていたんだ。  
 どうやら異変を感じ取った乳母が、君の祖母を連れて逃げてくれたみたいだと日記に書いてたから探していた。  
 曾祖父似と書かれていたから期待はしていなかったけれど――」  
 
 ――こんなにそっくりだなんて運命だと思わないかな?  
 
 その笑顔に、女は凍りつき。  
 そして自分の終の棲家もここになるのかと、恐怖した。  
 
 
終わり。  
 
 

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