雨だれ<3>   
 
―今日一日、英ちゃんに会いませんように。  
 そう祈るのが絵理の日課となった。家を出るときは出来るだけ物音をたてずに、  
電車が到着するギリギリのタイミングで、家でピアノを弾くときは真ん中のペダルで音を小さくして、  
窓もカーテンも閉めた。  
敏幸には受験勉強の邪魔にならないようにと言い訳をしてごまかしたが、  
要は英幸に自分の気配を悟られたくないのが本音だった。  
帰りの遅くなりやすい天文部の下校時間より一本早く電車に乗り、  
家に帰ってから弾く。最近帰りが早いと先生は首を傾げたが、その理由を正直に言えるものではない。  
練習時間と練習環境さえ確保できれば良かった。  
 大抵はそれで上手くいった。家のアップライトは学校のグランドピアノに比べれば音質も響きも落ちるが、  
指の感覚は一緒だからだ。だが、計算が狂うこともあった。  
 
 外は叩きつけるような雨が降っていた。  
「・・・っ、いやあ・・・」  
 制服の中を英幸の手が動き回る。  
「最近会わなかったね。どうしたの?家で練習でもしてた?」  
「英ちゃんには、関係、ない・・・っ」  
「家のピアノよりこっちのほうが音がいいって、前は言ってたのに?」  
 グランドピアノの蓋に手をつかされ、絵理は唇をかみしめた。  
ブラジャーはとっくに外され、制服の中で胸が泳いでいる。背中から覆いかぶさるようにして  
英明は絵理の行動を封じていた。  
 制服をたくしあげ、背中から胸までを露出させると、その様は淫靡で美しい。  
垂涎の的の胸も兄が育てたと知らされれば面白くはないが、今その恩恵を最も受けているのは自分だ。  
「どうして、こん、な」  
「俺と兄貴とどう違うの?何で兄貴はよくて俺はダメなの?」  
「敏ちゃんは、関係、なっ・・・」  
「俺が絵理姉のことをずっと好きだったって、知らないでしょう」  
 スカートに手を伸ばし、片方の脇からパンティを降ろす。  
「や、いやあっ」  
「その絵理姉と兄貴が深い仲だって俺が知ってたことも、絵理姉は知らなかった」  
 自分の怒張が膨らんでいくのを英幸は感じていた。あの日から自分はどこかおかしくなってしまったのかもしれない。  
だが、歪んだ欲望を満たしてくれるのは絵理だけであることも英幸は知っていた。  
「その上絵理姉も兄貴も、揃って嘘をついた。絵理姉に彼氏はいないって」  
 スカートを降ろし、露わになった絵理の臀部を撫でた。固く閉じた足の間に指を入れて泉の状態を確認する。  
指先を軽く曲げて内側を引っ掻くと、絵理の体が面白いように跳ねた。  
「だから決めたんだ。俺は二人を許さない。どんな手を使ってでも  
絵理姉を俺のものにしてみせるってね」  
「だからって、こんな」  
 胸も尻も隠れていない今の絵理は、文字通りあられもない姿だ。  
写真でも撮れば高値で売れるだろうが、楽しむのは自分一人でいい。  
「もうこんなになってるのに?」  
 抜いた指先はとろりと愛液が光っている。足先も震えている。腰のくびれを掴み、  
英幸は有無を言わせずに滾った欲望でその場所を貫いた。  
「いや、いやあああっ」  
 コンドームは今日は準備していない。文字通りの生の感触は溶けそうに熱くぬめり、  
それだけで射精を促しかねないが、ここで妊娠させては元も子もない。  
兄と絵理が別れるまで事の露見は避けたかった。  
「お願い、放して・・・っ!」  
 ピアノに縋りつき、絵理は逃れようと必死に身を捩った。その指先を、英幸が後ろから捉えて掴んだ。  
体を密着させるごとに、怒張は奥へ奥へとのめりこんでいく。ピアノが時折絵理の乳房をこすり上げ、  
冷たい感触に絵理はますます混乱した。  
「絵理姉の中、すごいね。熱くて溶けそう。このまま出したいくらいだ」  
「助けて、誰か・・っ」  
 内側を存分に楽しみ、絵理が抵抗する気力をなくしたところで英幸は自身を抜いた。  
精は、真っ白な背に出した。      
 
 絵理は闇の中をひた走っていた。白い影が追ってくる。逃げても逃げても、執拗に迫っては絵理を捉えようとする。  
影は英幸の顔をしていた。誰か、助けて。そう叫ぼうとした手を影が塞ぐ。  
―誰か・・・誰か!  
 チャイムの音で絵理の眼が覚めた。全身ひどい汗で、頭も重い。季節外れの熱が出たからと、  
学校を休んだのを絵理は思い出した。期末試験が既に終わっていたのが幸いだった。  
 胸の間を汗が滴って落ちる。その感触に、絵理は身震いした。  
数日前に英幸に準備室で行為を強要されたばかりだった。その手の感覚がいまだに全身から消えないでいる。  
 チャイムが再び鳴った。時計は正午を指していた。まだ母は帰ってくるまい。  
用心のため、チェーンを外さずにドアを開けた。  
「大丈夫か?」  
 敏幸だった。全身から力が抜けて絵理はへたり込んだ。  
 
 台所を借りて敏幸がお粥を作るのを、絵理は黙って見ていた。家事は女性の仕事、という概念は田舎ではまだ根強いが、  
なかなかどうして敏幸の後姿には違和感がない。卵と鮭を使い、ネギを載せた粥はどちらかというと雑炊のような気もしたが、  
些細なことだった。  
「ほら」  
「ありがと」  
 
 音楽科の先生から預かった課題や友人から預かったノートを見つつ、絵理はぼんやりと座っていた。  
敏幸はこれまた受験生の性で、単語帳とにらめっこしている。センターはドイツ語、私大の入試は英語にすること  
でセンター試験の外国語のリスクを下げる方向らしい。  
「どうせ大学に入ったら嫌でもやらなきゃならないんだから、  
教師がいるいまのうちにやっておいたほうがまだ楽」だそうだ。  
 絵理は横になり、胡坐をかいた膝に頭だけ載せた。邪魔をする気はなかったが、  
少しでいいから触れていたかった。  
「どうした?」  
「・・・ごめん、少しだけこうしてていい?」  
 一番近くにいてほしい人と一番近くにいてほしくない人は兄と弟なのだ。  
同じようで違い、違うようで似ている。  
「最近、元気ないな。何か音楽科で嫌なことでもあったのか?」  
「受験が近くなって、緊張してるだけだよ」  
 音大の推薦入試は秋だ。2月の終わりの敏幸よりずっと早く、準備期間も短い。  
合否が出た後の期間は長いから、そこは敏幸とは逆だ。  
「ピアノのことはよく分からないけど、今更怖気づくような腕じゃないだろ。  
普段だって毎日何時間も練習してるんだし」  
「うん・・・ありがとう、敏ちゃん」  
 指先を撫でる敏幸の指が優しくて、絵理は目を閉じた。好きで隠しごとをしているわけではない。  
むしろいっそぶちまけてしまいたいような気持になる。が、自分の弟が自分の幼馴染を脅していると聞かされたところで、  
信じられるだろうか。どちらも信じ切れず、どちらも疑いきれない。それが人情だ。  
「敏ちゃん、あたしたち、何で付き合い始めたんだっけ」  
「なんだよ、いきなり」  
 敏幸は顔を紅潮させた。ごほんとわざとらしく一つ咳をする。  
「そんな昔のこと、覚えてねえよ。・・その、幼馴染から、なんとなく」  
 男子中学生らしい理由の「胸」もさることながら、ピアノの腕前のほうで既に絵理は校内では有名な存在だった。  
美人で知られていた一つ下の湊由香とはまた違う理由で男子を引き付けた。  
誰かに先取りされるのが嫌で、自分だけのものにしたくて、敏幸は絵理を手に入れたのだ。憶えていない敏幸ではない。  
 初恋は成就しないと世には言う。成就するだけ自分は幸せなのかもしれない。  
けれど、その成就しなかった痛みを凶器に変えてまで強いられるいわれはない。  
 遠からず、この優しい手を手放さなければならない時が来る。それが、絵理には何よりも辛かった。  
 
 夏休みに入ると、敏幸は予備校の夏期講習と学校の夏期講習とに一日中家を空けることとなる。  
早慶受験者にはよくある夏休みだった。逆にいえば、絵理の安全圏がなくなるという意味でもあった。  
 練習室にいては、文化祭の準備を理由に登校した英幸に見つかりかねない。家にいればピアノの音で感づかれる。  
かといって練習しないわけにはいくまい。推薦入試はすぐそこなのだ。  
 音楽科の友人を誘って、合同練習することもあった。母か父のどちらかが休みの日は家で練習を続けた。  
あるいは、普通科の教師相手に座学や面接の対策をすることもあった。とにかく、  
英幸と顔を合わせようと二人きりになる状況を作らなければいい。  
 綱渡りのような努力は、それでも功を奏した。文化祭での音楽科の有志で発表する「ラプソディ・イン・ブルー」の伴奏も担当することとなり、  
昼の学校で一人きりで練習する機会すらなくなると、絵理は胸を撫で降ろした。  
「ここのところ絵理、毎日学校来てるけど、大変じゃない?」  
「音楽科の文化祭での演奏でしょ?ほぼ休日返上じゃん」  
「好きでやってることだから、気にならないよ」  
 緑のスカーフの普通科の友人に混じって、絵理は毎日登校した。普通科は午前中に受験対策があり、  
人によっては午後から駅近くの予備校で衛星授業を受けるのだという。絵理は午前中に文化祭の練習を入れ、  
午後には座学の指導を受けるようにしていた。音楽科の生徒は座学に力を入れる人間が少ないとは  
普通科の教師の嘆きだったから、その点でも絵理の評判は上がった。一人でいる時間を少なくできれば、目的は問わなかった。  
 休みないという点以外は不満のない日々を乗り越え、10月の文化祭も無事終了した頃、  
絵理は桐邦音大の合格通知を受け取った。  
 
「お疲れ」  
 敏幸が言う。英幸は、天文部の合宿で今日は帰らないと聞いていた。  
「毎日ピアノ漬けで休みなしだったけど、でも楽しかった」   
「楽しかったんだろ?それで合格なら言うことないな」  
「敏ちゃんは?」  
 見ろ、とばかりに模試の結果を見せる。早慶希望者だけを対象にした模試でも、堂々のB判定だった。  
「浪人はしなくて済みそうだ」  
 文化祭が無事に終わり、大学にも合格した。が、もう一つだけ懸案が残っている。  
今まで逃げ続けてきた英幸の件だった。顔を合わせるのも嫌だが、それでもいつかは対決しなくてはならなかった。  
「ん」  
 敏幸が唇を重ねてくる。唇で受け止め、絵理はそのまま敏幸の首に腕を回した。  
「こっちも最近ご無沙汰だったしな」  
「受験生のくせに」  
「たまには休息も必要だってことだよ」  
 絵理の服の中に敏幸の手が入ってきた。絵理は抗わずに身を任せた。目を閉じると英幸と錯覚しそうで、  
違うと絵理は自分に言い聞かせた。今自分を抱こうとしているのは敏幸であり、  
英幸ではない。敏幸は絵理が本気で嫌がるような真似は一度もしたことがない。  
 外は肌寒くなってくる季節だというのに、既に肌は汗ばんでいた。愛撫など、殆ど必要ないほどに絵理は濡れていた。  
「好き、敏ちゃん、好き・・・っ」  
「知ってる」  
 向かい合って座ったまま、下から敏幸が貫いてくる。絵理は夢中になって名前を呼んだ。  
腰に足をからめ、素肌の胸を隙間なく合わせ、お互いの境界さえ忘れてしまいたかった。  
体の内側の凹凸すらぴったりと合わせるような、ゆるやかな律動だった。  
 これがセックスなんだと、絵理はぼんやりと思った。満ち足りるような、自分が自分でなくなるような、  
体と体の交歓を、皮肉にも英幸と関係を持たされたことではっきりと理解した。  
 勝手を知った体は、お互いの絶頂の迎え方もよく知っている。敏幸が絵理の急所を攻めてくるときは、  
自身も絶頂が近い時だ。体の内側も外側も敏幸の熱で満たされ、ほとんど同時に絶頂を迎えながらも、  
自分たちに残された時間がそう長くないことを絵理は悟っていた。  
 
雨だれ<3> 終わり   
 

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