雨だれ<4>  
 
 受験生から解放されてしまうと、まだ受験生である音楽科の生徒に練習室の優先権が移る。  
大学から課題は出されていたが、幸い敏幸の受験勉強に付き合ってから夜に家で練習しても、間に合うレベルだった。  
「1937年、スペイン内戦にて破壊された小都市は」  
「ゲルニカ」  
「ではスペインの何州か」  
「バスク地方」  
 例によって絵理は敏幸の世界史対策に付き合っていた。11月になると、雨でも降らない限り  
天文部はほぼ毎日観測になる。それも絵理にとっては都合がよかった。  
「沖縄戦の一般的な期日を述べよ」  
「1945年3月26日上陸、6月23日牛島満中佐の自決により終結。通称アイスバーグ作戦」  
 そこまで聞いてない、という突っ込みは、心の中だけでした。  
どこがどんな風に出題されたとしてもおかしくないのだ。  
「ではベトナム戦争で使用されたといわれる枯葉剤、主な成分は」  
「ジクロロフェノキシ酢酸とトリクロロフェノキシ酢酸」  
「原発事故の起こったウクライナのチェルノブイリ、一説には聖書になぞらえて何と呼ばれるか」  
「ニガヨモギ」  
 得意のくせに細かな知識の確認をやめないのは、単に他の科目よりも世界史が好きだからだ。  
絵理のピアノと一緒である。  
「ただいま」  
 玄関から聞こえた声に、絵理は身を竦めた。なるべく聞かないようにしていた声だった。  
「おかえり」  
「・・・英ちゃん」  
「どうしたの、絵理姉」  
 夏休み前までのことなど、何もなかったように英幸は笑った。逃げまわって予定を詰め込んだ分、  
ピアノの腕前が更に上がったのは皮肉と言っていい。  
「絵理姉、合格おめでとう」  
「・・ありがとう」  
「こっちの大学に進学するとばっかり思ってた」  
「今日の観測は?」  
「先生の出張で、ミーティングだけで終わり」  
 敏幸の見えないところで、絵理にだけ見せた英幸の笑みに、絵理は息が止まるような思いがした。  
 
 俺とのことを兄貴にばらされたくないよね、と耳打ちして数日後、英幸は絵理を自室に引っ張り込んだ。  
普通科だけの冬休み直前模試の日だった。  
「絵理姉と会うのも夏休み前以来だね。もしかして、避けられてたとか?」  
「・・・」  
「兄貴の受験勉強に付き合って、そのままこういう事もしてたんだ?」  
「痛・・・っ」  
 両手首を頭の上で拘束し、私服のネクタイで縛る。  
「兄貴と絵理姉が一緒にいるだけで俺がどれだけ嫉妬してたか分かる?こんなに好きなのに、  
絵理姉は俺のことを見ようともしない」  
 ベッドに押し倒し、英幸は絵理に圧し掛かった。セーターをたくしあげ、  
ブラウスのボタンを一つづつ外す。あごのラインを指先でなぞり、唇に触れた。  
「んっ」  
 被さるように唇を塞ぐ。舌が歯列を割って入り、口の中の奥まで侵入してくる。指先がブラの内側に侵入し、  
乳首を押し上げた。  
「絵理姉の体は柔らかいね。どこもかしこも、真っ白で、何にも知らないような色で、  
吸いつくような感触で」  
「やっ・・・」  
 日に当たっていない肌は白く、青い血管がうっすらと透き通ってさえいる。指でゆっくりとその感触を味わうと、  
英幸は絵理のジーンズのボタンに手をかけた。  
「英ちゃん、腕、痛い」  
「絵理姉が暴れるからいけないんだ。こうでもしないと、絵理姉の視界に俺は入れてさえもらえない」  
 圧し掛かったまま英幸はジーンズを降ろした。パンティのクロッチを押し広げ、指先を侵入させる。  
「いやあっ」  
 こうして嫌がる絵理を無理やり抱いている瞬間だけが、自分を絵理に認識してもらえる瞬間だ。  
下着を足首まで降ろし、足を体で押さえこんで、英幸はその場所に舌を這わせた。  
「や、いや、いや」  
「絵理姉が学校のどこにいても、すぐに分かるよ。音楽科のスカーフは、よく目立つからね」  
 片手で胸の感触を楽しみ、舌先で襞を割る。こちらは経験がないのだろう、跳ね上がる絵理の体を見る度、  
英幸は歪んだ恍惚が己の中を満たしていくのを感じていた。自分が兄以上に彼女を知っている、  
その最初であるという何かを刻み込みたかった。  
 伸ばしたままの片手に目が行く。兄が育てたらしい巨乳は、形も大きさも申し分がない。  
自らの下半身を露出し、英幸は絵理にまたがった。下半身を解放された絵理がうっすらと目を開けたのもつかの間、  
絵理の胸に自らの怒張を挟み込む。その様に、絵理が思わず目をそむけた。  
 見たくもないものが自分の胸の間から鎖骨にかけて鎮座している。それは既に熱を持ち、存在を主張しているのだ。  
きつく目を閉じてふるふると首を横に振る絵理を見ずに、英幸は両胸を掴み上げて自らを動かし始めた。  
「すごいね、絵理姉のおっぱいは。すごく気持ちいい」  
 絵理は歯を食いしばった。胸の谷間をこすり上げていく怒張は、ますますその膨らみを増していく。  
「ほら、もう、出る・・・っ!」  
 目も口も堅く閉じた絵理の頬に鎖骨に胸に、熱い何かが飛び散った。英幸は下半身の希望に従って出るに任せ、  
出しつくしてから傍らのタオルで絵理の体を拭き始める。  
「や、もう、こんなの、いや」  
 絵理は泣きそうになりながら懇願した。英幸の部屋の匂いは、皮肉なほど敏幸の部屋のそれと似ている。  
なじみのある感覚が、悪夢によって上書きされていくようだった。  
「まさか絵理姉の胸で抜けるとは思わなかった。俺がいつもどうやって抜いてたか知ってる?」  
 わずかに英幸はカーテンを開けた。窓の向こうは、見慣れた絵理の家だ。  
 
「ここの窓を開けると、絵理姉のピアノの音がよく聞こえてくるんだ。  
その音で抜くのが、一番気持ちよかった」  
 英幸は茫然としたままの絵理の体を返した。今日はコンドームを用意している。腰を掴んで自らの股間にあてがい、  
深々と押し入った。  
「ふあ・・・っ」  
 もはや絵理は叫ぶ気力もなく、押し出される息だけが彼女の感情を伝えている。  
「今絵理姉と繋がってるのは俺だよ。兄貴じゃない。分かる?」  
「あ、あ、あ」  
 絵理の体を枕に押し付け、英幸は腰を押し進める。内壁が、吸いつくようだ。  
掴んでいる腰をぐいと引きよせ、接合を深くする。  
「東京に行って、何も知らなかったようなふりをして兄貴とセックスできる?  
もし兄貴と結婚したとしても俺は一生絵理姉に執着する。子供はどちらの子供が生まれるかな」  
「はあ、あ」  
―ごめんね、敏ちゃん。大好きだよ。でも、一緒にはいられない。  
 煮え滾る意識の中で、絵理は声に出さずに呟いた。  
海老のように反った腰が痛み、指先が虚空を掴んだ。  
 
 夏休み前に見たきりだった悪夢を、絵理はまた見るようになった。  
夢の中で英幸の形をした影が追ってくる。それは絵理の口を塞ぎ、服を破り、有無を言わせず体を引き倒した。  
 別の夢を見ることもあった。迷路の奥へ奥へと逃げる絵理を、英幸が悠然とした足取りで追ってくる。  
遠くに敏幸の声が聞こえるが、出て行けば英幸に捕まってしまうから、出ていけない。  
 早く上京して実家から出てしまえば、悪夢は終わる。その気持ちだけが絵理を奮い立たせていた。  
 冬休みになると、今度は引っ越しの準備が迫ってきた。家の中で息を潜めていたかったが、そうもいくまい。  
 冬休みの自由講習の合間を縫って何度か上京し、揃える必要のあるものとそうでないものをリストアップし確認していく。  
親が隣にいて英幸に遭遇しない新幹線は、絵理にとって数少ない安全な寝床だった。  
 佐野家は、絵理にとって既に安全な場所ではなくなっていた。一歩入るだけで本人の在宅とは無関係に英幸の気配を感じ取り、体が震えた。  
 敏幸に付き合っていた受験勉強も、英幸と顔を合わせる可能性を少しでも下げたくて、  
本田家の居間で何人か普通科や音楽科の友人を集めて行うようになった。  
もともと敏幸は雑音をまるで気にしないタチだから、ピアノが鳴っていようとCDが鳴っていようと  
予備校の衛星授業のビデオが流れていようと知ったことではない。  
「佐野っち世界史教えてくんない?」  
「代わりに数学教えろよ」  
「あたし数学佐野っちより悪いんだけど」  
「本田は下宿先もう決めたのか?今ピアノの持ち込み可の部屋探してるんだ」  
「だったら、こことか」  
「お、なかなかいい感じじゃん・・・って、女子寮かよ」  
「あ、ごめんー」  
「絵理、景気づけにノリのいい曲一曲弾いてよぉ」  
 静かなほうが絵理には怖かった。一人で出かけるのも極力避けた。誰かと話していれば、  
英幸のことを思い出さずに済む。両親のどちらかが家にいれば、英幸が突然来訪しても顔を合わせずに済む。  
卒業式までの二カ月をやり過ごしてしまえば、あとは上京してしまえる。  
 怖がってばかりではこの関係は終わらないことも知っている。けれど、顔を合わせるのも声を聞くのも嫌だった。  
顔で敏幸と笑いながら、心では英幸と似ていないところを必死で探している。  
 絵理が台所で飲み物を準備していると、友人の笑い声が響いた。  
「音楽科ってさあ、みんな爪短いよね。ピアニストって優雅なイメージがあるけど、  
頓詰まってささくれてる」  
「そりゃ、長かったら演奏できねえよ」  
「そういや俺、小学校に入ってから絵理とボール系の遊びしたことないな」  
 敏幸が言う。  
「そうなの?」  
「下手に突き指でもさせたり折ったりしたらピアノ弾けなくなると思うとさ、なんか怖えもん」   
「あ、それは言えてるかもな。うちの親も俺がピアノ始めてから、  
野球とかドッジボールとか全然しなくなった」  
「指一本でも感覚って変わるもんなの?」  
「当たり前だろ。ピアニストは指が生命だぜ?」  
「あー、だからあんたサッカー部だったんだ」  
「そういうこと」  
 
 センター試験を境に、世間は本格的な受験シーズンに突入する。絵理は朝まだ暗い中を  
始発の電車で受験に向かうクラスメイトを何度か見送った。何校か予定を詰めて受験する友人は、  
都内に共同でウィークリーマンションを借りたという。朝夕を外で食べてもホテルより安く、新幹線の利用回数も少なくて済む。  
 家に帰って二度寝し、英幸が登校したであろう時間を見計らってピアノを弾いた。  
引っ越しの作業も少しづつ進めていたから、部屋の中はダンボールで足の踏み場もなくなっている。  
 敏幸の受験も、間近に迫っていた。センター試験では結局思ったほどドイツ語で取れず、  
生物で失敗したが、国語と世界史の高得点を盾にセンター利用の滑り止めを一校確保した。  
「んじゃ、いっちょやってきますか」  
 明日から本番だという日の夕方、絵理は敏幸を友人と一緒に地元駅のホームで見送った。  
都内のホテルに宿をとったという。  
「大丈夫だよ、敏ちゃんなら」  
「爆死したら骨は拾ってあげるから」  
「ありがたくねえなあ」  
「先生たちからお守り預かってきたよ。法学部なら東大の文一受けてほしかったって嘆いてた」  
「俺センターで大コケしたから今更無理だっつの」  
 ローカル線が入線してくる。どうやらこの駅で折り返しらしく、電車は全ての乗客を吐き出した。  
「がんばれー」  
「がんばって」  
「おう」  
 逆方向に向かう電車を待つという友人と別れ、絵理は足早に踵を返した。  
が、その腕が止められる。絵理の表情が凍った。  
「ただいま」  
 学校帰りの英幸だった。  
 
雨だれ<4> 終わり    

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