取り敢えず鬼執事と呼ぶことにした。
切れ者の風貌を完璧にそなえた横顔、引き締まった体躯に似つかわしい広い肩幅、
何より背筋の鋭さが紳士然としたスーツから滲み出している。
「物欲しそうな顔をするな」
「していない」
慌てるでもない素っ気ない返事に興味でもわいたのか、鬼執事は書類を整える手を
とめて私を見た。
その射るような視線に、さっきまでマイク越しに散々なぶられていたことを思い出す。
そして身体の奥底から湧きだし溢れた恐ろしいほどの物足りなさも。
今までの人生で押し殺してきた報われなさや無い物ねだりの数々が、この男の冷淡な声音と
容赦ない命令群とすぐさま遂行される筆使いでイカされるたびに渦巻いて高まり、
「白状するならわたくしが直接イカせてあげますよ。舌と指でね」
という声を聞いたとたん、爆発した。
歯に毒薬すら仕込んであったのに、舌を縛る轡を外されたのがわかると泣きながらべらべらと
ありったけの機密を吐いた。
嗚咽も混ざった。
喋り終えると、殺される、と我に返った。直接いじってくれる約束など嘘で、用済みの
スパイなど闇に葬られると今更ながら恐怖した。
死ぬかと思うほどの訓練をこなし、男にも負けずに張り合ってきた私が、
快楽に屈したただの頭の弱い女にされてしまったことが悔しくて、そんな女のまま
死んでしまうのが口惜しくて、自害も出来ずに泣きに泣いた。
だから約束を守ろうと言い、すぐ自室へ連れていかれたことは驚きだった。
シャワーを浴びる前に、拘束服を脱がされ裸のままで口に仕込んでいた薬を
指で探られても大人しく従った。
鬼執事は慣れたように爪を使い後始末まで素早く終わらせると、デスクの上の書類を
整理し始めたのでなんとなく気を削がれたが、有り難くシャワーを浴び今に至る。
「ここに来い」
「……あっちのベッドじゃなくて?」
「まだ仕事中だ」
服の用意も見当たらずバスタオルを巻いただけの格好のまま、示される通り
デスクの上に腰掛けた。
イスの背にすら背中を預けない鬼執事の目が、じっと私を見つめる。
挑発的な状況にあるのに、意図がわからないために何も出来ない。
落ち着かない心境で睨み合いが続いた。
しかしひとつだけわかっている。この男が興味があるのはクリトリスだけなのだ。
調べはついている。遊んでいたわけではない。
「続きをしようか。見せてみろ」
しかし自分から脚を開くなど、仕事を放棄したスパイ失格の身となっては
羞恥心のほうが勝ってしまい動けない。
さっきまで執拗にクリトリスを弄ぶ指示を出していたというのに、どうして無理やりに
続きをしてくれないのか。
「なぜ私を殺さない」
「手ぶらでは帰れんか?」
質問に質問が返ってくる。だがそれでようやくこの男の意図がわかった。
返事の代わりにじっと睨み返す。
「俺の秘密なら教えてやろう」
顔色も変えずに冗談なのか何なのかわからないことを言う。
鬼執事の真意が掴めないが他に交渉の手があるわけでなし、座った姿勢を少しくずして
言われた通りに陰部を晒した。
思わずふるえる膝を手で軽く押さえられ、恥ずかしさと妙な敗北感で頬が熱くなり、
顔をそむけた。
表情筋さえコントロールできなくなってきて、スパイに向いていないとまたなじられるかと思いきや、
「片想いは経験あるか?」
ときた。さっきから会話が一貫していないのを不思議に思いながら答えた。
「あるわけがない」
幼い頃からクールな女を気取っていたのだ。
片想いなどしてたまるか、というのが本音だった。
それだけに今、心臓を走る鈍い痛みが私を苛立たせる。
「ここの奥様とは長い付き合いでね、旦那様は入り婿様でいらっしゃる」
鬼執事はひとつ言葉を区切り、追憶の匂いをかすかに探しているようだった。
本来、羽のように軽い、とは身体の重みではなくその女性の身体の芯の強さ、
バランス感覚の良さを讃えていう言葉なのだ。
あの日、初めて見た彼女は運動神経のなさそうな、ちょっと危なっかしい女性に見えた。
だから本当に何気なく手を差し出し、乗せられたはずの小さな手が何の重みも
伝えてこなかったとき、驚きとともにその言葉を呟いたものだった。
「ありがとう」と照れながら微笑んだ彼女がとても愛らしかった。
その後偶然にも同じ状況を見た。
通路にあった少しの段差を、ドレスの裾を片手で軽く持ち上げた彼女に、自分より
上の役職の男が手を貸そうとしていた。
彼女はその手をやんわりと拒否して、礼を述べながらひとりで優美に段差を越えた。
不思議なものを見た気分だった。
それから気になって彼女の姿を目で追うようになり、やっと理解した。
それは自分にだけ許された行為だったのだ。
瞬間、背筋がふるえ、風邪かと思うほどの熱が出た。
あるとき意を決して待ち構えた。
最初に手を貸したあの場所で。
彼女は差し出したこの手に当然のように手をのせて、そうして羽のように軽い感触を
手の平に伝えると、そっとやわらかい手を離した。
ありがとう、という彼女に黙ったまま会釈だけを返してすぐに立ち去った。
胸の鼓動を聞かれたくはなかったし、口を開けば心臓が飛び出しそうだったからだ。
そして有無を言わさず抱きしめてしまいそうになる腕を隠したかった。
やわらかそうなドレスごと、折れそうに細い彼女の身体をまるごと握り潰してしまいたかった。
そうしないかわりに一生ここで仕えようと決めた。
風来坊の合間の稼ぎ場にすぎなかったこの屋敷で、根を張ろうと。
その彼女がここの奥様だ。
あなたらしくもないと呟く私に鬼執事は冷たい笑みをむけて、
「頭ん中で犯してるんだよ、毎晩毎晩」
と、私のクリトリスを眺めながら悪そうに囁いた。
嘘だ。きっとこの人は聖女を護るがごとく夢の中でさえも手を出さずに畏まっているはずだ。
こうまでまざまざと突き付けられては、嫌でも認識せざるをえない。
じりじりと激しく身の内を焼いていく黒い痛みを、どうやって掻き消せばいいのか。
無かったことにしたい、元の世界に戻りたい、今いる世界はもう嫌だ。
「なぜ泣く」
視線をクリトリスから外しもせずにそんなことを言うこの男も嫌いだ。
「答える義務がない」
しばらくの沈黙の後、鬼執事はゆっくりと私のクリトリスにキスをした。
限界まで怯えきった敏感な突起に、なめらかにやわらかい舌をからませて、
まるでいつもそうしているかのように突然クリトリスを責め抜いた。
舌の熱さと狂おしさがクリトリスをねぶりにねぶって何の我慢も出来なかった。
襲い掛かるような絶頂に身をのけ反らせて悶える私を、温度の低い手の平がなでていく。
冷たい指の向かう先は当然のように、クリトリスを覆う小さな皮。
口の中にクリトリスが吸われながら、じんわりと左右に皮がひっぱられて、じわじわと
剥かれた芯が口の中に飛び出していく。
「それは許して……! 変になる! やめっ……!!」
強く吸われたまま舌が剥きだしのクリトリスをなぞりあげた。
「ひっ、い、いく……いく……っ!」
どうなっているのか理解できないほどの舌責めに頭の中が白く弾ける。
「剥いちゃだめ剥かないでぇっ……ゆるし、て……」
喉まで震えて声が出せなくなっていく、涙がとまらず目も開けられない。
ただただ快感に引きずり回されて、ねぶられる快楽と終わらない絶頂の苦痛を
何度も繰り返し再現される。
そこに指が入れられてはもう叫ぶしかなかった。
中でかすかに指を曲げてクリトリスを裏から容赦なくこすり上げ、それでもなお舌先は
剥かれたままのクリトリスの芯をこれでもかというほどねぶり続けてくる。
ふいに何かが弾け飛んだ──たとえ深く愛されていようがイカせてもらえない女など
羨ましくもない。
どっと絶頂の渦が押し寄せるのを私は心から喜んだ。
股を開いて腰を持ち上げ、気持ち良いと何度も叫んだ。
鬼執事の長い指が抜き差しされるたびに何か熱い物が飛び散って太ももを濡らしていく。
「いいっいいっああっいい……きもちいい……っ」
自分が男の手に堕ちたのがわかったけど、最高だとすら感じていた。
クリトリスを剥かれてじゅるじゅる吸われて悶えて指で中をこりこりされていっちゃって
自分の喘ぎが耳を犯してもういっそのこと挿れてくれていいのにって失禁しながら思った。
私の生あたたかくて恥ずかしい液体が鬼執事の頬を濡らしていく感触にぞくぞくして
たまらなかった。
舌にぬめりをのせてクリトリスを根元からじっくりと舐めあげられ、クリトリスにある快楽の全神経が
じんじん痺れて脳みそをおかしくしていく。
執拗に根元をねぶりあげる舌と、いやらしく容赦のない指の動きに感じすぎてイキすぎて
最後にクリトリスをむしゃぶりつくして強く強く押し潰されたときには、自分が何を
叫んでいるのかわからなかった。
そうしてやっぱりクリトリスだけを愛でてから鬼執事は満足したような息を吐いて
じゅぷり、と長い指を抜いた。
だけどまだ舌がクリトリスにあてがわれていて、そこからびくんびくんと自分の身体が
跳ねているのがわかった。
呼吸もままならずに気を失うのに任せてデスクの上にぐったりしていたら、惜しむように
クリトリスから唇が離れていき、かわりに指の腹でそっとクリトリス全部を優しくなでられ、
あまりの気持ちの良さに夢うつつのまま甘く喘いだ。
「……良いクリトリスだ……」
そう言った鬼執事の息が少しだけ荒れていて、とても──幸せだった。
クリーニングされていた服に袖を通しながら隠し機器の類を確かめていると、
「怪しい機械はそのままだ。でないと疑われるだろう」
鬼執事が素っ気なく言ってきた。
相変わらず何をすればよいのか指示すらないが、どうすればよいかは理解している。
一礼だけをして背を向けると、いきなり後ろから抱きすくめられた。
壁の鏡でちらりと見えた大真面目な横顔が、私を強く揺さぶる。
きぬ擦れの音のなか鼓動を確かめ合うような時間が過ぎ、このまま抱かれてしまいたいと
願いながらも、沈黙に負けた私は呟くように言葉をしぼり出した。
「……あんな話をどうして私に……」
返事など期待していなかったが、戸惑いの色をにじませた声が後ろから聞こえた。
「俺にだってわからないことはある」
鬼執事はそれだけを言うと優しげな動きで腕をゆっくりと離していった。
冷めていく背中の温もりが私の心臓をわし掴んできて胸が苦しい。
振り向くことを許された気配の中で後ろを振り返ると、さっきまでの飄々とした笑みで
見返された。
だけど──
「帰ってこいよ」
胸の奥深くまで声が響く。
──はい。
返事をしたいのに唇がふるえてうまく動いてくれない。
──はい。必ず。
黙ったままの私を観察していた鬼執事は気を悪くした様子もなく、私の頭に
ポンと手をのせた。
「よし、行ってこい」
まるで犬だ。そして犬のように忠実に私は頭を垂れる。
──はい、鬼執事様。
そのうちいつか口走ってしまいそうだ。
私はうっかり何もしゃべらないように、まだ震えている唇をかみしめ、
衿を正してから退室した。
飼い馴らされた自覚がある。
目を閉じれば「帰ってこい」が胸の内をこだまする。
ひとりで廊下を歩きながら笑みがもれた。
言いなり、逆らえない、だけど幸せだなんて、ここは地獄に違いない。
end.