「今宵はお楽しみいただくために少々趣向を凝らしましてね」
「ほう、戦上手として名高いあなたのおもてなしだ、何が出るか楽しみですな」
壁一枚隔てた部屋からあの男と客人が談笑する声がする。そして私はあの日の羞恥の装いで男に呼ばれるのを待っていた。
そうすれば客人にこの姿を、己が裸体を晒さなければならない。
もちろん恥ずかしい。自分をこの世に生んでくれた二親には何度詫びても足りないだろう。だがもはや後戻りは出来ないのだ。
そして男が二度手を打った。
「これはこれは、まああなたならではと言ったところですか」
客人は私の姿を眺めながら、感心とも苦笑とも取れる口調でそう言った。
その私はというと、あの日バルコニーでとったものと同じ姿勢で戸口に立っていた。
肩幅と同じくらいの間隔で、相も変わらず履きなれないピンヒールに包まれた両足を開く。
一方両手は、あの時は背中で枷同士を繋がれていたが、今は枷を付けられてはいるもののそれを繋ぐ鎖はない。
そうなると今度は手持ち無沙汰で落ち着かないので、左の肘を右手で握ってみた。
こうすれば当然のことながら、私は大切なところを全て晒している格好になる。
かつて私に仕えていた女官がその形のよさを褒め称えた乳房も、脚の付け根の間で髪の毛と同じ亜麻色の毛が生え揃った股間も、
遮るものはないのだからそのままの姿を露わにしているのだ。それを自覚すると、徐々に身体は熱を帯びだした。
「私と二人、男だけで杯を交わすのも湿気た話かと思いまして、そこでこうしてお願いしましたら快く引き受けていただけたのですよ」
男の話には嘘があったが、しかしそれに食ってかかることはしない。
一方の客人はといえば、杯を持ったままじっと私を凝視していた。
眦に深い皺を作りながら細められた目がどこを見ているのか、白いものが混じる豊かな髭に覆われた口元がどのような形をしているのか、
どちらも私には分からなかったが、きっとその視線は全身を這い回り、口元は吊り上るように歪んでいるのだろう。
「さあさあ、こちらへいらっしゃい。あなたを彫像代わりに呼んだのではないのですよ」
しばらくそうして戸口に立ち尽くしていた私を男が呼んだ。それに応えて腕を解き、バランスを崩さないようにゆっくりと歩を進める。
そして二人の前に立った私は、かつて宮中の晩餐会でそうしたように頭を下げて礼をした。
「さすがは王女殿下ですな、そのようなお姿でも見事なものだ」
久々に聞く王女という言葉に私の胸がちくりと痛んだ。
と同時に、それまでゆるゆるとくすぶるようだった熱が一気に実体のあるものとなって身体中を駆け巡りだした。
王女として生まれた身がこのような姿を晒している。
その事実を認識させられると、もはやあの日に捨てたものだと思っていた矜持が私の羞恥をこれでもかとばかりに煽りたてるのだ。
「どうしたのです顔を赤らめて。お客様の前でただ立っているのも失礼でしょう」
再び男にたしなめられた私は、傍らのボトルを手に取って片膝をつき、その中の酒精を客人の杯に注ぐ。
しかし身体の中の熱はますます勢いを増して暴れ回り、全身にさざなみのような震えが走る。
それでもしばらくは堪えて給仕に努めていたが、やがて震えは連続するようになってきた。
こうなると当然手元がぶれる。やがて私が手にするボトルは客人が差し出す杯とぶつかり、チンと澄んだ音が室内に響いた。
客人がそれを咎めることはなかった。しかしはっと見上げた私の視線は相手のにやりとしたそれと交錯した。
「ははは、慣れぬことでしょうからな。むしろ殿下に供応いただくことを光栄に思わねば」
詫びるよりも早く客人が笑い声を上げた。
「重ねての不躾まことに申し訳ございません。これはお招きした私の落ち度でございますが、平にご容赦願います。
そこでお詫びというほどのものでなく恐縮なのですが、ここで一つ舞をご覧いただければと存ずるのですがいかがでしょう」
もちろん舞うのは私、そしてどのようなものをどのように披露するのかは予め決められている。
もっとも客人が承諾すればの話だが。
当人はといえば、男の申し出にしばらくうつむいて考える素振りを見せた。
その間の私はといえば、断って欲しいと願う反面さらなる羞恥がこの後待っていることを予感し、嘆きつつも他方で昂ぶりを覚えていた。
そして客人が顔を上げてそれではお願いしようと言った刹那、私の中の熱が小さいながらも沸点を迎える。
両脚の付け根にきゅっと力が入り、戒めのない己の両腕は懸命に引き止めることをしていなければそこに伸びていただろう。
しかし触れずとも、濡れそぼっていることははっきりと意識できた。
「恐れ入ります。では当人には準備もありますので一度下がらせていただきます」
その言葉を合図に私は震える両足に力をこめてなんとか立ち上がり、
一礼してからきびすを返してゆっくりと入ってきた戸口に向けて歩を進める。
もちろんその間背中に視線を感じていたのは言うまでもない。
ほのかな蝋燭の光が揺れるそこで、私は自らの足をピンヒールから解放して一息ついた。
しかしそれも一時のこと、すぐにでも戻って舞わねばならない。
だが再びその場に戻る前に、自らの身体を確認したいという欲求には逆らえなかった。
頬に当てた左手は、少しひんやりと感じられた。それだけ紅潮していたのだろう。
そしてもう片方の手を先ほどかろうじて触れずに済んだところにそっと当てる。
やはり濡れていた。
湿っていたなどという程度ではない、
少し触った程度なのに割れ目から溢れ出たものは指と周囲の毛まで濡らしてしまったほどなのだから。
人前で裸体を晒したばかりでなくこのような反応を見せる身を持ったことに、私は泣き出したい思いになる。
だが今となっては分かるのだ、私はそうすることを望み、そうなることを喜んでいるのだと。
だから流す涙は悲嘆のそれではなく随喜のものになるのだろう。
「どうしました、お客様がお待ちですよ」
少し時間を取りすぎたらしい、男が顔を出した。
はっとなった私はすぐさま立ち上がるが、歩み寄ってきた男は私の右手を掴み上げて灯りにかざした。
感づかれたのだ。いや、先ほどの様子からもう分かっていたのかもしれない。
男の前では何度も見せてきたことだというのに、少し落ち着いていた身体は恥ずかしさに包まれて再び熱を帯び始める。
「ま、あなたをこうした責任は私にもありますがね、今はあなたの望みを叶えることが第一だ。
なに、後で心ゆくまで満喫させて差し上げますよ」
この笑顔だ。この男は時折、私を嬲る時の腹黒さからはおよそ想像もつかないような優しさや無邪気さを見せる。
そしてそれを認めるのは癪だが、私は男のそんなところにとても弱い。
「さあ、では参りましょうか。ふつつかながら私めが舞姫のエスコートをさせていただきますよ」
気にする様子もなく私の手を取った男に導かれ、私は再び客人の待つ部屋に戻る。そう、私自身が一度やると決めたことなのだ。
「お待たせして申し訳ありませんでした。少々お時間をいただきましたが、これよりしばし、これなる踊り娘の舞をご覧ください」
男の口上の後に私は深々と礼をする。そして瞼を閉じて一度深く息を吸って、それを吐き出した。
踊りといっても決まった型があるものではない。
かつて何度か目にした異国の踊り娘のそれを思い出しながら、即興で動作を繋ぐのだ。
その場で身体をひねったり回転させたり、あるいは飛び跳ねてみせたり。
幸いにもしなやかさの残る私の身体は思うように動いてくれる。
もちろんこうしている間も私の身体はあまねく客人の視線に晒されている。
ピンヒールを履かず裸足のこの身体には、わずかに両の手首に枷が付けられているのみだ。
動作の合間に客人の方を見ると、酒を煽りながらも目元がほころんでいるように見て取れた。
少なくとも飽きさせるようなことはないようだが気は抜けない。
しばらくの間この舞を続けると当然息が上がりだす。
うなじや背に汗が走るのを感じた私は頃合と見て客人の近くでうずくまるような姿勢をとって動きを終えた。
そんな私に拍手が一つ寄せられる。客人のそれと気付いた私は立ち上がり、初めと同じように深く一礼してそれに応えた。
「良いものを拝見しました。あなた方はよほどお互いを愛しておられるのでしょうな」
笑いながらそう言う客人、一方私はといえば自分が男を愛しているというその言葉が的を射ていたために顔を赤らめていた。
「さて、これが普通の踊り娘であればこのまま朝まで閨を共にするところでしょうか。
しかしあなたのことだ、そうさせるつもりでは全くないのでしょう」
今度はやや苦笑気味に尋ねる相手に、男は満面の笑みを浮かべて見せる。
「それはもちろん。例え国王陛下の命であっても愛おしい妻を差し出すような真似はしませんよ」
そう、私は国を捨てた後にさまざまな曲折を経ながらも男の妻となっている。
男は、いや、夫は捨てないでほしいというあの時の願いを叶えてくれたのだ。
そして夫婦となった後も、おそらく一般的とはいえない形なのだろうが、私たちなりの方法で愛してくれている。
「となると、今宵のこの場もあなたがあつらえたものではなさそうですな。殿下の、あいや奥方のお考えですか」
またも図星だった。
夫が私に頼んだりさせたりということではない、このように我が身の全てを晒して客人の歓心を買おうというのは私の考えなのだ。
夫はむしろ渋ったほどだったが、最後は折れて協力してくれた。
「まあ商人としての勘は、先の件に成算有りと告げております。それから私としたことが、お二方のご成婚をまだお祝いしておりませんな。
奥方の勇気にも敬意を表したいところですし、そうですな、満額をお出ししましょう」
その言葉は、私の目論見がなんとか成功したことを証明していた。そして私は、嬉しさを隠そうともせず夫の胸の中に飛び込んでいた。
「やれやれ、あなたには驚かされてばかりですよ。とんだ妻を迎えたものだ」
「お前のせいだろう。私を二度目覚めさせたのだから」
翌日客人を送り出した私たちは、その晩閨で抱き合いながらもそんな話をしていた。
戦場では勝利の請負人として鳴らす夫だったが、その封土は貧しさがそこかしこに見て取れる情けない有様だった。
それで夫への愛情が冷めたわけではなかったが、かと言って私にはその現状を見過ごすことは出来なかった。
女子に生まれ嫁いだ者は、夫と手を携えてその邦を富ますべし。
そうした家訓に育った私の、捨てたはずの王女としての血が騒いだのだ。
しかし先立つものがないのでは如何ともしようがない。夫やその祖先たちもそこで躓いていた。
もっとも夫は、私の国を攻め取った時の戦利品を私を迎えるためにばら撒いてしまったらしいが。
むしろその夫の行動が私の中についた火を煽ったのだろう。
自分のせいでこの領地が貧しさから脱け出す機会を逸したというのなら、なんとしても自らの手でその機会を取り戻さなければ。
だからこそこの家と付き合いの長い商人を相手にあのような挙に出たのだ。
「それより私は妻なのだ、その妻にどうしてそうよそよそしい話し方をする」
「いやまあ、あなたを前にすると目上相手に話しているような気分になるのですよ。
むしろ口調を云々するならあなたも同じでしょうに」
このやり取りも夫婦となって幾度となく繰り返してきたことだ。もちろん私には自分の調子を変えるつもりはない。
そうすることで夫への愛情も変わることはない、そう思えるからだ。
そして夫がどう考えているのかは分からないが、私はこのやり取りが続く限りは私たちの関係も途切れることはないと信じている。
「とにかく、私はもうあなたを見世物にするつもりはありませんよ。いくらあなたに頼まれてもです」
せっかく最良の結果を得たというのに、夫はまだその過程に納得していないようだった。
そのやきもち焼きな性格が妻としては可愛らしくて仕方がない。
「そうか?私はこの身体を晒して得るものがあるなら構わないと思っているが」
だからつい意地悪く煽ってみたくもなるというものだ。
「恥らいながらしっかり濡らしておいてよく言いますね。
ですが何度も言いますがもう次はありませんよ、この身体は私だけのものだ」
夫はそういって私を抱き寄せ熱い口づけを交わす。
もちろん私もそれに応えて、しばらくの間互いの身体を、腕を、舌を絡め続けた。
「それにしても次の十六夜の晩が待ち遠しい。この身を我が夫君の視線に晒すことを考えるとたまらなくなる」
月が巡るごとに訪れるその夜は、あの装いを身につけて夫にこの身体を委ねることが習慣になっている。
夫にとってもそれは満更ではないらしく、その後の交わりは特に激しいものになるのだ。
「十六夜ですか、こだわりますね。夜の月明かりが欲しいなら満月の日でもいいでしょうに」
「それは、私なりの一線を守るためだ。譲れない」
そう、もはや私は我が身を誰かに晒さなければ満足できない身体になっている。
しかし何も遮るもののない満月のように縛りもなく振舞えば、誰彼構わずということになりかねない。
そのような獣のような姿には、当然なりたくない。
だから十六夜の月のわずかに欠けたその部分は、夫との愛情を確かなものにする紐帯に他ならない。
私が狂わないための、自らを堕さないための、些細なまじないだが私にとってはかけがえのないものなのだ。