これが、私の最後の日記になるかもしれないので、特に書き記す事に  
した。誰かがこれを読み、何らかの生きる手がかりとなる事を願って。  
2005年一月O日。竹原敦子。  
 
「どこも人影は無しか」  
見慣れた大通りには、誰もいなかった。ちょっと前まで、この辺りは  
都心のど真ん中で、絶えず人で賑わっていた場所。それなのに今は  
誰もいない。いや、消されたのだ。  
「車もガソリンも無し。歩くしかないか」  
銃の安全装置は外しっ放し。私はなるべく足音を立てずに進む。まだ  
日は高かったが、安心は出来ない。何故なら、いつどこで『やつら』と  
遭遇するかも知れないからだ。そう、あの豊かで人が溢れかえっていた  
この国を、阿鼻叫喚の地獄絵図に変えてしまった、あいつらと──  
 
二ヶ月前まで、私はただの銀行員だった。それがある日、  
「竹原君、ちょっと」  
という上司の声で、日常が一変してしまう。  
「なんでしょう」  
受付で愛想良く業務をこなしていた私は、この日も早く仕事が終わる  
事ばかり考えていた。だから、正直、上司から声をかけられた時は  
陰鬱な気持ちになった。残業でも申しつけられたら、たまったもので  
はない、なんて思っていると──  
「防犯用のシャッターを閉めるんだ・・・は・・やく・・」  
そう言って、上司は倒れて絶命した。その背中を見ると、何か肉食獣  
にでも食いつかれたような跡があった。  
 
「キャーッ!誰か!」  
と、私が叫ぶ間も無く、フロアにいたお客さんが悲鳴を上げる。見れば、  
保険の相談に来ていたおじいさんが、犬と人の中間といった風貌の  
化け物に、頭から食われていた。それを見た女性客が、叫んだのだ。  
「いけない!」  
私は、さっき上司が言い残した通り、非常用の防犯シャッターのボタン  
を押した。いや、上司の遺言というよりは、次に自分へ迫るであろう危険  
を察知して、反応的に押したといった方が正しい。化け物は、おじいさん  
をバリバリと食った後、私の方を見たからだ。シャッターは瞬時にカウン  
ターとフロアを遮り、行内を二分した。すると──  
 
「た、助けて!開けて!」  
シャッターの向こうで、若い女性の声が聞こえてきた。多分、さっきキャ  
ッシュコーナーにいた母子連れのお客さんだろう。必死の呼びかけで、  
シャッターに縋りついている様子が窺える。しかし、ここを開ける勇気を、  
私は持っていなかった。  
「お願い!子供がいるの!ああ!」  
ガチャガチャと、椅子や机が引っ繰り返るような音がした後、彼女の声  
は遠くなった。何となくだが、人が引きずられていくような音が聞こえる。  
私は身震いした。  
 
「な、なんなの、これは!いったい、どういうことなの?」  
「テレビだ。テレビをつけてみろ」  
難を逃れたのは、私を含めて五人の行員だけ。全員が色を失っている。  
当然だろう。上司とお客さんが一瞬にして、犬のような人のような化け物  
に食われてしまったのだから。  
 
「それよりも警察に!」  
私は携帯電話を取り、警察へ通報した。いくつか呼び出し音を聞いた  
後、電話は繋がったのだが──  
「ぜ、絶対屋外には出ないように!非常事態です。我々も今、本部へ  
応援を要請している所です。ちくしょう、なんなんだあの化け物!」  
とだけ言われ、電話は切れてしまった。この後はもう、二度と通話が  
出来なくなる。  
 
「テレビを見ろ!テレビ東京だけがアニメを放送しているが、後は全部  
緊急特別番組だ!」  
同僚の声に、私はさすがテレ東!と思ったが、それはさておき今の状況  
を把握しなければならない。生き残った行員みんなで、テレビにかじり  
つくと──  
『視聴者の皆さんに・・・冷静な行動が求められます。今、日本は・・・  
いや、世界は人類滅亡の危機を迎えております』  
カツラの噂が絶えない司会者が、悲壮な表情で同じことを繰り返していた。  
 
『今、巷で起こっている事は、哺乳類ならびに鳥類や両生類に至るまで  
の、急激な変態です。原因は分かりません。ある学者は、地球環境の  
変化に応じ、淘汰が始まったと発表しています。しかし、本当の所は何も  
分かっていません・・・各個の生物が生き残りを計り、DNAを食い争う・・・  
というのが、とりあえずもっともらしい説ですが、分析にはどれだけ時間が  
かかるのか・・・』  
うなだれる司会者の生え際がずれた。しかし、この場にいる誰も、笑おう  
とはしなかった。  
 
「どうしよう・・・」  
私は同僚たちに問い掛ける。しかし、誰も一言も発しなかった。そう  
しているうちに、ある同僚が、  
「家族が心配だ」  
そう言って、裏口の方へと駆けて行った。その向こうには、行員用の  
駐車場がある。  
「お、俺も連れてってくれ」  
「私も!」  
同僚全員を見送ってから、自分はどうしようかと考えあぐねた。状況  
がはっきりしない今、ここを動くのは得策ではない気がする。  
 
(屋上から、街を見てみよう。それからここを逃げても、遅くはない)  
上司の死を間近で見た私は、あの化け物が一筋縄ではいかないやつ  
だと確信していた。それだけに、迂闊な行動は出来ない。テレビは生物  
同士のDNAの喰らい合いだと言っていた。そうなると、化け物も一匹や  
二匹の話では済まなくなる。  
「はあ、はあ・・・ああッ!」  
息を切らし、屋上まで一気に駆け上がった私の目に映った街。それは、  
戦争映画でも見るような、悲惨な光景だった。  
「ひどい・・・」  
街のあちこちから、火の手が上がっている。そして、街往く人々は例外  
なく、化け物の手にかかっていた。  
 
「うわあーッ!助けて!誰か!」  
道端で、サラリーマン風の青年が下半身をなめくじのような化け物に  
食われていた。その脇では、さっき行内にいた若い母親の姿もある。  
彼女は、さっき見た犬の化け物に犯されていた。  
 
「なんてこと・・・あのお客さんが」  
彼女は物も言えないようだった。ただ、身の丈が三メートルもある  
ような犬の容貌を持つ、かつて人だったであろう化け物に、される  
がままだ。腰まであるスカートをまくられて、無理やりパンティを毟  
られたらしく、臀部の辺りに引っ掻かれたような傷がある。そのすぐ  
下、女性のもっとも恥ずかしい部分には、血走った生の男肉が突き  
刺さっていた。  
 
「わ・・・私も逃げなきゃ・・・あんな風に・・」  
血の引く思いを振り切り、私は屋上から逃げて、駐車場の方に向かう。  
あそこには、営業車が何台もある。車で逃げれば、化け物だって襲って  
来る事はないだろうと、その時は思っていた。しかし──  
「助けてくれーッ!」  
「何やってんだ、お前!ちゃんと運転しろ!」  
「やだーッ!」  
キキーッと、タイヤが軋む音が銀行の前で鳴った後、聞き覚えのある  
声が耳に届く。あれは、先ほど逃げていった同僚たちの叫び声!私は  
中二階の窓から、慌てて外を見る。  
 
「うわあーッ・・・」  
家族の身を案じ外へ打って出た同僚たちが、飛行機のような巨大なカ  
ラスに捕食されていた。その隣では、私が仕事を教えてやった、可愛い  
後輩の受付嬢が、無数の犬もどきに襲われている。  
「やめて!放して!」  
知性を失った犬もどきのオスたちが、私と同じ制服を来た後輩を犯そう  
としていた。哀れにも彼女の衣服は簡単に引きちぎられ、あっという間に  
下半身を晒す羽目となる。  
 
「アーッ・・・」  
後輩のその声を、私は背中で聞いた。私は窓から背を向け、逃げていた。  
襲われる後輩を慮る気持ちはあったが、なにより恐怖が先立ってしまった  
のだ。次は私──そればかり考えている。  
 
「助けて!誰か助けてよう!」  
半狂乱になりながら、私はあてもなく駆け出した。上司が食われてからこれ  
までの僅かな間に、あまりにも多くの恐怖を感じすぎたせいだろう。頭がパ  
ニックとなり、思考能力が欠落していた。そして──  
「ズズ・・・」  
と、人語とは程遠い唸り声を、私は銀行の裏口まで来た時に聞いた。あの、  
半人半犬のような化け物たちに、この身が囲まれていたのである。  
 
 
気が付くと夜中だった。私は両足を広げ、犬もどきたちに犯されていた。  
「・・・」  
恐怖で私は声も出なかった。いつ、食われるか気が気ではない。自分を犯  
している相手は人ではない。かつては人だったかもしれないが、今は人肉  
を喰らう化け物なのだ。犬もどきたちは良く見ると容貌が様々で、愛嬌の  
ある顔をした者もいれば、悪人面の者もいる。どうやら人間だった時の姿態  
が反映されるようで、体躯にも差があった。  
「ズズ・・・」  
犬もどきがまた一匹、私の中で果てた。もう、私の膣内は濁った精液で  
ドロドロとなっている。薄闇の中で目を凝らすと、化け物どもは二十匹近く  
いた。その全員に私は犯される運命にあるようだ。  
 
「つッ・・・アソコがひりひりする・・・」  
輪姦は夜を徹して行われたが、私は食われなかった。犬もどきの  
気配が消えた時、辺りは明るくなっていた。何とか、朝日は拝めそう  
だと思い、這うようにして歩き始める。  
「街はどうなったのかな・・・」  
陰部から精液を垂れ流しにしながら、私は日の光に誘われ銀行の  
外へ出た。危険だという認識は無く、もう、どうにでもなれという気持  
ちになっている。犯され抜かれて、気持ちがまいってもいた。すると  
どうだろう──  
 
「誰も・・・いない?」  
なんと一夜にして、街は廃墟と化していた。道端で人を喰らっていた  
犬もどきも、巨大なカラスもいない。ただ、閑散とした街があるだけだ。  
「そんなバカな・・・」  
消えたのは化け物だけではない。食われる側の人間も、誰一人見当  
たらないのだ。辛らつだが、屍のひとつくらいは、そこいらにあっても  
不思議ではないのに、その片鱗すら見つからない。  
「ここで・・・あのお客さんが・・・」  
私は、昨日若い母親が犯されていた場所へと足を運んだ。確かに、  
そこには引きちぎられた衣服が散乱し、あれが夢では無い事を知る。  
だが、彼女がここにいた痕跡が、まるで無いのはおかしい。  
 
「逃げる事が出来たのかしら?それとも・・・」  
食われたのかもしれない──そう考え、私は身を竦める。そして、急  
激に生きている実感を取り戻し、気を奮わせて街を探索する事にした。  
 
「おなかが空いたな」  
とりあえずコンビニに行き、店内を覗いた。ここも見るからに混乱  
した後が窺えたが、食品などはほぼ無傷のまま置いてある。店員  
はいなかったので、勝手にそれらを拝借した。次いで、警察署に  
向かう。  
 
「静かね・・・」  
銀行から歩いて五分のところに、警察署はある。ここまでの行程で、  
出会った人間は皆無だった。もちろん、化け物もいない。  
「誰かいますか?」  
警察署の入り口は、バリケードを築いた名残があった。しかし、これ  
も化け物に壊されたのか、四方に霧散している。それと、戦いを試み  
た勇気ある警察官が撃ったであろう弾痕も、あちこちにあった。ここ  
では、かなり激しい迎撃戦が行われたらしい。彼らが流した血のりが  
壁に描かれている。  
 
「誰もいない・・・」  
やっぱりというべきか、署内も無人であった。私は犬もどきに汚され  
た股間をシャワー室で洗い、警察官の制服を拝借する。ついでに、  
金庫をこじ開けて拳銃と実弾を持てるだけ頂いた。  
「撃った事なんかないけど、あれば心強いわ」  
銃というのは小さい割に、ずいぶん重いものだとこの時初めて知る。  
出来れば一生知りたくもなかったが、こうなってはどうしようもない。  
もう、犬もどきに犯されるなんて事はごめんだった。これがあれば、  
あいつらを追い払うぐらいは出来るかもしれない。  
 
装備を整え、もう一度街へ戻ろうか──そう思い、踵を返した時だった。  
「誰だ!」  
廊下の向こうから、若い男がこちらへ叫んだ。人間だ!  
「あなた、生きているのね」  
生存者がいる。私はこみ上げてきた嬉し涙を拭いながら、彼へと近づこ  
うとする。しかし──  
「俺に近寄るな」  
男は顔を隠すようにして、言った。良く見ると、その顔は犬もどきのそれ  
に近く、変態の途中という感じだった。だが、精神は人間のものに間違い  
ない。発した言葉に、理性が見られるからだ。男は私の顔を見ると、驚き  
混じりでこう呟いた。  
 
「あんた、無傷でよくここまで・・・」  
「あんまり無傷でもないんだけどね」  
実際、犯された股間に鈍い痛みがあった。犬もどきに夜を徹して犯された  
からだ。しかし、今は人語が懐かしくて仕方が無い。まだ、最後に人と会話  
をしてから一日と空いてはいないのに、懐かしさで体が震える。  
「俺はもう駄目だよ。あんた、どこかへ逃げてくれ」  
「逃げるって・・・どこへ?」  
「さあ・・・ここじゃないどこかへ」  
男はそれだけ言うと、廊下へうずくまった。精神的な疲労と肉体的な変化  
で、気力が尽きかけているようだった。  
 
「俺は田端っていうんだ。ここで警察官をやっていたんだが」  
コンビニから失敬してきたジュースを差し出し、私は男から事情を聞き始  
める。喉が潤うと、男は案外饒舌になった。  
 
「最初の110番通報があってすぐに、街中がおかしくなった。今しがたまで  
普通に歩いてた人間が、訳のわからない化け物になっちまうんだ。それも、  
僅かな時間で」  
「そうなの・・・」  
田端は諦めたような目をしている。それが、私に不安を募らせる。  
 
「テレビはもう映らなくなってるが、特番で学者がなにやら言ってたぜ。宇宙  
から降り注ぐなんとか線が、生物の中に隠れていたDNAを活性化させ、地  
球上の生物を進化させるんだって。男が真っ先に化け物になったのは、女と  
違って化粧をしないからだそうだ。化粧品には紫外線を拒むやつがあるだろ?  
それと、建物の中にいた連中も、難を逃れた。なんとか線は、瞬間的にしか  
降らなかったそうで・・・後は、あんたも見ただろう?生物同士の共食いさ。いや、  
進化らしいがな。DNAを貪り食うために」  
 
田端の説明が、正しいかどうかは分からない。しかし、今はこの言葉に耳を  
傾けたい。彼とて、人でいられる時間は、もう限られていそうだから。  
「私は・・・あの化け物どもが、女性を・・・その・・・犯すのを・・見たわ」  
さすがに自分が犯されたとは言い難かった。だから、こんな言い回しをする。  
「化け物も・・・ただ、食うだけじゃ駄目って事は本能で分かってるみたいだ。  
だから、女を犯し、子孫を残そうとするんだ。化け物になった男どもは競う  
ようにして、女に襲い掛かっていたよ」  
思い出したくもない悪夢が脳裏に甦っているのだろう、田端はうなだれてしま  
った。そして、手を震わせながら、私の方を見て、  
「すまないが、あんたに頼みがある」  
「なに?」  
「あんたを抱きたくてたまらないんだ。どうしても、その気持ちが押さえられない」  
肩をいからせ、泣きそうな表情で呟いた。  
 
「・・・いいわよ。ここでするの?」  
「すまない」  
股間は昨夜の荒淫でまだ疼いていたが、田端の望みを私は果たして  
やりたくなった。彼にはもう、人間らしさが奪われつつあるのだ。その  
願いを無碍には断れない。  
「それともうひとつ頼みがある」  
「なに?」  
私は廊下に這いつくばり、下半身だけ丸裸にした。そして、田端はお尻  
に手をついた後、  
「・・・これが終わったら、俺を殺してくれ」  
「・・・分かったわ」  
だいぶん犬化したペニスを、私の中へ捻じ込んだ。  
 
「ああッ!」  
血走った犬のペニスを見た事がある。全体がぬめって、おぞましい形  
だった。あれが、私の中へ入っている。そう思うと、絶望的な気持ちに  
なった。しかし、それの持ち主はまだ、人間だ。そう思う事にして、私は  
腰を使った。  
「ああ・・・いい気持ちだ」  
「そ、そう?ありがとう」  
ズンズンと子宮にまで届くような、長大なペニスだった。昨夜から、私は  
これをどれだけ胎内へ招いたのだろう。あまり考えたくないが、つい思っ  
てしまう。  
「あんたの名前を聞いてなかった・・ああ、いきそうだ」  
「竹原敦子よ。忘れないでね」  
「ああ、忘れるもんか・・・うッ!」  
膣内で田端の子種が放たれるその瞬間、私は弾を込めた銃の引き金を  
絞る。狙いは、彼の頭だった。  
 
 
あれから二ヶ月。私はなんとか生きている。あの後からは、人間らしき  
生き物は見ていない。変わりにといっては何だが、人まがいの犬──  
のような生物には、幾度も遭遇した。ほら、そう言ってる間にお出ましよ。  
見るからにおぞましい、あいつらが。見てくれはすでに人の名残が失せ、  
ただの大きな犬畜生。それも、股間をいつも大きくした、女に飢えた獣・・・  
「ズズ・・・」  
「出たわね、性懲りもなく」  
その人まがいの犬は、やはり女の体を狙っていた。母体を使い、強い種  
を残す。生物が取る、当たり前の行動だ。しかし、私はそのさだめに抗う。  
 
「さあ、おいで」  
もう、この近辺では人の女を見る事はない。犯された女は大概気がふれて  
狂い死にしてしまう。だから、化け物たちも必死だ。やつら自身も数が大分  
減ってきている。淘汰される側にあるのだ。おそらく今後は、あの日に見た  
大きなカラスや、その他の生物が地上を支配するのだろう。そして、その時  
はそれほど遠い未来ではない。  
 
拳銃の弾丸も残り僅か。私はいつまでさだめに抗えるのかは分からない。  
ただ望むべくは、知性のある生き物がこの日記を見て、何かを感じてくれ  
れば・・・と思うだけ。それでは。  
 
おしまい  
 

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