【 3 】
村のはずれ――そこから山の展望を一望できるその場所が彼女の家族達と、そして一族が眠る場所であった。
小石を積み立てただけの粗末な墓標に花を手向けると、彼女・ティアラは黙祷を捧げる。
そんな後ろ姿に一瞥くれ、ペインは改めて目下に広がる渓谷の壮観を見下ろした。
ティアラによって語られた事実は思わぬものであった。
この山に住む彼女達ミルクドラゴン種は、ティアラを残して全て絶えてしまっているとのことだった。
争いがあったとか、疫病が蔓延したという訳でもなく、単純に一族はこの痩せた土地で繁殖力を失い、結果
淘汰されたのだそうだ。
ティアラの母が彼女を身ごもったその時――すでに山には、この家族以外のミルクドラゴンはいなくなっていた。
そして彼女の家族も、父が断崖からの転落事故で亡くなり、母もまた産後の肥立を悪くしてその後を追ったのだという。
それ以来、祖母と二人で慎ましやかに暮らしていたティアラであったが――その祖母も今年の始め、長寿を全うして
天に召された。
それ以来ティアラは「一人でここに暮らしているのだ」と言ってどこか寂しげに笑うのであった。
それらを気丈に話す彼女を前に、ペインはひどく胸が傷む思いがした。
こんな山の、こんな苛酷な環境に住む事もなければ、彼女の父も崖から落ちるなどということはなかったであろう。
人里に暮らしていたのならば母の肥立にも滋養が尽くせたはずである。
それこそは己が故郷の臣民達の現状でもあり、やがては自分達が辿るであろう未来の姿でもあった。
『――よし。おまたせ、ペイン君』
「もういいのね?」
『うん、もう大丈夫だよ。ごめんね、こんな所に付き合わせちゃって。毎朝の日課でさ』
「全然構わないのよ」
そうして二人、言葉を交わしながら元いた小屋への帰路を辿る。
「どうせ僕だってやること無いんだし」
そうして何気なく出された言葉に対し、
『そうなの? でも昨日は、なんか急いでたような感じだったよね』
「えッ!? いやその、う〜んと――」
その当然の矛盾を問うティアラにペインは固まってしまった。
『そういやまだ聞いていなかったけど、ペイン君って何の用事でここに来たの?』
「ええ〜っとぉ、そのぉ……」
さすがに『女を買いに』とは言う訳にもいかず、ただペインは視線を泳がせては喘いでみせる。
そしてふと見下ろした先に、小さな草が生えているのを発見すると、
「あ――ぼ、僕は学者さんなのね。ここには植物の調査に来たのよ」
それを手に取り、一世一代の大芝居(ウソ)を打った。
「調査なんて特に急ぐものでもないのね。昨日は日暮れまでに村へ着きたかったから焦ってたけど、到着しちゃったら
もう、後は気楽なものなのよ」
そんなペインの言葉に一瞬ティアラも目をぱちくりさせたものの、
『すっご〜い! 本当に学者さんなのッ? ペイン君って偉い人だったんだねぇ♪』
すぐにその瞳を輝かせると、依然草を握り締めたままのペインの両手を取った。
「う、うん……まぁ、そんな大したことじゃないのよ」(――えらいウソついちゃったのよぉ、僕)
そんなティアラを前に謙遜しつつも、その心中は穏やかではない。
『学者さんって、どういうことするの? 草とか虫とってきて、顕微鏡で見たりとか、論文とか書いたりするの?』
「ま、まぁそんなところかな? そこの動植物の生息を調べたり、繁殖方法や生態系の仕組みなんかをフィールド
ワークして調べるのよ」
穏やかではない心中とは比例して、ペインの長広舌は益々その動きを滑らかにする。――もっとも、『動植物』の
単語を『風俗嬢』と置き換えれば、常日頃の彼の行動と今の言動もまた、あながち外れてはない訳だが。
ともあれ、
『じゃあさ、「調査」ってことはしばらくここにいるんだよね? だったらあたしの家に泊まりなよ。ご飯とか
作ってあげるからさ』
「えぇッ? あ、うん――じゃあ、お言葉に甘えようかなぁ……」
些細な嘘を発端に、話はどんどんこじれていく。
本来ならば収穫が無い以上、ペインはいつまでもこんな場所に留まっている訳にはいかないのだ。代用の企画を立て、
一刻も早く原稿執筆に着手しなければ誌面には穴が開いてしまうことになる。
しかしながら、
『行こ行こ、ペイン君。それじゃあ、あたしの畑に案内してあげるね♪』
駆け出し、すっかりテンションの上がってしまったティアラにその手を引かれ、風に舞う洗濯物のよう宙になびき
ながら村へと帰るペイン。
そこから見上げる空は――今日も憂鬱になるくらい青かった。
★ ★ ★
うんしょ、うんしょ……う〜ん、こんにゃろッ」
ぶら下げるよう両手で携えていた岩石のひとつを、ペインは掛け声とともに絶壁の外へ投げ放った。
高台のそこから見下ろす中、投げ捨てたそれはほぼ直角に近い急勾配の岩肌で何度もバウンドしながら転がり
落ちていく。
「ひえ〜。こんな所から落ちちゃったら、ひとたまりもないよね」
その眺めに、ついそんなことを想像して身震いもひとつ。ペインは今、ティアラの整理する畑へと来ていた。
高知の山脈の、それも一際上層の高台に作られた畑――そこには、こんな場所にしか設けられない相応の理由もある。
山岳地域の谷間とあっては、そびえ立つ山脈に阻まれて日照時間も限られてくる。おまけに数少ない降雨の恩恵を
漏れなく受けるとなると、自然に耕地はこのような高台に設けるしか叶わなくなるという訳であった。
そんな高台の畑仕事を、ペインは調査とうそぶきながら手伝っているという状況である。
『ごめんねー、手伝ってもらっちゃって。でも、調査の方を優先してくれてもいいんだよ?』
「ううん、いいのよいいのよ。サンプルさえ取っちゃえば、あとは現地で出来ることなんてもうないんだから。
お手伝いするのね♪」
依然としてそんな嘘をつき続けながら、ペインは新たに耕地の中の砂利を選別し始める。斯様な手伝いの理由は、
単なる手持無沙汰を持て余しているからという訳だけではない。彼女の好意にかこつけて謀り続けることに対する
そんな贖罪の念もあった。
また、ティアラと共に「畑仕事に興じる」というシチュエーションもまたペインは楽しんでいたりもする。
斯様にして女好きの彼にとって、女性と一体感を感じられる作業は、性交に限らず気持ちが良いものなのだ。
そんなことをしみじみ感じて空を見上げるペイン。
行きの道中に感じたこの青に対する嫌悪も自然と和らいでいた。
「だけど、こんな高いところで作業していて危なくない?」
改めて見渡す景色には本当に目にとっかかるものが何もない。それだけの標高を保つこの山の、さらには
この場所である。
先にも述べた高台のここは、畑の淵のすぐ外が標高数千メートル級の断崖であるのだ。そんな場所で日ごろ
作業するティアラをペインは心配せずにはいられなかった。
『えー? 大丈夫だよー♪ だってここ、あたしのお庭みたいなもんだもん』
そんなペインの心配していくれている言葉が嬉しかったのか、ティアラは断崖の淵に近いそこで背を伸ばすと
足取り軽く快いリズムで踊ってみせる。
編まれた三つ網が弾み、その背が露わになる。美しく伸びた背筋とそこに残る小さな羽根、そしてうなじの
露わになる後ろからの眺めに、その一時ペインも時を忘れて魅入られる。
しかしすぐに我へ返ると、
「あ、あぶなぁい! そんなとこで踊っちゃダメなのよ、ティアラちゃん!」
すぐにペインは、そんなティアラへと声を掛けるのであった。
再三ながら、畑のすぐ外は断崖絶壁なのである。聞けば彼女の父もまた、墜落事故で無くなっているのだ。ならば
このティアラとて、ここから落ちれば無事では済むまい――ペインはそれを危惧するのであった。
そうして胸騒ぎに慄きながら見守り続けるなが、予想しうる最悪の瞬間は訪れてしまう。
数度のステップの後、小高く空へ跳ねた次の瞬間――着地したティアラの足元が地崩れを起こした。ステップに
踏み固められた土壌が、他の柔らかい部分のそれと分離したのだ。
『あ……』
そんな突如の危機にふためく暇もなく、ただ呆気にとられるティアラ。
やがて彼女の体は弓なりに背を反らせて、断崖の向こうへと傾く。
その瞬間を目の当たりにし、
「ティ、ティアラちゃんッ!」
ペインは放たれた矢のよう、地を蹴りそこへと駈け出した。
走り続ける目の前では、バランスを取り直そうと両手を振るティアラがゆっくりと背を下に傾いていく姿が
見えていた。あのまま背から倒れれば、間違いなく谷底へまっしぐらだ。
――間に合えッ、間に合え! もっと速く動けッ、僕の脚!
その光景を捉えながら、走るペインはさらに身を低くして踏みしめる両足に力を込める。
おそらくは、生涯のうちで今日ほど『速く』と願った日はないであろう。そして今日ほど『速く』に走ったこともない。
やがては見守り続ける中、もはや体制を持ち直すことが叶わなくなり畑の外へと落ちようとするティアラへと、
「両手、出してぇ!」
そのギリギリで、ペインは間に合った。
掛けられるその声に反応し、反射的にティアラも両手を伸ばすと差し出されたペインの右手を握りしめる。
グンと右半身を引き広げられるような過重それを感じながら、ペインはさらに伸ばした左手で、土中に埋まった
岩石のひとつにしがみつく。
斯様にしてペインを中間に、ティアラは振り子のよう畑の淵からぶら下がった。
一見して間に合ったかのように思えたこの救出劇――しかしながら、問題はまだ何も解決はしていない。
何よりもティアラを繋ぎ止めているペイン自身に限界が訪れていた。
「ぐ……ぐぅ〜ッ……んんぅ〜ッ」
体長2メートル弱のティアラに対して一方のペインは1メートルにも満たない。そんな体格の違いからくる
体重差に、小さなペインの体はたちどころに悲鳴を上げた。
体の中にはミリミリと肉や骨とが引き伸ばされ軋む音が響き始めている。それに伴う、両肩の引きちぎられる
痛みにもペインは唇をかみしめた。
そして耐久の限界を超えた右肩は次の瞬間、外からも聞こえるほどに鈍い音を立ててペインの関節から外れた。
「あぐッ!? うわあああぁぁぁんッ!」
その痛み、そして衝撃に思わずペインは声を上げる。一方の、そこにぶら下がるティアラの体もガクンと一段、
大きく下がる。
それでもなお、
「あぐぐぐぐ……ッ!」
『ぺ、ペインくぅん……』
それでもなおしかし、ペインはティアラを離さなかった。
まさに引き千切られんとするその状況と激痛の中、それでもペインは耐えたのであった。
『ペイン君ッ、もういいよ! 放していいよッ』
そんなペインを見かね、その右腕に体を預けるティアラはそんな言葉を掛ける。
しかし、
「いいわけないよぉ……絶対に、離さないから、ねッ」
ペインは強く頭を振った。そしてなおかつ、心配してくれるティアラへと強がって笑顔を見せるのであった。
とはいえしかし現実は無常である――そんな笑顔(へんじ)を返した次の瞬間、残っていた左肩すらも外れた。
「うがああぁぁぁッ! あ、あぁ……ッ!」
『ペイン君ッ!』
もはや骨の支えをなくした体はただ筋と肉のみでティアラを吊るすのみ。このままではペインの小さな体が
その過重で引き裂けてしまうことは時間の問題に思えた。
『無理しないでペイン君! いいから! 本当にいいから!』
「くぅ……ダメ。……離せないよぉ。絶対に、離せさないッ……!」
『でも、でもこのままじゃペイン君、千切れちゃうよ。あたしなら大丈夫だから、もう放して』
「大丈夫なわけないよぉ……こんな場所から落ちたらティアラちゃん、死んじゃうのね。それだけは、それだけは……ッ」
両肩から体を引き離される痛みと疲労のピークの中、ペインの頭にはさながら走馬灯のよう故郷で過ごした
過酷な日々が蘇っていた。
辛い暮らしの中で、その環境の過酷さに淘汰され死んでいく仲間達をペインは幼い頃より見ていたのだ。
その中には親しかった友の姿があった――
「……もう……もういやなのよ……」
愛した女性(ひと)の姿もあった――
「絶対に、僕は許さないんだから! もう僕の目の前でッ、誰かが死んじゃうなんてこと許さないんだぁー!」
そして今、ティアラの命とを繋いでいる体と心の痛みとが同調したその瞬間、まるで傷みに泣くかのようペインは
空の彼方へと叫んでみせるのであった。
そんなペインの限界を見定めティアラは小さくため息をつく。
『ありがとね、こんなあたしにそこまで頑張ってくれて。……あたし、すごく嬉しいよ』
ティアラは場違いなほどに穏やかな声で、そんな感謝をペインに伝える。
『ごめんね、こんなに痛い思いさせちゃって。今、楽にしてあげるからね』
そしてそう微笑むとティアラは――両手でつかんでいたペインの右手を自ら放したのであった。
途端に重力が消えるその感触と目の前の谷底に落ちんとするティアラを前にペインは目を剥く。
「ティ……ティアラァァァァァァァアアアアアアア!」
そして谷底へいま落ちていく彼女を前に、この限りにその名を叫んだペインであったが、
「アアアアアアアアアアアアァァァァッ、……え?」
『あははは……』
その瞬間、目の前の光景にペインは眉をしかめた。
何もない断崖の彼方へ落ちたはずのティアラは――その淵から頭ひとつを出したまま、空中そこへ停止しているので
あった。
「ん? んんッ?」
身を乗り出して何度もそんなティアラを確認する。
飛んでいるとか浮かんでいるといった様子は見られない。まさに、落ちていかんとするはずの断崖のその向こうで、
まるで窓から顔を出すかのよう泰然とした様子で彼女はそこに在り続けるのであった。
『あー……ごめんねぇ。なんか』
そんなペインの様子に依然として口元に苦笑いを作りながら、なんとも申し訳なさそうに語りかけてくるティアラ。
『あのね、さっきは急すぎて伝えられなかったんだけど――』
「な、なぁに?」
『こっち側ってさ、そこからはうまく見えないけど、もう一段畑があるの。だからココから飛び降りたって別に
危険でもなんでもないんだ』
そんな彼女の言葉とそしてその事実にペインは愕然とした様子で口元を開ける。
一方のティアラも覗きこんでいるそこから横へスライドしたかと思うと、いとも簡単に元の畑へと歩み登って
くるのであった。
『ごめんね、あたしなんかのせいでケガさせちゃって。本当にごめんね』
そしてその傍らに着けてティアラもまた腰かけると、そんな呆然然自失としたペインに語りかけ謝ってみせる。
しかしペインは、
「はぁ〜……良かったぁ。崖じゃなかったのね」
そんな彼女の案じる自身のことよりも、ティアラが無事であったその事に大きく安堵のため息をつくのであった。
『そ、そんなにあたしのこと心配してくれたの?』
「あったりまえなのね。そっちの方がよっぽども大事なのよ」
『だけど君、両腕……』
ティアラに言われ、改めて自分の体を見下ろすペイン。
脱臼した両肩は糸の切れた道化人形のようだらりと地に落ちてしまっている。
「あぁ、そういえば。じゃあティアラちゃん、ちょっと右腕引っ張ってくれる?」
さも大したことではないといった様子で自分の体を見下ろすと、ペインは己の右手をティアラに取らせて力の
限り右腕そこを引き延ばすよう指示する。
やがては言われるがまま力いっぱいにそれを引っ張り上げるティアラ。それに対してペインも上手く関節の位置を
調整すると、自分からそれを体に納めて外れた間接を元に戻すのであった。
そうして両肩のそれを元に戻し、改めて大きくため息をつく。
「こうみえても風俗ライ……じゃなくて、学者さんになる前は傭兵とかしてたからね。この程度のケガなんて慣れっこ
なのよ」
『そ、そうなの? でもまだ両腕が上がらないみたいだけど』
「うん、ちょっとスジも伸ばしちゃったからねぇ。肩は嵌ったけど、しばらくは動かせないなぁ」
その事実に今度は小さくため息をつくペイン。言う通り、この両肩が動かせるようになるにはしばらくかかる
ことだろう。するとなると、ここから下山するのもこの怪我が完治してからだ。――例の雑誌への記事掲載は、
もはや絶望的に思えた。
しかし、
「――だけどさ、それでも僕は嬉しいのよ」
それでも、と顔を上げて笑顔を見せるペインにティアラは首をかしげる。
そして継げられる言葉に、
「だって、ティアラちゃんが本当に無事だったんだもん。これ以上に嬉しいことなんてないのね♪」
『ペイン君……』
そんな笑顔に、ティアラは胸の奥が熱く締め付けられるよう思いがした。
今日まで一人で生きてきたティアラが初めて感じる胸のときめき。彼女はまだ、この鼓動の意味を知らない。
愛しさに胸かきむしらんとするこの――誰かを『愛する』というその意味を。
ただ今はとてつもなくペインが愛しくなって、
「ん? うわぁぉッ♪」
ティアラはペインの顔へ口元を寄せると、その頬へキスをひとつした。
愛しむよう強く吸いつけて離れる唇。やがて改めてペインと瞳を合わせると、
『ごめんね、ペイン君。あたし、こんなことくらいしかお礼できないけど』
そう言って、はにかむそこへ申し訳なさそうに笑顔のひとつを咲かせるのであった。
そんなティアラに対し、
「そ……そんなことないよ! すごい嬉しいのね。ティアラちゃんにキスしてもらっちゃった〜♪」
ペインもまた満更でもないといった様子で瞳を輝かせる。
今さらではあるがペインは女の子が大好きだ。故に彼の行動原理はいかに『女の子の為に在れるか』ということを
基幹にしている。
それゆえに今のティアラのキスは――その純粋な感謝の行為は、何にも増してペインの中の『雄(おとこ)』を
満足させてやまないのであった。
『本当? あたしなんかのキスでもいいの?』
そんなペインの反応に驚いて、そしてそれがまた嬉しくてついティアラも聞き返してしまう。
「もちろんなのね♪ このキスの為ならさ、ティアラちゃんの為なら何だって出来るのよ、僕」
さらにはそう返してくれるペインが、もう自身では抑えられなくなるほどに愛しくなり――
『う〜……ペイン君ッ』
「うは〜♪ いや〜ん」
ついにティアラはペインを抱きしめて押し倒してしまうのだった。
そしてこそから何度もキスをして、存分に頬を擦り寄せてはペインを愛撫するティアラ。
そんな彼女の溢れんばかりの愛を一身に受けながら、
――もうちょっとここに留まっててもいいかな。
まんざらでもなく、ペインはそう思うのであった。
【 4 】
夕の食卓にはナイフの立てられた台形のチーズと山積みのロールパン。そして山菜のサラダのその隣に、
『はい、おまたせ♪』
立ち上がる湯気でその向こうが見えなくなるほどに温かいクリームシチューを一皿ティアラは置いた。
それらを前に大きく口を開けたまま、そこから垂れる涎も意に介さず食い入るよう見入るペイン。
『ごめんねー、お肉とか用意できなくて。こんな山だと魚もいないし鳥も少なくてさ』
そんなペインの前に、ティアラもテーブルを挟んで腰かける。
掛けられる言葉の通り、今日の食卓には肉の類は一つとして見当たらなかった。
しかしながらペインはそんなことなど一向に気にならない。
内に凝縮した旨みを主張するかのよう色濃く熟成されたチーズや、はたまたバターの照りを存分に輝かせた宝石の
ようなパン――そして何よりも、立ち上がる湯気を吸いこむだけで胸の奥まで甘い香りと味とが広がるかのような
シチューの料理それらは、今まで食べてきたどんなご馳走よりも今のペインの食欲を強く刺激するのであった。
「お肉だなんてとんでもないッ。これだけですごい美味しそうなのね! もう食べちゃダメ? 食べちゃダメ?」
喉の外へと込みあがってくるかのような食欲を抑えられないペインは、つい何度もティアラに確認してしまう。
そんなペインの様子にティアラも安堵のため息を小さくつくと、
『そう? うれしいな♪ じゃあたくさん食べてね』
そう言って笑顔を返すのであった。
「いただきまーすッ♪」
そしてお祈りもそこそこにシチューの皿へ鼻先を飛びこませるペイン。刺激された食欲は留まることを知らず、
無意識に体はその口元をシチュー皿へと飛びこませたのであった。
途端にシチューの熱と香りが頭の中を駆け抜ける。
想像通りのその味――否、想像をはるかに超えた豊潤な甘みのシチューにペインの意識は忘我に達する。
ティアラの料理の腕もあるのだろうが、何よりも絶品と思われたのはこれの材料に使われているであろうミルクと
思われた。ここまで濃厚で、それでいて後味にしつこさや厭味な香りが残らないそれは、今までに飲んだこともない
未知のミルクそれである。
と、
――あれ? でも、お乳出せるような家畜っていたっけ?
ふとペインはその事に気付く。
考えるとおり、今日一日ティアラに共だって彼女の畑や村の跡地を回ったペインではあったが、そこには
農作物こそあれど生乳を出せるような家畜・山獣の姿は微塵として見られなかった。
しかしながらそんな疑問に捉われたのも一時のこと、すぐさまペインの疑問は押し寄せる食欲に流されて、
再び食事に失心していく。それほどにこのシチューはペインを魅了してやまないのであった。
『あーもう。お顔がシチューだらけだよ、ペイン君』
そんな様子を見守っていたティアラは、依然として犬食いを続けるペインへ苦笑いげに語りかける。
「んあ? うわわ、ごめんねぇ」
その声に我へと返り、顔を上げて謝ってははにかむペイン。
そんなペインの顔がこれまた額までシチューまみれになってるのを確認し、ついにはティアラも笑い出してしまう
のであった。
「あちゃー、恥ずかしいのね。ごめんね、お行儀悪くしちゃって。でも本当に美味しくてさ、つい夢中になっちゃったのね」
『ありがと、そう言ってもらえるとあたしも嬉しい♪ それに、よくよく考えたら今のペイン君、両手が
使えなかったもんね』
言われて自分の体を見下ろすペイン。
昼頃に脱臼した両腕は、首からぶら下げた三角巾二丁でさながら腕を組むかのよう吊り下げられている。大した
怪我ではないのだが、それでも脱臼直後とあってはまだ動かすことがままならない。
そんなペインの隣にティアラは席を着けたと思うと、
『食べさせてあげるね。欲しいものとかあったら言って』
手に取ったパンを一つまみむしり、それをペインの口元へ運ぶのであった。
そんなティアラからのパンを前に、ペインは大きく口を開けるとその指先と一緒に丸々口の中に咥えこむ。
そうしてパンを舌先で絡め取った後は唇を立ててティアラの指先を味わってくる感触に、
『んふふふッ、くすぐったいよぉ。ペイン君』
ティアラはコロコロと笑い出してしまうのであった。
「んん〜、ぷは。だってティアラちゃんの指も美味しそうだったんだもん」
『もう、だからって食べちゃダメでしょ。いけない子なんだから』
口では窘めながらもまんざらでもない様子で額を押し付けてくるティアラに、ペインも同じく額や頬元を擦り
寄せては仔犬が甘えるかのように応える。
かくして蜜月の内に終わる二人の食事。
食器の片付けも終わり、再びテーブルに着いて向かい合ったその時であった。
「ん、んん……んぅ〜……」
どこかペインの様子が落ち着かないことにティアラは気付く。
そわそわと身をよじらせ、時おり視線を宙に投げだしては小刻みに体をゆするその様子に、
『どうしたの、ペイン君? 気分でも悪いの?』
ティアラはペインの身を案じて声をかける。
「えッ? あ、あぁ……なんでもない。なんでもないのよッ」
そんなティアラの声に一瞬、両肩を跳ね上がらせたペインはそう笑顔で応えて姿勢を取り繕う。
しかしそん態度にティアラはむしろ、彼が何か隠しているであろうことを確信する。
『ペイン君、そんな態度じゃ何か隠してるのがバレバレだよ。本当にどうしたの? 何かあたしに話せないこと?』
テーブル越しに身を乗り出してくるティアラを前に、ペインはそんな彼女を見つめたまま小さく息を飲む。
そしてしばしもごもごと口籠った後、ペインはその理由を恥ずかしげに告げるのであった。
「あのね…………オシッコしたいの」
『オシッコ? そんなことで?』
その理由を聞いてティアラも気の抜けた声を上げる。
『なにも我慢することないよ。すぐにしてきたら?』
そして当然のような言葉をかけるティアラであったが、それに対するペインの表情は先ほど以上に困惑に眉を
しかめたものとなっていった。
「あ、あのね……すごく恥ずかしい話なんだけどね、僕のその……おチンチンって、普段は毛皮の奥に隠れてるの」
『ふんふん、それで?』
「それで、オシッコの時には自分で取り出すんだけども……ほら。今さ、両手がコレでしょ?」
三角巾で吊り下げられた両腕と自分とを交互に見つめてくるその視線に、ようやくティアラはペインが困惑している
理由を知る。
『そっかぁ。今のペイン君って、自分でオシッコが出来ないんだね』
「ピ、ピンポ〜ン。その通りなのね」
ようやくそのことが伝わり力無く笑うペイン。それが伝わったからといって、何も問題は解決していないのである。
そしていよいよ以て強まる尿意に苦悶の表情を見せたその時であった。
『じゃあさ、あたしが手伝ってあげるよ。ペイン君のオシッコ』
そんな突然のティアラの申し出に、その一瞬ペインは尿意も忘れて呆ける。
しかしすぐにその意味を理解すると、ペインは激しく頭(こうべ)を振ってそれを拒否するのであった。
「だ、ダメなのよ、そんなこと。さっきも言ったけど、僕がオシッコするためには、その……チンチンを取り出さなきゃ
いけないのよッ?」
まさかそんな行為を堅気の娘さんにさせるわけにはいかない――ペインはそんな想いからもティアラの申し出を激しく断る。
『んもう、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。そのまま我慢し続けたら体に毒だよ』
しかしティアラとて退かない。やがては立ち上がりペインへ近づいたかと思うと、軽々彼を抱きあげてティアラは
小屋の外へ出るのであった。
そうして小屋の裏手にある草むらまでペインを連れてくると、刺激をしないよう静かにそこへ着地させる。
かすかに冷気を含んだ外気(かぜ)と草むらの眺めにペインの中の排泄感はいよいよ以て刺激される。
そして激しく痛み始める下腹部の痛みについには、
「うう〜………ごめんなさい、ティアラちゃん。僕のオシッコ、手伝って」
『もう。最初っから遠慮なんてする必要ないのに』
涙目でそんなお願いをしてくるペインに、ティアラも小さく苦笑いを漏らすのであった。
かくしてペインを草むらに向かって立たせると、ティアラは慎重な手つきでその腰元を探っていく。
指先で触れるペインの腰元は予想以上に毛並みが厚くそして深い。探るように指先を潜らせると爪の根元までが
すっぽりとその中に埋まってしまった。
『どこらへん? ペイン君、誘導して』
「う、うん。もうちょっと右」
確認しながら指先でまさぐるティアラの動きにペインも細かく指示を出していく。
「あ、今ちょこっと触れたのね」
『え、どこ? こっち? それともココ?』
「あ、うあぁ……指先が当たってるのよぉ」
ペインの反応を見ながらそれを探すティアラではあるが、未知の他人の体であるということもあり、それを探る
彼女の指は何度もその先端をかするばかりで、一向に「本体」へは辿り着けない。
そしてそんな彼女からの手の動きに、やがては排尿ともまた違った変化がペインの体にも現れる。
『あ、何か当たってるねぇ、もしかしてコレ?』
「んぅ、あうんッ。あんまりじらさないでぇ……」
『待っててね、ペイン君。今、オシッコさせてあげるからね』
「ち、違うのぉ。そうじゃなくて、別の意味で危なくなっちゃってるのね」
ペインの語りかけにもしかし、それを探すことに夢中になってしまっているティアラにはその言葉が届かない。
そしてついに目的の本体を探り当て、
『あ。あったぁ。これだッ』
つまみ上げたそれを、強く引き抜いたその瞬間――
「だ、だめぇッ。大きくなっちゃう!」
『え?』
ティアラの目の前に、今まで探しだすのも困難だった筈のペインの陰茎が大きく肥大して飛び出すのであった。
依然としてティアラの手の中で大きく脈打つそれ。捌いたばかりの精肉のように赤くズル剥けてぬめりを帯びた
それにティアラは驚きと物珍しさから釘付けになる。
そして一際強く痙攣したかと思うとペインのそんな陰茎は、その先端から激しく放尿の飛沫を噴き上げるのであった。
「ふ、ふわあぁ〜……ッ!」
純真無垢な女の子に対し、何というものを見せてしまっているのかという葛藤もあるがしかし、今まで我慢し
続けてきた括約筋の限界とそして排泄感に、ティアラの手の中で排尿するその勢いは留まるところを知らなかった。
何度も尿道を太く隆起させながら送られ続ける尿――やがて、その小さな体からは信じられない量のそれを
すべて出し終えると、その脱力感とそして罪悪感にペインは大きくため息をついて頭をうなだらせるのであった。
しかしそんなペインとは裏腹に――ティアラは未だに彼の性器そこから目を離せないでいる。
依然として手の平の中に在り続けるそれは、排尿と共にその大きさを縮めてはいたものの、時おり熱く脈打つ
その存在感はなぜかティアラを魅了してやまないのであった。
そしてそんな陰茎を見つめたまま、
『すっごいね、ペイン君の……いっぱい出たね』
感心するようそんな言葉がティアラから出されたその瞬間、
「う……うわぁ〜ん! ごめんなさ〜いッ!」
ペインはそんなティアラを振り切って走り出していた。
何気ないそんな乙女(ティアラ)の一言に、ついにはペインの羞恥心とタブーに耐える心とが限界を迎えたのであった。
『あ、ペイン君!』
泣き声をこだまさせ、暗闇の山道の中をどこへ向かうともなく走り去っていくそんなペインの後ろ姿にティアラも
右手をのばす。
しかしすぐにそんな彼の姿も闇の中に消えるのを見送ると、差し出していたそれを下ろし大きくため息をつくので
あった。
暗がりに一人座り込むティアラの手の中には、未だにあのペインの茎の感触と温度とが残っていた。
やがては再び手の平を見下ろし、ティアラはそこにあの陰茎の姿を思い重ねる。
そして空想の中のそれに頬擦るかのよう手の平を頬に当てると、
『あれが、男の子かぁ……』
ティアラは人知れず熱いため息をついて、高鳴る鼓動の余韻を味わうのであった。