「さぁて、美味しくいただくわよー。」  
お前、口の端から涎をこぼしそうだぞ、と突っ込もうと思ったがやめておいた。  
何せ、その相手は俺の体の上に圧し掛かっているのだ。しかも力も強い。  
あまり刺激しない方がいいかもしれない、というなんとも弱気な思考が浮かぶ。  
…俺は、何でこんな状況に追い込まれているのか。  
 
窓の外には、気味の悪いくらいまん丸な月が浮かんでいる。  
そうだ。この月のせいだ。目の前にいる恋人がここまで欲情してしまっているのは。  
元々、イヌヒトは満月ってやつに異様に興奮する。他の種族に比べても特に社会的で  
おせっかいなあいつらが、近所迷惑も考えずに遠吠えしだすのだ。  
まして、彼女はあいつらよりさらに野生に近いオオカミヒトだ。  
無理もない、といえば無理もないのだが、今の俺の立場からしたら勘弁してもらいたい。  
 
「…ねぇ、今日誰とあったのよ。この部屋香水の匂いしてる。それに、アンタが  
ネクタイしてるなんて珍しい。」  
「今日は依頼人が来てたんだよ。旦那の浮気調査をして欲しいっていうケバいチャウチャウだ。  
俺も一応依頼人と会うときは、ネクタイぐらいはする。」  
「ほんとでしょうね?」  
俺の鼻ではもう匂わないのだが、彼女の鼻には嗅ぎ取れるらしい。  
イヌヒトに多い黒いつぶらな目とはまったく違う、青い三白眼で彼女が睨み付けてくる。  
さっきまで欲情してたかと思えば、激しい嫉妬をしてきたりもする。ほんとに勘弁してくれ。  
食欲まであがってるんじゃねぇんだろうな。こんな形で食い殺されたらシャレにならない。  
 
大体、嫉妬なんてくだらんことをするのは、イヌヒトやオオカミヒトの悪い習性だ。  
俺のようなネコヒトはそんな無駄で疲れるようなマネはしない。そこまで興味がないからだ。  
他人が何をしていようと知ったことではないし、相手が冷めたなら別れて別の奴を捜す。  
恋人にふられたからってキャンキャン泣き喚くようなイヌヒトの神経は理解しがたい。  
まぁ、その執着心が強い、という性質のおかげで俺の仕事が成り立っているという所もあるが。  
今回の仕事も、旦那の浮気が気になるというイヌヒトからの依頼だった。  
今晩は帰って来れない、という旦那からの連絡を受けた依頼人が俺に連絡をしてきた。  
今日は満月。旦那も盛って浮気相手とどこかにしけこむつもりでいるのだろう。  
俺はそれをつけながら、写真でも撮ればそれで仕事は終了。楽な話だ。  
というわけで、俺はさっさと仕事に行きたいのだ。  
 
「レイコ、俺は今晩仕事があるんだ。悪いが付き合っていられない。」  
「えー、この前もそうやって逃げたでしょう?私は明日非番だから、今晩はずーっぅと  
あなたのところにいられるの。だから、今日は逃がさないわ。」  
お前が明日非番だろうが、俺の仕事は今日を逃せばいつまで伸びるか分からない。  
大体、今晩ずぅーっとって何だ。何時間やりつづけるつもりだ。仕事どころじゃなくなる。  
俺は少々怒りと寒気を感じてきたので、そろそろ本気で拒絶することにした。  
いくら相手がオオカミヒトとは言え、思い切り力を入れればどかすことぐらいできるだろう。  
レイコは怒るだろうが、知ったことか。  
 
そう思い手に力をこめたが、読まれていたらしい。先手を打たれた。  
それも、決定的なやつを。  
「これ、なーんだ?」  
ポケットに左手を突っ込み袋を取り出すと、右手にサラサラと中の粉をふって取り出す。  
この匂い、この感覚は…まさか…かつて一度だけ経験させられたことのある…  
「マ、マタタビ!?」  
「正〜解〜。」  
 
ネコヒトの正常な感覚を奪う、悪魔の粉。快感の渦に飲み込まれるのを防ぐのは不可能だ。  
あまりに効力が高いため、麻薬として扱われ、使用も所持も厳禁のはず…  
「えへへへ、何でこんなもん持ってんだ、って言いたいんでしょ?  
この前生活安全課が取り締まりで押収してきたやつをちょっとくすねてきたのよ。」  
 
なんちゅう不良刑事だ。オオカミヒトはイヌ族の中でも社会性と攻撃性を併せ持つ種族なので  
彼女も刑事という職についてるのだが、どうも倫理観というやつは欠如してるらしい。  
そんな考えが頭に浮かぶのも一瞬だった。マタタビの誘惑が俺の理性を持っていく。  
全身が熱く、むずがゆくなってくる。今すぐに裸になって転げまわりたい誘惑を、  
何とか手を思い切り握って爪を刺す痛みでこらえている。  
 
「う…あ……にゃ…」  
「あ、今『にゃ』っていったでしょ。『にゃ』って。」  
ああ、ついついこらえていた声を上げてしまった。  
畜生、何で30を超えた男が今更『にゃ』などという声を上げねばならんのだ!!  
「今日は、ものすごーく気持ちよくしてあげるから。ね?」  
甘える目なのか、獲物を目の前にした時の目なのか、もう判別のつかない目でこちらを見ながら、  
彼女が俺の股間に手をかける。無常にもジッパーが下ろされ、俺の屹立したモノが取り出される。  
 
俺はどうなってしまうんだ?誰か、助けてくれ…。  
 
「う…あ…」  
頭の中が痺れる。酒を飲みすぎたときにも痺れるような感覚に襲われることはあるが、  
それの比じゃねぇ。「気持ちいい」という感覚以外が頭ン中から抜けちまったみたいだ。  
 
「気持ちいいでしょ?こーんなに固くなってるもんね?」  
レイコが天を貫きそうな勢いの俺の男性器に手を触れる。  
はい、気持ちよくなってます。120%です。耐えるだけで腰がつりそうです。  
「これじゃつっぱちゃって苦しいわよね。一度抜いてあげる。」  
やめろ、と言いたいのだが、もう言葉を出すことすらできない。  
口を開けると、空気が入ってくるというその感覚すら気持ちいいのだ。俺、壊れるんじゃないか?  
 
「ふふふ、さっそくいただくわね?」  
 
いただかれた。カプッといただかれた。  
押し倒されているので体勢を変える暇などなく、俺のモノが彼女の口の中に包まれる。  
温かい口の中に放り込まれたその快感が、脳みそにダイレクトに熱として伝わってくる。  
 
「うあああああああ!」  
「ふひゅふ、ひもひいひれひょ?(ふふふ、気持ちいでしょ)」  
 
人のモノを口に入れながら喋るんじゃねぇ!振動が伝わってくるだろうが!  
そんな言葉を口に出せるはずもなく、彼女の攻勢は続く。  
口に含んだまま頭を上下に動かして、擬似挿入のような感覚を俺に与えてくる。  
その上、犬歯がほんの少しカリに当たっている。緩やかに、快感を与える程度に。  
畜生、うまい。前にもやってもらったことがあったが、今回はこのうまさが憎い。  
 
ちゅぷ、ちゃぷ。  
音が響くたび、俺の自制心が粉々に砕け散っていきそうになる。  
 
「ううううう…。」  
舌を歯で軽く噛んでどうにか快感から逃れようとしているのだが、どこまで持つか。  
いっそのこと、このままレイコに抱かれちまった方が楽なんじゃないか?  
そうだそうだ。今月は何も金に困っちゃいない。仕事が多少遅れても大丈夫。  
たまには女に喰われちまうのもいいじゃない。このままめくるめく快楽の夜を…。  
 
「うひゅひゅひゅひゅひゅ♪(うふふふふふ♪)」  
俺の意思が陥落しそうになったことを見透かしたように、彼女が哂う。  
そのおかげで、消えそうになっていた俺の理性が少しだけ戻ってきた。  
ネコヒトの意地。  
強い奴相手にはとっとと逃げるに限るが、決して誰にも服従はしない。  
 
それを思い出した俺は、押し倒された時に落ちた書類に手を伸ばす。  
レイコの顔が見えないように書類を目の前にかざし、内容を読むフリをする。  
もちろん、読む「フリ」だ。こんな状況で文章が頭に入るワケがねぇ。というか、手も振るえそうだ。  
しかし、ここで手が振るえでもしようものなら、それは彼女に対する「服従」になる。  
残りわずかな理性を総動員して、俺は書類を読み進めるフリを続ける。  
 
「っは…。それ、私に抵抗でもしてるつもり?」  
 
彼女がモノから口を離し、俺に対して不満げな声を出す。しかし、俺は無言のまま答えない。  
男性器が温かい口から突然外に出されたせいでちょいと危なかったが、何とか達しなかった。  
後は、マタタビをふりかけられることに気をつけさえすれば主導権は握られないだろう。  
このまま拒否して、彼女を帰らせよう。今からなら仕事に出ても間に合う。  
直後に、そんな考えがどれだけ甘かったかを、俺は思い知ることになる…。  
 
「じゃあこれはどうかなーっと。」  
「何!?うわっ!」  
彼女が俺の脚を2本とも持ち、上に上げさせる。上半身は床に倒れたままなので、  
非常に恥ずかしい姿を彼女にさらすことになってしまった。ちょっと死にたい。  
書類も床に落としてしまった。俺の精神を守ってくれるものはもう何もない。  
「なっ、に、すんだ。おいっ…!」  
「へへへ、ここ弱いだろうな、って思って。」  
そういうと、彼女が俺の一部分を甘噛みした。俺の尻尾の付け根を…。  
 
「うにゃああああああああああああ!?」  
 
盛大な鳴き声を上げてしまった。  
最大の弱点。今まで何度か夜を共にしたが、決してそこは触らせなかった。  
なのに、こんな時に責めてくるなんてムゴすぎるんじゃねぇか?  
「うにゃあああああああああ…」  
もう声を制御できない。  
そんな俺の声を聞いて、彼女は付け根から口を離し、俺に顔を向けてくる。  
手で俺のモノを包み、しごく。唾液がついていたせいもあってとてもスムーズだ。  
 
もう、イキそうだ。  
ごめんな、俺のネコヒトとしてのプライド…。  
 
「あ、なんかもうダメそうね?もうイっちゃう?」  
彼女がこれ以上ないというくらいの笑顔でこちらを向く。尻尾を千切れそうなほど振ってやがる。  
ムカつく。最ッ高にムカつく。  
今彼女は心の底から楽しんでるということが伝わってくる。それは別にいい。  
だが、何で俺がそのためにこんな痴態をさらさにゃならんのだ!  
 
俺は、仕事で脅しの時に使う本気の目で彼女にことを睨み付けた。  
瞳孔が縦に狭まり、軟弱なネコヒトなら震え上がるような目を作る。  
刑事として犯罪者に立ち向かう彼女にどこまで通じるか分からないが、  
何か抵抗をしないと気が収まらん。  
 
 
快楽におぼれそうになってるはずなのに、それでも彼は私に拒否の目を向ける。  
(これこれ、これが見たかったのよねー♪)  
快楽に必死に耐えるエリウッドの顔を見ると、自分の心が満たされていくのが分かる。  
苦しめてやりたいわけじゃない。ただ、快楽から逃げたいのに逃げられない、  
自分から逃げようとしているのに逃げられない姿が見たかった。  
 
私はちょっと、というか大分、Sが入ってるんだろう。  
前に付き合った男とも、こんな風に服従させるようなセックスをするのが好きだった。  
だけど、相手がイヌ族ではどうしても満足ができなかった。  
何せ、あいつらときたら服従することになーんも抵抗感が無かったりするのだ。  
命令しても目隠ししても縛ってもキャウンキャウン気持ち良さそうに鳴くだけ。  
鞭を使おうとしたことまであったんだけど、相手の男が期待に震えるような目で  
こちらを見てきたことで、なんか冷めてしまった。私が見たいのはそんな目じゃない。  
私に抵抗感むき出しで、噛み付いてきそうな目。  
なのに、どうしようもなく快楽を受け入れるしかない悔しさをにじませた目。  
 
色んなことがあって、エリウッドと付き合えるようになってからこんな機会をずっと狙っていた。  
Mなやつというのは、基本的にはマザコンなのだということを聞いたことがある。  
誰かに服従したいというのは、自分のことを庇護してくれる人間を見つけたいということでもある。  
逆に、マザコンのケなんかまったく無い男。探偵家業なんて営んでて、俺は人に一切頼らず  
生きてます、他人なんか必要ありません、って雰囲気を出してるネコヒト。  
そんな男をいぢめてやったら、どんな気分になるんだろう?  
 
期待をまったく裏切らない彼を見ていると、心が歓喜で震えている自分が分かる。  
ああ、あのまん丸なお月様に向かって吼えたい。私はいま、最高の獲物を狩りました。  
 
「大好きよ、エリウッド。」  
 
 
やっぱり、無駄だった。レイコを喜ばせただけだった。  
俺は人生でこれまで感じたことが無い程の無力感を感じつつ、彼女の手の中で達した…。  
 

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