〈3〉逃避  
 
 それからしばらく後の、ある日の昼下がりのことだった。  
 先だって使いに来た王女の侍従が、今度は血相を変えて司祭館に駆け込んできた。  
「エレーナ様は、こちらにお越しではありませんか」  
 いいえ、と神父が答えると、侍従は頭を抱えて「ああ……」と悲痛な声を上げた。  
 老練の侍従らしからぬその狼狽ぶりに、神父はただ事ではないと直感した。王女が婚礼の  
ために隣国へ出立する日は間近に迫っているはずだ。  
「姫様に、何があったのですか」  
 聞けば、今日の午前、気晴らしにと馬で散策の途中に、王女が供の者たちの目を盗んで  
姿をくらましたのだという。現在、王宮の者が手分けして探しているが、未だに王女の行方は  
つかめていないという。  
「あれ以来、以前とお変わりないご様子で、もうお覚悟を決めて、お心も落ち着かれたものと  
 思っていたのです。まさか、こんなことをなさるとは――」  
 侍従はよほど慌てていたのだろう、家政婦がそこにいるのも気づかなかったのか、一気に  
まくし立ててから、しまった、という表情になって、  
「このことは他言無用ですぞ」  
と慌てて念押しした。図らずも極秘事件のいきさつを聞いてしまった家政婦は、慌てて、  
もちろん、とばかりに力強く首を縦に振った。  
 
 侍従が帰っていったあと、家政婦は悲痛な面持ちで言った。  
「姫様も、ほんにお気の毒に。思いあまってのことでしょうねえ……」  
 神父は無言だった。  
 ――「思いあまって」?  
 そんなことをなさるお方だろうか。ならば、この間の、あの吹っ切ったような言葉はいったい  
何だったのだろう。それに、発作的に逃げ出したところで、国内では捕まるのは時間の問題だ  
ということは、王女自身がよくわかっていそうなものだ。  
「いくら高貴なお方の宿命とは言え、よりによって、あんな下劣な、しかも、仇のところへ  
 嫁がされるなんて! 姫様がおかわいそうでなりませんよ。ええ、ええ、国の誰もが、  
 そう思ってますよ」  
 家政婦は、まるで自分の実の娘の不幸を嘆いているかのようだ。彼女はこの理不尽な婚姻への  
怨嗟をひとしきり吐き出したあと、今度は神父に恨めしげな眼差しを向けた。  
「今だから申しますけどね、神父様。姫様は、あなたのことを好いていらしたんですよ」  
「……そんなはず、ありません」  
 神父は嘘をついた。  
「いいえ、そうに違いありません。神父様はどう思ってらしたか存じませんけれど、ここへ  
 お見えだったときの姫様のあのご様子、あれは、心を許した相手にしか見せないご様子ですよ」  
 神父は黙ったまま、否定も肯定もしなかった。  
「たとえ許されぬ思いだとしても、好いた殿方がいるってのに、嫌いな相手のところへ無理矢理  
 嫁がされるなんて、若い娘さんにとってこれ以上辛いことはありませんよ。そりゃあ、発作的に  
 逃げ出したくもなるってもんです」  
 家政婦はいつになく饒舌だ。  
「ああ、どうしましょう、もしや姫様は、世をはかなんで――」  
「あの姫様に限って、そんなことはありません」  
 神父は静かに、しかし厳しい迫力をもって、そう断じた。  
「ご自分で命を絶たれるような、弱いお方ではありません」  
 それを聞いて、家政婦はワッと泣き出した。  
「申し訳ありません……そうですよね、そう、そうですよね」  
 神父は家政婦の肩に手を置いて、彼女を宥めた。  
「大丈夫ですよ。姫様は、きっとご無事です」  
 家政婦はハンカチで顔を覆ったまま、「ええ、ええ」と何度も頷いた。  
「もしかしたら、心当たりがあるかも知れません。私も姫様を探しに行ってきます」  
 そう言うと、神父は急いで外出の支度を始めた。夏が近いとはいえ、夜はまだ冷える。途中で  
野宿になるかもしれない。家政婦には道中の食料の支度を頼み、自分は馬の用意を始めた。  
「神父様、お願いしますよ。きっと、姫様を捜し出してくださいまし」  
「ええ、必ず見つけてきます」  
 神父は夜道に必要な手提げランプや外套、毛布などを馬に積んだ後、家政婦が用意してくれた  
パンとチーズの包みと水筒を携え、長い僧衣の裾を軽くたくし上げて鞍にまたがった。  
「明日になっても見つからなければ、また連絡します。私が留守の間、あとをお願いしますよ」  
「ええ、ええ。それはご心配なく。どうかお気をつけて、神父様」  
 
 
 神父は侍従から聞いていた手がかりを元に、王女の足跡をたどることから始めた。意外だったのは、  
発作的な脱走ではなく、いくらか計画的な脱走らしいということだった。王女は逃走後に夜食と  
明かりの調達をしていた。ということは、供を連れての乗馬には本来不要な路銀を用意していた  
ということである。  
「ええ、確かに、黒い馬に乗った、身なりの良い、明るい色の髪の若い女性でした」  
と、都の城門のすぐ外にある商店の主人はよく覚えていた。顔をヴェールで覆っていたとはいえ、  
馬に乗った貴婦人がたった一人、食糧や手提げランプなどを買い求めれば、嫌でも目立つ。  
 ただ、そこから先の王女の足取りがつかめなかった。いや、正確には「つかめない」のではなく、  
「手がかりがありすぎる」のだった。どうやら王女は、追っ手を攪乱するためにわざとあちこちに  
バラバラな手がかりと痕跡を残していったらしい。  
「姫様らしい」  
 幼い頃、城やその周辺で探検をするときにも、危ないからおやめなさいと追ってくる大人たちを  
攪乱するために似たようなことをなさっていたなと、神父は懐かしく思い出した。  
「ということは、やはり、そういうことなのかな」  
 神父はそう独り言を呟くと、自分の故郷の村に向けて馬を走らせた。  
 
 村への街道をしばらく進んだが、その道中ではこれまでとは逆に、王女の痕跡は見当たらなかった。  
 普通ならば見込みなしとあきらめるだろうが、かえって神父は確信を強めた。  
 さらに数時間経って、神父の故郷の村が見えてきたが、彼は村には立ち寄らず、村を見下ろす  
丘の上に建つ、かつての夏の離宮を目指した。  
 久しぶりに近くで見た丘の上の城は、たった数年の間にずいぶんと傷んで見えた。遠目には  
分からなかったが、数世紀前に建てられた由緒ある城壁の一部などは石積みが崩れ、塔の壁には  
植物の蔓が手入れされないままに蔓延っている。戦争のせいで、城の改修も途中で捨て置かれた  
ままになっているのだ。そんな有様だったので、留守居役らしき者は、城門の手前の小屋で  
番をする男とその家族くらいのものだった。  
 神父は誰か城に立ち寄っていないか、番人に尋ねた。  
「いいえ、どなたもお立ち寄りになった形跡はございませんよ。少し前にお見えになった  
 お役人様にも、同じことを聞かれましたが」  
「そうですか」  
 神父はそう言って、一旦は村へ戻るような様子を見せた。が、自分の姿が番人の視野から  
消えたことを確認すると、馬を返し、脇道を使って城の裏手へと回り込んだ。  
 ――たぶん、この辺りに……。  
 案の定、城の裏手にある小さな森の中で、王女の馬が、隠すように繋がれていた。  
 神父は自分の馬もそこに繋ぐと、荷物を降ろし、辺りを注意深く観察した。馬が繋がれている  
場所から、誰かが下枝を踏み折って行った跡が見て取れた。その先には、修復中の古い塀が崩れて、  
人が入り込める箇所があった。  
「やっぱり」  
 神父は崩れた石塀を乗り越えて城の敷地内に入り、目の前にそびえ立つ古い塔を見上げた。  
子供の頃、王女と一緒に探検し、夕日を眺めた塔だ。  
 こちらも管理は杜撰で、入口の木の扉は鍵がこじ開けられていた。  
 塔の中に差す光は乏しく、外の日もすっかり傾いている。神父は持参した手提げランプに  
火を点すと、塔の中に入り、薄暗い螺旋状の石段を上へ上へと登っていった。  
 コツ…ン、コツ…ン、と神父の靴音が響き渡る。  
 最上階には小部屋がある。子供の頃の記憶のままだ。その扉もまた、鍵が開いていた。  
 子供の頃に感じたのとは別の緊張感を覚えながら、少し重たいその扉をゆっくりと開ける。  
 夕暮れの光がまぶしく差し込む明るい小部屋。  
 果たしてそこには、王女がいた。  
「思ったより早く見つかっちゃったわね」  
 王女はまるで神父が来るのをわかっていたかのように、そう言って微笑んだ。  
 
 王女は簡素な夕食を終えたところのようで、床の上に置かれたバスケット――これも道中に  
買い求めたようだ――の中には、パンの欠片やハムにチーズ、果物の残りがあるのが見えた。  
その横には小さなワインボトルまである。殺風景な石造りの小部屋の中で、王女の周辺だけが  
不釣り合いに華やいだ色彩で、まるで楽しげなピクニック風景だ。  
 王女はありふれた形のグラスにワインを注ぐと、それを神父に勧めた。  
「あなたも一口、いかが?」  
「いえ、結構です」  
「あら、そう」  
 
 神父が断ったので、王女はそれをクイッと飲み干した。そして手元の小さなポシェットから  
ハンカチを取り出して、上品に口をぬぐった。  
「知らなかったわ。金貨一枚で、ずいぶんいろいろ買えるのね」  
 なんとも王女らしい発言である。初めての自力での買い物だったのだろう。  
 王女は道中で買いそろえたものの他に、塔や城内の他の部屋から毛布や枕などいろいろと  
失敬してきたようで、もちろん王女の宿としてはあり得ないほど粗末な部屋だが、野宿よりは  
はるかに快適な状態にしてあった。  
「用意周到ですね。最初からここに泊まるおつもりでしたか」  
「ええ。だって宿に泊まれば、すぐに見つかってしまうもの。今頃は、国中の宿場町に  
 手が回っているでしょうね」  
「……でしょうね」  
「せめて日が落ちるまで、見逃してくれない?」  
「そういうわけにはいきません」  
「でも、いま私が村へ降りていけば、程度の差はあれ、騒ぎになるわよ? 騒ぎになれば、  
 どうして王女がこんなところに?と誰もが訝しむわ。婚儀を目前に控えた王女の脱走騒動が  
 国の内外に知れてしまうのは、父上もお望みでないと思うのだけど?」  
 確かに王女の言うとおりだ。もうすぐ日が暮れる。女連れで夜道を都まで戻るのは危険だから、  
どこかで宿を取らねばならない。時間や距離を考えると、ここから一番近い村の旅籠になる。  
王女の顔は村人にもよく知られている。小さな村だ。噂はあっという間に広がるだろう。  
「そうだわ、いっそのこと、わざと出向いて行って『私はエレーナ王女よ! 駆け落ちの最中  
 なんだから、邪魔しないで!』って大騒ぎしてやろうかしら?」  
「そんな、姫様」  
「嘘よ、嘘。そもそも、一人で駆け落ちも何もあったもんじゃないわ。ああ、それとも  
 エマヌエーレ神父、あなた、一緒に駆け落ちしてくださる?」  
「なっ――」  
 思わず絶句した神父に、王女はコロコロと笑いながら言う。  
「冗談よぉ、冗談! できっこないって、それくらい、私だってわかってるわ」  
「……姫様」  
「あ、まさか、ちょっと期待した? いけないわねえ、神父様が――」  
「姫様!」  
 神父は一喝した。痛々しいほどに不自然な明るさで吐き出される、皮肉と毒舌の言葉。  
いつもの彼女からはおよそ考えられない、その悲しい暴言を止めるために。  
 そして、神父は悲痛な思いに顔をゆがめながら、愛しいひとを抱きしめた。  
「わかりました――もう、わかりましたから」  
 神父の腕の中で、王女は空虚な笑みにこわばった顔を歪ませる。瞳からは次々と涙がポロポロ  
こぼれ、ついに彼女はワッと声を上げて泣き出した。  
「ごめ…っ……なさい、ごめんなさい……ごめんなさい…っ」  
 王女は号泣しながら、神父に謝り続ける。  
「いいんです。いいんですよ」  
 壊れかかった、気高い王女の心――。どうにかして、救いたい。  
 しかし、いったい自分に何ができるというのだろうか。いったいどうすれば、彼女の心を  
癒すことができるのだろうか。  
 神父は彼女を抱く腕に、さらに力を込めた。  
 何の力も持たな自分だけれど、できるなら、彼女の望みならば何でも叶えてあげたい。  
「……ここからの夕日を、もう一度、ご覧になりたかったのでしょう?」  
 王女はこくりと頷いた。  
 幸福だった、幼い日の、美しい思い出。最後にそれをもう一度見たいというのが、彼女の  
ささやかな願いだった。  
「わかりました。その代わり、私もご一緒いたします」  
「……いいの?」  
「良いも何も、こんなところに、しかも夜中に、あなたをひとり残していくわけにはいかない  
 でしょう?」  
「ありがとう」  
 王女は目を閉じて、安らかな微笑みを浮かべた。  
「私、やっぱり、あなたを待っていたんだわ」  
 
 神父は、この日この場所で見た夕暮れを、生涯忘れることはないだろう。それは、王女も  
同じだった。  
 二人は塔の四角い小窓から夕陽を見つめ、その色に染まりながら、ただじっと、太陽が  
ゆっくりと沈んでゆくのを見送った。  
 
 丘の下からはカーン…カーン…と村の教会の晩鐘が聞こえ、遠くで飼い犬が吠える音が  
聞こえた。ツバメがチュピチュピチュピと忙しなく飛び交いながら鳴くのも聞こえる。  
 西の空は最初は白く、徐々にオレンジ色に染まり、その中心に黄色く輝く太陽があった。  
その炎の球が静かに地平線の向こうに消えると、天と地の境目に光の帯が現れ、やがて辺りを  
紫色に染め上げてゆく。青い上空にはダイヤモンドのように一番星が煌めき、明るかった  
天球も、やがてゆるゆると薄い青から濃紺へと色を変えていった。  
 塔の石積みの壁は、残照を受けて薔薇色に輝いている。  
 二人は言葉もなく、ただ寄り添いあい、この至福のひとときを共有した。  
 王女は満足したように息をついて、神父の肩にそっと頭をもたせかけた。そして、甘えた  
子供のように言った。  
「お香の匂いがする」  
「ああ、これは――」  
 聖堂で焚いている清めの香が、僧衣に染み付いているのだ。  
「良い匂い。教会の匂い、神様の香りだわ」  
 彼女がクン、と嗅いでみせる。その仕草があまりにも愛らしいので、神父は嬉しいような  
恥ずかしいような、形容しがたいこそばゆさを感じた。  
 王女は神父の服に顔を埋めると、か細い声で言った。  
「ずっと、このままでいられたらいいのに」  
 その言葉に、神父は泣きたくなった。どうしようもない罪悪感。朝が来れば、自分は彼女を  
連れ帰らなければならないのだ。王女にしてみれば、処刑人に引き渡されるような心境だろう。  
 彼は王女の身体をそっと引き離すと、静かに立ち上がった。しばらく無言で立ち尽くして  
いたかと思うと、不意に王女に告げた。  
「私は、神父をやめます」  
 あまりに唐突なその宣言に、王女は思わず素っ頓狂な声を上げた。  
「え……ええ!? ちょっと、どうして!? 何も、一緒に逃げて欲しいとか言っている訳じゃ  
 ないのよ? ……やっ、確かに言ったけど、あれは――」  
「私には、神父でいる資格がありません」  
「どうして?」  
 神父は彼を問いただそうとする王女から目をそらし、苦しげに告白した。  
「私が神父になったのは、神に招かれたわけではなく、ただ、逃げたかっただけなのです。  
 現実から、そしてあなたから、ただ逃げたかった」  
「私――から?」  
「皮肉なものです。神父にならなければ、どこか遠くで平凡な人生を送り、あなたに再会する  
 ことも、聖職者としてお側近くにいることもなかったでしょう。都での勤めを辞退することも  
 できたのに、それをしなかったのは、私の弱さです。私は、神父になるべきではなかった」  
「どうしてそんなことを言うの? ……私のこと、本当は嫌いだったの?」  
 王女は悲しげな顔をした。神父はほとんど反射的に、即座にそれを打ち消した。  
「まさか! 今も、この瞬間も、私は誰よりもあなたを愛しています!」  
「え…っ」  
 今度は王女が絶句する番だった。夕日に染まっていた彼女の顔が、みるみるうちに、さらに  
いっそう赤くなる。  
「だって……だって、私のことを好きだったのは、子供の頃のことだって……! リーノ、  
 あなた、この間は、嘘をついていたの!?」  
「嘘じゃありません。子供の頃のことを聞かれたから、今もそうだとは言わなかっただけです」  
「きっ、詭弁だわ!」  
 すっかり狼狽えている王女とは対照的に、神父は穏やかに告白する。  
「ずっと、愛していました。でも、決して報われることのない、身分違いの恋です。思いを  
 断ち切るために聖職者の道を選びましたが、……無駄な努力でした」  
 それを聞いた王女は、神父との距離を縮めると、彼の顔をのぞき込み、真偽を確かめるかの  
ように、彼の目をじっと見つめた。  
「どうしてこの間は、ごまかしたの? 子供の頃は……なんて、言っちゃって」  
「なぜって……、本当の気持ちを言ったら最後、歯止めがきかなくなるから――」  
「歯止めなんか、いらなかったのに」  
 そう言って、彼女は彼の首に両腕を回した。彼も彼女を全身で受け止め、両腕を彼女の  
背中に回して抱き留めた。  
 お互いのすぐ目の前に、愛しい人の顔があった。  
 一瞬のためらいがあったが、それは恋に未熟な二人の恥じらいゆえだった。その後は  
ごく自然に、互いに引き寄せあうように、二人は初めて直に唇と唇を重ねた。  
 
 初めての、柔らかな感触。暖かな湿り気。甘い吐息。  
 理性が吹き飛ぶには十分だった。二人は夢中で、ぎこちない接吻を何度も交わす。本能の  
指示するままに、互いに求め合い、いつの間にか神父は王女を床に押し倒していた。  
 そこでハッと我に返り、神父はガバリと跳ね起きた。  
「だめです。いけません、こんな――」  
 神父は両手で顔を覆って王女に背を向けた。そんな神父を見て、王女は羞恥と落胆とに  
目を潤ませながら、消え入りそうな声で言った。  
「ごめんなさい……。やっぱり、あなたは――」  
「そうじゃない。そうじゃないんです」  
 神父は首を横に振り、彼女の推測を強く否定した。  
「え?」  
「私には、あなたを愛する資格がない」  
「何を言って――」  
 訝しむ王女に、神父は胸の内を一気に吐き出した。  
「あなたの幸せが何よりの願いなのに……なのに、他でもない私が、あなたを苦しめている。  
 あなたを都に連れ帰れば、あなたを、意に沿わぬ政略結婚の犠牲にすることになる。  
 かといって、あなたとともにこの運命に立ち向かう勇気もない。私は、卑怯者です」  
「そんなことないわ」  
「いいえ、私は結局、自分のことしか考えていないのです。いつだって、逃げずに現実と  
 向き合っていたら、こんな身の程知らずの思いを抱き続けることもなかったでしょう。  
 そんな私には、神に仕える資格もなければ、あなたを愛する資格も――愛される資格も  
 ありません」  
 誰よりも愛している彼女を、救いたくても救えない。それどころか、地獄へと突き落とす  
手助けをしようとしているのだ。  
 もし、これが神の思し召しだというのなら、――そんな無慈悲な神は、呪われてしまえ!  
 押し込めていた感情を吐露すると、彼はその場にうずくまって嗚咽した。  
 王女は、打ちひしがれている神父に寄り添い、彼を包むように両腕を回した。  
「ごめんなさい。私の方こそ、あなたに辛い思いをさせてばかりいたのね」  
「……謝らないでください。姫様は、何も悪くないのですから」  
「いいえ、私はとても悪い女だわ」  
 そう言うと、王女は神父の頬を両手で優しく包み、その唇に唇を重ねた。神父はただ呆然と、  
されるがままに王女を見つめ返す。  
「ねえ、いま、私が『神父をやめないで』と言ったら、あなたを余計に苦しめてしまうかしら。  
 それとも、……」  
 王女は少し口ごもってから、彼の耳元で、囁くように言った。  
「それとも、『私を抱いて』と言った方が、あなたを苦しめてしまうかしら」  
 想像だにしなかった、大胆な要求。  
 神父は、王女がまた自棄になって心にもないことを口走っているのではないかと内心疑ったが、  
王女はこれまでになく冷静な様子で駄目押しした。  
「初めては、好きな人にあげたいの」  
「……姫様」  
「お願い。私の、最後の我が儘」  
「……あなたを、地獄への道連れにするわけにはいきません」  
「いいの。あんな男の妻になるだなんて、それだけで私には既に生き地獄だもの。それに、  
 憎い相手と偽りの愛を誓うことも、神様への裏切り。私は一生、その十字架を背負って  
 いかなければならないんだわ」  
 そんなことはありません、と神父は言おうとしたが、やめた。  
 間違いなく、これは彼女が自分を誘惑している状況なのだが、とてもそうは思えぬほど、  
彼女の言葉の一つ一つは透明な響きをもって聞こえる。  
「つまり、その十字架の片方を担ぐ手伝いを、私にしてほしいとおっしゃる」  
「ごめんなさい」  
 そう言う彼女の瞳の、なんと澄んで美しいことか。  
 神父は観念したように小さなため息をついて、苦笑した。  
 ……魅入られたのだ。もうずっと昔から、彼女の虜なのだ。今さら何を抗おう。  
 それが彼女の望みなら、自分のすべてを捨ててでも、たとえ地獄の業火に焼かれることに  
なろうとも、叶えて差し上げようじゃないか。  
「謝らないでください。あなたの望みとあらば、私は何だってします。それに――」  
 神父は王女をギュッと抱きしめた。そして、最後の秘密を告白した。  
「私も、密かにそれを望んでいたのですから」  
 
 
 

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