〈1〉幼友達  
 
 その国の都には、王宮のほど近くに、外観こそ簡素で目立たないが、人々の素朴な崇敬を  
集める小さな聖堂があった。  
 時には王族も祈りに訪れることがあるというその聖堂に、あるとき、神学校を出て間もない  
一人の神父が赴任してきた。その優秀さゆえに将来を期待されての配属だったが、彼にとっては  
都での生活は、実は不本意だった。  
 ――果たしてこの都で、心穏やかな信仰生活を送れるだろうか。  
 若き神父の不安にはそれ相応の理由があった。そして彼が危惧したとおり、彼の心は着任  
直後から掻き乱されることになる――。  
 
 穏やかなある昼下がりのこと。その聖堂に隣接する司祭館の応接室では、静謐な祈りの場には  
やや不似合いな、若い女性の華やかな声が響いている。  
「――それでね、父上ったら本当に優柔不断で……もう、ガツンと拒絶してやればいいのに!」  
「姫様、またそのお話ですか」  
 テーブル越しに応対している若い神父は、穏やかながらもうんざりした様子で言った。彼の  
そんな態度に、「姫様」と呼ばれたその女性はムッとした顔で突っ掛かる。  
「なによ、迷える子羊の悩みを聞くのも神父様の大事なお仕事でしょう?」  
「……とても悩める子羊には見えませんが」  
「どういう意味よ!」  
 神父はやれやれとため息をついた。  
 ちょうどお茶のおかわりを持って応接室の扉を開けた家政婦が面食らった顔をしたので、  
神父は目配せと軽い手振りで「なんでもありませんよ」と合図した。家政婦も「ああ、いつもの  
ことですね」と目配せで答えた。神父たちから見れば母親のような歳の家政婦は、この来客の  
威勢の良さに、愛しい娘を見守るような暖かさをもって苦笑した。  
 神父は、家政婦が出て行った後の扉を横目で見ながら、  
「彼女も、麗しの姫君と讃えられる我が国の王女様が、まさかこんなじゃじゃ馬だとは思って  
 いなかったでしょうねえ……」  
と、聞こえよがしにつぶやいた。  
「失礼ね」  
 そう言うと、王女は急に背筋をしゃんと伸ばして居住まいを正し、先ほどまでとはうって  
変わった上品な口調で、  
「ご心配なく、神父様。然るべき場面では、王家の一員として然るべく、きちんと振る舞って  
 ご覧に入れますから」  
と優雅に微笑んでみせた。その姿は紛れもなく、気品溢れる高貴な姫君だった。  
「……確かに、そのようですね」  
 国王の愛娘、エレーナ姫。溌剌とした二十歳の王女は、その美貌もあって、民衆からの  
人気も高い。宮廷詩人が「琥珀色の波」と讃えた髪は美しく編み込まれ、きれいな形の眉は  
その意志の強さを伺わせる。ハシバミ色の瞳は生き生きと輝き、頬には健康的にうっすらと  
赤みが差している。次から次へと言葉を紡ぎ出す唇は、紅もささないのに、桜桃のように  
艶々と赤い。今日は聖堂の訪問に相応しく、首元まで襟の詰まった地味な暗い色のドレスだが、  
それがいっそう彼女の肌の白さを際立たせている。  
 そのまぶしさに、神父は思わず目をそらした。  
「でね、さっきの話なんだけど」  
 またいつもの調子に戻ってしまった。   
 王女は気安く話してくれるが、中には王室の内情や外交関係に絡んだ話も少なくなかった。  
最近は隣国と緊張関係にあり、王女の話もそれに関係するものが増えていた。彼女が話す内容は  
国家機密でこそ無いが、一介の神父が政治や外交の問題に首を突っ込んで良いものではない。  
そう思って、いつも同じことを繰り返し諭して聞かせる。  
「陛下にもお考えがあってのことでしょう。いろいろと不穏なご時世ですからね。ですが、  
 なにがあろうと、お父上を悪く言うのは感心しませんね」  
「……はぁい、わかりましたー、神父さまー」  
 王女はわざと幼い生徒のような口調で返事した。神父はそれを淡々と受け流す。  
「結構。従順は美徳です」  
「……本当に、神父様みたいなことを言うのね」  
「実際に神父ですから」  
 神父の冷静なツッコミを無視して、王女は感心したように言う。  
「でもまさか本当に神父様になっちゃうなんてねえ。あなたは子供の頃から利発だったし、  
 父上にも気に入られていたから、宮廷勤めも不可能じゃなかったでしょうに。それか、  
 そのまま学問を極めて、学者先生にでもなるかと思っていたわ」  
 
 
 神父と王女が初めて出会ったのは、もう十五年も前、王家の避暑地でのことだ。神父の故郷の  
小さな村を見下ろす丘の上に、国王が家族と夏を過ごす城があった。  
 神父の両親は貧しい下級貴族だった。本来ならば王族など遙か雲の上の存在、親しく交わる  
ような縁も機会もないような立場である。  
 それがある日、田舎の避暑地で適当な遊び相手もなく退屈していた幼い王女のご学友にと、  
地元の貴族や郷士の子弟で王女と同じくらいの年頃の少年少女が何人か選ばれることになった。  
彼も一応は貴族の端くれ、運良くその一人に選ばれ、幸い王女にも気に入られ、それ以来毎年、  
国王一家がその地に滞在するたびに仲良く遊ぶ「幼なじみ」となったのである。  
 数年間、そうして慎ましくも幸福な少年時代を過ごした後、彼は十五の歳に故郷を離れて  
神学校に入った。その頃、彼らの遊び場でもあった国王の城は古い棟の改修が必要となり、  
それ以降、国王一家は別の離宮で夏を過ごすことになった。だから彼がたまの休暇に帰郷しても、  
王女と再会する機会はなかった。  
 やがて彼は神学校で学問を修め、そのまま神父となり、そして初めての赴任地として王都の  
この聖堂に配属されることになった。  
 彼が神父となって都に来たことをどこで聞きつけたのか、彼の赴任から程なくして、王女は  
かつての幼なじみに会いにやって来た。それが半年ほど前のことである。  
 それ以来、王女は私的な礼拝という口実で、神父との雑談、もとい、懇談のためにこの聖堂に  
通うようになった。王家との縁も深い由緒ある聖堂だということもあって、誰も王女の行動を  
咎めるどころか、信心深い行いだと言って歓迎した。  
 まだ新米の神父は、王宮付きのお偉方に遠慮して、  
「懺悔ならば、姫様付きの聴罪司祭がいらっしゃるでしょう」  
と遠回しに辞退しようとしたのだが、  
「ここには懺悔をしに来ているのではないもの。それに、聴罪司祭さまではないからこそ、  
 できる話もあるのよ」  
というのが王女の言い分だった。  
 上役である司教に相談すると、王女様にも窮屈な王宮を離れての息抜きのお時間が必要なのでは  
ないか、良き友人としてお相手して差し上げなさい――との意見で、もはや王女のお忍び訪問を  
断る理由もなく、こんな風に彼女の世間話につきあうことになったのだ。  
 
 神父は、王女と七年ぶりに再会した日のことを思い出していた。  
 久しく会わなかった二つ年下の高貴な幼なじみは、すっかり臈長けて、年頃の美しい女性に  
なっていた。昔は風になびくがままに伸ばされていた明るい色の髪も、今はきちんと貴婦人らしく  
結い上げて、あの頃はぷくぷくと子供らしい丸みのあった顔や腕は、いくぶんすっきりと痩せて、  
肌の色はあの頃と変わらず美しい象牙色で、淡い茶色の瞳は相変わらずクルクルと魅力的に  
よく動く――。  
「お美しくなられた」  
と簡潔に褒めると、王女は笑って  
「あなたも随分と背が伸びて、うんと男前になったわ」  
と応じた。  
 そしてそのときも彼女は言ったのだった。本当に神父様になっちゃったのね――と。  
 
 あのときは適当に笑ってごまかしたが、こうして打ち解けた今は、少々あけすけな話もできる。  
「しがない貧乏貴族の三男坊が、家名に恥じない堅実な職に就こうと思ったら、軍人か教師か  
 聖職者か、それくらいですからね。軍人も教師も向いていないから聖職者になった。ただ  
 それだけです」  
 嘘ではない。宮廷の職は有力貴族の子弟で占められているから、家柄の低い自分では大した  
出世は望めないし、下手に国王や王女のお気に入りとあれば、周囲の嫉妬も恐ろしい。政争に  
巻き込まれるのも願い下げだ。かといって、戦や暴力は大嫌いだし、学問は好きだが人に教えるのは  
苦手だ。聖職者ならば祈りと黙想の世界に独り籠もることもできる……そう考えたのは事実だ。  
 
 だが本当の直接の動機は――王女への思いを断ち切るためだった。  
 
 幼い頃、まだ身分差というものの非情さも知らずに、彼は王女に恋をしてしまった。そして  
そのままずっと、一途に恋してきた。  
 
 可愛い女の子は村にも何人かいたし、離宮でも華やかで美しい女官を見かけることがあったが、  
王女と比べてみると、他の何もかもがすっかり色あせて見えてしまうのだ。親からは、身の程を  
わきまえろ、王女様とはあまり親しくなりすぎないように、と再三釘を刺されたが、少年には  
その本当の意味が理解できていなかった。   
 そしてその初恋は、どう足掻いても決して実ることはないのだという現実と絶望を知った頃、  
ちょうど神学校の奨学生の話があった。手元不如意な彼の両親にとっても、彼の将来を考えれば  
願ってもない話だったから、反対する者は無かった。  
 神学校を卒業するとき、在俗のまま学者になる道も残されていたが、あえて選ばなかった。  
 
 なまじ俗世にいれば、未練が残る。それならば、いっそ――。  
 
 そんな理由で聖職の道を選んだとは、たとえ口が裂けても言えない。  
 彼女には生涯二度と会うまいと決めた。会う機会もないだろうと思っていた。それが、  
何という皮肉だろう!  
「でも、都に来られて、良かったじゃない」  
 王女が無邪気に言う。人の気も知らないで、と、彼は天の邪鬼になる。  
「本当のところ、都にだけは来たくなかったんですけどね」  
「あら、どうして? 都の教区に配属だなんて、出世コースじゃないの」  
「なぜって、都には――」  
「都には?」  
 あなたがいるから、と答えそうになるのを辛うじて堪えて、神父はとぼけた調子で言葉を  
継いだ。  
「都には修行の妨げとなる雑音が多いですからね。それに、どこぞのじゃじゃ馬姫のお守りも  
 しないといけなくなるし」  
「なによそれ。ひどい言いようねえ」  
 ぷぅと可愛らしくふくれるその様子は、昔のままだ。  
 何も知らなかったあの頃――恋さえ知らなかった無邪気な子供の頃に戻れたら、どんなにか  
楽だろう。ふと、そんな思いが神父の脳裏をよぎる。  
「ねえ、リーノ」  
 不意にそう呼ばれて、神父はドキリとした。いまその名で自分を呼ぶのは、故郷の家族と  
幼なじみの彼女だけだ。  
 子供時代の甘酸っぱい懐かしさを伴うその響きは、まだ神父になって日の浅い彼にとって、  
俗世と一緒に捨てたはずの秘めた想いを呼び起こす力を持つ、危険な響きでもあった。  
「その名前で呼ばないでください。今の私は、エマヌエーレ神父です」  
 幼なじみへの親しみの情を冷たく拒絶されて、王女は不服そうに神父を横目で見た。  
「エマヌエーレ……ね。いかにも神父様って感じの名前だわ」  
「修道の誓いを立てたとき、師につけていただいた修道名です」  
「良い名前ね」  
「恐縮いたします」  
「でも、あなたらしくない」  
「大きなお世話です」  
 さらっと聞き流して無視すればいいのに、彼女が相手だと、つい構ってしまう。  
「なんですって!?」  
「いや、これは失言でした。おお、主よ、未熟者の私をお許しください」  
 キッと睨み付けてくる視線を無視して、大げさに胸の前で十字を切ってみせる。  
 王女は馬鹿にされたとでも感じたのか、美しい顔を不機嫌そうにしかめて、  
「もう帰るわ!」  
と言い捨てると、応接室を出て行ってしまった。  
 そして足早に司祭館を出ると、そこに待たせてあった馬車で王宮へと帰って行った。  
 
 お互い軽口はいつものことだったが、幼なじみの気安さで調子に乗りすぎた、と神父は  
反省した。ご機嫌を損ねてしまったに違いない。  
 もう王女の来訪は無いものと覚悟していたが、程なくして、王女はいつものように聖堂と  
司祭館を訪れ、この間のことなど無かったかのようにケロッとした様子で、いつものように、  
いつものような話をした。  
「今日も話を聞いてくれてありがとう、リーノ」  
 王女は立ち去り際、今日もまた、神父の昔の名を口にした。  
「失礼ながら姫様、どうか、その名前ではお呼びにならないでくださいと――」  
「リーノはリーノよ。私にとっては、いつまでも」  
「姫様」  
「その『姫様』ってのも、やめて」  
「ですが、姫様」  
「やめてって、言ってるでしょう。ねえ、昔みたいに、エレーナと呼んではくれないの?」  
「それは、――」  
 神父は二の句が継げなかった。  
 分別のない子供の頃とは違うのだ。仮にも一国の王女と、貧乏な下級貴族の出の、しかも  
まだ駆け出しの神父とでは、立場が違いすぎる。気安く名前で呼んで良いわけがない。  
 ときどきは我が儘もおっしゃるけれど、聡明さでも知られる姫様に、そんな簡単なことが  
分からないはずがない。なのに、どうしてそんな無茶ばかり……。  
 困惑の表情で黙りこくる神父に、王女は声を落として言った。  
「ごめんなさい」  
「……いえ、ただ……」  
「そんな困った顔をしないで。子供の頃と同じにはいられないのは、私も、わかってる。  
 ただ、あなたといるときだけは、王女とか神父とか、そういう身分や立場を意識したく  
 なかったの。だって私にとって、あなたは……あなたは、とても……」  
 言いよどんでから、王女は、きっぱりと言った。  
「とても大切な人、だから」  
 その言葉に、神父は動揺した。  
 彼の心の動揺を知ってか知らずか、王女は伏し目がちだった顔を上げると、さっぱりとした  
笑顔を彼に向けた。  
「申し訳ありませんでした、エマヌエーレ神父。どうかこのことはお忘れくださいましね?」  
 それではごきげんよう、と彼女は優雅に一礼して、王女らしく気品に満ちた立ち振る舞いで  
踵を返し、その場を辞した。  
 神父は何も言葉を発することができず、ただ呆然と、王女を見送った。  
 
 しばらくして我に返った後、神父は彼女のさっきの言葉を反芻する。  
 ――「大切な人」。  
 あれはどういう意味だろう――と、その真意を計りかねている自分に、神父は狼狽した。  
 真意もなにも、言葉通りの意味に決まってるじゃないか。大切な幼なじみ、それだけだ。  
他意があろうなどと考えてしまうこと自体、自分が彼女に何か期待してしまっている証拠だ。  
そんなこと、あるはずがないのに!  
「主よ、お許しください」  
 浅ましい妄執から逃れようと、彼はその場に跪き、神に祈った。だがその一方で、彼の胸の  
奥からは、密やかな甘い喜びの感情が止めどなく湧き出てくる。それは神父としての信仰の  
喜びとは決して相容れない感情だ。  
 神父はそれを振り落とすように、頭を横に振った。  
「神よ、心弱く罪深き私を、憐れみ給え」  
 これは神が与え給うた試練なのか。抑えても抑えても溢れてくるこの感情に打ち勝たねば、  
掻き乱された心を鎮めねばと、神父はさらに深く頭を垂れ、そこで長い時間、祈り続けた。  
 
「リーノ」  
 ぼんやりとした暗さの中で王女の声を聞いて、神父は顔を上げた。  
 目の前には、彼女がいる。いつの間に――だが、そんな疑問はどうでも良い気がした。  
「リーノ」  
 その名で呼ばないでください、と言おうとするが、声にならない。そんな彼の戸惑いを  
見透かすかのように、王女が甘く微笑む。  
「好きよ」  
 王女の突然の告白にも、なぜか驚きは感じず、ただ体中を血が駆け巡るような熱さを感じた。  
 いけません、私は神に仕える身です――必死にそう抗おうとするが、王女は意に介さず、  
微笑みを浮かべたまま、神父にゆらりと接近する。いつの間にかその髪は解かれて波のように  
優しくうねり、彼女の服の襟元ははらりと解け、胸元が花のように開いてゆく。  
 王女は、聖堂の祭壇を飾る法悦の聖女像のようにうっとりと夢見心地の表情で、豊かな髪は、  
水中に解き放ったかのように中空にふわりと漂う。  
 彼女の丸みを帯びた肩が晒され、肩から手首までの腕の白さが明らかになり、ふっくらとした  
胸元の膨らみが姿を見せた。  
 あっ、と思ったら、もう上半身を覆う衣は消え失せて、柔らかそうな丸い二つの乳房と、  
桜色の乳首が露わになった。が、その色形はまるで霞がかかったかのようにぼんやりとして、  
はっきりしない。  
 邪な衝動に駆られると同時に、見てはいけない、という罪悪感に苛まれる。  
「もっと、見たいんでしょう?」  
 いいや、そんなことは思っていない、思うはずがない――そう叫ぼうとするが、やはり声に  
ならない。  
「嘘ばっかり。いつも、想像していたくせに」  
 言い当てられて、一気に頭に血が上る。  
 そうだ、その通りだ。  
 聖堂を訪れる王女の慎み深いドレスの下に隠された柔肌を、密かに想像したことがある。  
そんな破廉恥なことを想像していたのが彼女に知れたらと思うと、生きた心地がしない。  
決して、口が裂けても言えぬことだ。  
 自分は生身の女性の肌を知らない。目の前の豊かな胸の膨らみも、乳首の色も形も、すべて  
知識と想像でしか知らない。その想像したとおりの女体の造形を、いま、目の前の王女は、  
惜しげもなく自分に見せている。  
 いつの間にか、彼女を包んでいた衣はすべて消え失せて、一糸まとわぬ姿の女体が目の前に  
横たわっている。彼の視線は、それに引き寄せられるように、彼女の下腹部へと注がれてゆく。  
そこもまた霧のようにぼんやりとして、ただ象牙色の肌がぼうっと光を放つばかり。  
 王女が妖艶に微笑んで、身をくねらせる。そしてゆっくりと、挑発的に、片足を大きく上げて  
みせた。その付け根の秘部はぼんやりとして、見えそうで見えない。  
 神父は吸い寄せられるように、彼女の太股に手を伸ばそうとした。  
 もう、何が何だか、わからない。喉がひりひりと渇く。頭がおかしくなりそうだ。自分の  
下腹部も、かあっと熱くなっているのがわかる。  
 ああ、もう、どうなってもいい――。  
 
「姫様!」  
 
 そう叫んだ自分の声で、神父は目を覚ました。  
 王女の姿はかき消えて、夜の闇と静けさが神父を包む。  
 身を起こして辺りを確かめる。いつもの自分の寝室の、いつもの寝台の上だ。  
「……夢、か」  
 夢だと分かって安堵する一方で、夢の中で自分が何をしようとしたかを思い返して、神父は  
ゾッとした。  
 ――夢の中とは言え、私は、姫様を……。  
 そして自分の股間に目をやった。神父とは言え、健康な若い男性である。今の夢に刺激されて、  
股間のモノは勃起していた。  
 理性の支配が及ばない寝起きにこうした生理現象が起きたとき、彼はいつもならば、夢魔よ  
立ち去れと罵り、ひたすら祈り続けて身体が鎮まるのを待つのだった。が、どうしたわけか、  
今回は祈りの言葉が出てこず、代わりに股間に手が伸びた。  
 自慰は罪だ。  
 わかってはいるが、止められなかった。熱い肉棒を手で包むと、軽い快感がぴりりと体中に  
走った。もう長いこと忘れていた、罪深い快感。  
 
「姫様」  
 いけないとは思いつつ、夢の中の王女の裸体を思い出しながら、自慰に耽る。  
 あの柔らかな肌に肌を重ね、乳房をまさぐり、なで回し、挑発的に上げられた両の足を左右に  
押し広げ、あのおぼろげな秘部の奥に自らの肉棒を突き立てるところを想像した。  
「あ、あ、……うっ」  
 小さなうめき声とともに精を放つ。  
 達した快感の次に彼を襲ったのは、どうしようもない絶望感とやるせなさだった。  
 はあ、はあ、と荒い息の下、神父は涙をこぼした。  
 ――姫様を、穢してしまった……。  
 夢の中で、そしていま、自慰の中で。  
 自分のことを「大切な人」と言ってくれた、誰よりも愛しい人を。  
 神に仕える身という清らかな仮面をかぶりながら、その実は、片思いの女性を犯したいという  
邪な願望を抱く、獣のような男。そうだ、自分は僧衣をまとった獣だ。姫様の傍にいることすら  
許されない、汚らわしい獣だ。  
 己の浅ましさに、この上ない嫌悪感を覚え、神父は声を押し殺して泣いた。  
 
 聖堂への王女の訪問はその後も休むことなく続いたが、あの日以来、彼女が神父に見せる態度は  
王女のそれであり、幼なじみのそれではなくなっていた。王女の会話も、社交的ながらも、ごく  
当たり障りのない、それこそ王宮付きの司祭を相手にするような内容に変わっていた。  
「ごきげんよう、エマヌエーレ神父」  
 あくまでも優雅に穏やかに、淑女然とした礼儀正しさを示す王女に、神父もまた礼儀正しく、  
どちらかと言えばやや素っ気ない態度で応じた。  
 彼女の夢を見た夜の、後ろめたさもあった。  
 これ以上、彼女に近づいてはいけない。自分のような者が、彼女を邪な思いで穢してはならない。  
これが当然なのだ、王女と神父、その一線を踏み越えてはならないのだ――。  
 戒めとして、神父はそんな風に心の中で自分に言い聞かせるのだった。  
 

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