お輿入れまでは美貌を鼻にかけた我儘放題と気の強さで周囲を辟易させることもあった姫が  
側室として大奥入りしてからは期待されたほど実家のための働きかけをしなかったのは何故か?  
姫の幼少期からの武勇伝が数残る国許ではちょっとした歴史上の謎とされていた。  
 
この謎に挑む後世の者の中には城中の噂話を書き残した書物の中に紛れた文言を繋ぎ合せて  
真実に近づく者もあったが御台所の大奥尻統治は籠絡された女たちも名誉にかけて口を噤む秘中の秘。  
その実態は長らく露見することがなかった。  
 
しかし近年発見された姫が後年菩提寺に奉納したとされる観音像の胎内から出てきた巻物は  
姫の手になる赤裸々かつ詳細な大奥日記だったのでさぁ大変。  
 
姫の名誉を傷つける卑劣な偽書であると断ずる者。  
姫君の変節や噂の類と一致する内容であり書いたものの処分に困った姫が観音菩薩に託したと推測する者。  
姫自ら詳細に書き記させることまでが御台所の調教であったのだと考える者など  
この書の真偽を巡って議論は紛糾した。  
 
しかし多くの不埒者どもにとって事の真偽などはわりとどうでもよい。  
百花繚乱の美女が集められた女の園に君臨する怜悧な御台所と  
不浄の孔を弄られ恥辱に涙を流し喜悦に悶え屈服する美貌の姫君という題材は  
ただそれだけで下賤な興味をそそり、尻御前物という名を得て密かに広まってしまった。  
 

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