着の身着のまま、財布一つで新幹線に乗ったのは初めてだった。観光シーズンは外して  
いたが、ビジネス客も鞄の一つは持っている。自意識過剰と自覚しつつも、私服で手ぶら  
の川浦芙美は周りの視線が気になって仕方が無かった。  
 推理ドラマのラストで高飛びを試みる悪役のような気分だ。搭乗手続きで「お預けの  
お荷物は?」と聞かれて舌打ちしているような、居心地の悪さ。  
 そんな気持ちをとなりの相方に伝えてやると、諸悪の根源は「分かる、わかる」と愉快  
そうに笑った。  
 
「……正味な話、アキは私が行くって、確信が有ったわけ?」  
「うんにゃ。客観的に考えて3%くらいかなーと。でも、電話しちゃえば五分五分で来る  
んじゃね?っていう予感もあった」  
 数学的に矛盾した回答をさらりと寄こして、アキこと本間昭博はせっせとサンドイッチ  
の封を開け始める。そんな彼から目を離すと、芙美は後ろに流れ始めた車窓に向かって  
溜息を吐いた。  
 正確には、ガラスにうっすらと映るお気楽幼馴染に。そして、隣で呆れた様な顔をして  
いる自分にも。  
 
   
「一泊二日で温泉に行こうと思う」  
「また朝っぱらから藪から棒に。いつどこへ誰と行くのよ?」  
「お前と、城崎。15分後に」  
「……はぁ?」  
 自宅でそんな電話を受けたのが、今から四十五分前。確かに、芙美には明日明後日と  
予定は無かった。大学二年の、夏休み最後の3日間。ゆっくり身体を休めようと、前々から  
空けておいたのだ。  
 しかし芙美は、何事も事前にしっかり計画立ててから行動する派である。思い付きで  
700km先へ旅行だなんて、彼女にとっては狂気の沙汰に近かった。当然ながら、  
「寝言は寝て言え、私もこれから二度寝する」と言って電話を切ろうとしたのだが。  
今日に限って、件の行き当りばったり男は食い下がった。  
 
 曰く、宿の予約も電車のチケットも既に取れている。元々、彼の先輩が彼女と二人で  
計画していた小旅行だったのだが、昨晩遅くに急な予定が入ってポシャったのだという。  
しかし、今からではキャンセル料も全額取られるしと、連絡を貰ったのが五分前。駄目元  
だからタダで譲るとの申し出に二つ返事で応じ、今はチケットを受け取りに行く途中で  
電話しているのだと言った。  
 
「どうせお前の事だから、ラスト三日は充電期間とかいってボーっとしてるつもりだった  
んだろ」  
「そりゃまあ……ってだからぁ」  
「じゃあ、その半分くらい、俺と一緒にぼーっとしてりゃあいいじゃん。温泉だし」  
「なっ……。っ……。」  
「東京駅9時50分発だから、改札集合しかなさそうだな。お前はあと……10分で出ないと  
不味いかも。時間ないし手ぶらで来いよ、俺も財布だけだし。どうする?」  
「…………行く」  
「うおっ、マジでか!? ちょっとビックリした!」  
 
 そうして今、加速を始めた七〇〇系のぞみに揺られながらも、芙美は何故自分が首を  
縦に振ったのかを考えていた。  
 勢いに押された。寝起きで頭が回らなかった。最低でも五万円以上のお金が無駄になる  
のは心が痛む。断れなかった理由はいくらでも思いついた。でも、誘いに「乗った」理由が  
これといって無い。  
 少なくとも、「恋人と二人っきりになれるから」という理由では、無いはずだった。  
 
 本間昭博と川浦芙美の付き合いは今年で十四年を迎えた。といっても、最初の六年は一  
クラスしか小学校の同じ学年だったと言うだけで、これといって深い仲だったわけではない。  
 変化が合ったのは中学に上がってからだった。学区の都合で、知り合いがお互いしか  
いなかった彼らの距離は、思春期の衝動も手伝って急速に縮まった。というか、いささか  
縮まり過ぎた。  
 中学二年のちょうど今頃。夏休み開けの放課後の芙美の部屋で、彼女は昭博に押し  
倒された。  
 抵抗しなかったのは、もちろん彼との行為に嫌悪感が無かったからだ。しかし、初体験の  
恐怖や痛みを押し切れたのは、好意だけが理由では無かった。純粋な興味、両親への  
対抗心、そして何より、夏休み明けの同級生達への見栄。  
 最初の扉を破ったカタルシスが収まった後、それに代わるほど強い動機を、芙美は持て  
なかった。結局、しばらくして起こった同級生の妊娠騒ぎを機に、体を合せることは無く  
なった。  
 事前に、付き合う云々の話をしていなかったのは、幸いだった。別々の高校に進学して  
からは、逆に元の気楽な関係に戻れていた。  
 
 大学に入ってからは、昭博は一丁前にもゼミの先輩に懸想したりして、つい最近までゴ  
タゴタしていたようである。芙美は入学直後に何件か引きがあったものの、一年の夏後に  
はすっかり音沙汰無くなった。これが世に言う「大学デビュー失敗」なのだろうと、芙美  
は考えている。  
 但し、彼女の処女を奪ったのが昭博であり、彼の童程を卒業させたのも芙美である  
という事実は、互いの間に厳然と有る。  
 
  *  
 
 昭博の先輩の言伝によると、東京駅から宿まで正味六時間とのことだった。いくら幼馴  
染とは言え、これだけの時間を二人きりで潰したことは久しく無い。携帯すら持ってない  
(これは純粋に芙美が忘れた)のにどうするんだと思った彼女だったが、実際には全くの  
杞憂だった。  
 
「あれ、今渡ってるのが糸魚川じゃね?」  
「え、じゃあこれが例のフォッサマグマ?」  
「そうそう、フォッサマグナ、フォッサマグナ。大地溝帯ですよお嬢さん」  
「おおー。私は今まさに東日本から西日本に入らんとするわけね」  
「しかしどこが断層って……わかんねーな」  
「川岸のところとかそれっぽく無かった?」  
「いや、あれはただの河岸段丘だろ」  
「河岸段丘! あー、その単語も5年ぶりくらいに聞いたわ」  
「地理好きだったんだけどなー。因みに、フォッサマグナって断層じゃなくて、もっと広い  
範囲を指すからな?」  
「そうなの? あ、また富士山」  
 
 新横浜を出てしばらくすると、二人は窓の外にかぶりつきになった。こうして、じっくりと  
車窓を楽しんだのは、それこそ小学校以来かもしれない。中高の修学旅行にしろ、  
大学でのサークル旅行にしろ、行き帰りの旅程は仲間内でのおしゃべりに忙しく、  
車窓を楽しむ余裕など無かったのだ。  
 一人旅か、それと同じ位気負わない相手との旅でしか出来ない贅沢を、芙美は初めて  
味わった。  
「いやー、こうしてみると東海道はきれいだねぇ。北斎はいい着眼点してるよ」  
「電車で携帯ばっか覗いてんのはのはバカだね。俺これから大学行く時も窓の外眺めるわ」  
「いや、あんた地下鉄じゃん」   
 会話は景色のお茶受けのようなものだ。二人とも、およそものを考えて喋っていない。  
けれど、漬物が不味ければご飯が進まないのもまた道理。  
 好き勝手掛け流しする言葉が不快にならない相手というのも、また貴重だった。  
 
 新大阪到着が十二時十一分。十分弱で駅弁を買い込み、再び構内を走って山陰本線に  
飛び乗った。そこから揺られること、一六九分。  
「…え。こっからのが長いわけ?」  
「そうなー。新幹線は偉大だなー」  
 在来線に移ると、それまでのハイテンションはひと段落した。昼ごはんを食べて腹が  
膨れたというのもあるが、初めて乗る車両にいよいよ旅情が出て来たというのもある。  
弁当ガラを片付けると、二人は言葉少なに、窓の外を眺め続けた。  
「街中よりは田舎の景色のが面白いって思ってたけど、さすがにそればっかだと飽きる  
わねー」  
「まあ、場所が分かれば面白いんだろうけどな。良く分かんないと、ひたすら同じ景色に  
見えるしな」  
「……ごめん、ちょっと寝ちゃうかも。大丈夫かな」  
「まあ、終点だから乗り過ごすってこともねーべ。俺まだ平気だし、無理すんな」  
「……ん」  
 最後の1時間は、お互い代わる代わるウツラウツラしていた。途中、芙美が目を覚ます  
たびに、相方は舟を漕いでいたが、後でそのことを言うと昭博の方も同じだと言う。  
「お前の寝顔もじっくりみたの、久しぶりだなー」  
「そう、改めて言われると恥ずかしく……ごめん、特にならないわ」  
「残念! と言いたいが、俺も気にはならんしなー」  
「もう二十歳だもんね。お互い老けて枯れてしまったのかしらー」  
「……おいやめろ。今、斜め向かいのOLの目がマジで怖かった。殺される」  
 
 そんなこんなで午後二時五四分。つい数時間前まで、自宅のベッドで二度寝を決め込ん  
でいた芙美は、はるばる七百キロ西の温泉街に着いていた。  
 
「……まさか本当に着くとは」  
「いやいや、そりゃ着くともさ」  
「だってここ、兵庫県だよ。京都よりも西で、しかも日本海側なんだよ。私、今朝まで実家で  
二度寝してたのに」  
「これから一宿二飯のお世話になる兵庫に喧嘩を売るのはやめろ」  
「家電が60Hzで動いてるとか……どこの外国なの」  
「だからって関西全土に喧嘩売り直すなお前のような奴がいるから東京人が嫌われるとい  
うかわざとやってるだろこのアマ」  
「アキが三段重ねで突っ込み切るなんて……もう温泉の効果が出てるのかしら」  
 
 軽口を叩きながらも、芙美はそれなりに興奮していた。城崎の風景と言えば、国語の  
教科書に出て来た志賀直哉の随想の挿絵で見ただけだ。旅行先は、事前に徹底的に  
下調べする派の芙美だったが、今回ばかりはその時間も無かった。  
 右も左も分からない土地を、ガイドブックも携帯も無く、自分の足で探索する。積極的  
にぶらり旅する性質ではない彼女だが、やってみると意外な高揚感があった。  
「ほら、取り敢えず宿に行こうぜ。チェックインしなきゃ」  
「ちょい待ち。案内パンフ貰ってくる」  
「おーい、携帯ないんだから、はぐれんなよ」  
 
 温泉街は小さな川を挟んだ両岸に沿って伸びていた。中心街にも泊まれるところは多い  
らしいが、昔ながらの湯屋を構えた宿は如何せん高い。昭博の先輩が取ったという宿は、  
温泉街のどん詰まりを曲がった先に有った。  
「それでも、掛け流しの内風呂付きだからな。結構頑張ってると思うんだけど」  
「人から貰ったもんに何言っちゃってんの。てか、全然凄いじゃない。風情もあるし、私  
ちょっと感動したよ」  
 芙美が素直に褒めると、彼は今日初めて、少し恥ずかしそうな笑みを浮かべた。けれど、  
すぐに踵を返して一人フロントへ向かうと、「ネット予約した本間ですが」とチェックインを  
始めた。  
 あれ、と思いつつも、玄関脇の土産物に気を取られていると、女将らしき女性に声を  
掛けられた。  
「お二人でご旅行ですか?」  
「ええ……はい」  
「そうですか。今日はどちらから?」  
「東京です」  
「まあ、それは。この暑い中、遠くからわざわざ、有難うございます。一日で直接来られる  
のは大変だったでしょう……」  
 恋人さんですか、とか、羨ましいですね、といった、如何にもな定型句は言われなかった。  
物慣れた感じだから、芙美の返事から微妙なニュアンスを感じ取ったのかも知れない。  
或いは、今時の接客業はそう言う立ち入った事に触れなのが基本なのだろうか。  
 当り障りの無い挨拶を交わして、ついでにお薦めの湯屋などを聞いていると、間もなく  
昭博が鍵を持って戻ってきた。女将は彼の姿を認めると、「ごゆっくり、御寛ぎ下さいませ」  
と一礼して、奥へと下がる。  
「何話してたんだ?」  
「うん? 単にお薦めスポットととかだけど。そっちはどうかしたの?」  
「いや、大したことでは無いんだが」少し周りを伺うようにしてから、彼は言った。「こういう  
宿でお荷物は、って聞かれて、無いと言うのは結構きついな」  
「自業自得以外の何物でもないわね」  
 
 
 案内された部屋は、ごくごく普通の八畳間だった。三階の窓からの眺望も、残念ながら  
絶景とは言い難い。しかし、温泉街の端から浴衣を来た湯治客の往来が見えて、  
全く雰囲気が無いでも無かった。  
 代わりに、貸切の内風呂はしっかりとした造りだった。岩作りの浴槽は、小さな庭に  
突き出すように置かれて、半露天になっている。深さもしっかりと有り、手前と奥の縁には  
底上げ用のスノコが付いているくらいだ。足を伸ばして優に大人四人は入れるだろう。  
 洗い場はお飾り程度だが、風呂場だらけの立地を考えれば元より不要だ。寧ろ、岩肌か  
ら突き出したステンレスのカランとシャワーが、少し不釣り合いだった。  
「ほうほう。悪く無いわね」  
「眺望も、部屋よりは風呂の方がマシみたいだな」  
「あ、こっからだと川の様子も結構見えるんだ。ちょっとちょっと、これ中々に穴場なんじゃない?」  
「はっはっは、もっと褒めろー」  
「だからあん……いや、そう、なのか。」  
「んー? なんぞー?」  
 廊下に戻り掛けていた昭博が、声を掛けてくる。  
「んーん、何でも。それより、早く外湯巡り行こう! 暗くなったらもったいないよ」  
 
 城崎の殆どの旅館と同じく、二人の宿も浴衣の貸出を行っていた。といっても、湯治場  
のそれだから、女性が夏祭りに着ていくような華美なものでは無い。脱ぎ着と通気性重視、  
洗濯重視の質素なものだ。しかし、生地の紋様や上掛の柄が宿ごとに微妙に異なっていて、  
どこの宿泊客か、湯屋の人間には一目で分かるようになっていた。これを目印に、送迎  
サービスなども行われているらしい。  
 
「宿と店で提携してるところもあって、浴衣着てるだけで顔パスの設備とかあるらしいよ。  
でも、うちらの宿はチケット制だね」  
 姿見の前で浴衣の帯を通しながら、芙美はすらすらと説明していった。隣でこちらに  
背を向けながら、同じく帯と格闘している昭博は、彼女の流暢な解説へ露骨に肩を  
落として見せる。  
「……お前、携帯も無いのにいつの間にそんな情報仕入れたんだよ」  
「ん? 女将さんとパンフから」  
「全く、この下調べマニアめ……今回ばかりは、俺のが詳しいって思ってたんだけどな」  
「はっはっは、ちょっと先手を取ったくらいで勝った気にならないことね。それに、  
飛び込み旅行だったのはアキも同じじゃない?」  
「あー…。実は俺、一度城崎来てるんだよ」  
「え、そうなの?」洋服を畳む手を止め、芙美は訊いた。  
「ああ。高校の時に、修学旅行でな」  
「そう言えば山陰回るって言ってたっけ。でも、温泉宿なんて泊まってたの?」  
「いや、自由行動で寄った」  
「……渋い高校生ねぇ」  
「ほっとけ。担任からも『正気か?』って言われたよ」  
「そんな人が、帯の一つも結べないの? だらしないなー」  
 言って、芙美は相変わらず帯紐と格闘している彼の手を引いた。鏡の前に立たせ、  
腰に後ろから両腕を廻す。  
「あーこれ、高さからして合ってない。やり直すから万歳して」  
「あ…おう」  
 直しにかかった時間はわずか一分足らず。しかしここまで近づいたのは六年ぶり  
なのだと、彼女は昭博の反応で気がついた。意識すれば、確かにあのころとは違う。  
背丈も、がたいも、匂いまでも。  
「ほい、完成」  
「すまん……助かった」  
「しっかし、そんなんで外湯どうすんのよ。『ボクおびがむすべないのでお姉さんといっしょに  
着替えます』って女湯に来る?」  
「実に魅力的な申し出だが、普通に捕まるよなー。ま、綺麗にやってもらって悪いけど、  
外湯は我流で適当に誤魔化し…」  
「やーよ。隣で歩く私が恥ずかしい。湯屋のロビーで着せ替え人形にされたくなければ、  
この「着こなしガイド」で貝の口くらい出来るようになっときなさい」  
「承知致しました、大奥様」  
「うむ。存分に励めよ」  
 芙美は三つ折りにしたパンフを、扇子に見立ててペシリと叩く。  
 
 
 恭しく頭を垂れつつ、和装だけに結構様になってるな、と昭博は思った。  
 
 
  *  *  *  
 
 
 外湯の並ぶ本通りに入った頃には、既に四時半を回っていた。部屋でゆっくりしたつも  
りはなかったけれど、着付けやらなんやらで結構時間を食ったらしい。  
「この一枚つづりで、九か所も入れるんだって。そんなに回れるかなあ」  
「いや、さすがに無理だろ。折角の温泉でカラスの行水もなんだし、的絞って行こうぜ」  
「了解。まず一の湯、御所の湯は押さえるとして、あと頑張っても二つよね。何か穴場的  
なのがいいなあ……」  
 知らぬ間に増えたパンフ三種を見比べながら、少し遅れて歩く芙美を、昭博は待った。  
下駄歩きで危なげに揺れる頭を、斜め前から見下ろす感じが、未だ慣れない。  
 
 普段の彼女は、割にせかせか歩く方だ。女同士四・五人で歩いていると、お互い先に  
行かないようにして際限なく歩行速度が落ちていくのが、イライラするなどと言っていた。  
出先でも、事前に収集した情報を武器に、皆を引っ張って行くのが常だった。  
 当然、昭博と一緒の時もそうだ。その場その場で放縦に言い散らす彼の言葉をひたすら  
却下し、でもごく稀に受け入れつつ、目的地まで引っ張っていくのが芙美の役割になって  
いた。  
 そんな彼女が、己の影を踏んで半歩後ろを付いてくる光景は、狙った事とは言え新鮮  
だった。  
 
「パンフもいいけど前も見ろよ。自転車来てるぞー」  
「おっとっと。ありがと」  
 無理に手を引くとバランスを崩す恐れがあるので、昭博はそっと娘の肩に手を置いた。  
すると芙美は少しよろめきながらも、彼の二の腕に掴まって体勢を戻す。  
 礼を言う一時、前髪越しに上目遣いの視線が、昭博のそれと絡まった。しかし、彼女は  
すぐに未練なく、助言さえ無かったかの様に、温泉案内に目を戻した。  
「つか、すぐそこに本物があるんだから行った方が早いって。いいと思ったとこ入れば  
いいじゃん」  
「お風呂ん中まで見るわけにいかないでしょ。お薦めポイント斜め読みするだけだから」  
「だから、お薦めなら、俺が前来た時に入った鴻の湯の露天が……」  
「アキが入ったのは男湯でしょ。それとも、高校生らしく女湯の露天の様子まで確かめた?」  
「ぐっ……」  
「それに、どうせならまだ入っていないとこ行こうよ。外湯コンプ出来たわけじゃないんでしょ?」  
「うぃ」  
「うし。取り敢えず、最初の湯屋に着くまでに読み切るから。外周警戒は任せた」  
そう言って、彼女は再び昭博の腕に掴まると、自分はパンフレットに没頭する。  
 下駄歩きに危険が無いか下方を見張り、往来に危険がないか前方を見張り、湯屋の看板  
がないか上方を見張る作業は、思ったより大変だということを、昭博は知った。だから、  
ついでに斜め後方も見張りたという欲求は、左の二の腕の重みで我慢することにした。  
   
 温泉宿の部屋食代は、いかに格下の宿であっても大学生の懐に優しいとは言えない。  
今回の宿も素泊まりで取ってあったので、夕食は外で探さなければならなかった。しかし、  
夜まで外湯めぐりすることを考えると、そっちの方が融通が効いて都合が良い。  
 湯屋のマッサージチェアで芙美の上がりを待ちつつ、昭博は彼女から回収した温泉街  
マップを眺めた。手頃な値段で、しかし東京から出張って来た甲斐がある程度の場所で、  
且つ芙美と二人で気後れしなさそうな場所。多少は酒も入るだろうから、帰りの下駄歩きを  
考えると宿に近い方がいい。しかし、酔いざましに夜の温泉街も楽しみたいから、少しは  
歩く距離があってもいい──  
「あー……、やめた」  
 小さくひとり言ちて、昭博はパンフを膝の上に放った。全くもって自分はこういった  
計画立てに向いていない。特に、細目を詰める作業となると、全くやる気が出てこない。  
 時刻表とガイドブックだけで既に旅に行った気になるまでシミュレートする芙美の  
行いなど狂気の沙汰だと思っている。  
 そして向こうも、起床15分後に日本縦断の旅行へと誘う自分を、大概気の狂った奴だと  
考えているに違いない。  
 確かに、今朝の作'戦'は、いささか酷かったと自分でも思う。  
 とはいえ、いざ旅行に向かってからの彼女のはしゃぎ様は、予想外に──予想を超えて、  
大きいものだった。それはきっと、昔馴染みゆえの気楽さだけではなく、所謂S極N極的な  
相性の良さが合ってのことなのではないか。  
 希望的観測か、はたまた単なる願望か。しかし、話として筋は通っている。後は、  
その筋書きを"実"を付ける計画さえあればいい──  
 
「こら、大事なパンフ様を捨てるとは何事か」  
 突然、顔の上に布に包まれた固い物が降ってきた。芙美が宿で借りた巾着だ。中身は  
元々財布だけだったはずだが、湯屋をめぐる度に余計な物が増えている気がする。  
「また何か拾ってきたのか」  
「化粧水。試供品の小瓶があったから貰って来た」巾着を引き上げながら、彼女は言った。  
「アキの無茶ぶりに、思わずこっちも吹っ切れて、本当に手ぶらで来ちゃったけどさ。  
さすがにやり過ぎたわ。化粧ポーチの一つくらいは持ってくるべきだった」  
「化粧なんぞ普段から真面目にしとらんくせに。大体、それを言うなら携帯だろ。俺も  
そこまで置いてくるとは思わなかった」  
「携帯はわざとじゃないってば。それに、最近はお肌のお手入れぐらいしてるわよ。  
今日明日の日焼けでシミが増えたらあんたのせいだからね」  
「温泉効能を信じろ。ゆっくり顔まで浸けとけばシミ抜きくらい出来るさ」  
「ブラウスの洗濯みたいにいけば世話ないわ」  
「しかし心の洗濯なら出来る」  
「うまく無い。ほら、行くよ」  
 
 膝から落ちた案内地図を持たされて、昭博は安楽椅子から立ち上がった。帯の周りに  
手をやって皺を伸ばすと、芙美がわざとらしく顎に手をやって検分する。  
「ふむん。今度は中々きまってるじゃない」  
「三度目だからな。さすがに慣れた」  
 彼女の横に立つに相応しい装いとして合格点を貰い、二人は最後の湯屋を後にした。  
辺りはすっかり夜の帳が落ちており、街灯の灯りは予想以上に頼り無い。  
「あんまりよく見えないね」  
「まあ、よくよく考えたら、夜景が綺麗とか特に書いて無かったしな」  
「でも、星は東京よりは見えるかなー。薄曇りだけど」  
「そう言えば新月って言ってたな、今日」  
 言いながら、昭博は空ばかり見ている彼女に代って、じっと地面に目を凝らした。目が  
慣れるまで、自分がもう半歩前を行った方がいいかも知れない。  
「で、私から強奪したパンフで夕飯の場所は決まったの?」  
「おう、大体絞っといた。こいつの裏面に書いてある店から、好きなとこ選んでくれ」  
「つまり手付かずってことね。まあ、そんなこったろうと思ってたわ」  
 溜息一つ吐くと、芙美は自分のガイドを取りだして、三つの印を指でなぞる。  
「私はこの三店に絞ったんだけど、価格帯も毛色も一緒でどうにも決め手がなくて…」  
「あ、俺この『山椒魚』って店がいい。カマ焼きの絵がうまそう」  
「あんたね……」  
 一瞬、半眼になってこちらを見上げてきた彼女だったが、次の瞬間、なぜか眦がカタン  
と落ちて、彼女はふっと相好を崩した。  
「ま、アキのそういうとこには、いつも助かってるんだけどね。正味な話」  
 川向こうの店だから一旦だから渡るよ、と言って急に方向を変えた彼女を、昭博は  
慌てて追いかけた。  
 
 
 城崎到着後の数時間で地元発行の観光誌をほぼ全て制覇した芙美の眼に、狂いは  
無かった。普段入り浸っている居酒屋の三割増しの値段で、日本海の幸を豊富に使った  
料理を満足行くまで食べることが出来た。帯のせいで、お互い満腹までいけなかったのは  
御愛嬌。  
 
「ベルトだったら緩めて追加行けたのにな」  
「むむむ。和服の帯って、ダイエットの切り札かもしれん」  
 食事後、一休憩して通りに出ると、人通りは大分まばらになっていた。部屋食付きの  
宿が多い温泉街は夜が早い。夕涼みにそぞろ歩きと洒落込みたかったが、いささか  
侘びが強過ぎた。  
 
「夜店でもひっかけて夜食調達しようと思ったけど、これじゃコンビニまで戻らないと駄  
目かな」  
「え、本当にまだ食べるつもりだったん?」  
 ビックリしたように振り返る足取りが、先程よりも覚束ない。昭博は下駄履きにも大分  
慣れて来たと思っていたが、ここにきて疲れが出たのだろうか。  
 
「いや、湯当たり、と言うほどでもないんだけどね。血行が良過ぎて、アルコールが回っ  
ちゃっただけ」  
 心配そうに寄ってきた彼に、「酔うような量は飲んでないし、すぐ抜けるよ」と芙美は  
笑った。実際、昭博が見る限り、芙美が飲み過ぎた様子は無かった。しかし、ふらふらと  
千鳥気味に下駄を突っかける彼女を見ると、そのままにしておくわけにも行かない。  
 
「ほら、さっきみたいにここ掴まっとけ」  
「ありがと。今日は随分紳士だねー」  
「よし、これでやっと首輪をつけられた」  
「えー。今日は私、全然仕切って無いじゃない」  
 旅先の開放感と、アルコールが相まって、普段よりもいちいち反応が柔らかい。二の腕  
に寄せられた半身以上に、心の力が抜けているのが分かって、昭博の心も軽くなった。  
「仕切らないって……外湯から史跡巡りから夕飯の場所まで、全部お前の決定じゃんか」  
「あんなのは全部、助言、諫言、アドバイスだよー。決めたのはアキ。そもそもここに  
連れて来てくれたのがアキ」  
「まあ、最後のは認めるが、それもチケット貰っての話だしなぁ……」  
 だから、少し気が緩んでいたのかもしれない。次の彼女の言葉に、昭博は完全に虚を  
突かれてしまった。  
 
 
「その先輩から貰ったって話、嘘でしょ」  
 
 
 はっと息を飲んだ昭博を、芙美は先程までの酔いが嘘のような、醒めた眼で見つめていた。  
 その後、表情をすっと薄めて瞼を伏せると、ごめん、と云った。  
「やっぱり、少し飲み過ぎたかな。言うタイミング間違えた」  
「……どんなタイミングなら良かったんだよ」  
「うーん。事後の気だるいモーニングコーヒーの場面とか? エンドマークの五行くらい  
前で、悪戯っぽく言うのが王道じゃない」  
「コッテコテだな」  
「確かにね。でも、人間やっぱり自分から縁遠くなってしまった王道に憧れるものなのよ」  
 仮にも十五年来の付き合いである。互いの間でなら、どんな状況でだって、軽口を続ける  
くらいは訳無いことだ。  
 けれど、彼女は自分の過ちと認めておきながら、二の腕に掛ける重さを増した。  
「さすがに、少し疲れたよ。もう、戻ろう?」  
「……分かった」  
 
 帰りは、それまでに比べると、お互い口数は少なくなった。けれど、不思議と気まずい  
感じはしなかった。芙美は元より常にしゃべくり回っている性質では無い。今日は旅先と  
言うこともあって、ここまで、ずっとハイテンション気味だったけれど、それで今さら沈黙が  
怖くなる間柄では無かった。  
 無論、この旅一番の秘密がばれて、開き直ってしまったということもあるけれど。  
 
 宿に戻ると、既にロビー脇の売店の明かりは落ちていた。玄関から客間に繋がる廊下  
にはちゃんと灯りが付いていたけれど、随分寂しい感じがするのは事実だった。静まり  
返った館内で音を立てるのが忍びなく、二人は自然と、ぬき足差し足になりながら、  
客室へと戻る。  
 そうして、丁度昭博が襖の引き手に手を掛けた瞬間、芙美が彼の耳元に口を寄せ、  
小声で呟いた。  
「賭けをしない?」  
「……どんなだ?」  
「布団が寄せてあるか、離してあるか」  
 悪戯っぽい口調ではあるけれど、聊か声量が少な過ぎて、感情がどこまで乗っている  
のか分からない。けれど、その平板さは、彼が娘の顔の方を振り向くのを、何となく  
躊躇わせた。  
 
「まあ、若い男女が荷物も無しに二人旅だからな。普通に寄せてあるんじゃないか」  
 一番、常識的で、妥当だと思う答えを、昭博は選んだ。  
「そう。じゃあ、私は逆に張るわ」  
 先程と同じ、全くの平調で、芙美は続ける。  
「くっつけたか離したか分かんないくらいの微妙な感じで、離れてる」  
「おい、それはずるくないか?」  
「でも、ちゃんと離れてるのよ。多分、指4音本分くらい。アキが納得いかなかったら、  
私の負けでいいわ」  
「そりゃまた随分と太っ腹だな」  
 部屋の明かりを付けてみると、果たして布団は離されていた。それも、ちょうど芙美の  
小さな掌が収まる位の隙間だった。  
「どう、文句ある?」  
「確かに、こりゃ認めるけど……どうやった?」  
「別に、これと言ったタネはないわよ。昼間にちょっとおかみさんと話しただけ」  
 昭博がチェックインしている間に、売店で話していたあの時らしい。なるほど、と思う  
反面、それだけで、布団の敷き方まで先読みするのは、反則な気がしなくもない。  
「ともあれ、私の勝ちねー」  
 言いながら、芙美は飾り帯のまま、どさっと布団に崩れ落ちた。  
「参ったか」  
「ははあ、御見それ致しました」  
「宜しい。では賭け金を払ってもいましょうか」  
 そう言って、彼女はやおら、自分の頭の横を指す。  
「ここ座って」  
「いいけど、ってうわっ」  
「はいそのままー。後はしばらく、団扇で扇いでなさい」  
「……何かと思ったら、膝枕ですか」  
「小さい頃、他の家の子がして貰ってるのが、地味に羨ましかったのよね〜。でも大人に  
なってみたら、世間的には「女が男にするもの」なんてふざけたことになってるしさ」  
「おばさんにやって貰えばよかったじゃないか」  
「あんたは私の反抗期の早さを知ってるでしょうが」  
 そう言いながら、芙美は帯に差していた団扇を抜いて、彼に手渡した。昭博が、大人しく  
彼女の顔に風を送り始めると、満足そうに瞳を閉じる。  
 
 仮にも十五年来の付き合いである。これが、相手を逃がさないための仕込みであると  
いうことが、昭博には分かった。  
 それにしても、と、彼は苦笑する。何事にも下調べ、下準備するのが彼女の信条とはいえ、  
こんなこと罠を張られなくても、いまさら自分に逃げる気は無い。  
 
「思ったより、驚かなかったね」  
 穏やかな表情のまま、芙美は言った。昭博は一瞬「膝枕のことか?」と呆けてやろうか  
とも思ったけれど、ここにきて混ぜっ返すこともないだろうと思い止まる。  
「まあ、旅行中ずっと隠す気は無かったんだけどな。しかし、どこで気付いた?」  
「チェックインする時。『予約した本間ですが』て言ったでしょう。そこは先輩の姓  
じゃないとおかしいじゃない」  
「その一言でか。凄いな」  
「まあ、他にも色々あったけどね。貰いものの宿の質に、やたら言い訳じみた言い方  
したりさ。修学旅行が云々とかも」  
「高校で来たのは本当だぞ」  
「分かってる。だけど、アキの修学旅行と先輩のデート先が700km先で一致ってどんな  
確率よ。万が一偶然なら、行きの新幹線で真っ先に話題に出そうじゃない」  
 あんな風に、ぼそぼそと打ち明けられたら、疑うなってほうが無理よ、と彼女は笑った。  
「やっぱり、嘘は吐けないもんだなあ」  
「普段思い付きだけで行動してる人が、慣れない仕込みなんかするからよ」  
 そして、芙美はぱちりと目を開けると、「あーもう、アキとだとすぐあっちこっち話が  
飛んで駄目だわ」とかぶりを振った。  
 それから、再び頭を膝に戻すと、彼女は元通り目を閉じて、言う。  
「どうして、この旅行に誘ってくれたの?」  
 
 数瞬、昭博が言葉を選んでいると、彼女は少し口元を緩めて言った。  
「別に、どんな答えでも怒らないわよ?」  
「遥子さんと行くはずのチケットが無駄になったから」  
「嘘」瞼を開けて、芙美はまっすぐに彼のことを見上げた。  
「私を試そうとしたことには怒る」  
「悪かった」  
 すぐさま、昭博は非を認める。  
「別に、今さら答えに戸惑ってるわけじゃない。純粋に、どう説明したらいいか言葉を  
選んでるだけなんだ」  
 そう言って、一旦団扇の手を止めると、彼は視線を床の間に移して続ける。  
「ただ、そういう意味でも、一言謝っといた方がいいかもな。旅行代そのものは、夏前に  
遥子さんと行こうと思って、貯めてきたやつだ」  
「そう。………って、それこそ、アキが私に謝る義理は無いと思うけど」  
 彼女の台詞の、句点に空いた一間の大きさに賭けて、昭博はたたみかけに入った。  
「いや、俺が謝りたかったんだ。出来れば、違う金で来たかった」  
 
「城崎に来たのは、お前と二人で、しばし呆けたかったからだよ」  
「呆けるって」  
「電話でも言ったろ? 俺と一緒にぼーっとしてくれって」  
「あ。」  
 深読みしやすい、紛らわしい言い方をしておいたおかげで、彼女は覚えてくれていた  
ようだった。実際、それがどこまで紛らわしいかは、この先の解釈に依るところだが。  
「大学入って初めて、お前の部屋で話した時のこと、覚えてるか?」  
 きょとんとした表情が崩れないうちに、昭博は先を続ける。  
「中学の頃、どうして続かなかったんだろうって話になって。まあ、切っ掛けが俺の性欲の  
暴走なんだから、続ける方が無理だろって話だったけどさ。そこで、お前言ったじゃん。  
『思春期の少年少女を二人っきりにさせとけば、くっつくのはしょうがない』ってさ」  
 口がようやく回転し始めたので、昭博は団扇を持ち直した。大きくゆっくり扇いで、  
膝の上の芙美と、それから自分にも、風を送る。  
「まあ、理屈だとは思ったよ。よく聞く話でもあるしな。でも、その一言で括られる事に  
、違和感はあった。二人っきりでいる時の方が、互いのアラとか不満とかが、よく見えて  
くるだろう? 遠くから見ているうちは憧れたけれど、いざ身近になったら幻滅するって  
のも、同じくらいよくある話じゃないか。  
 だから、もう一度確かめてやろうと思ってな」  
 帰りの切符が入った財布を見つめて、昭博は言った。「お前と、二人っきりで、互いの  
相手でもするしかない状況を仕'込'ん'だ'。普通に誘ったんじゃ、芙美は一から十まで  
計画だてて、お互いの顔を見る暇もないくらい、充実な旅行計画を立てちゃうからな。  
思い付きが信条の俺も、今回ばかりは図ったよ」  
 視線を落とすと、先程よりも、さらに呆けた顔で、芙美は昭博の事を見上げていた。  
「一応、本丸は無事だったみたいだな」と笑って、彼は続ける。  
 
「この際だから、正直に言う。きっかけは、遥子さんだよ。『私と二人っきりが楽しいと  
、本当に思ってる?』って正面から言われた。まあ、この上ない振られ文句だったわけだが、  
別に強がりでもなんでもなく、そん時に「なるほど」と思っちまった。交際の延長に、  
その、まあ、結婚云々を想定するのは個人差の大きいところだとは思うがしかし、  
仮の話としても、付き合いが深まれば二人の時間が増えるのは事実だろ。そういう時、  
何かしらイベントがある無しに関わらず、傍にいたらいいなと思う人間を考えたら……  
 お前だった」  
 
 およそ、柄にも無い事を言い連ねているという自覚はあった。おかげで、後半は団扇の  
勢いがかなり増した。そのせいで、膝の上の芙美の髪が結構乱れていたのだが、彼女は  
何も言わないので昭博は気付かなかった。幾筋かの髪が目元から鼻先へかかっても、  
先の表情のままで、芙美は彼の事を見上げていた。  
「だから、確かめに来た。もう六年、いや、きっかけは七年前か。あの時の俺らが、若気の  
至りだったのか、寂しさゆえの気の迷いだったのか、もう一度確認しようと、お前を誘った。  
正直言って、出発するまでは自信が無かったよ。他ならぬお前の言葉だからな。でも、  
行きの電車の中ですぐに確信が持てた」  
 まん丸に見開いて一直線に見上げてくる瞳を、正面から見返して、昭博は言った。  
「惚れた腫ったの話じゃなくてさ。二人っきりなら、お前とがいい。」  
 
 
 正面から見つめ合っていたのは、ものの数秒だったよう、昭博は思う。返事を貰うまで、  
例えにらめっこになっても視線を外さない覚悟ではいたが、あいにくとそんな必要は  
無かった。  
 
「二人っきりなら、お前とがいい。か」  
「うん」  
「私と二人っきりがいい、じゃなくて、二人っきりなら、私とがいい」  
「ん?…あ、ああ」  
「アキと二人っきりになりたいじゃなくて、二人っきりなら、アキとがいい」  
「……いや、そういう言葉尻じゃなくてだな。せっかく恥ずかしい長台詞吐いたんだから、  
正面から受け止めてくれると助かる」  
 一抹の不安を覚えて、昭博は思わず遮る。しかしその直後、芙美はお腹を抱えて、  
盛大に噴き出した。身体をくの字に折るようにして、時折しゃくり上げながらの大笑い。  
それこそ小学校以来の大げさな仕草に、昭博は思わず呆気にとられる。  
 そんな彼の膝で、ひとしきり笑い転げた芙美は、眦を指で拭って言った。  
 
「あはは、はは、はふ……馬鹿みたいに笑ってごめん」  
「まあ、馬鹿馬鹿しい物言いだったことは認める」  
「違う違う、そうじゃないの。やっと納得して、そしたら涙が出るほど可笑しくって」  
「涙が出るほど嬉しくって、が良かったなぁ。俺としては」  
「ううん。嬉しいのもあるよ、本当に。それに、笑ってるのはアキじゃなくて、自分になの」  
 それから、再び頭の重みを昭博の膝に戻して、彼女は続けた。  
「さっきの告白、雰囲気だしてすっごい前振りだったからさ。どんな事言われるかと  
ビクビクしてたんだけど。 『二人っきりなら、お前とがいい』っていわれて、思わず  
ポカンとしちゃたのよ。  
 ……そんなこと、私だっていっつも思ってたよって」  
 
 思わず、にやりとする昭博の下で、芙美はやや恥ずかしそうに目を伏せた。  
「馬鹿みたいだけど、言われて初めて気付いたわ。それって付き合うには十分な理由  
なんだって。いやはや、まさか自分がこんなザマなろうとは」  
 天然鈍感キャラって、嫌いなんだけどなぁと、芙美はぼやきながら身体起こす。  
「結局、私はこの年になるまで、恋に恋する女の子をやってたって事なんだと、思う。  
男女のお付き合いするにはさ、もっと『離れたくない!』とか、『二人っきりじゃなきゃ  
やだ!』みたいな、激しい感情が無いと駄目なんだって、決めつけてた。誓って、  
私本人にそのつもりは無かったんだけどね」  
「ま、俺も他人に言われて気付いたんだから、大きな顔は出来ん」  
「そうよねー。余所様に迷惑かけなかった分だけ、私のがマシかな」  
 
 昭博が聞く所によると、意外とそうでもないらしい。大学進学当初、色々と人目を引く  
彼女は、本人の知らぬところでひとふた騒ぎの原因になったとのことだった。しかし、  
今さら言うことでもないか、と彼は口をつぐんだ。  
 何れにせよ、昔のことを突かれれば昭博の方が旗色が悪い。  
   
「ま、今後は一つ、互いに世間様の迷惑にならないよう、一緒にやっていこうじゃないか」  
「ちょっと。そんな婚期逃した残り物同士のプロポーズみたいなのやめて」  
「う゛っ……つか、待てよ。俺はちゃんと最初に言ったぞ」  
「肝心な言葉が無かったような気がします。ほら、どうせうちらは、始まっても今まで  
みたくグダグダ行くんだから、最初くらいははっきりしておかないと」  
「まあ、その件に関しては前科持ちだしな、俺ら」  
 仕方ない、と布団の上に脚を正して座り直し、昭博は告げた。  
 
「川浦芙美さん、六年経っても、やっぱりあなたが好きでした。  
 俺と付き合っていただけますか?」  
「この六年、自分の気持ちにすら気付かなかった不束者で良ければ、喜んで。  
 本間昭博さん、どうぞ宜しくお願いします。」  
 
 布団の隙間に三つ指をついて、互いに頭を下げ合って。  
 きっかり5秒は経ってから、二人はほとんど同時に噴き出したのだった。  
 
  *  
 
 一頻り笑い合った後、昭博はゴロンと布団に横になった。晴れて積年の目的を達し、  
緊張の糸が切れた瞬間、今日一日の疲労がどっと溢れだしてきた。  
「ふぁー、なんというか、疲れた」  
「あはは、付き合い始めて一番最初の言葉がそれかい」  
 突っ込みを入れつつ、芙美もぐにゃりと上半身を崩して、身体を彼の隣りに横たえた。  
「まあでも、気持ちは分かるわ。世の男女どもは、よくまあこんな疲れる事何度も何度も  
出来るわよねー」  
「俺はこれっきりで十分だな」  
「そうね、私もこれが人生ラストになることを祈るわ。マジで」  
 お互い、勢いで大それた事を言っているという自覚はあった。けれど、それで言質を  
取られてもまあいいか、と思ってしまえること、そして相手も同じように考えていると  
分かる事が、くすぐったくも心地よい。  
 
「でも、別に嫌味とかじゃなくてさ。大学入って、先輩の女性に恋愛を仕掛けていった  
アキは偉いと思うよ」  
「そうなのか?」  
「うん。だって、私はアキの御蔭で、あんまり苦しい思いせずに済んだけど。アキは大変  
だったでしょ?」  
「まあ…な」  
「行き当たりばったり人生のアキが、こんな手の込んだ仕掛けを打ってくるんだもん。  
よっぽどの事が合ったに違ないよ」  
「お前は人を褒めてるのか、貶してるのか」  
「感謝してるんだよ。私の代わりに傷ついてくれたアキに」  
 そう言って、芙美は寝転んだまま、すっと手を伸ばしてきた。いつものように、頭を  
ポンポン撫でるのかと思いきや──今日は、下顎から頬に添えられる。  
「でも、私だけ楽して物知らずってのも、なんだなぁ。ちゃんとお試しでも付き合っとく  
べきだったか」  
「……俺がやけどした分、お前は火遊びをしないでくれると助かる」  
「……へへ。わかった、ありがと」  
 
 顔を撫でる芙美の腕を伝って、彼女の背中へと手を回す。そっと力を入れると、芙美は  
抵抗せず身を寄せて来た。  
 昭博が娘の身体をすっぽりと腕の中に収めると、彼女がくたりと全身の力を抜いたのが  
分かった。少し体重をかけて押しつけられた膨らみが、暫ししてひくひくと震えだす。  
「何だよ?」  
「いや、ごめん。なんか急に懐かしくなってきて」  
 芙美は少し身じろぎをして両手を抜くと、自分も相手の背に手を回してゆっくりと身体  
を押し付けた。今日一日、ようやく見慣れてきた旋毛が顎の下に収まって、石鹸の香りが  
彼の鼻腔をくすぐっていく。  
「六年ぶりだし、アキの体付きなんて全然変わってるし、緊張はそれなりにしてるんだけ  
ど……妙な安堵感もあるのよねぇ」  
「安堵感?」  
「うん。ほら、私ちょうどあの頃は絶賛反抗期中で、家族どころか世界には頼れる人間は  
自分だけみたいな感じだったじゃない? そんな時、アキの人肌にすっごい安心できたのよ。  
あれ思い出すなー」  
「あー、なる」  
「正直に白状すれば、当時は人肌恋しさに抱かれてたってのもあるかもね」  
「……そんな少女を、性欲最優先でひたすらやりまくってたクソガキで本当にすみません  
でした」  
「え、いや、今さら何言ってんの」  
 つむじに顎を載せながら謝罪を言うと、彼女は腕の中でコロコロと笑った。  
 
「寧ろ、アキが無条件に抱きたがってくれて、すごく有り難かったんだよ。私からって  
言い出しにくかったし、求められて『しょうがないから応じてやる』って体裁が取れるのは  
、楽だった。本能でも何でも、同情じゃなくて、本心から望まれてるのが分かるのは、  
凄く安心出来たし。……てか、あの場合動機不純なのは私の方じゃない?」  
「そう言う場合でも、悪いのは男の子の方なのです」  
「さよですか。いつの間にか物分かりの良い子になっちゃって」  
「男子六年会わざれば刮目して見よってね」  
「この六年、三日と空けずに会ってたけどね」  
「ってなわけで、そろそろ性欲を優先させても宜しいかね?」  
「ぶっ…っあっはは、そうきたか。うん、うん、なるほど、アキの六年分の成果は出てる」  
 今日一番の、楽しそうな笑顔を向けて、芙美は言った。  
「じゃあ、とりあえず、『あ〜れ〜』から始めればいい?」  
 ゆっくり0.1秒迷ってから、昭博は10数年来の幼馴染の思い付きを却下した。  
 
 腕の中でまだ肩を震わせている娘を抱きあげ、昭博は頭の位置を調整した。顎に手を  
やり、唇を軽く上向かせてようやく、芙美も笑いを収めてくれる。彼女の瞼がそっと  
下ろされるのを確認してから、彼も目を閉じて顔を落とした。  
 一呼吸分、ゆっくりと唇を合せてから、一旦戻す。ちょっと目を開けて、お互いの表情  
を確認してから、もう一度。  
「……んぅ」  
 今度は、少し深めに吸う。角度を付けると、娘の扉は簡単に開いた。二三度、舌先を  
入口で遊ばせてから、早速内側へと沈めていく。  
 その性急さに、ちょっと驚いた風を見せつつも、芙美は抵抗しなかった。歯茎をなぞる  
昭博に合せて薄く口を開け、自らも外に出て歓待する。  
 歯と歯の間で互いの味を確かめ合い、さらに奥を攻めようとしたところで、芙美は  
ほがるように息を詰めた。昭博が顔を上げると、彼女も遅れて瞼を開ける。  
 
「ちょっと急すぎたか?」  
「ううん。久しぶりで、吃驚しただけ。でも面白いね、してるうちにどんどん思い出すよ」  
「そうか。ま、お互いゆっくり勘取り戻そうぜ」  
「うん………んぁ」  
 
 再び唇を合せ、先程よりもゆっくりと舌を絡めていく。芙美の言うとおり、一呼吸ごとに  
互いの間合いが分かるようになる。擦り合わせる味蕾の感触と、交換する唾液が味が、  
六年の時間を一気に巻き戻していくようだった。  
 次第に大胆になる芙美の舌使いに、彼自身ものめり込んでいく。昭博は両手を彼女の  
背に戻すと、先程よりしっかりと彼女を抱き直した。  
 十四の頃に比べれて随分と女らしくなったはずの娘の身体が、ずっと華奢に感じられる。  
それは昭博自身の、この六年での成長の証でもある。  
 だから、六年前なら逆らえなかった衝動──芙美の柔らかさを力一杯堪能したいという  
暴力的な欲求──に抗いつつ、彼は掌を背中で滑らせ始めた。すると、つと、昭博の口の  
中で彼女の舌が引き攣った。そういや肩甲骨が弱点だった、などとと思い出しながら、  
昭博は逃げる舌を追いかける。  
 
 勢いづいて、彼女に肌を探っていた彼だったが、すぐに問題にぶつかった。思った以上  
に、帯が邪魔なのだ。愛撫を続けたまま、手探りで解けないかとやってはみたものの、  
うまく行かない。そもそも、結び方を良く分かっていないのが、致命的だった。  
 何度か無理に引っ張っているうちに、芙美にも状況が伝わってしまった。キスをしたまま、  
くすりと吐息を漏らすと、彼女は一旦胸を押して身体を離す。  
「だから、『あ〜れ〜』しとけば楽だったに」  
「記念すべき初夜、じゃあないが、とにかく一日目からそんなアホな事出来るか」  
「アキの誘い文句も、大概酷かったと思うけどなー。帯、前に回すから、ちょっと身体  
浮かすね」  
「おう」  
 
 上半身を起こして帯を解くと、芙美は手早く畳んで布団の外へと押しやった。その間に、  
心許なくなった腰回りの裾が、ふわりと乱れた。それを見下ろした彼女は、ちょっと  
迷ってから片手で整え、再び彼の隣りに横になる。  
「じっ……。じゃあ、続きどうぞ?」  
「いよいよ本番で、緊張してきた?」  
「……ばか」  
 ほんのりと染まった頬を隠すように、芙美が頭を下ろしてくる。視界を奪うためと  
分かっていても、彼女の側からの接吻は嬉しい。唇をしっかりと合せてながら、  
昭博は邪魔ものの無くなった娘の背中を堪能する。  
 
「ふ……んちゅ…くぅん……はん」  
 相手の息が落ちいたのを見計らって、彼はゆっくりと手を前に回していった。縛めの  
無くなった裾に手をかける。芙美は抵抗しない。けれど、合わせて身体を開く事もしない。  
昭博はそのまま浴衣の内側に入り、肌着の上からそっと膨らみを掴まえた。記憶の中の  
ものよりもずっと豊かなになったそれを、数度下着の上から揉んだ後、彼は言った。  
 
「なあ、芙美」  
「んー?」  
「腕、もう少し楽にしてくれないと、脱がせられないんだが」  
「えっ? あ、ご、ごめん!」  
 慌てて万歳する芙美を笑って抱きしめてから、昭博はキャミソールに手をかける。  
「はー、ごめん。さっきは安堵とか言っといて、何今さらガチガチになってんだろね」  
 ここにきて、妙な繕いをするのは諦めたのか、大人しく赤い顔を晒して彼女は言った。  
「まあ、ブランク長かったからな。無理もないさ」  
「その間に、アキは片手でブラのホックを外してしまうようなプレイボーイに成長したと  
いうのに」  
「……意外と余裕じゃないか。それだけ軽口叩けりゃ問題ない」  
「いや、きっと逆よ。いつでもグダグダ無駄口叩きながらが、私たちのスタイルなのに、  
アキが妙に無口で雰囲気出したりするから、平常心が保てなく…むぐっ」  
「ん……。キスする口と話す口は一緒だからな。それに、こんな時に平常心保ってどうす  
んだよ」  
「んあ……っく。『○○のくせに生意気だ』ってフレーズ、ようやく使いどころが分かったわ。  
あー悔しい」  
「でも感じちゃう?」  
「な゛っ……、あ、アキッ! 今のは本当にありえないわよ!」  
「うむ、我ながら今日一番の酷さだと思った」  
 
 そうして、結局は芙美の言うとおり減らず口を叩き合いながら、昭博は身体に触ってい  
った。実際、今は浴衣の前を大きく開いて、彼女の胸を直に揉んでいるというのに、娘の  
様子は先程よりよほど穏やかだった。  
 なんだかなぁという思いが頭の隅を掠めはする。しかし、それを無理に正そうとは思わ  
ない。身の丈に合わない恋愛の顛末を反省するのに、六年は十分過ぎるほど長かった。  
 
「ふ…はっ……ん。もうちょっと、強くしても大丈夫」  
「うん? これ以上は、かなり痛がってたように思うんだが」  
「そりゃあ、あの頃は成長期だったし」  
「そういや、中の方にあったシコリみたいなの、無くなってるな」  
「…っ……。とにかく、変な遠慮しないでいいってば。妙に我慢してる顔を見せられる  
方が嫌」  
「ん、そか」  
 
 昭博は身体を起こすと、芙美の身体を横抱きに抱えた。重力に従って、たわわに実った  
膨らみを、下からしっかりと掬い上げる。この六年で随所が大人らしくなった彼女だが、  
やはり一番変化が合ったのはここだろう。そっと力を込めれば、掌に収まりきらなかった  
膨らみが、指の間から零れ出す。  
 何度か繰り返すうちに、昭博の顔からも余裕が無くなっていった。自然と呼吸が早くなり、  
それに気付いて誤魔化すように口づけをする。だが、一度顔を女体に寄せると、  
そこから離れるのが苦痛になる。三度の湯浴みでしっとりと火照った柔肌を、頬、首、  
鎖骨と降りていく。  
 
 双丘の麓に辿りつき、いっときの間逡巡すると、芙美の両手が頭の上に降りてきた。  
暫しして、彼はそれが承諾の合図だったと思い出す。彼女の身体を起して、自分の膝の  
上に座らせると、顔を谷間へと埋めていく。  
 やがて、唇が桜色の頂きに達すると、もう自制は効かなかった。左手で背中を支え、  
右手で下乳を持ちあげると、逃げ場の無くなった膨らみにギュッと唇を押し付ける。  
唾液の乗った舌で慎ましやかな蕾をしきりにねぶり、湧くはずの無い泉を音を立てて  
吸い上げる。  
 
 夢中になって自分の乳房を啜る男の髪を、くしゃくしゃに弄んでいた芙美だったが、  
やおらくすくすと笑いだした。  
「んあ?……な、なんだよ」  
「だって、アキったら妙な手練手管を尽くすと思いきや、おっぱいの吸い方だけ昔と同じ  
なんだもん」  
「………悪かったな」  
「ううん、全然。おかげでちょっと緊張とけた。もっと、好きなだけいいよ」  
 
 笑顔でそう言われては、男として興奮せずにはいられない。昭博は憮然とした表情を  
作りながらも、素直に反対の乳房へと顔を落とす。  
 そうして、豊かに育った双乳を口いっぱいに含みながら、男の手は次の獲物を探し  
始めた。背中を抱きとめていた手が、ゆっくりと円を描きながら、下へと降りる。尾てい骨の  
上側から、ショーツの縁を通って、腰骨をさすると、彼の頭を抱く手がピクリと震えた。  
しかし、それ以上には行くのは、この体勢では難しい。  
 
 頂きに一度、軽く歯を当ててから、昭博は一旦顔を上げた。芙美の身体を再び布団に  
横たえて、浴衣を完全にはだけさせる。  
 仰向けになった彼女に覆い被さり、二・三度口づけを落としてから、彼はショーツに手を  
かけた。だが、芙美は腰を浮かす代わりに、少し不満そうな顔で相手の裾に手をかける。  
「私だけ、ってのはどうなの?」  
「おっと、すまん」  
 慌てて自分の帯を解き、浴衣の前を寛がせる。それでも芙美が納得しないようだったの  
で、下着まで纏めて一気に脱いだ。興奮ですっかり反りかえったモノを、正面からマジマジと  
見つめられたが、こうなっては隠しても仕方が無い。  
 
「あー、お嬢さん。何か感想でも?」  
「やっぱり、そういう場所もちゃんと成長するんだねえ」  
「お前さんもいっしょだよ」  
「そっか。でも私の方は、あれから殆ど背も伸びてないし、広がる余地は無いと思うんだけど。  
いや、元々産道なんだから、成熟すると伸縮が良くなるのか?」  
「……あのな」  
 
 天然かボけたのか微妙に判断がつかず、昭博が突っ込みかねていると、芙美の手が  
するすると股間へ伸びて来た。興奮した一物を手で包み、何度か探るようにしごいてから、  
身体を起して頭を股座へ下げようとする。  
「お、おい。何を」  
「え? だって、まずは口で下準備しないと」  
「………うん、すまん。本当にすまん。今ここにタイムマシンさえあれば、AVの知識を  
そのまま実践するクソガキをぶん殴ってきて連れて来て土下座させるんだが、手元不如意  
のため代わりに俺が謝ります。好きなだけ蹴って下さい」  
「あはは、なにそれー。別に特別、特殊性癖ってわけでもないでしょ。頭下げて『蹴って  
下さい』の方がよっぽど変態ぽいよ」  
 昭博は本心から謝意を述べた。しかし、彼女の偏った知識に、聊か歪んだ興奮を覚えて  
しまったのも事実だ。  
 芙美に他の男と付き合った経験が無いのは、以前から知っていた。だがこうして、自分  
以外に男を知らない証左をまざまざと見せつけられると、心の奥底の身勝手な独占欲が  
甘く掻き立てられてしまう。  
 
「いいから、まずは大人しく横になれって。それから、裸で存分に抱きつかせろ」  
「え、うん……きゃっ」  
 相手をやや強引に布団に転がして、昭博もすぐに追いかける。横臥の姿勢でしっかりと  
抱きしめ、足先から唇まで、合せられる肌はぴったりと重ねた。邪魔な薄布の無い、  
しっとりと暖かい感覚が、一層昭博を昂ぶらせる。己の胸板で芙美の豊かな乳房が  
柔らかく潰れ、相手苦しめると分かっていても、一度だけ腕に力を込める誘惑に逆らえない。  
 
「ふゅ、っぐ…ん」  
「ごめん。もうしない」  
「んっ……ふふ、守れない約束はしないの」  
 彼の後頭部に手回し、髪の毛をくしゃくしゃにかき回しながら、芙美は言った。  
「こんくらい、何度でも平気だって」  
「おまえなぁ……いや、100%俺が悪いんだけども、セックスってのは何から何まで我慢して  
男を受け入れるもんでもないぞ」  
「えー。私の初めての人は、そんなこと教えてくれなかったなー」  
 
 今度は、明らかにわざとと分かる意地悪な笑顔を見せてから、芙美は言った。  
「アキの大人の気遣いは嬉しいけど。正直に言えば、昔みたいに好き放題引っかき回され  
るのも嫌いじゃないよ、私」  
「え?」  
「ほら、小さいころから私が丁寧に組み立てて、アキがそれをぐちゃぐちゃにするのが  
役回りじゃない?」  
 そこで、憮然とする男の表情を楽しんでから、彼女は諭すように言う。  
「確かに気持ちよく無いこともあったけど、気分はよかった。だから、我慢じゃないし、  
して欲しいってのは本心。大体、私が嫌々泣き寝入りするような性格じゃないのは、  
知ってるでしょ」  
「まあ、な」  
「泣き寝入りする先はアキぐらいしかないんだから、苦情が届かないってことは  
あり得ないわよ」  
「この場合、それは喜んでいいのか不安になるべきか微妙だが、取り敢えず限界なんで  
キスする」  
「えへへ、はい…ん」  
 
 しっかり唇を繋いだまま、先程よりほんの少しだけ弱い力で、一度ぎゅっと抱きすくめる。  
肺から押し出された吐息を飲み込んで、一先ず気を落ち着けた彼は、娘の身体を布団に  
戻して最後の砦に取り掛かった。  
 背中を支えていた両手を脇へと回し、ショーツの両脇に指をかける。ゆっくり引き下ろ  
そうとすると、彼女は一瞬、何か言いたげな表情で昭博を見たが、直ぐに諦めたように  
横を向く。  
 それに気付かなかった振りをして、彼は両指に力を込めた。芙美も、今度は逆らわず、  
そっと腰を上げてくれる。下手に焦らさずさっと抜いたが、クロッチとの間に架かる二本の  
水橋は誤魔化しようが無かった。  
 
「…な、なーに。言いたいことがあれば何でもどーぞ」  
「別に? なんも」  
 少し重くなった薄布を枕の向こうに放り、そのまま荒々しく覆い被さって口を吸う。  
半分は善意の誤魔化しとはいえ、もう半分は本物の興奮だ。唇を割り開いて舌を入れ、  
溢れる唾液をそのまま流し込みながら、相手の中で芙美の舌を追い回す。存分に  
掻き混ぜられたそれを彼女が観念して飲み下す瞬間、すっと股座に手を伸ばす。  
「ふうっ……!」  
唇から漏れた嬌声を飲み込んでやりながら、昭博は指先を湿らした。確かに、昔は  
ここまで濡れる性質では無かった。しかし、それは単純に心も身体も未成熟だった  
だけの話なのだ。芙美との間にある僅かながらの経験の差のおかげで、彼には  
そのことが理解出来た。だから、フォローするのも彼の役目だ。  
 
「んく……はぅあっ……んんっ!」  
 抑えた吐息をBGMに、土手をゆっくりと割り開いていく。溜まった蜜の中に指先を沈め、  
その腹で前庭をゆっくりとさする。 外側の抑えを外すと、指の背に襞が覆いかぶさった。  
 体つき同様、そこも幾分変わったと思う。けれど、記憶に有る部分もある。愛撫への  
反応は、特に懐かしい感じがする。それが分かる事へ、たまらない興奮と愛しさを覚える。  
 
 掬いあげた蜜を上端の敏感な実に塗りこめると、嬌声の音色が一オクターブ上がった。  
少し苦しそうに震える唇を前に、一旦キスを中断する。そうして、胡乱に開かれたつぶら  
な瞳を見つめながら、滾々と蜜を零す泉へ薬指を沈めていく。  
 
けれど、その反応は芳しく無かった。  
「い゛っっ、あっ……や、びっくり、しただけ」  
 何も聞く前から言い訳する辺り、語るに落ちると言う他ないが、やはり六年のブランクは  
長かったようだ。第二関節まで沈めた指がギチギチに締め付けられる。本当に成長して  
るんだろうか。伸縮が良くなったとは思えんが、などと、さっきの馬鹿話を思い出す。  
 芙美の表情を見つめながら、何度か指を出し入れしてみて、昭博はもう一手間必要だと  
判断した。秘部を弄り始めてから、いい加減興奮も限界にきていたが、ここで無理させて  
は己の六年は何だったのだと言うことになる。  
 いや、別に六年での成長はこんなことだけではないのだが。  
 
 少し深いところまで沈めてみて、やはり痛みの勝る反応を確かめると、昭博は一旦指を  
抜いて身体を起した。疑問符を浮かべて彼を見上げる芙美に一度口づけを落としてから、  
身体を下げて両脚を大きく割り開く。  
「え、なにを……きゃんっ!」  
 三度も風呂に浸かっただけあって、彼女のそこは鼻を寄せても殆ど匂いはしなかった。  
元々、体臭が薄い性質なのだ。しかし、しとどに溢れだす蜜の味は記憶の通りで、彼は  
やはり可笑しく思う。  
 舌先を固くして外襞をめくり、溢れたものを啜りながら前庭をさする。唇で秘部全体を  
圧迫しながら、敏感な核へ味蕾をそっと押し当てる。すると、先程よりもずっといい反応  
が返ってきた。力んだ太股を押えつけ、ひくひくと震える入り口へ尖らせた舌を沈めると、  
奥から少し味の変わった愛液が溢れだす。  
 
「ちょっ、や、やめっ、ひゃうっ…アキッッ!まってってばぁっ」  
 調子に乗った昭博が音を立てて啜りあげていると、芙美が身体を起して飛びついてきた。  
髪の毛に思いっきり縋りつかれて、ちょっと痛い。  
「身体、一旦起こして! 私もするから」  
「だから、別に無理するもんじゃないって…」  
「違うの!……うー、私だけされてる方が、恥ずかしいのよ!」  
 珍しく真っ赤な顔で捲し立てられて、昭博も頷かざるを得なかった。このまま続けて、  
さらに悲鳴を上げさせてみたいという欲望も無いではないが、度を超して拗ねられては  
元も子もない。明日も一日、楽しい二人旅を楽しみたい。  
 彼が体を脇にどけると、芙美はその尻を抓るようにして、股間を自分の顔の上に  
引っ張ってきた。舐め合うにしても、男が下でないと苦しいだろうと昭博は思ったが、  
どうやら腰砕けで上になれないらしい。  
 
「ん。そのまま、腰、落として」  
「まあ、俺も気をつけるけど。入り過ぎて苦しかったら言えよ」  
そう言って、慎重に膝を曲げていく。しかし、興奮でモノが反り過ぎているせいか、  
はたまた昔と身長差が変わっているせいか、上手く娘の口に入らない。先走りに  
濡れた傘が何度か彼女の鼻や頬を擦ってから、少し気まずげに彼は言った。  
 
「あのー、芙美さん? もしよろしければ、ちょっと手で誘導して貰えると、御顔を汚す  
ことも無いのですが」  
「え、ああ、そっか。ごめん、こういうプレイなのかと思った」  
「おいちょっと待て今も昔もそんな変態趣味は無いぞ」  
「昔、顔射を…」  
「返す言葉もございません」  
 即答する相方に、やはり小さく吹き出してから、芙美は彼のものに手を添えた。二三度、  
ゆっくり扱くようにしてから、反りをたわめて自分の唇へ寄せていく。  
 先端に軽くキスした後、そっと舌押し当てる。六年ぶりのその味を、しばらく静止して  
受け止めてから、少しずつ動きを大きくしていく。傘を濡らしていた先走り液が、自分の  
唾液と入れ替わるまで舐めてから、彼女は思い切りよく剛直を咥えこんだ。  
 
「んっちゅ……ぷは。頭上げる方が疲れるから。一旦、喉突くとこまで下ろして」  
「…分かった」  
 
 ここに及んで、余計な遠慮は無粋だろう。そう腹をくくって、昭博はゆっくりと腰を  
下ろしていく。芙美も唇を強くすぼめ、舌をしっかりと絡ませて、己の口を犯す男を  
歓待した。  
 
「はくぅ…んぶ…ぢゅく……ん、ん゛ぐっ!」  
 娘の鼻筋が、彼の茂みの中に埋まる直前、先端がきゅっと肉輪に包まれた。同時に、  
くぐもった呻きが、挿し込んだ剛直越しに伝わってくる。昭博は慌てて腰を上げが、  
芙美は一度大きく咽ただけで、直ぐに奉仕を再開した。  
「じゅる…っぷは、ふが……あむ、んく…」  
 唇を締め、頬をすぼめて、柔らかい粘膜で包みこむ。舌の付け根から傘に巻き付け、  
唾液を載せて裏筋だけでなく全体をねぶる。動きが単調にならないように、時折角度を  
変えて亀頭で口蓋をこそぐようにし、強めの刺激でアクセントを加える。  
 芙美の愛撫は、舌遣い一つ一つに至るまですべて、昭博のツボを押えていた。当然と  
言えば当然だ。彼女にこれを教えたのは、遠慮を知らない14の彼自身なのだから。  
そして芙美は、それ以外のやり方を覚える機会など無かった。  
 
「んぶ…れるん…んっく…うぐっぅ!」  
「わり、つい」  
 つと、不随意に跳ねた剛直が、娘の喉奥を襲った。先よりも一回り大きなって、目測を  
誤ったのだろう。そのまま、もう一度喉輪を味わいたいという本能を必死に押えつけて、  
昭博は自分の愛撫を再開する。  
「ひ、今ひまは、わたしの番じゃ…はくっ!」  
「この格好なんだから、俺にも味わわせろよ」  
 
 69で覆い被さり、太股を抱え開いた秘部へしっかりと吸いつく。小休止を挟んだせいか、  
反応は先程よりも穏やかだ。しかし、身体自体はより解れている感じがした。一方的な  
受身から、自分も攻められる体勢になって、幾分リラックスしたのかも知れない。昭博も  
舌を伸ばして奥の泉を探ると、入口の緊張はずっと楽になっていた。だが、このまま  
一度イかせてやろうと上端の実に吸いついたとこで、彼はふと考えを改める。  
 
 手や口だけで強引にいかされるのは嫌だと、昔よく怒られた。一度思いっきり達した  
後は、身体がだるくてあんまりやる気がおきないとも。女の身体は男と違って何度でも  
いける、などとしたり顔で言って、「そんなことは女になってから言ってみろ」と  
詰られたものだ。  
 それに、この体勢のまま妙な勝負に発展などしたら、多分彼の方が負ける。芙美の的確  
過ぎる舌遣いに、いい加減耐えるのも限界だった。  
 もう一度だけ、彼女の口の深いところを味わってから、じゅぽんと音を立てて強張りを  
引き抜く。突然口枷が外され、呆けたような表情をしている娘に、昭博は言った。  
 
「もう、我慢出来ない。いれるぞ」  
「え…う、うん。わたしも」  
 顔を赤くして、芙美はコクコクと首を振る。いざと言う時、直球に弱いのも昔からだ。  
つい今しがた、陰茎を喉奥まで咥えこんでいたとは思えないほど初な反応を楽しんでから、  
昭博は手早く避妊具を準備する。  
 と、そんな幼馴染の機微を読みとった娘は、思わぬところから反撃してきた。  
 
「手ぶらだったのに。何時の間にゴム買ったの?」  
「……いや、来る前からズボンに忍ばせてた」  
「今日、朝から一日中? 袋の状態のゴムを、ポッケに入れて歩いてたの?」  
「そだよ……って、笑うなっ。悪いが俺は初めからその気だったんだよ」  
「いや、うんそうだね。この場合、持ってる方が優しさだと思う、ありがと……ぷくくっ」  
「全く、お前はなんでそう台無しに……」苦笑しながら、昭博は訊いた。「こう言う時は、  
普通女の方が、雰囲気とか欲しがるもんじゃないのか?」  
 潤んだ瞳のまま、楽しそうに笑って芙美は答えた。  
「そんなの、いらない。いつものアキとが、一番いい」  
 
 なるほど、ピッチャー返しは変化の付けようがないから、例外なく直球となるわけだな。  
などと、恍けたところで、己の表情を隠せる訳も無く、昭博は上ずった声で彼女の上に  
圧し掛かった。  
 
「好きだ、芙美」  
「わたしも、ア……ふぁあんんっ!」  
 弾みをつけて、入るところまで一気に押し込んだ。足が滑ったわけでも、我慢が効かな  
かったわけでもない。昭博が今一番したいことはそれであり、芙美のしたいことは、  
その昭博の欲求を叶えることだと、彼自身分かっていたからだ。  
 気持ちよくなんて、いつでもなれる。しかし、この激情をぶつけ合える瞬間は、  
今しかない。  
「…っ……く、んぁあっ!」  
 ひさしぶりに入ったそこは、初めてかと紛う程にきつかった。結構体重をかけて押し入った  
ものの、まだ三分の二ほどの場所で引っ掛かっている。十二分の準備をしたつもりで  
はあったが、それでも六年のブランクは相当だったということだろう。  
 
 けれど、昭博は焦っても臆してもいなかった。一度は、彼自身が拓いた場所だ。それを、  
一緒に思い出すだけのこと。むしろ、再開発する楽しみが増えたとも言える。  
 娘の腰を上げて、余分な挿入の角度減らす。浅いところでは小刻みに動かして、抽送に  
馴らす。それから、ゆっくりとした動きで、深堀りを試す。解れてきたら、一度キスで呼吸を  
合わせてから、ぐっと力強くねじ込んでいく。  
 
「はうぅ……ふぁ、ひっ…ふう、ひゃううっ!」  
 三度目のトライで、昭博はずるりと奥まで入り込んだ。今や二人の股座はぴったりと  
重なり、挿し込んだ傘の先には、コリコリとした覚えのない感覚がある。もしかしたら、  
ここは今日になって初めて届いた部分かも知れない。成長期の遅かった彼は、実は  
中学二年の冬まで芙美に身長で負けていた。  
 
 体を止めて最奥の感覚をじっと味わっていると、芙美がすっと首に手を回してくる。  
「ん…ちゅる。重いか?」  
「馬鹿言わないで。もっと身体寄せてよ。あむ…」  
 男の胸板で上体を潰されながら、芙美は少しの間、執拗に接吻をせがんだ。唇を開いて、  
自分は舌を出さずに、ひたすら相手のもの吸おうとする。上と下と、両方で攻めている  
気分になりながら、昭博は彼女の口内で流し込んだものを掻き回す。  
 
「んちゅ…んっ、んく、っぷは。 っくふふ、全部、入っちゃったねぇ」  
 ややあって、キス願望を一段落させた芙美が、今度はくすくすと笑いながら言う。  
「おう。正直根元までいけるかは不安だったぞ」  
「ほんとだよ。アキの、昔より三周りくらい大きく見えたし。多分、錯覚なんだろうけど  
、前より深いところまで入ってきた感じがする」  
「あー、お前もか。俺も、開いてないところをへずるっと潜った感触だった」  
「ふふ。じゃあ、まだ初めてのところがあったってことにしとこうか?」  
「……ちっくしょ」  
「やーい、照れた―…ひゃっ!? はっ、ん、やんっ」  
 
 減らず口よりも、その幸せそうな笑顔に我慢が効かず、昭博は抽送を開始した。成長した  
己の型を娘の身体へ覚え直させるかのように、まずは深いところをじっくりと探る。  
 やはり、最奥の少し手前、ちょうど亀頭の長さ分くらい戻ったところに、締め付けの強い  
場所がある。先程、新しく破ったと勘違いした場所だ。一番奥から引き戻す瞬間、ここに  
雁がひっかかり最高に気持ちいい。  
 
 しかしながら、芙美の方はまだその場所で快感を得られないようだった。位置が  
深すぎるし、慣れていないのもあるだろう。身体を起こして腰を引き、まずは浅瀬を  
攻める事にする。  
 
「え、あ………んっ、はぁっ、やぅ!」  
 胸板を戻す瞬間、少し寂しそうにした芙美の瞳に、チクリと心が痛む。しかし、自分の  
下で喘ぐ娘の姿が見られるようになったことで、興奮は一層膨らんだ。下半身の浴衣は  
すっかりはだけているものの、両腕の袖はまだ辛うじて引っ掛かっている。群青色の  
布地に、解けた肩越しの黒髪が流れ、その上でうっすらと火照る肌の白さを際立たせていた。  
彼が腰を振るうごとに、少し流れた膨らみの上で、二つの桜色の蕾がピクリと跳ねる。  
 
 その柔らかさに吸い寄せられるように頭を落とす。頂きを啜りながら、少し強引に腰を  
ゆすると、肉襞が時折引き攣るような動きを見せた。  
「乳首、感じるようになった?」  
「そんな、知らなっ…あうっ!…」  
 嘘をついているようにも見えないから、無自覚な反応なのかも知れない。ただ、  
マイナスでないのは明らかだから、昭博はこれ幸いと豊かな双乳を吸いつくす。  
 
「ふあ……また歯、当たって」  
「もう歯型なんかつけないから心配すんな」  
「や……ほんとは、痕つけたいっ…くせに」  
「……いや、いやいや。明日も外湯入るし、お前だって女湯で困るだろ」  
「どこでも、好きに……すればっ…」  
「……下乳の、隠れるとこな」  
 
 左胸を持ち上げ、下の麓に強く吸いつきながら、これはいかんなぁと昭博は思う。  
 芙美のやつ、「許すだけで、アキの望みを何でも叶えてあげられること」にすっかり  
夢中なってやがる。自分も彼女に似たような願望を抱くから分かるが、ここはどちらかが  
自制しないと際限が無くなる。  
 
 頬と、舌と、唇とで存分に乳房を堪能してから、昭博は再び上体を起こした。身体を  
密着させての小刻みな攻めで、芙美の身体も大分上気してきている。とは言え、それは  
繋がった自分も同じこと。いい加減、一度終わりにしないと、暴発しかねない。  
「脚、あげて」  
「はぅ、へ?……やあんっ」  
 脱力した腰を掴んで、娘の身体を横向きにする。そうして、上側に来た左脚を掴み、  
彼の胸に抱くようにして、側位の格好で繋がり直した。先程と当たる場所が変わって  
新たな刺激になる上、この体勢は局部が露わになって弄りやすい。結合部から溢れた  
蜜を敏感な実に塗りこめると、娘の嬌声が一オクターブ上がった。  
 
「そんなしたら…はっ…ぁ…もたないっ」  
「俺ももたん。一緒にいこうぜ」  
「やぁっ…アキ、ぜったい一回じゃおわらなっ……んあっ! 私は、最後だけでいいからぁっ」  
「やだね」  
 体奥を突き上げ、半ば脅迫のように、昭博は強請る。  
「俺が一緒にいきたいの。今日は満足するまで、お前につき合ってもらうから。いいな?」  
「…っ……分かった、がんばる」  
 
 我が儘を押し切られて、困ったような、それでいて嬉しそうな彼女にキスを落とし、  
昭博は抽送を再開した。急所を刺激するたびに、彼を包み込む肉襞がビクンと跳ねる。  
もう奥を強めに掻き回しても違和感は無い。ぐちょぐちょと遠慮のない水音を上げ、長い  
ストロークで攻めているうちに、昭博の腰のつけ根もじんわりと熱を持ってくる。  
 
「あっ…く、はっ…や…ふうっ」  
 芙美の呼吸が浅くなり、中の震えも不規則になる。体位を変えたのは正解だった。先程  
までは彼の方が先走っていたが、これで一緒にいけそうだ。しかし、終わらせるにはやや  
姿勢が窮屈だった。昭博は一旦を腰を外して、彼女の身体を仰向けに戻す。  
 繋がり直す刹那、組み敷いた娘と視線が絡まる。瞬目の間に、互いの状態はよくよく  
伝わる。芙美は一つ深呼吸してから、瞳とこぶしをギュッと閉じた。  
 その両方に口づけして、昭博は最後に向けた抽送を始めた。浅瀬から最奥まで一気に  
突き込む。反動で上へ逃げる肩を抱え込む。目の前で激しく弾む膨らみに顔を押し付け、  
鼻先をその頂きへ沈ませる。  
 
 上体を落とすと、芙美も両手を背中へと回してきた。彼の肩をぎゅっと掴み、けれど  
爪を立てたりはしない。「無意識にひっかいたりなんて、逆に難しいと思うけどなぁ」   
そんな話も、むかし、した。  
 
「やぁっ…いっっ……あんっ……はぁうっ!」  
 昭博が突き込むたびに、嬌声が途切れる。目尻に透明な玉が一瞬光り、直ぐに筋に  
なって流れていく。苦しいのか、気持ちいいのか、恐らく芙美本人も分かってはいない。  
けれど、喜んでいる事だけは、昭博にも分かった。咥えこんだ中が不規則な痙攣を始めて、  
根元まで突き込んだ彼のものに縋りつく。それを振り切るように、入口近くまで腰を引き、  
再び最奥まで蹂躙する。  
 
「あっ、あんっっ…ふあっ……わ、わたしっ、もう」  
「ああ、分かってるっ」  
 入口付近と、最奥から少し戻ったところが、同時にぎゅっと締めつける。奥側に雁のエラ  
をひっかけるようにして、深めに前後するのが、たまらなく気持ちいい。絶対に持たないと  
分かっていたから、敢えて避けていたその場所を、最後とばかりに存分に味わう。  
モノ全体にジーンとしびれるような快感が走り、けれど彼を包む肉襞の蠢きだけは  
はっきりと伝わった。  
「芙美っ」  
「だめっっ、あきっ……やっ、ふああぁぁん!」  
 最後にびくんと、大きく跳ねる幼馴染の身体を押えつけ、昭博は自分の存分に欲望を  
吐き出した。絶頂に震える秘肉の中で、五度、六度と噴き上げ続ける。結局、普段の  
倍近い長い射精を終えて、昭博はこんなのも六年じゃないかと苦笑した。  
 
   *  
 
 午後11時30分。なぜか押し入れに用意してあった予備の浴衣に袖を通し、昭博と  
芙美は内風呂へ入ろうと再びロビーへ降りて来た。先程よりも一段と暗くなっており、常夜灯  
の他には殆ど灯りがない。昭博は本当に深夜でも入れるのか心配になったものの、脱衣所  
まで来ると掛け流しの湯の音が聞こえてきてホッとする。  
 
「人がいない時は電気も消すんだな。オフシーズンだから早仕舞かとビビったぜ」  
「時間は女将さんに確認したんだから大丈夫だってば」  
「しかしこんなに暗いと、途中で諦めて帰る人とかいるんじゃないか?」  
「そんな気分屋はアキくらいよ」  
 入口に掛けられた予約表は、翌朝まで白紙だった。そこへ1時間分の名前を書き入れ、  
「貸切」の札と一緒に外へ掛ける。脱衣所の扉を締めて鍵をかけ終え、思わずふっと息を  
吐くと、芙美の溜息と被ってしまった。お互い、苦笑いでやれやれと首を振る。  
 
「それに、明かりで遠くから人がいるかいないか分かった方が便利じゃない? 鉢合わせ  
したら気まずいし」  
「ま、俺らはな。でも湯治客って普通、爺さん婆さんばかりだろ」  
「じい様ばあ様方は、ひと気を避けてこんな時間に入らないわよ」  
「ごもっとも」  
 ひとあたり、それらしいスイッチを押して回って、昭博は明かりをつけた。脱衣所は  
それなりの明るさになったものの、風呂の方はかなり薄暗い。半露天で、風景を  
楽しませる造りだから、当然といえば当然だ。この場合、風呂の中の景色を  
期待している彼の方が異端ではある  
 
「まあ、目が慣れればいけなくはないか」  
「なーに? お化け嫌いがまだ克服できないの?」  
「おっしゃるとおり。怖くてたまんないから、風呂ん中ではずっとおっぱい触ってていい?」  
「……そっちの方か。ま、いいけどさ」  
 はぁ、と再び吐息をついて、芙美は髪を纏め始めた。しかしその言い方が、普段の  
ドライなものに戻っているようで、どこか柔らかい。相手が背を向けているのをいいことに、  
昭博は口元の笑みを隠しもせず、彼女の脱衣をじっと見つめる。  
 
「やっぱり、下着無しの浴衣の脱ぎ着って、いいもんだなぁ」  
「…それはちょっとフェチすぎませんか本間さん。つか、アキもさっさと脱いでってば」  
「はいはいすみません。これも二回目ですね」  
 
 洗い場に降りると、昭博は少し迷ってから石鹸を取った。本日四度目の入浴だ。掛け湯  
で済ませても良かったのが、後ろめたい理由が無いでもない。要所だけ泡立ててさっと  
流し、いそいそ湯船へと身を沈める。しかし、芙美の方は何故かシャンプーのボトルと  
にらめっこしていた。  
 
「何してんだ?」  
「いや、成分表示の確認を」  
「お前な。使いもしないのに何やってんだ」  
「いやいや、使うかもしれないよ? これから不慮の事故で髪汚すかもしれないし」  
 彼が言葉に詰まったのを確認して、意地悪そうに口角を吊り上げてから、彼女もさっと  
湯を浴びた。  
「ま、どっちにしても後でいっか。隣、入っていい?」  
「タオル取ったらな」  
 
 身体に当てていた手ぬぐいが外され、白い裸身が淡い裸電球の灯りに浮かび上がる。  
つい先ほどまで、散々明るい蛍光灯の下で見ていたわけだが、湯けむり越しに臨む女体は、  
また別の色気が有るように思う。  
 そんな昭博の男心を知ってか知らずか、一呼吸、彼の視線が往復するのを待ってから、  
芙美は湯の中に身体を沈めた。それから、少し恥ずかしそうに目を伏せて、彼の肩へと  
頭を寄せる。  
「まったく。彼氏が好き者だと苦労するわ」  
「彼女が理解者で有り難いばかりだ。ほら、こっちこい」  
「うん」  
 
 岩作りの風呂は、三分の一程が庭──というかベランダ──に突きだしたような形に  
なっている。景色は迫力に些か欠けるものの、目隠しに工夫を凝らして城崎の街並みが  
伺えるようになっており、露天の雰囲気作りには成功していると言えた。  
 
「お湯も、外側だとすこしぬるいね」  
「外見て長湯しやすいようにかな。だとしたら、随分ときめ細かい配慮だよなー」  
 天井が空いた部分は、丁度肩から上が出るくらいの深さだった。昭博はそこに身を沈め  
ると、自分の膝の上に芙美を座らせて抱え込む。  
「ああ゛〜……、最高にいい湯だわ」  
 浮力で余計に軽くなった娘をぎゅっと抱きしめながら、昭博は天を仰いで言った。夕食  
時よりも雲が晴れたのか、少ないながらもうっすらと星が見える。  
 
「なんだか、全ミッション完了って感じ?」  
「そ。お前を誘えた時点でミニマムサクセス。告白成功でフルサクセス。こうして一緒の  
風呂に浸かれて、エクストラミッション達成ってわけだ」  
「わたしゃ小惑星か何かか?」  
「おれにとっちゃ惑い星そのものだったから間違いじゃない」  
「なんだかな〜。褒められてるのかそうでないのか分かんないや」  
 
 軽口を叩きつつも、芙美も力を抜いて背中を預ける。身体を許す、という表現がぴったり  
だった。それは、昭博の両手が彼女の前面を撫で始めても変わらない。彼女の無言の  
許しを得て、昭博は湯に浮かぶ膨らみをそっと下から包みこんで堪能した。こうしてみると  
、布団の上で揉んだ時とは、また違ったボリューム感がある。温かい湯に緩んで、少し  
柔らかくなった頂きをそっと押しこむと、芙美はくすぐったそうに身じろぎした。  
 
「予約表、1時間じゃ短かったかな。どうせ誰もいないんだし」  
「いくらぬるくたって、そんなに連続で浸かってたらさすがに湯だるよ」  
「しかしだなー。こんなにのんびり、芙美を裸で抱っこ出来る機会は、次はいつになるやら」  
「うおーい。高校の思い出の城崎はどこ行った」  
「じゃあ訂正。修学旅行の思い出の城崎で、芙美を裸で抱っこ出来る機会はいつになるやら」  
「あのねぇ。……まあ、後者については、これからいくらでも機会有るでしょ」  
「お、今のは言質とったぞ」  
「はいはい。そんなの取らなくたってするくせに」  
 手遊びにちゃぷちゃぷとお湯を掬いつつ、芙美続けた。  
 
「でも、ふと思ったんだけど」  
「ん?」  
「例え今回、アキがヘタレて告白しなかったとしても、やっぱり流れで一緒にお風呂浸かって、  
部屋に戻ったら最後までしちゃったんじゃないかと思うのよね」  
「そんな外道では無い、と言いたいが、過去が後ろ暗すぎるので何とも言えん」  
「いや、アキが押し倒すとかそう言う話じゃなくて。どうやったって、旅館に九時前には  
帰ってくるでしょ。そのあと携帯も何も無く、テレビも地方局とNHKで、後は貸し切りの  
風呂だけってなったらさ。多分、どっちかがノリで一緒に入ろうとか言い出して、引っ込み  
つかずに入るんじゃないかな」  
「……かもな」  
「でも、例えそうなっても、私とアキなら、大した問題にはならないんだよね。翌朝は  
ちょっと気まずくても、帰りの電車では元通り。以後は、エッチまでは許容範囲の  
幼馴染ってことになって、それはそれで、他人には真似できない関係で、  
私は満足するんだと思う。けど」  
「けど?」  
「今は、そうならなくて、よかったと思う」  
「………」  
「ちゃんと、好きって言ってもらえて、嬉しかった」  
 
 芙美が湯を掬っていた両手を、ぽちゃんと落とす。その波紋が収まる頃になって、  
昭博は訊いた。  
「なあ、芙美」  
「なあに」  
「悪いんだが、また思いっきり抱きしめていいか?」  
 
「いいよ」小さく笑って、身体の向きを変えながら、彼女は答えた。「でも、後ろからは  
やだ。前向きで抱っこがいい」  
 対面座位の形になるやいなや、昭博は齧り付くように唇を奪った。歯と歯がぶつかるの  
もいとわないような、がむしゃらな接吻。十四のときだって、こんな無様な真似はしなかった。  
けれど、芙美は嬉々としてそれに応じた。  
宣言とは違って、彼は息がつけないほど腕に力を入れたりはしなかった。それをしたのは、  
芙美の方だった。  
 
「んんっ……ぢゅ……ぷはっ、はあ、はあ」  
「はあ……ふう。まったく、なんてことしてくれるんだ。お前は。……ん」  
「っ、えー。私、何にもしてないじゃない」  
「してんだよ。こんなとこで、収まり付かなくしてどうすんだよ」  
「これは胸触ってたころから、随分大きくしてたとおもうけど。でもまあ、いずれにせよ  
私のせいだから? 責任は取ります……んっ」  
 
 そう言って、芙美は口づけを続けながらも、自分の身体を柔らかい部分を押しつけ  
始める。ついで、その手が彼の剛直にゆっくりとしごき始めたところで、昭博はふと  
正気に戻った。  
 
「いや、待て、さすがに湯を汚すのは気が咎めるというかゴムが無いというか」  
「んー? 私、こんなこともあろうかと思って、アキのポッケから一個抜いて来たよ?」  
「え、は? いつのまに、てか、何処にだよ!?」  
「えーと、今は取り敢えず、シャンプーボトルの裏に」  
「………ソンナトコロマデ仕込みスンナ」  
「でも、岩造りだから滑ったら怪我しそうで怖いね。温泉って雑菌多いから、粘膜に良く  
ないって聞くし。口でしていい?」  
「あのな……つか、お前俺の反応分かってて言ってるだろ」  
「あはは、ごめん。でも、言った以上は有言実行するよ。どっちにする?」  
「部屋まで我慢する」  
「浴衣におっきなテント立てて、廊下を闊歩するわけね。隣を歩く彼女としては肩見狭いわー」  
 腕の中で、膝の上で、肌を晒したままニコニコと誘う二十歳の娘。その様は有り体に  
言って、辛抱堪らなかった。  
 
 固くなった幹の部分がわざと当たるように抱き直す。何度か擦り付けるようにして、  
娘に微かな嬌声を上げさせてから、昭博は耳元で囁いた。  
「中出し出来ない分、一度飲ませたい。その後、すぐ部屋に戻って抱き直す。いいな?」  
「あはは、ようやく正直になったか。んっ……もちろん、何でも付き合うよ」  
 そう言って、昭博の身体を浅瀬へ押し上げると、芙美は自分の胸を彼の股座へと  
押し付け始める。  
「お、おい」  
「ねえ、正直に答えてみ? お風呂入った時から、これやりたいって思ってたでしょ。  
昔は、挟めなかったもんね」  
 全くもって、敵わない。心の中で呟き、それから声にも出して、昭博は両手を上に上げた。  
 
 
  *  *  *  
 
 
 翌朝、十時五十分。チェックアウトギリギリの時間になって、芙美たちはようやく  
ロビーへと降りて来た。  
 昨晩の計画では、九時過ぎには出発して残りの外湯を回るつもりだったのだ。しかし今朝、  
仲居のノックを昭博の布団の中で聞いた彼女は、飛び起きようとして彼の腹の上に前転した。  
 
「まさか、翌日まで腰砕けになるとは……本当に寄る年波には勝てないわぁ〜」  
「悪かった……つーか、年齢ネタは見境なく敵を作るからやめろ」  
「そう? まあでも、私はもう盾になってくれる立派な彼氏さんがいるしなー」  
「恐らく、一番の敵は未来のお前だと思うぞ」  
「うぐ……確かに、後々思い出して虚しくなりそうだからやめる」  
 
 仲居さんに布団を上げてもらう間、窓際に椅子に座って必死に冴えない眺望を堪能した後、  
芙美は昭博の手を借りてもう一度内風呂に浸かった。もちろん、今度は二人とも至って  
真面目に入浴した。湯の中で腰や太股をよくよく解し、簡単なストレッチまでして、  
ようやく言うことを聞くようになった。  
 しかしながら、お腹の奥には依然として違和感がある。それが、初めての時の事を彷彿  
とさせて、どこかくすぐったい。  
 
 ともあれ、宿を追い出される前には、こうして普通に歩けるようにはなっていた。  
実は途中で、このことをタテに一日中彼の腕に縋り付いてやろうと、企んだりもした。  
しかし、思い付き五秒後に柄じゃないかと頭を振り、七秒後にはそんな発想をした自分の  
豹変ぶりに赤面した。隣の昭博は、さぞかし愉快な百面相を拝めたことだろう。  
 
「じゃあ、チェックアウトしてくるな」  
「うん。私は土産物見てるから」  
 特産の麦わら細工などを物色する途中、芙美はふと視線を上げて、昨日の女将の姿を  
探した。レジに立っている女性は知らない人だった。ホッとする半面、どこか物足りない  
ものも感じた自分に、彼女は顔を伏せて苦笑する。  
 自分の分に加えて、昭博の家の分も買い込み、芙美はさっさと会計を済ませた。ここで、  
宿代の負担を申し出るほど野暮ではないが、今彼の財政は相当に逼迫しているはずだ。  
細かいものでも、これ以上の出費をさせるのは忍びない。  
 温泉協会のロゴの入ったビニール袋を二つ下げて待っていると、間もなく昭博もこちら  
にやってきた。「荷物持ち、ご苦労さん」と両方の袋を押し付け、少し強引に玄関の方へ  
押していく。最初、何か言おうとした彼も、芙美の顔を見た後は大人しく従った。  
こういうところ、むやみやたらに通じてしまうのは、便利でもあり窮屈でもある。  
 
 下駄箱で靴を出してもらう間、仲居さんに予想通り、「お荷物に、忘れ物はございま  
せんか」と声をかけられた。今度は昭博も心構えが出来ていたらしく、「ええ、これだけです」  
と芙美の方を指さしたりしていた。彼女の年齢ネタへの意趣返しのつもりらしいが、  
そういうのをやるのに自分で照れが入ってるようでは駄目だと、芙美は思う。  
 
「靴、平気か? ちょっと踵有るみたいだけど」  
「下駄よりはましよ。普段履きで慣れてるから大丈夫」  
「うし、じゃあ行くか」  
 右手を引いて貰って、立ち上がる。それから、その手で玄関の扉を開けようとして──  
 
「いってらっしゃいませ。またのお越しを、お待ちしております」  
 
 つと、後ろから女将の声がした。いつからそこにいたのか、ちょうど出発時だから他の  
客の相手をしていたのかもしれない。振り返ると、深々と下げられた頭だけが見えた。  
プロならば、芙美たちが通りにでて視界から消えるまで、頭を上げる事は無いだろう。  
 だから、というわけでもないのだが。  
「うん。行こう、アキ」  
 離しかけた右手を繋ぎ直し、しっかり互いの五指を交差させて、芙美は昭博が扉を  
開けるのを待った。  
 
 
「さてと、本日のスケジュールは?」  
「昨日の計画は朝一でポシャったしなぁ。よし、プランB。出たとこ勝負で」  
「結局それか。まあ、電車の時間は私が見てるから、取り敢えず好きになさい」  
「任せろ。そうだな、芙美の足に不安があるから、足湯にしよう」  
「またゴロだけで選んだなー。膝から下あっためても意味無いと思うけど……でも、  
足湯ね。確かに盲点だった。行ってみようっ」  
 
 陽は既に高く、辺りはすっかり晩夏の熱気に包まれている。重ねた掌から噴き出す汗を  
感じつつ、芙美は昭博の半歩後ろで、そぞろに足を進めていった。  
 
 

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