「鼠は、鳴いたか」  
神経質そうな顔立ちの家老一多地克信は、牢番に訊ねた。  
牢番は捗々しくない、といった面で、首を横に振った。  
「止む終えまい。わしが直に話す」  
一多地は、牢番に案内をさせて地下牢へと降りた。  
地下牢の最奥。  
太さ二寸ばかりの格子木を組んで作られた牢に、“鼠”は捕らえられていた。  
牢番の掲げる燭台の炎が、黒く濡れた瞳に揺れていた。  
「鼠よ。貴様、どこから来た」  
“鼠”と呼ばれた娘は、敵意を剥きだしにした瞳で、  
一多地を睨みつけた。  
「何だその目はぁッ!」  
一多地が、まるで火の付いたかのように激した。  
それまでの、牢番と話していた落ち着いた物言いが、  
地に叩きつけられて砕けたかのような勢いだった。  
一多地は、下駄履きの爪先を、縛り上げられた娘の腹に蹴り込んだ。  
娘は、唾と胃液を吐き、もんどりうって呻いた。  
「無駄でございます。  
その程度の尋問、すでに何度となく試みましたが、  
答えどころか音も上げませぬ」  
牢番が、眉根をひそめながら言った。  
その言葉に気を良くしたのか、  
娘がしんどそうながらも、頭をもたげて嗤った。  
「当たり前だ。わたしとて忍の端くれ。  
たとえ、どんな目に遭おうとも、主のことは吐いたりせぬ」  
一多地は、娘の髪をむずと掴み、頭を引き起こした。  
「威勢がいいな、小娘。  
だが、その言葉、後悔するなよ」  
そう言った一多地の顔にめがけて、娘は唾を飛ばした。  
一多地は避けきれず、それを頬に浴びた。  
一多地は激昂し、娘の頬を力任せに張り飛ばした。  
娘が、鞠のように吹っ飛んだ。  
「こんなぬるい尋問は今日までじゃ。  
明日は城主、松原図書助様御直々の尋問となる。  
今日のうちに吐いておけばよかったと悔やんだところで、  
明日になってはもう手遅れじゃ」  
恨みがましい視線を浴びながら、一多地は牢を後にした。  
つくづくと、“鼠”を鳴かすことが出来なかったことを悔いながら。  
 
――――――――――  
 
「そうか、“鼠”は鳴かなんだか」  
城主松原図書助持清は、肥えた蝦蟇のような男だった。  
齢は、二十代半ばの一多地より、さらに十ほど上である。  
公には、松原持清という男は、知識人として名が知られており、  
その蝦蟇のような容貌も、古今の知識を脂として身に蓄えた、などと揶揄されている。  
だが、一多地を含む、ごく一部の家臣は、  
脂として蓄えられたものが、知識などという高潔なものではないということを  
知っていた。  
持清は、嗜虐趣味者であった。  
和漢の典籍のみならず、蘭書にまで通じるのは、  
すべて、拷問や処刑の術について学ぶためであり、  
幕府や朝廷からの諮問に応える知識などは、  
あくまで、松原にとっては副産物的なものに過ぎなかった。  
その点において、まったく本来の目的とは異なる分野についての知識すら、  
捨てることなく抱え込むという点で、  
持清の貪欲なまでの知識量は、天才と呼ぶに値した。  
持清は、若いうちは頻繁に浮浪者や身寄りのない子供を攫っては、  
惨たらしく殺しては遊んでいたが、  
城主になってからというもの、それらの乱行は表向きには控えざるをえず、  
その分だけ、時として得られる忍や死刑囚などへの“遊び”は、  
苛烈と陰惨を極めた。  
持清はそれを見て、童のように手を打って喜びもするが、  
それに付き合わされる側は、たまったものではなかった。  
ゆえに、一多地は、早々に“鼠”を鳴かせた上で、  
“寛大な処分”を求めるつもりであった。  
が、それもこれも失敗に終わった。  
「そうかそうか、では、明日早速、余が自ら尋問しよう。  
場所は、陰庭じゃ」  
陰庭とは、場内に作られた、持清の私刑の執行場であった。  
四方を高壁に囲まれ、一日中陽が差すことはない。  
ここでは、いくら泣こうが叫ぼうが、外に声が聞こえることはなかった。  
「すでに用意もできておる。  
一多地よ、明日を楽しみにしておるがよいぞ」  
まさしく、蝦蟇が鳴くような声で、持清は笑った。  
一多地は、胃の腑が冷たく落ち込んでいくのを感じた。  
 
――――――――――  
 
翌日の昼、持清による“尋問”が始まった。  
とはいっても、持清は陰庭に作られた縁台でそっくり返っているだけである。  
そこに、件の“鼠”が連れて来られた。  
衣服は全て剥ぎ取られ、後ろ手に縄を打たれていた。  
真白な肌に、痛々しく、青黒く、赤黒く、痣が浮いていた。  
「ねずみ、ねずみというから、どんな汚らしいどぶねずみかとおもえば、  
これは可愛らしいはつかねずみではないか」  
げっげっと、持清は笑った。  
可愛らしいと思えるのは、全身に痣が出来ているからだろうと、一多地は思った。  
持清は、女を犯すときにも、  
その肌を傷つけねば興奮が出来ないという、変態であった。  
一多地には理解しかねたが、すでにぼろぼろのこの娘の姿は、  
持清にとってはよほど官能的な姿と映えたのだろう。  
持清は、縁台を立つと、のたのたと娘に歩み寄った。  
「美しい、実に美しいのう」  
娘の体を舐めるようにして見つめる。  
太く、肥えた芋虫が生えたような手が、娘の乳房を鷲掴みにした。  
椀を伏せたような、丸い形の乳房が、  
無残に歪められ、薄紅く色づいた尖端があらぬ方向を向いた。  
娘は、露骨に嫌悪を顔に表すと、持清の顔めがけて唾を吐いた。  
持清は、顔に唾が飛ぶのが早いか、  
娘の腹に拳を打ち込んだ。  
娘は、目を白黒させて、地べたに崩れた。  
「なかなか活きがいいのう。  
それでこそ楽しみ甲斐があるというものじゃ」  
持清は、野卑た笑いを浮かべて、頬の汚れを拭った。  
持清が顎で促すと、使用人が駆けてきて、  
“尋問”の用意に取り掛かった。  
一人の男が、娘に猿轡を噛ませる。  
腕のみでなく、脚も縛り上げ、四肢の自由を奪う。  
別の男が、どこからか、一抱えほどもある甕を二つ三つと陰庭に運び入れる。  
また、別の男が、陰庭の中央に置かれた、  
そこの浅い木箱の蓋を開けた。  
途端に、陰庭中に、青臭いとも、油臭いともとれぬ、  
異様な臭いが立ち籠めた。  
娘が、顔をしかめた。  
 
「おい、あれの中を見せてやれ」  
持清に言われ、脚を縛った使用人が、  
娘を負うて、木箱の側に歩み寄った。  
木箱に一歩一歩と近付くほどに、臭気は密度を増していく。  
木箱の中には、首だけを出した大きな甕が埋められていた。  
そして、その中には、夥しい数の蟲が蠢いていた。  
さすがの娘も、呻きを漏らした。  
引きつった顔で、持清を睨む。  
持清は、それが楽しくて堪らないといった様子で、げっげっと笑った。  
「その甕の中にあるのは、わしが殖やし育てさせたヤスデじゃ。  
安心せよ、安心せよ。ヤスデにはムカデと違うて毒はない。  
その蟲どもが、お前を毒で犯し、  
皮を食い破って、肉を貪るといったことはない。  
お前の体の外や内を、餌を求めて、  
つまりは糞小便を求めて、卑しく這い回るだけじゃ」  
娘の、怯えた瞳を愛でるように、  
持清は娘にゆっくりと歩み寄った。  
娘は、逃れようと身を捩ったが、  
持清の従者が、万力のような力で、娘の腕をつかんで離さない。  
立ちはだかった持清は、娘の体をぽんと突き飛ばした。  
万力のように締め上げていた、従者の力が、ふっと、消えた。  
娘の肌に、べったりとした手汗の感触が残った。  
娘は、甕の中にヘと転がり落ちた。  
「あ、ぁ、ああああああああああッ!!!?」  
蟲の臭気を巻き上げ、娘の悲鳴が噴き上がった。  
蟲どもは、天上からまろび落ちた闖入者に、  
さざなみを打つようにして群がった。  
娘の傷だらけの肌を、千とも万とも知れぬ蟲どもが這い擦り、  
さらに、その数百倍にも及ぶ脚々が擽った。  
蟲どもは、叫ぶ娘の口腔をも無遠慮に侵し、噛み砕かれる。  
それでもなお、恐れなどないかのように、  
次々と、娘の口に流れ込んだ。  
娘の陰部にも、数知れぬ蟲どもが、まさに文字通りに詰めかけ、  
奥へ奥へと潜り込もうとする。  
“尋問”の直前まで、娘を犯していた者たちの、  
精の臭いに惹かれて、群がってくるのだ。  
娘は、蟲どもの胎内への侵入を拒もうと、秘裂に力を込めた。  
だが、剥きだしにされた陰核を蟲が這うたびに、力が抜け、  
蟲の侵入を許してしまう。  
きつく引き締まった娘の膣は、最初こそ、醜怪で脆弱な侵入者を磨り潰したが、  
押し寄せる波に抗い続けるのも、時間の問題であった。  
 
娘がのたうつたびに、数百の蟲が潰されたが、  
その仇を討とうとするかのように、また、  
数百の蟲が娘に群がった。  
「おい、数が減ってきたぞ。継ぎ足せ」  
持清が命じると、使用人が二人がかりで甕を抱えて、  
娘の落とされた大甕へ歩み寄り、  
その頭上にヘと中身をぶちまけた。  
甕の中身は、やはり、夥しい数のヤスデだった。  
頭から蟲の奔流を浴びた娘は、  
もはや、人の姿とは見えなかった。  
全身に、活きた蟲と死んだ蟲とをこびりつかせ、  
もがき、のたうち、泣き叫ぶ姿は、  
蟲に淫を売った魔性のものだった。  
ただ、涙に濡れた瞳だけが、人のそれであった。  
髪に蟲が絡み、口や鼻からも蟲が出入りしている。  
持清の位置からそれは見えなかったが、  
おそらくは女陰さえ蟲に犯されていると考えると、  
持清の股間は熱く血が凝集し、いきり立った。  
「げっげっげっ……、  
漢籍に曰く、蛇責めなる拷問があると知り、試してみたが、  
あれはあっさりと死んで面白うなかった。  
より、忌まわしいもので試してみようと思い、  
ムカデでやってみたが、やはりあれも毒蟲じゃて、  
あっさりと死んでしまって、つまらん。  
それに比べ、ヤスデは面白いのう。  
毒もなく、噛み付きもせぬから、  
いつまでたっても、獲物が元気でおる。  
この様子なら二、三日、いやもっと持つじゃろう」  
「いえ、今日中には狂いましょう」  
あっさりと、この変態の言葉に応えられる自分に、  
一多地は嫌気が差した。  
「狂ったならば、それでよい。  
ばらばらにして狗にでも、蛇にでも喰わせよ」  
持清は、使用人に命じて大酒甕を持って来させると、  
柄杓でそれを一杯啜り、  
残りを蟲甕の中に注ぎ込ませた。  
 
蟲どもが、一斉に騒いだ。  
溺れ死ぬまいと、蟲どもは我先に、娘の体を這い登る。  
娘は、泣き叫んだ。  
その口に、後から後からと蟲の群れは押しかける。  
泣き、叫び、暴れ疲れて、  
一時もすると、甕の底でぐったりと、  
力なく蹲った。  
もはや、その体は、夥しい数の蟲を纏いつかせるだけの、  
肉塊と同じであった。  
ほんのわずかな隙間にさえ、蟲は入り込み、  
無数の微細な脚で、娘を擽りまわす。  
口、鼻、耳、臍、女陰、尻の孔、  
孔という孔を蟲どもは犯し抜いた。  
娘の眼球には、もはや生気はなく、  
ただ、虚無のみを映していた。  
その眼球にさえ、蟲は這った。  
時折、敏感な部分を蟲が苛むのか、  
微かな呻きをあげて、身を跳ねさせるのが、  
娘の肉体が、まだ死んではいないということを訴えていた。  
「つまらんのう。  
泣きも叫びもせんのでは、  
活きた人間を入れた意味がないではないか」  
持清は、実に不服そうにつぶやいた。  
「しかたない。  
もう少し遊べるものとも思ったが、壊れてしもうては、  
棄てるほかあるまい」  
持清が手を打つと、また、甕を抱えた使用人が大甕の側に寄った。  
持清は、その甕の中身を、大甕の中に注ぎ込ませた。  
娘の頭から、黄色味を帯びた、ぬるりとした液体が浴びせられた。  
娘は、さすがに意気を取り戻した。  
怯えた眼で見上げる、円く開いた甕の口には、  
蝋燭を持った持清が立っていた。  
持清は、脂ぎった笑みを浮かべて、  
蝋燭を大甕の中に落とした。  
炎が奔った。  
 
大甕の中は地獄となった。  
蟲が、娘が、叫びをあげてのた打ち回る。  
娘の、蟲に汚された柔肌が、  
紅蓮の炎に嘗め回されて、焼け焦げる。  
娘の黒髪は、絡め捕られた数知れぬ蟲どもを道連れに、  
火柱となった。  
娘がもがくたびに、蟲どもが潰される。  
蟲どもは、炎を逃れて、娘の孔という孔に、  
焼けたままに潜り込む。  
娘と蟲どもが繰り広げる、凄惨な殺し合いを、  
持清は、雲の上から眺めるかのように、  
大甕の縁に立って、満足げに眺めている。  
「一多地よ、お前ももっと近う寄って見ぬか。  
これほど面白いものは、そうそう見られぬぞ」  
「いえ、わたくしは結構にございます」  
そんなものを見て面白いと思うほどに、  
俺の趣味は穢れてはおらんわ。  
一多地は、内心に主の凶行に唾棄した。  
火柱となった娘が、大甕の口にヘと手をかけた。  
持清は、その手を蹴り払った。  
娘の体は、力なく、甕の底に崩れた。  
持清が見たのは、その姿までであった。  
陰庭が、白い閃光に包まれ、  
同時に城郭そのものを揺るがすばかりの轟爆音が炸裂した。  
その光と音の暴力に、一多地は打ちのめされ、気を失った。  
 
 
――――――――――  
 
 
再び、一多地が目を覚ましたのは、どれほど経ったころだろうか。  
陰庭で生きているものは、一多地のほかには、誰もいなかった。  
持清と、それを取り巻いていた使用人は、  
大甕を埋めた穴の周りで、黒焦げになって死んでいた。  
穴の周りには、焼け焦げた蟲の残骸が散乱している。  
一多地は、穴の底を見下ろした。  
そこには、甕の破片と、蟲の死骸がわずかばかりに残っているのみで、  
あの娘のものと思われる残骸は、一片とも見えなかった。  
「これが、忍びの術というものか」  
娘は、死んだのか逃れたのかもわからぬ。  
一多地は、その底知れなさに、薄ら寒さを覚えた。  
 
(了)  
 

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