『つくしんぼ通信〜彼女はキキーモラ〜』(中編)
「やっぱ信じられないよなぁ……」
「妖精」を拾った日の午後、辺境警備隊に所属する少年ジェイムズは隊長の指令を受けて村の北側の森の見回りに出かけていた。
本来この時間の巡回は隊長の当番なのだが、例の妖精娘への対応その他で慌ただしかったので、ジェイムズが自ら申し出て担当を代わったのだ。
「百歩譲って、あの子が妖精だってのは、まぁいいよ。村の入り口で放置されてたことや、僕が抱きかかえてるのに誰も気にも留めなかったことから、納得できないでもないし」
手慣れた動作で森の木々のあいだを抜けながら、僅かに踏み固められた獣道を少年は周囲に気を配りつつゆっくりと歩く。
「でも、この僕にそんな特殊な能力があるって言われてもねぇ」
──ジェイムズ、お前さん、どうやら自分では気づいてなかったようだが、妖眼(グラムサイト)を持ってるみたいだな
ケイン隊長に言われた言葉が脳裏に甦る。
「妖眼」、あるいは「妖精眼」と呼ばれるそれは、数万人にひとりの割合で人が持つ異能のひとつだ。
その名の通り、普通の人間には不可視なはずの妖精や亡霊の類いが見えることに始まり、十全に使いこなせる人間ともなると魔力の痕跡や残留思念なども「視る」ことができ、戦闘その他でも何かと重宝する能力──らしい。
実は隊長自身も妖眼持ちで、かつて傭兵だった頃はいろいろとその力に助けられたのだと言う。
「とは言え、基本的には「見える」だけだからな。それ単体で出来ることは限られてる。活かすも殺すも自分次第ってワケだ」
「はぁ、なるほど……」
隊長の説明を何とか理解しようと努めるジェイムズだったが、その場にいたもうひとりの人物──隊長の妻であるゲルダがさらに説明を付け加える。
「グラムサイト自体の力はそんなところだけどね。妖眼持ちの人間は、えてして精霊同調率が高いのよ」
「精霊同調率、ですか?」
「簡単に言うと「魔力を持つ存在に干渉されやすく、自分も干渉しやすい」ってところかしら」
全然簡単ではなかった。
「戦いに関して言えば、要するに普通の人間や獣じゃない、魔物や幽霊の類いにも、お前さんの攻撃が素直に効くってこった」
言われてみれば、確かに思い当たるフシはあった。
ケイン隊長が赴任して以来何度か実施された討伐任務で遭遇した魔物に、武器扱いの技量が同程度のはずの同僚と比べて、彼の方が大きなダメージを与えていた気がする。
「ただし、同時にお前さんの気配も、そういう奴らに察知されやすいがな」
「それって、メリットよりデメリットの方が大きい気がするんですけど!?」
「まぁ、そう言うな。敵襲(それ)を視認するための妖眼じゃねぇか」
卵が先か鶏が先かの不毛な議論な気がした。
自分がそういう異能を持っているのは事実らしいから、これは仕方ない。それを踏まえたうえで、この力とどうつきあっていくかを考えるべきなのだろう。
(隊長が妖眼持ちの先輩として色々教えてくれるって言うのは幸いだったけど……)
もし、隊長やゲルダのようなそれに対する理解と知識がある人間がいなければ、自分は潰れてしまっていたかもしれない。それを考えれば、彼らがいる時に判明したのは、むしろ幸運だったと言えるだろう。
何事もなく巡回ルートを一周し、村の入り口に帰って来る頃には、ジェイムズもひとまず気持ちの整理がつき、落ち着きを取り戻していた。
(だいじょーぶ、たとえそんな力があったって、僕の毎日が変わるわけじゃないさ!)
彼は、そう思っていたのだが……。
「え……」
「あ……」
任務終了の報告しようと詰め所の扉を開けたところで、なぜかワンピースを脱いで半裸になっている行き倒れ娘と鉢合わせするハメになり、仮初の平常心なぞ吹き飛ぶハメになるのだった。
──陳腐な形容ながら、本当に雪のように白い肌をした背中。
──あまり大きくはないものの、確かに女性らしい曲線を描いている胸元。
──そして、視線をそのまま下げると……。
「ご、ごめんなさい、見てません!」
「バタンッ!」と凄い勢いで詰所のドアを閉めるジェイムズ。
「…………お、男の人に見られちゃいましたぁ! ふみゅ〜〜〜ん!!」
一拍遅れて、中から少女の泣き声が聞こえて来たのは、まぁ御愛嬌といったところか。
* * *
「まぁ、いつまでもウジウジしてても仕方なかろうよ、ラッキースケベ君」
あのあと、何事かと騒ぎを聞きつけた隊長夫妻が駆けつけてくれたおかげで、とりあえずその場は何とか無事に納まった。
「ら、らっきーすけべ、って……故意じゃないんです、事故なんですよ!」
「当たり前だ。いいか、ジェイムズ、男なら下心やスケベ心のひとつやふたつは持ってて当然だ。時には、覗きに走るのもよかろう。しかし、紳士たる者、それを発揮するにもTPOというヤツを考えてだな……」
ボカッ! 「なにバカなコト吹き込んでるのよ、ケイン」
いきなり隊長が頭を押さえてしゃがみ込んだかと思うと、背後に鬼(オーガ)のような形相をしたゲルダが、なぜか片手に棍棒程もある太く大きな氷柱を握って立っていた。
「い、今のは痛かったぞ、ゲルダ」
涙目になりながら立ち上がる隊長。
(もしかして、隊長、アレで殴られたの!?)
その細腕で軽々と氷のクラブを振り回すゲルダと言い、そんなもので後頭部を思い切りドツかれてもさしてダメージを受けた様子のないケイン隊長と言い、夫婦喧嘩(痴話げんか?)の過激さに、色んな意味で戦慄するジェイムズ。
「当たり前でしょ、痛いように叩いたんだから。それより、あの娘が落ち着いたから、入ってちょうだい。それとジェイムズくん、何をするべきか、わかってるわよね?」
蒼髪の女性の怒りの矛先が自分に向いたことで、ジェイムズは思わず跳び上がって直立不動の姿勢をとる
「は、はいッ! 誠心誠意、謝罪するであります!!」
「うん、よろしい。さ、入った入った」
……と、色んな意味で隊長夫妻の介入があったおかげで、ジェイムズと妖精娘の3度目の邂逅は──双方微妙な距離感を残しつつも──何とか無事に実現したのだ。
「私、家憑き妖精(キキーモラ)のピュティアって言います」
土埃に汚れたワンピースを、ゲルダから貸与された部屋着に着替えた少女は、自らのことをそう名乗った。
「へぇ、お嬢ちゃん、キキーモラだったのか。その格好からして、てっきりシルキーかと……いや、確かに着てた服はコットンだったな」
妻の影響でそれなりに妖精族に関する知識のあるケイン隊長は、ちょっと驚いているようだったが、生憎ジェイムズには「ききーもら? しるきー?」とチンプンカンプンだ。
「絹服娘(シルキー)って言うのはね、森妖(エルフ)と並んで……いえ、下手したらエルフ以上に人間に近い容姿をしている女系の妖精のことよ。絹製の服を好んで着て、しずしずと歩くところから付けられた名前ね。
大きなお屋敷にいつの間にか居着いて、周囲に気づかれることなく、何食わぬ顔で屋敷の使用人に混じって働いてることが多いの。
雇い主も「はて、あんなメイド雇ったかな?」と不審に思いつつも、真面目で家事万能だから「まぁ、いいか」と流してしまうケースが結構あるみたいね。
その有能さから、メイド長の後任に任命されて、何食わぬ顔でその屋敷の采配をふるってた……なんて笑い話みたいな事例もあるらしいわ」
ジェイムズのはてな顔を見かねたゲルダが説明してくれる。
「対してキキーモラも同じく家に住み着く妖精ね。シルキーと違うのは、さほど豪邸でなくてもいい代わりに必ず暖炉のある家を選ぶこと。それと、主に夜行性で、家事の中でもお掃除と機織りをしてくれるけど、それ以外は個人差が大きいってこと。
……こんな感じで良かったかしら、ピュティアちゃん?」
「あ、ハイ、そんな感じなのです」
コクコクと素直に首を振る様が、小動物のようで愛らしい。見ている3人は、ちょっと和んだ。
「ん? でも、それだったらなんで……」
疑問を口にしかけたところでふと気付いて、ジェイムズは立ち上がり、ピュティアに向かって深々と頭を下げる。
「さっきは、ごめん! その…わざとじゃないんだけど、女の子に恥ずかしい思いさせちゃって申し訳ないっ!」
唐突に謝罪されて目を白黒させるピュティア。
「えっと……も、もういいのです。偶発的な事故であることは了解しているのです」
先程の事を思い出したのか、ほんのり頬を赤らめアタフタしつつも、ピュティアは快く少年の謝罪を受け入れた。
「それより、あの、お名前を聞かせてもらえませんか? ケインさんとゲルダさんは先程簡単に名乗られたのですが、お兄さんの名前は、まだお聞きしていないのです」
「あ、うん。僕の名前はジェイムズ。そこのケイン隊長の部下で、この村で辺境警備隊に所属してるんだ。よろしく、ピュティアさん」
「こちらこそ、よろしくです、ジェイムズさん」
向かい合ってペコペコ頭を下げている、そんな初々しい少年少女(まぁ、ピュティアは妖精なので年齢不詳だが)のやりとりを、少し離れて見守っている隊長夫妻。
「アナスン隊長が、俺らのことよくからかってた気持ちがわかるなぁ」
「そうね、あの隊長さんもこんな気分だったのかしらね」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべてはいるものの、その目の光はどこか優しかった。
「それで、ジェイムズ、さっきは何を聞きかけてたんだ?」
隊長に促されて少年兵士は再度質問を口にした。
「あ、はい……えーと、ピュティアさん達キキーモラは夜行性なのに、なんで朝っぱらから外を歩いてたのかなと思ったんですけど」
「それは……うぅ、ちょっと言いにくいコトなのですけれどぉ……」
僅かに躊躇いつつ、チラと3人の顔を見回して、覚悟を決めたのか、妖精娘は自分の「事情」を話しだした。
結論から言うと、ピュティアが以前住んでいた家が、村人がこぞって移住したことで廃村になり、行くところがなくなったのが原因らしい。
キキーモラに限らず、そういう民家に憑くタイプの妖精がその住みかを無くすことは、頻繁にあることではないが無論起こりうる事態でもある。
そういう時、当然妖精たちは別の家に(大概はそこの住人に内緒で)「引っ越す」のだが……。
「なにしろ突然のことで、私もロクに準備もしてなくて、アテもないまま次のおうちを探していたのですけど……」
「この村まで辿りついてお腹が空いて倒れちゃったってワケね」
「はいです……」
シュンと俯くピュティアの頭を、ゲルダがよしよしと撫でてやっている様は、まるで姉妹のようだ(もっとも、見かけと実年齢が逆転している可能性も高いが)。
「ま、この辺りの村で、竈(かまど)はともかく暖炉があるような家は、少ないだろうしなぁ」
ケインの言う通りで、この地方の気候は熱くもなく寒くもなく、強いて言うならやや涼しめといったところだが、「暖炉を作る」と言う習慣自体にあまり馴染みがないのだ。
町のほうまで行けば、それなりに富裕な商人の家などに暖炉が設けられている可能性も少なくないのだが、一番近い町までも馬に乗って半日ちょっと掛かる距離だ。
「はぅ〜、そんなぁ……」
ガックリと肩を落とす妖精娘の様子を見て、ゲルダが夫の耳に何事かを囁く。
ケインの方も妻の言葉に「うんうん」と頷いているのを見て、なぜかジェイムズは微妙に背筋の毛が逆立つような感覚を覚えた。
(あ……なんかイヤなよかん……)
「よっし、ジェイムズ。お前さんの家、確かボロいけど暖炉あったよな? 独り暮らしで、恋人愛人その他もいないんだから、しばらく、このお嬢ちゃんを泊めてやれ」
「ちょ、なんでですかーーッ!?」
嫌な予感が的中したことに慌てるジェイムズだが、ケインは冷静に部下に反論する。
「嫁入り前の乙女の珠の肌見たことへの慰謝料代わりだ。ああ、もちろん、そのまま責任とってお嬢さんを嫁にするってのもアリだな」
「な……いや、そりゃ悪い事したとは思ってますけど……いくら何でも、見ず知らずの男の家に来るなんて、ピュティアさんも嫌ですよね?」
「ふぇ? いえ、ジェイムズさんいい人みたいですし、私は構いませんけど」
本人の意志を論拠にしようとしたジェイムズの目論見は、アッサリ裏切られる。
「──と言うか、あつかましいお願いですけれど、できればご厄介になれると、とてもありがたいのですよ〜」
警戒心がなさすぎと言うなかれ。そもそも彼女の姿は本来「人」には見えないので、キキーモラ的には、大家族だろうが男やもめだろうが斟酌する習慣がなかったのだ。
(外見的には)同世代の可愛らしい少女に、期待に輝くキラキラした目で見つめられると、女慣れしてないジェイムズとしては無下に断るのは難しい。
「いや、でも……そうだ! 隊長の家とかはどうなんですか? ゲルダさんもピュティアさんのこと気に入ってるみたいですし」
「ウチは肝心の暖炉がない。それにそもそも、俺自身が妖精憑きの身で、別の妖精を家に迎えるのは仁義に反するだろ」
苦し紛れの提案は、アッサリ一蹴された。
「え!? 隊長の家にも妖精がいるんですか?」
「?? ああ、そうか……お前にはまだ言ってなかったっけか」
チラと傍らに視線を向けると、委細心得たかのように彼の伴侶が進み出る。
「ウチの嫁さん──ゲルダも、雪妖精(スノウフェアリー)の出身なんだ」
ケインのその言葉とともに、ゲルダの背中に4枚の紫色をした半透明な翼が現れる。
「「うっそォーーーん!?」」
間抜けな驚きの言葉を異口同音に発してしまうジェイムズとピュティア。
「……いや、ジェイムズはともかく、お嬢ちゃんが驚くのはどうかと思うぞ?」
「気づいてなかったのか?」と呆れた目をするケインに、ピュティアは慌てて言い訳する。
「だ、だって、ゲルダさん、羽根しまってたら見かけはまるっきり人間なのですよ! こうして意識を集中させたら、確かに気配が少し人間と違うことはわかりますけど……」
「アハハ、ケインとケッコンしてるわたしは、確かにちょっと特殊だからねー」
羽根を緩やかに羽ばたかせて宙にふよふよ浮かびあがりながら、ゲルダは苦笑する。
「ま、そんなワケでお嬢ちゃんをウチで預かるわけにはいかねぇんだ。なに、心配するな。お嬢ちゃんもジェイムズの家で無駄飯食らいをするつもりはなかろう?」
「あ、はい、住ませていただくせめてものお礼に、お家のお掃除と繕い物はお任せください。あんまり得意ではないですけど、ご飯の用意も頑張るのですよ〜!」
次々に退路を断たれてしまったジェイムズは、もはや首を縦に振るしか道はなかった。
* * *
(で、あのあと、遅れて家に来たピュティアの挨拶がアレだったんだよな)
食後のお茶を飲みながら、往時──といってもほんの数年前の話だが──の回想から醒めたジェイムズは、クックッと喉の奥で笑いをかみ殺した。
「どうされたんですか、坊ちゃん? 人の顔見て笑うなんて、ちょっと失礼ですよ」
香茶をポットから注ぎ足しつつ、ピュティアがいぶかしげに問う。
「いや、昨夜は、僕らが初めて会った時のことを夢に見たんだ。それで、ちょっと懐かしくなって、ね」
なし崩し的にジェイムズの家にピュティアが下宿(彼としてはそういう感覚だった)することになった後、先に家に戻って同居人を受け入れる簡単な用意を彼がしていたところで、「トントン」と軽く入口のドアがノックされた。
「はーい、どなたですか?」
おそらくは彼女だと思いつつも、村のご近所さんが訪ねて来た可能性も皆無ではないので、そう問いかけながら、ドアを開ける。
ドア開けた向こうに立っていたのは、やはりピュティアだった。
ただし、その服装が先程までとは大幅に異なる。
朝見た半袖ワンピースの上からフリルで縁どられた白いエプロンを着け、髪を後ろで結ってポニーテイルにしたうえで、頭頂部を白いヘッドドレスで飾っている。
「え、えっと……今日から私がメイドとしてご主人様のお世話をさせていただくことになりました。頑張ってご奉仕しますね!」
「あれって、やっぱ隊長達の入れ知恵?」
「正確にはゲルダさんの、ですけどね」
ともあれ、そんな経緯で辺境警備隊に所属する一兵卒に過ぎない16歳の少年が、メイドさんと暮らすことになったわけだ。
-つづく-