『つくしんぼ通信〜彼女はキキーモラ〜』(後編1)
辺境警備隊に所属するジェイムズの家で、キキーモラのピュティアがメイドとして住み込みで働くようになって、およそ半年の時が流れた。
キキーモラの少女は、当初は自分でも認めていたとおり、掃除と裁縫を除く家事はあまり巧くなかった──というか、むしろ下手な部類に入った。
しかし、その生真面目な性格から、日々精進を繰り返すことと主婦業ン年のゲルダに教わることで少しずつ上達していき、数ヵ月経つ頃には、家事全般を預かる者として遜色ない技量に成長することができた。
家主であるジェイムズも、文句も言わず(いや、不味い料理は「不味い」と正直に告げたが)、彼女が家事を行う様子を寛大に見守り、今では安心してすっかり家の中のことを任せきりにしている。
その彼自身も真面目な性格が幸いしてか、ケイン隊長に剣技その他の稽古を熱心につけてもらった成果が上がり、警備隊の中でもメキメキ腕前を上げていた。
もともと、ケインが隊長として着任した地方の警備隊は、彼のシゴキと指揮のおかげでそれまでとは段違いに強くなるのが常だったが、その例に照らし合わせても、ジェイムズの伸びっぷりは頭2つ、3つ飛びぬけている。
(たぶん、無意識に妖精眼を使いこなしてるんだろうなぁ)
打ち込んでくるジェイムズの剣を、木剣でいなしつつ、そんなコトを考えるケイン。
「っおりゃあっ!」
気合いとともに放たれた神速の縦切りを半身をズラしただけでかわし、そのまま軽く足払いをかけるケイン。
たまらず、ジェイムズはすっ転び、手から武器を落としてしまった。
「ほい、チェックメイト。最後の唐竹割り以外はなかなかよかったぞ」
「あっつつ……うーん、イケると思ったんですけどねぇ」
「阿呆。決めの攻撃の時に大声あげたら、「今から行きます!」って相手に教えてるようなモンだろうが。それに剣筋が素直なのはいいが、素直過ぎて逆に読みやすい」
反省点を指摘しつつも、ケインはジェイムズの動きそのものには舌を巻いていた。身体を無理なく自然に動かすことで最高の力を引き出す、というのは言うのは簡単だが実際に実現するとなると、かなり難しいのだ。
「まぁ、初級基本編は卒業して、これからは中級応用編にお前さんも進まないといけないってことだ」
師匠っぽくエラそうにアドバイスするケインだが、彼の言う「中級編」に進めた者は、これまでに指導した100人近い教え子の中でもわずか数人なのだから、それだけでもジェイムズの優秀さはわかるというものだ。
「で、そっちはいいとして、あの子達の仲の進展具合はどうなのよ?」
顔全体に「ワクワク」という擬音を貼り付けたような表情で、夕食の席で妻のゲルダに問われ、ケインは苦笑する。
「ヲイヲイ。そのテの噂話に詳しいのは主婦の特権だろうが。むしろ俺の方が聞きたいぞ」
「まー、そりゃ、そーなんだけどねー」
苦虫を半匹くらい噛みかけたような微妙な顔つきになるゲルダ。
「微笑ましいというか、カマトトってゆーか……」
ひとつ屋根の下に、互いにそれなりに好感を抱いている男女ふたりが数ヵ月共に暮らしていれば、いわゆる「男女の仲」になっても別段おかしくはない。
なのだが……最初の出会いが出会いだったせいか、ジェイムズとピュティアは、半年経った今も、非常に遠慮勝ちな距離を保っていた。
無論、一緒に暮らしている以上、「着替え中にドアを開けて慌てて謝罪」、「ベッドに起こしに来たら、男の生理現象がニョッキリ」、「水仕事で濡れた服が透けてドッキリ」といったハプニングはあるにはあったが、そこから先に進まないのだ。
初心で微笑ましいと言えないコトもないが……。
「すみません、ご主人さま、お疲れのところを買い物につきあっていただきまして」
「なんの、力仕事は男の領分さ。それに、ピュティアさんにはいつも家のコトをやってもらってるから、たまには恩返ししないと」
隊商(キャラバン)によって村の広場で開かれている市場に、ふたりは連れ立って来ていた。
辺境にほど近い村ではあるが、それでも半年に一度くらいのペースで、このような十数人単位の小規模な隊商が訪れ、この辺りでは手に入らない物品を購入する機会があるのだ。
警備隊は安月給だが一応固定の現金が支払われる上、ここ数年はジェイムズが人に貸している畑も豊作でそれなりの地代が入っているので、慎ましい暮らしながらそれなりに蓄えはできている。
「そんな! 私こそ、お世話になりっぱなしで……」
紙袋を抱えたまま、申し訳なさそうに頭を下げかけたピュティアが、"路面の一部が濡れていた"せいか、つるりと足を滑らせる。
「あっ!」
「おっと!」
素早く手にした荷物を置き、彼女の身体を抱きとめるジェイムズ。さすがに慌てていたせいか、力の加減ができず、彼女の身体を自らの腕の中にすっぽり抱きかかえるような姿勢になっていたが……。
「よしよし、そこでブチュッといきなさい、ブチュッと!」
「いや、デバガメみたいなコトはやめようぜ、ゲルダ」
物陰から、部下にして弟子でもある少年達の様子を、隊長夫妻がうかがっている。
「ああっ、何でそこで手を離すのよ! ピュティも、もっと積極的に!」
「無責任に煽るなって。そもそも、あそこに氷張ったのお前の仕業だろ。アイツが助けるのが間に合ったからいいものの、転んで頭でも打ったら危ないじゃないか」
「妖精──それも"地"に属するキキーモラが、転んで頭ブツケたくらいでどうにかなるモンですか! あ〜、もぅじれったいわねぇ」
(お前は、知り合いにやたらと見合い話を斡旋するオバちゃんか)
溜め息をつきながら、そんな感想を抱いたものの、さすがに口には出せない。
女性に年齢を感じさせる単語、とくに「オバちゃん」なんて言葉は禁句なのだ。さすがに夫婦生活が長い(とある事情から、このふたり、見かけの倍は生きてるのだ)ので、そのくらいは彼も理解している。
「あの年頃の少年少女って言ったら、逢う度にキスだの抱擁だのを繰り返して、そこから先の一線をいかに越えるか、互いに色々模索してるモンでしょーが!」
「いや、まぁ、確かにそれはそうだけどな」
妻のエキサイトっぷりを「どうどう」とケインはなだめる。
「ま、あのふたりは、なまじ一緒に暮らしているぶん、「家族」って気持ちが強いのかもな。こういうコトは自然に任せるのが一番いいと思うんだが」
「そりゃね、わたしだって、あのふたりが人間同士、あるいは妖精同士なら、こんなに気を揉まないわよ。でも……」
妻の言いたいことは、ケインにもわかった。
おそらく、ふたりの姿に、在りし日の自分達の不器用な恋愛を重ねているのだろう。
「はぁ……仕方ない。ちょうどいい機会だから、ちょいと爆弾投下してみるか」
王都から届いたある手紙の文面を思い出して、ケインは久々にかつての上司の手を借りることを決意するのだった。
* * *
土を踏み固められた10ヤード四方くらいの小さな広場──警備隊の訓練場で、ジェイムズは、久々に隊長のケインとの「真剣勝負」を取り組んでいた。
これは文字通り、木製などの練習用ではなく、本物の武器で打ち合う形式の試合を指す。無論、殺し合いではなく寸止めするルールだが、普通の練習に比べて格段に危険性は高い。
もっとも、警備隊付き修道女のシビラとケインの妻ゲルダも立ち会っているので、仮に負傷しても魔法ですぐに癒すことは可能だが。
「どうした? 来ないのか?」
しかも、ケインに至っては、本来の得物である長槍を手にしているという気合いの入りようだ。
最近では、彼から3本に1本程度はとれるようになったとは言え、それらはすべて剣対剣での話だ。ただでさえ、剣対槍では後者が有利だと言うのに、一体隊長は何を考えているのだろう?
そう思いつつ、ジェイムズもここは引く気はない。
「本当に隊長から3本中1本でも取れたら、給料上げてくれるんでしょうね?」
──まぁ、そういうコトだ。
「うむ。男に二言は無い。ま……」
ニヤリと笑った次の瞬間、あり得ない踏み込みの早さでケインの槍が、正眼に構えたジェイムズの剣を下から叩いて、少年の腕ごと大きく上に跳ねあげていた。
「流石に槍を手にした状態でヒヨッコに負ける気はないがね──コレでまずは1本だ」
完全に無防備になった少年の頬を、冷たい槍の穂先がピタピタと撫でる。
「くっ……!」
温厚とは言えジェイムズも、警備隊所属の兵士である以上、武人のハシクレ……という自負がある。遅まきながら、少年らしい負けん気に火が点いたようだ。
すぐさま跳び退って再び剣を構える。
その姿からは、先程までは感じられなかった殺気にも似た気合いが立ち昇っているのがわかった。
そこからのジェイムズの動きは目を見張るようだった。
上段からの打ちおろし、左から右の横薙ぎに続いて右斜めに袈裟掛け、その真逆に下からの切り上げ、さらには連続の三段突き……と剣術の教科書に載せたいくらい見事な動きで、ケインを防戦一方に追い詰める。
──いや、そう思えたのだが。
「前に教えただろ。理に適った動きは強力だけど、その分読みやすいって」
わずか半呼吸の隙を突かれて(いや、おそらくは最初からそれを狙っていたのだ)、あっさり逆転される。
「ふむ……見込み違いか。どうやら、まだ応用編をものにできていなかったかな?」
クルリと回した槍で、トントンと自分の肩を叩いている隊長を見て、少年兵は唇を噛んだ。
最初から敵わないだろうことは正直理解していた。
けれど、このまま一矢も報いないで終わるのは、目をかけてくれた隊長本人に対しても、自分自身のなけなしのプライドに対しても──そして、こっそりゲルダさんの背後から見学しているピュティアへの見栄の面からも、我慢ならない。
彼女の心配そうな姿を目にした瞬間、脳内のどこかでがカチリと何かがズレたような気がした。
スーッと深呼吸をすると、パチリと剣を腰の鞘に納める。
「ん、どうした? 降参か?」
「はは、まさか……僕なりに奇策を弄してみようかと思いまして」
そのまま左手で鞘ごと腰から外し、右手を剣の柄にかける。
相応の知識がある者が見れば、それは東方の剣技で言う「居合」の型と似ていることがわかったろう。無論、ケインにもその知識はある。
「ほぅ……おもしろい。だが、付け焼刃でそれができるかな?」
ニィと男臭い笑みを口元に浮かべたケインが、それでも先程よりも慎重に槍を構える。
できるはずがないとは思う反面、この若者ならやらかしてくれるんじゃないか、と期待する部分があった。
「勝負ッ!」
鋭い呼気とともに裂ぱくの気合いをもってそのまま踏み込むジェイムズと、それを迎え撃つケイン。
そこにいる誰もが、その姿を予想したが……。
「……え?」
少年は、踏み込みかけた姿勢のまま、強引に足を止めていた。
優れた武人は、相手の次の動きを自然と予測し、それに対応し、凌駕するべく動く。
ケインも当然、その「優れた武人」の範疇に入る存在だ。まして、彼もまた「妖精眼(グラムサイト)」持ちであり、人の気の流れなど手に取るようにわかる。
しかし、この場合、それが裏目に出た。
いや、正確には少年が足を止めようとした瞬間それを察知し、すぐさまソレに対応しようとしたのだが……。
槍の間合いの半歩外から放たれたジェイムズの「居合」もどきが、予想外の結果をもたらしたのだ。
居合とは、刀を鞘で滑らせることによって本来の抜刀速度以上のスピードで放たれる抜き打ちの斬撃だ。西方の剣技しか知らない者からすれば、特に初見だと魔法か手品のように見えるが、原理的には神速の抜刀術、それに尽きる。
とは言え、確かに長剣や大剣の大ぶりな動きに慣れた者からすれば、そのスピードは脅威だ。
しかし、ケインは本物の東方剣士と撃ち合った経験もあり、その速度への対応も十分に可能だと自負していたのだが……。
Q.片刃で緩く剃りのあるカタナでも難しい居合を、両刃で肉厚の長剣で実行できるものか?
A.無理。
そう、ジェイムズは、神速の抜刀術を仕掛けようとしていたのではない。
そう見せかけて、そのまま剣を振り抜き、鞘を飛ばして来たのだ。思わずそれを槍で弾いて隙ができたケインの懐に入り込む。
剣に対する槍の優位の7割は、その間合いの広さにある。強引に近づくことで、その差を少年は埋めようとしたのだ。
その試みは半ば成功したかに思えたが……。
「ふぅ〜、あっぶねぇ」
咄嗟に槍から利き手を離したケインが抜いた短剣で、ジェイムズの渾身の一撃は受け止められていた。
「くうっ! これでも届きませんか」
「生憎、これでも前大戦経験者でね。生き汚いのが身上だからな。とは言え、70点ってところか。ギリギリ合格だな。
──辺境第23警備隊隊員、ジェイムズ・ウォレス!」
「は、はいっ!」
姿勢を正したジェイムズに、ケインは思いがけない言葉を告げた。
「貴殿を王国軍第八戦士団の正隊員推薦する──来月から、いっぺん王都まで行って来い」
「……へ?」
-つづく-