先住権という言葉がある。  
 
まあ、法律は詳しくないけど  
『先に住んでたらアンタの勝ち。』っていう事らしい。  
 
そりゃあ、後から来た奴に出て行けと言われたら、  
だれだって納得いかない。  
俺だって納得いかない。  
 
でも、人間なんて都合のいい生き物なわけで、  
第三者ならともかく、いざ当事者になると、そんな事は言ってられない。  
 
勝手な話ではある。  
しかし、それを理解していながら、なお思う。  
 
(俺が住んでるのだから、出て行ってくれんかな……)  
 
目の前に座っている、影のような先住者を見ながら  
ぼんやりと考える。  
 
それを感じてか影は一度こちらに顔をあげ、  
そして申し訳なさそうにうつむいていった。  
 
……しまった。  
 
気を使って言葉にしないで心に思い浮かべただけだが、  
相手はそれでも伝わってしまうのだった……  
 
うだなれる影をみながら、俺はすこし自責の念にかられた。  
 
ここは俺が借りているアパートだ。  
敷金も礼金も俺が払った。  
月々2万2500円の家賃も毎月おさめている。  
 
だから、余計な先住者である影が所在なさ気にしていても、  
本来なら知ったことではない。  
 
 
理屈では。  
人生、理屈だけでは済まないから厄介だ。  
 
俺はなんとか心を平静にして、目の前の影にほほえんだ。  
 
相手も落ち着いてきたのだろう。  
存在が実感でき、視覚として像を結ぶほどに影が、ゆっくりと形を作っていく。  
 
やがて結像したその姿は、俺よりもすこし年下の少女であった。  
 
正確にいうと15,6歳ぐらいだろうか?  
すこし大きめのパジャマを着ていて、  
腰までかかる長い髪をゴムバンドで軽くまとめている。  
 
客観的に見て、かわいらしい少女だと思う。  
 
男として、彼女と同じ屋根の下で暮らせるなら誰もが喜ぶだろう。  
しかし、同居人である俺はこれっぽっちも嬉しくない。  
 
なぜなら、彼女はいわゆる幽霊というものなのだから。  
それもどうやら地縛霊らしい。  
 
どういった理由で少女がこの部屋に憑いているのか解らないし、  
そもそも何故死んだのかすら解らない。  
 
彼女は全く喋らないため、情報がないのだ。  
なんとなく心、というより漠然とした感情が通じることはあるのだが、  
コミュニケーションは極めて難しい。  
 
はじめは彼女に驚き、怯えもした。  
しかし害意がないことはすぐに解ったので、やがて彼女のことを  
空気みたいなものと思うことにした。  
 
しかし、それはすぐに無理なことだと解った。  
 
俺とて健全な青年。  
 
国内外をとわずポルノ雑誌を持っているし、  
法律に抵触するビデオも豊富だ。  
 
そしてもちろん、それらは単なるコレクションでもなく  
観賞用でもない。  
立派な『実用品』なのだ。  
 
どんどん使うし、ガンガン使う。  
そのための一人暮らしというものだ。  
 
だが、やはり彼女は空気ではなく、少女の幽霊なのだ。  
ただの空気はビデオから聞こえる喘ぎ声に耳を防がないし、  
男の自己完結行為に顔を赤らめることはない。  
 
それでも、最初のころは良かった。  
 
ここは俺の部屋だぞ!! という怒りも手伝って吹っ切れることも  
できたし、正直、そんなシチェーションが快感ですらあった。  
 
しかし、青白い顔で頬のみを熟れたリンゴのように紅潮させ、  
目をうるわせて部屋の端で体育座りする姿を見ると、  
とてもじゃないがリピドーを維持するのは難しかった。  
 
いまでは自慰行為1つするにもトイレにこもる始末である。  
(これですら彼女にとってはギリギリらしいが……)  
これでは実家のころと変わらない。難儀な話ではある。  
 
 
(全く、難儀な話だ……)  
 
俺は毎夜繰り返しているむなしい思考を浮かべながら  
布団にもぐることにした。  
 
しばらくして、背中越しに気配を感じた。  
これも、毎夜繰り返されることである。  
 
少女の霊だ。  
 
なぜか彼女は幽霊のくせに人の温もりを求める。  
理由は解らない。  
 
これだけジャマだと思っているのに、  
さんざん年頃の少女を恥入らせているのに、  
それでも彼女は俺の背中で寝ようとするのだ。  
 
あるいは、そこに彼女がこの部屋に取り憑いている理由が  
あるのかも知れない。  
 
全く、難儀な話だ。  
そしていつも通り、そんなにジャマだと思うなら  
お払いでもしたらどうだ?と、俺のまっとうな思考が提案する。  
それもそうだと、俺の理性が応える。  
 
背中越しに少女の寝息を感じた。  
そして、俺の背中が湿っていくのも感じる。  
 
少女の涙だ。  
実際に濡れているわけではないが、感覚はある。  
 
……まったく、これだから……  
 
理屈では早くお払いでもして、安眠を確保するべきなのだろう。  
そして、思う存分居住権を主張するべきなのだろう。  
 
しかし……  
 
まったく、人生理屈だけでは済まないから厄介だ……  
 
俺はなんとも言えない、しかし、  
まんざらでも無い気持ちになっていた。  
 
少女の寝息が今夜も続く。  
おそらく、明日も聞くことになるのだろう。  

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