「いやっ! ない、ないわ! どこにいったの!?」  
沢村仁美は焦っていた。仁美は人気急上昇中のアイドル歌手である。  
大きな黒い瞳が印象的なルックスと、歌唱力も十分あり更に知性的  
なイメージで、同世代のタレントの中では優等生扱いされる存在で  
あった。ライバルと目される沼尻サヤカが、危険な小悪魔イメージ  
を振りまいているのとは対象的だった。  
 
「ああっ、アンスコがないなんて、どうしよう!」  
仁美は激しく動揺した。ここは彼女の野外ソロコンサートのため  
の更衣室である。バッグの中に入っているはずのアンスコがなかっ  
たのだった。  
 
アンスコとはアンダースコートの略で、ミニスカートで活動するタ  
レントやアスリートが、本物のパンティが見えてしまわないように  
上から穿く、「見られてもいいパンツ」のことである。  
ネット上などに出回っている、いわゆるアイドルのパンチラ写真な  
るものは、ほとんどがアンスコを写しているだけなのだ。  
 
アンスコを穿いていなければ生パンを撮られてしまう。いわば、ミ  
ニスカ姿で歌うアイドル歌手にとって必需品であった。その大事な  
アンスコが急になくなったのだった。出る前にちゃんと確認して来  
たはずだ。ここは沢村仁美専用の更衣室である。さっきトイレに5  
分ほど立っただけだ、その間になくなったのだ。盗まれたのか?  
 
風でスカートがめくれやすくなる野外コンサートは、アイドルのパ  
ンチラを狙うカメラ小僧たちにとっては絶好のチャンスである。  
今日の仁美の衣装は、可愛らしさを強調した生地の薄いプリーツス  
カートである。風に対しては心もとない。アンスコがなければ大変  
な事になってしまう。  
 
(どうして! 今日の下着は絶対に見られたくないのに)  
仁美は後悔していた。今の状況では絶対にパンチラ写真を撮られて  
はならなかった。あまりにも大胆な下着を穿いているのだ。  
どうせ、アンスコで隠せるからと油断していた。もっとおとなしい  
パンツを穿いてくればよかったのに。  
 
というのも、今日はこの後恋仲であるジェリーズ事務所のイケメン  
タレントである滝下智也とデートの予定だった。超清純派で処女イ  
メージが流布している沢村仁美だったが、もちろん芸能界につきも  
のの幻想に過ぎない。既に滝下とは体の関係になっていた。  
ひょっとしたら今日もエッチするかもしれない。そこで彼を昂ぶら  
せるために扇情的なパンティを穿いてきたのだ。  
 
もし今穿いてるパンツの写真を撮られて、それが流出したら……  
「いやあっ!」  
仁美は首を振って悶えた。想像するだに恐ろしい。そうなったら破  
滅だ。恥ずかしくてもう人前に出られなくなる。そのくらい危険す  
ぎるパンツなのである。  
 
「仁美ちゃん、もうすぐ出番だよ。もう準備できた?」  
マネージャーの声だ。開演時刻が迫っていた。今日は車が渋滞して  
会場入りも遅れていたのである。もう時間がない。  
外には大勢のファンが待っている。優等生の仁美にはドタキャンな  
どありえない。出るしかない、彼女は覚悟を決めた。  
(隠し通すのよ。見せないようにすればいいんだから!)  
仁美は悲壮な決意を秘めてステージに出ていった。  
 
幸い風はそれほど強くなかった。  
(よかった。これなら大丈夫だわ)  
少しホッとしたのもつかの間、客席に目を向けた仁美はたじろいだ。  
「ええっ! どうして!?」  
前列の方に、プロのカメラマンらしい連中が大勢望遠カメラを持っ  
て待機していたのだ。ただの小さな野外コンサートなのに、ありえ  
なかった。まるで仁美の大ピンチを知って、世紀のパンチラ写真を  
ゲットしようと虎視眈眈と待っているかのようである。  
(わたしの恥ずかしい写真を撮るつもりなの? 冗談じゃないわ!)  
 
仁美はゾッとした。何かおかしい。  
(ひょっとして、わたしを辱めようという何かの陰謀?)  
聡明な仁美はうすうす疑惑の影を感じ取っていた。だが、今はそれ  
以上考えている余裕などなかった。歌うしかない。  
(エッチな写真なんて絶対撮らせないから!)  
逆に固く決意する。いよいよコンサートが始まった。  
 
一曲目、右手にマイクを持って歌い始める。空いている左手でスカ  
ートを守るしかない。  
曲の途中の振りが、不自然に小さくなってしまう。スカートをすぐ  
抑えるためである。  
曲の途中で弱めの風が襲ってきたが、なんとか巧みにスカートを抑  
えて、しのぎ切った。  
 
(しめた! これならなんとかなりそうだわ)  
もし、片手で抑えられないくらいの風が来そうだったら、歌うのを  
やめて両手で隠すつもりだった。仁美の歌を聴きに来ているファン  
には申し訳ない事になるが、非常事態である、仕方がない。  
(そうなったら、ファンのみんな、ごめんね)  
なによりもファンを大事にしている仁美である。  
 
三曲目に入った時だ。少し余裕ができた仁美が、客席に目を向ける  
と、一人の女性に気がついた。  
「えっ! どうしてあの人がここに?」  
それは、仁美のライバルと言われている沼尻サヤカだった。プライ  
ベートでの親交はないが、仁美を大変憎んでいるという話を聞いた  
事があった。いずれ誤解を解きたいと思っていたが、なぜこんな場  
所にいるのか。  
(落ち着くのよ。どうってことないわ)  
仁美は動揺しそうになる自分をなんとか鎮めた。  
 
コンサートは進んでいった。スカートを気にしすぎて、歌に集中で  
きていない仁美の変調ぶりが、客席にも伝わり、ファンはざわつい  
ていた。  
しかし、ファンというものはありがたいものである。そんな仁美の  
様子を温かく見守っていた。  
仁美ちゃん、よっぽどパンチラが嫌なんだな、やっぱり自分の清純  
イメージ大事にしてるんだ――好意に解釈していた。  
 
仁美にとって、心が凍るような時間が過ぎていった。  
(もう少しよ。あとちょっとだけ耐えるのよ)  
歌は不調だったが、とうとう最後のアンコール曲までこぎつけた。  
ここまで、何度か小さな危機はあったものの、幸いなことに強い風  
に襲われることはなかった。  
そして、とうとう無事に歌いきったのだ。  
 
(やった! 守り切ったんだわ!)  
仁美は心の底からホッとした。  
最後のあいさつも上の空で、さっさと引っ込もうとした時である。  
マネージャーがマイクを持ってしゃべり出した。  
 
「さあて、みなさん、ここで仁美ちゃんからみなさんにプレゼント  
があります」  
おお〜っ、と会場がどよめいた。予定外の出来事だった。  
(えっ、なにも聞いてないわ)  
仁美は困惑した。何も聞かされていなかったのだ。一体何が始まる  
というのか?  
 
マネージャーは続けた。  
「これから仁美ちゃんが座席番号の書いたクジを引きます。一名の  
方に、ペアの温泉宿泊券を差し上げます」  
思わぬ余禄にファンは喜んだが、仁美にとってはいい迷惑だった。  
せっかくタレント人生最大の大ピンチをしのぎ切ったと思ったのに、  
再びステ―ジの中央に呼び戻されてしまったのだ。  
 
「では、仁美ちゃんお願いします」  
目の前にクジの入った箱が差し出された。仁美らしくもない仏頂面  
で、マイクを右手に持ったまま、箱に左手を伸ばした。その瞬間、  
自分がワナに陥ちたことに気づいた。  
(ああっ! これじゃあ両手が使えなくなってしまう!)  
 
ここまで鉄壁の守備で守り抜いてきた清純派アイドル沢村仁美だっ  
たが、最後の最後で、無防備な魔の一瞬ができてしまった。  
まるでその瞬間を待っていたかのように、今日一番の強烈な風がス  
テージに吹き付けたのだ。  
 
両手がふさがって使えない仁美のミニスカートは、防ぐものもなく  
フワッと完全にめくれ上がった。パンティ丸見えの状態が現出した  
のである。  
「今だ!」  
「撮れ! 撮れ!」  
このビッグチャンスを、今や遅しと待っていたカメラの放列が一  
斉に彼女に向けられた。  
 
仁美のパンティが見えていた時間はごく数秒だけであったが、現場  
にいた者にとってはかなり長い時間に感じられた。  
そして、皆そのエロティックさに息を呑んだのだった。  
 
股間の部分だけを小さな三角形が覆っていて、サイド、バックは紐  
だけでできている、いわゆる紐パンだった。  
しかもそのフロントの三角の布は、白の薄いスケスケのレース状だ  
った。下の黒いアンダーヘアーまで完全に透けて見えていた。  
パンティを穿いているのに、穿いていない様にすら見える。なまじ  
のヘアヌードなどよりも、遥かに男どもをソソる光景であった。  
 
超清純派のイメージには似つかわしくない、セクシー過ぎる下着の  
完全露出に場内は静まり返ったが、一呼吸おいて  
「いやあああああっ!!」  
という女の絶叫が響き渡った。もちろん沢村仁美の叫びだった。  
もはや手遅れだったが、マイクを投げ出して両手でスカートを抑え  
たまま、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。  
 
あと一歩で、もう少しで逃げ切れたのに……  
(わたしもうダメね。こんな恥ずかしい姿をファンの前に晒して、  
写真まで撮られてしまうなんて。もうみんなの前に出られない)  
腹の底から無念の思いがこみ上げてくる。そして悔しさ、恥ずかし  
さに耐えきれなくなった仁美はステージの上で顔を覆って号泣した  
のだった。  
 
 
コンサート後、紙メディアもネットも大変な騒ぎになった。  
「沢村仁美、仰天パンチラ!」  
「アイドル仁美ちゃん、エッチすぎるパンティ露出!」  
「史上空前のパンチラ! アイドルの秘密!」  
写真週刊誌は、いつものように無責任な煽り記事を書きたてた。こ  
の下着で何をするつもりだったのか、興味本位の捏造記事が並んだ。  
 
ネットでは更にヒートアップした。あっという間に日本の若手アイ  
ドルのセクシー過ぎるパンチラ写真はネット上に流出し、世界中の  
人々の目に触れたのだった。  
 
男を挑発するためのパンティであることは明らかで、メディアの悪  
意に満ちた報道もあって、仁美の処女幻想は瞬く間に崩れ去り、フ  
ァンを落胆させ、人気は急落した。  
そしてあの日以降、沢村仁美は芸能界から姿を消した。恋人だった  
イケメンの滝下智也にも捨てられ、いつの間にかフェードアウトし  
ていったのである。  
 
 
コンサートから数日後、都内某所――男と女  
「フフフ、よくやったわね。いい気味だわ。仁美のやつもうおしま  
いね。あいつ、優等生ぶってて大嫌い」  
笑いながら語るのは女は仁美のライバル、沼尻サヤカだった。  
 
「逃げ切られそうでちょっとヒヤッとしたけどね。カメラマン手配  
してたのが無駄になるとこだったわ。それにしても、まさか自分の  
マネージャーがアンスコ盗んだなんてね」  
犯人は仁美のマネージャーだったのだ。彼女の命取りになったあの  
クジ引きも彼のアイデアだった。  
 
「全く気づいてませんよ。他にも会場入り遅らせるために、わざと  
混んでる道を通ったりとかね、いろいろと」  
喜びを隠せないサヤカと対照的にマネージャーの表情は硬かった。  
「仁美があんなすごいパンツ穿いてるなんて、あなた知ってたの?」  
「いいえ、あそこまでとは。でも勝負パンツ着てるのはわかってま  
した。滝下智也と密かに会う日でしたから。ぼくに、ぼくにいつも  
段取りを命じてたんです」  
マネージャーの握り締めた拳が震えていた。  
 
「へえ、あなた仁美のことが好きだったのね」  
サヤカはからかうように言ったが、マネージャーは答えなかった。  
「そうそう、約束の礼金よ。きっちり100万入ってるわ」  
彼女はマネージャーに札束の入った袋を渡した。  
「勘違いしないで下さい。ぼくはお金のためにこんな事を……」  
とマネージャーが言いかけるのをサヤカは遮った。  
「どうでもいいわ。大事なのは最大のライバルが消えたってこと。  
これからは沼尻サヤカの時代が来る。わたしの勝ちね」  
と言い放った。  
 
「さよなら。もうあなたとも会わないから」  
それだけ言い残すとサヤカはくるっと背中を向けて去っていった。  
その姿を見送ったマネージャーは  
「仁美ちゃん、どうしてぼくの気持ちを受け入れてくれなかったん  
だ。滝下なんかに体を許すからこんな事になるんだ」  
そうつぶやいた。  
 
それから10年経過した。一時消息不明になり、自殺説すら流れた  
沢村仁美だったが、専業主婦になっていた。かつて自分のファン  
だった都内の若手医師と結婚。子宝にも恵まれ、平凡だが幸せな  
家庭を築いていることが報じられた。  
 
翻って、ライバルを蹴落とした沼尻サヤカは、押しも押されぬ大  
スターに登りつめ栄華を極めた。しかし、やがてスキャンダラス  
な話題が先行して人気が落ちた所へ、金に困り犯罪に手を染めた  
沢村仁美の元マネージャーの供述から、あのアンスコ盗難事件の  
真相が世間に知れることとなり芸能界から追放になったのだ。  
果たして勝者はどちらだったのか?  
 
fin  
 

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