【エピローグ(後編)】 −いっしょに暮らそう−  
 
 その建物はルルカが繋がれていた広場の東側、シエドラの本当の中心に位置していた。低い円柱の  
ような形をした建物の一階には陽の光を屋内に導く窓だけがある。建物内部はすり鉢状になっており、  
同心円を描く石段を降りたひんやりとした地階が、ルルカの呼ばれた場所だ。  
 建物の入り口で番をしていた狼族の男から、ここは住人・種族間の問題を協議したり、罪人を裁い  
たりする場所なのだと聞き、ルルカは身震いした。  
 小さな窓から射す光が集まる建物の中心部に、数人の人影があった。ずんぐりした体型のクズリ族  
の姿。赤い衣装を着けた二人の狼族。そして、もう一人、獺族の姿──。  
(ウォレン、ジエル……、そしてあの娘は……)  
 それはずっと姿を見掛けず心配していた、ミルカだった。  
(どうして彼女がここに?)  
 四人に近付いたルルカは、中央に立つ狼族と顔を合わせ、その場で足を止めた。ところどころに灰  
色の毛が混じった白い毛並を風になびく炎のようにひらめかせるその初老の男の、吸い込まれるよう  
な真紅の瞳にルルカは射竦められた。初めて会うルルカにも、彼が狼族の族長であることが分かった。  
 彼の心ひとつで、獺族の運命は決まる──。  
 怯えるルルカにウォレンが声をかける。  
「そんなに緊張するな、ルルカ」  
「ウォレン……、私たちはどうなるの?」  
「俺もここに呼ばれてきたばかりなんだ」  
「そう……」  
 ウォレンの大きな手が頭を撫でると、ルルカの不安は消し飛んでいた。何があっても、きっと  
ウォレンは自分の力になってくれる。安心すると同時に、頬がかっと熱くなる。ウォレンとこうして  
会えるだけで嬉しい。窮屈そうな赤い正装を身に着けたウォレンを見るのは久し振りのことだ。ルルカ  
は少し可笑しくなった。畏まった姿が、彼には似合わない。  
 ミルカと視線が合う。彼女も『大丈夫よ』と言って微笑んだ。  
 
「獺の娘、ルルカよ──」  
 族長の低く力強い声が、地下の広間に響き渡る。ルルカは姿勢を正してその声に耳を傾ける。いよ  
いよ、審判が下される──。  
「ラッドヤートという言葉を知っているか?」  
「……えっ?」  
 族長の意外な言葉にルルカは戸惑った。初めは何の事だか分からなかったが、すぐにそれが獺族の  
言葉の綴りをそのまま公用語の発音に置き換えたものだと気付く。  
「それは、"誰のものでもない土地"っていう意味で……」  
「そうだ。獺語のその言葉は、公用語の中に受け継がれ、  
 いつしか、多くの種族が集まる解放区を指すようになった」  
「それって……」  
 族長とルルカの会話を、ジエルの翻訳を通じて聞いていたミルカが口を挟む。  
『ここ、シエドラも、かつてラッドヤートと呼ばれていたのよ』  
『どういうこと……?』  
 幻の街、レドラの名前を聞いたことがあるだろう、と族長は言った。  
「二つの街を、獺族は第一のラッドヤート、第二のラッドヤートと呼んでいた。  
 それが、レ=ドラ、シエ=ドラという街の名の由来だ。  
 分かるか?  
 この二つの街は、獺族が建造し、異種族たちに解放したものだったのだ。  
 そして、シエドラは、獺族が我ら狼族に贈ったものなのだよ──」  
 
 獺族は始めにレドラの街を造った。獺族が持つ技術の全てを注ぎ込んだ街は、人々の生活を大きく  
改善するものだった。しかし、水事情の良くないレドラの街は、獺たち自身が住むには適さなかった。  
その反省も踏まえ、彼らは新しく造る都市をひとつの種族に特化した設計にする実験を始めた。巨大  
なダムを建造し、水を確保すると、獺族が都市の機能を管理するための水路と、共存する種族の居住  
区を兼ね備えた都市をデザインした。  
「今の街の様子はよく知っているだろう。  
 流されてしまった石畳の一部は、最初から有ったものではない。  
 網の目のように街を張り巡らされた獺たちの泳ぐ道、  
 これが本来のシエドラの姿だ。  
 そして獺族は本来、賢く、気高く、そして慈愛に満ちた種族なのだよ」  
 
 本当に……?  
 自らを卑しい存在と思い込まされてきたルルカには、すぐには信じられなかった。族長の言葉を咀  
嚼しながら、父が言っていたことを思い出す。追われる身であっても、誇りを忘れてはいけない、と。  
(あれは嘘でも虚勢でもなかったんだ)  
 儀式によって剥ぎ取られた獺族の尊厳が次第に取り戻されてくるように感じる。同時に、疑問が次  
から次へと湧いてきた。  
 では、何故、獺族は追われていたのか。何故、シエドラを除く多くの国の者たちは獺を見つけ次第  
に殺すのか。大干ばつ以前の時代、獺族が世界を支配し、圧政を敷いていたという言い伝えはどこか  
ら生じたのか。レドラの街は、何故、消えたのか──。  
 ウォレンも、自分が調べていた以上のことを族長が知っていることに納得がいかない様子だ。  
 
「改めて、事情を説明しよう。こちらはミルカ。獺族の語り部だ」  
(そうか、族長は、私が彼女と面識があることを知らないんだ。  
 それはともかく、語り部……って?)  
『私が母から受け継いだのが、この役目なの。あなたが公用語を話すように──。  
 私は古い獺族の伝承を語り継ぐ者。  
 それは、断片的な歴史の記憶であったり、詩や諺であったり……、  
 はっきりとした形のものではないけれど、  
 そこにはきっと真実が隠されている』  
「狼族の族長にも、暗号のような形で封印された歴史が語り継がれておる。  
 儂は、あの洪水から一か月ほど、このミルカの協力を得て、  
 シエドラの……、二つの種族の隠された歴史を紐解いていったのだ」  
 ジエルが横から、えへんと咳払いをする。  
「そうだ。ジエルにも手間をかけさせた。おかげで全てが繋がったよ。  
 ルルカ、そしてウォレン──、  
 これから話すことには、憶測も含まれている。ただ、真実はそう遠くないはずだ。  
 多くは我々の胸にしまっておかねばならない。  
 世界を巻き込んでしまった、狼族と獺族の悲しい歴史の話だ」  
 狼族の族長はそう言って、滔々と語り始めた。  
 
 第二のラッドヤート、シエ=ドラの建造は、二つの種族が協力して行った。指揮を執ったのは、獺族  
の姫と、狼族の若い族長候補の青年だった。多くの人が早く幸せな生活を手に入れられるよう、寸暇  
も惜しんで建造の計画や課題について語り合うようになった二人は、同じ屋根の下に寝泊まりするよ  
うになり、やがて、禁断の恋に落ちた。愛し合う二人が、体を重ねるようになるまで時間はかからな  
かった。  
 獺の姫は少しずつ体を慣らし、ついに狼族の青年の精を子宮の奥に受け入れた。彼女らは知らなかっ  
た。狼族の精が獺の女性の体にもたらす変化を。そしてその、異種族に決して知られてはいけない獺  
族の秘密を守るために、暗躍する者たちの存在を。  
 生来、温厚で慈愛に満ちた獺族はまた、闇の部分も抱えていた。犬科の種族、中でも特に効果のあ  
る狼族の精を身に受けると発情し続ける体になる──、そのことは獺族が異種族と交流をするうえで  
の足枷になっていた。かつてそのことに気付いた者は、体格の劣る獺族が性の奴隷の身分に堕ちるこ  
とを恐れ、秘密を知った者を暗殺する部隊を組織した。暗殺部隊は姫が誕生するずっと以前から存在  
し、長い歴史の中で多くの異種族を、そして不幸にも肉体が変化してしまった同胞の女性をも、誰に  
も気付かれぬよう葬ってきたのだ。  
 このときも彼らは同じことをした。  
 愛する者が突然姿を消したことに、獺族の姫は嘆き悲しんだ。暗殺部隊は困難に直面する。これま  
でと事情が違ったのは、獺の姫まで口を封じるわけにはいかなかったこと。そして、暗殺されたのが  
狼族の次期族長候補だったことだ。狼族は彼の死の真相を追及する手を緩めなかった。  
 一方、獺の姫は、青年を手に掛けたのが獺族だったことを知る。  
 彼女は贖罪のため、単身、狼族の族長の下へ出向いた。そして、暗殺部隊の構成員の名を狼族に知  
らせると同時に、自らの身柄を差し出したのだ。  
 狼族は、報復のために獺族の姫を捕えた。族長とその配下の者たちはすぐ、獺族の秘密に気付く。  
生まれたままの姿に剥かれた姫の体は発情し、股間から愛液を滴らせていたからだ。そのことを彼ら  
は公表しなかった。ただ、その日、十数人の獺族と獺の姫がシエドラから姿を消した。獺族は必至に  
姫を探したが、手掛かりは無かった。二つの種族は表向き取り繕いながら、シエドラの建造を進めて  
いった。  
 やがて獺族の捜索部隊が、姫の居場所を突き止める。姫は、シエドラから遠く離れたレドラの街に  
運び込まれていた。  
 獺たちが姫を発見したとき、首輪を嵌められた裸の姫の体には、あちこち金属の装飾による"加工"  
が施されていた。レドラの住人は彼女を昼夜問わず凌辱し、性奴隷の価値を高めるべく、あらゆる実  
験をその牝獺の身に行っていた。獺たちの目の前で、姫の体は硬直を始めた──。  
 
「──そして、憎悪に駆られた獺族は、レドラの街を一夜にして滅ぼした。  
 自分たちが設計した街だ。容易いことだったろう。  
 他種族に蹂躙されることを避けるため、暗殺部隊を失った獺族が選んだのは、  
 すべての種族を監視下に置くことだ。  
 彼らは水路で世界を分断し、統治した。  
 その後の大干ばつが起こるまでは、な」  
 族長は語り終えて、そっと目を伏せた。  
 
(これが、ずっと私が知りたかった真実──)  
 呆然とするルルカに向かい、今度はミルカが口を開く。  
『抵抗してはいけない。咎は受け入れなければならない。  
 犯した罪を忘れぬこと。それが私たちの償い。  
 けれど、絶望してはならない……』  
『えっ? それは……』  
 かつて父から聞かされた、言い伝えの言葉。  
『獺族の姫の残した言葉よ。  
 レドラで救出された彼女は、その後、獺たちの必至の介護で、  
 なんとか言葉を話せるくらいまでは回復したの。  
 彼女は武器を捨てることを獺たちに呼びかけた。  
 そして、森で隠れ住む生き方を選んだの』  
『ちょっと待って、それじゃあ、先ほどの族長の話と違うんじゃない?』  
『そう。他種族を制圧したのは、姫に従わなかった強硬派の者たち。  
 姫に賛同した者は、獺槍を全て集めて、狼族に差し出した』  
『獺槍……?』  
『あれは、元は獺族にしか作れない、獺族のための武器なの。  
 そして、当時最も殺傷力の高い武器でもあった。  
 その後、狼族を中心とした異種族の抵抗勢力と、  
 彼らを鎮圧しようとする獺族の間で長い年月、争いが続けられた。  
 やがて大干ばつが訪れ、平野の獺族が滅ぼされると、  
 森へ移住した獺たちをも追い詰め、殺すようになったの』  
『私たちは、争いを望まなかった、獺の姫の子孫……。  
 そういうことだったのね』  
『そう、ルルカ姫の──』  
『……えっ!?』  
 
 ミルカの口から飛び出た獺族の姫の名に、ルルカは驚いた。自分と同じ名前の、遥か昔に狼族の青  
年を愛した獺族の娘。  
「驚いたか?」とジエルの通訳を聞いていた狼族の族長が言う。  
「言い伝えにある獺族の姫の名前が、お前と同じであることに。  
 これは運命だったのかもしれん。  
 あるいは、愛し合った二人の魂が生まれ変わり、お前たちに……」  
 ルルカは、族長の口元に手のひらを向け、ううん、と首を振る。  
「そうかもしれないけど、きっと、そうじゃない。  
 私はただ、この素敵な狼のことが好きになっただけ。  
 ルルカ姫だって、きっとそうして、  
 お互いのことを少しずつ好きになって、  
 ある日、本当の気持ちを口にすることができた。  
 それだけだと思います」  
(だって、私のウォレンに対する気持ちは、  
 誰かに決められていたものなんかじゃない──)  
 
「そうか……。そうだな、それでいい」  
 族長は満足したように頷いた。  
「獺族との戦争で廃墟となっていたシエドラに、狼族は戻ってきた。  
 そしてここを、交易の街として復興させた。  
 儂の何代も、何十代も前になる族長は、シエドラに、  
 いつか獺族を迎え入れようと考えたのかもしれん。  
 それが今では不可解な戒律として引き継がれている。  
 ほとんど食べられることのない魚が毎日水揚げされ、市場に並べられる。  
 獺族の特殊な衣服を作るための繊維が採れる植物が、今も栽培されている。  
 あの植物は、獺族を追い詰めるために世界中から焼き払われたはずなのだ。  
 シエドラは牝の獺に限って、殺さず受け入れた。  
 獺族の血を絶やさないよう、保護するのが目的だったのかもしれん。  
 ただ、建前上、彼女らを鎖に繋ぐしかなかった。  
 それがいつしか歪められ、お前たちを苦しめる今の制度に変わっていったのだろう。  
 許して欲しい──」  
 族長が合図をすると、灰色の衣装を着けた狼が何かを運んできて、ルルカとミルカに手渡す。それ  
は透き通るような薄い帯状の布だった。  
「これは──」  
「本来の製法を知る獺に聞いて作らせてみた。"飾り布"だ」  
 二人の獺は衣装の上にそれを纏ってみる。狼族から贈られたその飾り布には、彼らの衣装に使われ  
る原色の繊維が織り込まれている。ルルカの布には赤の。ミルカには青の──。  
 族長は二人に向かい、宣言する。  
 
「改めて、我らシエドラは、獺族をここに迎え入れる。  
 おかえり、ルルカ。  
 おかえり、ミルカ。  
 そして、全ての獺たち。  
 今、誓おう。たとえ他の国、他の種族が獺族との共存を認めなくとも、  
 迫害を続けようとも、  
 狼族はお前たち獺を、命に代えて守ることを──」  
 
 まだ夢の中に居るようだった。ルルカには今聞いてきたことがすぐには信じられない。ただ、獺族  
がこのシエドラで生活することが許されたのだけは確かだ。  
 族長を残し、ルルカたちは建物を後にする。ジエルは用事があると言う。何でも、胡狼族の青年と  
魚料理の店を開く準備をしているらしい。  
「なんだよ、驚かせようと思ってたのにさ」  
 去り際にウォレンにそのことをばらされたジエルが混ぜ返す。  
「ウォレンの旦那も、早く跡を継げばいいのに。  
 そうすりゃ、もっと早く獺たちを解放してやれたかもしれないのにさ」  
『跡を継ぐって?』  
『狼族の赤い衣装は二人しか着られないんだ。族長と、その跡継ぎ。  
 生まれ変わりがどうとかはともかく、この人は次の族長に選ばれてるのさ。  
 ふらふらと遊んでばかりで、あの爺さんにはいつも小言を言われてるけどな』  
『なんだ、遊び人っていうのも本当のことなんだ……』  
「都合のいいように言葉を使い分けるんじゃないぞ、お前たち」  
 
 くすくすと笑うルルカにミルカが顔を寄せる。  
『やっと、普通にお話ができるね、ルルカ』  
 見詰め合って、改めて互いの姿がそっくりであることに驚く。違うのは飾り布の色だけだ。ルルカ  
は彼女と裸同士で会ったときのことを思い出す。乳房もきれいな同じ形をしていた。服を脱いでしま  
えば、誰にも見分けが付かないだろう。  
『そっくりね、私たち』  
『うん。あの……、リングの跡は大丈夫なの?』  
『不思議ね、もう穴はほとんど塞がってるの』  
『そう……』  
 それ以上の言葉が出てこなかった。自分より辛い思いをしてきた彼女にかける言葉が思い付かない。  
 塞ぎ込むような素振りを見せるルルカを、ミルカは逆に元気付けようとする。  
『これからどうしていいのか不安なのは、私も同じ。  
 突然、生き方が変わってしまったんだものね』  
『うん……』  
 ルルカの不安は、ミルカが考えているものとは少し違う。いざ、シエドラで暮らすことが正式に認  
められると、心を決められない。この先自分は、ウォレンとどう付き合っていくのか。  
(ウォレンが族長候補だったなんて……。  
 私なんかが好きになってよかったのかな……?)  
 ウォレンのことを想えば想うほど、ルルカは不安になる。族長とミルカが語った獺族の過去も、に  
わかには信じ難い。  
『さっきの話は、言い伝えを繋いで解釈したものなんでしょう?  
 本当に私たちは、他の種族と一緒に生活していたのかな……』  
 そのことなら、とミルカは言った。  
『確かめてみたいの。ルルカ、協力して』  
『何を?』  
『聞いたことあるでしょう?  
 "おててにみずかきのある子は、だあれ"』  
 懐かしい響きだった。母に抱かれて何度も聞いた。同じ歌をミルカも知っていたことに嬉しくなる。  
『獺の子守唄ね』  
『これは、子守唄じゃないのよ』  
『えっ?』  
 
『公用語で、彼に言ってみて』  
 ミルカはウォレンを指差した。ウォレンがこれを知っているはずがない、そう思いながらも、ルルカ  
はミルカに促されるまま、聞いてみる。ウォレンは、間髪を入れずに答えた。  
「"それは、おおかみです"だろ?  
 その歌が、どうかしたか?」  
 ルルカは驚いて、ミルカを振り返る。  
『ね?』  
『どういうこと?』  
『これはね──』  
 ミルカは説明する。この歌は獺の子守唄ではない。子供たちが遊ぶときに歌うものだという。獺族  
と狼族の間に悲劇が生まれる以前の時代、街では獺族も含め色んな種族の子供が一緒に遊んでいた。  
歌はひとつの種族につき、ふたつの特徴を語る。どの種族も、必ずひとつずつ共通点を持っている、  
だから仲良くしよう、というのが、歌詞の持つ意味だ。  
『彼は今ね、私たちが同じ場所で生活していたことを証明してくれたのよ』  
『でも、獺の子は言葉が通じないんじゃ……?』  
『そうでもないの。公用語には、その昔、略式言語という形式があったの。  
 声帯の未発達な子供や獺族でも発音できるように音を置き換えたものよ。  
 大干ばつの後、異種族たちは獺を孤立させるためにそれを使うことを禁じたの』  
『そういえば、ジルフがそんなことを言ってたよ。  
 獺族でも公用語を喋りやすくする方法があるって……』  
『ルルカ姫が生きていた時代は、獺も狼も、普通に会話をしていたのかもしれないね』  
 そうかあ、とルルカは思った。  
 ルルカは、シェス地区で見た異種族の子供たちに交ざって、獺の子が遊ぶ姿を想像した。それはと  
ても素敵な光景だと思う。  
『ルルカ姫の残した言葉には、続きがあるの。  
 ──けれど、絶望してはならない。  
 いつか分かり合える日が来ます。  
 私たちはかつて、共に暮らしていたのだから──』  
 
「何の話をしているんだ?  
 俺にも分かるようにしてくれよ」  
『ごめんなさい、聞き取る方はけっこうできるようになったけど、  
 私はまだ公用語が話せないから……』  
 ミルカは蚊帳の外にされてふて腐れた様子のウォレンを見て、くすくすと笑った。  
 
『もうひとつ、ルルカに知らせておきたいことがあるの。  
 私……、母親になる──』  
『え……?』  
 母親って──そう言ったの?  
 ルルカは耳を疑った。シエドラに捕らわれた牝獺は子供を産めない体にされてしまっている。それ  
が揺るぎない現実ではなかったのか。  
『さっき話したでしょう?  
 森に隠れ住むようになった私たちは"ルルカ姫の子孫"だ、って。  
 ルルカ姫は自分では歩くこともできない体で、それでも子供が産めるまで回復したのよ。  
 ユアンがこの話を聞いて、私に言ったの。  
 覚悟はあるか……って』  
『覚悟?』  
『私たちの子宮の入り口は緩んでしまってもう閉じることはない。  
 でも、子を身籠った後、そこを糸で縫い合わせるの。  
 そうすれば、お腹の子が成長しても流産をしなくて済む、って』  
『縫うって……? 痛くないの?』  
 ルルカは、母が裁縫に使っていた針と糸を想像し、身震いした。  
『お腹の奥にはあまり痛覚は無いのよ』  
『本当に、そんなことができるの?』  
『ユアンは獣医さんだからね。シエドラのすべての家畜を管理する責任者なの。  
 これは、家畜の繁殖に使う技術だって。  
 だからって、私たちに使っていけないことはないでしょう?  
 私は彼の問いに頷いたの。  
 怖いけれど……、何度も涙を流すことになるかもしれないけど、  
 可能性があるなら、諦めたくない。  
 新しい命を生み出すだけじゃない。私は皆の希望を創るの……。  
 ルルカ、あなたもきっと……お母さん……に……なれる──』  
『私……も……?』  
 ミルカの言葉は、次第に感極まったようになり、途切れ途切れになった。ルルカの声も、うまく声  
にならない。信じられない──。カリンが見せてくれた、あの素敵な命を紡ぐ営みを自分の体で──。  
 ルルカとミルカは崩れるように体を寄せ合い、そのまま強く抱き合った。二人はわあっと声を上げ  
て泣いた。  
 怖かった──。  
 長い隷従の生活と、災害を乗り越えてからも続く忙しさに追われ、ずっと張り詰めていたものが解  
け、積り積もっていた感情が噴き出してくる。同じ姿の相手を前に、もう弱さを見せてもいいんだと  
思った二人は、若い女の子の獺らしさを取り戻したかのように、思いっきり泣いた。  
 こんな日が来るとは思ってもいなかった。一度は死をも覚悟した。  
 幸せすぎて涙が次々に溢れてくる。  
 子供を産むことだってできるのだ。焼き印の跡も、治療すればほとんど分からなくなるかもしれな  
い。元通り、いや、それ以上の生活を手にすることになった。シエドラという新しい故郷と、理解し  
合えた多くの人たち。  
 ルルカとミルカは、これまで耐えてきた苦難の日々から、今ようやく解き放たれたことを実感して  
いた。胸に溜まっていたものが、一斉に噴き出し、涙と共に流れ去っていく。  
 ひとしきり泣いた二人は、抱き合ったまま、今度は湧き起る喜びを噛み締め合うのだった。  
 
『ねえミルカ。子宮を縫うって……、あの人……、ユアンがしてくれるの?』  
 何気なく思ったことを口にしたルルカは、その意味に気付いてどきっとする。  
(ミルカは……、好きな人にお腹の中を触られるんだ……)  
 ルルカの質問に恥ずかしそうに体を震わせるミルカは、小さな声で『うん』と答える。  
(そうか、だから、ミルカは決心したんだね)  
 
 羨ましいと思った。幸せそうな表情を浮かべるミルカに、ルルカはさらに聞いた。  
『ユアンとはよく会ってるの?』  
『それは……』  
 ミルカはしばらく口ごもっていたかと思うと、頬に手を当て、恥ずかしそうに言った。  
『一緒に住んでるの。  
 毎日、抱いてもらってる……。  
 その……、妊娠したら当然、できなくなるし……』  
『毎日!?』  
『でも……、獺の夫婦になるひとのこともきっと好きになれる……。  
 おかしいかな?』  
 それまでの態度から一変して不安な表情を浮かべるミルカに、ルルカは『ううん』と首を振ってみ  
せる。  
 
 そうか──。  
 悩むことなんて無かったんだ。  
 ルルカは馴鹿族のことを思い出した。彼らは異種族と共存し、愛を交し合っているという。そんな  
生き方があってもいいのだ。  
『おかしくないよ、ミルカ。  
 とても素敵なことだと思う──』  
 ルルカは決心した。ウォレンに気持ちを伝えよう。  
 
「さっきから泣いたり笑ったり……、  
 いったい何の話をしているんだ?」  
 突然声をかけられ、ルルカは振り向く。  
「ウォレン、あのね、私──」  
「そういうのは、女の子の方から言うもんじゃないな」  
 ルルカの言葉を遮るように、ウォレンは言った。  
「俺の家に来ないか。働き詰めでしばらく帰ってないんだが、少し体を休めなきゃな。  
 やたらと広いばかりの家だ。一人で居るのも落ち着かない」  
「え……、う、うん……」  
 ウォレンは片目を閉じてみせる。  
 まだ、何も言ってないのに──。  
 
(ウォレン、私たちが話していたこと、あなたにはすべて分かっているんでしょう?  
 ウォレン──、大好き)  
 
 ウォレンはルルカの背中とお尻を抱えるように抱き上げる。  
「お屋敷にお連れしましょうか、お姫様」  
「お姫様、じゃないよ……」  
「そうだったな」  
 ウォレンの大きな力強い手にルルカは体を預けた。しばらく水に浸かっていなかった体が反応し、  
途端に火の付いたように熱くなる。  
 ルルカは獺族の小さな手でウォレンに抱き付き、今度は自分の番だとばかりに、告げる。  
 
「ウォレン……、いっしょに暮らそう──」  
 
 ウォレンの胸に顔をうずめ、ルルカはこれからのことを思う。この後ルルカは、二人が長い年月を  
過ごすことになる場所で、生まれたままの姿でウォレンに抱かれるのだろう。何度も愛し合うことだ  
ろう。  
 いつか行方の知れない両親がシエドラの存在を知り、ルルカの前に現れたとき、ルルカは胸を張っ  
てこの素敵な狼を父と母に紹介するだろう。  
(そして、皆で一緒に暮らすんだ──)  
 
 そんな日がきっと来るのだと、ルルカは信じた。  
 
 
−/−/−/−/−/−/−/−/−  
 目の前は血の海だった──。  
 仰向けに倒れた牝獺が、全身をヒクヒクと痙攣させている。クズリ族の男は、自分のふとした思い  
付きが招いた結果に身が凍る思いをしていた。  
 
「近くに娘がいるんじゃないのか?」  
 獅子族の男がもう一度、牝獺に向かって問う。クズリはもうそれを慌てて翻訳しようとはせず、こ  
う言った。  
「そのことなら、手っ取り早く判る方法がある」  
「どういうことだ? 話せ」  
「この牝獺の腹を裂いて、子宮を調べる。  
 直接触れば、子を産んだか産んでないか、いつ頃産んだのか……、  
 代々、獺狩りの通訳をしてきた俺たちクズリ族には、判る」  
「ふむ……、なるほど──」  
 
 クズリは、男が思案をしているうちに片を付けようとルルカの母の方を振り返った。  
(聞こえていただろう? そして、俺が何をしようとしているか、理解したな?  
 お前が今ここで命を差し出せば、俺が娘を助けてやる。  
 居なかったことにしてやる。  
 そして、お前自身がこれ以上、苦しむことも──)  
 クズリ族の男は、腰に着けていた小刀を抜いて構えた。状況を見て豹族の男たちは牝獺から離れて  
いく。  
(さて、上手くやれよ。  
 恐怖に耐え切れなくなって公用語を喋ってしまえば終りだからな)  
 牝獺に真意を伝えることはできない。獺語の会話であっても、この恐ろしく勘のいい獅子族の男に  
は悟られてしまうだろう。不自然なやりとりはできない。演技をし通すしかない。  
『もう、何も答えなくていい。  
 俺が決める。  
 お前に仲間が居るのか、いや、お前たちが夫婦だとして、  
 子供が居るのかどうか、俺が判断してあの男に伝える』  
 牝獺はその言葉の意図を汲み取ったのか、何も言わず目を閉じた。  
(そうだ、覚悟を決めろ)  
 まずはひと思いに喉を裂いて、恐怖から解放してやる。それから、腹を──。  
 
「待て」  
 クズリが牝獺を押え付けようとしたとき、獅子族の男が制止した。  
 
「腹を裂くのは、その牝獺自身にやらせるんだ」  
「……なんだと?」  
 
 なんてことを考えるんだ、この男は──。  
 クズリは、その発想の恐ろしさに身震いした。思わぬ方向に事態が転がっていく。自分の提案が、  
牝獺にさらに過酷な試練を与えることになってしまった。助け舟を出したつもりが、拷問の手段に変  
わってしまった。  
(馬鹿を言うな。自分で自分の腹を裂くことなどできるものか)  
 獅子族の男が何を考えているのか、掴めない。  
 肉食獣の冷たい眼光が、牝獺に真っ直ぐ、突き刺さっていた。猫科の一族の祖先は、戯れに獲物を  
嬲り殺す性質を持っていたと言う。捕えた獲物にとどめを刺さず、解放して再び捕え、弄ぶ。それは、  
狩りの腕を磨くための習性らしいが、そういった血が、今の彼らにも引き継がれているのか。  
「腹を裂け!」と、豹族の男たちが興奮して囃し立てた。  
 牡の獺のせいで馬を死なせることになり、獺狩りの隊の士気は落ちていた。獅子の男は彼らを鼓舞  
しようと考えたのか。仲間の居場所を聞き出すことはもうどうでもよく、腹いせに牝獺を惨殺しよう  
というのか。あるいは、牝獺が公用語を聞き取れると確信したうえで、恐怖を突き付け、口を割らせ  
ようとしているのか。  
 クズリ族の男は混乱しながら、震える手で牝獺に小刀を差し出す。  
『この刃物で……、自分の腹を裂け──』  
 そう、言うしかなかった。手のひらにじっとりと汗が滲み出る。彼らを騙そうとしたことが知れた  
ら、自分の身も危ういかもしれない。  
 獅子の男は、獺族に同情する恥知らずなクズリの欺瞞を暴き、この場で始末しようと考えているの  
ではないか。  
(だったらどうする──?)  
 小刀と槍でこの人数を相手に戦うか。そんなことをすれば、自分は帰る場所を失う。見知らぬ獺の  
娘を守るために、そこまでする意味があるのか。  
 戸惑うクズリ族の男を、獅子族の言葉以上に驚かせたのは、牝獺の行動だった。  
 
『あなたのことを信じます。だから、どうか──』  
 牝獺はそう言って、クズリの手から小刀を受け取ると、両手で柄を握り締め、剥き出しの性器の少  
し上あたりに突き立てた。刃物は恥骨の上を滑った後、牝獺の下腹部に深く突き刺さる。牝獺は、そ  
れをひと息に臍の下まで引き上げた。  
 血が吹き出し、周囲を赤く染めていく。  
 牝獺の体はゆっくりと仰向けに倒れた。  
 
(この牝獺、やり遂げやがった……)  
 思わず抱き起し、まだ腹に刺さったままの小刀を取り払う。縦に裂かれた傷口から、腹圧で腸が飛  
び出してくる。凄惨な場面だった。  
 呆然としているわけにはいかなかった。この後のことを自分がしくじったら、牝獺の覚悟が台無し  
になってしまう。あたかもやり慣れた作業のように振る舞わなければならない。  
 クズリは覚悟を決め、大きな爪の付いた手を獺の下腹部に押し込み、内臓を探る。腸を掻き分ける  
と、手応えがあった。  
 傷口の下に見える小さな獺の性器から続いている弾力のある細長い器官、これがおそらくこの牝獺  
の子宮だ。  
 子を身籠っていない今のその器官は、小さく、儚いものに思えた。触れてはいけないものに触れて  
いる。神聖なものを冒していることに、畏れを感じた。  
 牝獺は果たして、こんな馬鹿げた提案をした自分を、恨みの籠った目で睨んでいるのだろうか。  
クズリ族の男は、恐る恐る確かめる。  
(仕方がないだろう。いずれにしてもお前は死ぬのだから)  
 クズリの視線を感じて、牝獺はそっと目を閉じ、微笑んでみせた。  
 凄まじい覚悟だ。よく意識を保っていられるものだ。こんな小さな体で、よく恐怖と激痛に耐えて  
いるものだ。  
 それは、子供を想う気持ちの強さゆえか──。  
 
「どうだ?」  
 獅子族の男の声に我に返ったクズリは、手を牝獺の腹から引き抜く。  
 せめて傷口を閉じてやろうと、飛び出した内臓を押し込もうとするが、そうするそばから肉の塊が  
押し出されてくる。  
(こいつはもう助からない。確実に死ぬ──)  
 いつまでもこうしているわけにはいかない。クズリ族の男は手を止め、振り返った。  
「この獺は、一度も子供を産んだことはないようだ」  
「間違いないな?」  
「……俺には判るって言っただろう?」  
「そうか、ならばこれ以上、狩りを続けることもない」  
 
 クズリは、獅子族の男があっさりと引いたことに拍子抜けする。  
 馬を失っては逃げた獺を追うのにも苦労するだろう。さっさと切り上げて国に戻ろうと考えたのか。  
それとも、この男も自分と同じことを考えていたのか──?  
 そうだ、試したのだ。そして、知っていた。牝獺がこういう行動を取ることを。命を差し出せば、  
代わりに仲間を見逃してやる──、そういう駆け引きを、彼も牝獺に持ち掛けていたのだ。  
 ただ、そのことを口に出すことはできなかった。  
 獺族は見付け次第、殺す。同情など寄せてはいけない。  
 誰もが当たり前に思っている古い仕来りに異を唱えることは、恐ろしく勇気の要るものなのだ。  
(俺たちは、いつまでこんなことを続けるのだろう?)  
 
 牝獺は何かを言おうとしているようだが、喉がヒューヒューと音を立てるだけで、声にはならず、  
やがてぐったりと身を横たえ、動かなくなった。この牝獺が公用語を聞き取れるのは間違いない。さ  
らに話すこともできたのか、最後に聞いてみたかったが、それは叶わないようだ。  
 クズリの男は、近くに裸で転がされていた牝獺の夫の体も、すでに冷たくなっていることを確かめ  
た。  
 
 豹族の一人が、獅子の男に話し掛ける。  
「クズリ族ってのは、通訳くらいしか能がないものと思ってましたが、すごいものですね」  
 そう言って、便利な能力だ、と感心した。狩りのために何日もかけて辺境まで来ている。早く帰り  
たいと思う彼らに、先ほどのクズリの診断は有難いものだっただろう。  
 だが、と獅子の男は首を振り、小声で呟く。  
「子宮を触ったところで、出産したことがあるかなど、判るわけがないだろう」  
「は……、今、何と?」  
 獅子族の男は、ほっと安堵の息を吐いた。  
 牝獺が覚悟を決めなかったら、あのクズリの男はどうしていただろうか。  
(お前たちは見下しているが、クズリ族が本気になればおそらく、  
 我々全員が束になろうとも敵う相手ではないのだぞ……)  
 聞いたことがある。かつてクズリ族は、獺たちと協調関係にあった。水辺でしかその能力を発揮で  
きない獺族に代わって戦闘行為を行う彼らは"陸の獺"と呼ばれ、恐れられたという。獺族が世界を分  
断し圧政を敷いた時代、彼らは獺族に従う者と、異種族の連合に協力する者に分かれた。クズリ族は  
同胞で激しい殺し合いを繰り広げることになった。それは彼ら自身が記憶を封印したほどの、恐ろし  
く悲しい歴史だ。  
 平野の獺族が滅ぼされた後、生き残ったクズリ族は仲間が獺に与したという負い目から、他種族に  
従属する今の生き方を選んだのだという。  
(それはともかく……)  
 獅子族の男が、貴族階級の持ち回りで獺狩りの指揮を執ったのはこれが初めてではない。獺を殺す  
度に、強い罪悪感に苛まれてきた。  
 あのような気高い精神を持った種族がいったい過去に何をしたというのだろう。  
 誰も覚えていないのに、いつまでこんなことを繰り返すのか──。  
 
「獺の死体は、一応、槍に刺して持ち帰りますか?」  
 豹族の問いに、獅子の男は答えなかった。  
「……平野に下れば、それなりの流れの川があるだろう」  
「は? 川……、ですか?」  
「シエドラの水瓶に続く河川の一つだ。  
 ここは彼らの領土に近い──」  
 
 
 冷たい水に体を浸され、意識が戻る。  
(水……? 川……なの?  
 そう……、還ってきたのね。私たちの遠い──)  
 まだ、母獺はかろうじて息をしていた。裂けた腹にはもう感覚も何もない。夫の長い、密に生えた  
ヒゲが顔に触れる。誰かが牡獺の腕で牝獺を包ませ、抱き合わせ、水に浸けていた。二頭の獺の体を  
しっかりと結ぶ二本の布帯の端が、水流にゆらゆらと揺れた。  
 
 水葬──、というのだろうか。当人たちにも忘れ去られていた、獺族の風習だ。  
 母獺の目から零れ落ちた涙が、川の水に溶け込んでいく。ずっと、自分たちは獺槍に突き刺された  
惨めな姿で死んでいくものと思っていた。天寿を全うすることは望めない。獺たちは命を繋ぐため、  
誰かのため、囮になって死ぬのが常なのだ。  
 それが、どうだろうか。  
 信じられないことに、この獺狩りの隊は、彼女らの尊厳を認めてくれた。母獺はこのように弔って  
もらえることに感謝した。  
 彼女は夫に語りかける。声は出ていない。口はまったく動かない。それでも、心の中で言った。  
ルルカはきっと生き延びてくれますよ、と。  
 
(何も心配することはない。  
 そう、何も──)  
 
 ルルカは優しく、芯の強い子だ。まだ若い娘には、教えられなかったことも沢山ある。自分や仲間  
の命を守る方法、獺族の男女がどのように愛を交わすのか、そしてどのように子を産み、育てていく  
のか──。心残りはある。だが、大切なことは全て伝えたはずだ。それはルルカの中に息づいている。  
 
 長く続いた哀しい時代が、終わろうとしているのかもしれません。  
 あの子は優しい子。私たちの自慢の娘ですもの──。  
 いつかきっと、獺と他の種族との心を繋いでくれる──。  
 
 夫が頷いたように見えた。母獺は、にっこりと微笑む。そして、目を閉じ、再び呼吸をすることは  
なかった。  
 
 川面に浮かべられた獺の体を支えていた者が手を離すと、その小さな獣の体は軽く沈み、水流に押  
されるように動き出す。二頭の獺の亡き骸は、まるで戯れるかのように絡み合い、ぐるりぐるりと水  
の中を踊りながら流れていった──。  
 
 
   かわうそルルカの生活 −完−  
 

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