(今日、何作るかな……)
集中力が切れた頭で俺はぼんやりと料理の献立を考えていた。6限目の授業を受ける頭はほどよく気が散って、考え事をするのに都合がいい。
やがて授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室内の空気が少し緩和された。
俺は自分の席から立ち上がりそそくさと帰り支度を始める。今日は桃姉のところに行く日だ。
「栗原、帰りどっか寄ってこうぜ」
鞄を背負い、いざ教室から出ようとしたところで、クラスメイトの西田と大野が声をかけてきた。またぞろゲーセンで勝てない勝負に挑んでくる気らしい。
「いや、悪いけど今日はパス」
「んだよ、付き合いわりーな」
「ちょっと行くとこあってな……」
「また『通い妻』か?ご苦労なこった」
「るせっ、ほっとけ」
茶化すような西田の言葉を短くあしらうと、西田は急に息を潜めて話してきた。
「で、どうなんだ……?」
「どうって?」
訳がわからず呆けた顔でおうむ返しに聞き返す俺に、西田はニンマリ笑って囁いた。
「もうキスくらいしたのか?胸くらい揉んだのか!?」
「んな事してねぇよ!」
「はぁ!?なんでだよ!?年上のお姉さんだろ!?部屋で2人きりだろ!?そらもうエロい事にしかならねーだろ!」
「俺と桃姉はそういう関係じゃねーし、俺はそんなつもりで行ってるんじゃねぇ!」
この男は男子高校生はエロい事を考えるのが至上命題である、というくらいにすぐに話をエロい方向に持っていきやがる。
「はぁ……いいよなぁ、年上のお姉さん。こう手取り足取り教えて貰ってさ……」
うっとりした顔で続ける西田には悪いが、あの桃姉に手取り足取り教えて貰うなんて事態はそうそうないと思う。
「そういえば前に春生の幼なじみのお姉さん見かけた事あるな」
そこで今まで黙っていた大野が口を挟んできた。
「春生と一緒に歩いてるところだったけど……なんというか、芋っぽいというか垢抜けない感じの人だったな」
「あ、そうなんだ……」
微妙に失礼な批評を下す大野と、なぜかがっかりした感じの西田。
「ただし胸はでかかった」
「栗原爆発しろ!」
「うるさい黙れ」
ほっておけば延々とこのアホな会話が続きそうだ。
なおもギャーギャー騒いでいる西田を尻目に俺はその場を離脱する事にした。
桃姉のところに行く前に俺は少し買い物していく事にした。授業中考えていた献立の材料を買い物かごに入れながら、俺は先ほどの西田とのやりとりを思い出していた。
(嘘をついてしまったなぁ……)
さっきは半分くらい逆上していたから事実とは違う事を口走ってしまった。
俺だって健全な男子高校生。桃姉とはそういう関係じゃない、というのは本当だが、そういう関係になる事を期待してないといえば嘘になる。
(ただなぁ……)
桃姉の気持ちはどうなんだろう?というか桃姉にとって俺ってどういう存在なんだろう?
(普通に考えれば……弟?もっと単純に単なる年下の男友達?……いや、この前の家事やってくれる発言からして……まさか本当に家政婦としてしか見られてないとか……)
……なんだかどんどんネガティブな方に考えが行っている気がする。しかも自分の想像の中ですら男として見られてないとか悲しすぎる……。
しかし実際にあの素直かつボケボケな桃姉が俺の事を少しでも男として見ているなら、冗談でもこの間のようなお嫁さんに貰って発言はしないだろう。
そういう意味でもやはり現状の俺が桃姉とそういう関係になる望みは薄そうだ。
「はあぁぁ……」
思わず大きなため息が出てしまった。買い物中の周りの客が何事かとこちらを振り返り、俺はあわててその場を離れ、レジに向かった。
桃姉の住む安アパートに着くと部屋の中から何か食べ物の匂いがする事に気付いた。
現在午後4時。昼飯にも晩飯にも合わない時間だ。オヤツでも食べているのだろうか?そう思ってドアを開けると若干予想外の光景が待ち構えていた。
「あ〜、ハル〜、いらっしゃ〜い。遅かったね〜。まあ、上がんなよ〜」
桃姉は相変わらずこたつに入ったままで、何かを飲み食いしていた。床には空きビンが転がり、桃姉が赤ら顔でにへらと笑いながら、いつも以上にゆるい感じで俺を招き入れる。
(で、出来あがってらっしゃる……?)
普段あまり酒を飲まない桃姉だが、その分酔った時のお行儀はあまり良くない。俺は刺激しないようにゆっくりと部屋に上がった。
「お、お邪魔します」
前ほどではないが散らかった部屋の中を進み桃姉の座るこたつに近づくと、桃姉が足にすがり付くようにまとわりついてきた。
「ねーハル、おつまみ作ってーおつまみー」
こたつの上を見るとビーフジャーキーの袋が空になっている。確かに酔っぱらいにとっては一大事だろう。
「あー、えと掃除終わってからにしような……」
「えーやだー、作ってよぉ〜」
すげなくあしらって掃除を始めようとすると、俺のズボンを掴み駄々をこねるように騒ぐ。
「わかったわかった、作るから。だからズボンから手を離せ。……ったく、しょうがねーな」
「わーい、ありがとハル」
屈託のない笑顔でケラケラ笑う。普段から言動がゆるいが酒が入ると幼児退行するな、この人。
「じゃあ、ちょっと待ってなよ、あとあんまり飲み過ぎんなよ」
「はーい」
桃姉からのいい返事を受け、俺は台所に立って支度に取りかかった。
掃除も洗濯も済ませてしまい再びこたつに戻ってくると、桃姉は俺が作った料理を肴にまだちびちびと杯を傾けていた。明らかに普段より飲む量が多い。
「桃姉、何かあったの……?」
「…………」
尋ねてもブスッとした表情で桃姉は何も答えない。代わりにこたつから這い出すと近くに置いてあった本の様なものを持って戻ってきた。
「これ……」
「?」
手に取ってみると、形状は本だがページがなく、分厚い表紙の中に若い男性の写真が納まっていた。
「お見合写真……」
「……っ!」
「お母さんが持ってきた。んで延々早く結婚した方がいいだの、あんたみたいのは歳いったら貰い手なくなるだの話してった……」
苦々しく顔を歪ませる桃姉。相当嫌な話だったにちがいない。それでこんな時間から飲んでウサを晴らしてるわけか。
「ま、まあ、良かったじゃん。とりあえず相手がいないって問題は解決するし……」
何と言っていいかわからず、気付けば心にもないことを口走っていた。応援してどうするんだよ俺。
「えー、やだよ。よく知らない人と結婚前提で付き合うなんて……そもそも男の人と付き合った事もないのに……」
高校生の俺は勿論、桃姉くらいの年齢だって結婚に対して真面目に考えられる人はそういないだろう。まして桃姉はこれで結構人見知りなところがある。
「あぁ〜もう、なんでこんな事で悩まないといけないんだろ……」
とうとう頭を抱えてこたつにつっぷしてしまった。が、すぐにその顔がガバッとはね上がる。
「やっぱさぁ、ハルがお嫁さんに貰ってくれるのが一番いいよ!」
「……それはダメだっつったろ」
一瞬言葉に詰まったが、所詮は酔っぱらいの妄言と今日は動揺する事もなく切り返すことができた。
だが面倒くさい問題からの逃避なのか、はたまた酔っているからなのか今日の桃姉はしつこく食いついてくる。
「えー、いいじゃ〜ん。それともなに?お姉ちゃんの事嫌いなの〜?」
そう言いながらのそのそとこたつから這い出ると、俺の方に近寄りじゃれつくようにぴたりと体を寄せてくる。
途端、俺は自分でも頬が熱くなるのがわかるくらいに顔を真っ赤にした。心拍数がはね上がり、身体が露骨にギクシャク動きだす。
「や、やめっ、離れろって……!」
酒の臭いと桃姉自身の甘い体臭が混ざり合い、なんとも言えない香りとなって俺の情欲を刺激してくる。頭がくらくらして何も考えられなくなる中、俺は必死に桃姉から離れようとした。
桃姉は本当にただ酔ってじゃれているだけでそんなつもりは一切ない、親しい者同士のスキンシップに過ぎないんだと自分に言い聞かせようとする。
だが桃姉は追いすがるように近づくと、あろうことか両手を広げて胴体に抱きついてきた。
「冷たいなぁ、ハルは〜。私はハルの事だぁ〜い好きなのに〜」
「あ……うぁ……」
無邪気に身体を揺する度に桃姉の大きな胸がむにむにと押し付けられる。柔らかなその感触に理性がゆっくりと蕩かされていき、俺は言葉にならない呻きを上げた。
「も……桃姉……」
桃姉に抱きつかれ胸を押し付けられている。そんな異常な事態に俺の頭は混乱しきっていた。己の性欲的な衝動に容赦なく晒される中、必死に冷静さを保とうとする。
だが靄がかかった思考は聞かなくてもいい質問を勝手に紡ぎだしていた。
「大好きって……桃姉は、俺の……どこが好きなんだよ……」
頭のどこかでその質問はやめろという声が響く。桃姉の答も、それが聞きたくないものだという事も本能的に分かっているのかも知れなかった。
「ん〜、やっぱりご飯が美味しいし、掃除も洗濯も上手いし、こうやって私の面倒見てくれるとこかな〜」
冗談めかして言う桃姉。その答を聞いた途端、頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。
桃姉は俺を家事をする人としてしか見てない。分かっていてもやはりその答はショックだった。
そして失意の後、沸き上がってきた感情は怒りだった。
のほほんと笑う桃姉に無性に腹が立ち、俺は怒りに駆られて体をつき動かした。
「ひゃうっ!?」
予想外の俺の行動に桃姉が声を上げる。俺は抱きついていた桃姉の身体を引き離し、両肩を押さえ付けるように押し倒していた。
「ハ、ハル……?」
「桃姉は……!」
戸惑いの声を無視し、己の心情を吐露する。一旦口にしてしまえばもう止まらなかった。
「桃姉は……俺が家事をしてくれるから俺の事が好きなのか……!?掃除や洗濯やってるから結婚しろって言うのか……!?美味い飯を作る事が桃姉にとっての俺の価値なのかよ!?」
無茶苦茶言っているのは自分でも分かっていた。ただ俺は不安だったのだ。昼間考えていたように桃姉にとって俺は家政婦でしかないかも知れないことが。こんなに長い付き合いなのに、家事をすることでしか桃姉に必要とされてないかも知れないことが。
「俺は……俺は桃姉の事が……昔から、ずっと桃姉の事を……なのに……なのに……!」
「ハル……」
桃姉の弱々しい声が被虐心をそそる。怒りと劣情に突き動かされ俺は暴挙に出る。
桃姉を、好きな人を俺の手で滅茶苦茶にしてやりたい。そんな想いに支配されていた。
「ひあぁ!?」
「はぁ……はぁ」
荒い息を吐きながらたっぷりとしたボリュームの胸に手を伸ばす。ムニュリ、と指が沈み込むその柔らかさに、俺の興奮が更に高まっていく。
「はっ、くぅ……んくっ……」
ゆっくりと力強く動かす指に、苦しそうに身を捩らせる桃姉。俺は凶暴な興奮に任せて荒々しく乳房を揉んでいた。
だが――
「ハル……おね、がい……やめ……」
弱々しい懇願の声。ハッと見れば、桃姉が泣き出しそうな顔で俺を見上げていた。先程までの酔いの気配は完全に消えている。目尻には涙が溜まり、瞳は怯え切った色がありありと浮かんでいた。
「……っ!」
冷水を浴びせられたように急速に頭が冷えてくる。弾かれたように桃姉から身を離し、よろよろと後ずさっていた。
取り返しのつかない事をしてしまった絶望感が意識を支配していた。
やがて身体を起こした桃姉が怖れと戸惑いの混ざった目を向けてくる。
「ハル……」
「………………ごめん」
絞り出すようにそれだけ口にすると、俺は逃げるように部屋から飛び出していた。後悔と自己嫌悪に吐き気を覚えながら、止まることも出来ず、俺は動けなくなるまでひたすら走り続けていた。